ラムダ

帝国崩壊T

一.帝国暦三八一年

一−一.ルカ

 少女が重いまぶたを開けた。黒炭のように黒い瞳に見覚えの無い、白い石で作られたドーム型の天井が見えた。少女が生まれて始めて見る景色だった。周囲には誰の気配もなかった。一人ぼっちだと認識して、少女は怯えた。目を閉じていた時は、いつも誰かがそばにいてくれた。優しく抱きしめ、髪をなでてくれた。なのに、その気配が今は無い。
 ぎゅっと目をつぶって、こわごわ目を開ける。同じ。変わらない光景。明るいのに、少女は闇の中にいるような気がした。怖い。
「怖がらなくても良いわ」
 足元のほうから声が聞こえた。暖かな女性の声だった。安心して、そちらに目をやる。見えないので、起き上がる。
「お早う。ルカさん」
 優しげな印象の女性だった。燃えるような赤い髪が目についた。真っ白なワンピースドレスを着ている。身に沿うような、ピタリとしたデザイン。長い髪がさらりと揺れる。
 女性は静かに歩み寄り、ホールの中央――ルカのそばにあった水盆を覗き込む。ずいぶん大きな水盆で、大人三人が手をつないでようやく届きそうな大きさだ。天井があるというのに、ゆったり流れる雲と水色の空を映し出している水面。彼女がふわりと水面に触れ、そこに壊されたカリエ=ボルト王国の王城を映し出す。
「こちらに来て、ご覧なさい」
 少し離れた場所で、興味深そうに眺めていたルカを誘う。なんだか楽しそうだ。だから、一歩踏み出す。歩くのは初めてだったから、裸足の足の裏に感じる石畳に驚いた。
 建物は全て白い石でできていた。見渡す限り、石でできた建物の中。どこから光が差し込んでいるのかわからないが、どこまでも明るい。
「ルカって、私のこと?」
 女性に尋ねる。しゃべるのは初めてだった。自分がどんな声をしているのか、初めて知った。
「あら」
 彼女は面白そうに言う。
「あなたはルカさんじゃないの? 青年が必死に叫んでいたわ。あなたを止めようと手を伸ばしていた――」
 水面が揺らめいて、その光景を映し出す。光に包まれて飛翔する黒髪の少女――水面を覗き込む自分と良く似ている。あまり覚えはないが、自分なのだろう。その後を追う黒髪の青年と、青年につかまった金髪の少年。青年には見覚えあるような気がする。少年は知らない。誰だろう。
 水面に映し出されたルカは飛び続ける。ルカと何度も青年は叫ぶ。近づき、離れを繰り返し、飛び続ける。
「あぁっ!」
 思わず声が漏れた。体勢を崩し、青年達は峰へ叩きつけられる。少女もバランスを崩し、近くの塔が迫ってくる。方向を変えようとするが、すでに遅い。頭からつっこむ。青年に魔力が吸い取られたのだ。思い出す。腹立たしくて、魔力が続く限り飛び続けてやろうと思う。青年が追って来ない場所まで行きたい。森が見えてきた。意識を保っていたのはその辺りまでだった。
「思い出したかしら?」
 水面は再び、穏やかな空を映し出している。女性の声には、褒める響きも、咎める響きも無い。何を考えているのかわからなくて、余計に恐ろしい。
「これ、何?」
「空から見える風景なら、何でも映しだしてくれる水鏡。屋根の下とか、木陰は無理なのだけど」
 哀しげに笑って、ルカを正面から見る。女性の紅い瞳に映し出された自分の姿が、震えている。この女の人、怖い人には見えないのに、どうして――。
 何か言われる前に声を出す。
「ここ、どこ?」
「さぁ、どこになるのかしら」
 女性は目を閉じ、小さく息を吐く。
「もう誰も知らない、時に見放された場所。私が作り出してしまった場所」
 寂しそうな瞳で周囲を見渡す。どこまでも静かだ。物音一つしない。この世界に女性と自分しかいないように感じる。
「あなたはここから出て行ける。早くお行きなさい」
「あなたはどうするの?」
「私はここから出られない。世界が終わるまで、時の止まったこの場所にいるしかないわ。さぁ、この水盆の中に飛び込んで」
 水に足を付ける。濡れはしない。引っ張られる。堕ちる感覚。
「あなたの名前は?」
「――セス」
 その声はとても遠くから響いた。木々の枝が身を打つ。おちる。落ちる。堕ちる。
「ぐっ」
 最後はバネのように跳ねて、草むらに転がる。死ぬかと思った。早鐘を打つ胸に手を当て、起き上がる。体中が痛い。周囲をみやる。
 のどかな風景。近くに小屋が見える。村が近いらしい。良かったと安堵する。
「あなた、大丈夫?」
 声がして振り向く。怪訝な表情をした金髪の少女が立っていた。


