第ニ話 原と銀シャリ
寮には二種類ある。自炊寮と食事付きの寮。家賃的には食事代の含まれていない自炊寮の方がはるかに安い。ケチなお袋は一もニもなく、料理なんてしたことの無い俺を十室ほどの男子自炊寮に押し込んだ。
「あら啓太。今時、料理のできない男はもてないわよ」
その一言で強引に。カップラーメンで当座をしのがなければならないと覚悟していた俺だったが、事態はそんなところで終わりはしなかった。
新寮生歓迎会の席でくじ引きがあった。何なんだろうと首をひねりながら、三角形に折られた折り紙を一枚引く。
「水曜日と金曜日?」
「三浦は水金」
寮長が乱暴な字で表に書き込む。月曜から金曜までの表に書き出された寮生の名前。
「水曜は三浦、原と一年生コンビだな」
寮長の言葉に俺は首をかしげた。
「何ですか、コレ」
「何って、食事当番の表だよ」
「食事当番?」
「寮則に書いてあっただろう?」
冷静な声に振り向けば、原。この寮に同じ学年はこいつしかいないからすぐに覚えた。俺と異なり、パーカーにジーンズと高校生そのままな格好。
「寮則?」
「お前、十ヶ条読んでないのか?」
そう言われ、玄関入ってすぐの壁に貼り付けてある習字を思い出した。
『寮則十か条。破った奴はくすぐり地獄。
その一、門限は夜の十時まで
そのニ、女は連れ込まない(かーちゃんはOK)
その三、……』
つなぎ合わせた馬鹿でかい模造紙に書かれた十か条。ボールペンやらシャーペンで付け足された文字や落書きがずいぶんあり、なんだこりゃ、と思って見はしたが、あれが本物の寮則だと誰が思うだろう。
「前に、この寮で栄養失調で救急に運ばれた人間が出たらしくてな、まともな料理を作って食べるよう大家に言われてるんだ。寮則にも書いてあっただろ?」
「知りません」
俺の声に被さるように、
「そういうことですか」
原の声。ひょっとして俺一人が仲間はずれ? 黒髪ばかりの中、多色カラーの俺は確かに浮いているのだが。
愕然とする俺を残し、話はとんとん拍子に進む。朝食・昼食・土日祝日・長期休みは各自で。だから、食事作りといっても平日の晩飯だけ作ればいいらしいのだが、
「俺、料理できないんですけど」
手を上げ発言。
「ま、みんな最初はそんなもんだ」
先輩方は優しい笑顔。ハードルを越えたものの余裕って感じだ。がっくりうなだれる俺に、原は無表情に、
「俺もあんまり料理できないから」
お先真っ暗だ。
問題の水曜日は歓迎会の翌々日だった。練習も何もあったもんじゃない。先輩から虎の巻として渡されたのは『ひとりでできるよん かんたんクッキング』という、どう見たって小学生低学年向きの本。
ぱらぱら見てみると、野菜の切り方や火加減など基礎の基礎から写真付でかなりわかりやすく書かれている。これならば俺にもできるかもしれない。そんな気になる。
何を作ろうかと考えた末、キャンプで作ったことのあるカレーを作ることにした。失敗なんてできないから。
「材料は市販のカレールーと牛肉、じゃがいも、にんじん、玉ねぎ……」
「ちょっと待った。材料を買出しに行かないと」
冷蔵庫の中身をチェックしていた原が言う。そこから始めなきゃならないのか。お使いさえ、まともにやったことの無い俺には未知の領域。
「先輩に材料費は預かっているから」
鍵のついた引き出しから、ごついがま口を取り出す。先輩、俺の容姿を見て鍵を原に預けたんだろうなぁ。そう思うとやるせない。
「材料をメモして――スーパーは駅前にあったよな」
原は妙に張り切ってる。高校の時、学級長とかやっていそうだ。仕切るのに慣れてる感じがする。
スーパーは寮からバスで三十分ほど。学校に近い寮に入るとこういうところが不便だ。
カートにかごを載せ、適当に食材を放り込んでいく。
「無駄遣いするなって先輩に釘刺されるんだ」
原は眉間に皺を寄せ、せっかくかごに入れた食材をきちんと元に戻す。
「もう三十分もしたらタイムセール始まるから、野菜はそれから買おう。肉はお買い得ってシール貼ってあるだろ、あれにしろ。カレーにステーキ用の肉なんてもったいないだろ」
妙に細かい。家のお手伝いをきちんとやっていた良い子、なんだろうな。多少腹は立ったが、俺の常識の無さは自分でもわかっているので口にしない。
