森

十二月十六日 ガラシャ森林公園跡西部地区

 切り株が、墓石のように散在する荒れ果てた山。それは、この世界では見慣れた景色。
 冬の冷たく、全てを切り裂こうとでもするかのような風が、あたりに声を響かせながら吹き荒れている。そんな中、薄紫色の髪をした旅装姿の女が、一人歩いている。
 その格好は酷く時代遅れで、長い、足首まであるだろうマントは、風にあおられ、激しく波打っている。
 彼女は急いでいる様子もなく、時折立ち止まっては切り株に片手をつき、何か、話し掛けてでもいるかのような素振りを見せる。

 彼女とは少し離れた場所に、濁った緑色の軍服を身にまとった男女がいる。二人は女から身を隠すように立ち、女から片時も目を離さない。鼻眼鏡を掛けた男が黒髪の女に言う。
「今回の任務はあの女を生け捕りにすることだ」
 彼女はその二人の存在に気づく様子もなく、相変わらず、切り株に手をつき話し掛けるような、その不思議な動作を繰り返している。
 黒髪の女は彼女から男へと視線を移す。
「生け捕り? どういうことですか?」
「さあね。上からの命令だよ」
 男は両手を上げ、おどけたしぐさで返答する。
 軍内での妙な噂や秘密にやたら詳しい男が何も知らないわけないだろう、と思いつつも黒髪の女は、
「了解しました」
 身をひるがえし、気配を消して薄紫色の髪の女へと近づいていった。

++++++++++

 冬空には珍しく、空には雲一つなく晴れ渡っている。冬の、乾燥した強い風は、その薄紫色の髪をかき乱し、もてあそぶ。
 彼女が羽織っていたはずのマントは、風に運ばれどこかへと飛んでいってしまった。だが、それを追いかけるような時間は、もうない。
 彼女は、眉間にしわを寄せ、どこからともなく現われた黒髪の女から逃れようと、ふらつく足取りで歩き回る。
 一面、切り株だらけの山。隠れるところなどない。
 彼女はよろめきながらも、歩きつづける。朦朧とする意識の中、それでも声にならない声を絞り出し、切り株に手をつく。
「ラ、ヴィス……トリ……レ、ヴァイラ……ス」
「もういい加減にしたらいかがです? 立っているのも辛いでしょう?」
 黒髪の女は事務的な、感情のこもっていない声で話し掛ける。
 薄紫色の髪をした女のまぶたは重く、声にも眠りのふちへと引きずり込まれている響きがある。だが、それでも切り株に手をつき、不思議な言葉を呟きつづける。
「……モーデ、ゼイラ……ゥン」
「その眠気からは逃れられませんよ」
 それでも眠気と戦いつづける女の姿を見て、黒髪の女はゆっくり、彼女の頭を狙うように片手を掲げた。そのかざした手で、宙に文字でも描き出すかのような動作をし、
「オン」
 掛け声とともに、手から強い光が発生する。その光は一直線に、切り株に手をついていた彼女の頭を直撃した。
 彼女は短い悲鳴をあげると崩れるように、切り株に倒れ込んだ。

++++++++++

「お、もう仕事が終わったのか。まったく優秀なことで……」
 薄紫色の髪の女が崩れこんだのを見計らったかのようなタイミングで、軽口をたたきながら、鼻眼鏡の男――カイはその場に現われた。作戦開始の合図を黒髪の女に与えてから、十五分と経っていない。
 カイは深呼吸でもするかのように両手を大きく広げ、感嘆の声をあげる。
「ほぉ、すごい……彼女、何か言ってなかったか?」
 黒髪の女――サラに尋ねる。サラは小さくうなずきながら、
「はい、小さな声でしたけど……」
「何て言ってたか、覚えてる?」
 サラは無理やり記憶を呼び起こし、
「確か、ラ・ヴィストリ……モーデ、ゼイラゥン……とか……」
 聞き慣れない言葉なので、完全には思い出せない。だが、
「ラヴィストリ・レライヴァス・モーデセイラゥン・ヴァルチデカルト?」
 その言葉にサラはカイの顔を凝視する。彼は何でもないように、
「今の言葉を、精神を集中させて言ってみて?」
 サラは言われたとおり実行する。途端、体中の力が抜け、その場に座り込んでしまった。肩で大きく息をつきながら、カイに尋ねる。
「これ……どういうこと?」
 これまでにも、このようなわけのわからない命令は何度かあった。
 カイは空を仰ぎ見たまま、
「最近、趣味で古代聖書を研究しててね、えっと……『雲よ集まれ、雨を降らせよ、大地を渇きから救うのだ』とでも言うのかな、それが、さっきの『ラヴィストリ・レライヴァス・モーデセイラゥン・ヴァルチデカルト』の意味だよ」
 カイはそこで言葉を切り、考え込む時の癖である、あごに手をあて、眉間に皺を寄せる。
「神様が森を訪れたところ、森が人間の手によって荒れ果ててしまっていた。だから、天に向かって、そう叫んだんだ。すると――」
 カイの声に呼応するかのように空が曇り、土砂降りの雨が激しく地面をたたき始めた。
「こういうふうに、雨が降り始めてね……その雨はただの雨じゃなかったらしくって、森はあっという間に姿を元に戻した」
「……元に……?」
 サラの声に答えるように、カイはゆっくり噛みしめるように、辺りに視線をめぐらせた。
「どこまでも深く、大きな森へと、ね」
 サラはカイと同じように切り株だらけの景色を見渡す。だが、雨に濡れているそれらに変化はない。
「そんなことより、いつまでもこんな冷たい雨に当ってたら風邪ひいちゃうよ。今が冬っだてこと、覚えてる?」
 いつもの調子に戻ったカイは、両手で自分自身を抱きしめるような姿で、軍用車へと向かって小走りにかけていく。サラはカイの背に向かい、申し訳なさそうに声をかけた。
「あの……大佐。私、動けないんですけど……」


十二月二十三日 フェアリア・シティー西【研究所】

 この国の中心である、フェアリア・シティー。通称【都市】と呼ばれている。
 そこから少し西に外れた地に、高い塀と人の出入りが厳しく管理された建物群がある。牢獄ではない。政府機関の一つ、一般に【研究所】と呼ばれているところだ。
 その研究所内の食堂で、遅い昼食を取っている女が一人。青みがかった銀髪のため、実年齢以上に老けて見えるが、まだ四十歳前である。よれよれに着崩れした白衣をまとっている彼女は、この研究所内で一・二を争うほどの実力を持つ研究者である。

