ヴァンパイア

美味しい食べ物

「ヴァンパイアは、町内に一人いれば十分。数が多いということは、血を吸われる被害者が増えるということだ。それはヴァンパイアを滅ぼすことに熱心な狂人達に居所がばれやすいということにもなる。だから、十五歳になったら一人暮らしをしなさい」
 父からそう言われたのは確か、ヴァンパイアの血に目覚め始めた――十二・三歳頃だったと思う。その時はただ単純に「一人暮らし」という言葉の響きに嬉しさもあったのだが……今にして思う。父と母は年若く結婚し、私をもうけたために失った青春を取り戻したいだけなのではないか……と。今でも二人がいる部屋は熱くって仕方ないのだ。
 ま、そんな諸事情はどうだっていい。一人暮らし、大歓迎だ。でも、やはり住むなら、美味しい血を持った人間のいる近くがいい。血の美味しそうな人間を探しだして吸うなんて、昔はともかく現代のような忙しい毎日では、暇がない。
 私は自宅から電車で二時間かかる学校で入学以来何人かの美味しそうな血を持つと思われる同級生、先輩の血を吸ってみたのだが……そこそこ美味しい人はいるが、最高級、パーフェクトな血を持つ人物は今の所いない。それに、集団行動をする生徒が多く、なかなか一人行動や私との二人行動をする機会、血を吸う機会がなかった。
 血を吸わなくても一応、普通の食事でも生きてはいけるのだが、ヴァンパイアの体は消化吸収率が良くない。そのため私はよく貧血を起こしていた。

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 私の誕生日が一週間後に迫ったある日のこと。
「さて、今日は授業をしない」
 生物担任の大神正義は教室へ入ってくるなり、そう断言した。勉強に熱心な学生もいないため、誰も何も言わない。
「いまからアンケート用紙をくばるので、思うことがあれば全て書き出すように」
 一番前の席のこに、B四サイズの紙を配っている。
「前後で相談してもかまわないから、なるべく質問事項を埋めるように」
 まわってきた紙をみる。いつものように無記名で、「はい・いいえ」のどちらかに丸をつけ、理由を書けというやつだ。質問は全部で一六項目にも及んだ。その内容は……授業をつぶしてまですることだったのだろうか
 大神はその時間、『ヴァンパイアを殺せ!』という本を読んでいた。嫌なタイトルの本だ。
 
 翌日から、大神が杉田和泉の後をつけている姿を目撃するようになった。……予想通り。
 体育教師でクラス担任の杉田和泉はいつも黒ずくめで、黒いサングラスをかけている。趣味はオオカミグッズコレクション、色白で実年齢よりもかなり若く見え、八重歯が大きい。匂いのきついものアレルギー、金属アレルギーがある。昨日のアンケート用紙にも、杉田和泉をヴァンパイアだと思うか、という項目があった。
 決して正義感からではないが、ああいう狂人を野放しにしておくわけにはいかない。私は彼女の警護をすることにした。そのおかげで、ますます血を吸う機会がなくなった……。
 
 放課後。
 校門脇で杉田和泉の出てくるのを待つ。彼女がアパートへ帰るのを見届けると私の日課は終わる。今日は、いつもより遅いようだ。
 午後七時。あたりはもう暗い。ただ、空に浮かぶ細い月が、冷たい光を投げかけている。
 彼女はまだ、出てこない。大神正義もだ。
 私は、校舎の中へと足を向ける。嫌な予感がする。
 職員室に彼らの姿はない。
 部活動を終えた学生が帰ってゆく。
 もし大神がヴァンパイアの処刑を行うとしたら、人気のない時間、人気のない場所で行う可能性か高い。それはどこか……とりあえず、片っ端から部屋を覗いてまわる。
 ああ、血が吸いたい。
 独特の乾きが体を襲う。あまり動いていないのに、体が重い。時計の針はすでに八時半を指している。私は休憩を取ることにした。はやく血を吸わないといつ貧血で倒れてもおかしくない状態になりつつある。