一−ニ.ミルク

「お願いします、殿下」
 ライキが緊張した面持ちで頭を下げた。濃い茶色の髪に同じ色の瞳。黒い服装も相まって、少年にしか見えない。
 人にかしこまられるのは好きじゃない。血のつながった弟・ライトの許婚といえば、姉妹のようなもの。他人行儀な態度は哀しいけれど、一足飛びに態度を改めたりできないのは、ライキが真面目だからなのだろう。
「ミルク。私のことはそう呼んでって何度も言ってるじゃないの、ライキちゃん」
 呼び方を強く訂正し、
「私はかまわないわよ。私とライト君が入れ替わってるって知ってる人、少なければ少ないほど良いものね」
「ありがとうございます」
 ライキは深々と頭を下げる。今日はライキの叔父クリフ・レイモンドとフランク・モンタナが尋ねてくるらしい。クリフはライキの母の兄。フランクはミルクの母・ヘレンの従者としてカリエ=ボルト王国からやってきていたから、幼い頃から何度も顔を会わせた事がある。幼い頃から何かとよくしてくれた。それは亡くなった母・ヘレンへの忠誠心からだと思っていた。こげ茶色の髪が多いこの国で、珍しい金髪同士だし。カリエ=ボルト王国の人間が忠義心に厚いこと、良く知られているし。いかついけれど、優しいし面白い男だと思っていたら、ミルクとライトの実の父親だと判明した。
 この家、普段はライキとライト、それに家の手伝いをしてくれいてるボウル夫婦の四人で暮らしている。ミルクの目から見れば小さな屋敷だけれど、この帝都ではそこそこの大きさの家。
「フランク様がこの屋敷を訪れるなんて、あまり無いことで」
 ライキの声は弾んでいる。そういえば、ライキの父親は名の知れた冒険家のアレン・マクスウェル。肩書きは冒険家だったが、遺跡発掘してみたり、未開地の探検してみたりと、なんだか忙しいおじさんだ。あちこちで色々なことをやっていて、話すたびにどこで何をやっているのかわからなくなる。話題が尽きない人でもある。どこかの商家出身の奥さんがいると言っていたのをいつかの晩餐の席で聞いたことがある。
 そんな父親がいれば、武術家のフランク・モンタナに興味を持ってもおかしくないのかもしれない。六十歳近いおじさまなのに。ライキの趣味はわからない。
「こちらの服に――あぁ、すいません。お一人でドレスを着たりなんて、できないですよね」
 ライキは困り果てた顔。城での暮らしぶりを聞いたら、ますます目を丸くするだろう。皇帝は父だけれど、実質的支配者は姉のアリシア。城の中は全てアリシアの思い通り。ミルクの存在は徹底的に無視されている。
「問題ないわ。一人でできる」
「良かった」
 安堵顔で部屋を出ていく。着替えていたら、なんだか隣の部屋が騒がしい。
「何やってるの?」
 すばやく着替え終わり、隣の部屋の覗き込んだミルクは、思わず笑ってしまった。ドレスを着ようと悪戦苦闘しているライキの姿。
「ドレス、一人で着れないの?」
「慣れないもので」
 顔が赤い。ベッドの上に投げ出されたかつらに手袋、アクセサリー。ライキは普段、少年と見間違うような軽装をしている。なんだか面白くなって、ライキが抱きしめているドレスと良く見る。淡いピンクの生地に、小花が散っている。大きなフリルが可愛らしい。はっきり言って、ライキには似合いそうに無いドレスだ。
「誰の見立て?」
「クリフ叔父上に頂きまして――必要ないと申したのですが、母のドレスを仕立て直したものなのです。母がこういったものが好きだったようで」
 照れているのか、呆れているのか良くわからない顔をする。
「手伝ってあげる」
「いえ、そんな――」
「一人じゃ着替えられないんでしょ」
「……お願いします」
 着せ付けていくが、やっぱり似合わない。濃い色の、シンプルなデザインならば違和感無かっただろうに。 
「お母様、どんな方なの?」
「母は――」
 ライキは少し寂しそうに言って、ロケットペンダント内の肖像がを見せる。柔らかな銀髪に、菜の花のような明るい金色の瞳の少女の姿がそこにある。ライキに顔立ちは良く似ている。
「亡くなってもう、十年近くなります」
「ごめんなさい」
「いえ。元々体の弱い人でしたから」
 ようやく着替え終わった頃、階下が慌しくなる。
「ライキ!」
 大きな声。ライキは慌てて階下へ走る。せっかく着せたドレスなのに、いつも通りの走り方をするから、目も当てられない。かつらもずれて酷いものだ。
「クリフ叔父上、お早いご到着で――」
「大変なことになった。カリエ=ボルト王国が落ちた」
「はい?」
 つい数日前までそこにいた。だからライキとミルクは驚きのあまり、顔を見合わせる。
「フランク殿は城に残ると言い張っているが、立場がますます危なくなるだろう。これから先どうなるか、私にもわからん。なぜだかミルク殿下に接近できなくなっているようだしな」
「城内はどうなっているんですか?」
 思わずミルクが尋ねる。その声色にクリフは怪訝な顔をして、
「もしかするとミルク殿下か!?」
 片ひざをつき、頭を垂れる。
「このような場、このような無礼をお許し願います。ライキ、お前は殿下をお連れして、帝都を出ろ。一刻も猶予は無い」
「叔父上は?」
「私もすぐに出立する。妻子を残して行けないからな。失礼いたします」
 挨拶もそこそこに屋敷を出て行く。別に屋敷を構えているのだろう。
 ミルクとライキは慌てて着替え、小さな馬車に乗って出立する。帝都に入る者には厳しいが、出るのは案外簡単で。門を通過し、一息つく。
「それにしても、準備良いわね。これなら、思い立ったらすぐに旅に出られそう」
 馬車内には必要なものが全てそろえられていた。ライキは馬を操りながら言う。
「父と一緒に暮らしていると、急に旅に出ることなんてしょっちゅうでしたから。なんだか、習慣になってしまっていて」
 思い出したのか、楽しげに笑う。次に、げんなりした顔になり、
「クリフ叔父はそんな環境で私が育つことに危機感を持ったようで、父を丸め込んで私を帝都に呼び寄せ、淑女教育に婚約ですから――」
 ミルクのお腹が声を上げる。ライキはくすりと笑って、
「夕食、ボウル婦人が作っていたのをそこの袋に詰めてますから」
 荷物の中から食べ物を取り出す。ガタガタと酷く揺れる車内。目も当てられない状態になった料理が入っていた。皿に綺麗に盛り付けられていたのを適当に詰め込んだのだろう。
「これ、食べるの?」
「申し訳ありませんが、他にありません」



ニ.帝国暦三八五年

ニ−一.ミドリ

 どこかから漂ってくる、甘い香り。それは誘惑の声と同じもの。大きな樹、たわわに実るリンゴに似た果実。一口食べれば、悪魔の手に墜ちる。知っていても止められない、衝動。口にしたいという希求。スペリオの実を取り、かじる。口いっぱいに広がる、えも言われぬ甘み――
 目を開け、そこがどこだか認識してミドリは安堵する。嫌な夢を見た。起き上がって、呼吸を整える。自我を失っていない自分に安堵する。
 スペリオの実を食べたのは二十年以上昔のことだ。自分は一口しか食べなかった。たった一口だったのに、自分は侵されているのだと感じる。一緒に実を食べた友人達は、スペリオの手に落ちた。私と姉だけが未だに自我を持ち続けている。気休めにしかなっていないような、この魔法防具がきいているのだろうか。それとも、スペリオが何か企んでいるのか。
 頭が割れそうに痛む。スペリオの実が発芽しようとしているのだ。母の形見の片耳イヤリングを付ける。痛みが消える。上部は三角錐の黒水晶、下部は三角錐の煙水晶でできたそれはどんな魔法よりも強い、魔法を打ち消す力を持つ。どうして母がこんなものを持っていたのかわからない。母は、この閉ざされた森の人間ではない。どこから来て、どこへ行ってしまったのか、誰にもわからない。
「ミドリ、起きてる?」
「はい、姉上」
 ミドリの寝所に長い黒髪の少女が顔をのぞかせる。大きな宝玉の付いた額飾りが目に付く。スペリオの発芽を防ぐためのものだ。
「すごい汗ね。大丈夫? だいぶうなされていたようだけれど」
「ご心配をおかけして、申し訳ありません」
 手早く着替えて、部屋を出る。朝食の用意をしなければいけない。スペリオの発芽を防ぐため、少女のまま成長をとめてしまった姉のアオイには重労働だから。
 食卓に座って、アオイは心配顔でミドリを見つめる。
「あなたも発芽が近いのかもしれないわね」
「いえ、大丈夫です」
 強く否定する。自分がスペリオの手に落ちてしまったら、スペリオの目論見をとめる人間がいなくなってしまう。残された少女姿の姉に、何ができるだろう。私は、スペリオの手に落ちることはできない。
 朝食を並べる。食べ始めて、ぽつりとアオイが言う。
「プサイとニュート。帝都にいるそうよ」
「そこで何を?」
「わからないわ」
 耳を澄ませれば、スペリオの意思が流れ込んでくる。発芽を促す歌と一緒に。森の外がどうなっているのか、興味が無いから知りたいとも思わなかった。ニ人が森の中にいないこと、わかっていたのに。
 食事が終わり、かたずけ終わる。
「しばらく出かけます」
 詳しくは言わない。姉はいつものように、森へ調査に入ると思っているのだろう。
「いってらっしゃい」
 にこやかに送り出してくれた。ミドリは否定しなかった。

