「犬も歩けば棒にあたる。名探偵が歩けば事件にぶつかる。世の中、そういうものです」
ミズホの言い分は、メイにはまったく理解できない。冷めたコーヒーをすすりつつ「探偵とは」から始まりった、ミズホの言う探偵の極意とやらを聞いている。雨はまだ、やみそうにない。
「何度も言ってるけど、私は探偵なんてやらないって」
「先生にはすっごい才能がありますよ」
「ないわよ。あるとしても、会って一時間も経ってないあなたに何がわかるっていうのよ」
「わかります。私は探偵の助手となるき星に生まれてきたんですから」
自信満々の顔。メイの方が間違っているような気がしてくるが、騙されてはいけない。ソファに座り直し、ポッキーをかじる。
「誰がそう言ったの?」
「言われなくても私にはわかってるんです」
マイペースというより、自己中心的。話が通じない。
「雨が上がったら、町内パトロールに出かけましょう」
「言っとくけど、この辺すっごい治安良いとこよ? 事件なんて起こったことないし、今後も起こりっこないわ」
「何を言っているんです。煙のないところで火を見つけるのが名探偵ですよ」
「だから、私は探偵じゃないってば」
メイが何度も繰り返すが、ミズホは聞く耳を持ってくれない。
ミズホの持っている探偵知識はどうやら、漫画、小説、ドラマなどから仕入れているらしい。そんな展開、現実にあるわけないと思いながらも、マシンガンのように知識を披露する彼女を放っておく。疲れないためには右から左に聞き流すのが一番だ。
ようやく雨が上がった。
「パトロールに出発しましょう」
楽しげに言って、立ち上がる。玄関先でメイが靴を履いていると、ミズホは着替えて現れた。目を離して一分も経っていない。行動だけは素早い。
閑静な住宅街。雨上がりの虹が綺麗。ミズホは手ぶらだが、メイは彼女の荷物を持っている。このまま追い出そうと思って。
ミズホはこの辺の地理を知らない様子だが、コンビニ方向へ向かって歩いている。その先には駅がある。都合がいいので、何も言わずにメイは彼女のあとを付いてゆく。
「先生、あのお屋敷は?」
ミズホが指さした方向に古びた洋館。
「すっごく事件とか起こりそうな雰囲気ですよね。ドロドロした家族構成で、愛人問題で家庭内がしっちゃかめっちゃかな上、莫大な遺産相続争いが持ち上がっててなんて……きゃあっ!」
嬉しそうに悲鳴。そんなこと、大きな声で言わないで欲しい。同じ趣味の人間だと思われるのは恥ずかしすぎる。
白い壁には濃いアイビーの葉。切り立った黒い屋根に、屋根裏らしき窓。二階には大きなベランダ。白いカーテンが風に揺れている。平和そうなお屋敷。
「あれ?」
メイは首をかしげた。カーテンの奥、家の主人らしいナイトガウン姿の男。不自然なのは、男がゆっくり後ずさっているからだ。男の目の前には、スーツ姿の男。キラリと手元が光る。
「まさか――」
嘘でしょと言いかけた時にはすでに、二人の男は接近していた。ナイトガウンの男は崩れ落ちる。
チャイムを乱暴に鳴らし、玄関が空いていたのでそのまま押し入る。奥さんらしき人に怒鳴られつつも、犯行現場である二階の部屋へ向かう。屋敷は広い。
「二手に分かれた方が効率いいわ」
ミズホに言って、各部屋を見て回る。
〔2011/08/16〕
最近、ミズホが気になっていること。それは、ミズホが敬愛してやまない探偵ミムラメイに関することだ。彼女は史上最高の名探偵だとミズホは思っているが、謙虚なのか、謙遜なのか、メイは自ら探偵と名乗ることを嫌がる。確かに、名探偵たるもの、最低限でも密室殺人事件を扱いたいところだし、出来うるならば陸の孤島に殺人犯と共に閉じ込められたり、連続猟奇殺人事件や麗しい怪盗との智謀戦、難解なトラベルミステリにも手をだしたいところ。
だが、今だにそんな事件に出会ったことはない。それというのも、この街が優秀な探偵に不向きな、あくびが出るくらい安穏とした街だということだ。これではいけない。
湯呑茶碗をテーブルにドンと置き、すっくとミズホは立ち上がる。
「先生、引っ越しましょう!」
