森

8.

 アレンはごく普通に。ジェーンは複数の学位と様々な特許を取得して、二人は同じ年に学園を卒業し、研究所に勤めはじめた。

 ある年の冬、世界的な科学博覧会でジェーンは講演することになった。
 講演会場のロビーに若い、一組の男女がいる。優しい黄金色の髪の男と、青みがかった銀髪の女――。二人はロビーのベンチに腰をかけ、まばらな人の波を見つめている。
 男は心配げに彼女を見やり、
「ジェーン……」
 不安げな声をあげる。ジェーンは駄々をこねる子供に言い聞かせるように、
「大丈夫よ、アレン」
 ここ何週間も続いている不気味な脅迫状に、アレンはジェーンの身を心配していた。
「こんなに警備員もいるのよ。心配することなんて何もないわ」
 制服を着た警備員だけではなく、まばらにちらばる人の波の中に私服警備員の姿もある。ジェーンは何も気にしていなかった。けれどアレンは不安でならない。ジェーンの気づかないところでかなりの脅迫文を闇に葬ってきた。それなのに、である。どういう経路をたどったのかわからないが、その脅迫文は確実にジェーンの手に届けられた。
「本当に大丈夫だから」
 ジェーンは気丈にも微笑みながらそう言って、左手の薬指を振る。そこには銀の指輪がはまっている。
「心配しないで、アレン」
 言いながらも、腕時計を気にしている。そして――
「ほら、私もう時間だから」
 微笑むと、関係者のみ立ち入れる奥の部屋へと入っていった。アレンは伸ばしかけた手を、ゆっくりと下げ拳を握り締める。不安が消えない。講演開始まで後一時間ほどしかない。

「アレン」
 呼びかけられて顔を上げると、そこには一年ぶりの友人の姿があった。相変わらすの童顔、全く似合わない軍服姿のカイ。
「ジェーンは?」
「奥へ入ったよ。発表の準備があるらしい」
「へえ……あ、そうだ。婚約したらしいね、おめでとう」
 婚約、ということになるのだろうか。婚約指輪を渡したのは去年のことだったが、ジェーンが指輪をはめてくれ始めたのは一週間ばかり前からである。
 指輪をはめたのはアレンが脅迫文のことを心配するので、それを安心させるためのような気もするが。
「本当に耳が早いよな、お前は。二人でこの間、婚約パーティーをしたんだ」
 カイは一応残念そうな顔をして、
「呼んでくれればよかったのに」
 儀礼的というか、あまり感情のこもってない声で言う。それでも学園時代に比べ多少は人間が丸くなってきているようだ。
「お前なぁ、忙しいって言って断ったのお前のほうだろ?」
 アレンが言い返すと、強情にも、
「だが、婚約パーティーだって言われたらなんとしてでも出席させてもらってたさ」
 言い返す。アレンは大きく溜息をつき、
「ほんと、人付き合いが悪いよな。なんとしてでもって事は昨日は来れる可能性もあったってことだろ?」
 ただのパーティーならば必要ないと思ったんだというようなことをカイは呟く。
 アレンは苦笑し、
「さ、早めに席に座ってよう。特等席だからな」
 前から二列目という一番良い席に腰を下ろし、カイとたわいもない話をして時間をつぶした。

 午後一時。講演会が始まった。
 ジェーンは壇上に上がり、一礼をして話し始める。彼女が話し始めて十分ほど経ったころだった。
「悪魔め!」
 野太い男の声が開場に響き渡る。観客の一人なのだろう、五十歳代の一人の男が立ち上がり舞台上――ジェーンを指差しながら声を荒げる。
「お前のような腐った奴は裁かれるべきなんだ!」
 警備員が怒鳴る男のもとに駆けつけ捕らえようとするが、男は慣れた様子で逃げ回り、
「森と魔女を殺すものは滅びろ!」
 男が壇上のジェーン目掛け、何かを投げつけた。
 
