荒れ果てた荒野に、ぽつんと粗末な石積みの家屋が一軒。
その周りには素朴な石積み花壇。そこには背の高い赤い花々、ツタ植物の黄色い花、凛とした青い花、可憐な白い花、様々な花が盛りを迎え、咲きそろっている。
その中を飛ぶように動き回る小さな黒い影が一つ。三角の帽子に、ローブを身に付けた背の低い老婆。帽子にぐるぐると巻きつけられた、呪文の縫い取られたリボンは彼女が動くたびにひらひら揺れる。
彼女はまだ、ツボミの固い花の前で立ち止まり、口の中でぶつぶつと呟くと、傍らに水の入ったジョウロを取り出す。
「ほぅら、たんとお上がり」
今年で九十歳を迎える、世界屈指の魔道士はこのところ、この花壇に心血を注いでいた。
「よく育ったねぇ、明日には綺麗な花を拝ませてくれるかね?」
話し掛けられた球根植物は、葉についた水滴を宝石のように輝かせる。
「そぅかい、そぅかい、いい子だねぇ」
水をやったり、草を抜いたり……魔道士であればこんなことをしなくとも、魔法で花を出すことなど造作もない。彼女ほどの魔道士になれば、一瞬で種から花を咲かせることもできる。けれど、彼女は園芸を好んでいた。
老婆の頭の上に一つ、影が出来る。
「ルルー様でいらっしゃいますか?」
老婆が顔を上げる。白い肩のあいたワンピースを着た、若い女がそこに立っていた。が、逆光で女の顔は良く見えない。
近くの町まで男の足でも三日はかかる、人が尋ねてくることなどほぼない地に現われた軽装姿の女に、老婆は好戦的な光を瞳に宿して、不敵に微笑みかけた。
宮廷魔術師を長年勤め上げ、数々の冒険者とも行動を共にしてきた老婆は、長年望んできたはずのこの平和な老後に最近、飽き飽きしはじめてきていた。
「私のことは名字で呼んでほしいねぇ。いい加減その少女ちっくな名前を知ってるやつはくたばっちまったと思ってたんだが――」
「森にお戻りください」
女は老婆の言葉を遮る。
老婆はむっと顔をしかめ、先ほどまで瞳に宿していた光が薄れる。
「何を言い出すんだい?」
「森にお戻りください」
諦める様子もなく女は言葉を繰り返す。老婆は大きく溜息を吐き、
「あんた『森』の人間か――それなら私の名を知ってても驚きゃしないさ。でもね、私は戻る気なんてこれっぽっちもありゃしない」
右手の親指と人差し指をほんのわずか離し、首を横に振る。
老婆の答えにも女は変わらない無表情で、
「あなたは森で生まれた優秀な魔道士。森が危機にさらされているのですから、お戻りになって、ご助力くださるのが当然かと思います」
「あぁ、そういうことかい」
老婆は大きく頷く。
「それより……あんた、どうやって森を出たんだい?」
「どうって――」
女は戸惑いの色をみせる。老婆は薄く笑い、
「あそこには聖霊がいるんだ。あいつらの目を盗んで森から出てくることなんて出来ないはずだが?」
言いつつ老婆は自嘲する。聖霊を欺くことぐらい、この十数年はわけないことになってしまっている。それを知るものは少ないが……。
だが、老婆の言葉に女はいいよどみ、
「……魔法です」
「それも無理だね、あの森には結界が張られてる。魔法じゃ、あの森に入ることも出ることも出来ないようになってるからね――」
女が何か言いかけたのを遮り、老婆は言葉を続ける。
「結界張った本人が言ってるんだ。魔法で森から出たなら、結界がほころんぢまうはずさ。でも、それは……ないようだ」
老婆の言葉に女は言葉をなくす。
「なぜそんなことがあなたに――」
わかるわけがないでしょうと女は言いかけて、言葉をなくす。あるひとつの可能性に気づいたからだ。
「……まさか、あなたが魔王?」
「あぁ、そうさ。何だか込み入った事情がありそうだ。中でお茶でもどうだい?」
女は困惑した表情で老婆を凝視していたが、きっと顔を上げ、
「確かめさせていただきます」
呪文を唱え始める。
「やめときな……無駄なことさ」
言いつつも、老婆は笑みを隠せない。
「『我が名において天の雷、剣と変われ』」
女の手に一振りの刀状の光が現われる。
「『時の女神よ、我に祝福のキスを』」
スピードアップの呪文を唱えて、女の姿が掻き消える。
「ったく」
老婆は片手を前に出し、一回転させる。
「『大地の乙女、炎の乙女、水の乙女、我が前に集いて障壁となれ』」
防壁の呪文を唱え終わった直後、
――シュン
老婆の右後ろの空間に衝撃が走る。
一瞬、顔を歪め、光の剣を力の限り振り下ろそうとする女の顔が空間に現われたがすぐに消え、衝撃は四方八方から絶え間なく続く。
■
五分ほど経った頃――
肩で息をしつつ、女は老婆の前に崩れる。手の剣も短剣ほどの短さになり、それも弱々しく光を放っているに過ぎない。
「ほぅ、あんたなかなかやるじゃないか。どうだい? 私が魔王だってこと、わかってもらえたかい?」
老婆は息一つ乱した様子もない。口中で違う呪文を唱え、女の上にぼぅっと視線を漂わせる。
「独学でそこまで使えりゃたいしたもんだよ……アオイ――いやミドリさん、か」
「…………」