 ランチタイムは三時間ほど前に過ぎてしまい、食堂はがらんと人気が無かった。いくらでも座る場所があるというのに、彼女の前の席に腰をかける人物がいた。彼女はちらりと目を上げると、ため息とともに声をあげた。
「あら、お久しぶりね、カイ」
 どうみても二十代にしか見えないカイは口の端を笑みのかたちに曲げ、
「またタマゴサンド? ジェーン、もっと年相応なもの食べたら?」
 その声に、彼女――ジェーンは表情をあらわに言い返す。
「あなたもいいかげんその、童顔、なんとかならない?」
 実年齢より老けて見えるジェーンと、実年齢より若く見えるカイ、二人は見た目ほど歳の差はない。
 ジェーンは研究所内で『能面女』だの『感情がない人形』だのと言われているとは思えないほど、カイの前では人間らしい表情を見せる。
「そのために掛けてるんだけどね……」
 鼻眼鏡を掛けなおし、カイは運んできたインスタントコーヒーに砂糖とミルクをたっぷり入れる。そして、なんでもないこと、例えば天気の話を始めるように、
「この世界について考えたことある?」
 突拍子もなく尋ねる。ジェーンはそれに慣れた様子で、
「さあ、考えたこともないわ」
 口に持っていきかけたサンドイッチを手にとどめ、答える。
 黒と白が混ざり合い溶けあっていくのを見つめながら、ぽつりとカイは言った。
「もう、長くはないよ」
 ジェーンはそっと、サンドイッチとカイの顔を見比べ、サンドイッチを皿に戻すと、
「どうしてそう思うの?」
 声を潜め、体を乗り出して尋ねる。
 彼がこのように話を切り出す時、それは急を要していることだということをジェーンは長い友人として知っている。
 ジェーンが聞く体制をとったのを確認し、カイはふっと笑みを漏らす。絶望の淵にいた人が、小さな幸運を掴んだような……そんな笑み。
「本当に研究のこと以外は何も関心がないんだね」
「それは褒め言葉と受け取らせてもらっておくわ。で、世界が長くないっていうのはどういう意味なの?」
 じっとカイの目を見つめ、問う。カイはコーヒーから顔を上げることなく、
「生態系のバランスって、考えたことある?」
『生態系のバランス』――その言葉をしばらく考えて、ジェーンは首を横に振った。ジェーンがいま研究しているテーマとはまるで関係ない。
 カイはちらっと、何かを探るように顔を上げたが、またコーヒーに目を落し、
「例えば、蜂が絶滅したとする。するとどうなると思う?」
 ジェーンはちょっと考えてから、
「刺される人がいなくなるわね」
 いつだったか『蜂に刺された……』と助手の一人が言っていたのを思い出し、答える。
 その答えに、カイは本当に可笑しそうに笑うと、
「そうか、君は蜂を見たことがないんだね? 蜂は刺すだけじゃない。花の蜜を集めて蜂蜜を作るんだ。そのとき、花が受粉するのを助ける。受粉はわかるよね?」
 ジェーンはむっとした表情で、言い返す。昔からジェーンを相手に、馬鹿にしたような言い方をするのはカイだけだ。
「おしべの花粉をめしべにつけて、種子を作ることでしょ」
「ああ、そこで蜂が絶滅したとする。そうすると、どうなると思う?」
「あなたが望む答えを返すとすれば『花が滅びる』わね」
 考えすぎだと思えるほど極端なこと、それはいつもカイが望む答えに一番近い。
「そう、そして、その花を食料にしていたものが滅び、その花を食料としていたものを食料としていたものが滅び……最終的には、人間が滅びる」
「蜂が滅びるだけで人間が滅びるなんて、いつも以上に飛躍のしすぎね」
 カイはいったい一体何を言いたいのか……ジェーンは考えるが、まだはっきりと見えてこない。
「食物連鎖って知ってるだろ? 今の考え方は決して大げさじゃないと思うけど?」
「……で? 私に何を期待しているのかしら?」
 カイがこのような話をするときはたいてい、何かある。
「『魔女』の世界って知ってる?」
 カイはジェーンの質問に答えることなく、会話を続ける。
「また話が飛躍したわね、そのくらい私でも知ってるわよ。むかーし、昔、大昔に世界には魔女と人間がいました。魔女は森とともに暮らし、人間は森を破壊しました。そのため、怒った魔女と人間の間で大規模な争いがあり、敗れた魔女達はその世界に残っていた一番大きな森に結界を張り、閉じこもってしまいました。めでたしめでたし……」
 少しおどけた様子でジェーンは語ったのだが、カイはそのことには触れることなく、
「その話、どう思う?」
 真面目な顔でそう言った。かなり深刻な頼みごとのようだ。
「……そんな誰でも知ってるおとぎ話って言いたいところだけど……そう考えないと色々不都合なことってかなり多いのよね」
 どんなに科学が発達しても、地球が丸いことが証明できても、地図には載っていない地域がある。普通、『砂漠』として描かれている地域なのだが、本当は誰も行き着けない暗黒の地だ。この研究所員の間では知られた事実だが、一般の人間が知ることは無い。そして、魔女がいたという事実さえも……。
 カイは飲み終えてもまだ、コーヒーカップの底を見ている。そして、なんでもないという風に、
「ああ。あれは本当にあったことなんだ、これはまだ一部の人間しか知らないことなんだけど」
 ジェーンは驚きに目を大きく見開いたが、平常心を装ったまま、
「へえ……で、それがどうかしたの?」
 続きを促す。
「魔女って何だと思う?」
 カイの質問はますます要領を得ない。
『魔女』は『魔女』だ。それ以外の何者でもない。それでもジェーンは頭脳をフル回転させ、答える。
「森を生み出すことのできる人々のことでしょ? 嘘か真実か樹と話せるとか……。それに、政府軍が躍起になって『魔女狩り』してるらしいわね」
『魔女狩り』の話は、『火星の生物』とか、『空飛ぶ謎の円盤』と同じレベルの噂だったのだが――
「やっぱり広まるよな、あんなに派手にやってりゃ」
 カイはぽつりとそう呟く。
「……ってことは、本当に、『魔女』がいるの?」
「ああ。それでだ、政府は密かにって……バレバレだけど、魔女を探し出してるんだ。森を再生するために」
 最後のほうの言葉には忌々しいといった響があった。それに気づき、ジェーンは眉をひそめる。カイはあまり『好き』『嫌い』ということが無い。何事に関しても無関心・無頓着を装い、どんな出来事でも一歩引いて物事を見ている。
「ふぅん。で? まさか、自分たちが森をボロボロに破壊しておいて、今さら魔女に助けを求めてるってことじゃないわよね?」
 カイはまた、渇いた声で笑うと、
「いや、その通りなんだ」
 ジェーンは何も言わずに、口元の手を組み直す。カイは話を続ける。
「いや、全くその通りなんだよ。僕達人間は、こうして文化や科学を発展させるために散々森を破壊してきた。魔女達が森を復興させようとする動きを止めるためにさんざん迫害もしてきた。だが、それがこの結果だ。いまや森なんて呼べるものはもう無い。今さら人間の手では復興できないくらい森は傷ついている。だからだ、森を復興させるために魔女狩りを行っているわけだ。魔女たちの側でもこっちの森の状態を心配してるんだろうね、向こうからこっちへ森を回復させようと来ているんだ。その善良な魔女たちを捕らえて、命を削らせて森を蘇らせようという計画が始まってもう……十年になるかな……」
 カイは辛そうに顔を伏せている。ジェーンはカイを凝視したまま、尋ねた。
「で、私に何をしてほしいの?」
「……結界を張った張本人である『魔王』を説得して、結界を解いてもらいたい。そうすれば、巨大な森と、魔女が現われる……そうすれば、これ以上魔女狩りをする必要性がなくなる」
「どういうこと?」
「飢えた獣たちの目の前に大量の食料を出現させてやれば、獣たちは殺し合いを止めるってことさ」
「……。魔女は生きているわ。彼らはどうなるの?」
 ジェーンの問いかけに、カイは顔をしかめ、
「例えが悪かった。でも、本当に今、必要なことではあるんだ。これ以上先延ばしには出来ないし、今やらなければ破滅するだけだ。
 それで、結界の向こうに行く方法を考えてくれ」
「ちょっと待ってよ……まず、『結界』について研究することから始めなきゃ無理だわ。魔女自体、おとぎ話、もしくは伝説の存在なのに、どうやって結界を破るっていうのよ。雲をつかむ話だわ。それに、私は多忙なの。よく知ってるでしょ?」
「君にならできるだろ? 何しろ天才なんだから」
 こう言えばたいていの場合、彼女はすぐに引き受ける。だが、今回は違った。
 ジェーンは少し乾いたタマゴサンドに手を伸ばし、
「考えとくわ」
 カイは真正面からジェーンの目を見つめ、
「もう、時間はない」
 いつにもない真剣な声。
 ジェーンはサンドイッチを皿の上に置き直し、
「猶予はどのくらい?」
 カイの瞳をまっすぐに見つめ問い掛ける。
「時間がないとしか言えない」
 カイはジェーンの視線を真正面から受け止め、答える。
 ジェーンは大きく息を吐き、
「短期間で、得体の知れない『結界』を破って、その結界を張ってる『魔王』ってわけのわかんない人を説得しろって言うのね?」
「その通り」
「私が天才だからできるだろうって?」
 ジェーンはもう一度大きく息を吐く。
「無茶もいいところね、全く! 私みたいな天才にもできることとできないことがあるわ!」
 カイはその言葉に、にやりと笑い、
「それなら、優秀な助手をつけよう」
「話聞いてる?」
「素晴らしい能力を秘めた『魔女』、だ」
「……マジョ?」
 ジェーンは眉根を寄せ、不審な声をあげる。
 学生時代、ある男がカイのことを『不審な書物を読み漁る怪しい男』と称していた事がふっと頭をよぎる。
「ああ、結界の研究、魔女の研究、魔法の研究には彼女を使えばいい」
 ジェーンはその言葉、『カノジョ』という言葉にどきりとした。『彼女』ということはその魔女は女だということだ……少し、悔しい。カイは誰も、数少ない友人のジェーンでさえも心には触れさせてくれなかったし、弱みを見せることも無かった。そのカイが優しげな瞳をしながら語る『魔女である彼女』
「それならその魔女さんにやらせればいいでしょ」
 放った言葉に刺があったこと。ジェーンは自分自身に驚く。
 それはカイも同じだったらしく、声から柔らかな表情が失せた。
「それはできない。彼女はこっちで生まれて、僕が育てたようなものだ……つまり、魔法をほとんど知らないし、使えないんだ。君の協力なしでは結界を破ることなどできない。それに、彼女は魔女だ。いつ……裏切るとも限らない」
 苦しそうな声。
 ジェーンは自虐的な笑みを見せた。カイはその『彼女』のことをとても気に入っているようだ。それに、こんな重大な事柄をカイが人に任せるのは、ジェーンだけ。
 ジェーンはまた大きくため息を吐いた。
「OK、OK、わかったわ。引き受けさせてもらいましょう。で、その魔女さんはいつから私の助手に来てくれるの?」
「今、外にいる」
 カイは視線を窓の外にやる。
 ジェーンもつられて、窓の外に目をやると、人工的に作り出された植物園の中に、一人の黒髪の女が何をするという風でもなく、寒風吹きすさぶ中、たたずんでいる。
「外……て、雪が舞ってるわよ」
 カイは鼻で笑うと、
「僕もそう言ったんだがね、ほら、植物達に気をとられてしまっているんだよ」
 カイは椅子から立ち上がり、
「待ってて、呼んで来る」
 食堂から出て行った。
 ジェーンは皿のサンドイッチに目をやったが手をつけようとはせず、冷めてしまったレモンティーを一口飲むと、トレイをかたずけた。

