ラムダ

三−五.ミドリ

 血溜まりの魔女が行方不明になり、その後釜に悪魔の娘と呼ばれる若い娘――ルカが就任した。
 長い黒髪に白いワンピース姿で敵地に現れ、敵味方入り乱れて混戦しているところ、野原を散歩でもするかように軽やかな足取りで歩く。誰にも彼女の歩みは邪魔できない。
 彼女の周囲で破裂音が続けざまに響く。しゃぼん玉がはじける様に、彼女の周辺にいた兵士は体が膨らんで破裂する。雨のように降り注ぐ、肉体を構成していた破片、液体。敵味方は関係ない。
 血溜まりの魔女以上に、凄惨な現場。戦場が静まった頃には、彼女のワンピースは真っ赤に染まる。
 眼下に繰り広げられる凄惨な光景に、ミドリは恐怖を覚えた。魔法でずいぶん高い位置に静止しているから、ルカには気づかれていない。兵士達はなぜそのような事態が起こっているのかわからない様子で恐怖におののいている。軽やかに歩くルカ。鼻歌さえ聞こえてきそう。夢の中にでもいるのだろう。
 ルカはカイと同じ体質で、魔法が利きにくい。肉体を操る魔法を掛ける代わりに、カイの眼鏡と同じように、大きなカチューシャをつけている。あれで操っているらしい。
 ラムダの戦闘も酷いものだったけれど、ルカの戦闘とは比較にならない。ルカの持つ魔力を瞬間的に、大量に周囲の生体に注ぎ込む。注ぎこまれた肉体は、限界量を超えた瞬間、破裂する――。戦闘と呼べるかも怪しい虐殺。
 魔法使いでなければ、何が起こっているかすらわからない。わかったところで、防ぐ方法が無い。そんな戦い方自体、今まで誰も見たことも聞いたこともないのだ。彼女の潜在魔力量は常人には想像できない。
「ラムダ――」
 祈る。ラムダにカイとルカを助けて欲しいと頼まれたけれど、どうやって助けたら良いのかわからない。操っている装置を壊しても、一時しのぎにしかならない。でも、今は他の方法を探している時間が無い。
 ラムダが使っていたナイフを魔法でコーティングし、放り投げる。ナイフは意思を持って、目標物に指定したカチューシャに当たる。砕け、破片が落ちる。
 ルカに意識がなく、周囲に気を配っていないのが幸いした。魔法使い相手にこの戦法は、普通、無意味だ。魔法の気配にすぐ、気づかれてしまうから。
 ルカが崩れ落ちる。眠っているようだ。新しいカチューシャが無ければ、しばらく悪魔の娘が戦場に姿を見せることは無い。
 ミルク達が、研究所を破壊してくれれば、彼女は再び操られることは無いだろう。ミドリは移動する。早くスペリオを叩かなければいけない。アリシア達の目が研究所に向いている内なら、動きやすい。
 ルルー・オメガの住む荒地の一軒屋まで移動する。以前、下見の為に来たことがあるから、瞬間移動魔法が使える。家が見える場所に移動し、そこから宙高く飛び上がる。
 周囲は荒野が広がっているというのに、その家の周りだけ緑色と花々がにぎやかに溢れている。奇妙な光景。ルルー・オメガがどんな人物なのかわからない。
 ずいぶん様子を伺っていたが、そこにいたのは花の世話をする腰の曲がった老婆が一人だけ。ミドリは静かに下降する。
「ルルー様でいらっしゃいますか?」


三−六.ライキ

 馬車を乗り継ぎ、帝都を離れる。街道を走る乗り合い馬車には乗れないから、移動には時間がかかる。
 朝日が昇り、後方に追っ手の姿が無いことが確認できると、ライキたち三人は息をついた。ほとぼりが冷めるまで、しばらく帝都へは近づけない。ラーミが死ぬ前に言っていた、森へ向うことにする。
 街道から少し離れた村で馬車をおり、宿を取る。
「追っ手、無いみたいね」
 ミルクが眠そうに言い、ライキもうなづく。周囲の客に聞こえないよう、声を落とす。
「私達に興味が無いようだな」
「そんなこと無いわよ。アリシアは表立って動くの、嫌いなだけ。たぶん今頃、ライキちゃんのこと調べてるのよ」
「私?」
「そうよ。ライキちゃんがいるから、私達に手を出してこないの」
 ミルクはそう言って、お茶を飲む。