 凍りついたようにゆっくりと流れる時間。
 
 爆発……
       爆煙……
             破壊……

 ジェーンは木の葉のよう宙を舞い、壁に叩きつけられる。誰もがその場で凍りついたように動かない。
「ジェーン!」
 アレンは叫び声をあげ、必死で壇上に這い上がり真っ赤に染まったジェーンを抱きしめる。
「ジェーン! ジェーン!」
 徐々に会場中から悲鳴が、泣き声が、怒鳴り声が渦を巻くよう沸き起こる。やがてそれは阿鼻叫喚の地獄絵図へと変貌する。そんな中、アレンは静かに、力強くジェーンに語りかける。
「助けるから、絶対に」
 その言葉に、ジェーンは弱々しく微笑み、何か言いたげに、赤く染まった手をアレンの前に持ち上げる。アレンがその手を握り返すと、
「ア、レン……」
 弱々しい、呟き。自分の身の上に何が起こっているのか理解できていないらしい。
 どうしてジェーンがこんな目にあわなければならないのだろう。どうしてジェーンが森を殺すものだというのだ……。ジェーンは何も悪くない。
「話さないで、助けてあげるから」
 アレンはジェーンを優しく抱きしめ、呪文を紡ぎ始める。
 自分の魔力が弱いことが恨めしい。こんな低レベルな魔法ではジェーンは助からない。死んでしまう……。

――美しい人……

 複雑な呪文を紡ぎ合わせ、言葉として発するそれは傍から見れば歌っているようにしか見えない。簡単な呪文はこんな歌のような響はないが、ジェーンのこの傷を治すには高等な魔法が必要だ。
 ジェーンを死なせたくない。

――死なせない

 複数の呪文を重ね合わせ、歌のように紡ぐ作業はとても難しい。失敗は許されない。
 ジェーンはぼんやりと中空に視線をさまよわせている。
 必死で呪文の言葉を紡ぎだす。普段、魔法を使わないために、紡ぎあげる言葉にほつれが生じる。それを補おうと、呪文は長く、長く続いていく。
 きつく抱きしめたジェーンの体からは徐々に温もりも薄れ始める。

――今度こそ、あなたを死なせない

 口から紡ぎだされる呪文は、アレンが聞いたこともないほど複雑で、高度な呪文。その呪文は完璧で完全なもの。今のアレンの魔力で生み出せるようなレベルのものではなく、失われた魔法言語もいくつか含まれている。
 どういうことだ?
 アレンの心に疑問も湧きあがるが、それよりもジェーンを助けなければ。

――美しい人、あなたは私のもの。

 言葉。はっきりとした言葉が、頭の中に響く。
 誰だ? 誰の声……
 きょろきょろとあたりを見渡すが、アレンに声をかけるような位置に人はいない。それに、耳で聞くような声じゃない。
「ア、レン……?」
 ジェーンが言葉を口にする。弱々しいが、はっきりとした言葉。
「……アレン……私…………」
 ジェーンはまどろみの中から話し掛けてでもいるかのような顔をすると、意識を失った。死んだのではなく、ただ眠りについただけ。

 あれから五日間、ジェーンは眠り続けている。安らかな、天使のような微笑を浮かべて。その長い銀髪は冬の光で軟らかに輝き、白い肌は血が足りないのだろう、少し蒼ざめている。
 アレンはずっとそばでジェーンが目覚めるのを待っている。あの犯人はすぐに取り押さえられた。なんでも、新興宗教団体の狂信的な信者で、魔女と森を神として崇めていたらしい。迷惑な話だ。
 魔女は所詮、魔法を使える人間でしかない。そして、魔法は万全ではない。ジェーンが生きているのは――奇蹟。自分ほどの、弱い魔力しかない魔女があんな高等な呪文を繰れるはずがない。だから、ここにこうしてジェーンが生きているのは神の奇蹟。
 アレンはそう思うことにしていた。

