眠り姫

「空、青いね」
 話すこともなくなった良子は、うつらうつらし始めた真紀に声をかける。
 街を一望できる展望台。たまたま休みのかち合った二人は、ウィンドウショッピングの休憩にとのぼり、そこからの風景を眺めていた。
 日差しは暖かいが、まだ三月。吹き付ける風は肌寒い。
 目に映るのはどこまでも続く砂漠。コンクリートビル郡の壁と、太陽パネルが設置された屋根の群れ。
「……何?」
 真紀はだるそうに、ようよう眼を開ける。良子は不安げな顔で真紀の様子を伺い、
「お願いだから、私の前で寝ないでよ。真紀まで……」
 ほろり、大粒の涙が頬を伝い落ちる。
「……大丈夫、だよ……」
 真紀はうっすらとほほ笑む。だが、言葉とは裏腹に眠りたくて仕方ない。
 漠然とした不安と、このまま眠りたいという欲求。安らかで、柔らかな……。
「だから、寝ないで!」
 怒る良子も珍しい。一瞬、真紀の眼が冷める。けれどそれも数秒ともたない。
「ごめん、良子――」
 搾り出すように声をあげ、真紀は落ち込むように眠り始めた。

+++

 眠りは突然妨げられた。
 うっすらと開いた隙間。空気はなだれ込むように入り込み、冷凍された空間は時間を取り戻す。
「ぐぁ……げほ――」
 冷凍睡眠されていた肉体は、急激な変化にも眠る前と同じように生命活動を再開させる。肺へと送り込まれる空気の質はあきらかに異なる。雪解けのように、ゆっくりと巡りはじめる血液。
 数日間、彼女は身動きもとれず、小さなカプセルの中でただ独り、地獄を味わう。だが、やがて貪欲な生命力は、新たな世界へも適応し始める。
 瀕死の状態ながらも、彼女はカプセルを抜け出す。
「ここ、どこ?」
 声にならない言葉。
 無機質な部屋、ほの暗い室内。幽かなモーター音。がらんとした十畳ほどの部屋。四方は金属質の壁に囲まれているが、彼女が先ほどまで寝ていたカプセルが接していた壁には太い樹の根。数個のカプセルがその根に取り囲まれている。
 自分は運良く助かったと言う事なんだろうか?
 ほっとすれば、吐き気をもよおすほどの空腹感。
「……食べ物……」
 金属質の壁の中、彼女の真向かいの壁に非常口灯が緑色に光っていた。外開きのドアを押し開ける。吸いなれた空気が満たされた廊下。順路を示すよう、壁、天井、床には一定間隔に矢印マーク。
 とりあえずそれにしたがい歩を進めると、数ヶ国語で『食堂』と表示された部屋に突き当たる。整然と並べられた椅子と机。机の中央部にははめ込み式の画面があり、『お早うございます。この画面に触れてください』という文字が流れている。
 支持通り、おそるおそる画面に触れる。数分後、鼻腔をくすぐるいい香りが漂い、画面がスライドし、淡いピンク色のトレーに乗せられた人肌の重湯が目の前にせり上がってくる。
 飲むように胃へと注ぎ込む。何度かむせ返るが、数日間の地獄に比べればましだ。食べ終ると元の位置へ食器を返す。
 胃に入れたことで、体温がずいぶん上昇してきている。それまであまり注目していなかった辺りへ視線を移す。
 数ヶ国語で食堂の利用方法が書かれたパネルが目に留まる。入ってすぐの場所にあったのだが、目に留まらなかったのだ。重い身体を鞭打ち、近寄ってそれに目を通す。イラストつきで食堂の使い方が説明されてある。
 再び席につき、メニュー画面を呼び出し、お粥、コーンポタージュ、日本茶を選択する。思ったとおりのものが画面の下から現れる。
「……私が眠った後に作られたのね、ここ」
 寝起きは昔から良いほうだ。寝ぼけたことなんてほとんど無い。
