ラムダ

 お茶会も終わり、ファミリア達は三聖霊に案内された寝心地のよさそうな場所で野宿をする事になった。
 歩きつめれば夕方には村につくとソラは主張したが、ファミリアは強行に野宿を決行した。

 月は空からすべり堕ちようとしている。
 静かな夜に響くのはソラとユウキの規則正しい寝息。その合間に、夜の鳥達の鳴き声。
 ウトウトとはしてはいるものの、ファミリアは眠れないでいた。
 血が騒ぐ。というのが一番近い感情だろう。
 この森に入ってから何者かの気配が常に漂っている。
「ファミリア」
 木々がざわめくような、ほんの微かな声。
「ファミリア」
 それが、嘘でない事を証明するようにもう一度。
 ファミリアは起き上がることなく、目を月に向けたまま尋ねかける。
「魔王、か?」
「……私がいることに気付いていたの?」
 魔王が嬉しそうにノドの奥で笑っている声が聞こえてくる。
「あんたの存在にはこの森に足を踏み入れた時から気付いていた。でも、それは気配と呼べるようなものじゃない……」
「ふふふ……」
 魔王は楽しげに笑う。
「――この森の大気自体にあんたの気配が満ちてる。普通の人間ならば、それを違和感としてしか感じないぐらい自然に。これは魔法か? 私はこんな魔法聞いたことが無い」
「ふふふ……」
 静寂な森に響く、若い女の、甲高い笑い声。
 かけ離れたものなのに、奇妙に融合しあい、森を包み込む。
「あなたは魔王になれるわ」
「魔王に?」
 眉間に皺を寄せ、ファミリアが声のする方を見る。その先にあるのは闇。何も見えない暗闇。
「ばあさん、何の冗談だ?」
 木々ははっと息を呑むように、ぴたりと動きを止める。
「……気づいていたのかい?」
 よく聞き知った口調。けれど、声は若い女のもの。
「何年あんたの弟子をしてると思ってんだよ」
 森は、ファミリアの話に耳を傾けるように静まり返っている。ファミリアは疑問に思っていたことを問い掛ける。
「なぜユウキはこの森から出られないはずなのに、森の地理や、逸話を知らないんだ?」
「それは、」
 魔王は言葉を捜すように、声を詰まらせる。
「この森はとても広いから――」
 それじゃちっとも説明になっていない。
 いくら広い森とはいえ、世界のほんの僅かに過ぎない。
 大人の男の足ならば、一周するのに一週間もかからないだろう。それに、ソラの方は森の事に精通している。普通は逆だろう。男のほうが森の地理を良く知っているのならば話はわかるが……。
「じゃあ、この森にはなぜ聖霊がいる? 何故聖霊を作り出す必要があった? 精霊たちのあの重装備、武術の腕の高さは何のためにある?」
 結界は普通、中の者を守るためにある。それは、外からの進入を防ぐためとも言い換えられる。
 けれど、この森に張られた結界はその反対。この森は封印されているのと同じ。スペリオを封印しているというのに、何故その上、これほどまでの広範囲を封印する必要性があるというのだろう。
「本当に、あんたは困った弟子だよ……ファミリア」
 ため息とともに、ぼんやりと暗闇の中に浮き上がるように若い女の姿が現れる。
 黒い髪、黒い瞳、黒い魔道士服に身を包んだ若い女。
「ばぁさん……か?」
 ファミリアの戸惑いに、若い女は心底おかしそうに笑う。
「見ての通り、あたしの若い頃の『影』さ。どうだい? あんたなんかより数段美人だろ」
「それでこの森で何があるんだ? ばぁさん」
「相変わらずあたしの話を聞きゃしない。こんな若い娘を捕まえて『ばぁさん』呼ばわりはやめて欲しいねぇ……まったく困った馬鹿弟子だよ」
 よよよ……と今にも泣き崩れんばかりの声色で目頭をおさえる。
「ばぁさんも相変わらずだね。屈強の戦士十人くらい三分で片付けられるような老人が、そんな泣きまねしたって無意味だよ」
「心外だね。十人くらいだったら一分もあれば大丈夫さ!」
 腰に手を当て、むっとした顔で反論する。
「ああっとそんなことじゃない、そこまでわかってるんだったら……」
 ファミリアは大きく息を吐く。
「わかっていようがいまいが、どっちみちこの森に来なけりゃならなかっただろうし、嫌でもあんたの後を継がなきゃならないんだろ? あんたはそのために建物を破壊し、私に何も告げないで姿を消した――」
 掛け声を上げながら、上半身を起こす。
 魔王は弱りきった顔をして、大きくため息をつく。
「本当にあたしも苦労するよ。小賢しい上、あたしよりもレベルの高い魔道士を弟子としてなきゃならないんだから……」
「それで、あの女は何なんだ?」
「あの娘?」
「私の名を語り、スペリオと名乗ってた女さ」
「あぁ、それならあの娘の言ってたとおりさ」
 魔王ははっきりと答える。
「じゃあ『スペリオ』だって言うのか?」
 尋ね返す。
 スペリオは操つられている死人に過ぎない。血を流したり、微笑んだりはできないはずだ。だが、あの女は芝居とはいえ確かにそれをしていた。
 いや、けれど、と思い直す。
 ファミリアの魔法がまるであの女には効いていなかった。攻撃などないかのように涼しげな顔をしていた――あの女は死ななかった。まるで、すでに死んでいるかのように。
「あの娘はスペリオだが『特別』なのさ」
 悲しげな瞳で魔王は語り始める。
「あの娘の母親はこの森の人間じゃない。記憶をなくしてこの森の中を彷徨っている所を拾われてね、ある若者と結婚して、しばらくしてあの娘を産んだんだ。そして数年して、現れたときと同じようにどこかに消えちまった」
 両腕をあげ、降参のポーズ。
「この森の中のことであたしの知らない事はない。結界も張ってある。どこに行こうとあたしにわからないはずがないのに……消えちまったんだ」
 ファミリアは眉をしかめる。
 世界屈指の魔道士が張った結界。
 これほどまでの巨大な規模の結界になると、多少目の届きにくいところがあるかもしれない。
 けれど、この森には聖霊がいる。一人とはいえ生きていくのに何ら痕跡を残す事なく、生活できる人間などいない。
 魔王はあきらめきった表情で、
「あの娘の母親がどこの誰なのか、今となったら調べる方法もない」
 話を聞いていて思い出す。
 あの女が持っていた不思議なイヤリングの事を。
 あれは、ファミリアが作り出した強力な魔法陣を一瞬で破壊した。スペリオであるならば、相当ダメージを受けたはずなのに微塵もそんな様子はなかった。
 つまり、あのイヤリングには魔法陣、もしくは魔法を無力化させる効果もあったということだ。
 そんな事ができるアイテムなど魔法が盛んだった時代の遺物として博物館に展示されているか、伝説上にその名を遺しているのみ。
「この森には何があるんだ?」
 静かに問うファミリアの声に、魔王は顔を曇らせる。
「ここには『スペリオ』以外の、なにか他のものも封印しているとしか思えない。スペリオがいくら強大であれ、聖霊や歴代の魔王、それに数々の勇者がいれば倒す事はできたはずだ。なのに、この森に封印したまま、結界を張ってこの森を人々の記憶から忘れ去られる事を選んでいるとしか思えない。何故だ?」
「罪と罰、それに償い」
 魔王は目をそらし、ポツリとつぶやく。
「嘘であれ、真実であれ、時を経ても尚、語り継がれている物語に間違いはないと誰もが思う。誰もがそれが全てだと考える」
「私の知ってる歴史は歪曲されてるって事か?」
 昔からファミリアが確信をつくと、それが悔しいのか魔王は話をはぐらかすように詩的な文章で語り始める。
「ラピス・ラズリは全てを知り、全てをあわれみ、全てを背負おうとした」
 伝説の魔道士の名を出す。魔術を志す者であれば、歴史を学ぶものならば必ず知っている、世界を救ったと言われる魔道士。
「――昔、この場所は魔法の研究が一番盛んな所だった。魔法の研究が最盛期を迎えた頃、天才的な魔道士が二人、出現した。それが、ラピス・ラズリとセス・コバルトだった」
「セス・コバルト? そんな名前は聞いた事がない……」
 昔の人物だとはいえラピス・ラズリと肩を並べるような天才的な魔道士であれば、何らかの形で名が残るはずだ。
 けれど、ファミリアが今まで目を通してきた数々の魔道書や、関連の書物の中に見たことはない。
「そりゃそうさ……誰もが忘れてしまった名さ。そうなるようにラピスが仕向けたのだから」
 魔王は哀しげに微笑む。
「セスはラピスよりも天才だった。数々の魔法を生み出し、数々の奇跡を起こした。けれど、セスは魔法に魅せられただけの人間だった。人々の事、自然の事、世界の事には何ら興味も、配慮もなかった」
「それって……」
 声を詰まらせる。
 まるで、古い書物にたびたび登場する魔王リュージュ。元は人間だったけれど悪魔に心を売り渡し、強大な力を持つ魔道士になった野心高い女。
 我儘で、自分勝手、自己中心的で……世界を混乱させ、魔法を廃れさせる原因ともなった人物。リュージュという地で死んだためそう呼ばれているが、その名は忘れらさられてしまっている。
「そう、リュージュと呼ばれている魔道士のことだよ。そして、ここは昔リュージュと呼ばれていた都市だった」
 そういわれ、ファミリアは魔法で空中へ浮かび上がる。高く上昇し、月明かりに照らし出された森を見渡す。
 黒くそびえる木々。
 深く、古い森。
 人の命では到底かなわない、圧倒的な生命力。
 天に向かってそびえ立つ、巨大な古木……違和感を感じ、目を凝らす。
 木々やつる草が覆い隠してはいるものの、その芯は古い遺跡。一つそれを見分けられると、次々と見つけることができた。いくつもの遺跡を覆い隠すように木々が茂っている。
 ファミリアはゆっくりと下降し、魔王の前に下り立った。
「ラピスはセスへの罰として、彼女の存在を人々から消す事にした。人が生きるってことは、子をなし血を残す、偉業を残す、記憶に残るとか……どんな形にしろ、人々の中に受け継がれるってことだ」
「子をなす事もなく、偉業を残すこともできず、記憶に残る事もない……確かに、それでは生きていなかったも同じ――いや、」
 ファミリアは首を振る。
「何故、それは『死』ではなかったんだ? いくら天才とはいえ、世界を敵に回したのであればどんな『罰』でも与える事ができたはずだ」
 魔王は哀しげな微笑を浮かべたまま、静かに言った。
「セスは異界へ落ちたんだ」

