森

八月二十二日 魔王の森

 朝。森は鳥の鳴き声で騒がしい。
 サラが朝食の用意をしているときだった。
「おはよう、サラさん」
 森のように、深く静かな声。
 ジェーンではない。そして、レイチェルでも。サラはゆっくりとその声の主を見つめ、
「おはようございます。あなたは……?」
 暗いダークグリーンの髪と同じ色の眼をした、色白の女は微笑みながら、
「私のこと、お探しでしょ?」
 言われ、サラは気付く。
「――魔王?」
 唖然とした表情を浮かべるサラに対し、静かに肯定の意をこめて頭を下げる。
「初めまして、サラさん。人間の世界からどうやって来たんです?」
 サラは一つ呼吸を整えると、
「科学です」
「科学? ああ……人間の力ですね。それで、こちらに何の用なのですか?」
 物腰は静かだが、魔王の言葉は厳しい。
 サラは魔王に負けないよう、顔を上げ、真正面から魔王の視線を受け止め、答える。
「結界を解いてほしいのです」
「どうして?」
 魔王は悲しそうに言った。
「人間の世界の森は、もう……だから、結界を解いて森を蘇らせてほしいのです」
「それは人間がしたことでしょう? 人間がどうにかすれば済む話なのではないですか?」
「それはそうですが、もう、そんな段階ではないのです」
「……けれど、魔女には関係のない話ではあるでしょう? 人間は私たちを迫害した。そして、森は自分たちが壊してしまった。どうして、今さら魔女に助けを求められるのです? 魔女はやっと平安な暮らしをできるようになったというのに」
 魔王は、そう言い残すと森の奥へと消えた。

 ジェーンが目を覚ますと、いつもならすでに用意されている朝食はなく、サラは机に肘をつき、難しい顔をしていた。
「おはよう、サラ。どうしたの?」
「……博士、どうしても世界を一つにする必要性があるのでしょうか」
「どうしてそんなことを言い出すの? 最初に説明したでしょ。向こうの――」
「わかっています。人間も魔女も森も、みんな助け合って生きていった方がいいということは。けれど、人間は魔女迫害し、森も痛めつけてきたんですよ」
「誰かに何か、言われたのね」
 ジェーンは大きくため息をつき、
「確かに、取り返しのつかないことをしてきたわ。いっぱいね。魔女たちを捕まえて、森を蘇らせるための研究材料にしたり、森自体、文明発展のため、いいえ、人間のエゴイズムのために破壊のかぎりを尽くしたわ。
 そして今、都合のいいことばかり言って、こっちの世界の魔女たちに協力を仰ごうとしている。本当に都合のいいことにね、でも、本当に彼女たちの力が必要なのよ。だって、向こうの世界の森はもう……」
 つむぐ言葉をなくし、ジェーンは声を詰まらせる。あまりにも都合が良すぎ、腹立たしい。
「私たちがしてきたことですよ。私たちが罪を償うべきではないですか?」
 サラは『私たち』といった。『人間たち』ではなく。ジェーンはそのことに、なんだかほっとし、冷静になる。
「もう、そんなレベルの話じゃなくなっているのよ。わかっているでしょ、サラ。向こうの森の状態を、いいえ、あれはもう森とも呼べない」
「わかっています、私だって。でも、人間の好き勝手で森を破壊しておいて、今さら」
「じゃあ聞くけど、あなたはどうしたいの? 向こうの森を放っておけって言うの? それじゃあ、人間は滅んでしまう」
「私はそんなことは言っってません! ただ……」
 サラは言葉を詰まらせる。
「あなたが言っているのはそういうことよ」
 キツイ調子で声をかける。
「人間が滅ぶか、両者共倒れになるか――道は二つに一つよ。それはあなたが決めなさい」
 ジェーンはサラから離れてゆく。
「一つ言っておくけど、もう時間はないわよ」
「……どのくらい残っているんですか?」
 サラは去りゆくジェーンを見つめ、尋ねる。ジェーンは振り向くことなく答えた。
「私とあなたが始めてあったとき、カイがもう長くないと言ってたわ」
 サラは一人、その場に取り残された。
 