女は息を整えようと、大きく深呼吸を繰り返す。光の剣はもはやない。
「ふぅむ……どういう事だい? こりゃ……」
老婆は眉間に皺を寄せる。瞳は目の前のミドリではなく、どこか遠くに向けられている。
「何か、見えますか?」
「今、聖霊を使って調べさせてるんだがね、あんたはアオイの替わりに色んなところに姿を見せてるが……村長のアオイは……これ?」
驚きの声をあげ、ミドリに見えるよう空中にアオイの映像を投影する。
黒髪、黒い瞳、いかにも子供らしいピンク色のマントを羽織った少女が歩いている。だが、頭には重々しい魔法防具と、赤い大きな宝玉。
「……タツミ村にアオイって娘が二人いたのかい? アオイは確か三十路は越えてたはずだが……」
ミドリは大きく息を吐き、首を横に振る。
「アオイは私の姉です。森に姉と同じ名の者は他におりません」
「……そうすると私の気づかないところで、気づかせないように何かが起こってたってことだね」
老婆は溜息を漏らすと、ミドリに目を向ける。
「話してくれるね?」
■
石積みのその建物は、数世紀も昔に築かれたものだった。部屋数は六つ。台所、地下の食物貯蔵室、寝所が三つ、そして『謁見の間』という札の掛かった部屋が一つ。そこは中央に火鉢がおかれ、暖を取るのにも、食事をするのにも利用されていた。
「あんたそんな格好じゃ寒いだろ、火におあたりよ」
老婆の声に、窓から外を眺めていたミドリは、初めて気づいたかのように老婆に目を向け、
「いいえ、私はもう少しこうしています。先ほど思っていなかったほど魔力を消費してしまいましたから」
気だるそうな声。老婆は微笑み、
「さ、これをお食べ」
囲炉裏の上に掛けられた鍋からどろりとした汁を椀につぐ。
「見た目は悪いだろうが、魔力を回復するのにいい薬草がたくさん入ってるからね」
女は渡された椀を受け取り、奇妙な匂いを放つそれを、スプーンで恐る恐る口に運ぶ。
「……っ」
顔をしかめ、ごくりと飲み下す。
「あっはは……酷く不味いだろ? でも、これが一番利くのさ。もういらないかい?」
「頂きます」
女はゆっくりとだが、顔色も変えずに黙々とそれを食べる。
「あんた、気に入ったよ。だけど、私は力を貸してあげられない。その代わり、いい知恵を貸してあげようじゃないか」
さっき精霊たちに調べさせた時に面白いことがわかったしね、と老婆はにっこり微笑んだ。
その建物から一キロほど離れた高原で、一人の魔道士が宙に浮かんでいた。
汚れ、灰色に近くなったボロボロのフード付きマントに、緑色の魔道士服、明るい茶髪を頭の上で束ねた彼女は空中であぐらをかいたまま、スイスイと移動する。
膝の上に広げた、分厚く、カビ臭い魔法陣辞典を睨みながら、両手で印を結びつつ、呪文を紡ぎあげてゆく。
彼女の声に呼応するように大地に光が走り、魔法陣が形成される。
「――七十五個目成功」
ふっと息を吐き出すと、魔法陣は掻き消える。成功すれば光でできた魔法陣が現われ、失敗すれば魔法陣は浮き上がらない。
魔法陣というものは魔法を増強するものだから、魔法陣を出現させて、さらに呪文を唱えるのだが、彼女が師匠から言い渡されているのは魔法陣を出現させることのみ。
だからその魔法陣が何のための魔法陣なのか、なんてこと彼女は知らない。
「後三つで終わりか」
笑みが漏れる。
師匠である老婆からこの分厚い本を渡され、一週間が経過しようとしていた。
パラリとページをめくり、七十六個目にあたる魔法陣の図を見て、
「……ややこしぃ……」
顔をしかめる。
「第五十三魔法言語が四つ? さっきの第四十七魔法言語が六つだったじゃない……レベルが一気に上がりすぎよ、一体何の魔法陣なの?」
魔法言語というのは呪文のレベルとか、効果の強さのことだ。第一言語が一番初級にあたり、魔法はこの『魔法』言語を組み合わせて紡ぎあげられる。魔法言語のレベルが高ければ高いほど、魔法の威力は上がり、難しい魔法を唱えることが出来る。
数ページに渡って長々と古代語で書かれた説明文を指でなぞりながら、単語を拾い上げ読む。
「天界に住まう……高貴なる存在……天使の羽根……一本の……出現させる……?」
眉間に皺を寄せ、もう一度読み返す。
「…………天使の羽根を出現させるための魔法陣……アホらし!」
ボガァァァァァン!!!!!!!
突然の爆音と共に、ビリビリと大気が震え、彼女は落としかけた本を慌てて胸に抱きかかえる。
「何?」
四方を見渡すと、土煙が上がっているのは建物がある方向。
目を大きく見開き、文字通り飛んで建物へと向かった。
■
建物があった場所に降り立つと、老婆が一人、崩れた石の前にたたずんでいた。
「おや、ファミリア、お前こんなとこで何してんだい?」
普段と変わりない老婆の声。
「ばぁさん、これは!?」
師匠に敬意を払おうなどという様子は微塵もない弟子。
師匠である老婆はそれを注意する様子もみせず答える。
「飽きたから、壊した」
今までにもファミリアには理解できない突飛な行動を多く取る老婆ではあったが……。
(ばあさん、何考えてんだ?)