 ジェーンがうっすらと目を開き、瞬きを何度か繰り返した。
「気がついた? ジェーン」
 声をかけると、きょろきょろとその部屋を見回し、やっとアレンのほうに顔を向ける。
「良かった……ジェーン、五日間も眠ってたから……」
 アレンが言うと、
「ここ……どこ?」
 不思議そうに尋ね返された。きっと、あの事故の時で記憶が止まっているのだろう。
「ここは病院だよ」
「病院? 病院って……どうして――っ」
 言いかけ、その原因となったあの忌わしい出来事を思い出したらしく、小さな悲鳴をあげる。
「大丈夫。後二ヶ月もしたら退院できるって」
 ジェーンは布団を硬く握り締め、震えている。よほど恐かったのだろう。
「どうして? 私、死んでないの……?」
「……奇跡だよ。神様の慈愛ってやつさ……きっとね……」
 そう、奇蹟としか言いようがない。魔法を使ったのは確かにアレンだったが、アレンにはあんな呪文唱える知識も魔力もない。
 なんとなく雰囲気が気まずくなってしまった。アレンは明るく声をあげる。
「それよりさ、結婚式どうする? 一月後に予約してたやつはキャンセルしたから――」
「え、ちょっと待って、式あげることになってたの?」
 ジェーンは怪我人らしからぬ大きな声を上げる。アレンはじと目で、
「話しただろ、この間」
 ジェーンは多忙の身である。そのため、あの講演会の四日前にやっと一時間だけ暇な時間が取れた時、一緒に昼食を取った。その時に何回目かの結婚式についての話し合いをしたはずだが、ジェーンは嬉しそうに公演内容の最先端テクノロジーの話ばかりしていた。
「この間――って、ああ、あの時……」
 本当に思い出しているのか疑わしい曖昧さでジェーンは頷く。
「やっぱり人の話を聞いてなかったんだね」
 アレンは溜息をつく。気まずいと思ったのか、こんどはジェーンのほうが明るい声で、
「あ、えっと、じゃあ、改めて式の日取りを決めましょうよ」
「……そうだね」
 ジェーンは妙に陽気だ。
「私が退院できるのって二ヶ月後なのよね? そのころは――」
「退院してもしばらくは静養しないとダメだよ」
「静養って、何日くらい?」
「君の怪我だったら最低でも、一ヶ月だね」
 その言葉でジェーンは眉間に皺を寄せる。考え込むときの彼女の癖だ。
「ということは、式は三ヶ月後?」
「そのころって、ジェーンは後援会だの学会だのに忙しい時分だったよね?」
 アレンが尋ねると、ジェーンは首を傾げ、
「そうだったかしら?」
「今回の日取りを決めるのにも半年以上かかったんだって事、覚えてないんだね?」
「……えっと……」
 ジェーンが言葉を詰まらせる。
 別に困らせようと思っていたわけじゃないんだが……。
「心配しないで、ジェーン。僕はどこにもいいかないし、君をどこにも行かせやしないから」
 そう言って、ジェーンを抱きしめる。

――美しい人、あなたは私だけのもの

 まただ。また、頭の中に声が響く。あの事件の日以来、頭の中の声はひどくなった。
「どうしたの? アレン」
「何でもない」
 笑ってみせる。

 コンコン

 ノックの音に二人は、白いドアを見つめる。
 ドアはゆっくりと内側に開けられ、忍び込むようにカイが入ってきた。カイは暗く、思い詰めた顔をしている。アレンはジェーンと顔を見合わせ、声をかけた。
「どうしたんだ? カイ」
 カイは押し黙ったまま、うつむいている。ちらりと顔を上げ、アレンの顔を見たが、すぐに視線をはずす。
「……ごめん、ジェーン。ちょっとでてくる」
 カイの背を押すように、二人は病室から出た。

 中庭まで降り、あたりに人目のないことを確認し、アレンは忌々しいその言葉を吐いた。
「魔女狩りか?」
 その言葉にカイは目を見開き、アレンを見る。
「知って、いるのか?」
 驚愕の表情。
 アレンは微笑みながら、
「魔女には魔女独自の情報ルートがある」
 言って、ベンチに腰を下ろす。
「ただ――」
 大きく溜息をつき、
「ジェーンとの結婚式ができないのが……残念だ」
「……」
 カイはますます顔を曇らせる。友人が魔女だったこと、そして自分が魔女狩りを行っていることが、自分の中で整理できていないのだろう。森と魔女を深く好いていたカイには。
「気にするな、仕方のないことだ」
「だが――」
 カイが声をあげかけるのを遮る。
「言っただろ、仕方の無いことだ。自分が魔女として生を受けた、そのときから覚悟はしている」
「アレン……」
 悲痛な顔。ほとんど無表情のカイにしては珍しい。
「そんな顔するなよ――」

