原くんとおかしな人々

原くんとおかしな人々

第一話 明菜先輩と芸術

「本当にここか?」
 俺は隣に立つ三浦を見た。三浦は唖然とした顔で、重そうな鉄柵の向こうにそびえる屋敷を見上げている。説明が無いので、俺はもう一度屋敷を見やる。
 よくよく見れば、建物は洒落た異人館だった。だが、屋根からさまざまな色合いのペンキをぶちまけられ、見るも無残な姿。豪邸というより異空間。良く言えば前衛的。普通に言えばむちゃくちゃ。ありえない。何あれ。金持ちのすることは良くわからない。
 三浦は懐から手紙を取り出し、文面と屋敷を見比べる。
「間違いない。明菜先輩、地図書いてくれてたし……」
 俺はラフなトレーナーにジーンズ。三浦は破れたシャツを重ね着し、ジーンズはボロボロ。重そうなシルバーアクセサリーを重ね付けし、黄色をベースに緑と青と赤、まだらに染め分けられた髪。
 目の前にそびえているあの建物が豪邸であるのか、美術館であるのか――どちらにしろ場違いな格好であることは否めない。俺達はどうしたものかと立ち尽くしていた。

 話は三日前にさかのぼる。部室でだらだら過ごしていた俺と三浦の前に、一通の手紙が差し出された。
 正確に言うと、白のふんわりした清楚なワンピースを着た明菜先輩が、微笑みながら三浦に白い封筒を差し出した。無粋な封筒じゃなく、レースの型押しされた上品で高級そうな封筒だ。
 差し出された封筒を受け取りつつ、三浦は助けを求める視線を俺へと投げた。俺も訳がわからず首を振る。
「恥ずかしいんだけれど――」
「あの、何ですか?」
 三浦は裏返った声で尋ねた。構図的には美女と野獣。天使と行き倒れしそうな旅人。女神と貧相な悪魔。
「中に書いてあるわ」
 再び俺に視線を向ける三浦に首を振ってやり、明菜先輩を見やる。
「きゃっ」
 恥ずかしそうに明菜先輩は悲鳴を上げ、逃げ出すように去っていった。まるで少女漫画の主人公のようだ。
 俺と三浦は顔を見合わせ、俺は首をかしげ、封筒を開けてみろと目で促す。三浦はごくりと唾を飲み込み、腫れ物に触るかのように、慎重に封筒を開いた。
『三日後の十四時 お待ちしています』
 流れるような綺麗な文字。その下に地図。
「どういうことだ?」
 何度もその短い文面を読み直した後、三浦は俺に尋ねた。受け取った本人がわからないのに、俺がわかるわけがない。
 暇だったこともあり、俺達は連れ立って指定された日時――つまり今、のこのこと、こんなところへやってきたのだった。

「当家にどのような御用でございましょう」
 門の前にたたずむ俺達に、そう問うてきたのは、いかにも執事な容貌の六十代の男だった。ロマンスグレーの髪に知的な眼鏡。頑固な策略家っぽい感じ。怒らせれば、ねちねち嫌味を言われそうだ。
 俺と三浦は顔を見合わせ、なんと説明しようかアイコンタクトを取る。
「当家にどんなご用で?」
 何も決まらないまま、もう一度尋ねられ、
「すいません、こちらは岡田明菜さんのお宅ですか?」
 俺は腹をくくって男に尋ねた。高校時代は優等生で通っていた俺。ジャケットを羽織っていれば、もっと信用されただろうが、今更そんなこと言っても始まらない。
 先輩とこの豪邸。いや、先輩とこの呪いの館が結びつかないが、地図を信じればここしかない。
 男は一瞬、怪訝な顔をするも雰囲気が変わる。
「お嬢様のお客様でしたか」
 微笑む。だが、内心、ろくな奴らじゃないと思っているはずだ。俺達の格好は場違いすぎる。だが、そこはさすがプロ。
「お待ちしておりました」
 丁寧に頭を下げ、どこかに向かって手を上げる。カチっと鍵の外れる音がして、門の脇にあった、小さな扉――といっても、人間二人くらい並んで通れそうな扉が開いた。
「すげェ」
 ここで声をあげて感嘆できる三浦の性格がうらやましい。俺は胃がシクシク痛み始めるのを感じていた。
 男に案内され、俺達は屋敷へ向かって歩道を歩く。散策に持ってこい。公園よりよっぽど管理の行き届いた庭は美しい。
 五分近く歩いただろうか。ようやく玄関へ到着する。門前で見たより、半端なくすごい屋敷だ。そして、その異様さも驚くほどのものだった。屋敷自体をキャンバスとして子供が目いっぱいペンキをぶっかけて遊んだような、スケールの大きな落書き……としか思えないのだから。
「これ、どうされたんですか?」
 玄関を開けようとしていた執事は振り返り、げんなりした顔を一瞬見せ、
「お嬢様の芸術です」
 言い切った。無念そうに、腹から搾り出すような声で。
「中へどうぞ」
 分厚い観音開きの扉が静かに開く。
「……マジ?」
 三浦が驚くのも無理は無い。床も壁も天井も、全てが外観なんて比にならない異様さだった。長時間この中にいると気が狂いそうだ。げんなりした俺とは逆に、三浦は目を輝かせた。
 そこに広がっていたのは三浦が好きそうな空間だったのだ。