「はい? っていうか何? なんで突然そんなこと言い出すわけ?」
平穏な午後。眠気と戦いつつ、お昼の人間関係ドロドロなドラマを見ながらポッキーをかじっていたミムラはミズホに尋ねる。
「だって、この街じゃ、先生のすばらしい能力をいかんなく発揮できませんよ! もっと殺人とか事件とかわんさか降って湧いてくるような街じゃないとダメです」
「何言ってるのよ」
ミムラの眠気が吹き飛ぶ。
「ミズホちゃん、何言ってるのよ!」
もう一度言い直す。
「ここ、借家だし! 第一そんなお金無い」
「だからこその引越しです。探偵業で生計たてられるような、ドドーンと事件が目白押しで、ババーンと殺人鬼がウロウロしてる街に行きましょう」
「イヤ。無理。絶対ヤダ」
「何でですかー?」
「なんで好きこのんでそんな危ないとこに引っ越さなきゃいけないのよ」
「先生は探偵ですよ?」
「探偵じゃないってば。私は事件になんて関わり合いになりたくないの。殺したり殺されたりなんて体験、一回で十分」
「ええ!? 殺されたこと、あるんですか?」
「ないわよ! あるわけないじゃない、何言ってんの」
頭を抱えながらミムラは言い返す。どうやってミズホに聞き入れてもらおうかと頭を巡らすが、何事も超強引に押し切られてきたという事実が思い返されるばかりで一向に良い案は出てこない。
〔2011/11/04〕
受賞者のスピーチが終わった。席についていた人々が立ち上がる。この後は別室に移動して、立食形式での歓談――いわゆるパーティーだ。
「メイちゃん、ほら行くよ」
「私は遠慮します。もう帰らせてもらいますね」
立ち去ろうとしたメイの腕を捕まえ、マサチカは引っ張る。
「いいからいいから」
「私、人が多いとこって本当に苦手なんです」
「じゃあちょっとだけ付き合って、ね」
パーティー会場に移動する。適当に食事を皿に盛り、部屋の隅っこで食べる。多くの人々は互いに知り合いを見つけては声をかけ、受賞者を見つけては祝いの言葉を送り、挨拶している。
母もきっとそのいくつかの渦の中心にいるのだろう。メイは部屋中を見回すが、見つけることは出来ない。料理は美味しいと思うが、食欲がない。
タイミングよく、マサチカがオレンジジュースを持ってきてくれた。甘いものは苦手だが、一口飲む。酸味が強い。果汁一〇〇%のオレンジジュースなのだろう。
「メイちゃんは魔法が嫌いなんだよね? どうして?」
なんでもないことのようにマサチカ聞かれ、メイは戸惑う。本当のところを言っても信じてもらえないだろうが、そのまま話すわけにもいかない。
「魔法はすごく便利だよ?」
「でも、誰でも使えるものじゃないでしょ」
「魔力を込めた魔法アイテムを使えば、ある程度は誰でも使えるよ」
マサチカは言うが、それさえメイには無理だ。
「私が魔法を嫌っていると言うより、魔法が私を嫌っているんですよ」
「それは、苦手ってこと?」
「人には得手不得手ってものがあるんですよ」
マサチカはその答えを面白いと笑う。
〔2011/08/15〕
創作中
〔〕
予期せぬセリフに、メイはマサチカの横顔をまざまざと見つめた。カウンター席なので、のぞき込まなければ顔は見えない。
頬から耳にかけて赤い。それは酔いのせいなのか、今のセリフのせいなのか、判断できない。女受けしそうな甘い顔立ち。優しい目元。瞳は澄んでいて、メイを静かに映している。奥にあるのは強い光り。
「酔っているの?」
メイは緊張に強ばりながら尋ね返す。マサチカは酔っているはずだ。赤ワインをボトル半分も飲んでいるのだから、酔っていないわけがない。それにしたって、どうしてこのタイミングでこんなことを言いだすのか。
「僕の本当の気持ちだよ」
酔っ払いは楽しげに笑いながら、姿勢を崩す。けれど、メイから瞳をそらさない。
「あの時、愛してるっていえばよかったのかな」
飲み干すように、グラスの中身を空にする。マサチカは酒に強くない。明日は相当ひどいことになりそうだが、飲むのをやめない。明らかに飲みすぎだ。
メイはマサチカから目を背ける。
聞きたくない。
意味を考えてはいけない。