 森と私達が言っているのは、魔法で外界から閉鎖された地域のことだ。ずいぶん昔、魔王――魔法使いの王が結界を張り、自由に出入りできなくしてしまった地域――そこには異界に通じる穴、歪みがいくつもある。
 森の中には三つの村があり、村周辺に歪みは無いものの、森の奥へ進めば、どこに穴が開いているのかわからない。凄腕の魔法使いでもなければ、普通戻って来れない。幼い頃、私達はその穴の一つへ迷い込んだ。スペリオの樹のある異界へ。
 森の守護者である聖霊ヒドリの手を借りて、外へ出る。森への出入りは自由にできないという建前があるものの、ずいぶん前から監視の目はゆるくなっている。魔王の目が行き届いていないのだ。
 帝都まで魔法で飛んでいこうかとも思ったが、森ではありふれた魔法使いも、森の外では稀な存在だと以前聞いたことを思い出し、思いとどまった。目立ちたくない。生まれて始めて馬車に乗る。酷い馬車酔いになってしまい、途中で降りる。
 もう馬車には乗りたくないから、歩いて帝都を目指すことにした。途中の街や村で様々な話を聞いて、だんだん世界情勢がわかってきた。数年前から、帝国が周囲の国々を統廃合していること。抵抗していたカリエ=ボルト王国が滅んだこと。その後の帝国はこの大陸全土に武力外交と戦争を続けていること。
 何度もスペリオの樹の声を聞いていたからか、その頃にはスペリオの声がはっきり聞こえるようになっていた。波長が合うようになってしまっていたのだろう。スペリオが何を考えているのか、目指しているのかが手に取るようにわかる。どうやら帝国を裏で操っているのはスペリオだ。戦争でより多くの人間を殺そうとしている。
 スペリオは異界に生えている樹だ。実を食べたものの中で発芽し、その死体を操る。自分が傷つくことを何よりも恐れ、嫌う。こちらの世界を知ってすぐは、操り人形を増やそうとしていたが、人間の数の多さを知り、作戦変更したようだ。
 やっと帝都にたどり着く。ずいぶん長い距離を歩いた。
「久しぶりだね、ミドリ」
「よく来たね、ミドリ」
 出迎えてくれたのは白い髪。にごった黒い瞳に濃い紫色の衣装を身にまとったプサイと、同じような顔立ちをし、真白な衣装を身にまとった背の低いニュート。幼馴染の友人。一緒に異界でスペリオの実を食べた仲間。
「ずいぶん変わったわね。プサイ、ニュート」
「帝国は歓迎するよ」
「アリシアは歓迎するよ」
 交互に台詞を言う。まるでニ人で一人の人間ようだ。そういえば、ニ人は一つの実を半分づつ食べた。だから、こんな風になってしまっているのだろうか。ミドリは一口、姉のアオイは一個食べた。だからアオイは、ミドリよりはるかに強力な魔法防具を身につけ、スペリオの発芽を阻害している。その副作用で成長しない。
 魔法で城内の一室へ移動する。こんな高度な魔法、スペリオが発芽する前ならニ人は使えなかった。魔力が向上しているのか、潜在能力を引き出したのか。
「魔法使いは珍しいのでしょう? 魔法を自由に使うのはまずいのでは?」
「大丈夫だよ」
「私達は特別だから」
 ニ人はミドリを歓待する。スペリオが発芽してから、こんな風に会話するのは久々だ。不信感をもたれていないことに違和感を覚える。罠ではないかと思いつつ、そのまま話を合わせる。わざわざ動きにくくする必要はないから。
「ようこそお越しくださいました」
 優しげな笑みを浮かべた黒髪の女性が部屋に入ってくる。
「私はアリシアと申します」
 旅の途中、よく名を聞いた慈愛の姫君だ。非情な皇帝に城内で反する唯一の人。どこまでも柔らかで優しそうな雰囲気だけれど、どこかその裏を感じる。ミドリはかしこまり、名乗る。
「始めてお目にかかります、殿下。私はミドリと申します」
「ニ人から噂を聞いております。すぐれた魔法使いだとか」
「そのようなことは……」
 村では一番の使い手を自負しているが、自分がどの程度の腕前なのかははっきりしない。比べられる人に会ったことがない。でも、ミドリが今までいたのは閉ざされた世界だった。
「それにしてもその格好は酷いわね」
 アリシアは改めて修道女のようなミドリの服装を見て、眉をひそめる。見苦しい格好ではないはずだが、長旅をしてきたこともあり、良いとはいえない。
「着替えを用意しますから、そちらに着替えて下さい。仕事は……そうね、まずはラーミについていただこうかしら。プサイ、ニュート教えてあげて」
 礼をする間もなく、部屋を移動する。カーテンで締め切られた薄暗い部屋。よどんだ空気。先ほどと明らかに違う。
「ラーミ」
「お客さんだよ」
 プサイとニュートの声に、部屋の中央で誰かが立ち上がる気配。プサイが魔法の光をともす。長身、黒髪の女性。青白い顔。肩の大きく開いた紫色のドレス。帝国では珍しい格好。異国の人間だ。
「ラーミ・ソフィア・フェレスと申します」
 優雅に一礼し終わると、どさりと椅子へ座り込む。体の調子が悪いのだろうか。生気の無い瞳は何も映していない。ぼんやり宙を見つめている。
「彼女は?」
 ミドリはプサイとニュートに耳打ちする。どうも様子がおかしい。ニ人は声も潜めず言葉を返す。彼女には何を聞かれても問題ないという様子で。
「ラーミだよ」
「アリシアの人形だよ」
 そういって笑う。無邪気な笑顔が不気味だった。
「ラーミに魔法を掛けるのがミドリの仕事」
「この魔法だよ」
 ニュートがラーミに魔法を掛ける。見ていたミドリは唖然とした。精神と知能はそのままに、肉体だけを操る魔法。はるかな昔、優秀な戦士集団を作り出す為に編み出されたものだけれど、やがて拷問にも用いられるようになり、禁止された魔法。
「いつからその魔法を彼女に?」
「四年前から」
「カリエ=ボルト王国を滅ぼすために」
 笑いながら、ニ人は消える。

 ニ人がいなくなってから、ミドリはイヤリングを掲げる。掛けられた魔法が解けて、ラーミの瞳に光が宿る。
「ラーミ」 
 声を掛けるが反応が無い。遅過ぎたのだと思ったとき、ラーミの頬を静かに涙が伝い落ちた。
「私は、なんていうことを……」
 さめざめと泣く。涙がとめどなく溢れて止まらない。ラーミはその涙を拭うでもなく、流し続ける。まだ、精神が壊れていなかったとミドリは胸を撫で下ろす。
「ラーミ、何があったの?」
 四年もの間、この魔法を掛けられていたのだ。かなり嫌な仕事をさせられてきたのだろうことは伺える。声が出せないようなので、ミドリは自分の事情を語る。スペリオのこと。その実を食べたこと。発芽のこと。
 ミドリが語り終えた頃、ラーミは顔をあげた。
「森の方だったのね」
 涙は止まらないようだが、声はしっかりしていた。
「ご存知ですか?」
「私は、異界から来たの」
 わずかに笑う。懐かしそうな顔。
「私の本当の名はラムダ。ラムダ・ミュートリア」
 値踏みするような目でミドリを見やる。無理も無いと思う。
「時間がないからあなたを信用するしかないわね。あなた、魔王さまに連絡を取ることができる?」
 思わぬ名前を聞いて、ミドリは驚いた。異界から来たと言ったわりに、ラムダは森の事情に詳しいようだ。
「……ずいぶん長い間、誰も姿を見かけていないわ」
「では荒地に住む魔女ルルー・オメガに助力を求めたほうが良いのかもしれないわね。彼女は森出身だという噂があるから、森が危機的状況に陥ってることを知れば、力を貸してくれるでしょう」
 そう言ってラムダは彼女の知りえる実情を語る。ミドリが思っていたより事態は酷い。
「本当なの?」
「証拠は何も無いわ。私を信じてもらうしかない。私はあなたに魔法を掛けられた振りをして、動くわ。あなたは――魔法であちこち動けるのよね?」
 ミドリがうなづく。
「あなたが動いて、私の話が嘘か冗談か調べればいい。私もきちんと把握しているのは四年前までのこと。たまに私に魔法を掛ける振りをしに戻って来て。その時に報告を聞かせてちょうだい。
 その前に、森の様子を聞かせて。異界の穴について、森に掛けられた結界の状態について。それに、スペリオの対策について考えなきゃいけないわ。それと、魔法についても教えて。私のいたところには、魔法なんて力なかったの」
 先ほどまでの、絶望的な瞳をした女性の姿はそこに無い。強い人だとミドリは思った。