「私のことを調べるって?」
「ブラッドリーなんてありふれた名前じゃ、ライト君の保護者が引っかからなかったんじゃない?」
 ミルクの言うとおり、ヘレンに一番近い立場にいたフランク・モンタナは不審な死に方をしたが、クリフ・レイモンドにも父のアレン・マクスウェルにも手は伸びていない。
「ライキちゃんの存在自体は前から知ってたようだけど、ライト君、あなたの苗字は明かしていないんだと思うわ。知っていれば、あなたのお父様はすぐに判明するでしょ?」
 ライキはうなずき、少し訂正する。
「私の名前を覚えてないだけだと思う」
「あー、それは考えなかったわ。ライト君って、かなり適当な性格してるんだったわね。
 まぁ、でも。ライキちゃんの身元調査で忙しくしてるのは間違いないと思うわ。これでライト君の保護者が判明するかもしれないし、私とライキちゃんとマリンの関係も調べなきゃだし……そうなると、アルネさんやレジスタンスも出てくるか。ライキちゃん、顔広いよねぇ」
 感心したように言う。
「私の存在は危ないってことか?」
「危ないんじゃなくて、かなりの重要人物。下手に手出しが出来ないの。見張りくらいは付いてると思うけど、手出ししてくることは無いわよ」
 言われ、周囲を見渡す。それらしき人物はない。
「本当に見張られているのか?」
「私がアリシアなら、そうするけど? 私達がこの後、どこに行くかも気になるところだし」
 地図を借り、テーブルに広げる。帝都を中心とした、馴染みある地図。この大陸の多くが描かれている。
「向ってるのはここ」
 森を指差す。国一つ、すっぽり収まりそうな大きな森。地図上、その周辺にツルギ村という名前はない。
「アンセムの村にまずは行ってみましょうか」
 街道沿いにある、フェタの町の奥にある小さな村。ここから一番近い、森に近い村。
「声、大きくないか?」
「わざと大きくしてるの」
 ミルクはぐいとお茶を飲む。料理に比べ、かなり不味いというのに。
「私」
 ようやく訪れた沈黙に、マリンが口を開く。声が戸惑うように震えている。
「私、どうしたらいいのか」
「どうって?」
 呆然としたマリンの顔をライキが覗き込む。
「マリン、どうしたんだ?」
「私達について来なさい。あなたの敵はラーミじゃない。アリシアよ」
 ミルクは高圧的に言い、席を立つ。
「今日はここで一泊して、明日の朝、馬車を捕まえるわ。わかったわね」
 ライキの腕を取る。
「私はまだ――」
 引きずるようにテーブルから歩き去る。マリンは一人残される。
「マリンを今、一人にするのはよくないだろ」
「反対よ。今は一人にした方が良いのよ。横でごちゃごちゃ言っても意味がないわ」
 小さく息をつく。
「ラーミが悪人だったら、彼女は救われていたのにね」

 四日ほどでアンセムの村にたどり着き、そこでツルギ村について情報を得る。ツルギ村は森の中にある小さな集落なのだが、森には結界が張られていて、普通の人間だと村にたどり着けないという。地図上で、森がただ一色に塗りつぶされていたのは、調査することができないからのようだ。
 帝国兵が森の近くでキャンプしている場所があると聞き、そちらに向うことにした。
「アリシア、何でこんなとこに兵を送り込んでるのかしら」
 先頭を歩きながらミルクが言う。獣道を歩いているが、先ほどから同じところを歩き回っているような気がする。村人に描いてもらった地図を取り出し、確認する。
「迷ってる?」
「化かされてる気分だな」
 マリンは相変わらず沈んだまま。しゃべらない。
「また、最初からやり直してみる?」
「出るのは簡単なのに、何で進めないんだ」
「魔法って凄いわよね」
 他人事のような声。
「どうする、ライキちゃん? ツルギ村にはたどり着けそうに無いけれど」
「困ったな」
「困ったわね〜」
 聞き覚えの無い少女の声に、ぎょっと周囲を見渡す。
「――誰?」
「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん」