 久々の好物に舌鼓を打ちつつ、胃へと流し込む。固形物を食べたいが、胃が受け付けないだろう。先ほどよりも時間をかけて、ゆっくりと飲み下す。
 今はいつ頃だろう。ここは、たぶん東部地区冷凍睡眠者収容施設だろう。眠る前、自分もソフト面でかかわっていたのだ。あの時はまだ、着工を始めて数ヶ月ほどだったが、完全に出来上がっているところを見ると、軽く二・三十年は経過していると見たほうがいいだろう。
 それよりも自分はなぜ目覚めたのだ? こうやって食事をしてはいるものの誰の姿も無い。無理やり冷凍睡眠からたたき起こされたのだとすれば、自分はなぜ、こうやって生きていられるのだ?
「そうか、」
と、左腕を彼女は見る。注射痕をふさぐように当てられたガーゼ。
 何らかの事故などにより、冷凍催眠からいきなり目覚めた場合の予防処置として、眠る直前、実験段階の薬を注射されたことを思い出す。
「被験者に応募しといて良かったぁ」
 しみじみ思う。予測されていた事故が起こったわけなのだから。だが、樹によって施設が壊されるだなんて、誰も予想だにしなかった事態だ。
「それにしても、」
と、不信な声を上げる。
 樹が施設を侵食していることに気づかないなんてこと、あるだろうか。また、冷凍睡眠者が目覚めたことに気づかないなんてこと、ありえるだろうか。いつ医者や研究者が現れるのかと思っていたが、どうもそれは起こりそうに無い。
「もしかして、見捨てられちゃってる?」
 乾いた笑い声は虚しく響く。
 身体は疲労を訴えているが、かまってなどいられ無い。
「携帯端末どこかに落ちてないかな?」
 きょろきょろと辺りを見回すが、無論そんなものは無い。
 当初の計画書とは少し、内部構造が違う。後世にもこの施設が引き続き、手を入れられたということなのだろうか。情報を手に入れなければ、何もわからない。あと、完全な施設の見取り図だ。
 ふらつく足取りで廊下に歩みだす。
 突き当たりだと思っていた廊下には、開き戸があった。目覚めて混乱した人間に対する配慮は思ったより行き届いている。計画当初には無かったものだ。
 進んだ先には棚。目指していた情報が溢れている。
 印刷された文章に、端末、見たことも無い機器。
 機器の手前には西暦と共に機器名とそのバージョン。探していた携帯端末は入り口から数歩の場所に置かれていた。
「何年経ってるんだ〜?」
 思わず笑みが漏れる。目移りはしたものの当時でも少々型遅れだったものの慣れ親しんでいた携帯端末を手に取り、電源を入れる。いつでも使えるよう、コンセントは差しっぱなしになっていた。
 じわり、湧き上がるような社名入りのカラフルなロゴ。数分して携帯端末は目を覚ます。デスクトップ画面には『重要』と文字の入ったテキストが目立つように配置されている。
「重要ねぇ」
 ファイルがある辺りの画面に触れる。開いたファイルの中には見覚えのある見出し。いくつかは自分が製作に関わったものだ。
 眠りについている人々の名簿。自分が最後に目にした時よりも数十人分くらい増えている。
「時刻は……数千年後――?」
 携帯端末内臓の時計はまともにカウントしていないが、別に作成された単純な時刻プログラムは動いている。
「って、よく動いてたわね。この子」
 この施設自体、丸ごと保存されていたと言うのだろうか。よく考えてみれば、塵一つ無い。先ほど食べた料理も、美味しくはあったが、特におかしな味はしなかった。
「ま、深くは考えまい」
 せっかく胃に収めたものを吐き出したくは無い。