「こんにちは、サラ・ワイテットと申します」
 寒さで青白い顔をした女はそう名乗った。
 ヒールのないブーツを履いているのだが、カイに比べずいぶんと背が高い。実際、カイの身長はかなり低いのだが。
 長い黒髪を頭に編みこみ、政府支給の重たそうな軍服をきっちりと身にまとっている。
 ジェーンは握手をしようと片手を差し出しながら、
「私はジェーン・ジニスといいます、あの、」
「彼女はこの研究所、随一の頭脳の持ち主だ。くれぐれも邪魔にならないように博士の研究に協力すること」
 カイは二人の間に割り込み、ジェーンの言葉を遮り、小さな声でジェーンに耳打ちする。
「悪いが、サラは自分が魔女だということを知らないんだ。サラにそのことを教えないでくれ」
 訳ありげなカイの様子に、ジェーンも小さな声で聞き返す。
「どういうこと?」
「君はここで待機、十五分で戻る」
 カイはサラに命令すると、ジェーンを食堂から連れ出した。
 二人は食堂を出ると、すぐ側の誰もいない会議室に入った。
 カイがこのように慌てる姿をジェーンが見るのは、二度目だ。カイは低い声で、
「サラは、自分が魔女だって事を知らない。僕も教える気はない」
「……どういうこと?」
 ジェーンが尋ねるが、カイは押し黙り、酷く辛そうな顔をし、
「サラは、まだ知らない方がいい。サラはまだ二十歳なんだから……」
 搾り出すような声。
「頼む、サラには『実践で使える催眠術の応用』として、魔法を教えている。だから、普段使うことはない」
「でも、いつかは彼女も知ることになるわ」
「……わかってる」
 カイはじっと押し黙る。ジェーンはカイになんと声を掛けたら良いものか解らず、重くなってしまった空気を、吹き飛ばすかのように明るく言った。
「心配しないで。私から話す事はないわ。さ、食堂に戻りましょ」
 カイはうなだれたまま、その場に立ち尽くしている。
「どうしたの? 戻らないの?」
「……僕は、このまま帰るよ。サラに……よろしく伝えてくれ」
「……そう、じゃあ、元気でね」
 何か、他に声を掛けようかと思ったが、
『今はまだ、声を掛けないほうがいい。アイツはプライド高いから……』
 昔、カイが落ち込んでいた時、ジェーンの婚約者だった男はそういって、カイに声を掛けようとしていたジェーンを止めた。そのことが思い出され、ジェーンは声を掛けることなく、会議室を後にした。
 十分ほどでジェーンが食堂に戻ってみると、サラはちょうどミートスパゲティーを口へ運ぼうとしているところだった。だが、サラはジェーンの顔を見ると、慌てた様子で、トレイを片付けようとする。
「別にかまわないから……食べながらでいいわ」
 ジェーンは声をかけると、サラの席の前に座る。サラは不可解そうな顔をしたが、取り合えずといった様子でフォークに巻きつけたスパゲティーを口に入れた。
「彼に育てられたって聞いたんだけど、ご両親は?」
 何気ない調子で、サラに問い掛ける。
 魔女については、伝説・伝承の域をでない段階の話しか知識が無い。しかし、魔女は『遺伝』するという話を聞いたことがある。サラが魔女だということは、両親、もしくはそのどちらかに魔女の血筋があるということだろう。それに……カイに育てられたというのにも興味があった。
 サラは、口の中のスパゲティーを飲み込むと、ゆっくりと話し始めた。
「両親は死にました。私が小さいころです……私を育ててくれた姉が、そう言ってました」
「姉? 姉妹がいるの?」
 サラは考え込むように眉間に皺を寄せ、
「……私はある村で育ちました。田舎の、小さな村です。大佐がその村を訪れた日、村が消えました……私以外、誰も村の人は助かりませんでした」
 話の内容に比べ、サラの様子は淡々としている。
「村が、消えたってどういうこと?」
 ジェーンの問いにサラは肩をすくめ、口の中のスパゲティーを飲み下してから答える。
「『魔女』が……村を消したそうです」
「消したって?」
「わかりません、とにかく跡形もなく消えてしまいました」
 カイがサラに魔女であることを教えないでほしいと言っていた理由……それは、村を消したのと同じ、自分自身も同じ『魔女』であることを知ったら……そういうことなのだろう。
「そう、なの……ごめんなさい。こんなこと聞いてしまって」
「いいえ、別にかまいません。過去の出来事ですから」
 サラはクールに答えると、
「ところで、博士の研究の協力とは何をすればいいのでしょうか?」
 なんでもないことのように、仕事の話に移る。
「そうね……まあ、とりあえず当面は、私の秘書ってことで」
「はい、了解しました」
「あ、それと、その軍隊式の挨拶とか、敬礼とかやめてね。ここは研究所なんだから」
 サラは今まで椅子に坐ってはいるが、直立不動の姿勢で答えていた。
「すいません」
「明日までにはあなたの部屋を用意できると思うけど、今は間に合わせで我慢してね、急だったから。それと……ここの研究所内にいるときは、ここの制服を着てね」
 ジェーンはそう言って、席から立ち上がる。
「仕事は明日からよ。今日は休みだと思って」
 ジェーンは自分の研究室へと引き上げた。
 自室に戻ると、ジェーンは大きくため息を吐く。
「今日は何ていう日なの……」
 引出しの奥から、古い写真を取り出し、見つめる。
 写っているのは若き日のジェーンと婚約者のアレン、そしてまったく変わらないカイ。笑ってなどいないけれど、みな、幸福そうな瞳をしている。
 