思いはするが、メイの頬は朱色に染まる。マサチカの気持ちを受け止めて。グラスを見つめ、メイは話をはぐらかす。
「絡み酒とは知らなかったわ」
「僕、酔ってるからね。こんな時じゃないと自分の本当の気持ちなんて、言えないんだ」
「しらふで愛の言葉を、挨拶代わりに言える人が、お笑いね」
メイが何度も見かけた光景。マサチカはいつも、メイが見知らぬ女性に愛の言葉をささやいていた。ただの顔見知りなのだから、嫉妬する必要なんてないのに、メイは見かけるたび、腹立たしかった。
マサチカは魔法使いだから、まさかメイに聞かれているとは思っていない。プライベートな会話をするときには、いつも周囲に結界をはり、声がもれないよう注意している。そんなもの、メイの前ではなんの役にも立たないのに。
「まさか、魔法が通じないなんて思わなかった」
そう言って、空笑いする。メイの前では魔法なんてなんの役にも立たない。魔法で気持ちを伝えることはできない。マサチカは今まで付き合ってきた他の女性を同じように、メイに魔法をかけた。どんな魔法を使っても、何度魔法を使っても、メイはマサチカに振り向かなかった。
「君は、特別なんだね」
「異端なのよ」
メイは寂しげに笑う。彼女を幸せにしたいと、心からマサチカは思った。
〔2011/08/16〕
前回のカラオケ大会は散々な結果に終わった。
そもそも、ただのカラオケ大会などとミムラが侮っていたのが間違いだったのだ。
参加者の意識は高く、ご町内のカラオケ大会とは思えないステージだった。紅白出場歌手と見まごうほどの衣装、もしくはセット。ハイレベルな歌唱力、どれほど練習を積んだのか、見るものをうならせる完璧な振り付け、シンクロ率。
審査員は十名もいて、辛口評価な上、シビアな点数付け。どこの歌唱審査会場かと思われるほど審査中は観客も静まり返っている。少しでも褒め言葉が出ようものなら、涙ぐむ人までいる。
緊張して声の出なかったミムラは審査員にボロクソに言われた。衣装も普通の格好だったから、舞台の上で浮いていた。ミズホが用意していたコスプレ衣装を着ていたほうがまだ、違和感なかっただろう。カラオケ大会が嫌いになりかけたところで、最後に審査員が妙に甘いことを言うから「次こそは頑張ろう」と胸の中で誓ってしまった。舞台を降りてすぐ、そもそもカラオケ大会に望んで出てきたわけじゃなかったと思い出さなかったら、ミムラはこの妙なカラオケ熱に取り込まれていただろう。
ミズホの歌唱力は凄すぎた。いうなれば女ジャイアン。歌には自信があると言っていたが、その自信がどこからきたものなのかミムラは問い詰めたく思った。
審査員達は青ざめた顔をして、君は歌よりも別の道の方が向いているんじゃないかと言っただけだった。点数は表示されず、大会終了後に特別賞として「カラオケ大会特別参加者」の権利を授与された。今後はカラオケ大会への一般参加は認められず、招待されるという話だが、きっと、それが行使されることはないだろう。
歌い終わったミズホには観客席から大きな拍手が沸き起こったが、それは歌に感動してというよりも、ミズホが歌い終わったことに感激している風だった。
「最近どうも視線を感じるんです」
ミズホは嬉しそうに言う。
「次のカラオケ大会近づいているじゃないですか」
この町内では年に四回もカラオケ大会が催される。
「それの影響だと思うんです。私のところにはまだ、招待券が来てないですけど……人数合わせ的に急に呼ばれるかもしれませんし、練習しなきゃですよね」
「練習……。ミズホちゃん、練習するなら、一人カラオケが良いらしいわよ」
「そう思ってこの間から駅前のカラオケ屋さんに行ってるんです」
ミムラは推理する。ミズホを見つめているのは、たぶんカラオケ大会の関係者だろう。鈍い彼女が気づくくらいだから、相当、恨めしげな顔で睨んでいるのだろう。
「駅前のカラオケ屋さん、前はすっごく混んでいたのに、最近、人が少ないんですよね。みんなカラオケ大会前だっていうのに、どこで練習しているんでしょうね」
ミムラはポッキーをかじる。