 使い易いよう携帯端末を自分仕様に書き直す。
「入力は音声入力並びにタッチパネルの併用。全体的なデザインはこれで、スクリーンセーバーはこれ。とりあえずここいらで再起動っと」
 携帯端末を再起動させれば、
『ようこそ、お客様の名前を入力してください。なお、音声認識機能がありますので……』
「野口、良子」
 柔らかな女性の声をさえぎり言い渡す。
『認識しました。「ノグチ、リョウコ」様。待機解除は「ノード」でよろしいですか?』
 省エネのため、携帯端末は基本的に待機中状態が多い。キーワードをいってやれば、簡単に待機解除できる。
「ポチ」
 眠る前に使っていたものと同じ設定。使い慣れたものがよい。
『認識しました。「ポチ」に設定します。パスワードを設定しますか?』
「キャンセル」
『キャンセルします。後日、パスワードを――』
 説明はいらない。
「キャンセル」
『キャンセルします。メイン画面起動します』
 最初の起動はひたすら煩わしい。デスクトップが現れたのは電源を入れてから一分も経ってからだった。
「ネット、オープン」
『接続します――ページを表示できません』
「ま、数千年も経ちゃ、当たり前よね」
 施設のメインコンピュータへの接続アドレスを唱える。記憶力は衰えていない。
『接続しました』
 専用サーバはメインコンピュータのある部屋の隣の部屋に設置したはずだ。メインが生きていなければ、いまだに施設が稼動してるはずない。とすれば、きっとサーバも生きているはずという読みは当った。
『IDとパスワードを入力してください』
 眠る直前まで使っていた個人キーを口述する。マスターキーは定期的に変えられていたから、自分の覚えているものは使えないだろう。
『照合しました』
「検索、施設の見取り図」
『十七件ヒットしました。最有力候補をオープンしますか?』
「オープン」
 いちいち英語だってのが、いただけないが、細かい部分まで調整するのは面倒なので当面はこれで使うしかないだろう。
 開いた地図はほとんど見たことの無いものだった。自分が知っている当初計画の部分は施設の三分の一にも満たず、周りを囲みこむように増築されているようだ。
「人数の割りに施設の規模が大きいわね」
 自分の知らない部屋を周って見ようかと思っていたのだが、どうやらそれは一朝一夕では無理のようだ。
「とりあえずは、体力回復しかないか」
 一番近いゲストルームへ向かう。ここも後で作られたらしく、シンプルながらも雰囲気はいい。久方ぶりのベッドへ寝転がる。ずっと眠っていたのではあるが、やはり、本物のベットは違う。いつしか眠り込んでいた。

「……夢じゃないのね」
 目を覚ました良子は見知らぬ天井を見つめ、つぶやく。途端、鳴き声をあげる腹の虫。
 よいしょと起き上がり、昨日――かどうかは不明だが、訪れた食堂へ向かう。窓がないので、朝なのか夜なのかがわからない。携帯端末に聞けば教えてくれるだろうが、今が何時なのかなんてことを知る必要性はそれほど無い。とりあえず誰もいないのだから。
 同じ席に着き、雑炊に味噌汁、日本茶を注文する。数分して、前日と同じように料理が現れ、胃へ流し込む。
「時間を感じさせない味だわ」
 インスタントではあるが、美味しい。食べ終わると、ポケットからコンパクトサイズの携帯端末を取り出し、腕に装着する。まるで子供のころに見た変身戦隊のおもちゃのようだ。
「ポチ」
 良子の声に答えるように、小さな画面に映し出されるマップ。昨日、開いた画面をそのままにしていたのだ。
 食堂は施設に四箇所。ちょうど東西南北に面する位置にある。自分が今いるのはどうやら西側の食堂のようだ。
「お弁当はいらないようね、じゃ、探検開始するか」
 まず、東に向かって通路を歩き出す。やはり、ところどころは樹々の枝葉や根に侵食され、壁にひずみが入っている。
 ちょこまか動く亀に似た形の清掃機械の姿をたまに見かけるが、清掃場所を指定されているらしく、場所によっては清濁の差が激しい。
「酸素がずいぶん濃いわね」
 自動ドアによって廊下自体もいくつかの区画に区切られているのだが、外へ向かえば向かうほど、空気中の酸素濃度が高くなっている様子。
 しっかり眠り、食べたためか、寝起きほど息苦しくは無い。
 どうやら施設の端へ着いたらしい。透明なドアと窓から見えるのは広大な森。鬱蒼と茂る木々。信じられないことだが、どうやらこの地域は数千年の間に砂漠から森へと変貌したらしい。
 一歩外へ踏み出す。
 眩しい太陽。青々とした緑。ただ緑一色ではなく、微妙な色使いで草木は混在している。
 白い小さな花、青い小さな花、赤い花、ピンクの花、黄色い花。色とりどりの花が咲き乱れ、天国のようだ。だが人為的な手入れはまったく見られない。木々や花々は好きなように、勝手に咲き誇っている様子。
「どうなってんの?」