 ファミリアは驚愕する。
 ひどい魔道士だったとはいえ、それはあまりにむごすぎる。異界がどんなところであるのか、長年研究はされているものの、未だにわかっていない。灼熱地獄だとも、魔物が住まう地だとも言われている。
「セスは異界への扉を開く魔法を編み出した――どうだい?」
 魔王は両手を広げ、クルリとその場で一回転する。  
 ファミリアも辺りを見渡し、大きく頷く。
 満ちているのは魔王の結界を張るための魔力。そして、極僅かにだがもう一つ――相反する魔法への魔力。
「セスは異界への扉を開けはしたけれど、閉じる事はできなかった……自分で開けた異界へと落ちたんだ」
 哀しげに繰り返す。
 確かにそれならば『死』を与える事など不可能だっただろう。
 セスが閉じられなかった異界への扉――他人が作り上げた魔法を消滅させてしまうには、それ以上の魔法力で無理やり壊してしまうか、その魔法を解くための魔法、薬で言うところのワクチンのようなもので壊すか、それとも、新たな魔法でもって封印してしまうか。
「この地は異界への扉を開くための魔法――たぶん、魔法陣が描かれている上から、それを封じるための魔法陣が描かれているのか……」
 普通の魔法は魔法源である術者が死ぬか、その魔法を維持できなくなれば自然消滅することもある。けれど、それがないということは、半永久的に機能するような魔力源的アイテムがあるのかもしれないし、魔法が維持できるような場所で術者本人が生きているのかもしれない……。
 これほどの魔法陣を何百年にも渡って維持できる魔法アイテム……そんな神話に出てきそうな威力のあるものが果たして存在しているのだろうか。
 存在しているとしても、それはもう魔法アイテムなどという概念からはかけ離れた……精霊のように意思を持ったもの――そう考えていたほうがいいだろう。自らを防御する力を持ち、主の吹き込んだ命を守りつづける事のできる――そんな高度なもの。
 いや、それとも封印された都市、全てが結界を維持するための魔法アイテムの変わりだとしたら……壊すにはこの森の結界を解き、尚且つこの森全てを短時間――できれば一瞬で完全に破壊してしまわなければならない。これほど高度で大掛かりな魔法を維持しているのだ。一部だけでも残っていたら、どんなことが起こるか予想もできない……
「それより、『魔王』のことだけれど……」
 そう言われ、ファミリアは一瞬考え込む。
「考え出すとすぐに周りが見えなくなるんだからねぇ」
「……あぁ、継承のことか」
「そうだよ。あんたが魔王にならなきゃ、この世界は再び混乱する事になる」
 具体的に何が起こるかなんて予期できないがね……と魔王は呟く。
「魔王になってこの森に縛られるのが嫌ならば、どこにあるのかもわからない魔法のアイテムを探し出すか、生きているかわからないセスを探しだして、この魔法を解かせるか……か?」
 ファミリアの言葉に魔王は自嘲気味に笑う。
 一番情報を集めやすい宮廷魔道士になるか、実際に自分で世界中を旅して回るか……方法としてはそれ以外考えられない。それは、ばぁさんが長年やってきただろう事。
「世界は広い。歴代の魔王が探し出せなかった探し物を、あんたに探し出せりゃいいけどね」
「ばぁさんが世界の隅々まで探して、見つけだせなかった……っていうのにか?」
 魔王は鼻で笑い、
「今ではいくつかの異界と自由に行き来できるようにはなってる。あたしはそっちまで手を伸ばしきれてないからね、探す場所には苦労しないさ」
 可笑しそうに笑い、
「さて、私もそろそろおいとましようかね」
「まだ話は――」
 伸ばした手はするりと空を割る。
「影だって言っただろ? あたしはもう老体だよ。魔王だからといって若者のような体力を備えてるわけじゃないんだ」
 疲れたという風に、腰を叩く。
 姿形は若い女なのに、仕草は老婆のもの。
「そりゃそうだ」
「容赦ないねぇ……。まぁ、そこがあんたらしいとこだけど。じゃあね」
 現れたときと同じように、闇に解けるように魔王は消えた。




 お昼近くまで寝ていたファミリアをソラはたたき起こし、半分眠った状態の彼女を引きずりながら、だらだらと数時間歩いたところでようやく村へとたどり着いた。
 太陽は傾きかけてはいるものの、まだ、夕方というには早い。

「ただいま戻りました」
 他の家々よりも少し大きな建物の前でソラは一礼しつつ中へと言葉かける。
「……あら、ソラちゃん――ユウキも」
 しばらくして中から現れたのは長い黒髪を適当に束ね、だぶだぶの上着とぴっちりしたズボンをはいたどこにでもいる、四十歳くらいの女性。



