「真紀――?」
 眩しい白光。
 朝だ。
 動かない頭で、本能的にそれを知る。久々の感覚。泥沼のようにまとわりついていた眠気が波のように引いてゆく。
「真紀」
 柔らかなアルトの声。妙に懐かしい響きだと真紀は思う。
 でも、誰の声だろう。
「真紀」
 愛しむように名を呼ばれる。
「……起きてる、」
 軽く右手を上げて手を降ってみせる。まぶたは鉛のように重く、動かない。体は妙に冷え切っている。
「寒い――良子……ごめん、寝ちゃったね」
 そばにいるはずの親友に声をかける。眠り込む時、不安げな顔をしていた良子。
 言いたい事は山ほどある。良子が心配げにするから、真紀自身も少し不安だったのだ。例の病気じゃないかと。
 でも、私は目がさめた。病気じゃなかった。
「もうちょっとじっとしてて、真紀」
 知らない声に再び名を呼ばれる。何度も名を呼ばれているところをみると、知り合いなのだろうか、と真紀は頭をひねるが、思い出せない。
「誰? ――良子?」
 真紀は親友の名を呼ぶ。良子ならばこの声の主について説明してくれるだろうと思い、何度も名を呼ぶが答えは返ってこない。
 氷が溶けるように、体温が戻ってくるのを感じる。
「……寒い……」
「もうちょっと我慢してね、真紀」
 パチパチと何かスイッチでも押しているかのような音。息を殺し、何かをじっと見ていた様子だが、ほっと息を漏らし、
「真紀、もう大丈夫みたいだよ」
 うっすらと開けた目から、異様な光景を目にする。
「何、これ?」
 まるで映画のセット。近未来SFものなんて銘打たれた映画で見たようなカプセル型のベッドに真紀は寝かされている。
 そばには木製の机と椅子。その上にキーボードらしきものと、映画のスクリーンを小さくしたようなもの。
「何、ここ?」
 もう一度声をあげる。
「おはよう、真紀」
 先ほどから気になっていた声の主。体長二メートルほどの真っ白な毛むくじゃら。
「……私、まだ寝てるのかしら?」
 ベッドにもぐりこむ。
「真紀、起きてよ」
 雪男とかイエティとか呼ばれてた生物はゆさゆさと真紀の体を揺さぶる。
「ちょっと、何よ」
 しばらく放っていたものの、眠気がまったくしないので真紀は仕方なく起き上がり、夢だから構わないか、という妙な居直りで真っ向から見据える。
 全身は五センチほどの毛に覆われているが手に当たる部分は白く、ごつごつとしたグローブのよう。顔は……白く、目に当たる部分に黒い一直線があるのみで、のっぺりとしている。声をどこから出しているのかわからない。
「あんた誰よ、人のこと馴れ馴れしく呼んでるけど……変な被り物なんかして!」
 攻撃をする様子が感じられないため、真紀は腕を組み、黒い瞳で睨みつける。
 雪男は小躍りせんばかりに嬉しそうな声で、
「肝が据わってるね、真紀」
「だから、人の名前を馴れ馴れしく呼ばないで。あんた誰よ?」
「うーん、」
 腕を組んで首を傾げる。
「名前を名乗れないっての?」
「名乗れないわけじゃないんだけれど……」
 歯切れが悪い。
「じゃあ何なのよ」
「名前はあるんだけど、真紀には発音難しいと思うんだよね――あ、そうだ」
 ぽんと手を打ち鳴らす。
「真紀がさっきから口にしてる『良子』で良いよ」
 馬鹿にされているとしか思えない。
「良子は私の親友の名前よ」
「じゃ、今から真紀とは親友だね」
「違う、私はあんたに名前を言えって言ってるの!」
 雪男は不思議そうに首を傾げ、
「発音が難しいと思うんだけど――」
 と、何とも言いようが無い言葉を発する。長いようでいて短いような、聞いたことの無い言葉。
「発音できないでしょ? 真紀には」
 嫌味ではなく、無邪気に言う。真紀は唸るような声をあげ、
「でも『良子』はだめ。あんたは雪男のユキオね」
「まぁ、良いけど……」
 ユキオは不満そうに呟いた。

