北沢 里枝 ― Rie Kitazawa ―

 姉の同級生、その言葉が引っかかり、姉の卒業アルバムをめくった。
 確かに靖人は高校時代の姉の同級生だった。そして、悠斗さんも。
 卒業アルバムに記載されていた靖人の住所を尋ねると、そこは喫茶店だった。アンティークな感じだが、店名は『ヒマワリ』。なんだかちぐはぐな感じだ。
 ベルの音と共に中に入るが、店内には、キセルをふかす黒服の女性が一人と、どこにでもいるおばさんが一人いるだけだった。
「いらっしゃい、どこでもどうぞ」
 黒服の女性はほっとした顔で立ち上がり、店内を指差す。
 里枝は窓際の一角に腰を下ろす。
「何になさいます?」
 簡単なメニューと水、おしぼりが運ばれてきた。
「カフェオレを」
 メニューを見もせず、注文する。
 女性は難しい顔をしていたが、ふと微笑み、
「もしかして……リエちゃん? あなた北沢里恵ちゃん?」
「……なんで私の事――」
「昔近所に住んでた、田村よ。憶えてない……わよね。里恵ちゃん五歳くらいだったし」
 里恵もその言葉に頷く。
「懐かしいわね……里恵ちゃんもこんなに大きくなって……」
 感慨深げに呟きながら、女性は奥へと消えた。
 店内に流れるジャズが一曲終った頃、カフェオレとチーズケーキを持って女性は現れた。
「これ、どうぞ」
「ありがとうございます……」
 女性が再び、おばさんの横の席に戻りかけたのを里恵は呼び止める。
「靖久さん、いらっしゃいますか?」
「今、学校だけど……何か用?」
「あ、いえ……」
「あなたじゃないの?」
 横から声が割ってはいる。
「あなた、昨日公園で靖久さんとデートしてた方でしょ?」
 声の主はおしゃべり好きそうなおばさん。妙な迫力に、里恵は頷く。
「結婚式、いつなの?」
 なぜ、このおばさんが姉の結婚式のことを知っているのかわからなかったが、里枝は素直に答えた。
「明日です。内輪だけの小さいものですけど……」
「あら、まぁ!」
 おばさんは嬉しそうに目を輝かせると、用事があると店を出て行った。
 里恵とともにおばさんを見送った田村の母が、唖然とした顔で尋ねる。
「里恵ちゃん、靖久と結婚するの?」
「いえ、悠斗さんと姉のことですが……」
「……麻里、ちゃんが結婚するの? 悠斗君と?」
「はい」
 わけもわからず里恵は頷く。
 田村の母は頭を抱え、うずくまっていたがやおら立ち上がり、
「靖人に用事ってなんなの?」
「あ、えっと、話せば長くなるんですが――」
「短く言って」
「あぁ、えっと、姉と悠斗さんが駆け落ちしてしまって……。式は父の知り合いの人に無理矢理たのんで組んでもらったんで取りやめることも出来なくて……」
「二人が駆け落ちしたの?」
「いえ、二人とも四年前に駆け落ちしてたんですけど、戻ってきてたんです。それで、ウチの両親が式を組んだんですけど、お互いに別の相手とまた駆け落ちしてしまって……」
「それで、靖久はなんで関わってるのかしら?」
「悠斗さんの友人だって……昨日、電話をもらいまして」
 田村の母はしばらく考え込んでいたが、
「おとといの不審な電話は悠斗君からだったのね」
 大きく溜息をつく。
「さっきの人ね、このあたりじゃ有名なスピーカーおばさんなの。あることないこと、話を大きくしてしゃべってまわる……困ったわね……」
 肘を曲げ、考え込む。
「でも、噂だったら別に……」
「うちは店をやってるでしょ? だから、靖久が結婚するって噂を聞きつけて来るお客さんもいるのよ。その人たち一人一人に間違いを訂正するより、広がる方が早いの」
 二人がじっと考え込んでいると、
「ただいま」
 声がした。
「あれ? 里恵……さん? どうして?」
「靖久……」
 田村の母は疲れきった顔を上げる。
「どうしたの? 母さん」
「里恵ちゃんと結婚しなさい」
「え!?」
 里恵と靖人は驚きの声を上げる。
「それしかないでしょ。北沢さんとこも式をあげなきゃならないんだし、うちにも事情がある。ちょうどいいじゃない」
「それは……そうですけど……」
 里恵が言葉を濁す。
「何か問題ある? ドレスのサイズ違うの?」
「いえ、えっと……」
「悠斗君も靖久とそれほど体格変わらなかったから……ちょうどいいじゃない」
「いや、だけど……」
 靖人の反論の声にも田村の母は躊躇することなく、
「内輪だけの式なんでしょ? それだったら大丈夫よ! 結婚だけして、籍を入れなきゃいいんだから」
 どこから沸いてくるのか、妙な意気込み。
 千津絵は北沢の家に電話をかけ、その妙な提案を嬉々として伝えていた。
 そんなもの、通るはずがない。
 そう思っていた靖久と里枝だったが、
「オッケーですって」
 千津絵の言葉に唖然とする。
「昔っから、康ちゃんもみっちゃんも私の言うことにはいつも賛成してくれるのよ」
 千津絵はふふふっと笑った。
『康ちゃん』に『みっちゃん』というのは、里枝の父『康介』と母『美津子』のことだろう。
 靖久と里枝は互いに顔を見合わせ、溜息をついた。