視線の主は、もしかしたらカラオケ屋の関係者かもしれない。人は思わぬところで恨みを買っているものだ。図太い神経のミズホは気づきもしないだろうけど。
「たぶん、隣町じゃない?」
ミムラはコーヒーをすする。口の中のチョコレートの甘さをブラックで胃に流し込む。
〔2011/08/16〕
創作中
〔〕
創作中
〔〕
創作中
〔〕
創作中
〔〕
『名探偵事務所』
バイトの面接から帰ってみれば、門柱のところに変な看板が立っていた。どこかの道場か、とツッコミたくなる大きな立看板。ホームセンターで板を購入し、切り抜き型を使い、赤のスプレー缶を使って着色してあるらしい。ご丁寧に針金でしっかり、門柱に固定されている。
「サタケさん、あれ何?」
玄関を入ってすぐ、奥に声をかける。
「私のことはミズホちゃんって呼んで下さい、先生」
「それはおいといて、あの看板どしたの?」
「良い出来でしょ? 看板屋さんに電話して見積聞いたら結構かかるってわかったんで、頑張って自作しちゃいました。昨日の事件では謝礼がもらえませんでしたし、次の事件を解決するまで倹約しなきゃダメですものね」
と、にっこり笑顔。エプロン姿のミズホはいかにもこの家の主婦って様子だが、実態ははた迷惑な押しかけ居候だ。昨日のうちに追い出す予定だったが、事件の目撃者として警察で話をしているうち、いつの間にかミズホはここでメイと暮らしていることになっていた。
「ミムラメイ先生の名前をとって『名探偵事務所』すっごい良い名前だと思いませんか?」
「人の話を聞きなさい。誰が探偵やるっていったの。私は絶対やらないわよ。それに、探偵やる気なんてないって散々説明したわよね? 警察の方々にも怒られたでしょ?」
昨日の殺人事件の目撃者として、警察ではずいぶん事情を聞かれた。家出中な上、間借り中の二人が、目的もなく歩いていて事件を目撃する。誰が聞いても、偶然すぎる展開。怪しいことこの上ない。
白昼の犯行であり、目撃者もあったことから、優秀な日本警察は犯人をすぐに逮捕した。あの家は、ミズホが期待していた通り、複雑怪奇な家族構成と愛人と遺産問題で揺れていたらしい。
メイがこの町で暮らし始めて二ヶ月だが、その間、何も事件は起こらなかったというのに。日本の安全神話はどこにいったのだろうと、メイはげんなりするしかない。
ミズホは慣れた様子で警察官と対応している。「こういう事件、良くあるんですよね」などと怖いことを言う。話を聞いていると、どうやら名探偵が歩けば事件にぶつかるんじゃなくて、ミズホが歩けば事件にぶつかるようだ。一人で外出させない方が町の治安に良さそうだと思う。
「あの看板、撤去しなさい」
「ダメですよお」
ミズホはエプロンのポケットからメモ用紙を取り出す。
「早速、依頼を受けています。先生のご活躍っぷりはご近所中に評判ですよ」
「ちょっと待って、私は探偵なんかしないって」
「してもらわないと困ります」
もう片方のポケットから紙の束を取り出す。
「先生の名刺も印刷済みな上、ご近所さんにちらしをポスティング済みです」
『探偵 深村名(みむらめい)』
住所と連絡先付きの可愛らしい名詞。「どんな難事件でもきっちりかっちり解決いたします!」なんて文句まである。パソコンによる自作だが、枚数が多い。
「いつの間にっ」
引くメイ。ミズホは照れた顔で、メイにメモを渡す。
「今日は朝から忙しかったんですよ。先生、さっそく依頼に目を通してください。張り切って頑張りましょうね」
「知らない知らない知らない知らない。私は探偵なんかしないってば」
「わがまま言わないで頑張りましょう」
〔2011/08/16〕
ゐ ―欠番―
マサチカはメイと一緒にジュエリーショップにやってきた。女性とジュエリーショップに来ることは多いが、メイと二人は初めてだ。今日は結婚指輪を買いに来たのだが、やっと、とうとう――という感じで感慨深い。
マサチカは魔法のかかった指輪をと思っていたのだけれど、メイが、
「私は魔法が嫌いなの」
と頑なに言うので、ただの、普通のジュエリーショップにやってくることになった。魔法がかかっていないジュエリーの方が求め安くはあるが、せっかくの結婚指輪なのだから奮発したいとも思う。