 木の上から、ピンクの塊が飛び出し、クルクル回転しながらシュタリとポーズをつけて着地する。ピンクの服を着た、おかっぱ頭の少女。
「誰だ?」
「ヒドリでーす、よろしくね」
 またポーズを決める。
「いや、何なの?」
 ミルクも呆れ顔。悪い人ではないようだけれど、正体が知れない。実に怪しい。
「だからヒドリよ。あなた達、ツルギ村に行きたいんでしょ? 森を通してあげよっか?」
「この結界、あなたが張っているの?」
「お姉さん冗談キツイ」
 ケラケラと笑い転げる。やたらテンションが高い。
「こんな結界張れるのは魔王様だけよ。私は聖霊。森の番人」
 さらりと言うが、魔王なんて物語上の存在だし、聖霊も伝説に出てくる程度。それに、少女はどう見ても普通の人間にしか見えない。
「あなた達、何しに来たの?」
「何しにって……ツルギ村の近くに建物があるか?」
「あるわよ、大きいのが。あれがあるから、あちこちに穴が開いちゃって大変なことになってるのよ」
 怒ったように言う。結界に穴が空いているのだろうか? そもそもなぜ、こんな平穏そうな森に結界を張っているのだろう。
「あの建物、有名なの? いつも兵隊さんがうろうろしてるけど。この森にあんまり人が近づくのは歓迎しないなぁ」
「私達が用があるのはその建物なんだ」
「何の用?」
「何のって――」
 説明に窮して、ライキはミルクを見る。破壊するようにラムダに言われたと正直に言っても良いものだろうか。判断が付かない。
「破壊して欲しいと、ラムダさんに言われたの」
 ミルクが率直に答える。
「ラムダ? ラムダ、元気にしてる? カイとルカは? ルカは目覚めた?」
 ヒドリは嬉しそうに質問を重ねる。驚いたのはライキ達三人。ヒドリはこちらの知らない情報を知っているようだ。
「あなたはラムダさんを知っているの?」
「元気にしてる?」
 まずはヒドリの問いに答えたほうが良いようだ。
「わからないわ」
 ミルクは静かに首を振る。最後に見たとき、彼女はカイに長剣で深々と刺されていた。普通、あの状態で助かることは無い。
「カイは? ルカは?」
「――ニ人とも元気よ。ラムダさん達はこの森の住人だったの?」
「ラムダは違うわ。カイとルカはここで生まれたけれど、ここの住人とは言えないわね」
 はっきりしない答え。複雑なのかもしれない。
「私達、建物に行きたいの」
「あれ、半分外にあるから、森に沿って歩いたら、あと半日くらい歩けばつくわよ」
「半日……」
 村人の話では、森を突っ切って歩けば、一時間もあれば着くと言っていたのに。
「近道したい?」
 にこりとヒドリは言う。同じように微笑んでミルクは答える。
「えぇ。近道したいわ」
「じゃ、通してあげる。私の後に続いて歩いてね。道を踏み外すと、恐ろしい目にあうかも知れない」
「罠でも仕掛けているの?」
 動物の姿は多くないように見える。
「罠っていうか、まぁ近いようなものね。仕掛けたのは私じゃないし、魔王様でもないわ」
 複雑な話なのだろう。細かい訳を聞くことなく、世間話をしながら素直に後に続いて歩く。
 結界は普通、内部を守るためにあるけれど、外の人間を近づけないようにするため張られている様子。ヒドリは時々曲がったり、戻ったりしながらツルギ村はずれまで案内してくれた。

 一応、ツルギ村という名前だけれど、数件の集落があるだけ。
「あれが村長の家。泊まるんなら訪ねたら良いわ。ここ、宿屋もなければ商家もないから」
 ヒドリが指差して説明してくれる。
「そして、右手に見えるのがあなた達が目指してる『建物』」
 城のように大きな、四角い立方体。
「あれ、なに?」
「だから、あなた達が目指してる建物。ラムダに詳しいこと聞いてないの? あれ、壊すんでしょ?」
 頭を抱える。あれを破壊するとなると、かなりの爆薬が必要だ。その用意は無い。
「そう言えばあなた、兵がうろうろしていると言っていなかった? 兵の姿なんて無いわよ?」