 お昼を東側の食堂で食べ、メインコンピュータが設置された地下へと向かう。

 エレベーターを使って降りた先は見慣れた景観。いまだに働いている五つの保護装置を古い個人認証で通過する。
 良子の知らない機器もたくさんあり、妙な違和感を覚える。
「ここはずいぶん長いこと使われてたみたいね」
 不思議なことにメインルームは人が使った後がずいぶん残されている。誰のものかわからないジャケットやボールペン、イヤリングなどの私物がそのまま残されている。亀形の清掃機械は埃や小さなゴミだけを清掃しているらしい。
 メインコンピュータにアクセスするIDやパスワードはメモ用紙に書かれ、キーボードの上に置かれていた。
「ご親切だこと」
 早速アクセスを試みる。
 携帯端末を起動させたときと同じように、『重要』と書かれたテキストが目に付く場所に置かれていた。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 おはよう。
 まずは、貴方が目覚めたことに喜びの意を。
 そして、哀悼の意を。

 世界は滅びようとしている。
 いや、滅びたと書いたほうが正しいだろう。
 半世紀も前に行われた戦争で――
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「戦争――?」
 そんな馬鹿な。
 良子は同じ文面を何度も読み直す。小説であれば良いが、そんなことはありえない。一体誰がセキュリティーの厳しいメインルームに入り込んで小説を書こうだなんて馬鹿げたことを思うというのだ。
 文面は詩的な印象を与えつつ、続く。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この戦争の始まりは驚くほど単純なことだった。
 世界の歴史が証明しているように、
 戦争を望んでいる人々によって引き金は引かれたのだ。

 最終局面に投入された化学兵器は、
 目を覆いたくなるような効果を上げた。
 だが、効果はそれにとどまらなかった。

 水は、空気は地球を廻っている。
 開発者はそれに気づかなかったらしい。
 全世界は今、死に満ちている。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 人類は後退する自然の中で、復興ではなく破滅の道を選んだらしい。
 世界は――
 恐ろしい考えに、頭を振る。考えたくもない言葉が自動的に頭をよぎる。
「そんなはずない」
 何のために自分たちは冷凍睡眠されたのだ?

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 子供たち、成長期の若者たちは死んでしまった。
 ゆるりと老化を待つものだけが、
 今、世界に取り残されている。
 
 世界に未来は残されていない。
 世界は死に満ちている。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 そこで文章は終わっている。
「嘘でしょ」
 良子は急いでコンピュータにニュース記事を呼び出す。テキストにあった日付の半世紀前のものを。誰かが仕事を最後までしてくれていたようで、ニュースはきちんと保存されていた。
 ざっと目を通すが、あの文章を裏付けるものでしかない。一時間もしないうちに良子はその事実を理解した。
 馬鹿みたい。なんて馬鹿なんだ。
 漏れるのは空虚な空笑い。
 私はこれからどうすればいいんだろう。
 施設がこのような状態だとすれば、きっと人間が作り上げていた文明など、樹々に埋没しているだろう。施設はまだ、かろうじて稼動しているが、いつまで持つかわからない。
 ここが使えなくなれば、原始レベルの生活をしなければならないだろう。キャンプは好きだった。けれど、たった独り、自分にこの世界で生きていくことが果たして出来るだろうか。
 先ほど見た森を思い出す。人間が数百年で徹底的に壊滅に追いやった自然は、数千年の時をかけて自ら再生していた。
 自分は、果たして生きていてもいいのだろうか。本来ならば滅びているはずの人間であるのに。
 こんなとき、涙も沸かない自分が嫌いだ。涙を流したのは何時が最後だっただろう。
「真紀」
 ふと口をついて出た言葉。
 真紀が眠った時、私は泣いていた。たしか、あれが最後だ。
「そういえば、真紀がここに収容されてる」
 良子が眠りにつく数年前に病にかかった、親友。冷凍睡眠される若者の第一期で選ばれていたはず。
「ポチ、検索、久保田真紀」