「ねえ、メイ。どんな指輪が欲しいの?」
それでも楽しくてしかたない顔でマサチカが問う。店員がオススメの指輪をショーケースから取り出し見せてくれるが、メイは興味の薄い顔で見やるだけだ。
「どんな指輪でもいいよ。君の好きなのだったら」
「シンプルなのがいいわ」
「でしたら、コチラなどがオススメです」
店員がいくつか取り出した指輪をメイは見比べている。あまりにシンプルすぎて、マサチカが不安になるほど。値段も予定していたより断然安い。
「ねえ、もっと高くてもいいんだよ。こっちの方が可愛いくない?」
「マサチカ、私は指輪と結婚するわけじゃないのよ」
メイは指輪を見つめている。横顔は真剣だ。言葉の意味が分からず、マサチカは店員と目が合う。店員はごちそうさまという目でマサチカを見返す。マサチカは言葉の意味を考え、沸き上がるような嬉しさに満たされる。
メイはマサチカが今まで付き合ってきた女性達とはまったく違う。そう思うのは何度目になるだろう。あまりに違いすぎて、マサチカはメイが何を考えているのかわからなくなる。けれど、そんなところも面白いと思う。それは彼女の魅力。
結婚して欲しいと伝えたのはずいぶん前のことだ。上司であるサトリの許可を取り付けられたのはメイの協力も大きい。
ようやく指輪を決める。会計をしている間、メイは世間話でもするかのようにマサチカに言った。
「私ね、マサチカがどれほど浮気しようとも一向に構わない。でも、私のことを忘れたら百回謝ったって、許さないから」
「忘れるわけないだろ」
何を言い出すのかと笑いながらマサチカは答えた。メイの真意を知りもせずに。
〔2011/08/16〕
「遅れてごめんね」
五回目のデート。中高生じゃあるまいに、未だに二人は清い交際中。手を握ったことさえない。休みの日に映画を観て、食事をして、買い物につきあう。それだけの関係。それは恋人というより、ただの友人。付き合っているというより、一緒に遊んでいるだけ。
今日は博物館に行くはずだった。待ち合わせ時間にマサチカが遅れ、そのまま近くの定食屋で食事することになった。
遅れた理由は、メイが察しているとおり、別の女性。朝まで一緒だった女性がヒステリーを起こし、出かけようとするマサチカの足止めをしたからだ。
彼女がそんな女性だとは思っていなかったから、朝、マサチカはとても焦った。そんな女性だと分かっていれば、最初から付き合ったりしなかった。マサチカと付き合っている女性たちは皆、自分以外にもマサチカに女がいることを知っている。それなのに、今まで喧嘩になったことなどないのは魔法の力だ。
このところ、女性とのトラブルが増えた。メイと付き合い始めたころからだ。何もかもうまくいかない。
「本当にごめんね」
マサチカは何度も謝る。メイはマサチカの上司の娘。彼女に限ってとは思うが、変なことを言われたら職場に居ずらい。
「別に構わないわよ。あなたと私はただの友人なんだから」
メイはメニューから顔を上げない。怒っているようにもみえるし、ただ呆れているようにもみえる。メイが何を考えているのか、マサチカにはわからない。
彼女はマサチカが多くの女性と付き合うことを反対しない。しかし、マサチカとは友達以上の関係は持ちたくないという。だから、メイにしてみればこれはデートではないし、友人の女関係を心配しさえする。マサチカはメイの態度をどう考えていいのかわからない。
「僕たち、付き合っているよね?」
「友達として」
「じゃなくて」
マサチカは小さくため息をつき、メニューを見る。名前しか書かれていないので、妥当にコロッケ定食を頼む。いまどき、立体的で臭いのする魔法の料理写真を載せている店が多い中、古臭いことだと思う。
「ねえ、メイちゃん。物は相談なんだけど。僕のこと、フカムラさんっていうのいい加減やめない?」
「じゃあ私のことも、ちゃんづけて呼ぶの、やめてもらえますか?」
「メイちゃんじゃなかったら、なんて呼べばいいの?」
「呼び捨てで良いです。私もそうしますから」