――ルカ

 まただ。
 頭に響く声。

――あなたに永遠の命を……

 何なんだ? 一体……この声は。
「アレン、すまない」
 カイは唇をかみ締め、頭を下げる。

――ルカ、あなたは私のもの
――そんな苦しそうな顔をしないで……

「ルカ――」
「……ルカ? 何のことだアレン?」
 カイはアレンの様子がおかしいことに気づく。
 はっと我に返ったアレンは自分の言葉に恐怖を覚える。自分が自分でなくなる不安感、絶望感。今、初めてそれを自覚する。
 美しい人。ルカ――それが誰のことなのかわからないが、自分の中にいる声は、ジェーンとカイを自分の物だと言った。考えすぎかもしれない、そう思いつつも、アレンは連想を止められない。
 もしかしてこの声がジェーンとカイに引き合わせたのかもしれない。ジェーンを好きになったのも、この声のせいなのかもしれない。
 そう思うと自問せずにはいられない。
 自分はなぜ、ジェーンに惹かれた? 入園して三年間もなんの興味も無かったはずなのに、なぜだ? なぜ、カイと話すようになった? カイは軍人、魔女にとって敵だ。なぜ友達だと自分は言える? どうして自分は……?
「アレン? 大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
 カイに言われ、アレンは顔を上げる。
「行こう……」
「え? ジェーンに別れを――」
「いや、いい」
 カイを追い立てるように、アレンは収容所へと向かった。魔女の墓場と呼ばれている場所へ――。

 アレンが収容所へと送られてきて一ヶ月ほどが過ぎようとしていた。
 収容所は最悪の場所だ。牢屋のように檻によって区切られ、一部屋は最低限の、寝るためだけのスペースがあるだけ。出される食事は不味く、粗末なもの。魔女であると言うだけで、人間は何故これほどまでに無情になれるのだろう。
 月の光は魔力を増強させる働きがあると言われている。そのため、真夜中、切り株へと変えられた森へと連れて行かれる。ほんの三十年程前までそこは、小さいけれど豊かな森だった。その森を破壊したのは人間――。
 その森の跡で魔女達は魔法力を限界まで振り絞り、森を蘇らせるよう力を使わなければならない。けれど、森はなかなか蘇らない。森は……破壊されすぎ、蘇る力を失いつつある。森の声が――豊かな森であれば溢れるような生命の賛歌を歌っている森の声がまったくないのだ。森が生きていれば聞こえる、小さな悲鳴さえこの森では聞くことができない。
「何やってるの! このぐらいの大きさの森、さっさ蘇らせなさい!」
 ヒステリーな金切り声を上げるのはミランダ。厚化粧の嫌味な女だ。魔女を家畜以下の存在としか見ていない。魔女は、森を愛し、森とともに静かに暮らしたいだけ。魔女はただ、魔法が使えるだけ……。
「一体いつまでかかるの!? どうしてこの程度の森を蘇らせられないの!!」
 ミランダは週に何度も収容所へとやってきて、その神経質な声色を響かせる。そんなことをしたって、森を蘇らせる力など魔女にもないということがわからないのだろう。
 昔から魔女は森の為に魔法力を使ってきた。けれど現在の魔女には森を蘇らせるような強力な魔力などない。ただ森の声を聞きながら、雨雲を呼ぶ魔法を使ったり、木々の種を蒔くだけ。それは本当に小さな、努力の日々の繰り返し――。
 魔女が存在することを知る一部の――ミランダのような人間たちは、魔女が森を蘇らせる力を持つ存在であると思い込んでいる。自分たちが破壊し、ズタズタにした森を魔女たちの命に引き換えても蘇らせたいらしい。
 魔女の力で森を蘇らせるという計画を発案したのはこのミランダだと聞いた。当初の計画とは異なり、森が蘇らないことに腹を立て、ミランダは魔女にその苛立ちの矛先を向ける。それは食事を与えられない、眠らせてもらえない、暴力を振るわれる……収容所へ入所して一週間で自分の身に降りかかった災難を数え上げるだけでも、厭になる。
 一ヶ月も経ち、ようやくここの暗黙のルールにも慣れてきた。つまり、ミランダの前では死人のように大人しく、犬のように従順にということだ。それが自分自身を守る、たった一つの方法だ。
 限界ギリギリまで放出した魔力によってもたらされる疲労は、深い深い眠りを誘う。

9.