「で、一体何なのよ? ここは」
 真紀は夢であることは百も承知で尋ねる。SFものの映画は好きだが、この机と椅子とか、シーツとか……いまいちいただけない。未来っぽくみせるのであれば、表現の仕方ってものがあるはずだ。真紀は内心この状況を楽しんでいた。
 ユキオは不細工な動きでカタカタとキーボードを叩き、
「これ」
と、ディスプレイを指差す。映画のスクリーンだと思っていたのに。
「何なに……『眠り姫計画』?」
 真紀に見慣れた文字がディスプレイに表示されている。内容はまるで小説。

 二十一世紀の末、あるウィルスが世界に蔓延し、全人類の約半数がその病に侵された――

 最初は馬鹿にしたように声に出して読んでいたのだが、真紀の声は徐々に小さくなり、やがて唇だけを動かして読み進める。
「真紀、座って読みなよ。コーヒー持ってくるから」
 釘付けられたような真紀を残し、ユキオは部屋を出る。

 三十分ほどしてユキオは戻ってきたが、真紀はディスプレイに魅入られたように張り付いていた。全て読み終わるには三時間はかかると言うのに。
「真紀、」
 ユキオが声をかけると、意外なことに真紀はすんなりと振り向いた。不安げな瞳でユキオを見る。
「真紀、どこまで読んだ?」
「………人類は滅んだの?」
 真紀の不安を打ち消すように、ユキオは首を振る。
「真紀は人類でしょ? まだ滅んでないよ」
「私以外は?」
 夢だと何度自分に言い聞かせてみても、真紀は不安を消せない。何かが引っかかる。
「いるよ」
 ユキオは変わらない声色で答える。
「――どこに?」
 ユキオは真紀に座るようにいい、珈琲を差し出す。
「人類は滅んでない。真紀が眠る前にあった『裁判』は知ってる?」
 真紀は曖昧にうなづく。ニュースに何度も取り上げられていた事件は『裁判』という名で呼ばれていた。

 真紀が生きていた二十一世紀の末、「全人類に裁きを下す」との犯行声明とともに、世界中のいたるところで同時多発的に新種のウィルスがばら撒かれた。
 感染者は発病すると眠ったまま起きない、それがわかったのは事件が起こってから数日後。感染者もわからず、発病してもしばらくは気づかれない――難病だった。
 その頃にはマスコミによって事件を『裁判』、発病者を『眠り姫』と呼ばれるようになっていた。

「――それが?」
 揺れる瞳で真紀はユキオを見据える。
「あの文書に書いてあった通り、起きない感染者たちを冷凍睡眠させることに政府は決めた。だけど、全員なんて不可能だから、家族の承認を得られた若くて、健康なものが優先された」
 真紀は大粒の涙をぼろぼろと流す。
「じゃ、ここどこ? 今はいつなの?」
「ここは地球だよ。時代は――数千年後ってことになるかな?」
「……」
 真紀は顔を覆い泣き始める。
「真紀、泣かないで」
 ユキオは真紀を優しく抱きしめる。真紀の涙は止まらない。
 良子もすでに死んでしまったのだろうか。ついさっきまで一緒に居たというのに。
「……良子ぉ……」
 真紀は泣き続けた。

「おはよう、真紀」
 眩しい。
 優しいアルトの声に、真紀はうっすらと目を開ける。
「おはよ……」
「おはよう。目が覚めた?」
 見慣れた顔に真紀はため息をつく。
「ユキオ――夢じゃないのか」
「夢ってなぁに?」
 無邪気な声。
「何でもない」
 真紀が首を振ると同時にお腹がなる。
「……ごめん」
 気まずく謝ると、ユキオは笑いながら、
「昨日も目覚めてから飲まず食わずだったしさ、真紀ってお腹減らないのかとちょっと心配してたんだよ」
 こっちに来てと、真紀の手をとる。