三.帝国暦三八六年

三−一 ルカ

「家出してやるっ!」
 少女の声が村中に響き渡り、ルカはため息をついた。またマリンが伯母のマリネとケンカをしたようだ。マリンの家とは少し離れているはずなのに、声が大きいから言い合いが全部聞こえてくる。穏やかな昼下がりだったから、余計にイラつく。
「私はラーミに復讐するんだから!」
「いい加減にしなさい! あなたの両親は復讐なんて望んでないわよ!」
「マリネはそれでいいの!? 私は絶対、許さないんだから!!」
 扉を乱暴に開閉する大きな音がして、目の前を金髪の少女が疾走していく。ルカはじゃがいもの皮を剥いていた手を休め、小さくなるその背中を見る。マリンは街道に向けて駆けていく。
 マリンはルカよりニ歳年上の十八歳だ。十八歳といえば結婚していてもおかしくない年齢なのに、マリンは毎日武術の修行に明け暮れている。そういう家系だとマリネおばさんは笑う。よくわからない。五年前、拾ってもらった恩もあるから立ち上がる。
「あー。大丈夫だよ」
 歩き出したところで声を掛けられた。
「マリンちゃんの暴走はいつものことだし」
 振り向かなくても誰だかわかる。イルクシさんの恐妻、レンゲさんの弟のソウだ。ふらふらしてて頼りない。顔が良いことと、少しばかり魔法が使えるのが数少ない取り得。きっとマリンを迎えに行く役目、イルクシさんに押し付けられたんだろうと推測する。暴走したマリンを止めるのはお兄さんのイルクシさんの役目だけれど、このところ四歳になる娘のアンちゃんの世話と仕事とで多忙だと、幸せそうにこぼしてたから。
「もう帰って来るんじゃない!」
 頭に血の上ったマリネおばさんが叫ぶ。売り言葉に買い言葉みたいだけど、いつにもましてケンカが激しい。
 マリンの家庭事情ってものはよくわからないけれど、なんだか複雑らしい。ルカがこの村にやってきたは五年前。マリンたちもこの村にやってきてすぐだったらしい。それまでどこで何をしていたのか、マリンもイルクシさんも話してくれない。色々あるのよなんて、その時だけは年上っぽい、しみじみした顔で言われて話を切り上げられる。ルカには想像だにできないことがあったらしい。
 五年前といえば、カリエ=ボルト王国が滅んだ年だ。たぶん、マリン達はあの時、国を去った人なのだろうと思う。国王夫婦の命で戦争が起こる前日、国民達は皆、国を退去させられたという。忠義に厚い国民性だったから、元国民達は亡くなった国王夫婦の復讐をもくろんでいるなんて噂話は絶えない。
 国王夫婦の一人娘もまだ見つかっていないようで、こんな小さな村にも、たまに帝国の兵士達がやってくる。そのたび、村長であるマリネさんの旦那さんが怒って追い返す。聞けば、マリネさんは王国出身で、国王夫婦とも親しかったとか。
「今日は一段と酷いケンカだったわね」
「まぁね」
 ソウは面白そうに、ケンカの詳細をしゃべり続ける。
 レンゲさんとソウは姉弟、イルクシさんとマリン兄妹だけれどまったく似ていない。レンゲさんは黒髪に茶色い瞳で、ソウは明るい茶色の髪に紫色の瞳。マリンは金髪に緑色の瞳、イルクシさんは紫色の髪に同じ色の瞳。武芸で有名なモンタナ一族の出身であるマリネさんは黒髪、マリンによく似た緑色の瞳。アンちゃんは黒髪に紫色の瞳だからレンゲさんとイルクシさんの娘だと言うのはわかる。
 どういう関係なのだろうと、いつも不思議に思う。
「話、聞いてる?」
 突然話しかけられて驚き、うなづく。
「ラーミって将軍がマリンの両親を手に掛けたって噂をどこかで聞いたみたいでね、それをマリネさんに確かめてケンカになったみたいだよ。マリネさんはずいぶん前から知ってたみたい」
「マリンの両親って、軍人だったの?」
「そんな話は聞いてないけれど」
 ソウも首を傾げる。イルクシさんの話では、実家は少し大きな商家だという話だった。カリエ=ボルト王国が落ちたとき、民間人は国内に残っていなかったから、犠牲者はほとんど無かったはず。確か、イルクシさんは時々、ご両親と手紙のやり取りもしている。
 もしかして、イルクシさんはマリンの兄ではなく、マリンの本当の両親は死んでしまったのだろうか。だとすれば、マリンの両親が軍人でも、戦って死んだとしても不思議ではない。
「ラーミって異国の人だとか。将軍って言っても名義上の役職らしいよ。功績がすごいんだって。部下もほとんどつけないで、つねに最前線で動いてるらしいよ。敵の返り血を浴びる事なく、あっという間に周囲を倒して、部下の連中が来た頃には、一人で血溜まりの中にたたずんでるから、血溜まりの魔女なんて呼ばれてるくらい」
「将軍が前線で戦うの?」
「怖いよね」
 怖いなんてものじゃない。ぞっとした。いくらマリンが武術をやっているからと言っても、そんな人と互角に戦えるわけが無い。
「魔女って事は女の人?」
「相当美人だって話。怖いねー」
 怖い怖いとソウは連呼する。たぶん、レンゲさんのことを考えているんだろうなと思って、放っとく。
 レンゲさんは凄く強烈な個性を持った人だ。傲慢で金銭欲強くて、無責任で。イルクシさんは何が良くてレンゲさんと結婚したのか、わからない。
「ちょっと、あれ」
 ルカは馬車を見つけて慌てて駆け出す。
「置いていくなよ……って馬車!」
 ソウも走りだす。マリンの左手に帝都行きの馬車が見えた。右手の方向、馬車で一週間ほど行ったところに帝都がある。
「マリン、待って!」
「本気かよ、嘘だろ」
 ギリギリ馬車の客席に転がり込んだとき、ニ人はしゃべることが出来なかった。心臓の鼓動が早くって、バクバクと大きな音を立てる。
「運賃、払ってくれ」
 怖い顔した料金徴収のおじさんに睨まれ、ソウが財布を差し出す。こういう馬車では次に止まる町までの料金をその都度事に払う仕組みになっている。どこでも停車してくれるけれど、乗った時の料金は変わらない。
 ニ人分の運賃を抜き取り、おじさんはソウに財布を返す。見た目より良い人みたいだ。
 マリンは席に座ってすまし顔。馬車が動き出したので、ルカはひっくり返りそうになりながら、マリンに近づく。
「ねぇ、マリン。本気なの?」
「私はいつだって本気」
 目が怒りに燃えている。頭が冷えるまで待つしかなさそうだ。マリンから少し離れた場所に腰を下ろす。途中で放り出してきたじゃがいも剥き、どうしようなんて馬車に揺られながら考える。