「フカムラって? 僕のことはマサチカって呼んでよ。敬語もなしでいいから」
〔2011/08/15〕
夕方前。オープンテラスの喫茶店。マサチカは一人、席に座っていた。テーブルにはコーヒーのカップが二つ。
いい女ができたのね、と別れを告げられたのは昨日のことだ。さっきまで目の前にいた女も、似たようなセリフを告げ、マサチカの前から去っていった。
マサチカは手帳を取り出し、首をかしげる。今までと何らかわりはないはずだ。今までどおり、女性たちとは計画的に予定を組み、枠を外れない程度にお付き合いをしている。なのになぜ、最近振られてばかりいるのだろう。
「あらフカムラさん、お仕事?」
声をかけられ、マサチカハ顔を上げた。思わぬところでメイと顔を合わせ、慌てる。
「いや、仕事じゃない」
「じゃ、デート中? ごめんなさい」
「違う、振られた」
「え?」
するりと出てきた言葉に驚いたのはメイだけではない。マサチカはどうしてそんなことを言ってしまったのか分からず、
「ごめん。変なこと言って」
「こちらこそ。変なこと聞いてごめんなさい」
「座って」
と、女が座っていた席の隣を指さす。
「メイちゃん、どうしたの? こんなところで会うとは思わなかったよ」
「私もですよ。魔法使いって魔法使い地区から出ないものだとばかり思ってました」
マサチカはウエイトレスを呼び止め、コーヒーを新たに二人分注文する。
「僕はいろんなところに行くよ」
「らしいですね。母さんから色々聞いてます」
含みのある言い方に、マサチカはまいったな……と後ろ頭をかく。
「先生、変なこと言ってた?」
「逆に褒めてたましたよ。仕事に支障をきたさないところがすごいって」
それは皮肉だ。
運ばれてきたコーヒーにマサチカは砂糖を一つ、ミルクをたっぷり入れる。メイはブラックのまま口をつけている。
「僕のこと、他にも何か言ってた?」
「母さん、仕事のことは家であまり話さない人なんです」
「厳しい人だからね」
「厳格が服着てるようなものだものですからね」
くすくすと二人で笑う。
「この後の予定は?」
マサチカに問われ、
「帰ります。読みたい本もあるし」
「これからが良い時間なのに」
「本を読んでるほうが有意義ですよ」
言って、メイは腕時計を見やる。
「電車の時間だわ。じゃあ」
と、財布からお金を取り出し、マサチカに押しつけ、
「ここは私が奢りますね。失恋の慰めにはならないだろうけど」
マサチカは息を吐き微笑む。
「いや、ありがたく受け取るよ。そうだ、僕も一緒に帰るよ」
「電車で?」
「電車で。変かな」
「魔法使いならばもっと便利な乗り物がいくらでもあるでしょうに」
「そういう気分じゃないんだ」
マサチカの言葉に、メイは微笑み、
「そうですね、そういう時もありますよね。でも、覚悟しなきゃダメですよ。電車ってすっごい混むんですから」
メイの言ったとおり、マサチカは久々の電車を後悔した。
「狭いっ。もうちょっと詰めてよ」
おばさんの声に押され、学生カバンにぶつかり、座る席もなく、立っていても吊革は不安定だ。乗り降りする乗客の波にもまれ、こもった熱気で気分も悪くなる。ようやく最寄りの駅に到着する。
「疲れた」
肩を落とすマサチカにメイは笑う。
「だから言ったのに。魔法がないと不便でしょ?」
この駅の利用者はほとんどいない。魔法使いが多く住むエリア。皆、移動に魔法を使うから、公共交通機関の利用者は限られている。
マサチカはベンチに座る。メイは自動販売機でお茶を買い、マサチカに手渡す。
「ありがとう」
「いえいえ。失恋を慰めるのは友人の義務ですから」
「友人?」
「でしょ?」
メイの顔を見て、マサチカは笑みをこぼす。
「……友人か」
友人など何年ぶりだろうと、思ってみる。
魔法が嫌いだとメイは言っていたが、嫌いだからといって、これほど不便な生活をしているだなんて酔狂だ。マサチカが今まで付き合ってきた女たちは、彼が魔法使いであること喜ぶことはあってても、魔法を嫌うなんて女性はいなかった。魔法の素晴らしさを分かってもらいたいと思うけれど、彼女の母親の力をもってしても彼女はそれを認めないのだ。自分程度が彼女を納得させられるはずがない。
