月子と赤いマフラー

月子と赤いマフラー

 会いたいよう
 会いたい、会いたい、会いたい
 会いたいよぉ

 月子が泣き出す理由はいつも決まっている。現在海外赴任中の父と義理の母――いや、月子からすれば、義理の父と母を思って。
 普段の月子は明るくて、寂しがってなどいないようなのに、ある日突然、堤防が決壊するように泣き出す。そうなったら手のつけようがない。最初はわからず、おろおろしていた私だけれど、泣いてしまえばスッキリするらしく、そんなことなど無かったかのような顔でけろっとしている。
 だから今では、月子が泣き出しても、私は彼女を慰めようとも思わない。ただ、面白くもないテレビ番組をつけっぱなしにした時のように、街の喧騒を右から左に聞き流すように、無視する。
 私と月子が、私が生まれ育った家で同居し始めて十ヶ月ほど経つ。ちょうど、私が家からずいぶん離れた高校での寮暮らしを終え、実家に帰って来てからだから、正確な日付も覚えてる。あまりにも衝撃的な現実を突きつけられたから。
 駅から父の車で帰ってきた。大きなかばんを手に、玄関の外開きのドア開けようと四苦八苦。宅配にまわしたものもあるけれど、いくつかは手荷物として持ち帰ってた。少しずつ宅配で家に送ればよかったのだけれど、私自身、こんなに自分の荷物がたくさんあるとは考えていなかった。
「よいしょ」
 ドアノブに手を掛けて、引く。ドアは誰かに押されたように、奇妙なくらい軽く開いた。それもそのはず。家の中から知らない女性が顔を出した。
「誰?」
 玄関をあけてくれた女性をいぶかしげに見てしまう。家は確かに私の家。表札もあってる。
「えぇっと、朝子ちゃん始めまして」
 彼女は困ったような顔をした。私はわけもわからず、父を見る。
「同居、してるんだ。不景気だし、母子家庭だと何かと大変だから」
 彼女、ということらしい。まぁ、母が亡くなって五年以上経つわけだし。父に、付き合っている女性がいても構わないし、再婚に反対するほど子供でもない。でも、順番が違ってはいないだろうか。
 義母に対し、同い年の月子に対し、どういう態度をとったら良いものか考えあぐねているうち、父の海外赴任が決まり、当事者二人は家を去った。遺されたのは私と月子。そういうわけ。
 義母が、月子がもっと普通の人だったら、私も彼女たちに対し、何らかの悪意を持ったかもしれない。けれど、義母は父にはもったいなさ過ぎるほど出来た人で――父が放置気味にしてた母の仏壇とお墓を管理してくれてたし、月子も付き合いやすいタイプの人間だった。流されるまま私は生活を始め、いつの間にか馴染んでいた。
 月子との二人暮らしは寮の延長のような感じだと思う。高校の寮と違って、自炊をしなきゃならない点は違ってるけど、それは私の中学時代、父子家庭だった我が家では当たり前のこと。私と月子がまず行ったのは家事の当番表を作ることだった。

 夕食の買出しに行くと月子が言うので、私も一緒に出かけることにした。月子一人で買い物に行かせると、要りもしないのに長期保存できる商品を買ってくる。使えばいいのに、月子は乾物や缶詰を使った料理をあまり作らない。そもそも、レパートリーが少ない。結局、私がそれを処理しなければならなくなる。
 野菜、魚、肉と見て、冷凍食品の棚を見る。買いはしないけど、お弁当のおかずを作るのに良いヒントになる。月子が私の肩を叩き、ある方向を指差す。
「素敵ね」
「ん?」
「あの赤いセーターの――」
 スーパーで見かけた男性をそう称したら、普通、男性のことだと思う。
「ああいうのが趣味なの?」
 私は苦笑い。私の趣味じゃない以上に、年齢がかなり上だし、あまり素敵と言えるような見た目の男性じゃない。
「綺麗な色じゃない」
 不思議そうな顔で月子が言い、私はそこで勘違いに気づく。男性の着ているセーターの色。確かに、女性が着ていてもおかしくない綺麗な赤。
 慌てて同意する。
「うん、綺麗ね」
「セーターかマフラー、編みたくなっちゃった」
「赤の?」
「そ、綺麗な赤の」
 スーパー帰りに手芸屋さんへ立ち寄って、発色が綺麗なアクリル百パーセントの毛糸を買う。月子は一玉八百円もするような、手触りの良い毛糸を欲しがったけれど、飽きっぽい月子が最後まで作り上げられるとは思えない。途中で放りだされても、あまりに綺麗な赤色のセーター。赤色のマフラー。どちらもなかなか使えない。アクリル百パーセントの毛糸なら、途中で月子が編むのに飽きても、エコたわし作れるし経済的。
 月子が毛糸の入った包みを抱え、ニコニコ笑ってる。私もなんだか嬉しくなって、月子が途中で投げても、マフラーくらい編んであげても良いかなと思う。