三−ニ.ソウ

「何なんだよ」
 悪態をつきながら、ソウはソファに身を沈めた。大きな窓から光が差し込む部屋。中央にテーブルとそれを囲むようにソファ。部屋にはニヶ所入り口があり、それぞれニ人づつ、怖い顔をした兵士が立っている。とても逃げだせそうな気配は無い。
 踏んだり蹴ったりだと思う。最初の予定では、帝都まで一週間もかかるのだから、その途中でマリンは気を変えるだろうと思っていた。
 村から帝都までの運賃で、財布は空になった。ルカの運賃もソウが払ったからだ。ルカは財布を持ってい無かったのだから仕方ない。
 一番安い宿に泊まったけれど、途中で運賃用のお金が足りなくなって、身に着けていたアクセサリを売ってしまった。ルカの宿代は途中からマリンが出してくれて、何とか帝都までたどり着けた。
 たどり着いたところで、帝都に入るには検問所を通らなければいけない。帝都に知り合いがいて、紹介状でも持っていれば別だが、普通は入れない。マリンも諦めが付くだろうと思っていたら、一騒動やらかしてくれた。
「私はあなた達が探している、カリエ=ボルト王国第一王女、マリン・カリエ=ボルト。今すぐここを通しなさい」
 唖然としたというより、泣きたくなった。そういう強行手段をとるとは思っていなかった。自分はなんてついていないんだろう。騒ぎの主であるマリンはどこかに連行され、ルカともはぐれてしまった。
 この部屋に通されてずいぶん経つが、何もおこらない。牢屋に入れるのなら、早く入れて欲しいと思う。兵士達も手持ち無沙汰な様子で、ソウをじろじろ見ている。何の容疑で捕まえたのか、兵士達もわかっていないからだろう。

 ずいぶん時間が経過して、ようやく事態が動き出す。黒髪の美しい女性と、その従者と思われる人たちが左手のドアから現た。かしこまる兵達。
「ようこそ、帝都に」
 微笑みながら、ソファに腰を下ろす。あくまで優雅に。
「どうも、ありがとうございます」
 なんと答えて良いものやらわからない。女性が、あまりにアリシア殿下の肖像画に良く似ていたからだ。けれど、一般庶民であるソウの前に殿下が姿を現すなんてありえないと思い直し、少し、緊張が解ける。
「そろそろ支度が整うはずです」
 ソウから見て右手のドアを見つめる。その声に答えるかのように外開きのドアが開いて、金髪に映える黄色いドレス姿のマリンが現れた。
「息災で何よりです、マリン姫」
「ありがとうございます」
 マリンは素直に頭を下げる。ドレスが板についていて、まるで本物のお姫様のようだ。
「本当にマリン?」
「何よ」
 確認したら睨まれた。本人のようだ。マリンは本物のお姫様だったのかと、ソウは青ざめる。でも、カリエ=ボルト王国の王女は一人娘だと聞いたことがある。マリンの兄だと名乗るイルクシは何者なのだろう。
「少々乱暴でしたが、お許しくださいね。兵士達も職務に熱心な為――」
「ラーミに会わせて下さい」
「えぇ、聞いています」
 アリシアは微笑を崩さない。言葉をさえぎったマリンに対し、周囲の兵たちがピリピリしている。けれど、マリンはその空気を読めるような性格をしていない。部屋でただ一人青ざめているのはソウだ。
「申し訳ないけれど、ラーミは今、遠征中なのです。
 五年前のことについては心よりお詫び申し上げますわ、マリン姫。ラーミはこの大陸のものではありません。ですから、少し、言葉に行き違いがあったのだと私は思っております。父は国王夫妻と話し合いをすると申しておりましたのに……」
 タイミング良く大粒の涙が頬を流れ落ち、アリシアは従者に渡されたハンカチを目元に当てる。
「遠征先はどちらになりますか?」
「もう数日すれば帰ってまいります。帰還の途にあると聞いておりますから」
「では、数日後に。ごきげんよう」
 部屋を出ようとするマリンを兵士が無言でとめる。
「何よ」
「お話はまだ終わっておりません。もう少しお付き合いください、マリン姫。
 あなたをラーミと会わせることはできません。あなたはご両親の復讐を考えていらっしゃるとか。失礼ですが、あなたではラーミの相手にならないと思います。ラーミはリア様を倒すほどの腕前ですから」
 悔しそうに肩を震わせたマリンが、面白くなさそうな顔で引き返し、どすんとソファに腰を落とす。図星らしい。リアというのは、カリエ=ボルト王国、王妃の名前。噂では誰も相手にならないほどの武芸家だったとか。
「それより、お話しなければならないことがあるのです」
 アリシアはぎゅっとハンカチを握り締め、硬い顔をした。
「ルカは、あなた達と一緒に来たと言っているようですが本当ですか?」
「はい?」
 マリンとソウは顔を見合わせる。今頃、検問所の外で待ちぼうけを食らっているのだろうと思っていた。彼女の名前が、ここで出てくるとは思わなかった。
「えぇ。そうですが……」
 マリンが首を傾げながら、肯定する。
「彼女は――言いにくいことなのですが、生まれつき強い魔力を持っていて、以前、その力を暴走させてしまったことがあるのです。カリエ=ボルト王国に災害をもたらした、といったらわかっていただけますか?」
 言われ、マリンは目を見開く。よく知っているらしい。
 ソウは首を傾げる。村で何度か魔法を教えたことがあるけれど、ルカに魔法を使えそうな様子はなかった。
「実はルカの兄がこちらにおりまして――カイ」
 名前を呼ばれ、左手から黒髪の青年が入ってくる。大きな黒眼鏡をしていて表情は口元しかうかがえないが、確かにルカに似ている。
「ルカさんはこちらに残りたいとおっしゃっているの。おニ人には村まで馬車を用意いたしします」
「ルカは?」
「部屋にいる」
 カイが表情の無い声を出す。なんだか怖い。
「別れの挨拶は……できないですか?」
「疲れて寝ている」
 そう言われたら、無理にとはいえない。眠たいのはこちらも同じこと。安宿の硬いベッドに、長時間の馬車乗車。体はくたくただ。
「馬車は外に用意――」
「いいえ、ラーミに会うまで私達は帝都に残ります。失礼します」
 マリンは宣告して立ち上がり、ソウの服を引っ張りずんずん歩く。止まるってくれるよう、離してくれるように何度も言ったが聞く耳も無い。迷路のような廊下を歩いて外へ出た。人通りが多い通り。振り向けば思ったより小さなお屋敷。
「ここ、どこ?」
「城に近いけど、たぶん、誰かの屋敷」
 威圧的な城が右手奥にそびえている。マリンがやっと離してくれたた時には、皺になっていた。
「迷っちゃうような広い屋敷だったけど、来たことあるの?」
「有るわけ無いでしょ。帝都に来るのも始めてよ。自信持って歩いてるからって、方向音痴の私が道に迷ってないわけないでしょ!?」
 逆切れとは参った。やたら入り組んだ広い屋敷だと思っていたら、迷っていたのか。
「あー、もうっ!! どうしたらいいのよ!」
 叫ぶ。ドレス姿なものだからやたら悪目立ちしているが、気にする様子はない。城が見えない方向に向って歩きだす。これも適当に歩いているのだろうなぁと思いつつ、声を掛けづらい雰囲気なのでそのまま後についていく。迷子になるのも嫌なので。
「お金ないのに、どうやって滞在すればいいと思う!?」
 マリンに言われ、ソウはこける。あんなに堂々と宣言しておいて、何も考えていなかったらしい。ソウの前方、風を切って歩いている。
「ストップ! 待った! マリン、これからどうするか、決めてから歩こう――な?」
 回り込んで、頼み込む。マリンは五歳も年下のだと言うのに、なんだか自分が情けない。
「じゃあ、どうするってのよ」
「まずは事情がわからないから、詳しく教えて欲しい。どこかで落ち着いて話をしよう。道の真ん中だと目立つし――あそこなんてどう?」
 辺りを見渡すと、人気のなさそうな食堂を見つける。たぶん、酒場が本業なのだろう。今はまだ陽が高いし。
「わかった」
 素直にうなづき、その店に向って歩き出したので、後に続く。