 魔女がいなくなってしまった世界では、人間が台頭し始め息苦しい社会へと変わってしまった。
 森と呼べるほどの森の姿を見ることすら難しくなってしまった。それでも人間は森を破壊することを止めない。
 幾人かの魔女たちがその酷く破壊された森の為に人間の迫害を恐れず、楽園である結界内からこの魔女にとって地獄でしかない世界へ、森を蘇らせるためにやってくる。だが、私には森などもう、どうでも良かった。

 幼い少年の肉体へ私は移った。少年の精神は私と反発し、少年の持つ膨大な魔力が流出した。それは少年が生まれ育ってきた街を粉々に破壊するほど膨大なものだった。この魔力を持つ肉体を手に入れなければ……少年との葛藤は数年続いたが、私は負け、少年の心の底で細々と生きることになった。それは毎日が現実じみた夢を見ているような状態――。
 少年が十八歳になった年、彼は念願の学園に入園した。
 あの事故で両親も街も失っていた彼には、そこでの生活は楽しいようだった。
 同じ寮の向かいの部屋には軍事科に通う、この国でよく知られた軍人一族の少年がいた。少年は冷たく、全てに絶望し、世界を憎んだような黒い瞳をしていた。
 懐かしい瞳……。
「ルカ」
 私はそっと少年に呼びかけた。
 少年は不思議そうな顔をして辺りを見渡していたがやがて、私の宿り主を探し当てた。
 私の宿り主と少年は、それから言葉を交わすようになり、望んでいた通り、黒髪の少年――カイと親しくなってくれた。
 カイはある日、運命的な出来事をもたらしてくれた。思い出せないほど古き日のあの美しい銀髪を持ち、私の味わった深い深い孤独を夢に見る少女。

――君は私の美しい人……

10.

「ジェーン――」
 ふと目が覚める。薄暗く、狭い小部屋。体中から感じる、大量の魔法を放出した後の疲労感。
「……ここは……収容所、か」
 深い溜息とともに呟く。やはりジェーンには別れの言葉を告げてきたかった。ジェーンもう一度逢いたい。
 人の気配にふと、顔を上げると、

――ルカ

 カイの姿がそこにあった。いつの間に……? 
「ジェーンは元気か?」
 挨拶も交わさず、彼女のことを聞く。
「……ああ、君が軍に拘束されたと知って、僕は怒鳴り散らされた」
 苦しそうにカイは呟く。いまだに家に縛り付けられたままらしい。
「ははは……」
 渇いた笑い声が自分の口から出る。彼女は――
「僕のことを心配してくれているのか」
 カイは奇妙な言葉を聞いたとでも言うように、
「当たり前だろ、ジェーンはお前の婚約者じゃないか」
 カイにしては珍しい感情的な声。
「不安だったんだ。学園で、ジェーンを探しているとお前がいつも側にいた」
 ジェーンはいつでもカイに助けを求めた。ジェーンの姿はいつもカイの側にあった。そして、僕の知らない話をして時々、笑っていた。ジェーンが笑顔を見せるのは僕と……カイだけ。ジェーンにとって特別な存在だったのは、僕だけじゃない。
「……何を言っているんだ……?」
 カイは何も気づいてない。
「僕が一方的に思い込んでいるんじゃないかって、不安だった……」
 ジェーンは僕を選んでくれた。けれど――
「ジェーンは……」
 カイは何かを言いかけたが言いよどみ、
「お前を、ここから逃がす」
「自分が今、何を言ったのか、わかっているのか?」
 カイに尋ねる。今の言葉は、カイらしくない。
「逃がしてやる。これ以上……僕だって辛いんだ」
 なるほど、そうか……友を裏切ったと思っているのか。魔女を捕らえる人間には成り下がりたくないのか。
 アレンの口から空笑いがもれる。
 僕はここにいたほうが良い。確かにジェーンには逢いたいけれど……。なんとなく、それが一番いい気がする。