 一つ扉を出たところで、ユキオは壁にかかっている宇宙服を指差した。
「これ着て」
「……ここ、地球じゃないの?」
 まじまじと宇宙服を見つめながら呟く。胸と腕に取り付けられている国旗は知らない国のもの。
「地球だよ、ここは」
「でも、」
「真紀が生きていた頃とは大気の成分がちょっと変わっているから、そのまま外に出たら苦しくなると思うよ」
 それならば食事は外で出来ないのではないだろうか。ふと頭をよぎるが、そばからユキオが、
「早く着なよ。着ないとここから出られないよ」
 急かされるまま真紀は、それを着込む。
 ユキオは被り物を脱ぎ始める。
「……ユキオ?」
 真紀はユキオを正面から見ようとしたが、ユキオは振り向きもせず、真紀の手を引っ張って歩き出す。

+++

 一面の緑。それが植物だと認識するには数秒を要した。
「これ……」
 真紀はユキオを振り向き見る。
 そこにあったのは懐かしい、けれど大人びた笑顔。
「真紀、どう?」
 真紀の瞳は涙が溢れる。
「――良子、どうして?」
 言葉にならない。
「二十一世紀の終わり、私たちの世界は灰色のコンクリートと砂漠ばかりだった」
 良子は小さくジャンプし、草の中へ寝転ぶ。
「植物は偉大だよね。長い時間はかかったみたいだけれど、人類が数百年で破壊した地球を蘇らせた。そして、浸食不可能なはずだった『眠り姫』の施設の壁に穴を開け、私の冷凍睡眠カプセルを開けたの」
 良子は大きく息を吸い込む。
「濃い空気をいきなり吸い込んで、私は数日、苦しくて動けなかった。ようようカプセルから這い出して見ればこれでしょ? ものすごく驚いたわ」
 良子はごろり、と身体を回転させる。言葉以上の苦労があったのだろう。真紀が知る良子にはなかった、陰りを帯びた瞳。
 真紀は良子が寝転んでいた跡に寝転がる。横に並ぶ親友の顔をみると、同じように真紀を見つめ返していた。
「なんで、良子だって言ってくれなかったの。変な被り物までして」
 涙で言葉がつっかえる。
「あれ、筋力強化服なの。真紀のカプセル運ぶの、あれ着てても大変だったのよ」
 良子は照れくさそうに微笑む。
「私、嬉しかったんだ。真紀が私のこと覚えていてくれて。それにね、」
 真紀の知らない顔で、空を仰ぎ見る。
「――聞こうと思ってたの」
 真紀は耳を済ませる。
「この地球に、人類は必要なのかな?」
 ゆっくりと真紀は視界に入る青々と茂る木々、萌える草花を見る。
 真紀が知っている二十一世紀の終わりから、人類はどんな歴史を歩んだんだろう。
『眠り姫』として眠っている人は数万人にも及ぶ。
 真紀が考えてみてもわからない。考えてみても答えなど出せない、大きな問いかけ。
 良子と同じように真紀は空を見上げる。
「空、青いね」
「……うん」
 空は高く、深い蒼――。

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『眠り姫』をご覧いただきありがとうございました。

04/04/16:改訂前
「こおる」と聞いて最初に思いついたのが「冷凍睡眠コールド・スリープ 」。ユキオは最初、宇宙人か、未来の地球人か、別の進化した生き物のどれにしようか……いや、夢オチも捨てがたいかも……と迷った挙句こんな形になりました。毛の生えた宇宙戦艦(タイトル忘却)なんてものもどこかのライトノベルで見たことありますし、毛の生えたパワードスーツなんてものがあっても良いか、なんて言い訳をば。
SF的には「いくらなんでも冷凍睡眠で数千年は無理だろ」と思うんだけれど……最初に書いた時点では数万年後だったのにくらべれば……可、かなぁ。人類がまったくいなくなってる、なんて考えられないけれど。突発性競作企画「こおる」に参加していました。

2004-07-03:改訂後 
最初はそのままでもいいかなぁ……と思ってたんですが、良子の行動があまりにも理解不能だってことで、書き直しました。良子はソフト関係に強いって設定(最初はメインのプログラム書いた人ってことにしようかとも思ってた)で書いてますが……私、あまりわかってません。おかしなところ、辻褄の合わないところがありましたらご指摘ください。

2009/11/11 一部修正

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