第五章:九月二十三日
田村 靖久 ― Yasuhisa Tamura ―

 式当日、空は抜けるような青空。快晴だった。結婚式日和というところだろうか。
 パンフレットにあった教会よりも、実物はずいぶん小さかった。教会、という言葉で想像するような華やかな教会ではなく、白い壁に木の椅子。ステンドグラスもありはするが、どこにでもありそうな、シンプルなもの。本当に小さな教会だった。
 靖久は白と紺色、それに銀糸の刺繍が入ったタキシード。
 里枝は白に銀糸とパールビーズの刺繍された、ウエディングドレス。
 本当に結婚するわけではないけれど、なんだか互いに照れくさかった。
 式も終わりに近づいた頃、
「さぁ、誓いの口づけを……」
 神父の言葉に靖久と里枝はかたまった。
 忘れていた。
 その言葉が一番手っ取り早い。
「口づけを……」
 神父は困った顔で、もう一度二人に話し掛ける。
 里枝は顔を下げていたのだが、きっと顔を上げ、
「あの、靖久さん、初めて……じゃないですよね?」
 その言葉に靖久が里枝の顔を見る。
 里枝はヴェールを勢いよくまくし上げ、かすめるように靖久の唇に触れ、離れた。
 その行動に靖久はただ、じっと立っているしか出来なかった。

 式の後はホテルのレストランの一角を借りての、食事会。
「ちっちゃかった靖坊が、俺よりでっかくなったんだなぁ」
「本当に。やっちゃん、いい男になってぇ」
 里恵の父母が陽気に笑う。里枝が、母は調子が悪くて寝込んでいると言っていたが、その様子は微塵も無い。
「懐かしいわねぇ……引っ越したのは靖久が十歳くらいの頃だったかしら?」
 千津絵の言葉に、里恵の母――美津子が頷く。
「そうそう、里枝が小学校上がる前だったわ。里枝は覚えてないんでしょうけど、田村さん、うちのまん前に住んでたのよ」
「へぇ」
 困惑顔で里枝は靖久を見やる。それは靖久も同じで。互いに目が合い、慌てて目をそらす。
「お前ら、よく遊んでただろ。馬鹿娘と、里枝と、靖坊と三人で」
 そう言われ、靖久は考え込む。
 遊んでいたのは……自分ともう一人。二人だけだったはずだ。
「お父さん、あのころ里枝は人見知りが激しかったから、あんまり遊んでないわ。だから、靖久ちゃんが覚えてなくても仕方ないのよ」
 思い出話に花が咲く。里枝は逃げるように席をはずした。