じっと老婆を凝視する。
老婆は煙たそうに、ファミリアに向けて手を振り、
「あーったく、良いだろ? あんた、あの古臭い石作りが良かったのかい?」
「いや……。だが、これから雨露はどこでしのぐんだ?」
「あ…………」
老婆は固まり、
「ま、まぁ、いいじゃないか」
慌てた様子で咳払いする。
「ほら、あんたまだ修行の途中だろ、さっさと続けなよ。それとももう終ったのかい? それなら課題追加しようかね……」
嫌味ったらしい言い方。こういう時、老婆は冗談ではなく、本当に鬼のように課題を追加してくる。
ファミリアは現われたときと同じ勢いで修行場である荒野へと戻っていった。
■
老女はそれを見送り、大きく溜息をつく。
「まったく……」
姿を隠していた女が物陰から現われ、
「ファミリアさんって、あの歳でトップクラスの宮廷魔道士になれるんじゃありません?」
ファミリアの去った空を見つめながら、感嘆の声をあげる。宮廷魔道士になることができるのは、世界でも屈指の魔術士たちだけだ。
その言葉に老婆は鼻で笑い、
「あいつは頭でっかちなガキと一緒さ。魔法レベルはあたしより高いし、魔法の知識もあたしより多く知ってるがね、あたしに勝つことはできない」
「なぜ?」
ミドリの問いに、老婆は寂しげに笑い、
「あいつは実戦ってものを知らないからさ」
ファミリアの消えた空を見上げる。
「平和……ですからね」
ミドリの言葉に鼻で笑い、
「あいつは見た目より歳食ってるよ……それより、アイツが持ってた本だけどね」
にやりと不敵に微笑む。
「あれは百年程前の魔法陣馬鹿が書いた本でね、古代語やら、魔法言語やら複雑怪奇な代物でね……昔、私が開いて三秒で閉じた本なんだ」
「それを彼女は読んでいるのですか?」
「私に教えることなんてとっくにありゃしないのさ」
寂しそうな声。
「それでもアイツはまだまだ成長途中でね、どこまで化けるか――」
老婆はファミリアの消えた空を見つめる。
「楽しみでいらっしゃいますでしょ?」
ミドリも老婆と同じ空を見つめ、言葉を促すように声をかける。
「……いや――」
言葉を上げかけ、老婆は首を振り、
「さ、次の計画へ移ろうじゃないか」
■
それから二日が経とうとしていた。
壊れた建物では夜露をしのぐことも出来ず、ファミリアは建物の近くにある、岩の上の天然の洞穴をねぐらとしながら老婆の行方を探していた。
老婆が建物を破壊した二日前、辞典に載っていた魔法陣、全てを出現させることに成功したのは夕方近くになってからだった。
昼過ぎと同じ方法で帰ったファミリアは、老婆の姿がどこにもないことにすぐ気づき、探したのだが、その日は発見できなかった。
いつもの気紛れかとも思ったが、それにしては不審な点があった。
老婆が大切にしていた花壇の花がかなりの数、摘み取られ、持ち去られていた。老婆はこの花壇の花に対し、非常に愛情を注いでいて、花を摘み取ること、老婆以外が花に触ることを禁じていた。老婆でさえ一度だって花を摘み取ったことはなかった。
愛用の帽子、呪文の縫い取られた白いリボンを巻きつけた黒い帽子が、誰かに踏みつけられでもしたかのように汚れ、地面に落ちていた。
それらのことからファミリアはまさかの事態を思い浮かべようとした。しかし、あまりにも予想できないことだった。
老婆は世界でも屈指の魔術士、戦闘経験豊富で、知識も感も優れた稀にない人物。そんな人間に何か、攻撃なり出来るような人間がいるとはまったく考えられない。
(じゃあ、一体どういうことだ? 婆さんはどこに行ったんだ?)
「っくそ」
小さく舌打ち。
「あぁぁぁぁぁぁわからん」
両手で頭を掻く。髪が絡まり、指が抜けなくなり、もう一度舌打ちする。
髪を切らないように細心の注意を払いながら、指を引き抜きかけ――
「ん?」
目の端に何かが移り、急いで髪を幾本か引きちぎりながらも指を引き抜き、物陰に身を潜め、様子を窺う。
最初に見えたのは青い服を着た少女。後ろの緑色のマントを羽織った少年を誘導するように、歩いている。
(一体何なんだ……? しばらく様子をみるか)
口中ですばやく呪文を唱えると、ふわりと中空に浮き上がる。いつもならば一メートルくらい浮かんだところで止まるのだが、今日は高度を増し、高く高く、太陽を背に上ってゆく。
「……キャァァァァァァ!!」
甲高い、金切り声。
緑色のマントを羽織ったユウキは耳をふさぎうるさそうに、こげ茶色のセミロングに、青いセーラー服に似た上着姿のソラを見る。
壊れた建物を目にして駆け出したと思えば、たたずんで叫びだす。ユウキのわからないことを数多くソラは知っている。だから、ユウキはその突飛な行動をただ黙って見つめるだけ。
しばらくして、ひとしきり叫ぶのを止めたソラに、
「……何?」
と尋ねる。ソラは肩で息を切らしつつも、
「一体どうしてこんなことに!?」
驚きを隠せない様子でまた叫ぶ。
「?」
ソラの見る方向に目をやるが、そこにあるのは崩れかかった建造物のみ。
「これが……どうかしたのか?」
戸惑い気味のユウキに、ソラはますます甲高い声を張り上げ、
「これは絶対一大事よ! どうして壊れてるの!? 何で!?」
悲鳴にも似たその声にユウキは顔をしかめ、
「つまり、ここはこんな状態じゃなかったってことか?」
「何で壊れてんの? 地震? まさか攻撃なんてされるわけないし……」
「――ようこそ」
良く響く低い女性の声。
声のする方を仰ぎ見れば、肩の開いた白いワンピース姿の女性が宙から徐々に降りてくるところだった。
「今度は何だ?」
ユウキはさほど驚く様子も見せず呟く。
そのそばで、声を無くし、ソラは座り込む。
「ま、まさかルルー様……」
「ルルー?」
ユウキの声に答えたのは大地に降り立った白いワンピースの女性だった。
「私の名はファミリア。ルルー様唯一の弟子です」
彼女の物腰は穏やかで、人柄の良さが見て取れる。
「……その、ルルーっていうのは誰?」
ユウキが尋ねる。
「ルルー様は世界でも屈指の魔道士。この建物で暮らしていましたが……この通り」
片手で壊れた建物を指し、ため息をつくと、いまいましげな声色で、
「攻撃を受けたのです――」
「攻撃!?」
放心状態だったソラが吠えるような声をあげる。女性は少々気圧されながらも、言葉を続ける。
「――『スペリオ』と名乗る者に」
「スペリオ!!」
ソラが叫び、崩れるように座り込む。
「何、スペリオって?」
青い顔をしたソラにユウキが尋ねると、ソラは首を振りつつ、
「信じられない。スペリオに取り込まれた人間がいるなんて……」
「だから、そのスペリオって何なんだ?」
「樹ですわ」
女性がユウキの言葉に答える。
「樹?」
「――悪魔の樹」
忌々しげに呟く。
「樹が悪魔?」
尋ねるユウキに女性は説明し始める。
「スペリオという樹はとても変わった樹なのです。……簡単に言えば、世界征服を企んでいる――」
自分で言って笑う。
「スペリオは人に自分の一部であるこのくらいの――」
両方の親指と人差し指を合わせて、直径五センチほどの円を作る。
「サクランボに似た実を食べさせ、人の体内で発芽し、食べた人間を操つるのです」
「……実を食べなけりゃ、問題ないんじゃ……」
ユウキの言葉に、女性は悲しげに微笑む。
「その実は赤く、美味しそうに熟れ、芳醇な香りを漂わせて人を誘うのです。あがらうことなど出来ないほど……自分を御することが出来ない未熟なものは……」
顔を曇らせ、うつむく。
「樹が世界征服して、一体何するんです?」
黙り込んだ女性にユウキが尋ねる。
「繁殖」
答えたのはソラだった。
「……繁殖?」
「いわゆる、完ぺき主義者ってやつよ」
「は?」
ソラの言葉はいつも簡略すぎて要領を得ない。女性がソラの言葉を補うように静かに語る。
「人間を根絶やし、もしくは自分の操り人形にしてしまってから、繁殖しようとしているんです……」
考え込むユウキに、ソラはまどろっこしそうに、
「ほら、人間って樹を切ったり、燃やしたりするでしょ? スペリオはそれが嫌らしいのね」
「嫌っていっても……」
唖然とユウキが呟く。樹は、樹だ。植物は食物連鎖の底辺として、生命力強く、大量繁殖するのではなかったか――?