「お嬢様」
 執事はノックと共に扉を開いた。
「あら、遅かったわね、三浦君」
 机から顔を上げ、振り返った明菜先輩はいつもと変わらぬ上品なワンピース。驚いたことに、明菜先輩の部屋はシンプルだった。白いレースのカーテンに天蓋付きのベット。広広とした部屋。
「あら、えぇっと……あなたは?」
 三浦と一緒に頭を下げた俺を怪訝そうな顔で見る。
「すいません、一緒に来てしまって――」
「それは構わないわ――えぇっと……」
「同じ部の原です」
 なんだか泣きたくなった。三浦と俺がよくつるんでいる事は部内の人間は皆、よく知っていることなのに。明菜先輩は俺のことなど眼中に無かったらしい。
「あぁ、そうね、そう。原くんね」
 原、はら、ハラ……何度か唱えているところをみると、全く覚えていなかった様子。
「よくいらしてくれたわ」
 俺に向けての台詞はなんだか棒読み。目が合うと、複雑な顔で視線をそらされる。胃が痛い。
「そんなことより明菜先輩、尊敬ッス。すごいッス」
 キラキラした眼差しを明菜先輩に向ける三浦。友人を『そんなこと』と差し置くなんて、なんて友達がいのあるヤツだろう。明菜先輩は照れくさそうに微笑みながら、
「ありがとう。三浦君ならば私の芸術を理解してくれると思っていたの」
 その判断材料って三浦の髪ですよね。
「いや、誰が見てもスゴイっすよ」
 三浦、いつからお前はそんなしゃべり方をするようになったんだ。そもそも、これを芸術と評価する人間の方が少ないはずだ
「でもね、」
 明菜先輩は深刻な顔で黙り込む。
「ただ一つ、欠点があるの」
「なんスか?」
 俺も興味を引かれて耳を澄ます。この館にいまだ呪われていない場所があるってことだろうか?
「あれなの」
 指差す先にはパラボナアンテナ。灰色の、何の変哲も無いパラボナアンテナ。
「あれをね、もっと素敵に――」
「お止めください、お嬢様」
 執事は引きつった顔で首を振る。
「わかっているわよ、橋口」
 答えるが、子供のようなむくれっ面。年上の女性、という様相はそこにない。明菜先輩がこんな人だとは思わなかった。残念そうな明菜先輩は三浦相手に芸術を語り始める。理解できない話に俺はため息をつき、静かに部屋を出て行こうとする執事と目があい、静かに一礼される。俺も頭を下げ、男がドアを開け、廊下へ身を滑らせ、再び部屋が閉ざされるのを見ていた。
 俺も一緒にこの部屋から、いやこの屋敷から去りたかった。