「里枝さん?」
 ロビーのソファにいるところやっと見つけた。
「すいません、」
 立ち上がろうとするのをとどめ、靖久は隣に腰を下ろす。
「今回はありがとうございした」
 里枝は再び謝る。
「いえ、こちらこそ」
 靖久も言葉につまり、返事を返すのみ。二人きりになると話題が無い。
 こんな嘘の挙式など、あげなければ良かった。千津絵の登場で劇的に雪崩れ込むように挙げてしまった式に、靖久はただただ溜息をつくしかない。
 互いに話す言葉もなく、黙りこむ。

 ワハハハハ……

 千津絵と北沢の両親は盛り上がっている。
 靖久と里枝は互いにため息をつき、それを互いに気づき、何か話そうと声をあげかけ、声が重なり、譲り合っているうち再び声を詰まらせる。沈黙が居た堪れない。
「田村里枝様、お電話です」
 ホテルの従業員が近づいてきて、事務的な声をあげた。
 一瞬、里枝は不思議そうな顔をしたが、微笑みながら、
「そっか、結婚したから私は『北沢』じゃなくて、『田村』なんですね」
 従業員に指定された電話に出るため席を離れていった。
「はい、お久しぶりです……」
 里枝は戸惑い気味頭を下げる。
 受話器からうっすらとだが声が漏れ聞こえてくる。向こうは大きな声で話しているのだろう。
「え? あ、はぁ……まぁ……」
 里枝はちらりと靖久を振り向き、すまなさそうに頭を下げる。
 靖久も奇妙な顔をしつつも、頭を下げ返す。
「えぇ。あの、どこでこの話を? ……あ、ちょっと!」
 里枝は受話器をおき、
「どうしよう……」
 不安げな声を上げながら、靖久の隣に座った。
「どうかしたんですか?」
「噂、広められてるみたいなんです」
「噂?」
「結婚のことです」
 里枝はその電話の主が、高校時代のお喋り好きなクラスメイトであったことを告げた。橘亜紀子、母の店にときどき尋ねてくるスピーカーおばさんの娘だ。靖久も顔を曇らせる。
 千津絵の心配していた通りになってしまった。二人は黙り込み、もくもくと飲み物を啜った。
 どうすればいいのか、一番簡単な方法は互いにわかっていたが……けれどこんな風に流されるように決めるようなことじゃない。こういうことは、長い時間をかけて……
「靖久さん、」
 里枝の声で、靖久は顔を上げる。
 里枝は真剣な顔で、
「あの、私のほうからこんなことを言うのは……あれなんですけれど」
 何が言いたいのか、靖久はわかっていた。同じことを考えていたから。
「……いえ、あの、忘れてください。いくらなんでも都合が良すぎますから……」
 里枝は真っ赤な顔をして、靖久から離れ、親のほうへ酌をしに行ってしまった。
「あら、靖久ちゃん、こういうことは男の子の方から言わなきゃダメよ☆」
 話をどこから聞いていたのか、片手にワイングラスをもって、千津絵が靖久の隣に座る。
「ほら、お酒ついで」
 一口でグラスをあけ、片手に持っていたワインボトルを靖久に渡す。
「いや、だけど……」
「あのね、靖久ちゃん」
 千津絵はじっと靖久の目を覗き込む。
「女の子があれほど勇気を出してんのよ? 告白してるようなものじゃないの」
「でも、これは――」
 息子の言葉を遮り、千津絵はきゅっと一口でグラスを空にすると、それを靖久の前に突き出す。ワインの飲み方じゃない。
「好きでもない相手とさ、結婚式したり、キスしたり、女の子はしないものよ」
 靖久はそれに同じようにワインを注ぐ。
「結婚なんてものは、してみなきゃ『善し悪し』なんてことはわからないんだから、とりあえず結婚して、ダメだったら別れりゃいいのよ」
「いや、それは――」
「なに? 結婚二十七周年を迎える私の言葉が信じられないの?」
 酔っ払いには逆らわない方がいい。
「……そうだね」
「それにあんたはさ、里枝ちゃんの『王子様』なんだから、大丈夫よ」
 ぽんぽんと息子の頭を叩き、千津絵は北沢の両親の元へと戻っていった。

 王子様――――――?