 昼が過ぎた。昼食にもジェーンは姿をあらわさなかった。サラがジェーンの行方を心配し始めた頃だった。
「サラ……」
 レイチェルの声。サラが辺りを見渡すと、昨日と同じように木陰に隠れるように、レイチェルが立っている。
「おはよう、レイチェル。どうしたの?」
 小さな、消え入りそうな声でレイチェルは話す。
「魔王様、来た?」
「ええ、来たわよ」
「結界、解くって言ってた?」
「……いいえ、レイチェルは解いてほしいの?」
「……森のない世界は嫌い。でも……」
「でも?」
 返答はかえってこない。サラは立ち上がり、レイチェルのいたところに近づいてゆく。
「レイチェル、どうしたの? 大丈夫?」
 レイチェルは青い顔をして倒れていた。そっと抱え起こし、
「サラ……お願い、私の魔力を、取って……」
 衰弱しているのか、声にも気力がない。病気、ではなく、魔力に取り込まれている状態なのだろう。サラはどうしようもなく、レイチェルに無意味な声を掛ける。
「お願い……早く……」
 レイチェルは遠のいてゆく意識の中、サラに訴える。
 治す方法――昨日、ジェーンが言っていた言葉を思い出す。
「魔法を使えば――」
 はっと気づく。ジェーンが言っていたではないか。成長しきった森で魔法を使えば森が壊れると……。魔女は森と共に生きる、だから、森を傷つけるようなことは絶対にしない、と。
 サラはどうしようもなく、レイチェルに励ましの声を掛けつづける。
「やはりここだったか」
 ふいに背後から男の声がした。レイチェルにどことなく似た中年の男がサラ達から十メートルほど離れた木陰に立っている。
 男は無遠慮にサラ達に近づいてくると、レイチェルを抱き上げ、
「この子に変なことを教えないでくれ。助からないんだから」
 サラを見向きもせず、冷たく言い放つ。
「助からない? どうして?」
「この子はもともと魔力が強いんだ、自分の中に抑えて置けないほど……だが、この森で魔法を使わせるわけにはいかん」
「森よりも娘さんの命のほうが――」
「それだけじゃない。この森で魔法を使えば魔王や、魔王の作り出した結界に反対することになる。……レイチェルには申し訳ないが、どうしようもないことなんだ」
 男はレイチェルを背負い、サラから遠ざかってゆく。
「それでは、レイチェルが……!」
 男の背に向かいサラが声をあげる。男は立ち止まり、サラの瞳をじっと、睨むように見つめ、ぽつりと言った。
「仕方のないことだ」
「森は作り出せますけど、レイチェルは――」
 男は怒気を押し込んだ声で、
「そんなことはわかっている。だが、同胞の幸福を壊すようなこともできない。ここはやっと手に入れた、安住の地なんだ」
 やるせない沈黙が、サラと男の間に流れる。沈黙を打ち消すように、静かだが強い声色で、サラは尋ねる。
「……人よりも森のほうが大切だというんですか?」
「我々の多くは『魔女』だ。『魔女』にとって、森はなによりも大切なもの。レイチェルも、きっとわかってくれる」
 男はサラの言葉にややひるんだ様子を見せる。男も、それがどれほど不条理であるのかわかっているのだろう。だが、その不条理を受け入れていることをサラは納得することが出来ない。
「それじゃあ、それじゃあ、レイチェルがあまりにも――」
「ではどうしろというんだ! この森は成長しきっている。そんな中で魔法を使えば森を傷つけるだけだ! 我々にはそんなことはできない!」
 男はまだ何か言いたげであったが、奥歯を噛み締め、去って行った。
「世界が一つになれば、みな幸福になれる」
 サラは噛み締めるように、その言葉を呟いた。


八月二十三日 魔王の森

 翌朝。昼近くまでいつも寝ているはずのジェーンの姿がなくなっていた。『ちょっと出てくる』という内容の書置きを残して。
 探そうか、とサラが思っていると魔王がやって来た。サラは、前日のレイチェルと彼女の父親のことを彼女に訴え、尋ねた。
「あなたはそれでも、結界を解こうと思わないんですか? あなたは、人の命よりも森のほうが大切だと考えてらっしゃるんですか!?」
 魔王は悲しそうにため息をつくと静かに言った。
「私には森の声は聞こえるの……」
「森の声……ですか?」
「そう、森の声。あなたも魔女ならなんとなく木々の気持ちがわかるでしょ? 魔王にははっきりと森の声を聞く力があるの。
 私は先代の魔王からその力とともに、結界を存続させるための力を譲り受けた。……この世界の森達はいつも幸福の歌を歌っているわ。けれど、向こうの世界の森達ときたら、いつも悲しみと嘆きの言葉ばかり。私は――だめなのよ。森達の悲鳴を聞くのは耐えられない……」
 その言葉にサラは思い出す。研究所にあった植物園の木々のことを……。けれど、その木々達は、悲鳴をあげているのではなく、仲間がいなくて寂しがっているようにサラには感じられた。
「ごめんなさいね。でも、私には本当に耐えられない……」
 魔王の言葉に、サラは声を上げる。
「それは向こうの、人間の世界の森を見捨てているだけではないですか! あなたは耳をふさいで森の声を、悲鳴を聞かないようにしているだけではありませんか!?」
 魔王は苦しそうにうつむく。
「お願いです、結界を解いてください!  世界を一つにする以外、森も魔女も人間も幸福になる方法はないんです! お願いします!」
 サラの必死の声に、魔王は哀しげな色を浮かべた瞳をサラに向け、
「少し……考えさせてください」
 深い悲しみの声で彼女は答えた。
「お願いします」
 サラは静かに、だが強い声色で頭を下げた。