「こちらは結界の中だから、兵は入ってこれないの。兵がいるのは建物の向こう側、結界の外をうろついてるの。あの建物、結界の中間にあるから」
 兵がいないのならば、隠れている必要も無いと、木陰から立ち上がって伸びをする。久々にのんびりした気分。見張りもなく、周囲を気にする必要も無い。
 ライキは時々相槌を打つだけで、ヒドリとのおしゃべりはミルクに任せてしまっている。マリンが後ろをきちんと付いてきているか、確認しながら歩く。
「あの建物の中には何があるの?」
「さぁ、良くは知らないのよ」
 ヒドリは肩をすくめる。
「シータに任せてたから」
「シータってどなた?」
 知らない名前。
「ツルギ村の魔法使いなの。次代の魔王候補だったんだけれど……数年前から消息不明になってるわ」
 ヒドリはさらりと言う。こんな小さな集落で、消息不明とは穏やかではないだろうに。
「消息不明ってどうして?」
「言わなかったっけ? 森のあちこちに穴が開いてるって」
 結界に穴が空いているのだろうと思っていたが違ったようだ。罠ではなく穴だったのか。
「穴に、落ちたの?」
「たぶんね。探しても見つからないから、どこかの穴に落ちたんだと思うわ。生きてれば良いけど」
 他人事のように言う。ミルクとライキは顔を見合わせる。ヒドリが何を言っているのかわからない。
「消息不明になってすぐ、探したのか?」
「探すって、どうやって探すのよ? どこの穴に落ちたのかもわからないのに」
 ヒドリはきょとんとした顔で言う。
「どうやってって――」
 覗いて確認すれば言いだけの話だろうに。声を上げようとしたライキをさえぎり、ミルクが尋ねる。
「目に見える穴じゃないってこと?」
「あれ、言わなかった? 穴って、異界へ通じてる穴よ。あの建物が結界の上にあるものだから、内側が不安定になって穴が増えたのよ」
 同意を求めるように、ヒドリがため息をつく。さぁっとミルクの顔色が無くなる。
「結界を張って、外の人を入れないようにしてるのはその為なの?」
「そうよ」
 こともなげにヒドリはうなづく。道を外れたら危ないと言った、その言葉の重みを知る。怪我をする程度の話ではなかった。
「穴がどんな異界に通じているのかわからないんだもの。この森の中に住んでるのは、実力のある魔法使いばかりなの。
 もしかしてその反応じゃ、ラムダが異界の人だってことも知らなかったりする?」
 大きくうなづく。ラムダ、この世界の人ではなかったのか。見慣れない武術を使うと思っていたら、そういうことだったようだ。
「カイとルカも異界の人なのか?」
「ニ人はこの森の生まれだって言ったじゃない。あの建物の中で生まれたって、ラムダが言ってたわ。
 あ、そうそう。ルカ、瞳の色は何色だった?」
「何色って……普通に黒だったけど?」
「カイに似た色? それともラムダ?」
 質問がわからず、ライキとミルクは顔を見合わせる。カイは黒い大きな色眼鏡をつけているから、どんな目元をしているのかもわからない。ラムダはとても濃い緑色に似た黒の瞳だった。ルカには似ていない。
「カイよ」
 ミルクがきっぱりという。ラムダに似ていないのだから、カイに似ているのだろう。
「あなたはルカと会ったことがないの?」
「会ったわよ。会ったけど、ルカはずっと寝てたわ」
「どういうことなの?」
「私も詳しくは知らないわ。カイがもう数ヶ月したら起きるはずだって言ってたから」
「数ヶ月って――」
 人間、そんなに眠り続けることは無い。
「ニ人は人間じゃないのか?」
「人間でしょ? あの建物の中で生まれたって言ってたし」
 ヒドリも詳しくは知らないらしい。よくわからないと首を振る。
「あの建物、何なんだ?」
「見ての通り、異界の建物よ。かなり高度な魔法じゃないと、傷つけることも出来ないわ。目障りだし、森の中に穴が増えてるのはあれのせいなんだけど、消したところで穴が無くなりはしないからそのままにしてるの」
 ラムダはあの建物を壊せと言った。兵はあの建物周辺をうろついているという。