三−三.ライキ

 酒場なのだから、夕方から店を開ければ良いのに、店主のアルネが定食をやってみたいと言い出して、数日前から、昼前には店を開けている。夜はにぎわっているが、昼間の客はほとんどいない。昼の客層が薄い上、宣伝らしい宣伝をしていないので昼から開いていることが知られていないためだと思う。
 のんびりテーブルを拭いていたら、いきなり戸が開いて驚いた。
「席はどこでも良いですか?」
「いらっしゃいませ。どうぞ、適当に」
 誰も客のいない店内。ドレス姿の少女と普通の青年と言う、不思議な組み合わせ。身分違いとか、お忍びという言葉が頭をよぎる。食堂用のメニューを差し出す。
 一見して困った顔をしたニ人。
「もう少し安いメニューってないですか?」
 声を上げたのはドレス姿の少女。良い身なりなのに、お金を持ち合わせていないのだろうか。それとも駆け落ち? 場所が場所だけあって、定食とはいえ、値段もそれなりにする。だから流行らない。
「えぇっと――」
「支払い、これでも良いですか?」
 と、少女は惜しげもなくアクセサリーをはずす。ネックレス、イヤリング、髪飾り。換金してももらいすぎになる。
 手にとってよく見る。全てのアクセサリーに帝国の刻印付きとはどういう家のお嬢様なのだろう。刻印付きのアクセサリーは下賜されたものの証。欲しがる貴族には高値で売れるが、表では取引できない。見たことあるような顔だから、大きな貴族のお嬢様だろうか。宝石だけはずして売れば、何とかなるかもしれない。
「店主と相談してきます」
 宝石をいったん返し、アルネとミルクを呼びに行く。宝石の価値はアルネが詳しいし、お嬢様の身元はミルクが知ってるだろうから。

「――マリン姫だわ」
 少女を一目見たミルクは息をのむ。
「生きてたのね」
「マリン姫? ……もしかして、カリエ=ボルト王国の?」
「そうよ! 他にお客さんいない? 男の方は誰? ちょっと人に聞かれたくない話するから、店、閉めていい?」
 興奮気味に言うから、アルネとライキは目を見合わせる。こういう状態のミルクは他人の話など聞く耳持たない。
「お久しぶりね、マリン姫」
 ミルクは背後から少女に抱きつく。抱きつくのはミルクの癖だ。アルネが仕方ないって顔をするから、戸を閉めて、準備中の看板を掲げる。
 アルネは、すでにセクシーな白の上下にオレンジの上着を着ている。紫色の髪には大きな髪飾り――誰がどう見たって夜用の服。彼女自身、昼が忙しくなるなんて考えてないんだろうと思うとため息が出る。
「お腹空いてるの、お二人さん」
 アルネが声を掛け、机の上のアクセサリーを手に取る。少女はミルクの腕を振りほどこうともがいているし、青年は唖然とその光景を見ているだけ。変な構図だ。
「ずいぶんなもの持ってるわねー。これ、売るの難しいからいらないわ。私達、お昼まだなの。適当に作るから、それで良かったら一緒にどう? お代はいらないわ」
 言い置いて、厨房に向う。ようようミルクの腕を振りほどいた少女が怒鳴る。
「何するのよ――ってミルク殿下!?」
「お久しぶりー。元気そうでなによりだわ」
 再び抱きつく。今度は少女もされるがまま。少女がマリン姫であれば、母親が姉妹だから、ニ人はいとこ同士だ。その鮮やかな金髪といい、顔立ちも並べれば似ている。黄色いドレスに、ピンクのワンピース。その一角だけ華やかだ。
 ライキは机と椅子をニ人の座ってる席に足す。ニ人が座っていた席は四人用のテーブルで、大人五人が座って昼食取る分にはきつかったから。
「どうしてこんなところに、殿下が!」
 マリンが驚くのも無理は無い。追われている私達が、こんな城から目と鼻の先に潜んでいるとは誰も思わないだろうと裏をかいて、数ヶ月前からこの店で潜んでる。静養地にある皇帝の別邸に張り付いていたのだけれど、ライトは城から外出しない。だから、こちらから乗り込んできたのだ。
 アルネは地下組織の人間で、他国と戦争ばかりしている現状を憂いて活動を始めたと言う。最初は慈愛の姫君として、民に敬愛されているアリシアの為だったが、活動を続けるうちアリシアの本性を知ったらしい。調べれば調べるほど、アリシアの表の顔が仮面であることを裏付ける証拠ばかりが出てきて、人間不信気味になっていた頃、私達と接点を持った。だから、アルネは未だにミルクを殿下とは呼ばない。まだ、何が真実なのか決めかねている言う。そうだろうと思う。
 ミルクとマリンは興奮気味に会話になっていない会話を続けている。
「マリンこそ今までどうしてたの? 大規模に手配かけられていたでしょう?」
「知り合いにかくまって貰っていたんです。殿下こそ――どうして?」
「ちょっとした行き違いがあって、城に帰れないのよ」
「どういうことですか? 殿下は城内にいらっしゃいますよね?」
「いるわよ。私のそっくりさんが」
 と、笑って青年を見る。
「こちらはどなた?」
「彼は大丈夫です」
 振られたので、慌てて男は名乗る。
「始めまして、ソウ・イヌビエです」
 椅子から立ち上がろうとして、派手な音を立てて転ぶ。たぶん、ミルクが皇女だと知って、かしこまろうとしたんだろう。受身が取れていないから痛そうだ。
「大丈夫か?」
 声を掛けたのはライキだけで、ニ人はおしゃべりを続けている。実にかしましい。
「そう――ソウって名前なの?」
「ソウ、という名前なんです。お姉さんがレンゲで、弟がソウ。ニ人合わせてレンゲソウ」