 
一月四日 同所

 サラが研究所にやってきて十日ほど経過していた。サラは秘書としても非常に優秀だった。
 ジェーンの研究室は、秘書には働き甲斐のある職場だった。なにせ、片付けるという言葉が存在していない空間なのだから。
 昼休み、久しぶりに自分の研究室へ足を踏み入れたジェーンは目を疑った。
「よくもここまで片付けられたものねぇ」
「いえ、まだまだです……」
 サラはぎくりとした顔で、後ろ手にそわそわとしている。
「なに、どうかしたの?」
「え、あの、すいません。あの、これは……」
 おどおどとした様子のサラの手にあるのは、あの古い写真。
「昔の写真よ」
 ジェーンは複雑な笑みを浮かべると静かに、椅子に腰を下ろした。
「そこに写っているのは、私とカイと私の婚約者だったアレン」
「博士は大佐と昔から知り合いだったのですか?」
 驚いた声を上げるサラに、
「ええ。私達、学友なの。カイ、昔とまるで変わってないでしょ?」
「はい」
 不思議そうな顔をして、サラが頷く。
「その写真はね、ある事件が起こる前に撮ったものだったの。三人で写した、最初で最後の写真……」
 ジェーンは小さくため息をつく。
「その写真を写した数時間後、私は命にかかわるほどの大怪我を負ったの。その時、私を助けてくれたのがアレンだった。その当時の医療では絶対に助からない重症だった私を……」
「……?」
「そして、アレンはその後、どう考えてもでっち上げられた罪状で軍に拘束されて……帰って来なかった」
 ジェーンは顔をあげ、サラを見つめた。
「そのときアレンを連れて行ったのが、カイだった」
「大佐が……」
「私もアレンも、カイの友人だった。そして、誰もアレンを救うすべを持っていなかった……」
 言って悲しげにため息をつき、考え込む。
 たぶんその頃からだろう、カイが年を取らなくなったのは。それはまるで魔法のよう。
 けれど、カイはこの国で有名な軍人一家の者だ。これ以上ないというくらい、出生がはっきりしている。カイが魔女の血を引いている可能性は、ない。けれど――
「すいません」
 黙り込んだジェーンにサラはなんと言っていいかわからず、謝った。
 ジェーンははっと顔を上げ、
「あ、いえ、いいの。別に隠してることじゃないし……それにあなたには、聞いて欲しかった」
「どうしてです?」
 サラが不思議そうな顔をする。ジェーンはサラの顔を見ることなく、部屋を出てゆく。
「どうしてかしらね……さ、そんなことよりお昼にしましょ」