「あの建物の中、何があるの?」
 先ほどと同じ問いかけを繰り返す。
「わからないわ」
 ヒドリは静かに首を振る。
「あの建物は、結界の中でも外でもない場所になってる。私は森の番人だから、森の外には出られない。私の存在が消えちゃうわ」
「入ってみなくちゃわからないってことね」
 大きく息をつく。異界の建物。何が起こるかわからない。
「不安がらなくても大丈夫よ。シータはよく出入りしてたし。そうそう。中に、異界の人がいるみたいよ」
「ラムダじゃなくて?」
「シータが銀髪の人だって言ってたから、ラムダじゃないわよ」
 ラムダは瞳と同じ、深い緑色に似た黒髪だった。とにかく入ってみなければ何もわからないようだ。

 建物の中は静まり返っていた。多くの人が居た形跡はあるものの、人気はない。ミルクとライキは慎重に足を進める。マリンはヒドリに預けてきた。
「何なの、ここ」
「さぁ」
 扉らしき前に近づくと、勝手に扉が開き、閉まる。紙が散乱した部屋が多い。わけのわからないものが積み上げられた部屋。樹の根に似たものが部屋の中いっぱいに広がっていたり、戦闘が繰り広げられたような、壊れた部屋には奇妙な造詣の石像。ランプもなく、陽が差し込んでいる様子もないのに奇妙に明るい。
「どうなっているのかしら、これ。これが、ラムダさんが言っていた魔法ではない力なのかしら」
「わからない」
 次々部屋を覗いて歩く。
「あれ? 今、人が居なかった?」
「銀髪の――」
 通り過ぎた部屋の前に引き返す。銀髪、青白い肌、空色の瞳をした女性がそこで食事を取っていた。白い服といい、妖精のようだ。
「どなた?」
 女性に問いかけられ、ミルクとライキは名乗る。
「私は、イプシロンよ」
 彼女は疲れきった声を出す。
「あなた達、帝国の方?」
「それはどういう意味ですか?」
 イプシロンは言い直す。
「アリシアの知り合いの方?」
「知ってはいますが、親しい者ではありません」
 その言い方がおかしかったのか、イプシロンは笑う。
「アリシアとは敵対しているの?」
「あなたは異界の方ですか? ラムダさんとはお知り合いなの?」
 質問に答えず、質問を返す。彼女とアリシアとの関係がわからないから、下手な答えは返せない。
「ラムダ、どうしてる?」
 ヒドリと同じで、ラムダのことを気にする。
「わかりません」
「カイとルカは?」
「元気です」
「……カイ、ラムダの近くにいないの?」
 イプシロンは不思議そうな顔をする。近くにはいた。けれど、彼女が言っているのはそういうことではない。ラムダとカイの関係がわからない。姉弟には見えない。母子では年が近すぎるように思える。恋人はありえないだろう。答えないミルクをイプシロンは見つめる。
「ラムダがいないのに、カイが元気にしているはず無いわ」
 立ち上がり、ミルクに近寄る。
「ねぇ、ラムダはどうしているの?」
 ミルクは答えない。イプシロンはライキに視線を移す。真剣な眼差し。答えないわけにはいかない。
「ラムダさんは、たぶん、亡くなりました」
「どうして!」
「カイが――ラムダさんを刺して」
「……嘘……」
 崩れ落ちる。
「どうしてそんなことに? 私はラムダに幸せになってもらおうと思ってカイを作ったのに」
 呆然とした表情。カイを作った? 彼女はカイの母親なのだろうか。それにしては若く見えるし、似ていない。
「私達はラムダさんに、ここを壊して欲しいと頼まれました」
「……ラムダ、本当に死んだの?」
「たぶん」
「本当に?」
 一縷の望みとばかり、繰り返し尋ねる。ライキたちも、はっきり生死は確認していない。けれど、あの傷では助からないだろう。非情かもしれないけれど、ラムダとカイが戦闘していた様子を語る。
「カイ――どうしてそんなことを……」
 泣き崩れる。
「ごめんなさい、ラムダ」
 イプシロンは何度も謝罪の言葉を繰り返す。
 涙が途切れた頃、ライキは尋ねる。
「ここに爆薬はありますか?」