 その日の夜。
「結界を解くことになりました」
 昨日、レイチェルを連れて行った男――レイチェルの父が訪ねてきてサラに告げた。その声色は、嬉しげでもあったが、悲しげでもあった。
「今日の夜、さっそく――」
「ありがとうございます」
 サラが深々と頭を下げる。レイチェルの父は慌てて、
「いやいや、こちらこそですよ。森は……これを望んでいたのかもしれません。ここへ来る間、ずっと感じていたんですが……いつになく、森が嬉しげに騒いでいる」
「……」
 サラにとってもそれは同じだった。
「森達は――」
 レイチェルの父は何か、言葉を紡ごうとしたが、
「いや、何でもありません」
 言葉を濁し、森の奥へと消えていった。
 サラがテントへと帰ってみると、ジェーンが残り物を漁っていた。
「博士……どこに行っていらしたんです?」
 サラが腰に手を当て、怒った装いで尋ねると、
「……帰ってくるつもりは無かったんだけど、お腹空いちゃって……」
 反抗期の子供みたいな言い訳。サラは思わず微笑み、
「食事、温めますよ」
 ついでに、なんでもないことのように言葉を続ける。
「今夜、結界を解くための儀式が行われるそうです」
 ジェーンはふっと顔を上げ、サラの目を覗き込み、
「私達を助けてくれるのね……」
 それはサラに向けられた言葉だったのだが、
「ええ、私達のこと助けてくれるみたいです」
 その言葉にジェーンは目を細め、小さな声で呟いた。
「サラ、ありがとう」
「えっ、何です博士?」
 聞き返したサラにジェーンは首をふり、うつむいた。

***

 結界を解くための儀式は、満月が真上に昇るとともに始められた。儀式が今夜になったのは、今夜がちょうど満月だったからだ。満月は魔力を強める働きがあるらしく、今夜を逃すと結界を解くための儀式は約一ヵ月後になってしまうためらしい。
 魔王は呪術的な文様を顔や手足に彩り、儀式的な飾りのついた服を着、結界を解くための呪文の詠唱を始めた。独特の節をつけて唱えられるため、異国の歌を聴いているような錯覚をサラは覚えた。
 また、魔法陣の上で優美な踊りでも踊っているかのように魔王は動き回る。強力な魔法を使うためには、様々な魔力を高めるための道具を利用し――巨大な魔法陣や、満月、呪術的な化粧、儀式的な服、装飾品などのこと――体全体を持って印を結び、複雑な呪文――歌のように聞こえる――を唱える必要があるという話だった。
 そして、三つの聖霊の森と同じ名を持つ、三人の精霊たちも似たような恰好で、各森の中心地で魔法の威力を高めるための儀式を行っているということだった。
 魔女たちにとっても、この結界を張る魔法・結界を解く魔法は、珍しいものらしく、見物人は多かった。
 魔王は呪文を歌のように低く、高く呟きながら、魔法陣の中で永遠と続くのではないかと思われるほど長く、舞いつづけた。
 うっすらと日が差し始める時分になると、ようやく、蜃気楼のように森のない世界、人間の世界が見え始めた。それは徐々に、徐々にそこに存在を感じられるようになり……結界は完全に解けた。
 魔女たちは、その、荒れ果てた地に目をやり、誰もが悲しそうにため息をついた。
 魔王はその景色を一目見ると、魔力を大量消費したためもあるのだろう、その場に倒れこんだ。
「魔王――」
 サラが心配げに声をかける。
 魔王は不毛の土地を見つめ、静かに大粒の涙をハラハラとこぼしていた。
「森達の悲鳴が聞こえるんですか?」
 サラの言葉に魔王は大きく頭を振ると、
「いいえ、違うの。森達が『ありがとう』って、言ってるの。不幸な未来しかないはずの森達が、私に感謝の言葉を……」

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『森』をご覧いただきありがとうございました。

■01/4/1 文芸部のネタにつまっていた時に「そういえば、魔女のおばあさんって、どうして森に住んでるんだろう・・・?」という、ふとした疑問から書き始めた小説。時間が無かったので、マイキャラを性格・設定・名前などを変えて登場させました。サラの事件、ジェーンの事件は長くなるため簡単に書いてます。
誤字・脱字を訂正、一部書き直してアップしてます。

■2004/04/20 改稿  
■2012/01/14 改稿

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