ソラは言葉を続ける。
「スペリオは頑固で意固地な老人みたいなものでね、自分や自分の細胞を持つものが傷つくのを避けるためには、最低限、人間が全滅することが重要だと思い込んでるの!」
「う……うん」
ユウキはいまいち理解できていなかったが、頷く。ソラは説明するのが苦手らしく、語り始めると不機嫌になる。
「それで、あの……ファミリアさん、ルルー様はどちらに?」
ソラが思い出したように声をあげる。
「ルルー様は……」
顔を曇らせ、口元を手で抑える。
「まさか!」
悲鳴に似た女性の声が響く。
三人はあたりを見渡すが、声をあげた人物の姿は見えない。
ユウキがふと、空を見上げると太陽にかぶさるように、小さな黒い点がある。目を凝らし、見つめたそれは、人影――
「え!?」
ユウキの漏らした小さな声に導かれるようにソラと女性は空を見上げる。
――ビュン
大気を震わせ、細い蜘蛛の糸のような光が女性の胸を貫く。
「っくぅ……」
真っ赤な鮮血を噴出しながらも、女性は口中で呪文を唱え、ふわりと宙に浮かびあがる。
「あなたたちはここに」
鋭く捨て置き、高く空へと上がってゆく。
■
「あんたがファミリアだって?」
赤茶の髪をポニーテールにした女が、白い服の女を攻撃的な瞳で睨みつける。
「はん、笑わせるんじゃないよ」
「こんにちは、ファミリアさん」
にこやかな笑顔で話し掛ける。白いワンピースの胸元には鮮やかな赤い血の花が咲いている。
「あんた、何者だ? 私は心臓を射抜いたんだ。なのになんでまだ生きてられる?」
「話は全部聞いていたんでしょ?」
涼しげに笑う。
空中を自由に移動できるならば、大気をゆがめて僅かな音を聞いたり、見たりなどわけない。
「あなた、スペリオにならない?」
「何?」
「あなたは選ばれたの。スペリオの――」
女性が語り始めたところで、二本目の光の糸が頭に突き刺さる。
「……人が話しているのを邪魔するなんてマナー違反よ」
笑みを崩さない。
「今度のは触れたら爆発するように編んだ呪文だ。なぜ発動しない?」
「さぁ、なぜかしら?」
悠然と微笑み、女は下降してゆく。
「ファミリアさん、大丈夫?」
ソラの言葉に頭と胸に赤い花を咲かせた女性は、微笑みながらコクリと頭を下げる。
「あれ、なんなの?」
空に浮かぶ灰色のフードマントを被った人物を指差す。
女性は相変わらず微笑を顔に張り付かせたまま、
「あなたたち、『森』から来たのよね?」
その言葉にソラが女性から離れ、防御の体を取る。
「なんで知ってるの!」
「あら、」
女性は小さく、失敗したわと呟くと、がらりと雰囲気がかわる。
「ルルーに助けを求めに来たの?」
「……あんた、誰?」
ユウキを守るようにソラは手を前にだし、防御呪文を唱え始める。
「二人とも、そいつから離れな! スペリオと自殺したいなら別だが!」
空から女の声。
「スペリオ?」
ユウキは声の方――上空に浮かぶ灰色のマントを被った魔道士を見る。
魔道士は上空三メートルあたりまで下降し、両手を女性の方に向け、呪文を唱えている。
「この二人も殺す気? ファミリアさん」
白い服の女は微笑みながら、魔道士を仰ぎ見る。
魔道士は表情も変えず、淡々と呪文を編みつづける。
――ヒュワン
光の魔法陣が白い服の女を中心に現われ、
「『我が力、我が怒り、全てを滅ぼし、無に還せ!』」
キャァァァァァァァァァァッ
耳をつんざく悲鳴。
女は自分を抱きしめるように身を硬くし、よたよたと魔法陣の中を歩き回る。
何も起っている雰囲気はないのに、女は身もだえし、苦しがる。
「何だ?」
「魔法が盛んだった古の、廃れてしまったはずの魔法だと思う」
ソラが青い顔をしてその光景を見つめている。
「私なんかよりも、圧倒的にレベルが高いのよ、あの人」
ちらりと魔道士を見る。
魔道士は無表情に呪文を唱えつつ、女の苦しがる姿を見つめていたが、ぴくりと眉を動かした。
先ほどまで魔法陣の中で苦しげにしていた女がゆらり、煙のように立ち上がる。
「こんなものでいいかしら?」
何事もなかったようにファミリアを見つめ、微笑む。
「私、他にも用があるからこれで失礼させていただくわ」