 やる気の月子は家に帰るとすぐに毛糸を取り出し、編み棒をカチカチ鳴らしながら編み始めた。私はかすかに聞こえてくる音を聞きながら、料理を始める。今日の料理の当番、月子だったのに――まぁ、いいか。何かに熱中したら、周りが見えなくなってしまうのは月子の短所であり、長所なのだから。
「あー目が飛んだ」
「うわー途中で穴開いてる」
「ほつれた。ヤバイ」
 月子の楽しそうな悲鳴をBGMに、私は肉を切り、ジャガイモ、にんじんを乱切りにし、玉ねぎをくし形に切る。月子がシチューを作ると言っていたけど、この材料なら肉じゃがもできる。月子が毛糸と格闘している間に、夕食は和食に変更させてもらおう。
 煮込んで、味付け完了して。お醤油と味りんの良い香りが漂い出しても、月子は気づきもしなかった。さすがの集中力。
「できたよ」
 一声掛けたけど、気づいた様子もなかったので勝手に食べ始める。
 私は小さなダイニングテーブルの前。目の前には肉じゃが、ご飯にお味噌汁、漬物っていう和風な夕食。ご飯を一口、お味噌汁、肉じゃが、お漬物。いつも順番通り食べてしまう。きゅうりの漬物がポリポリ音をさせるものの、食卓は静か。
 一方、月子は薄汚れた草色の、テレビ前にあるソファの上。一人にぎやかに、何度も編みなおしている。短気な彼女に手芸は合わないのだろうと思うけれど、ハマってしまったら飽きるまでやめない。我に変えるのは、今日の夜中か、明日の朝か。疲れきって気持ち悪くなるまで、食事も取らず、周囲にも気づかずどっぷりつかりきる。幼い子供並みの熱中力は羨ましくもあり、その姿に慣れた最近は鬱陶しくもあり。
 ニメートルほどしか離れていないのに、同じ部屋にいるのに、月子が遠い。食べ終わったから食器を洗物カゴに入れて、紅茶を入れる。
 食事が和食だったから、緑茶でも飲めばいいのだろうけれど、食後はいつも紅茶。決めてるわけじゃないけれど、今日の昼食後だって紅茶を飲んだし、昨日の夕食後にも紅茶を飲んだ。今日の夕食後だけ紅茶を飲まないとなれば、平穏無事な生活が狂うような気がして哀しい。
 紅茶の味のわからない月子がいないので、いつものダージリンじゃなくて、この間買った桜の香りのする紅茶を入れる。ちょっと高かったから、月子の目につかないところに隠していた。せっかく美味しい紅茶を味のわからない人にゴクゴク一気飲みされるのを眺めていることほど、空しいことはない。
 ゆったりしたティータイムを終えて、部屋を出る。洗い物は明日の朝、片付けよう。おやすみ、と月子に小さく言葉をかける。