「……えぇ。でも、爆破は薦めない。この建物を吹き飛ばすことは出来るけれど、周囲に大きな影響がでるわ。それはラムダも望んでいないと思う……」
 途切れ途切れにイプシロンは言う。この建物を吹き飛ばすとなると、大量の爆薬が必要だ。今まで見た部屋に、そんなものは見当たらなかった。まだ見ていない部屋にあるのだろうか。
「じゃあ、どうすればいいんだ?」
「今まで通り、放っとくのが一番良いってことなのかしら。でも、そうだとしたらなぜラムダさんは破壊するように言ったのかしら」
 イプシロンは顔を上げる。
「私に研究して欲しくないんだと思う」
 よろけながら立ち上がる。
「研究所、機能停止させるわ。それが彼女の望みなら、叶えてあげなきゃ。私が迷惑かけた償いに」
 ふらつきながら歩き出す。肩を支え、一緒に歩く。イプシロンはぽつぽつ語る。
「ラムダ達が出て行く前に、電気系統をずいぶん壊して行ってしまったの。ここまで復旧させるの大変だったのよ」
 懐かしそうに言う。
「イプシロンさん、一つ聞いても良いですか? 帝国兵はどこに?」
「この建物にはあまり入ってこないの。なんだか気味が悪いらしくて」
 小さく笑う。彼女には見慣れた光景なのだろうが、延々に続くような灰色の廊下。ガラスのように滑らかな床と壁。明かりも無いのに明るい天井。どれもありえないものだ。
「アリシアは、たまにここに来るのよ。材料や食料を貰う代わりに、彼女にいろいろ渡していたのだけれど、ラムダはそれを止めさせたいんでしょうね。彼女が出て行く前にずいぶん怒っていたから」
「渡していたものって魔法ではない力ですか?」
「ラムダがそう言っていたの? この地の人には、そういう言い方の方がわかりやすいのでしょうね。照明とか無線機とか電池とか、たいしたもの渡してはいないのだけれど……ここよ」
 イプシロンは小さな部屋に入る。レバーを引き、スイッチを押す。
「これで良いわ。これで、この建物は一時間もすれば動かなくなる。ドアが開かなくなる前にここから出ましょう」
 ライキたちが入ってきた方へと向う。
「この建物から出るなんて考えられなかった」
 ライキたちが先ほど入ってきた出入り口を前に、イプシロンは感慨深げにつぶやく。
「イプシロンさん?」
「大丈夫」
 結界の内側に出る。興味深げな顔をしたヒドリと、沈んだマリンが待っていた。互いに名乗り、挨拶する。
「あなたがシータの言っていた異界の人なのね!」
 ヒドリが興奮した顔で問いかける。
「シータの知り合いなの? 彼女、最近会わないのだけれど」
「私達も知らないのよ。この建物の中にいないのなら、穴に落ちたんだと思うわ」
「穴?」
「その話はまた後で」
 ミルクが話題を変える。ヒドリの要領の悪いおしゃべりだと時間がかかるだけだ。
「ヒドリ、イプシロンさんを保護してくれる? マリン、あなたもここに残って」
「私は――」
 マリンがあげかけた言葉をミルクはさえぎる。
「あなたは休んだほうがいい。村に帰るのが一番だろうけれど、そうなれば村ごと無くなる危険性がある。ここならアリシアの手も届かないわ。決意が出来たら、アルネの店を尋ねて。そこで落ち合いましょう。いいわね?」



四.帝国暦三八七年

四−一.ソウ

 アルネに言われてこの町に来てみたけれど、今回もはずれかもしれない。いつも手紙で知らされる現在地は、ライキ達が旅立った後なのだ。
 宿屋の前に立つ。まずはここから聞き込みしよう。そこから出てこようとした、金髪の背の高い女性と、こげ茶色の小柄な女性に出くわす。
「あ」
 とっさに言葉が出てこなかった。
「……やっと見つけた」
 ソウは力が抜けて座り込む。ずいぶん探した。ミルクが顔をしかめたが、気づかない。
「こんなところで何してるの?」
 城に潜入すると別れて数ヶ月。それは無いと思う。ライキが不意にいなくなったので、ソウはアルネにこき使われていたのだし。
「何してるって探してたんだよ。あの日、何があったんだ?」