 ジェーンの研究は、彼女が言うには順調に進んでいた。
『結界』とは、ある種のエネルギー体によって作られている、という某博士の理論を元に、一瞬で莫大なエネルギーを発生させて結界に穴をこじ開け、それと同時に結界内に侵入する――そのための装置を作り上げることを目標として。
 
 
八月十三日 フェアリア・シティー南【要塞】

 カイは廊下から、外の景色を眺めていた。季節は、冬から夏へと移り変わっていた。けれど、荒れ果てた地に、季節を感じさせるようなものはほとんどない。
 部下であるサラにも、彼はあれから会いに行くこともなかった。
 そこへ、いつも薄笑いを浮かべた厚化粧の女が現われた。カイの上官であるミランダだ。
「カイ、面白い噂を聞いたわ」
 彼女がこういう表情をしているときは、ろくなことがない。
「あなたの可愛い部下のサラちゃんが魔女だっていうの」
 カイの表情を読み取ろうと、口元には笑いを浮かべながらも、鋭い視線を向ける。
「……彼女の才能を妬んだ奴らの言ってることだ」
 カイは、注意深く答える。
「そうは思ってみたんだけど……調べてみたの。あの子のこと……」
 そうは言うが、ミランダのことだ。噂を聞いた時点で、徹底的にサラについて調べあげたのだろう。そして、こうした話をカイにするということは、サラにはもう手が回っている、逃がすことなどできないというところだろう。
 カイは暗い瞳をじっと窓の外に向ける。
 ミランダは口元に薄笑いを浮かべたまま、
「あの子、魔女ね?」
 言って、カイの顔色をうかがい見る。カイは眉根一つ動かさなかったが、ミランダは嫌な笑みを浮かべ、
「カイ、私たちの仕事……わかっているわよね?」
 言い聞かせるような口調。
「わかっているよ、よく……ね」
 僕たちの仕事は、魔女を捕らえ、彼女たちの力で森を蘇らせること。人間が消滅させた森を、魔女の命と引き換えに……。
「そう、ならいいの。私の部下を向かわせたから、あと半時ほどすれば、今年で三十六人目の魔女がここに連行されるわ。私の昇進は、約束されたも同じね……」
 半時――研究所までここから車で半時ほどかかるのだから、たった今、サラが捕らえられているのだろう。
 ミランダが高笑いと共に去ってゆくと、カイは拳を壁に叩きつけた。
 
++++++++++
 
「カイ、私が魔女だってどういうことですか?!」
 巨大だが無機質な部屋に拘束されて連れてこられたサラが、カイに噛み付くように怒鳴る。カイは、何も答えない。
「カイ!」
 サラはカイに詰め寄ろうとするが、サラは両腕を拘束するミランダの部下たちによって、床に押さえつけられる。
「……くっ、放して!」
 ミランダは嫌な薄笑いを顔に張り付かせ、カイをじっと見つめるサラの顎に手をかけ、自分の方へと向かせる。
「カイはねぇ、あなたを利用していただけなの」
 ミランダが、薄笑いを浮かべた顔でサラに話し掛ける。
「お嬢ちゃん、人間なんて信用するものじゃないわ。裏切られるだけよ」
 ミランダは薄笑いを絶やさない。
「カイ……?」
 サラはおどおどとカイを見上げる。
 カイはその視線から逃れるように顔をそむけ、
「確かに、僕は……君をずっと騙していた」
 カイは静かに言う。その言葉に、ミランダは勝ち誇ったような笑みを浮かべ、
「ほぅらね。こっちへいらっしゃいお嬢ちゃん、あなたのお仕事が待っているわ」
 カイの言葉に放心していたサラは、ミランダの言葉をなぞる。
「シ、ゴト?」
「そう、仕事。あなたも他の『魔女』と同じように森を蘇らせなくてはならないわ」
 ミランダの優しさの欠片もない瞳にさらされ、サラは自分自身を取り戻す。
「それは……私に、死ねってこと……?」
『魔女』として【収容所】へ入れられた人々が、どのような目にあっているかは最下部で『魔女狩り』に参加しているサラにも、噂に聞いている。魔女たちは四六時中、森を蘇らせるための魔法を使い、魔力を消耗しきって死んでしまうという。
 ミランダは嬉しそうに、サラの耳元で囁く。
「そうよ、そのためにカイはあなたを育ててきたんだから」
「そうなの、カイ!?」
 カイの答えは無い。
「何とか、何とか言ってよ……カイ!」
 感情を押し込むようにうつむき、サラは下唇をぐっと噛む。
「……彼女の、言うとおりだ。僕は今まで君を……」
 カイもサラと同じように感情を押し殺した声を出す。
「ほら、もういいでしょ、お嬢ちゃん。お仕事をしましょうね」
 ミランダはサラを拘束している部下と共に部屋を後にする。
「カイ! カイ!! カイィィィ……」
 部屋を後にするとき、サラが部屋に連れこまれてから一度も目を合わせようともしなかったカイが、すがるような視線をサラに向けた。サラは、カイの名を呼ぶことを止め、カイの顔を空虚な瞳で見つめ返した。
 カイは、誰もいなくなった部屋で、両手を硬く握り締め、悔しそうに呟いた。
「僕は……」