 ふと、顔を見上げると里枝がベランダに立っていた。
「里枝さん?」
「あ、すいません。ちょっと風に当たりたいなって思って……」
「いえ。あの……」
 靖久はなんと言えばいいのか戸惑う。
 結婚式を先に済ませてしまっているのだから。
「これから、始めませんか?」
「え?」
 里枝は不思議そうな顔で靖久を見る。
「本当にお付き合い、しませんか?」
 互いに目が離せない。
 じっと見詰め合っていたが、先に目を離したのは靖久のほうだった。
「すいません、変なこと言い出して。ちょっと酔っ払ったようで――」
「酔っておっしゃったことなんですか?」
 里枝の真剣な眼差しに、靖久は照れ笑いしていた顔を引きつらせ、ぽつりと答えた。
「本当です」
「――私と、付き合っていただけるんですか?」
 その言葉に靖久が驚く。
「あの、それは、つまり――」
「喜んでお受けします……」
 里枝は涙を浮かべて微笑んだ。
 その顔に靖久は引っかかっていた記憶を思い出した。

 泣いている、一人の少女……

 暑い暑い、夏休みだった。
 その頃の僕の遊び相手は、近所の姉妹だった。
 妹の方は非常に人見知りで、警戒心が強く、一緒に遊んでいるとは言うものの、いつも姉の影に隠れていた。だから、三人で遊ぶというよりも姉の方と二人で遊んでいるという感じだった。
 僕達はそのころ、探検ごっこばかりしていた。ただの散歩、大人に取ってはそうとしか取られない程度のことだったが、僕達には楽しくて仕方なかった。
 ある時、気づくと僕と姉の方しかいなかった。姉に妹のことを尋ねても知らないというだけ。僕は必死に探し回った。
「おねぇちゃん……」
 か細い泣き声に僕は足を止める。
 土管置き場。
 そのなかの一つ。立てて置かれた土管の中から、小さな声がする。
 中を覗き込むと、女の子がいた。その子をはっきりと見るのはそれが初めてだった。髪がちょっと長くって、目がパッチリしてて、まつげが長くって、日に焼けていて……可愛い子だった。
「リエちゃん、大丈夫?」
 僕は女の子を助け出し、背中に背負い、夕暮れの中、帰途についた。女の子は僕の背中にしがみつき、しくしくと泣きつづけた。
 翌日から、彼女は僕の前には現われなくなった。
 父が一軒家を買い、母親がそこの一階を改装して喫茶店を開くからと夏休みが開ける間際、僕は引っ越した。

 二度と、彼女に会うことはないだろうと思っていた。

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『駆け落ち』をご覧いただきありがとうございました。

01/9/11 私、初めての恋愛もの……になると思うんですけど、どうでしたでしょうか?
・「互いに知らない男女が「困った」といいながら公園を散歩する」
・「結婚式前に互いに駆け落ちする新郎と新婦」
 この二つのネタ、うまく物語りに溶かしきれていたでしょうか? 恋愛ものは書いてて鳥肌が立ちそうなほど恥ずかしかったです(笑)
 もしかして、チェック漏れしてて「靖人」「里恵」なんて書いてあるかもしれません。「靖久」「里枝」の誤りです。最初、靖久さんは悠斗くんとは双子の設定でかいてたので、「靖人(やすと)」「悠人(ゆうと)」になってたんですね。「里枝」に変えたのには理由はないんです。途中から変換が違っただけなんです。書いてるうちに、設定がかわりまくったので(お父さんが死んだり・生き返ったり、お母さんが登場したり、スピーカーおばさんが出てきたり、友人が出てきたり)、いろいろと部分的に矛盾点があるかも。チェックミスです。ごめんなさい。
2004/04/20 改稿
2006/06/15 改稿  
2007/07/15 「プロローグ」「エピローグ」って言葉を文中で使っていたものの、意味がわかりにくいので削除。里枝の思い出(記憶)から始まって、共通の靖久の思い出(記憶)で終わらせてたので、「エピローグ」ってのは意味的に違うし。。。
2004/04/20 改稿
2006/06/15 改稿  
2007/07/15 改稿
2012/01/19 訂正

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