 矢継ぎ早に聞く。ミルクはあからさまに煩そうな顔をし、ライキは首を傾げる。
「潜伏するとアルネに知らせているはずだが?」
「それは知ってる」
 手紙に書かれていたのは、状況を説明する短い一文だけ。説明も無ければ、安否の確認の言葉も無い。手紙というより、メモ。
「潜伏するってことは、城に入り込めたのか? それにしてはよく命が助かったな」
「そういう人に聞かれちゃまずい話をこういうところでするわけ? 場所を考えなさいよ」
 ミルクがピシャリと言い、歩き出す。黙って後に続く。
「マリンは?」
「療養中よ」
「療養? 怪我をしてるのか?」
「してないわよ」
 食堂につく。昼時のこともあり、人が多い。注文を言い、何とか席を見つけて座る。
「こういう場所なら話しても良いのか?」
「良いわけないでしょ。食事が終わってからね」
 食事時が終わり、人が少なくなる。声を潜め、ミルクが語る。
「マリンはラーミを親の仇だと言っていたけれど、彼女が魔法で操られていたことを知り、目の前で殺されるのを見て、精神的に不安定になったの。気持ちの整理が付いたら、アルネの店で落ち合うことになってるわ」
 村を出るときのマリンの様子を思い出す。ラーミを倒すことだけを考えていた。ショックは大きいだろうと思う。
 食後のお茶を飲みながら話す。周囲に人はいない。声は潜めているから、普通の人間には聞き取れない。魔法を使えば可能だけれど、魔法の気配は無い。
「マリン、今はどこに?」
「森の中にある村」
「森? あの中に入ったのか? 入れないだろ?」
「魔法使いには有名な所なの?」
「そりゃ、あんな巨大な結界張ってれば。どうやって入ったんだ?」
「聖霊って名乗る女の子が入れてくれたのよ」
「あそこ、聖霊までいるのか? 凄いな」
 ソウが感嘆の声を上げる。魔法使いでないミルクとライキも驚いたけれど、ソウの驚きはそれ以上のようだ。
「偽者だとは思わないの?」
「君達が森に入れるよう、手引きしてくれたんだろ? ただの魔法使いだったとしても、相当なものだよ。昔、あの森の中に入るには、王宮魔道士クラスかそれ以上の魔力の持ち主じゃないと難しいって聞いたことがあるから」
 村人達は力のある魔法使いだとヒドリが言っていた。現在では数少なくなってしまった王宮魔道士クラスの魔法使いが、ごろごろいるのだ。行方不明になっているシータはどれほどの魔法使いだったのか、想像できない。
「僕も行きたかったな。魔王リュージュが活躍していた時代があそこには残ってただろ」
 魔法の全盛期、魔法都市を滅ぼした魔法使いリュージュ。魔法が廃れる原因にもなった人物。恐れられる存在であると同時に、魔法使いの中には憧れを持つものが多い。
「それで、あの夜のことを聞きたいんだけど」
 ソウは忘れていなかった。ミルクは「長くなるけれど」と前置きして、あの夜のこと。ライキのことを語る。ライキに話を任せれば、要約しすぎて後々補足しなければいけなくなる。
「あぁ、それでクリフ・レイモンドは――」
「クリフがどうした?」
 ライキはつかみかかる勢いでソウに尋ねる。
 帝都でも奇妙なくらい、話題にならなかった話だ。ライキが知らなかったとしても無理は無い。
「自害した」
「自害?」
 ライキの顔は青い。
「毒を飲んだらしい」
「そうか」
 ライキはポツリとつぶやき、椅子に腰を下ろす。顔色が悪い。
「大丈夫、ライキちゃん?」
 ミルクに勧められ、お茶を含む。
「ごめん。大丈夫、驚いただけだ。叔父はいつも毒薬の入った小瓶を持っていた。だから、わかってはいたんだが……」
「こういう事態になることをわかっていたってこと?」
 ソウが尋ねる。
「その覚悟が無ければ、ライトを引き取りはしないだろう」
「そうね」
 ミルクがうなづく。アリシアの目をかすめ、ニ人はライトの成長を見守ってきたのだ。
「それで、ライキのお父さんは大丈夫なの?」
「父は捕まらないよ」
 ミルクの問いかけに、ライキが答える。
「あの人は誰にも捕らえられない。自由すぎる人だから」