――ルカ

 あの、頭に響く声が日増しに強くなってくる。自分が自分でなくなるような変な感じ……。
 言葉を選び、カイに語りかける。
「お前の経歴に傷がつく、それに――」
「ジェーンが、自殺しかけた。今回で三度目だ」
 ジェーンが――自殺? 目の前が真っ暗になる。

――美しい人、死なせない。私だけの美しい人……

 アレンはうなだれてしまう。カイは簡単にアレンに脱走ルートの説明をした。
「アレン、ジェーンの元に行ってあげてくれ」
「わかった……」
 僕が低い声で呟いた。
「ありがとう、あなたにとても感謝している……」
「アレン?」
 不思議そうな顔でカイは尋ねかえす。アレンははっと気づいたように顔を上げ、きょろきょろとあたりを見回した。
 なんだ、一体。今、暗い底の方でカイと話をする自分自身を眺めていたような……。
「アレン、大丈夫か?」
 カイの言葉にアレンは首を振り、押し黙った。カイは心配げに振り返りながらも、収容所を後にした。
 
 ■

「どうしよう……」
 アレンは頭を抱える。
 さっきカイと話をしていたとき、あの時、確実に自分ではない瞬間があった。
 ジェーンに会いたい。けれど、そうすれば自分ではなくなってしまうかもしれない。
「どうしたらいいんだ……?」
 アレンはもう一度呟き、毛布に包まった。

 ■■■■■■■■■■

 月のない晩、アレンはカイに教えられたルートで脱走した。脱走するとアレンはすぐにジェーンの入院している病院へと向かった。
 一ヶ月前とは異なり、ジェーンの顔色は良くなっていた。けれど、ジェーンは悪夢を見ているのだろう、眉をひそめ苦しそうにうめき声をあげる。
「君を守ってあげるって約束したのに……」
 魔法をかけようとして、自分にほとんど魔力がないことをアレンは自覚する。収容所で魔力を使いすぎてしまったのだ。これ以上魔法を使うためには寿命を削らなければならない。
 けれど今、力が必要だ。ジェーンを幸福にするために……。

――美しい人

 アレンは無理矢理、魔力を引き出す。肉体がそれに耐え切れず悲鳴をあげる。

――あなたは私のもの。

 あの頭の中に響く声が大きい。
「ジェーン……僕は……」
 呪文を唱え終わり、がっくりとひざをつく。しばらく体を動かすことなどできなかったのだが、やがて、アレンは両手に力を入れてゆっくりと立ち上がる。
 光のない部屋で、幸福な笑みを浮かべて眠る少女の顔。古い記憶、美しいあの人の面影がよぎる。
「美しい人、やっと、あなたは私のもの」
 眠るジェーンの手を取り、その甲に軽い口付けをする。
「長かった……本当に長かった……」
 感慨深げにつぶやき、アレンは低い忍び笑いを漏らす。
 この肉体は魔力を使いすぎ、もう使い物にはならない。あなたを守るためにももっと魔力の強い、新しい肉体が必要だ。
「あなたにふさわしい体を見つけて、きっと戻ってくるから」
 そう言い遺し、アレンは病院を後にした。

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『魔法A』をご覧いただきありがとうございました。

■01/4/2 「 森 」で書ききれなかった、ジェーンの事件を書いた話。当初は「魔法」というタイトルで、一本で書くはずだったのですが、ジェーンが死にかける場面をジェーンの一人称で書きたかったために、分けました。分けようと思ったときにも、ジェーン・アレン・カイの三人の視点で書こうと思っていたのですが……枚数的に多すぎるので、カイの話は削りました。カイの性格を青野が掴みきれていないために、カイを視点とした話は現時点の私には書けないです(汗)
誤字・脱字を訂正、一部書き直してアップしてます。

■03/3/1 改稿。ちょこっと書き直しました。というか、昔の作品(2・3年前ですが)を読み直してみたらギョッとしますね。あまりの日本語の下手さ、表現力の無さに(今もあまり変わってませんが。

2004-04-20 字脱字訂正&日本語がおかしなところを訂正。うーん、後から後から出てくるなぁ……。
2012/01/14 訂正

©2001-2014空色惑星