 真紀はすぐに見つかった。良子が眠っていた部屋の向かいの部屋で眠っていたのだ。
 カプセルの中の真紀は凍りついたまま、眠り続けている。最後に見たときと変わらない顔。自分と違い、真紀は年をとっていない。
「真紀」
 ここで起こさなければ、きっと何も知らないまま、この施設が樹々に侵食されつくすまで眠り続けるのだろう。
「真紀……真紀を起こすのは私の我侭になるのかなぁ?」
 平和で幸福な未来。そこで起こされるべく、冷凍睡眠についていたはずの若者達。
「真紀、ごめんね」
 唇をかみ締める。
「ポチ、検索。冷凍睡眠の解除」
『三一件ヒットしました。最有力候補をオープンしますか?』
「オープン……何々――解凍室へ運び入れ、数時間をかけて解凍と睡眠からの覚醒を促す――」
 ま、普通はそうだろう。自分の場合が特別すぎたのだ。
 解凍室は別の部屋に当るらしい。そこまでどうやってこのカプセルを運べというのか。担架を持ってきたところで、カプセル本体の重さと真紀の体重はどうがんばっても一人で動かせるとは思えない。
 どこかに筋力強化服でもあればいいんだけど。
「ポチ、検索、筋力強化服」
『該当ありません』
 ま、そうだろう。冷凍睡眠者が眠るっているだけの施設内に筋力強化服なんて物は不必要だから。けれど、戦争があり、その後ここで過ごしていた人間がいたとすれば、存在する可能性は高い。
「検索、えっと……」
 キーワードをいろいろ変えて検索したところ、やっと筋力強化服の在り処を見つけた。

 実物を見て、首をひねる。
「うーん」
 一見して被り物の雪男。
「なんでこれが筋力強化服なわけ?」
 技術の発展は予想だにできない。長い毛の部分に触れてみる。さらさらと、毛並みの良い猫のような触り心地。
「なんで毛がいるわけ? ポチ」
 胸につけられた国旗ならびに、見慣れない筋力強化服の性能について検索する。
 国家は真紀が眠りについて数百年後に誕生したものだとわかった。まさかあの国とあの国が合併するとは。
 この筋力強化服は記録に残っている限り最新鋭のもので、以後開発されたものはないらしい。着用者の思念を読み取り、何倍もの力を発揮できる優れもの。初心者にも優しい圧力感知装置付き。筋力強化服でよく起こる、力加減がわからず握りつぶしてしまうっていう事故の予防策までもがとられているとはなんとも画期的。
 水陸両用、しかもこの毛のおかげで寒冷地、熱帯と場所を問わず使用でき、宇宙での使用も可と、あまりにも何でもござれな多様使用。
「漫画みたい」
 早速、筋力強化服を装着してみる。さすがは最新式。着ていても重さを感じさせない上、動きやすく、視界も良好。
「ポチ」
 いつもならば続けて用件を呼び出すのだが、それをしない。数秒して、柔らかな女性の声が響く。
『ご用件は何ですか?』
 呼び出したポチの声もクリアに聞こえる。
「こりゃいいわ」

 早速真紀のカプセルを解凍室に運び入れる。シンプルなつくりの部屋だ。一段高くなった台の上にカプセルを置く。
 目を覚ました真紀に、まずなんと言おう。いや、真紀は冷凍睡眠》なんてもの事態知らないまま寝ているのだ。まずは混乱させないようにしなきゃいけないだろう。
 とすると、私の外見は明らかにアウトだ。どんなに言い張ろうが三十路前としか言いようがない。がんばって若作りしようとも十代後半には絶対に見えないはずだ。
 どうする? どうしよう。これならばもっと真剣に肌のお手入れしとくんだったと、数千年前の自分に愚痴をいってもしかたない。
「とりあえずは、この格好のままで世界情勢について説明しなきゃね」
 だが、果たして聞いてくれるだろうか。雪男みたいな格好をしたヤツが述べた事実など。自分ならば――絶対に信用しない。
「そうか」
 思い浮かんだのはメインルームでみたテキスト。
 携帯端末が置かれていた部屋にとってかえし、良子が眠る前の時代、最新式だったパソコン一式を運び出す。画面は超薄型。一枚の紙にしか見えないほど薄く、ハードもティッシュボックスほどの超コンパクトサイズ。
 早速メインに接続し、必要な記事を纏め上げる。この辺は大学時代のレポート提出で磨かれた腕だ。
 真紀は果たして自分のことを覚えているだろうか。第一期の冷凍睡眠者はほとんど人体実験に近い状態だった。覚醒時に何らかの記憶障害、知能障害が起こる可能性があると言われていた。
 心配しても始まらない。
 良子は覚悟を決め、解凍スイッチを押した。