――ゴン

 微かだが、何か音が聞こえた。私は耳を澄ます。

――ゴンゴン……ゴン

 確かに音がする。学生は皆帰ってしまったはずだから、この音の主は探していた人物である可能性が高い。私はその音の方向に向かった。
 その音の主はすぐに見つかった。黒いマスクをかぶった、背広(この背広は今日、大神が着ていたものと同じもの)姿の男が、大きなバケツを抱え歩いている。そのバケツ中には、何かが液体と共に入っているらしく、歩く振動でバケツの側面にぶつかり曇った音を立てている。
 彼は私のことなど全く気づいていないようで、楽に後をつけることが出来た。
 男は会議室へ入っていった。
 杉田和泉はこの中にいるのだろうか。しばらく様子を見ることにした。中からはなにやら読経のような演説が聞こえてくる。
 細く、扉を開け中の様子を伺っていると、男が杭を振り上げた。
「この世に害を成す忌まわしき化け物め……」
 私は急いで中へ入り、近くにあったパイプ椅子を男に向かって投げつけ、二脚目を手に取り、一脚目をよけるためかがんだ男の背中目掛けて叩きつけた。
 男は「うっ」というようなうめき声をあげ、倒れこんだ。
 はぁ……疲れた。
「この学校にまともな奴はいないの?」
 いまの動作でかなりエネルギーを使ってしまった。くらくらする。血が吸いたい。
 杉田和泉は焦点の合わない目でぼんやりと宙に視線をさまよわせている。様子がおかしい。とりあえず彼女の呼吸を確認する。
「よかった」
 何か薬でもかがされているのだろう。ふっと、彼女の白い首筋が目に入る。血が吸いたい。三十路前の女の血など気分的に嫌なのだが、この際我慢しよう。彼女の首筋にヴァンパイアだけが持つ特殊な歯をたてた。
「……美味しい」
 思わず声が漏れる。これほどの美味しい血は初めてだ。
 もう少し吸いたいが……我慢だ。あまりたくさん飲んで彼女に貧血を起こされては吸いたいときに血が吸えない。
 これ以上彼女が襲われないように、意識の無い彼女を抱えあげ、別の部屋へと移し、その日は帰宅した。



 翌日。私の気分を表したようないい天気だった。
 前を行くのは杉田和泉だ。
「おはようございます」
「おはよう、今日は気分がいいようね」
 彼女はかなりだるそうだ。昨日、血を吸いすぎたかもしれない。
「……はい」
 いけない、あの味を思い出して顔がゆるむ。
「あの、私急ぎますから」
 駆けるようにその場を去る。彼女を見ているとあの味を思い出して吸いたくなってくる。



 夕方。杉田和泉はいつも通りアパートへ帰っていく。
 大神が彼女に声をかける。彼女はかなり、疲れ切った顔で振り向く。誰が見ても、
「今疲れてるんで、話は今度にしてもらえますか」
といっているような顔で。
 大神はかまわず、話を始める。
 彼女に気づかれないよう尾行しているため、二人が何を話しているのか聞こえない。かといって、二人に近づくわけにもいかず……。
 彼女のアパート近くまで来る。二人はそこで立ち止まり何か言葉を交わした後、大神は去っていった。
 頃合を見計らい、彼女に声を掛けた。
「先生、デートだったんですか?」
 彼女は大きく息をつくと、疲れたように
「違うわよ。それより、あなた何でここにいるの? 家の方向は違うわよね?」
「越してきたんです。そこに」
 小さなアパートを指差す。彼女が住んでいるアパートだ。
「……一人、暮らし?」
「はい、両親が十五歳にもなったんだから一人で暮らせって」
「いいわね……」
 彼女はしみじみとそういった。
 杉田和泉のあとに続いて階段を上る。
「引越し祝いを後で持っていきますね」
 言って、階段上がってすぐの部屋へと入る。中にはまだ開けてもいないダンボールが積み重なっているだけ……。引っ越し祝い、どれに入ってるんだっけ?



――トントン トントン

 やっと見つけ出した引越し祝いを携え、彼女の部屋のドアをノックをした、が返事がない。ノブに手をかけると、簡単に回った。鍵はかかっていない。
 部屋の中へ入る……誰もいない。
 彼女と部屋の前で別れて、三十分も経っていない。後で引っ越し祝いを持っていくと言ったのだから、彼女が出かけることは無いだろう。だとすれば……私はすぐにその部屋を飛び出した。連れ去られたとしても、まだそれほど遠くまでは行っていないはずだ。
 けれど、どこへ……? 無駄だと思いながらも、
「あの、変わった男の人を見かけませんでしたか?」
アパート前を掃除していたおばさんに尋ねる。
 おばさんは頷くと、
「黒いマスクをした男のことかい?」
「え、ええ、そうです。どこへ行ったかご存じですか?」
「ほら、あそこ、」
 指さす方向には彼女を背負って歩く男の姿があった。
 ……なんだか、むなしい……。
「有り難うございます」
 言って、駆け出そうとする私の腕を掴み、おばさんはこういった。
「なんなのいったい。面白そうね、良かったらおばさんに話してよ」
 良かったら、とは言っているが話さなければ放してくれないだろう事はおばさんの目にありありと伺えた。かといって、本当のこと、私がヴァンパイアだということを話すわけにもいかない。適当に作り話をして、おばさんに解放されたのはそれから二十分後の事だった。
 