「あー、そういうことか」
「お姉さん凄い性格の人で……ってそれは今、いいですね。あの、そちらの方は?」
 ようやく私の番らしい。ソウの椅子を直しつつ、名乗る。元姫だから、かしこまらなくても良いだろう。
「ライキ・マクスウェルだ」
「ライキ……え、女の子? 女の子の名前よね?」
 女の子という言葉に照れる。マリンより年上なのに。
「二十一歳だ」
「私より年上、ですか。すいません。殿下、どういう繋がりなんです?」
 いつもながら、自己紹介は憂鬱だ。昔と違って髪は長いし、上から下まで黒ずくめとはいえ、スカートをはいているのに少年と間違えられるとは。かといって少女趣味の服も、パステルカラーの服も似合わない。
「弟の婚約者。実は私、双子だったのよ。城にいるのは弟のライト」
「え、じゃあ未来の皇妃? 帝国は男児が帝位継承権第一候補だから――」
「それはありえないわ。アリシアが法律変えちゃってるし、ライト君はあくまで私の代わりだし」
 話は盛り上がっている。口を挟めないソウとライキ。聞いているしかない。
「殿下、昔と印象ずいぶん違いますね」
「地はこっち。人前に出るときはおとなしくさせられてたのよ。気味悪かったでしょ?」
「そんなことは……」
 マリンは口ごもって視線をはずし、急に話題を変える。
「私達、さっきまでアリシア殿下とお会いしていたんですよ」
「さっきの、影武者じゃないの?」
 ソウが青ざめる。
「本人よ。本物。アリシア殿下に影武者なんていないわ」
「アリシアは自分で動くの好きだからねぇ」
 ミルクが冷たい口調で同意する。顔を見合わせるマリンとソウ。
「残忍な皇帝と野心家のミルク殿下を影から操ってるのはあの慈愛の皇女様なのよ」
「は?」
 マリンとソウは顔をしかめる。皇帝とミルク殿下はとても評判が悪い。他国への侵略、戦争は全部ニ人がやっていることになっている。ライキも最初、ミルクに聞いたときは信じられなかった。
「えっと……」
 言葉が見つからない様子のマリン。
「私達はアリシア殿下と――」
 会見で何を話していたのか、一通り語る。補うように、ソウがルカについて語る。急に態度の変わったミルクに混乱しているのだろう。
「ルカさんは拉致されたということね?」
 話を聞き終わったミルクが確認する。
「いえ、お兄さんが引き取るって――」
「でも、理由をつけて会わせてもらえなかったんでしょ? 魔法が使えなくても、強い魔力を持っていれば、魔法使い達の魔力源として戦力になるわ。
 それにカイって最初から胡散臭いのよ。五年前、私がライト君と入れ替わってからフランクの跡継ぎだって城に入ったの。出身地も育ったところも不明。いくら調べても、彼のことを知っている人がいないの。しかも、フランクって独身の堅物で有名な人だったのよ。隠し子にしても、出てくるタイミングが良すぎるわ。慎重な戦いをするフランクが、戦死したのは前線だったっていうし」
 ライキはうなづく。フランクの死を知ったときの驚きは忘れられない。決して無理な戦いをする人ではなかったし、彼の強さはかなりのものだった。入隊したての兵士にやられるなんてありえない。
「アリシアの部下は、今は禁止されている肉体を操る魔法を使う者が複数いるわ。皇帝も、私も、今は私のふりをしている弟も、公式の場ではアリシアの操り人形なの。操られている人の共通点は、無表情だってこと。
 マリン姫、あなた帝都へご両親の復讐に来たんでしょう? でもよく考えて欲しいの。直接手を下したのはラーミだけれど、背後にいるのはアリシアよ。
 カリエ=ボルト王国を滅ぼす国は、緑の服を着た英雄に滅ぼされるという、この大陸では有名な伝説があるわ。だから誰も、どんなに衰退していても、あなたの国には手出しできなかった。あなたのご両親を討ち取ったラーミは海を越えた大陸のもっと向こう、ずいぶん遠い国出身だという話よ。
 そのラーミだけれど、私が城にいないときに軍へ入っているの。カイより数日早いみたいだけれど、彼女もカイ同様、身元不明。あっという間に功績をあげたから、今の地位を不審に思う人はいないけれど、彼女は最初からずいぶん高い地位にいたわ。なのに、過去の功績もわからなければ、推薦人もわからない。
 それに、ラーミは自ら最前線に立ち、敵と認識した者は容赦なく息の根を止めるって戦法。その武術はどこの流派にも当てはまらないそうよ」
 そう聞いて、マリンの瞳に興味深そうな光が宿る。カリエ=ボルト王国といえば、武芸が盛んなことで有名だった。
「後から追いついた部下達が目にするのは、無表情に立ち尽くす彼女の姿。だから、血溜まりの魔女と呼ばれている――彼女は操られているんだと思う」
「ラーミは――」
 マリンは悔しげに言う。
「それでも彼女は私の両親の仇に違いないわ」
「あなたは勝てないわよ。操られているラーミは同情なんてしないし、自分自身にも配慮しない戦い方をするはずよ。勝っても負けても、傷つくのはあなたよ」
「それでも……」
 仇を討ちたいと、マリンが悔し涙を流す。
「城の崩壊で、あなたの従者が一人だけ亡くなっている。あなたはルカに向けられない苛立ちをラーミに向けているんじゃない? あなたも姫であったならば、個人的な感情より優先させるべきことがあるってわかるでしょ?」
 言い聞かせるようにミルクが微笑む。
「今はその時よ。私の話を信じるかどうかはあなた自身が決めればいい。真実はこれから明らかになっていくのだから」