そういうと、左耳にしていた上が黒の三角錐、下が白の二等辺三角錐のイヤリングを外し、空に掲げる。
――パリン
薄いガラスが壊れるような音と共に魔法陣は掻き消える。
「!?」
魔道士は驚愕した表情を浮かべる。
「また、会いましょうみなさん」
再びイヤリングがキラリと光り、白い服の女は掻き消えた。
「……何なんだ」
ユウキの言葉に、ソラはわからないと首をふった。
■
「止まりなさい! あなた、誰!?」
空に浮かんでいた魔道士がゆっくりと降下を始め、我に返ったソラが攻撃の姿勢と共に尋ねる。
その人物は答えることなく、地面から五十センチばかり上のところであぐらを組んだ。
「あんたらさぁ、世間知らずにも程ってもんがあるでしょう」
フードを取り、ポニーテールにした赤茶の髪を整える。灰色の、地味なマントの下は緑色の魔道士服に、オレンジ色の帯という派手なものだった。
魔道士は一通り身支度を整えると、
「私がファミリア。ファミリア・ランブロウ。さっきのは私の名を語ったスペリオ」
えっと二人は顔を見合わせる。
「じゃあ、建物をこんなにしたのは――」
「ばぁさん」
ユウキの言葉を遮るようにファミリアは声をあげた。
「は!?」
「だから、建物を破壊したのは、ばぁさんだよ」
「ばぁさんって――」
ソラが目を見開き、声を絞り出す。
「あんたらが言うところの『ルルー様』」
ふらり、とソラが崩れかかり、
「それで、ルルー様って人は……どこに?」
ソラを抱きとめながら、ユウキはファミリアに問う。
ファミリアはひょいと肩をすくめ、
「さあね」
「……は!?」
「気づいたら、ばぁさんは行方知れず、その上私の名を語るスペリオがいるんだ……こっちだって何が何だか……」
大げさに肩をすくめる。
「じゃあ、誰がスペリオの封印を……」
青い顔でソラが呟く。二人は弱まってきた森の封印を掛けなおしてもらうために、ここへ来たのだ。
ユウキもソラも困惑しきった様子で崩れた建物を見つめた。
「あーーーちょいと……」
数分経ったころ、ファミリアが声をあげる。
「あんたらさぁ、世間知らずだけじゃなくて、常識ってものないの?」
「……なんですって!?」
ソラの声を遮るようにファミリアは嫌みったらしく言葉を続ける。
「こっちはあんたらの命を助けてやった上、名前を名乗り、あんたらの知りたい情報も教えてやった。で、あんたらは?」
悔しげに睨み付けているソラを無視し、ユウキを指差す。
「――ぼ、僕はユウキ。こっちはソラ。えぇっと……」
ユウキはソラの顔を窺いながらたどたどしく自己紹介を始める。
ファミリアが指を降ろしもせずにいると、少年はちらちらと少女を見ながら、自分は何歳だとか、建物の悔やみ文句とか、花畑の花のこととか……どうでもいいことを語り続ける。
たぶん、この少年の方は何も知らない。知らされていない。だから、あえてファミリアはユウキに尋ねる。
「『森』の住人が何の用なんだ?」
「……知ってんじゃないの」
ぽつりとソラが呟く声が聞こえ、ユウキが助かったと視線をソラに向ける。
ソラという少女は、だいたいの現状を把握している。けれど、任務に忠実な老兵士のような性格の持ち主みたいだ。仲間であるはずの少年にほとんど何も教えていないところからもそれはうかがえる。
けれど、時に面倒見の良い姉さんタイプでもあり、短気なところもある。少年を庇うように身構えたかと思うと、少年が質問してもうるさそうに答える。
こういう性格の人間は直接尋ねても何も話すことはないが、他人が困惑し助けを求めれば必ず話し始める。
(思った通り)
薄く微笑みながら、ファミリアはソラを見た。
「……それで、あんたたち何の用があって森からでてきたんだい? 確か森には魔王って強力な魔女がいるはずだろ?」
ファミリアの言葉にソラは苦々しげな口調で、
「魔王様が何を考え、何をしているかなんて誰にもわからないことよ」
「森で何かが起こっているのに、魔王は何もしないってことか?」
「仕方の無いことだわ。魔王様は森に広大な結界を張っているのだから」
「ふぅん」
広大な結界。
どれがどれほどの規模のものなのかはわからないが、自分と同じくらいのレベルの魔女であれば、他に手が回らないほどのことではないはず。
何かあるのか?