「お待たせいたしまして申し訳ありません」
 三十分ほどして、客室で待たされていたファミリアの前に現れたのは、長い黒髪をそのままたらし、裾を引きずるほど長く、白い、独特の衣装に身を包んだ、先ほどの女性。衣装のせいもあってか巫女のような神秘的な雰囲気に満ちている。
 それと、もう一人――ユウキに似た四十歳代くらいの男性。こちらも女性と似た衣装を身に着けている。
 その二人に続いて、ソラとユウキも入ってきた。二人は旅装から、普通の服に着替えている。
 女性と男性はファミリアに向かい合わせるように腰を下ろし、ソラとユウキはファミリアの左右に腰掛ける。
「まず私から自己紹介を――」
 先ほど戸口から顔を出したときとは打って変わって、彼女は重々しく口を開く。
「私はこの村の村長を務めております、ミナミと申します」
 頭を軽く下げる。
「私はトオルと申します」
 男もミナミに習い、頭を下げる。
 この森の村だけの独特の風習ってところか。郷に入れば郷に従え――
 ファミリアはため息をつき、
「ルルー・オメガの弟子のファミリア・ランブロゥ……です」
「ファミリア様、硬くならなくても大丈夫ですよ。おくつろぎ下さい」
 ミナミが微笑を浮かべながら言うが、その場の硬い雰囲気は崩れない。
 息苦しい……
 ファミリアは救いを求めるように、左右をみる。
 ソラと目が合い――ソラはこくりと頷き、すっと立ち上がって部屋を出る。
(逃げた?)
「ユウキ、旅の報告を」
 トオルの言葉に
「えっと……あの……」
 ユウキもその雰囲気に呑まれていた様子で、しどろもどろに声をあげかけ、口篭もる。
 ……重い沈黙。
 
 その沈黙を破ったのはソラだった。
「お茶と菓子を持ってまいりました」
 慣れた様子で、ファミリアの見慣れない茶と菓子をそれぞれの前に置く。
「えぇっと……」
 困った顔でファミリアはソラを見る。
「ファミリアさん、お茶がでてなかったから怒ってたんでしょ?」
「は?」
 ソラの言葉にファミリアはお茶とソラの顔を見比べる。
 緊張のため顔がこわばっていたのが、怒っていたように見えたらしい。
「ソラちゃんの淹れてくれるお茶は本当に美味しいですよ」
 声に振り向くと、先ほどまでの神秘的な雰囲気などまるでないミナミが、縁側のご老人よろしく茶をすすっている。
「えぇっと……」
 戸惑うファミリアにトオルがため息をつき、
「ソラ、旅の報告を」
声をかけつつ、隣のミナミに小さな声で、村長らしくしてくれって言っただろと愚痴る。

 ソラの簡略な旅の報告にお茶をすすりながら聞いていたミナミは大きく頷きながら、
「そうですか。ルルー様は行方不明になり、ファミリア様の名を語る『スペリオ』が現れたのですか……」
 関心があるのかないのかわからない顔で呟く。
 そして、またお茶を一口すすり、
「それで、ファミリア様は魔王になられるのですか?」
「えぇっと、あぁ、そう……ですね……」
 不意に振られ、ファミリアは目を白黒させつつ頷く。
 唯我独尊的なファミリアにも苦手なタイプはあるらしい。
「フィリア様はこの森の封印を解くべく聖霊を生み出したのです」
 ミナミは唐突に語り始める。
「聖霊に魔王の代理を務めさせ、その間にセス様や魔法アイテムを探し出そうとしたようです。それはその後の魔王になられた方々も同じ」
「フィリア?」
「セス?」
 ファミリアとソラの声がかぶる。
「ファミリア様はフィリア様の名前を聞かれたことはないのですか?」
「いや……」
と考え込み、
「フィリアってのは『金色の魔女』と言われてる世界を股に駆けて暴れまわってた魔道士とは違うだろ?」
「えぇ」
 ミナミは頷き、
「そのフィリア様です」
「……そ、そう」
 残虐非道、とは言わないがあまりいい噂のない魔道士だ。ファミリアも長い間魔道士をしているが、彼女の名に『様』付けしている人間をはじめて見た。
「ファミリアさん、母……ミナミ様の言うこと・することにいちいち反応してたら疲れるだけだよ」
 横からユウキがそっとアドバイスする。トオルは聞こえているようなのだが、その通りとばかり静かに頷くのみ。
 コホン、とソラはそんな三人を横目で見つつ、
「それよりも、ミナミ様。『セス』とはどなたのことなのですか?」
「……えぇっと」
 ミナミはどうしようかとどこをともなく見回し、
「これは村長だけの秘密なの☆」
 妙に可愛らしく振る舞い、トオルとユウキ、ソラに笑みを向ける。
「……あ、そう」
 誰の口からか、あきれきった声が漏れる。
「トオルは席を外して」
「何故?」
 トオルの不信そうな声に、
「次期魔王であるファミリア様と次期村長候補であるソラちゃん、そしてユウキにしか話せない話があるの。ここにいて聞いていてもいいけれど、聞いたらやるせなくなって、生きていくのが嫌になるような種類の話よ」
 言いつつ微笑む。
 なんとも不気味な笑み。
「え、あ……席をはずさせてもらう」
 すごすごとトオルは部屋を出た。

 コホン、と小さな空咳一つして、
「ファミリア様、魔王様とはお会いになられましたか?」
神秘的な雰囲気を漂わせた、村長のミナミが尋ねかける。その口調は静かだが、威厳に満ちている。
「魔王様は行方不明のはず――」
 ソラの声を遮るようにファミリアは声をあげる。
「会いました、昨晩」
「ちょっと、ファミリアさんいつの間に?!」
「あんた達が寝てる間に」
 両手を頬にあて、ソラはムンクの叫びと同じポーズとる。
「会ったって、どこで?」
「あんた達がぐちゃぐちゃ寝言いってる横で」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ……!!」
 悲鳴。
 一同は慣れた様子で両耳をふさぎ、それが収まるのを待つ。
「何で起こしてくれなかったんですか!」
「あんたら魔法で眠らされてたんだよ?」
「いつです!? いつの間に私達魔法をかけられたって言うんです?」
 ファミリアにつかみかからんばかりの勢いで、詰め寄る。
 その勢いに押されつつも、
「ツルギだっけ? が別れ際に一人一人に幸福のおまじないだとかって、何かやってただろ? あれ私には意味のない単語の羅列だったけど、あんたとユウキに言ってたのはかなり高度の睡眠系の魔法の呪文だったんだよ」
 クジラでも眠らせることのできるほど強力で、遠隔操作ができるやつ……と呪文の解説もする。
「ソラ、もう良いですか?」
 ミナミは微笑みながら尋ねかける。
 ソラははっとした様子で、椅子にかけなおし、頭をたれる。
「申し訳ありませんでした」
「さて、ファミリアさんはだいたいの事情をご存知なのですね?」
 そういわれ、ファミリアは首をかしげる。
 魔王の役目とか歴史、そんなものは聞いた。けれど、肝心な事――スペリオについては何も聞いていない。
 魔王の話題を持ち出すことで、スペリオから話をそらしたか?
「まさか……スペリオについて何も聞いていらっしゃらないのですか?」
「えっと……まぁ……」
 自然声が小さくなる。
 ファミリアの名を名乗っていた女がスペリオであり、特別な血の持ち主だから、スペリオになりきれていないというのは聞いている。
「それでは簡単にお話いたしましょう。スペリオはすでにこの森にある村の村人を取り込んでいます」
 ソラとファミリアは顔を見合わせる。
「どの村ですか?」
 恐る恐るといった様子でソラが声をあげる。
「わかっていても、この森の人間では手出しが出来ないのですよ」
 哀しげに微笑む。
「なぜですか?!」
「ソラちゃん、あなたには村長になってもらうと……言っていましたよね?」
「……えぇ」
 ソラは不思議そうな顔頷く。
「村長は聖霊のを維持するためにあります」
「はい」
「ですから、この森の人間は村長と、魔王に対しみな信頼と敬愛を抱いています――」
 言葉を切り、
「私を殺すことができますか?」
 いきなり物騒なことを言い出す。ソラは信じられないとばかり、首を振るのみ。
「――なるほど。それで私が必要なわけだ」
 ファミリアが薄く笑う。
「それで、どの村の村長なんだ?」
「ツルギ村です」
 静かだがはっきりした言葉が部屋に響く。
「村長が死ねばスペリオは片付くのか?」
 静かにミナミは首を振る。
「スペリオの本体は異界にあります。ツルギ村の村長が植え付けられているのは、種。いつ発芽するかわかりません……が、スペリオのことです。物事は驚くほど慎重に実行されます。私たちがすばやく動けば、どうにかならない相手ではありません」
 魔王と聖霊達がいればどうにかならない相手ではない気もするが……名前が出ないところを見ると、
「私は先鋒ってわけだ」
 ファミリアの嫌味ったらしい言葉に、ミナミはにっこりと微笑む。
「人選は見事なほど的確に配置されていますのよ」
「でも、私が断るとは考えなかったのか?」
「この村に伝わる魔法道具です」
 まってましたとばかり満面の笑みを浮かべ、握りこぶし大の金色の宝玉を無造作に懐から取り出す。いぶかしげな表情をしていたファミリアだったが、やがて、
「もしかして、これって、ジェレミの宝玉!?」
大きな声をあげる。
 伝説に唄われる秘宝。無尽蔵の魔力を与えてくれるといわれる、魔道士にとって夢のような魔法道具。
「――まさかっ!?」
「まさか、そんな大切なものをファミリアに与えるんですか!?」
 ユウキは相変わらず蚊帳の外で、母と驚愕する二人の顔を眺めている。
「引き受けていただけますわよね?」
 ファミリアはにべも無く頷き手を伸ばしたのだが、ぴしゃりと叩き落される。
「報酬は仕事の後と決まっていますものでしょ?」
「ってて……おあずけってことか?」