三−四.マリン

 新月の夜。夜空に小さく浮かぶ月が無いだけで、こんなに世界は暗いのかと不安になる。マリンとミルクが再会したあの日から、二週間が経とうとしていた。
「さ、城へ潜入して入れ替わるわよ」
 ミルクは明るく言う。
 城へ潜入する為、ずいぶん前から念入りな準備してきたらしい。新月の日は魔法使い達の魔力が落ちるし、闇が深いので隠密行動が取りやすい。
「ツェルの護符も大漁に買い込んだから、私が操られることは無いわ。操られる演技も完璧だし」
 ツェルの護符は、防御魔法で有名なツェルの村で作られている伝統の品。とはいうものの、ちゃんと効果もある。
 ミルクはそれを首にさげたお守り袋に詰める。袋はライキが作ってくれたと嬉しそうに言った。見た目はぶっきらぼうだし、少年にしか見えないが、ライキは家事全般が得意だ。父親との生活の中、必要だから憶えたと言っていた。
(個人の感情より、優先すべきこと――)
 先日のミルクの言葉がマリンの脳裏をよぎる。
 今の生活はミルクの性に会っているのだろう。はたから見ていても楽しそうだ。けれど、自分にしか出来ないことがあるから、窮屈な暮らしに戻らなければいけないと言う。ミルクは覚悟しているのだと思う。城が破壊されたとき、マリンを庇って死んだニ歳年上のアンのことを思い出す。五年前、十五歳で死んだ彼女は、今の自分より大人だったと思う。
 ミルク、ライキ、マリンの三人は全身黒尽くめの服で影を走る。兵達の視線を避け、物音を立てないように壁を登り、目的の塔へたどり着く。天窓を開け、ロープを伝って部屋の中へ進入する。暗闇の中、人の気配がするほうへ近づく。
「ライト」
 ライキが押し殺した声で何度か呼びかけてみたものの、目を覚ます様子は無い。肩を揺する。帰ってきたのは女の子の寝ぼけ声。
 小さな明かりをつけて、顔を見る。十五歳くらいの黒髪の少女――
「誰だ?」
「ルカだわ」
 ミルクがその顔を覗き込む。
「確かに、カイに似てるわね」
「ライトはどこだ?」
 わからないとミルクが首を振る。
「ルカ、私よ。マリンよ。起きて。起きてよ」
 ずいぶん時間がかかって、寝ぼけ眼で起き上がる。
「何、眠い……マリン? 本物のマリンだ。どうしたの?」
「どうしたのじゃないわよ、なんでこんなところにいるの? ルカ、お兄さんに引き取られたんじゃないの?」
「兄?」
 ルカは首を傾げる。
「カイってあなたのお兄さんがここにいるでしょ?」
「カイ――? あぁ、あの怖い眼鏡の人。あの人、私の兄なの?」
 顔をしかめる。あまり良い印象は無いらしい。
「アリシア殿下からそう聞いているわ。あなたをカイが引き取ったって」
「知らないわ。何それ」
 ルカが嘘をついている様子は無い。マリンは立ち上がり、背後に立つミルク、ライキと顔を見合わせる。
「どうなっているの?」
「アリシアにとってルカは重要なのでしょう」
 ミルクが言い、枕元にかがみ込む。
「ライト?」
 マリン以外の人間にやっと気づいた様子で、ルカが不思議そうな声をあげる。
「私はミルク。ライト君を知っているの?」
「ライトはどこにいる?」
 ライキが勢い込んで尋ねる。
「わからないわ。あなた、ライキでしょ。ライトから聞いてる」
「会ったこと、あるのか?」
「一番最初の日に、ここで会ったの。あなたに会ったら謝りたいって言ってた」
「そうか」
 ライキはそういって立ち上がる。涙もろいのに、泣いてるのを人に見られるのが我慢ならないらしい。目元が潤んでいるようだったけれど、気づかなかったふりをする。
「私達、あなたを助けに来たの」
「助ける? 私、助けられる必要なんて無いわ。別に捕まっているわけじゃないし……」
 ふいに部屋が明るくなる。三人は慌てて周囲に視線を走らせる。ドアを開け、ゆっくり部屋へ入ってくる人々。真紅のドレスを着た黒髪のアリシア。肩の大きく開いた、くすんだ紫色のドレスを着た黒髪のラーミ。似たデザインで白いドレスを着た黒髪のミドリ。黒髪に黒い大きな眼鏡を掛けたカイの四人。
 ラーミとミドリは無表情。カイも眼鏡を掛けているから表情がわからない。
「お帰りなさい、ミルク」
 優しげな微笑とともに、アリシアはミルクを見つめる。背筋に冷たいものが走る。
「ようこそ、マリン姫。もう一人の方は始めてお会いいたしますわね。あなたはライキさん、かしら?」
 部屋の中央近くに垂れ下がったロープ。開いた天窓を見つめる。
「あんな高い窓から入ってきたの? ミルク、相変わらずお転婆ね。正面から入って来れば良かったのに」
「何で――」
 どうしてこちらの動きがわかったのだとミルクは思う。怒り、驚き、苛立ち、焦り。あまりにいろいろな感情がわきあがって声にならない。
「この部屋、特別な仕掛けをしてあるの。魔法の力ではなくて」
 アリシアは薄っすら笑う。周囲に視線を走らせるが人の気配は無い。魔法の力も感じられない。わからない。
「ルカ、こちらに」
 言われ、マリンを振り返りつつもルカはアリシアの元へ行く。本当に何もされていないのだろう。夜中に忍び込んできたマリン達の方が不審だという顔をしている。
「ルカ、彼女達は何か勘違いしているのよ。ゆっくり話し合いをするわ」あくびをかみ殺すルカに笑みをこぼす。「カイ、ルカを別の部屋に通してあげて。夜も遅いから今日はお休みなさい。明日起きたら全部話してあげるから」
 カイとルカが部屋を出る。
「ミルク、あなたもこちらに――と言っても、あなたは私の言うことなんて聞かないわね」
 睨みつけるミルクから、ライキに視線を移す。
「ライキさんもその様子じゃ、ミルクにすっかりそそのかされているみたいね」
 マリンに視線を移す。笑った顔をしているのに、なんだか怖い。
「マリン姫――私が用意した馬車に乗ってくだされば良かったのに。一番自然な形で抹殺できたのに、残念だわ」
 自然な流れで言われたので、マリンは最初、何を言われたのか、わからなかった。
「あなたが健在であること、こちらが関与して死んだことが知れたら、あなたの国出身である腕自慢の方々が厄介な事態を招きそうですし――」
 不穏なことを言う。眠りから覚めた顔で、マリンは恐々アリシアを見る。
「仕方ないわね。ラーミ、ニ人を処分して。ライキさんはこの部屋に残ってもらって。なるべく傷つけないであげて、ライトさんが悲しむから」
 そう言って、アリシアは部屋を出る。部屋はミルク、ライキ、マリンとラーミ、ミドリが残される。
 戦闘態勢を取る三人。ラーミはミドリに視線をやり、ミドリは呪文を唱える。溢れるように、部屋は霧に包まれる。何も見えない。防御の体制をとっていると、霧はしゅるしゅると部屋の中心から壁際へ移動する。部屋全体が、厚さ二十センチほどの霧の幕に覆われる。
 ラーミとミドリは先ほどいた場所よりニメートルほど移動した位置で片膝を付き、頭をたれる。
「始めまして、ミルク殿下。マリン姫。ライキさん」
 操られていないことを証明するように微笑んでみせる。
「私はラムダ・ミュートリア。こちらはミドリ。あまり時間がありませんので単刀直入にお話します」
 真剣な瞳にのまれる。
「あなた方には、封じられた森にあるツルギ村へ行って欲しいのです。近くにある建物を破壊してください」
「何なの?」
 ミルクが戸惑いの声を上げる。ラムダと名乗ったラーミはそのまま話を続ける。
「アリシアが言っていた、魔法ではない力がそこにあります。早くここから出てください」
 天窓を指差す。戸惑う三人に、厳しい口調で「早く」と繰り返す。逃してくれるのならばと、天蓋つきのベッドの足にロープを固定し、ライキとミルクがロープを登る。マリンはロープに手を掛けたものの、立ち去れない。ラムダを睨む。
「私はあなたを許せない」
「許しは請いません」
「マリン、早く」
 ミルクとライトに急かされたけれど、首を降る。ロープを切る。
「私は残る。ラーミを倒す」
「復讐なんて、あなたの両親は望まない!」
 ミルクの言葉を、無視する。今は、個人の感情に流されてはいけない時だってこと、わかっている。でも、許せない。
「私は負けない」
 マリンの覚悟を知って、ラーミはうなづく。
「私が使うのは一撃必中の殺人術――」
 踏み込む。早い。反応できない内に、マリンの腕を捻りあげ、首元に手をあてる。
「戦場ならば、ナイフで首をかき切っているわ」
 今は素手。腕を振りほどき、距離をとる。勝てないことを知る。
「アリシアに言われた手前、ライキさんしかこの部屋には残せない。今は去りなさい。実力差を理解することも重要よ」
 動かないマリンに、ラーミは寂しげに微笑む。
「私は人を殺しすぎたわね」
「茶番劇はそれまでよ」
 アリシアとカイが再び部屋へ姿を現す。
「なんとなく、そうじゃないかと思っていたんだけれど、ラーミ。あなた魔法が解けていたのね」
 ラーミは怖い顔でアリシアを睨む。
「カイに何をしたの」
「何もしていないわよ」
 アリシアは笑う。
「私に協力してくれているだけ。カイ、ラーミを始末して」
「早く、逃げなさい!」
 ラーミはマリンを怒鳴りつけ、カイと対峙する。ミドリは不安げにラーミを見ている。ニ人は息を殺し、互いに睨みあったまま動かない。動けない。相手の隙を探しているのだろう。
「ミドリ、あなたは手はず通りに。マリン、あなたは早く」
 気迫に負けて、握ったロープをミルクとライキが引き上げる。手はロープに張り付き、離れない。ミドリが寂しそうな顔で微笑む。魔法を掛けられたのだと知る。
「逃げなさい」
 ラーミはカイへ切りかかる。短剣と長剣。最初から勝負は決まっている。カイの剣が深々と突き刺さる。それを見届けて、ミドリが宙へ消える。三人は転がるように駆ける。
 ラーミがその後、どうなったのかはわからない。

前へ | 目次 | 次へ

©2001-2014空色惑星