「だから、私たちはルルー様にお会いしたいの!」
ファミリアの口調に真剣みがないと思ったのか、ソラは声を荒げる。
ソラは切れやすい性質らしい。ファミリアは苦笑しつつ、
「ばぁさん探すとなると地平線の先に行っても足りないよ」
ルルーは普通の老婆と違い、大魔道士と唄われるほどの実力の持ち主。冒険好きで、奔放な性格。自己中心的で、自分勝手。策略家の上、行動力もある。やんちゃし放題の子供よりも数十倍、性質が悪い。今回は本当に何を考え、どこに行ったんだ? 心配などしなくても忘れたころに帰ってくるだろうが。
ソラの落胆の色は濃い。
「じゃあルルー様以外の誰を頼ればいいって言うのよぉ」
「ばあさんに出来る程度のことなら私にもできるぞ」
「えっ?」
ソラは瞬きを何回か繰り返し、自分の耳を疑いつつ、
「今、あなたが魔王様の結界を張りなおせるっていったように聞こえたけど?」
「……あぁ」
ソラの声に顔をしかめつつ、ファミリアはうなづく。
「そんなこと魔王様か世界でも屈指の魔道士にしか出来るわけ無いでしょ。あなたはレベルが高い魔道士みたいだけれど、まだ修行中のよう――」
「私の魔力も、魔法知識もばぁさんをとっくに超えてるんだけど」
「え……?」
ソラは困惑した表情でファミリアの顔を見る。
「ばぁさんは魔法道具やら魔法書の蒐集家として世界でも名高いんだ。魔法書なんて馬鹿高くて、貴重なものを拝めるなんて身内でもないと出来ないことだからな」
にやりと笑う。
「わ、わかったわ」
困惑した笑みを浮かべつつもソラはうなづき、
「ではあなたに依頼するわ。ただし、礼金は支払えないから、村々に古来より伝わる魔法や魔術道具になるけれど――」
「ほんとに!?」
ファミリアはキラキラと瞳を輝かせた。
■
荒野を抜け、街を過ぎ、森を抜け、三人は二週間ほどかかる行程をファミリアの呪文で、五分も経たないうちに森の入り口に辿り着いていた。
「なんだか私達の旅が馬鹿みたいだわ」
ソラがぽつりと呟く。
「へぇ、ここいらが森か」
ファミリアがソラの声を無視し、感嘆の声をあげる。
森は、それ自体をさしているのではなく、場所を指している。この大陸一の広大な森の一角、森の中央部近くに『森』と魔道士達が呼ぶ場所を。
「ちょっといい?」
ソラは真剣な面持ちで二人に向き直り、声を押し殺す。
「一メートルほど向こうから森に入るわ」
そこに目印があるわけでもないが、魔道士であれば何らかの魔力を、木々に通じた人であれば木々の微妙な違いに、感のいい人ならば何らかの違いに気づいただろう。それは空気、密度、雰囲気。そんなわずかな違い。
「私が先導するから道を外れないようについて来てね、ファミリアさん。でないと……命の保証は出来ないから」
「何? ソラちゃんてば心配性なの?」
ファミリアがソラをからかうようにケラケラ笑う。
「あなたも魔道士の端くれなら知ってると思うけど、結界内には聖霊がいるの!」
「炎をつかさどる精霊と、水をつかさどる精霊、それに大地をつかさどる精霊だろ?」
ずばりの指摘にソラは驚きを隠せない。確かに森は魔道士たちにとって神聖な場所ではあるが、森に関係しない魔道士が知っているような情報ではない。
「そ、そうよ。この森に封印したスペリオや魔物を見張るために、精霊はこの森自体に近づくものを退けようとする役目があるの」
「だから、ほとんど誰も近づけないんだろ?」
ファミリアがウインクとともに微笑む。
「そ、そうよ。わかってるんでしたら言うこと聞いてください」
ソラは口中で呪文を唱え、結界に穴を開ける。
「……結界って二重に張られてるんだ」
「わかったの?」
ソラは驚愕した面持ちでファミリアを見る。
「外側が魔王の張った結界だろ? 内側の結界は数人で張ってる」
「そんなことまでわかるの?」
「私を誰だと思ってんだよ? 外側の結界に何らかの理由で穴が開いて、それをそのまま内側からふさぐように結界を数人で張ってる。で、その内側の結界はあんた程度の魔道士でもどうにかできる性質のものらしいね」
その言葉にむっとした様子を隠しもせずソラは答える。
「これほど大きな結界よ。何年もたった一人でどうにかできる代物じゃないわ」
その言葉にファミリアは頭を振り、
「私くらいの魔道士になりゃ、この程度の結界を維持するぐらいわけないよ。もっとも、魔王が私なんかよりぜんぜんレベルが低いって言うんじゃ話は別だけど」
ソラは額に青筋をたて、
「魔王様が魔力を使っているのは結界だけじゃないわ! 三体の聖霊も維持しなきゃならないのよ!!」
「はん」
ファミリアは鼻で笑い、
「だから、私レベルの魔道士であればこの程度の結界も三人の聖霊を動かすのだってわけないんだよ」
言ってファミリアは顎に手を当て、考え込み始める。
攻撃系の魔法は短時間放出型。結界などの防御系の魔法は長時間持続型。前者が短距離走型だとすると、後者は長距離走型ってやつだ。
攻撃系の魔道士で世界でも名だたる人間は、防御系の魔法を使う魔道士に比べ数は少ない。なぜなら攻撃系の魔法で重要なのは感だから。
魔王の仕事は結界と聖霊の維持だろう。それで魔力が不足することなんてありえない。魔王が病気になっているとか、魔力を使えないような状況に陥っているのならば別だけど……。
「――リアさん、ファミリアさん、ファミリアさん!」
「えっ?」
たった今気づいたように、ファミリアが顔を上げる。
「ソラについていかないと迷うよ」
ユウキが心配そうにソラの消えた森の奥を指差している。
「……あんた、道わかんないの?」
その言葉にユウキは不満げに頷くと、ソラの後を歩いてゆく。
ファミリアがソラに追いつくと、
「ちょっと、キョロキョロしてないで、私の後に続いて歩いてよ!」
押し殺した声で注意される。
その声を無視し、再び立ち止まって、辺りをゆっくりと見回す。
「ちょっと、人の話聞いてないの!?」
ソラがファミリアに突っかかるが、ファミリアは困惑したような表情で、視線を木々の奥へとやる。しばらくその行動を続けたが、やがて、
「まあいいか」
ファミリアは素直に歩き出した。
■
うっそうと生い茂る木々――緑の楽園。まるで、神々の恩恵を一心に集めたような場所を三人は歩いていた。
有名な詩人たちが羨望の眼差しでそう形容した封印の森を、ファミリアは、
「見慣れると普通の森とあまり変わりばえしないね」
と切り捨てた。彼女の台詞にソラはピクリと眉間に血管を浮かせたが、
「どう思っていたかは知らないけど、あんまりキョロキョロしないでくれませんか? 聖霊に見つかったらどうなるか……」