 翌日。
「さっさとツルギ村へ行くよ」
 輝くほどの笑みを浮かべファミリアは周囲の人間を見やる。
「……ファミリアさんって、現金よね」
 ソラは呆れ顔で呟く。
「母さんの特技って暗躍とか策略だからなぁ」
 答えるようにユウキが頷く。
「で、ツルギ村ってどこ?」
 満面笑みのファミリアに、ミナミも同じ表情で、
「ソラ、ユウキ案内してさしあげて」
「……私が、ですか?」
「俺、知らないし……」
 不満の声が二人の口からのぼる。
「あなたたちはファミリアさんをツルギ村に案内したらすぐに戻ってくるのよ。ファミリアさんの監視役なんだから」
「いや、目の前で言われても」
「どう考えても役不足なんじゃ……」
「案内ならば他の人でも……」
 ファミリア、ユウキ、ソラの声など聞いていない様子でミナミは言葉を続ける。
「ファミリアさんが失敗したら一ヶ月かからないうちにこの森の人間はみな、スペリオになるでしょうから」
 さらりと恐ろしいことを言う。
 この森には魔道士が多い。しかも、宮廷魔道士級の魔道士が幾人もいる。それがみな、スペリオの手先となってしまったら……世界は何日でスペリオの手に落ちることだろう。
「――私に世界の命運がかかってるってこと?」
 ファミリアは引きつった笑みを浮かべる。
「次鋒がいるんだろ?」
「いませんよ」
 さらりとミナミは微笑む。
「あなたがしくじれば、魔王様が手を出さねばならないでしょう。けれど、魔王様がスペリオにかかりきりになれば結界は弱まります。その隙を突いて異界から邪悪な意思を持つものたちが押し寄せないとも限りません」
「諸刃の剣ってわけか?」
「えぇ。ですからあなたにがんばっていただかなければならないのです」
 そのときになって初めて、両肩に重く世界の命運がのしかかってくるのをファミリアは感じた。



 ヒドリ村を出発して一日半。
 村まで残り五百メートルほどの森の中。
 ふいにファミリアは立ち止まり、前方を睨み付ける。
「誰だ!?」
 ガサリ、と音がし木陰から一人の女性が姿をあらわす。片目にかかる長い黒髪、黒目、白いマントに白いローブ。ブーツと手袋、肩にかけられたタイは黒く、赤い宝玉のようなものが埋め込まれている。魔法防具だろう。
 女はニコリともせず、
「村に何の用ですか?」
「ってことは、あんたツルギ村の人間か?」
 にやりと笑みを浮かべながら、ファミリアは口中で呪文を唱え始める。
「……村に近づかないで下さい」
 一言、言うと背を向ける。
「どこへ行く?」
「お帰りください。村には近づかない方があなたたちのためです」
 押し殺した声。ふつふつと怒っているようにも聞こえる。
「あなたスペリオじゃないの?」
 ソラの問いかけに振り向きもせず、森の奥へと姿を消した。

「なんだったんだ? 一体……」
 ユウキがほっとした顔で呟く。
「あの女――」
 ファミリアが何か言いかけた声に被さるように、
「まぁ、ようこそお越しくださいました」
少女の声。
 女が消えた場所とは少し違う場所にピンク色のマントに白いローブ姿の十歳くらいの少女。
 天真爛漫な笑顔で三人を見やる。
「あなたたち、ツルギ村に来たんでしょ? お客様なんて久々なのよ」
「今度は何?」
 ファミリアがいささか辟易した顔で呟く。
 ツルギ村につけばすぐさま戦闘――もしくは、それに近い状態だろうと思っていただけに、あまりにも普通な村人の様子に戸惑いを隠せない。
 少女に案内され、たどり着いたツルギ村内もまったく変わった様子は無かった。少年は犬を追いかけ、少女は花を摘み、大人たちは農作業、食事作り、魔法の研究に暇が無い。
「なんか、帰るタイミングを逃したな」
「あの子ぜんぜん離してくれないんだもの」
 ユウキとソラはそっとため息をつく。少女は村に着いた途端、どこへともなく姿を消した。
「とりあえず、村長に話を聞くべきだろ? ミナミが言ってたように種が発芽してないからスペリオに操られて無いのかも知れないし」
 ファミリアが面白くなさそうな顔で提案する。ファミリアとしても、平和そうに暮らしている村人をスペリオだとして片っ端から倒していくこともできない。



 親切な村人たちに教えてもらい、半時ほどかかって村長の家にたどり着く。
「ごめんください、失礼します」
 ソラが声をかけ、中へ入る。
 中はピンク色の薄いカーテンが幾重にもかけられ、香が漂い、占い師の館のごとき摩訶不思議なインテリアが所狭しと置かれている。
「……何、ここ」
 鼻をつまみながら、ファミリアは呟く。
「息できないぐらい、香なんて炊きこめやがって……村長って変わり者ばかりか!?」
「――ちょっと、変わり者ばかりって何よ!? ミナミ様は――」
「母さんは十分変わり者だと思うけど」
 息子であるユウキに言われ、
「ミ、ミナミ様はちょっと……こ、個性的でいらっしゃるだけよ」
 ソラは言葉を搾り出す。
「キャハハッ」
 少女の甲高い笑い声。
 はっとして室内を見渡すと、ピンク色のカーテンの隙間から先ほど三人を引っ張るように村に案内した少女の姿。
「ミナミ様って噂通りの変わり者なの!?」
 瞳を輝かせ、ソラに問い掛ける。
「いや、なんでお前こんなとこにいるんだ?」
 ファミリアが冷静に突っ込む。
「私、ミドリ。村長の妹よ」
 少女はにっこりと微笑んだ。