けれど、おかげでタイムセールが始まるまで時間をつぶさなきゃならなくなった。お菓子とカップラーメンの辺りをうろつき、店内を一周したころ、原とはぐれたことに気づいた。メモを持っているのは原だ。これはまずい。
慌てて売り場を探していると、米のコーナーに立ち尽くしている原の後ろ姿。
「原?」
「三浦、これ買っちゃダメかな?」
振り向いた顔は異様に目がキラキラしている。指差す方向には『魚沼産コシヒカリ 二キロ千七百円』のポップ。その横には『ササニシキ 五キロ千五百円』とあるから、めちゃくちゃ高いことは俺にもわかった。
原が何を考えているのかわからない。メモにも米の文字は無かった気がする。
「米はあるんだろ?」
「だがな、魚沼産だぞ? まぁ、確かにカレーにはちょっと贅沢すぎるかもしれないが……」
ぶつぶつと何かをつぶやいている。よくよく聞き取れば米についてのうんちくだった。それがお前の正体なのか。あまりに普通な見た目に騙された。
魚沼産コシヒカリは諦めてもらい、寮へと急ぐ。食事時間は夜七時から。それに間に合わせないと、寮則違反だ。くすぐり地獄なんて怖くも無いが、やられたくもない。
米は任せろと言って聞かない原にご飯を任せ、俺はカレールーの作成に取り掛かる。寮内に炊事場は二箇所。俺は第一炊事場でルーを作り、原は第二炊事場で飯を炊いているはずだ。向こうの方が明らかに簡単そうだが、暑苦しい瞳で米への思いを語っていた奴に、さすがにルーを作れとはいえない雰囲気だったから仕方ない。
虎の巻を見比べつつ、一時間ほどして、初めてにしては上出来なカレーが完成する。
満足していると、不意に相棒のことを思い出した。米って炊飯ジャーに入れたら良いだけだよな。なのに、何で姿が見えないんだ?
「原?」
第二炊事場へ行くと原がぼーっとつっ立っていた。
「何してるんだ?」
声をかけながら近づくと、原の目の前にはボールに入れられた米。水に反射し、ちらちらと瞬く光が綺麗だ。思わず現実逃避しそうになる。
「お前、出来てないじゃん」
「水を吸わせてるんだ」
「は?」
わけがわからず、炊事場を見渡す。ミネラルウォーターのでかい空ペットボトルがやたら多い。
「これどうしたんだ?」
ペットボトルは昨日ゴミ出しだったはず。
「本当は
「何で?」
「ヌカ臭い米が食べたいのか? 普通の米使ってんだ。水くらいはいいのを使わないと」
当然とばかりの言葉。
「で、いつ炊き上がるんだ?」
「おっと、取り返しのつかない失態を犯すところだった」
やおら、米を水から上げる。
「もう少し水を吸わせた方がいいんだが、今から炊き上げないと時間がないからな」
「ぎりぎりか」
「蒸らす時間が必要だ」
「お前な、普通に飯炊けよ。そんなに時間かからないだろ」
「旨い飯を食べるには時間と手間隙と金を惜しんじゃダメなんだよ」
「当番で作る飯にそこまでする必要はないだろ」
「銀シャリが可哀想だ銀シャリが可哀想だ銀シャリが可哀想だ……」
怖いよ、原。
「わかった。お前の好きなようにしろ」
ルーだけのカレーなんて食べたくない。時間までに出来てなきゃ責任は全部原におっかぶせて逃げようと心に固く誓った。
時間ぎりぎりに飯は炊き上がり、蒸らし時間がどうのと煩い原を無視し、つぎ分ける。カレーは普通に旨かった。原はグダグダ言っていたが。
入学から半年。いつもの水曜日。普通、一時間もあれば夕食の支度が出来るのに、銀シャリ命な原のせいで最低二時間はかかる。
明菜先輩の家からの帰りがけに買った材料を使い、俺は手際よく肉じゃがと豚汁を作る。料理の本も数冊そろえ、レパートリーも増えた。やってみれば料理も案外面白い。
原は第二炊事場でポリタンクの水を豪快に使い、銀シャリを作っているはずだ。竹炭を一晩漬けた水を使って炊いた飯は確かに旨い。けれど、変人は誰だと問われれば、俺は間違いなく原だと答える。
使用お題…変人は誰だ/ほう、それが正体か/取り返しのつかない失態/ちらちらと瞬くひかり/理由はたったひとつだけ
2007/03/29 ここまでは12/29に書きあがっていましたよ。見切り発車は怖いねぇ。
©2001-2014空色惑星