八月二十日 同所

「カイ、これでいいの?」
 ジェーンは尋ねた。
 サラが研究所から連行されて一週間が経った。
 それがどういう事なのか、予感はあった。アレンのときと同じだったから。
 ジェーンは何の連絡もよこさないカイに痺れを切らし、彼のもとを訪れていた。
 カイは何も答えない。
「これでいいの? サラちゃんが死んでもいいの?」
 ジェーンは追い討ちを掛けるように、尋ねる。
「……どうしようもない」
 暗く、絶望を含んだカイの声に、ジェーンは大きくため息をつき、
「私はそういう答えが聞きたいんじゃないわ、彼女が死んでも良いのかって聞いてるの。YESかNOかで答えて」
 カイがふっと顔を上げた。真剣なジェーンの瞳がカイを見つめている。
「……僕個人の意見を聞いてる?」
 カイの問いに、ジェーンは大きくうなずく。
「そうよ」
「……NOに、決まってるだろ」
 カイは観念した顔で、小さな声で答えた。ジェーンは微笑み、
「その答えが聞きたかったの。さあ、サラを私のもとへ連れてきて。向こうの世界へ行くわ」
 カイはうつむいていた顔をゆっくりと上げ、ジェーンを見た。ジェーンは微笑を崩さず、
「完成したの――理論上ではね。試験運転なんてしてるほど悠長なことはしてられない、でしょ?」
「……」
「大丈夫よ。私、天才なんだから。カイ、あなたも連れて行きたいけど……そういうわけにもいかないんでしょ?」
 カイは、軍部でも高い地位にいる。
 あの頃、学園にいた頃、ジェーンもアレンもカイが軍人になるなど考えたこともなかった。
 確かにカイは学園時代に軍人科に在籍していたけれど、それは軍人一家に生まれたために、本人の意思とは関係なく入れられているんだと思っていた。それなのに、である。今では上から数えた方が早い……そんな一握りの人間しか上れない地位にカイはいる。
 だからジェーンは思うのだ。きっとカイには何らかの考えがあってのことだろうと。 
「ありがとう、僕のことは心配要らないよ」
 弱々しい笑みを見せながらカイは言った。ジェーンの考えは当っていたらしい。
 ジェーンは沈む雰囲気を振り払うように、明るく言った。
「心配なんてしないわよ。あなたは、心配するほど弱い存在じゃないでしょ?」
「そうだね……」
 カイは気弱な笑みを浮かべる。が、ジェーンはそれに気づきもしないといった風に、
「ほら、早く彼女を連れてきてくれる?」
 カイを追い立てる。
「心配しないで、私は天才なんだから」
 茶化すようにいい、
「私は研究所で待ってるから!」
 その部屋を後にする。
 研究所へ戻るため、待たせていた研究所専用の車にジェーンは乗り込む。
 先ほどまでカイと会談していた部屋の窓をジェーンは見上げた。カイの姿は見えない。長年友人として付き合ってきた自分が、もしアレンやサラのように連行されてもカイはあれほど落ち込むことは無いだろう……もやもやとした複雑な気分……まだ二十歳だというサラの存在はカイにとって……。
「ああ、もう!」
 ジェーンは固く拳を握り締め、前シートを殴りつけた。

 サラが監禁されている独房へミランダが訪れていた。
 彼女は人を見下した、馬鹿にしきった薄笑いを浮かべている。
「どうしたの? 今さらカイを信じてるって顔して」
 一度に大量の魔力を使わされたことで、サラの体は疲弊しきっていた。サラは弱々しく、ベットともいえないような粗末な敷物の上から身を起こし、ミランダを睨みつける。
「そんなこと……ありません」
「そう、それならいいんだけど。で、私の質問に答えてくれないかしら。あなた、カイ・グラントとどういう関係なのかしら……?」
「何度も言いますが、ただの上司と部下です。それ以上の関係はありません」
「本当に?」
 ミランダが問う。
 誰にも心を開かず、部下を何度も変えている男が、自分から指名して部下にした女。その女はどこからかカイに拾われてきて、育てられた。そして、その女は魔女だった。
 何かある、とミランダの中で告げる声がある。カイの弱み、カイの秘密をこのサラという女は必ず握っている。
「質問の意図はなんですか?」
 そう言うサラの瞳は強い光をたたえている。こちらに屈した様子は微塵もない。
 まだまだいじめがいがあるようね。
 ミランダは薄笑いを浮かべ、
「意図なんてないわよ、ただの好奇心。でも、素直に答えたほうが――」
「それならば答える必要はありません」
 ミランダの言葉を遮るようにサラがかたくなな声を上げる。ミランダの顔に一瞬、怒りの表情が現われたが、
「ゆっくり休んでね。魔女のお嬢ちゃん」
 いつもの、薄笑いの表情に戻ると、扉を開けて出て行った。
 ミランダが出てゆくと扉は固く閉ざされ、外からは何重もの鍵がおろされる音がした。
 明かり取りようの窓と、一枚の毛布があるだけの、後は何もない、小さな部屋。囚人よりも扱いは悪い。
 サラはじっと、輝く星空を見上げ、いつのまにか眠りに落ちる――。
 
 
八月二十一日 同所

 夜明け前。
 激しく揺さぶられ、サラは深い眠りの底から引き戻された。
「……ろ、起きろ、おい、起きろ」
 押し殺した声。でも、聞き覚えのある……。
 サラはうっすらと目をあける。
「カ、イ?」
「ここを出るぞ」
 サラが目を覚ましたことがわかると、声の主はサラから離れた。
「……どうしてですか?」
 サラは、不審な声をあげる。
 沈黙の後、声の主は答えた。
「君を、救いたい」
「どうして?」
「殺されたいのか?」
 サラの問いに、怒ったような声で答える。
「早くしろ!」
 それはいつものカイだ。彼女が魔女として捕まってからのカイではない。サラが十数年見てきた身勝手で、でもどこか優しいカイ。
「了解しました」
 いつもクールなサラの目に、うっすらと涙が浮かぶ。
 
 
同日 フェアリア・シティー西【研究所】

 辺りは夜も白み始め、一番鳥が鳴く時刻にさしかかろうとしていた。
「だいぶやつれたわね、サラ」
 逃亡者二人をジェーンが出迎える。
「……博士? どうして……」
「質問は後よ。すぐに、飛ぶわ」
 言って、サラを直径二メートルはあろうかという、ボール状のものに押し込む。
 サラをその中に押し込んでしまうと、ジェーンは無言でカイに頷き、レバーやボタン、スイッチを触り始める。
「このまま海外にでも高飛びって方が、駆け落ちした二人にはお似合いなんだろうけどね……」
 何も言葉を発さないカイにジェーンはニヤニヤ笑いながら声をかける。
「な、何を――」
 慌てふためくカイの様子にジェーンは笑い、
「冗談よ。後は、このスイッチを入れるだけ。頼むわね、カイ」
 後ろを振り向くことなく、サラを押し込んだのと同じ、ボール状の物体に乗り込む。
 カイはゆっくりと、そのスイッチに手を掛けた。