「村長は?」
 少女は上座に座り、三人は言われるまま丸い座布団の上にあぐらをかく。それを見計らったかのようにどこからとも無く中年の女性が現れ、三人と少女の前に茶と菓子を置き、下がる。
「姉様ならば行方不明だよ」
「行方不明? 村長が?」
 ソラが目を白黒させる。村長がいなければどうやってこの森の結界を維持していけると言うのだろう。
「なるほど。それで結界が不完全なのか――」
 ファミリアは謎が解けたとばかりの顔で頷く。
 二重に張られていた結界の内側の結界、それはソラでも扱えるような代物だった。普通、複数の術者による結界が張られている場合、その術者たちから三倍以上レベルの高い魔術師でなければ結界を通り抜けることなど出来ない。
「いくらなんでも、ソラがあの結界をどうこうできるほどの能力者とは思えなかったからな」
 ソラが目つき鋭く睨みつけてくるのをかわし、
「で、私らが来た目的だが――」
「スペリオのことでしょ?」
 当然とばかり少女は微笑む。
「みんなその話ばかりなんだもの。でも、誰がスペリオかなんてわからないのよ、本当に。ぜんぜん見分けなんてつかないもの」
「じゃ、あんたもスペリオかもしれないってことか?」
 目つき鋭くファミリアが尋ねたが、少女はひるむ様子無く、
「そうかも。でも私、スペリオに見える?」
真正面から一同の目を見返す。
 静寂と、わずかな緊張を破ったのは大きなため息だった。
「――驚くほど慎重に、って母さん……村長が言ってたけど、それがこういうことってわけか?」
 ユウキが呆れ顔で呟く。
「スペリオって性質が悪いとは聞いていたが、こういうことか」
 ファミリアもお手上げといった様子。
 少女は楽しげに笑い、
「じゃ、今晩泊まっていけば? 夜になると姉様も帰ってくるし」
「……行方不明じゃないの?」
 ソラの声に、少女はにっこり微笑み、
「行方不明だよ。でも、満月の夜は帰ってくるから」
 言われてみれば、ちょうど今日は満月。



 寝室に案内され、荷解きをすればすでに夕暮れ。誘われるまま夕食の席につく。少女が言っていた通り一人分多く夕食は用意されていたが、主の姿はまだ無かった。
「村長はいつ頃帰ってくるんだ?」
「さぁ」
 ファミリアの問いかけに少女は柔らかに笑いながら、知らないと首を振る。
「いつだって突然なの。突然現れて、突然いなくなっちゃうの」
「……寂しいでしょうね」
 声をあげたのはソラ。少女には家族といえそうな人間はいない。村人たちが交代でこの家の掃除や家事をしに来てくれているという話だった。
 だが、少女は微笑を曇らせることなく、
「どうして?」
 逆に問い掛ける。
「どうしてって……」
 言葉に詰まったソラは傍らのユウキとファミリアの顔を見る。ファミリアは私に聞くな、という表情のまま、
「あんた何歳だ?」
「はぁ?」
 奇妙な声をあげたのは問い掛けられた少女ではなく、ソラとユウキだった。十歳くらいの少女は微笑を絶やさぬまま、
「いくつに見えます?」
 可愛らしく問い返す。
「どうも私らが見てる年齢よりも上だよな? その服にしろ、アクセサリー類にしろこの村でそんな格好をしている人間がいないところを見ると」
 言ってじろりと少女を見る。
「それにそれはどうも魔法防具のようだ。そんなものを子供が身に付けてるのは聞いた事が無い」
「まぁ……鋭い観察眼だこと」
 声は少女のものだったが、その言い方は大人のもの。また微笑みも先ほどまでの少女らしい天真爛漫な笑みではなく、いつの間にか大人がする表面的な笑みに変わっていた。
「ってことはだ、あんたが村長ってことだな?」
 なにが『ってこと』なのか、ソラにもユウキにも理解できなかったが、ファミリアと少女の間では何事もなく会話が続いてゆく。
「改めて自己紹介を致しましょうか。私はこの村の村長を務めますアオイと申します」
「じゃあ妹のミドリってのは何のこと……まてよ、」
 ファミリアは言い置き、村の入り口であった女の特徴を語った。
「それは妹のミドリです」
 アオイは間違いないと大きく頷く。
「私とミドリは母の違う、双子のようなものです。同じ年に生まれたのですから」
 その言葉にソラとユウキがおかしな表情を浮かべる。ファミリアはむっつりと黙り込んだまま、鋭い瞳でアオイを見つめている。真剣に聞いているときの表情だ。
「別に父が不倫をしていただとか、妻が二人いたという話ではないの」
 ソラとユウキに言い聞かせるようにアオイは語る。
「私が生まれてすぐ、森の中で行き倒れの女性を村人が発見してね、彼女を看病しようとこの村に連れ帰ったの。ほどなくして彼女は元気になったんだけれど、御礼にと子供を作ったの」
「作った?」
 ファミリアがたずね返す。アオイのしゃべり方からすると『生んだ』とか『身ごもった』と言うところなのだが。
「私は生まれて間もないですし、それを見ていた人の言葉を信じるしかありません。彼女は、「お礼に子供を作りましょう」と、種を蒔いたそうです」
 まるで御伽噺。
「まさか、それが芽を出し花が咲いたらその中にあのミドリがいたってこと?」
 馬鹿にしたような物言いでファミリアがたずねる。
「よくご存知で」
 アオイはため息をつきつつ、
「彼女は子供を取り出すと村長――私の父にその子を預け、その場で一礼して宙へと掻き消えたそうです」
「……血がつながってないってこと?」
 妙なところをユウキがたずねる。
「えぇ。ですが、ミドリの顔の中にはその場に居合わせた人の何らかの特徴が入っているとも聞きます」
「……特別な娘ってわけか」
 ファミリアがにやりと笑う。
「えぇ。その通り。ミドリは特別です。スペリオの実を食べたというのに――」
「スペリオ!?」
 ソラが大きな声を出す。
「順序だてて話します。――二十年ほど昔、私と妹、それに二人の友人と共に、森へ野苺を摘みに出かけました。そのころは魔王の交代の時期でごたごたしてましたから、異界への通路が開いていたのでしょう、私たちはどうもそこへ迷い込んだようなのです。そのとき、それまで見たことも無い果実を見つけました」
 言って、両手の親指と人差し指で、丸を作って見せる。
「林檎よりは少し大きな実でした。知らぬ果物だったのですが赤く熟れていましたから私たちはその実を採って帰ったのです」
「食べなかったのか?」
「そんなはしたない事……。実をいくつか持ち帰ったものの、当時の私は体が弱かったのでそのまま倒れてしまいました。ですが、ミドリと、そのとき一緒に採取に行った友人、それに家族はそれを食べたようです」
「じゃぁ、」
「死にました」
 一言アオイは言う。
「ミドリと数人は別ですが、ほとんどの者がその実が体質にあわなかったらしく毒でも食べたかのような死に方をしました」
「じゃぁ、スペリオってこの村には――」
「いません。ミドリは別ですが、ほかの者たちは実を食べた後、すぐにいなくなってしまいました」
「あんたのその格好は魔法の副作用か」
 脈略なくファミリアがたずねる。
「ファミリアさんは何もかもお見通しですね」
 言って、額飾りの中心部にある五センチほどもある赤い宝玉を指差す。
「これはスペリオの実です」
「どうして?」
 ソラが声を上げる。
「はしたない事をしたって事だろ? 村にたどり着いたころには症状が現れたもんだから、村が総がかりで封じたんだろう」
 魔法が盛んな村のことだ。スペリオ封じ、というのではなくても何らかの魔法があったはずだ。
 アオイは恥ずかしげにこくりと小さく頷く。
「私たちの食べた実は異界の、悪魔の実『スペリオ』でした。その実は食べた者を苗床として、養分を吸い取り成長します。私の体もじきにそうなります。ほら、赤く熟してきているでしょう」
 アオイの額宝石は、確かに暗い赤色をしていた。
 その時、シュゥゥゥとアオイの後ろの空間が歪み、アオイの額飾りが割れ、はらりと髪の房が落ちる。
 奇妙な笑みを浮かべた二人組みが、宙に続き浮かび上がるように現れる。
「フフフ……」
「クスクスクス……」
 濃い紫のマントを羽織った白い髪の少女と、白いマントを羽織った金髪の少女だった。
「時は満ちたね」
 白い髪の少女は誰に言うともなくつぶやき、
「時は満ちたのね」
 金髪の少女も誰にともなくつぶやく。
「ちっ」
 ファミリアは小さく舌打ちし、呪文を唱え始める。が、時すでに遅く、二人は宙へ消えていた。ファミリアは構えた手を解き、腹立たしげにテーブルに叩きつける。
 油断していたわけではない。あまりにも唐突過ぎたために対応できなかったのだ。
「ここは巨大な結界内だぞ。魔法を使うにはかなり制約が出てくるはずだろ?」
 誰にともなく呟く。
 魔法道具でもない限り――
 どたり、大きな音を立ててアオイが崩れこむ。
「アオイ様!?」
 駆け寄りかけたソラを制し、
「近づくな」
 アオイは荒い息をしつつ、苦しげなうめき声をあげる。骨の軋む音が室内に不気味に響く。
「でもアオイ様が……」
「成長してるだけだ」
 冷たく言い放つ。
「成長してるって……副作用で若返ってたんですよね?」
 ユウキが青い顔で尋ねる。
「さっきやつらが現れたときアオイに大量の魔力を注いだんだ。魔法道具ってのは多少なりとも魔力を消費して効果を現すものだ。一気に注がれた魔力に耐え切れず、額飾りの魔法防具が壊れた」
「そうじゃなくて――」
 あげかけた声を制し、ファミリアは大きく息を吐き、
「スペリオが発芽する」
「じゃあ、」
 ソラの声。
「今のうちに消滅させるのが一番だが……ユウキ、あんたその剣でアオイの心臓でも貫いてみる?」
 キュウリでも切ってみる? なんていうような簡単な言い方。
「その剣、伊達じゃないんだろ?」
 言ってユウキが傍らに持つ剣を指差す。
「いや、僕には……」
「じゃあソラ、あんたが変わりにする?」
「嫌よ、何で私が!」
「私だって嫌だ!」
 はき捨てるように言い、
「そうなると、このままスペリオになるまで待つしかないな……」
「これを――止める事は?」
 苦しむアオイをこわごわと指差すソラ。
「できればしてる。私は攻撃系の魔法は得意だが、回復系や補助系の魔法は魔法書がなけりゃ成功の確率は限りなくゼロに近い」
 再びため息。
「……スペリオの研究なんてほとんどされてないからな。スペリオのことが乗ってる書物があっても、書かれてるのはスペリオの歴史みたいなものだけだ。アオイが身に付けてる魔法防具を見ても、この村はかなりスペリオの研究が進んでるらしい」
「だから何なんですか?」
 魔法が使えないユウキはファミリアが何がいいたいのか理解できず尋ね返す。
「魔法ってのは結構複雑なものなんだよ」
 ファミリアはため息と共に吐き出す。
「私の使ってる魔法もそうだし、ソラの使ってる魔法もそう。オリジナル魔法なんてものを作り出す魔法使いはほとんど無い。全部先人の作り出した魔法だ」
「……ってことは知らない魔法は使えないってことですか?」
「そう」
 ファミリアは大きく頷く。
「オリジナルの魔法を作り出すために必要なのはある種の才能。魔力だとか、魔法知識だとかそんなものがいくらあったって魔法を作り出すことは出来ない。一通りその魔法を見れば、かなりの腕のたつ魔道士ならばすぐにその魔法を使うことは出来ても、魔法防具の効果だったりするともう……その魔法が一体なんなのかなんてこと、推測するしかない」
「打つ手は無いってことですか……?」
「あるとすればそれ、」
と、再びユウキの剣を指差す。
「でも、こういう場合結界みたいなものが発動してるってのが定番だから、剣先が届かないかも知れないけどね」