 おはようと、私がベッドから起きだしたのはいつもより遅いくらいの時間だった。
「まだやってたの」
 リビングには昨日と変わらない位置、変わらない格好で月子の姿。テーブルの上には手付かずのままの夕食。水を飲んだ形跡もない。
「おはよ」
「おはよー、今何時?」
 編み物に集中したまま、月子は言う。自分が今、なんて返事を返したのか、わかっていないのだろう。ボーっとしてても、ある程度の世間話をやってのけるという、すごい特技を持っているから。
 私は時計を確認し、疲れる。私には十二時間以上同じ作業をやり続ける根気はない。
「今、七時過ぎ」
「七時過ぎ? もう始まってる」
 慌てて月子はテレビをつける。毎週見てるバラエティ番組なんてテレビに映し出されるはずもなく、せわしなくチャンネルを変える。
「あれー? これニュース? しかも朝のだ」
 不思議そうな声。やっと周囲を確認、認識。
「朝だ」
 つぶやいて、編んでたマフラーを掲げる。ケーブル編みの入ったマフラー。素人に毛が生えた程度の腕しかないのに、本格的に作ったものだ。完成したと言っても良いくらいすでに長い。
「完成?」
「まだ。もうちょっと長くないと使いづらいかな? あと、フリンジつけないと。疲れたー。肩、ガッチガチ。目もしょぼしょぼしてる……」
 首を回し、肩を抑えて腕を根元から回す。目はぎゅっとつぶった後、瞬きを繰り返す。
「お腹ペコペコ。背中がくっつきそうだよ」
「はいはい」
 トースト焼いてる間に、温野菜サラダとスクランブルエッグを作る。スープはインスタント、月子の為にコーヒーも淹れる。もちろん、これもインスタント。簡単なのに、品数あれば本格的に見えるから不思議。
 テーブルへ並べている間に、月子は座りもせずに肉じゃがを口に放り込む。
「美味しい。めっちゃ美味しい」
 冷たいご飯にはポットのお湯を注ぎ、お粥のようにして月子は胃に流し込む。
「座って食べて」
「ふぉい」
 口の中に食べ物を入れたまま返事。月子の年齢、いつも疑ってしまう。
「朝食は?」
「それも食べる」
「あっそ」
 目の前に並べると、さっそく手を伸ばす。口いっぱいほお張る。ガツガツ、大きな擬態語が背後に見えそうな感じで食べてる。あまりに見事な食べっぷりに見とれていると、私の分まで食べていることに気づく。良く食べるものだ。お腹、痛くならないものだろうか。
「……苦しい。食べ過ぎた」
 案の定。それでも、お腹をさすりながら、コーヒーを流し込む。
「良く食べるわね」
「お腹、すいてたから」
 すいてても、普通、そんなにいっぺんに食べられない。
「食べたら眠くなってきた」
 大きなあくび。そのまま寝そうだったので、ベッドへ行くよう指示して、私は外出することを伝える。聞いてないだろうから、戸締りをして出勤する。

 仕事を終えて帰ってきたら、やっぱり月子はまだ寝てた。昨日、肉じゃがを多めに作ったから、今日の晩御飯はそれで良いやと、買い物せずに帰ってきた。パンも卵も牛乳もまだあるし。
 月子を起こしにかかる。月子は明日、朝一で講義があると言っていた。お気楽な大学生の身とはいえ、あまりに気楽な生活を送られたら、同居人の私がかなわない。
 部屋の外から何度か呼びかけて。それで起きるわけないから、部屋にお邪魔して。近くで名前を呼んで、叩いて、布団を引っぺがそうと大騒動やらかして。
「……お……はよ……お」
 布団の上に正座して、月子はまだ開いてない目をこする。何時間寝てると思ってるんだ。
「寝すぎ」
「……寝て、ない……」
 言いつつも、誰が見たって夢の世界に片足つっこんでる。ほっとくと再び寝そうだったので、立たせてダイニングテーブルに付くよう命令する。
 私は着替えて、肉じゃがを温める。ご飯を炊く時間がないから食パンと肉じゃがを月子の目の前に置く。組み合わせはとっても変なのだけど、月子は気づきもしないで、口の中でくちゃくちゃ噛んでる。どうみても食べながら寝てる。でも、ここで夕飯食べさせとけば、明日の朝、きちんと起きるはず。
 一人前には届かない、小さな子供が食べる程度の量を食べたところで開放する。
「おやすみ」
「おやすみぃ……ごちそうさまぁ……」
 糸の切れた凧のように、ふらふら自室へ戻っていく月子。私は自分が食べる為だけにご飯を炊くのも面倒なので、しょうゆ味の袋麺を作って、肉じゃがを食べる。なんだか一人暮らししているみたいだ。
 リビングで美味しい紅茶を飲みながら、テレビを見る。ふと、月子の赤いマフラーが目に付いて、広げてみる。
「あら」
 朝と違って、両端にフリンジも付いて、買ったものと遜色ない。綺麗な仕上がり。私が出かけてから、また起きて作ってたらしい。そりゃ眠たいはずだ。
 いないはずの月子の姿がないか確認して、そっと首に巻いてみて。素敵じゃない、と思う。月子には絶対言えないけれど。

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『月子と赤いマフラー』をご覧いただきありがとうございました。〔2009/03/11〕

書いといてなんですが、編み物は苦手分野。

2012/01/18 訂正

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