 機械の軋む音――。

 ボールはゆっくりと発射台へ装てんされる。作り物めいた、カウントダウンの声。

『十、九、八……』

 計器類は針を振り切り、異常なエネルギーの高まりを知らせている。

『……六、五、四……』

 研究所は光にあふれていた、エネルギーの出す光に――。
 莫大なエネルギーの束が、渦を巻き、

『……二、一、発射します』

 ボールは弾丸のように発射された――光の渦を追うように。

 カイは、それを見届けると、静かに研究所を後にした。

***

「ぐっ……」
 わけもわからず押し込められたサラは、弱りきった肉体に押し寄せる重圧に意識を失いかけていた。自分の体が自分のものではないように、重く、苦しい。
 それは、壁に衝突することに似ていた。壁に衝突しつづけている、そんな感じだ。
 それが、どれほど続いたのか……サラは、ゆっくりと目を開けた。体は自由を取り戻し、自分の肉体であることを実感させてくれる。
「……一体なんなの……」
 押し込められていたボールから、無理やり這い出し、あたりを見渡す。三メートルほど離れたところに、同じ物体が地面にめり込んでいる。
「博士、博士、」
 ボールに近づき、外から叩く。丸い硝子の内側にジェーンの姿はあるが、気絶しているらしい。
「博士!」
 何度も扉を叩いているうち、扉の開錠スイッチに手が当たったらしく、シュゥンと音を立て、扉が開く。
「博士、ジェーンさん!」
 頬を叩く。数度続けているうち、ジェーンも気づく。
「……ん……んん……着いたみたいね」
「あの、ここは……」
「魔女の世界……のはず」
「魔女の世界?」
 ジェーンは這い出してきたボールからパソコンを取り出し、指をはわせる。
「さっすが天才! 計算通りね」
「あの、博士、魔女の世界って?」
「ちょっと待ってね――」
 画面から目を離さない。
「あの、『魔女の世界』って何のことです?」
 サラの声にジェーンは手を止め、
「だから、魔女の世界って……知ってるでしょ?」
 顔を上げる。おとぎばなしや童話としてとても有名な話だ。
「……なんのことですか?」
 サラは不思議そうな顔をしている。
 カイは魔女の存在について、一から十までサラから遠ざけていたのだろうか。
 ジェーンしばらく考え込み、
「ええっとね、むかーし、昔、大昔のことです。世界には、魔法の使える『魔女』と魔法の使えない『人間』がいました。魔女は森とともに生きていました。人間は、森を開拓することで生きていました。となると当然、魔女と人間は対立していたわけです。
 人間が急速に文明を発達させ、魔法に取って代わる力――科学力を生み出しました。そのために森はものすごい勢いで切り崩され、森を守ろうとする魔女は迫害され始めました。
 当然、魔女たちは怒ります。そこで、一部の魔女たちが人間の文明を破壊するために、テロ行為を行い始めました。これが魔女と人間との戦争の始まりでした。もともと多くの魔女たちは温和だったのですが、人間が魔女であれば老人から子供までを魔女狩りで見つけ出し、テロ行為に何ら関係のない魔女達まで見せしめのように残虐に殺しました。そのため、魔女たちは世界を二つに分け、中に閉じこもってしまいました……ま、だいたいこんな物語なんだけれど、聞いたことないかしら?」
 サラに尋ねる。サラは心なしか青ざめた顔をし、ジェーンに尋ねた。
「あの、魔女が森とともに生きるってどういうことですか?」
 ジェーンは考え込み、
「『水を得た魚』って言葉、わかるかしら? あれと一緒よ。魚が水の中で生きるように魔女たちは森の中で生きるってこと」
「では、世界を二つに分けたとは?」
 ジェーンはサラの問いに答えるが、魔女の話はどこまでも伝説・伝承の域を出ない話でしかない。
「その当時、世界に残っていた一番大きな森に魔女たちが結界を張ったのよ。これ以上、森を壊されないようにね。
 けれど、結界の中に引きこもったはずの魔女たちは時々出てきて、森を蘇らせようとしているの。そんな魔女たちを捕らえて、政府は自分たちの都合よく森を回復させようとしていたみたいね。
 魔女たちは自分たちの力の及ぶ範囲で森が蘇るように力を使ってたみたいなんだけれど、あなたならわかるでしょ? 数年がかりなんてそんな悠長なことをしていられるほど時間は残されて無いのよ。
 だから、政府は魔女たちに命を削るほどの魔力を使わせて、森を短期間で蘇らせようとしているみたいなの……」
 サラは青い顔をして聞いている。
「酷い話だって思うでしょ? でもね、人間だって森がないと生きていけないの。でも、魔女たちはどこでもかしこでも、今では町となっている場所の森までも蘇らせようってするんだから、手に負えないのよ」
「……あの、散歩してきてもいいですか。ちょっと一人で考えたいんです」
 ジェーンはちらりとサラの顔を見る。体調は良くなさそうだが、今は引き止め無いほうが良いだろう。
「どうぞ。でも、夕食時までには戻ってきてね。私、食事なんて作れないから」
「わかりました……」
 サラは森の中へと消えていった。
 ジェーンはその後姿を見ていたが……小さく呟いた。
「あなたが決めればいいわ、サラちゃん。こんな人間でも救ってくれるのか、それとも――」
 その言葉の先をささやくように、ジェーンの頭上の木々がざわめいた。



 森が、生きている。
 風が、光が、森の美しさを賛美している。
 涙があふれる――喜びで、幸せで胸があふれる。
 こんなふうに感じるのは私が魔女だから、だろうか……?
 森の中を彷徨いながら、サラは考えていた。この半年ほどの間に身に起こった事を。
 人間の世界が滅びかけていることを知り、自分が魔女であることがわかった。
 今まで人間として育てられ、一介の軍人として過ごしてきた。けれど魔女だとわかった途端、全てを否定されてしまった。これから自分はどうすればいいのか……。

 ザワ――

「誰!」
 茂みの奥に鋭い視線を向け、戦闘体制をとる。人の気配にすばやく反応する――軍人として身に付けてきた癖。サラが眼を向けた方向から、一人の少女が姿をみせた。
 サラは自分自身の体に染み付いた軍人体質に、呆れたように笑みを浮かべ、少女に優しく声を掛けた。
「ごめんなさい。私は、サラ。あなたは?」
 少女は怯えたような表情を見せていたが、やがて
「わ、私はレイチェル」
 小さな声で答える。サラのことが恐いのか声が震えている。
 サラはレイチェルに不安を与えないよう、少女に近づくことなく、優しい声で尋ねる。
「そう、レイチェル、ここはなんというところ?」
「ここは、魔王の森」
「魔王の、森?」
「魔女の世界と、人間の世界をわけているところ」 
 魔女の世界と人間の世界を分けている所……博士が言っていた計算通りとはこのことだったのだろうか。
 サラが何も尋ねないので、レイチェルがサラに質問をする。
「あなた、人間の世界から来たんでしょ?」
「どうして……そう思うの?」
「だって、森の匂いがしないもの」
 レイチェルは森の奥へとかけていく。
「待って!」
 サラが声を掛けるが、レイチェルは振り向くことなく、緑の中に消えていった。