「何者!?」
 ファミリアは振り向きざま突如出現した人の気配に、魔法弾を投げつける。

――パスっ

 不発の音がして、玉は宙に掻き消える。
「待ってください」
 そこにいたのはミドリだった。
「あんた、今度はいったい?」
 ミドリはファミリアに哀しげな視線を向けると、すばやく呪文を唱えた。

 巨大な爆発音。

 建物は一瞬にして破壊される。
「ちっ!!」
 舌打ちしつつ、ファミリアはあたり一面を吹き飛ばす魔法を唱える。
「旋風よ、我の周りに集え!」
 崩れかけた建物の破片などが、はじけ飛んでゆく。
「ったく、性質が悪いったらありゃしない。不意打ちなんてね」
「――ウフフフフフ……」
 女の、低く、気味の悪い笑い声がその沈黙を壊した。
「まったく、あんたのせいでまた失敗だわ」
 笑い声の主はミドリをじろりと睨み付ける。
「姉上……」
 苦しそうにつぶやくミドリ。
「時は満ちたわ」
 アオイの笑い声とともに投げかけられた魔法弾をファミリアがはじき返す。
「足手まといがいるのに私に挑もうっていうの? ずいぶん余裕ね、ファミリアさん」
 いつの間に現れたのか、アオイの周りには村人の姿。
「アオイさんから離れてください!」
 ユウキが声を掛けるが、村人達は相変わらずの無表情。再び声をあげようとするのをミドリはとめる。
「無駄よ。みんなスペリオに取り込まれているわ」
「そう。私のためならば何でもやってくれる、とっても可愛いお人形さん達よ」
 言って、口端に笑みを浮かべる。輝くのは悪魔の瞳。
「あの四人を始末して」
 主人の命令を待ち受けていた飼い犬のように、村人たちは一斉に四人に襲い掛かる。
「『我が手に集いて矢となれ、雷!』」
 ファミリアが村人たちに、低い電撃を与える。だが、村人たちはひるむ気配もみせない。
「――どういうことだ? このレベルの雷ならば確実に気絶するはずだ」
「フフン、この子達は特別な動く死体のよ」
 アオイは悠々と奥の椅子に座り、高みの見物を決め込んでいる。
「ソラ、あんたは結界張ってここに待機。ユウキは物理攻撃しかけてくるやつらの相手をしてな。で、隙があったらすぐに村の外に逃げること。あんたら二人が助かる道はそれしかないし、私は助けてあげられない」
 いつの間にやらミドリの姿はない。ファミリアは、瞳の形をしたブローチをはずすと地に置き、ソラが結界の呪文を唱え終わると同時に、
「『我が力を糧として、繁れ蔓草!』」
 ブローチは一瞬ふくらみ、パンとはじける。みるみる間に青々としたつた草が、うねうねと生き物のように這いながら辺りを占拠する。
 ブローチの瞳にあたる部分には、どうやら種が仕掛けてあったらしい。
 つた草はその場にいる、その場にある全てのものを覆い尽くし、すさまじい速さで成長し、
「『紅蓮の炎よ、焼き払えすべてを!』」
 アオイの呪文で、辺りは一面の緑から炎の赤に変わる。
「ファミリア!」
「大丈夫!」
 上空から声。
 呪文を唱えると一瞬で飛び上がったらしい。
「計算外もいいところだわ。あなた、ルルーレベルの魔女なのね?」
「フフン、なめられたもんだ。私はばあさんより圧倒的に強い」
「……へぇ……」
 にやりとアオイが眼を焼け焦げた地へと向ける。すると点在する、黒い煤の塊が起き上がる。
「――まだまだ動くのか?」
「もう少し遊んでもらおうかと思って」