「大丈夫なの?」
「心配するだけ無駄だよ」
 ライキが微笑んだので、ミルクは話を変える。
「アリシアが私達に手を出してこないのは、私達がまたアリシアの目の前に現れることがわかっているから。向こうにはライトがいるしね」
「名乗り出たら?」
「誰も相手にしないわ」
 言われればそうだ。突然、ミルク殿下に双子の弟がいると言われても信じられない。ミルク達が生まれたのは二十年も前のことだし、関係者も死んでいる今となっては。
「こちらが表立って騒ぎ立てない限り、向こうは仕掛けてこないでしょう。こちらには人気者で有名人のアレン・マクスウェルのお嬢さんであるライキちゃんがいることだし」
 旅をしていて、ライキの父の人気の高さを思い知らされた。ライキも父について、あちこち回っていただけあって、どんな地方でも、知り合いがいる。潜伏生活を何不自由なく送れるのは、そのお陰だ。
 同時に、帝国の王とミルク殿下の評判の悪さも思い知らされた。今や、世界はアリシアの思いのまま。このまま、ライキと一緒に暮らせたら平穏で楽しい日々が送れるだろう。
 思いを断ち切るように、ミルクは立ち上がる。
「さぁ、帝都に戻って潜伏活動を再開しましょうか。アリシアが首を長くして待っているでしょうから」

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『帝国崩壊T』をご覧いただきありがとうございました。

2009/04/02 あとがきじゃなくてボヤキ。
後半部分である「帝国崩壊U」書いたら本編終わりです。本当は「帝国崩壊」の1本で書く予定でしたが、長いから分けました。50枚超える小説なんて、書いてる私が面倒臭いしんどい。あと、ミドリさんの番外編1本書いたら、このシリーズは終わる…予定。長いなぁ。
ラムダシリーズと銘打ちながら、ラムダさんのこの不幸っぷり。だからこそ、ラムダシリーズを原案に書き直した森シリーズでサラちゃん(ラムダさんのキャラを元ネタにしたキャラ)に幸福になってもらおうと思っていたんだけれど…。ダメねぇ。どうしても不幸キャラにしかならないねぇ。
キャラだの設定だの世界観だのの基本構造は中高生時代に考えたものです。あの頃は入り組んだ物語がツボだったので、物語を作ってはミックスさせ…という作業をしてましたよ。本当、何馬鹿なことをやってたんだか。小説書く身になろうよ。キャラクター多すぎ。やってらんない。
ラムダさんとミドリさんはこれにて退場。マリンもついでに退場させる予定でしたが、何度書き直してみても、ラムダさんの手によって阻止されました。本当はあのシーンでカイの手にかかるのはマリンの予定だったのに…。ミドリさんについては番外編の「彼女の秘密」をご覧くださいまし。後半はまた新キャラ、番外編に登場してたファミリアさんが登場。この方、ルルーさんとのおしゃべりが多いので、やたら枚数浪費してくれます。
レンゲとソウは血のつながっていない姉と弟。元ネタだと盗賊設定だったかな…レンゲが家を飛び出した時に近所のソウを巻き込み、連れまわしてる感じ。ソウ、本当はルリソウって名前だったんだけれど、面倒なのでソウに改名。レンゲさんは元の名前を私が覚えてないので、その場で適当に。…レンゲさんについて書いてたネタ帳を捨ててしまっています。脇役なのでどうでもいいけどね。
イルクシは当初、訛りのあるぼやーっとした優しいお兄さんキャラでしたが、アンの死を印象付けるために基本性格や見た目等々設定変更し、幸せになってる数少ないキャラ。破天荒なレンゲさんと結婚してても、娘もいるし、彼は幸せです。本当は城が落ちるとき、マリンを逃がすために死んでしまう予定だったのだから…。最近はキャラを作りこむより、その場その場で新しいキャラクターを作ったほうが動かしやすくて良いです。鳥頭なので。

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