 サラが散歩から戻ってみると、野外キャンプ用品が、少し開けた場所に積み上げられていた。
「あの、もしかして、これ、全部あのボールの中に入っていたんですか?」
 木陰でコンピュータをいじっているジェーンに尋ねる。
「ええ、用意がいいでしょ? 今夜はシチューがいいわ」
 子供みたいな料理をジェーンは好む。タマゴサンド、シチュー、カレー……。
 サラは口の端に、笑みを浮かべ、夕食の準備に取り掛かり――
「あの、博士。穀物類がないようなのですが」
 食品を確認するが、米もパンもパスタも一切ない。
「……忘れてた」
 コンピュータから顔を上げ、ジェーンは呆然とした表情で呟く。
 サラはジェーンのその様子に笑いを押し込め、
「近くに人家があるようなので、そこでもらってきます」
 深い森だが、レイチェルのような少女がいたのだから、この近くに人家なり村なりあるはず。

 吸い込まれそうなほどの生命力に圧倒されながら、サラは森を彷徨う。人間の世界にはもう存在しない、森。
「サラ――」
 小さな、小さな声。
 サラが辺りを見回すと、木陰に隠れるようにレイチェルが立っていた。
「よかった、お願いがあるの。穀物を少し、わけてくれない?」
 レイチェルはサラの話など聞こえなかったかのように
「サラは『魔女』だよね……?」
 サラに尋ねる。サラは、ゆっくりと頷きながら、
「……ええ、確かに私は『魔女』よ」
「どうやって力を抑えたの?」
 レイチェルにとって、とても重要な問いらしく、真剣な眼差しでサラが答えるのを待っている。
「……力を抑えるって?」
「どうして、生きていられるの?」
 サラは首を振り、
「……何を言っているのかわからないわ、どういう事なの?」
 レイチェルは背を向けると、森の奥へと駆けていった。



 ジェーンは席に座り、夕食を用意するサラに声を掛ける。
「おいしそうなシチューね」
「すいません、穀物を入手できなくて」
 サラは申し訳なさそうに、言った。
 ジェーンはスプーンにシチューをすくい、
「別にかまわないわ、生きていけないわけじゃないし。それより、散歩、どうだった?」
 サラが席に座った所で、話し掛ける。
「レイチェルという、少女に会いました。ここは『魔王の森』というところだそうです。『魔女の世界』と『人間の世界』を分けているところだと……」
 ジェーンは口の中のシチューを飲み下しながら、頷いた。
「あの、どういうことなんでしょうか?」
 サラは食事に手をつけることなく、ジェーンに尋ねる。
 ジェーンは食べかけたのをやめ、
「どういうことって?」
「『魔女の世界』とか、『魔王の森』とか、まるで」
「おとぎ話のようだって、言いたいんでしょ? でも、これは現実よ」
 ふわり、ジェーンは微笑む。
「そうね、もう少し詳しく話すわ。世界を分けたのは『魔王』って呼ばれている一人の魔女らしいの。……魔法を使えるのは女が多いってことは知ってるわよね?」
「そうなんですか?」
 サラはたずね返す。
 本当に魔女についての基礎の基礎もサラは知らないのだと、ジェーンは溜息をつく。
「魔法を使える人のことを『魔女』って呼んでるのは女が多いからなの。ええっと、話を続けるけど、その『魔王』――って言っても今は張本人から何十代目かだろうけど――が、むかーし、昔、大昔にね、三人の精霊とともに結界を張ったのよ」
「へえ、」
「『へえ』じゃなくて、ここが『魔王の森』ってことは森の中心部なの」
「中心部?」
「えっと、だから――」
 コップに指を浸し、テーブルの上に水で図を描く。
 その図は、色の三原色の図に似ていた。
「ほら、こんな感じで、三つの円――これは『精霊の森』と言われているんだけれど、この三つの円が交差した中心が『魔王の森』なの。この四点の中心で結界を張ったみたいなの」
「へえ、」
「で、私たちがここにきた目的だけど……」
「目的?」
 サラは聞き返す。
「ええ。カイからは本当に何も聞いてないのね。私たちは魔王を説得して世界を一つにするため――つまり、世界をもとに戻すために来たの」
「……どういうことですか?」
 サラは眉間に皺を寄せる。考え込む時の癖、無意識的なその仕草は……。
 ジェーンは首を振り、サラに問い掛ける。
「魔女がなぜ魔法を使うかは――わかる?」
『魔女』であるサラに尋ねる。なんとなく、無意識下で理解しているのではないかと思いつつ。
「いいえ」
「魔女たちが魔法を使うっていうことは、歌手が歌を歌うとか、絵描きが絵を描くとかいったような……自然の摂理ってことらしいのね。
 魔女が魔法を使えば、森が活性化する……森が蘇るといわれているのはこのせいね。けれど魔法を使いすぎれば森は死んでしまう。つまり、魔法ってのは森にとって滋養強壮剤みたいなものね」
 ジェーンはカイから教わった魔女についての知識を疲労する。
「魔女の世界は森を開拓することなんてないから、森が成長しすぎてしまっているの」
 言って、あたりの木々を見渡す。サラもそれにつられるように見る。深い深い森。月や、星の輝きも木々に遮られて見えない。
「魔女は森を開拓することなんて無いの、魔女たちには木々を傷つけることなんてできないから。だから魔女達は成長しすぎた森の中で、これ以上魔法が使えなくなってしまったみたいなの。だから、一部の魔女達が魔法を使うため、森を蘇らせるために人間の世界に来てたみたいなの」
 サラは熱心に耳を傾けている。
「魔女は森がなければ生きられないけれど、成長しきった森では魔法を使えない――魔法を使えない魔女は自らの力に取り込まれて死んでしまうらしいわ。
 人間は森を壊す、けれど森がなければ生きていけないし、もう森を蘇らせる力もない。魔女にとっても、人間にとっても協調して生きていくのが一番良いのよ」
「……」
 サラの沈黙を破るように、ジェーンは強く言い切った。
「だから……魔王を説得して世界を一つにするの!」

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