「どっちがいい?」
 明菜先輩の芸術論の時間が終了すると、俺達はなぜかババ抜きをしていた。明菜先輩が自分の作品として見せてくれた中にトランプがあり、それを見た三浦がババ抜きをしたいと言い出し、この展開になったのだ。
 それにしてもなぜババ抜き? 三浦の考えはわからない。だが、普通のトランプでするババ抜きとは一味違う。先輩デザインのトランプで行うババ抜きは、本当の意味でのババ抜きだ。本気でババを引きたくない。
 気の狂ったかのような背面模様のトランプ。表面のダイヤやハートは普通だったから良かったものの、カードを手に広げ、微笑んでいる明菜先輩が魔女のようだ。呪いの札を掲げて微笑まれているように思え、なんだか落ち着かない。
「どっち? 二枚目? 三枚目?」
 促され、俺は散々迷って明菜先輩の手の内から三枚目を取った。ジョーカーは明菜先輩が描いたものだ。気味の悪い、生物とは到底思えないようなモノがそこに描き出されている。
 このババ抜きの一番ヤバイところはそこだ。ババを目にすると、ストレスが溜まる。胃が痛くなる。
「うふふ、ババがなくなったわ」
「明菜先輩がババもってたんスか」
 三浦と明菜先輩は楽しそうだが、俺はげんなりしていた。ババ抜きを始めてすでに三十分近く経とうとしている。
 明菜先輩は見事なポーカーフェイスで、俺はババを引かされるし、三浦はその逆。ババがヤツに渡れば勝負はあっという間だ。つまり、負けるのは三浦か、たまに俺だけ。
「あの、」
 俺は席を立つ。ストレスからくるムカつきは胃から腸へと範囲を広げつつある。
「トイレ借りてもいいですか?」
「いいわよ、ちょっと待ってね。案内させるわ」
 明菜先輩は電話に手を伸ばす。内線のようだ。電話を置いた直後ノックの音が響き、執事――橋口さんが姿を見せた。
「何でございましょう、お嬢様」
 明菜先輩は俺に視線を向ける。俺にしゃべれということなのだろうか。
「あの、トイレの場所を――」
 トイレに行く、ただそれだけの為にこんなことになるとは。

 橋口さんに案内されて俺は客用トイレにたどり着いた。これほど後悔するトイレなど、後にも先にも数は無いだろう。綺麗に清掃された、二畳ほどの広いトイレ。
 ただし。そこは明菜先輩の芸術に侵された空間。そこにたった一人。数分とはいえ、一人で過ごさねばいけない。
 ギリギリと胃の痛みが増す。来るんじゃなかった。
「大丈夫でございますか?」
 扉の向こうから声を掛けられ、俺は何とか返事を返す。
 早々とトイレから出て、部屋に戻る。部屋まで道案内をしてくれた橋口さんに別れ際声を掛けられた。
「お薬をお持ちしましょうか?」
 顔色まで怪しくなっていたのだろうか?
「お心遣いありがとうございます。けれど、もう失礼しますから大丈夫です」
「承知いたしました」
 丁寧に礼をして去っていく。屋敷が迷子になりそうなくらい広いだけじゃなく、先輩の芸術のために、何が何だかわからない。第一、壁と扉の区別がつきにくいのだ。唯一ハンドルでそれが扉だと認識が付く――けれど、時にそれがイミテーションだったりするのだ。全く、芸術にこれほど怒りを覚えたことは無い。
 扉を開けてほっとする。上品な先輩の部屋はオアシスのようだ。問題はそこにいる二人だけれど。
「原が腹、壊したのか?」
 無遠慮に三浦に声を掛けられ、切れそうになった。なんだよ、その親父ギャグは。
「別に」
「何不機嫌になってんだよ?」
 ヘラヘラと笑われれば余計、気に障る。なるべく気にしないように努め、席につく。この異空間に完全に馴染んでいる三浦には俺のストレスなど理解できないだろう。
「三浦、時間」
 先輩に聞こえないよう、三浦の耳元でつぶやく。
「あまり長居をしちゃ先輩に迷惑だろう?」
「そうか? 仕方ないな――」
 俺としては緩やかに退席するはずだった。切りの良いところを見計らって。
「先輩、俺たち帰ります」
 三浦は広げていたトランプを机に伏せ、いきなり席を立つ。ちょっと待ってくれ。いくらなんでも不自然すぎる。俺が耳打ちした後いきなりそんな行動取れば、俺が疑われるのは目に見えて明らかだ。
「あら、迷惑だなんて思ってないわ。えぇっと――貴方、用事があるのならば帰って結構よ」
 俺の名前、覚えてくれないんですね先輩。
「じゃ、原。俺はもうちょっといるから」
 なんとも友達がいのある言葉。それが貴様の正体か。
「三浦、今夜の予定を忘れてんじゃないだろうな?」
 大きなハテナマークを顔の浮かべていた三浦は、カレンダーを見やり、時計を見して、徐々に顔色を変える。
「すいません、先輩。今日のところは失礼します」
 時間に追い立てられるように、俺たちは屋敷を後にした。

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使用お題…異人館で逢いましょう/ろくな男じゃありません/パラボラアンテナ危機一髪/二枚目と三枚目

2006年12月29日 書いたのは12/29だけれど、アップしたのは1月後半? 記録が残ってない。。。いつものことだけれど。。。

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