 ユウキが剣を振り回し、動く煤の塊たちをなぎ倒すが、彼らは何事もなかったかのように起き上がり、執拗に攻撃を繰り出す。焼かれたことにより、かなりスピードが落ちてはいるが……。
「ファミリア、この人たちどうするんだ?」
 ファミリアが近づいてきたので、ユウキは剣を振るいながら声をかける。
「さあね。浄化の呪文か、魔法を解く呪文か……それか骨まで残さず灰にするか――」
「相手は人間だろ! ざっと数えても三十人はいる」
「死体だって。動く死体。この人たちもう死んじゃってるのよ……ちょっと、数が多いな……」
 愚痴り、
「『凍てつく氷よ、彼の者の枷となり歩みを止めよ!』」
 地面が急速に凍りつき、死者達は大地に凍りつく。
「あんたら今のうちにこの村から出な」
 死者達の間を縫うように駆け抜けアオイへ近づいてゆく。
「時間稼ぎくらいにしかなりゃしないから、急げ!」
 死者達は痛みなど感じない。無理やり大地に氷付けられた足を引き剥がし、動き始める。足首を氷に残し、はいずるように動き始める死体達。
「早く村の外に出ろ!」
 再度叫ぶと、ファミリアは空中に複雑な印を結ぶ。
「『嵐とともに舞う風よ、わが身に集いて嵐となれ!』」
 一瞬、空気が止まり、彼女に向かって渦巻くように集まる。そして見えない刃が、その場にあるもの全てを深く切り刻む。動き出し始めていた村人たちもその攻撃に一瞬動きが止まる。
「こんな技があるんなら最初っから使ってよ」
 村の外へと駆けながらソラが声を上げる。
「時間稼ぎにしかならないんだって」
 大きな声で答え、ファミリアはまた宙へと飛び上がる。

「時間稼ぎにしかかならないってどういうことだ?」
 ユウキがソラの横に並んで駆けながら、尋ねる。
「わかりません。でもかなりヤバイってことでしょう」
「……ファミリアさん、大丈夫かな」
「さぁ。でもファミリアさんが負けると、この世界も終わるってことだから――」
「絶対に負けられないって? きついな……」
 二人は満月に照らされた道を走りに走り、ようやく村の外に出ることが出来た。
 地面に倒れこみ、肩で息をする。
「ここまで、来ると、安心……か?」
「さぁ……でも、追いかけては来てないようですね……」
 倒れこんだまま、ゼイゼイと荒い息を繰り返す。
「どちらがお持ちなんです?」
 女性の声に振り向くと、そこにはいつの間にやらミドリの姿。
「今、ファミリアさんに必要です」
「……何のこと?」
 ソラがいぶかしげに尋ねる。
「ジェレミの秘宝――」
「なぜ知っている?」
 ユウキが詰問する。
「先ほどミナミ様にうかがいました……これを」
 懐から取り出したメモ用紙には確かにミナミの文字で、
『ファミリアさんに渡してね』と記されている。
「……俺達の知らないところですべて動いてるってことか?」
 ミドリは淋しげにほほ笑み、
「それほど危機的状況なのですよ、今回のことは――」
「あなたを信用する証拠は?」
 ソラが詰問する。アオイのこともある。
「これを……」
 メモ用紙を一枚めくる。
『ミドリちゃんは信用してOKよ』
 そしてもう一枚。
『これは確かに私の自筆よ』
 的確にこちらの質問をよんで、書いている。
「……母さん、遊んでるのか?」
 重要な場面にもかかわらず、こんな手紙を書いてよこすものは他にいない。
「ミナミ様のものに間違いないですね」
 二人はため息をつき、ユウキが懐から厳重に布でくるまれた宝玉を取り出す。
「『時が満ちれば自ずとファミリアの手に渡るだろう』なんて言ってたのはこういうことか」
 呆れ顔で呟きながら、ミドリに宝玉を手渡す。
「!! ……っゥゥゥゥゥ」
 声にならない悲鳴をあげ、ミドリは宝玉を取り落とす。
「どうかしましたか? ミドリさん」
 宝玉を拾い上げながら、慌てる二人。
 額に脂汗を浮かべたミドリはようよう落ち着いた様子で、
「……私にはこれに触れるのは無理なようですね……」
「え?」
 ユウキはまじまじと、手に持った宝玉を見る。綺麗な球、それだけでしかない。
「どういうことです?」
「説明している暇はありません……ソラさん、この宝玉を持ってファミリアさんのいる場所まで行ってもらえますか?」
「えっ」
 ちらりとユウキを見、
「私が、ですか?」
「ソラさんならば結界魔法が使えますから。私が時間を稼いでいる間に、ファミリアさんに渡していただければ……」
 ソラに結界魔法を唱えるよう促し、自分は移動魔法の呪文を唱える。
「ちょっと、俺は……」
「時間はありません。急ぎます」
 ユウキの目の前から二人は瞬時に姿を消した。
「俺は……どうしたら?」
「こちらへ――」
 呆然とつぶやくユウキの背後で、女性の声がした。

「『灼熱の炎よ、紅蓮の風となりて、すべてを嘗め尽くせ!』」
 間髪無く、
「『凍てつく氷の刃よ、すべてに己が力を示せ!』 続いて、『鋭き疾風よ、すべてを切り刻め!』 そして、『大気よ、己が手中にあるものを握りつぶせ!!』」
 死者達は砂となり、塵へと変わる。
「さて……と、どうやら片付いたみたいだね。で、どうするんだ?」
「ずいぶんとごり押しね」
「力の差ってやつだろ?」
 フンとファミリアが笑みを浮かべると、アオイも微笑をもらし、
「『我が声に答え、蘇れ死人達!』」
 塵と化した者達が集まり、無数の羽虫の群れに似た人型を形成してゆく。
「今度はどんな魔法を見せてくれるのかしら?」
 ファミリアは憎憎しげにアオイを睨みつける。

――フオン

 魔法独特の音がして、一体が空間に消え去る。
「大丈夫ですか? ファミリアさん」
 再び音がして、二体目が消え去る。
「ミドリ? ソラ、あんた逃げなかったの?」

――ボォム

 続いてもう一体、光に包まれ消える。辺りの死体を一掃し、
「ソラさんには運んできていただいたんです」
 ミドリの言葉に、ソラは握り締めていた包みを広げファミリアに渡す。
「ジェミニの宝玉――」
 感慨深げに一言つぶやく。
「じゃ、私はこれで」
 ソラはそそくさとその場を後にする。
 ファミリアは決意の表情を見せると、無遠慮にそれを頭上に掲げ、呪文を唱え始めた。



「誰ですか?」
 ユウキの不思議そうな顔に、黒ずくめの女性は穏やかに微笑みながら、
「私は魔王、ルルー・オメガ。初めましてですね、ユウキさん」
「どうして僕の名を……」
「あなただけじゃありません。この森の中に住まうもの、あるもの全てを私は知っています。だって、この森は私でもあるのですから」
「……?」
「あなたは異界へいらしたからおわかりになられませんよね、いきなりこんなことを言ってみても」
「まぁ……」
 頷くしかない。
「時間がありません。あなたは下がっていてください」
 ユウキが下がるのを確認すると、印を結びながら呪文を唱えはじめる。
「何をしてるんですか?」
 問いかけにも答える様子もなく、一心不乱に呪文を唱える。やがて村のある方向は薄い光の幕に包まれてゆく。
「何を――?」
 呪文を唱え終わったらしき魔王は悲しげに微笑み、
「失敗は許されません。ファミリアが負けることは」
「……って……ことは……まさか」
 言葉にならない。
「ファミリアが失敗した場合、この村を消滅させます。ですがこれは念のため――スペリオが相手ならば、用心に用心を重ねすぎることはありませんから」