「あら、ソラちゃんてば心配性すぎるわよ」
ファミリアは意に返さず、けらけらと笑う。
「茶化さないで下さい!」
「そんなことより、休憩しない?」
「はぁ? こんなところで休憩なんてできるわけないでしょ!」
「ちょっとしたお茶会程度の用意なら、瞬きする間にできるよ」
言うと共に、テーブルと椅子を三脚出現させる。
「なっ」
ソラは驚愕する。それは初めて見る魔法。
「ユウキ君食べるわよね? 私の作ったお菓子って美味しいことで有名なのよ」
妙に女らしい言葉遣いとともに、天使のような微笑を浮かべ、ユウキの両肩に手をおく。
こくん、とユウキは顔を真っ赤にして頷く。
「何考えてるのか知りませんけど――」
むっとするソラに向き直り、
「食べたくない? ふんわりクリーミーなチーズケーキに、木苺のムースをかけたシフォンケーキ、私の作るお菓子の中で一番て言われる生チョコケーキに……あと何があったかしら?」
「とにかく、休憩なんてもっての他です。あと三時間も歩けば村につきますから、そこまで我慢してください」
「ソラちゃんてばぁ、とぉっても、ほっぺたが落ちるくらい美味しいのにぃ……食べたくないのぉ?」
言いつつ、右手に生チョコケーキの乗ったお皿を出現させる。
「うっ……」
確かに、ファミリアが言っていた通り、相当美味しそうな生チョコケーキ。
「ほぅら、美味しそうでしょう?」
フォークで小さく切ると、唖然とするソラの口の中に放り込み、顎を無理矢理閉じさせる。
「あ、ちょ……ファミリアさん……」
オロオロするユウキを鋭い横目で見やり、
「何?」
「いや、あの、その手……」
ごくり、とソラの咽喉が鳴るとファミリアは手を離した。
「な、に……するのよぅ……」
目に涙を溜め、咳き込みながらファミリアを睨みつける。
「美味しかったでしょ?」
天使のような笑み。
ソラとユウキは青い顔をして、嬉々としてお茶会の準備を始めるファミリアを見つめていた。
お茶会を始めて十数分経った頃だった。
「あんた結界張れるよね?」
先ほどまでの、妙に優しげな態度のまま、ファミリアはソラの耳元でささやく。
「何ですか? 藪から棒に――」
ソラの口を手でふさぎ、押し殺した声で、
「良いから私の言う通りに! 私たちを取り囲むように結界を今すぐ張って!」
ソラはむっとした顔でファミリアを見返したが、微笑を浮かべた形の口元とは対照的な、鋭い眼光にぶつかり、ふてくされた顔で空間に印を結ぶと、ぶつぶつと呪文を唱え始めた。
ソラの唱える呪文、そして印の結び方――
(詠唱中しか結界がもたないタイプのヤツか……)
ファミリアは心の中で愚痴る。
けれど、このタイプは非常に強固な結界でもある。
ちらり、と木々の梢を見渡し、空になったユウキのカップに三杯目のアップルティーを注ぎこんだ。
ソラの使う結界呪文は一定の空間に作用し、術者が呪文を唱えている間その効果が続く。
つまり――
レモンパイに続き、チョコレートマフィン、アーモンドクッキーがファミリアの唱える呪文に答え、菓子皿の上に出現する。
「さぁ、ユウキ君。しっかり食べてね」
「あ……はい……」
菓子を取る手を休めるとこの言葉がかかる。
腹を手でさすり、いい加減、うんざりしてきつつも菓子の山に手を伸ばす。
ファミリアは天使の笑みでユウキを見つめ、ソラは恨めしげにユウキの口の中に消えてゆく菓子を睨みつけている。
五分経過したが何も起こらない。
十分経過するが何も起こりそうにない。
呪文の詠唱を続けながらもソラの目はファミリアの出したお菓子の山を溢れるよだれを抑えつつ、穴が開きそうなほど見つめ続けている。
彼女が語ったとおり、ファミリアの菓子は甘さも好い加減。柔らかさも、何もかもがちょうど良い――つまり、とても美味しい。
ファミリアはソラの視線には一向に目もくれず、クッキーを一つ、掴む。それまで、お菓子を出しはしても、自分では何一つ食べようとしなかったというのに……。
クッキーを取りはしたものの、食べようとはせず、じっと、あたりの気配を窺い、
「そこ!」
と、木々の間に向かって投げた。
二人は唖然とした様子で、ファミリアを見る。
「美味しい!」
弾んだ少女の声が、木々の上から声が降ってくる。
声のしたほうを二人はいぶかしげな目で見やる。
「一緒にお茶しない?」
ファミリアは顔色も変えず、声の主に呼びかける。
木々の間をピンク色の鞠が横切ったかと思うと、三人の前には一人の小柄な少女が立っていた。黒いおかっぱ頭、同じ色の瞳。ピンク色をした狩人のような服に、片耳にはハート型のイヤリング、耳には白い鳥の羽根をはさんでいる。
「どうも、お招きに預かりまして」
などと言いつつ、お菓子の山へ近づく。
ファミリアも旧知の友のように、
「どうぞ、紅茶? コーヒー? どっちがいい?」
などと親しげに話し掛ける。
「……ま、まさか……」
ソラが目を大きく見開き、あとずさる。その様子を見て、ユウキは急いで両耳をふさぐ。
「ヒドリ様――!!」
森に木霊すような大声に、ファミリアとヒドリは一瞬硬直したものの、何事もなかったかのようにお茶会を再開した。
■
四人でのお茶会が始まって三十分ほど経ったころだろうか。その雰囲気を和気あいあいといいがたいのは、猿轡をかませられ、椅子に縛りつけられたソラと、不安そうにファミリアとソラの顔を見比べているユウキの姿があるため。
「ほぅら……ユウキ君、いっぱい食べて」
有無を言わさぬ瞳で、ユウキの前にジャムをたっぷりのせたパンを置く。
「私お手製のとっても美味しい木苺のジャムよ」
その声に、ユウキは青い顔をして手にとる。お腹はもう、ずいぶん前からはちきれそうだ。
ファミリアは相変わらず食べもせず、菓子や飲み物をテーブルの上に降らせる。
――木の上。
「ずいぶん美味そうなモノ食ってるな……」
梢で四人の様子を観察している人物が二人。
その一人、梢に座り、青い服の女が見つめていたイチゴジャムパイがヒドリの口の中へと消える。
「あなたもあの輪に入られてはどうですか?」
傍に立つ、白い服の人物はいつもの何ら情のない声色。
青い服の女はごくりと唾を飲み込み、黙り込む。
「――でも、いい加減……」
と、どこからともなくアーチャーを取り出す。それはピンク色に装飾され、ハート型や羽のアクセサリーが可愛らしくつけられている。
「皆さんにご迷惑をおかけしてはいけませんよ」
「ってことは、狙いはヒドリ――ってこと……だよな……」
誰に確認するともなくつぶやくと、狙いをこのアーチャーの持ち主へと向けた。
(……殺気?)