「真紀――?」
 眩しい白光。
 朝だ。
 動かない頭で、本能的にそれを知る。久々の感覚。泥沼のようにまとわりついていた眠気が波のように引いてゆく。
「真紀」
 柔らかなアルトの声。妙に懐かしい響きだと真紀は思う。
 でも、誰の声だろう。
「真紀」
 愛しむように名を呼ばれる。
「……起きてる、」
 軽く右手を上げて手を降ってみせる。まぶたは鉛のように重く、動かない。体は妙に冷え切っている。
「寒い――良子……ごめん、寝ちゃったね」
 そばにいるはずの親友に声をかける。眠り込む時、不安げな顔をしていた良子。
 言いたい事は山ほどある。良子が心配げにするから、真紀自身も少し不安だったのだ。例の病気じゃないかと。
 でも、私は目がさめた。病気じゃなかった。
「もうちょっとじっとしてて、真紀」
 知らない声に再び名を呼ばれる。何度も名を呼ばれているところをみると、知り合いなのだろうか、と真紀は頭をひねるが、思い出せない。
「誰? ――良子?」
 真紀は親友の名を呼ぶ。良子ならばこの声の主について説明してくれるだろうと思い、何度も名を呼ぶが答えは返ってこない。
 氷が溶けるように、体温が戻ってくるのを感じる。
「……寒い……」
「もうちょっと我慢してね、真紀」
 パチパチと何かスイッチでも押しているかのような音。息を殺し、何かをじっと見ていた様子だが、ほっと息を漏らし、
「真紀、もう大丈夫みたいだよ」
 うっすらと開けた目から、異様な光景を目にする。
「何、これ?」
 まるで映画のセット。近未来SFものなんて銘打たれた映画で見たようなカプセル型のベッドに真紀は寝かされている。
 そばには木製の机と椅子。その上にキーボードらしきものと、映画のスクリーンを小さくしたようなもの。
「何、ここ?」
 もう一度声をあげる。
「おはよう、真紀」
 先ほどから気になっていた声の主。体長二メートルほどの真っ白な毛むくじゃら。
「……私、まだ寝てるのかしら?」
 ベッドにもぐりこむ。
「真紀、起きてよ」
 雪男とかイエティとか呼ばれてた生物はゆさゆさと真紀の体を揺さぶる。
「ちょっと、何よ」
 しばらく放っていたものの、眠気がまったくしないので真紀は仕方なく起き上がり、夢だから構わないか、という妙な居直りで真っ向から見据える。
 全身は五センチほどの毛に覆われているが手に当たる部分は白く、ごつごつとしたグローブのよう。顔は……白く、目に当たる部分に黒い一直線があるのみで、のっぺりとしている。声をどこから出しているのかわからない。
「あんた誰よ、人のこと馴れ馴れしく呼んでるけど……変な被り物なんかして!」
 攻撃をする様子が感じられないため、真紀は腕を組み、黒い瞳で睨みつける。
 雪男は小躍りせんばかりに嬉しそうな声で、
「肝が据わってるね、真紀」
「だから、人の名前を馴れ馴れしく呼ばないで。あんた誰よ?」
「うーん、」
 腕を組んで首を傾げる。
「名前を名乗れないっての?」
「名乗れないわけじゃないんだけれど……」
 歯切れが悪い。
「じゃあ何なのよ」
「名前はあるんだけど、真紀には発音難しいと思うんだよね――あ、そうだ」
 ぽんと手を打ち鳴らす。
「真紀がさっきから口にしてる『良子』で良いよ」
 馬鹿にされているとしか思えない。
「良子は私の親友の名前よ」
「じゃ、今から真紀とは親友だね」
「違う、私はあんたに名前を言えって言ってるの!」
 雪男は不思議そうに首を傾げ、
「発音が難しいと思うんだけど――」
 と、何とも言いようが無い言葉を発する。長いようでいて短いような、聞いたことの無い言葉。
「発音できないでしょ? 真紀には」
 嫌味ではなく、無邪気に言う。真紀は唸るような声をあげ、
「でも『良子』はだめ。あんたは雪男のユキオね」
「まぁ、良いけど……」
 ユキオは不満そうに呟いた。