「あら、ミドリ」
 アオイが微笑をもらす。
「たった一人の姉を裏切るの?」
「姉上……」
「あなたに私が殺せるというの?」
 アオイは微笑を浮かべながら、大きく両手を開く。どこまでも人を見下した表情。
「――覚悟はできています」
「まぁ、薄情な妹ね。あなたの大好きな姉を、たった一人の肉親を殺せるだなんて……」
 ギリっとミドリは奥歯をかみ締め、
「あなたはもう姉上ではない!」
「あらあら、素直ないい子だったのに……グレちゃったのね。そんな子は――『空に浮かぶ星星の輝きとともに、静かに暗く、瞬きて!』」
 アオイの声とともに、辺りは大音響、強風につつまれる。
「そんな子はいらないの」
「スペリオ!!」
 煙幕を突き破りミドリが姿をあらわす。アオイが先ほどまでいた場所に手の刀の形をした炎で突っ込むが、すでにその姿は無く、
「『豪雨よ、全ての炎を鎮めよ!』」
 炎の刀を消されてしまう。すばやく構えなおし、
「『天と地、空と海との間にあるもの、全ての怒りを今解き放て!』」
 突き出した手の前に十センチほどの光球が現れ、やがてそれは小さな光球をいくつも生み出し、いっせいにアオイめがけて飛んでゆく。
 同時に呪文を唱えつつ、アオイへ突っ込む。
「『我が名において天の雷、剣と変われ』」
「――くっ」
 さすがに全てをよけきれず、アオイは何箇所か負傷する。だが、擦り傷程度の傷でしかない。
「『神々よ、魂を打ち砕く力を我に!』」
 魔法剣と魔法、同時にそれを使い、アオイに応戦している。



 長い呪文を唱え終わると、ファミリアはジェミニの宝玉をゆっくりと額へ近づけた。
 額に触れたとたん、宝玉は輝きを増す。目を開けていられないほどの光。
 光が収まったころ、そこには宝玉など無かった。
 ファミリアの額には埋没したらしき宝玉の姿。三センチほどが額から見えてはいるが、全体はもはやない。
 ニヤリ、とそれまでにないほど凶悪な笑みをファミリアは浮かべた。
「『降り注げ、悪しき者を葬る光よ!』」
 片手を高高と上げ、ファミリアが叫ぶ。
 直後、白、白、白――。
 白だけの世界。
 一瞬後、残っていた動く死体達は完全に消えさっていた。
「何なの?」
 アオイが動きを止め、呪文の主を見る。
「ファミリアさんが魔王の力を手に入れられたのよ」
「魔王の?」
 アオイは苦い顔をする。
 勝機はゼロだ。
 計画は慎重に進めていたが……今回は相手のほうが一枚上手だった。ミドリの暗躍はある程度把握していたが、魔王の復帰、ファミリアの存在は考慮外だった。
「また、今度か」
 アオイは大きなため息とともにつぶやき、攻撃の手をやめる。
 ファミリアが再び手を掲げると巨大な魔法陣が光と共に浮き上がる。
「『天をすべる我が父、地をすべる我が母。そして我が魂と共にある我が古の名の元に命ずる。悪魔よ、この地を去り、永遠の闇の世界へと戻れ!』」
 暗闇が辺りを覆ったかと思うと、瞬時に収縮し空中ではじけて消えた。

 ファミリアは両肩で呼吸を繰り返し、ばたりと後ろへ倒れこむ。
「……疲れた……」
「ファミリアさん」
 声の主はミドリ。
「ありがとう、でも……どうして私を見逃したんです?」
「見逃す? 無茶言わないで。この呪文を制御するための魔法知識なんて私にはないよ」
 はっと息を呑むミドリ。けれど、決意の表情で、
「私を殺してください」
 ファミリアは首を振り、
「魔法はあんたをスペリオだとは認めなかった。だからあんたを消滅させる必要は無い」
「でも……私もスペリオです」
「ミドリ、あんたは人間。それでいいじゃないか」
 ファミリアの言葉にミドリは首を振る。
「そんなことは出来ません。私は姉上を見殺しにしたも同じ……だから……」
 ファミリアはやってられないと頭をかきむしる。
「なんであんたが責任感じてんの? 責任感じる必要性はないと思うけど?」
「姉上から聞いたでしょう? 私は人間ではありません。母の受けた恩義への礼にとこの村の人々を守るためにここにいた。けれど、誰一人守ることなどできなかった。私の存在する意義などもはやないのです」
 そこ言葉にファミリアは大きくため息をつく。
「これだから生真面目って嫌いなのよ。あんたはこれから自由に生きることができるんだよ!?」
 それでもミドリは首を振る。
「……でも、私には……」
 今にも泣き出しそうなミドリ。
 ファミリアは大きくため息をつき、
「わかった」
 ゆっくりと呪文を唱え始める。
 空中に歪が生まれ、亀裂になり、穴があく。
「あんたは異界へ追放する。また、いつかどこかで会いましょう」
 異界へ落ちながらもミドリは薄く微笑み、
「ありがとう、ファミリアさん――」
 ぷつり、と声は途切れる。
 ファミリアはそこにいつまでも立ち尽くしていた。



「ばぁさん、いつまでその格好でいるつもりだよ」
「馬鹿弟子が後を継がないんだから仕方ないだろ、あたしゃにゃいつになったら平和な老後が訪れるんだろうねぇ……」
「そういうこと言うんだったら、いい加減引退すればいいだろ?」
「二人ともまた喧嘩ですか?」
 ソラが呆れ顔でつぶやく。
「あら、ソラちゃん。村長の仕事にも慣れた?」
 魔王の言葉に、
「……私以外に村人がいない村ですよ。慣れるも何も、何もすることがないじゃないですか!」
「出戻ってるって聞いたけど?」
 ファミリアがおかしげに尋ねる。
「村長に必要な仕事が無いので実家に入り浸っているだけです。問題ありませんよね、魔王様」
「無いわよ、まったくね」
「私、何のために村長になったんだか……」
「まぁまぁ、人生は長いんだから。これから先、何が起こるかわからないって」
 ファミリアは席を立つ。
「次はどこへ行くんだい?」
「二十三番目の世界。ツルギ村の大杉の右の梢辺りに入り口があるのを見つけたんだよ」
「今度はミドリさん、いるといいですね」
 ソラは懐かしげにつぶやく。
「あぁ」
 ファミリアは頷き、
「こんどこそめでたし、めでたしってなことになればな」

<終>

≪前頁 | 目次 | 次頁≫

『彼女の秘密』をご覧いただきありがとうございました。

■03/07/16  長編は面倒やなぁ…とつくづくおもいました。長編ってほど長編でもないですがね(たぶん。しゃべり方とか、考え方とか、その他細かいとこまで気を配らねばならないですし…何より自分が何かいてるのかわからなくなってきてしまう。で、読み返そうにも長いから、途中で飽きてくるし…長編ものはもうこれで終わりでしょう…たぶん(苦笑。それにしても途中で登場してしまった、怪しい二人組み…また別の機会に登場する予定ですが、いつのことになるやら…です。

■2004/04/26 改稿 

©2001-2014空色惑星