ファミリアがピクリ、片眉を上げヒドリを見やる。
ヒドリの気配に似た、微弱ながらも確かにそれと思える気配。
「ソラ、結界張って」
声と同時にソラを拘束していたものは宙へと掻き消える。
ソラは奇妙な声をあげながら、後ろにひっくり返る。そこに椅子があると思って座ったのに、座れなかった人のように。
「早く!」
情け容赦ないファミリアの声――
シュッ、シュッ、シュッ、
空を切る音。
どさり、とそれまで腰掛けていた椅子からヒドリが崩れ落ちる。
「――な……」
ヒドリの隣に座っていたユウキが声をあげる。
「だから結界張れって言ったんだ!」
ボワム…………
ファミリアが緑がかった魔法弾を空中に作り出す。
「『我が前に立ちはだかるリークゥ……までも追い詰め、セゥ……の意思を持ち……』」
(私が知る、第三十七魔法言語以上の魔法言語か? 呪文が聞き取れないから、どんな効果の魔法かわからない……)
「逃げたほうが良い」
言い置くと、白い服の人物は鞠のように素早い動きで、その場から離れる。
「ちょっと待て! あれなんだ!?」
青い服の女がファミリアの唱える呪文によって、彼女の頭上で巨大に成長してゆく魔法弾を指すが、すでにそこにその姿はない。
「……逃げたほうが、良いのか……?」
不安げにつぶやくと、同じようにその場から移動した。
ファミリアの頭上で膨れ上がっていた魔法弾はある一定の大きさに達すると、一瞬動きを止め、意思ある物のように巨体に似合わない素早さで飛び始めた。
木々の間から青色の鞠のようなものと、白い鞠のようなものが飛び出し、逃げるように木々の間を移動する。
緑がかった魔法弾は、
パン
風船がはじけるような音とともに二つに割れ、スピードを緩めることなく青い鞠と白い鞠を追撃する。
ゲチャ――ボトリ……
青の鞠は、緑の弾に覆われて木から落ちる。ゼリー状、スライム状の巨大な犬に抱きつかれたような様子で。
「コレ何だよ!」
暴れてもそれは離れない。
青い服の女を抱いたまま、それはファミリアの元へと帰っていく。
ファミリアの前につきはしたものの、そのブニブニしたものは取れない。
「動かないほうがよろしいかと思われます。無駄に体力を使いたいのならば別ですが」
暴れる青い服の女の傍に、白い鞠が静かに降り立つ。一呼吸の後、追いついた弾をどこに持っていたのか、日本刀に似た細身の刀で切り捨てる。
魔法を打ち破れるのは魔法だけ。つまり、魔法弾を切り捨てたのは、魔法をかけられた魔法剣か、魔法で作り出した、幻の剣か。
どちらにしろ、白い服をきた人物の魔法レベルは高い。魔法剣のような一点集中型の攻撃用魔法を防ぐには高い防御魔法が必要だ。だが、ファミリアは大げさな魔法や派手な魔法は得意だが、防御系の魔法は苦手としている。ソラとユウキというお荷物を抱えたままで相手をするには、ハンデがありすぎる……。
ファミリアはニコリ、と笑みを浮かべ魔法を解いた。
「害はなかったようですね」
青い服の女が立ち上がるのに手を貸しながら、白い服の人物は声をかける。
青い服の女は黒いショートカット髪、黒い目、銀の額当てをつけ、黒衣の上に青色の上着を身につけている。軽装の戦士といった風。
白い服の人物は長い黒髪、細い瞳は三日月の形。着物風の白い魔導師の服を身につけている。背も高く、声も低いので性別がわかりずらい。
「それがわかったから出てきたんだろ」
青い服の女は誰にも聞こえないような、小さな声で愚痴る。
「あなたの修行が足りないだけですよ」
その呟きを聞き取り、白い服の人物が答えた。
「お気づきになるとは思いませんでした」
白い服の魔道士は魔法弾を作り出した主、ファミリアに顔を向ける。
「すまなかったね」
ファミリアは二人に近づきながら償いの言葉を返すものの、瞳は青い服の女を捕らえていない。視線の先にいるのは白い服の魔道士。
「あんた達もこの森の聖霊だね」
「ああ、」
ショートカットの女が短く答える。
「私の名はタツミ」
「私はツルギと申します。それで、そこに寝ているのがヒドリ」
呼ばれた名前に答えるように、倒れこんだヒドリが何事もなかったかのように起き上がる。
「ツ、ツルギちゃん……ゴメンね」
後ろ頭を掻きながら苦笑。
「さ、三聖霊……」
驚愕の声色に振り向くと、そこにいるのはソラ。
倒れこんだ格好のまま、ツルギとタツミを見つめている。
「わ、私たち今、ものすごい方々の前にいるのよ!」
「あっそう」
興味なさそうにファミリアが答える。
「あ、あっそうって、まるっきりわかってないようだけど――」
話が長引きそうなので、ファミリアはひょいと肩をすくめつつ、話をさえぎるように声をあげる。
「そんなことに興味はない。それより……」と、再びツルギを見る。
「私達の前に現れたってことは、何か用があるんだろ?」
問いかけに、タツミとツルギは顔を見合わせ、タツミは溜息と共にこぼす。
「そこの馬鹿をみはっていただけだ」
音もなく、唇だけで馬鹿馬鹿と繰り返しながら、あごでヒドリをさす。
ツルギはタツミの後を追って話す。
「彼女は気安く人前に姿を見せるものですから――」
「あ、そう……」
ファミリアは気の抜けた返事を返しはしたものの、何事もなかったかのように、ニコリと笑顔をつくり直し、
「ご一緒にどう?」
「お、いいのか?」
「御相伴に預からせていただきます」
軽く頭を下げる。
「さっきから、うまそうだと思って見てたんだよ」
言いながら、タツミとツルギは席についた。