 ああ、全く腹が立つ。だいたい大神がヴァンパイアを滅ぼうという気を起こしたのがいけないのだ。なぜ、善良なヴァンパイアが滅ぼされなければならないんだ!
 ヴァンパイアについての話はいろいろとあるが、あれはほとんど嘘だ。ニンニク、十字架は平気だし、日光を浴びても死ぬことはない。銀の玉、聖水に浸した杭を心臓に打ち込まれればヴァンパイアでなくったって死ぬ。ヴァンパイアとはいえ普通の人間とそうかわりはない。ただ、私達は血をうだけだ。
 昔のヴァンパイアは血を吸うために、黒ずくめの格好をして身軽に、夜でも目・耳が利くよう訓練し、昼間は寝ていたという話だが、現代のヴァンパイアは社会的生活を営んでいる以上、そんな怪しい行動はとれない。
 獲物として狙う人間は今も昔もそう変わりない。気づかれても抵抗されにくい、女・子供を狙うのは当たり前だが、老人・幼児だと一回に吸える血の量が少ないので狙わない。ヴァンパイアも社会的生活を営んでいる以上、人間を殺すわけにはいかない。まあ、男の血を吸ってもなんの問題もないのだが、生理上、若くて綺麗な女性の血のほうがいい。
 
 私はアパートから二十分ほどの所にある、川岸にいた。
「黒いマスクをかぶった男を見かけませんでしたか?」
 と数人に尋ねながら歩いてきたのだが、最後の一人――この川で数十年釣りをしてきたという老人――が、
「ああ、それなら川辺の掘っ立て小屋ん中に入るの見たよ」
と教えてくれたからだ。
 辺りはもう、最後の名残のように残る、夕日の明かりだけなので暗い。私は川辺に立てられた一軒の掘っ立て小屋を睨み付けた。小屋からはわずかに光が漏れている。間違いなくあそこにいる。

――ガン

 扉を思いっきり蹴る。中には相変わらず黒いマスクを被った大神と、十字に組んだ台の上に彼女が縛り付けられている。
「誰だ!」
 大神が怒鳴る。中から外の様子は見えないようだ。
 私は扉の陰に身を隠し、ここへ来る途中に拾った棒きれを振り上げ、待った。

――ゴン、……ドサッ

 大神が小屋から頭を出した所で、棒きれを頭上から思いっきり振り下ろすと、又しても簡単にのびた。
「先生、昨日あんな目に遭いながら、今日も襲われるだなんて不用心なんじゃないですか?」
 彼女に近寄りながら言葉をかける。彼女の意識は昨日に比べあるらしく、声のする方、こちらへ視線を向ける。
「あなた、どうしてここへ?」
 不思議そうな顔をする。
「先生を見張ってたんです。大神先生、授業中に吸血鬼を滅ぼす って言ったり、誰が吸血鬼だと思うかアンケートとったりしてたから」
 彼女は大きく目を見開くと、怖々と私の後ろ、大神の倒れている辺りを見た。
「それで、私が……」
「でも、先生をヴァンパイアだなんて……」
「そうね……」
 私の笑い声に彼女も笑い始める。しばらくして、彼女は私にこういった。
「これ解いてくれる?」
 そう彼女はまだ縛られている。今なら抵抗されずに、あの美味しい血が吸える。
「どうか、したの?」
「だって、私がヴァンパイアなのに」
 私は彼女の首筋に歯をたてる。

 ……美味しい。

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『美味しい食べ物』をご覧いただきありがとうございました。

01/4/12 誤字・脱字を訂正、一部書き直してアップしてます。「獲物」にタイトル変更しようかとも思ったんですが、やめました。大神正義、杉田和泉、秋葉原陽子って名前は、適当に考えたものです。実在の人物なんかはいませんし、いたとしてもまったく関係ないです。内容的には、「ヴァンパイア」のほうが自画自賛するわけじゃないですが面白いですね(笑)

2004/04/26 改稿
2012/01/18 訂正

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