「で、一体何なのよ? ここは」
 真紀は夢であることは百も承知で尋ねる。SFものの映画は好きだが、この机と椅子とか、シーツとか……いまいちいただけない。未来っぽくみせるのであれば、表現の仕方ってものがあるはずだ。真紀は内心この状況を楽しんでいた。
 ユキオは不細工な動きでカタカタとキーボードを叩き、
「これ」
と、ディスプレイを指差す。映画のスクリーンだと思っていたのに。
「何なに……『眠り姫計画』?」
 真紀に見慣れた文字がディスプレイに表示されている。内容はまるで小説。

 二十一世紀の末、あるウィルスが世界に蔓延し、全人類の約半数がその病に侵された――

 最初は馬鹿にしたように声に出して読んでいたのだが、真紀の声は徐々に小さくなり、やがて唇だけを動かして読み進める。
「真紀、座って読みなよ。コーヒー持ってくるから」
 釘付けられたような真紀を残し、ユキオは部屋を出る。

 三十分ほどしてユキオは戻ってきたが、真紀はディスプレイに魅入られたように張り付いていた。全て読み終わるには三時間はかかると言うのに。
「真紀、」
 ユキオが声をかけると、意外なことに真紀はすんなりと振り向いた。不安げな瞳でユキオを見る。
「真紀、どこまで読んだ?」
「………人類は滅んだの?」
 真紀の不安を打ち消すように、ユキオは首を振る。
「真紀は人類でしょ? まだ滅んでないよ」
「私以外は?」
 夢だと何度自分に言い聞かせてみても、真紀は不安を消せない。何かが引っかかる。
「いるよ」
 ユキオは変わらない声色で答える。
「――どこに?」
 ユキオは真紀に座るようにいい、珈琲を差し出す。
「人類は滅んでない。真紀が眠る前にあった『裁判』は知ってる?」
 真紀は曖昧にうなづく。ニュースに何度も取り上げられていた事件は『裁判』という名で呼ばれていた。

 真紀が生きていた二十一世紀の末、「全人類に裁きを下す」との犯行声明とともに、世界中のいたるところで同時多発的に新種のウィルスがばら撒かれた。
 感染者は発病すると眠ったまま起きない、それがわかったのは事件が起こってから数日後。感染者もわからず、発病してもしばらくは気づかれない――難病だった。
 その頃にはマスコミによって事件を『裁判』、発病者を『眠り姫』と呼ばれるようになっていた。

「――それが?」
 揺れる瞳で真紀はユキオを見据える。
「あの文書に書いてあった通り、起きない感染者たちを冷凍睡眠させることに政府は決めた。だけど、全員なんて不可能だから、家族の承認を得られた若くて、健康なものが優先された」
 真紀は大粒の涙をぼろぼろと流す。
「じゃ、ここどこ? 今はいつなの?」
「ここは地球だよ。時代は――数千年後ってことになるかな?」
「……」
 真紀は顔を覆い泣き始める。
「真紀、泣かないで」
 ユキオは真紀を優しく抱きしめる。真紀の涙は止まらない。
 良子もすでに死んでしまったのだろうか。ついさっきまで一緒に居たというのに。
「……良子ぉ……」
 真紀は泣き続けた。

「おはよう、真紀」
 眩しい。
 優しいアルトの声に、真紀はうっすらと目を開ける。
「おはよ……」
「おはよう。目が覚めた?」
 見慣れた顔に真紀はため息をつく。
「ユキオ――夢じゃないのか」
「夢ってなぁに?」
 無邪気な声。
「何でもない」
 真紀が首を振ると同時にお腹がなる。
「……ごめん」
 気まずく謝ると、ユキオは笑いながら、
「昨日も目覚めてから飲まず食わずだったしさ、真紀ってお腹減らないのかとちょっと心配してたんだよ」
 こっちに来てと、真紀の手をとる。

 一つ扉を出たところで、ユキオは壁にかかっている宇宙服を指差した。
「これ着て」
「……ここ、地球じゃないの?」
 まじまじと宇宙服を見つめながら呟く。胸と腕に取り付けられている国旗は知らない国のもの。
「地球だよ、ここは」
「でも、」
「真紀が生きていた頃とは大気の成分がちょっと変わっているから、そのまま外に出たら苦しくなると思うよ」
 それならば食事は外で出来ないのではないだろうか。ふと頭をよぎるが、そばからユキオが、
「早く着なよ。着ないとここから出られないよ」
 急かされるまま真紀は、それを着込む。
 ユキオは被り物を脱ぎ始める。
「……ユキオ?」
 真紀はユキオを正面から見ようとしたが、ユキオは振り向きもせず、真紀の手を引っ張って歩き出す。

+++

 一面の緑。それが植物だと認識するには数秒を要した。
「これ……」
 真紀はユキオを振り向き見る。
 そこにあったのは懐かしい、けれど大人びた笑顔。
「真紀、どう?」
 真紀の瞳は涙が溢れる。
「――良子、どうして?」
 言葉にならない。
「二十一世紀の終わり、私たちの世界は灰色のコンクリートと砂漠ばかりだった」
 良子は小さくジャンプし、草の中へ寝転ぶ。
「植物は偉大だよね。長い時間はかかったみたいだけれど、人類が数百年で破壊した地球を蘇らせた。そして、浸食不可能なはずだった『眠り姫』の施設の壁に穴を開け、私の冷凍睡眠カプセルを開けたの」
 良子は大きく息を吸い込む。
「濃い空気をいきなり吸い込んで、私は数日、苦しくて動けなかった。ようようカプセルから這い出して見ればこれでしょ? ものすごく驚いたわ」
 良子はごろり、と身体を回転させる。言葉以上の苦労があったのだろう。真紀が知る良子にはなかった、陰りを帯びた瞳。
 真紀は良子が寝転んでいた跡に寝転がる。横に並ぶ親友の顔をみると、同じように真紀を見つめ返していた。
「なんで、良子だって言ってくれなかったの。変な被り物までして」
 涙で言葉がつっかえる。
「あれ、筋力強化服なの。真紀のカプセル運ぶの、あれ着てても大変だったのよ」
 良子は照れくさそうに微笑む。
「私、嬉しかったんだ。真紀が私のこと覚えていてくれて。それにね、」
 真紀の知らない顔で、空を仰ぎ見る。
「――聞こうと思ってたの」
 真紀は耳を済ませる。
「この地球に、人類は必要なのかな?」
 ゆっくりと真紀は視界に入る青々と茂る木々、萌える草花を見る。
 真紀が知っている二十一世紀の終わりから、人類はどんな歴史を歩んだんだろう。
『眠り姫』として眠っている人は数万人にも及ぶ。
 真紀が考えてみてもわからない。考えてみても答えなど出せない、大きな問いかけ。
 良子と同じように真紀は空を見上げる。
「空、青いね」
「……うん」
 空は高く、深い蒼――。

『眠り姫』をご覧いただきありがとうございました。

04/04/16:改訂前
「こおる」と聞いて最初に思いついたのが「冷凍睡眠コールド・スリープ 」。ユキオは最初、宇宙人か、未来の地球人か、別の進化した生き物のどれにしようか……いや、夢オチも捨てがたいかも……と迷った挙句こんな形になりました。毛の生えた宇宙戦艦(タイトル忘却)なんてものもどこかのライトノベルで見たことありますし、毛の生えたパワードスーツなんてものがあっても良いか、なんて言い訳をば。
SF的には「いくらなんでも冷凍睡眠で数千年は無理だろ」と思うんだけれど……最初に書いた時点では数万年後だったのにくらべれば……可、かなぁ。人類がまったくいなくなってる、なんて考えられないけれど。突発性競作企画「こおる」に参加していました。

2004-07-03:改訂後 
最初はそのままでもいいかなぁ……と思ってたんですが、良子の行動があまりにも理解不能だってことで、書き直しました。良子はソフト関係に強いって設定(最初はメインのプログラム書いた人ってことにしようかとも思ってた)で書いてますが……私、あまりわかってません。おかしなところ、辻褄の合わないところがありましたらご指摘ください。

2009/11/11 一部修正

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