「大丈夫ですか?」
「だいぶ平気になってきた。メイちゃんはいつもあんな電車乗ってるの?」
「いつもじゃないです。今日は特別酷かったかも」
優しい言葉に、マサチカから笑みが漏れる。
「そっか」
マサチカは顔を上げ、メイの顔を見る。
「メイちゃん、明日の予定は?」
「予定はないです」
「じゃ、どこか一緒に行かない?」
「マサチカさんとですか?」
警戒心剥き出しの顔。だから、マサチカはわざと言う。
「友人なら、失恋して傷心中の人間に優しくしてくれてもいいと思うけど」
「友人なら、ですか」
「僕と君は友人でしょ?」
そうですね、とメイは思案顔ながらもマサチカと一緒に遊ぶ約束をして別れた。
〔2011/11/04〕
目の前には壁があった。何度目の行き止まりになるだろう。メイは隣に立つマサチカを見やる。マサチカは困った顔で笑いながら、
「ここ、なかなか難しいね」
と、言った。右を見ても、左を見ても、後ろを見ても壁。ずっと壁だらけ。ここは巨大な迷路の中だ。
「来た道を戻って……。さっきのとこ、左に曲がってきたから、右に行ってみようか」
「その前の道をまっすぐ行った方が良かったんじゃない?」
「さっきはメイも右で良いって言ったじゃない」
「そうだっけ?」
てくてくてくてく、壁に囲まれた通路を二人は歩く。同じ壁が続く。どこをどう歩いてきたのか、そろそろわからなくなってきた。
「この迷路、入ってから結構経つよね」
「疲れた?」
「僕は平気。君は?」
「のど乾いた。ズルしてもいい?」
「ズル?」
「下」
と、メイは壁の下の方を指さす。地上から七〇センチほどの高さまで、壁が無い。
「ここを抜けたら出られる」
「でも、せっかくの迷路だよ?」
「私はもう飽きた」
「入ろうって言ったの、メイじゃないか」
「じゃ、マサチカ一人で迷路を堪能して。私は十分楽しんだから」
メイは壁下をくぐり抜けてゆく。
〔2011/11/04〕
母を尊敬しているものの、メイはハヤマサトリが苦手だ。名の知れた魔法使いであるハヤマサトりの娘に生まれながら、メイは魔法の才能に恵まれていない。才能が無いのならばまだ我慢できるが、メイは魔法と相性が悪い。メイが存在するだけで、魔法の効力は弱まり、魔法効果が消滅する。サトリは、それも一種の魔法の才能だとメイに言い聞かせてきたものの、メイはそれに納得することはできない。
ハヤマサトりが母でなければ、きっと自分は幸せに暮らせていだろろうとも思う。けれど、それは言っても始まらないことだ。
ハヤマメイは親しい友人をつくらない。魔法使いはのみならず、ただの人間の知り合いでさえ、彼女は極力注意して付き合っている。それは自分の体質が露呈するのを恐れての行動であり、自分の体質が吹聴されることは、母を踏みにじる行為だと考えているからだ。
なのに、である。
「僕の顔に何かついてる?」
イタリアンレストラン。向かい合わせの席で赤ワインを飲んでいるプレイボーイから、メイは目を背けた。アルコールに弱いマサチカは、グラス一杯飲んだだけで、顔が赤くなっている。
魔法使いとして、人間として。彼ほどメイと親しくなった相手はいない。メイ自身もそのことに驚いているが、それは事実だ。これほど軽薄で、信用できない男もいないと頭では分かっているのに、メイはマサチカとの付き合いをやめようと思わない。
メイは決心がつきかねている。母の部下であるマサチカに自分の体質について語ることは、どれほど危険なことだろう。見極めがつかない。マサチカは悪い人ではないが、良い人でもない。けれど、真実を告げてしまえば、彼はメイから離れていくだろう。これ以上、マサチカに振り回されることもないだろう。
マサチカは時折、首をかしげ、まざまざ自分の手を見る瞬間がある。何か自分に対して魔法を使ったのだろうと思うが、メイはそれがどんな魔法なのか実感することはない。けれど、マサチカは焦りもせず、疑問や不審を抱くことなくメイと共にいる。稀なタイプだ。
「あのさ、すっごく重要な話……って何?」
マサチカはじれったそうに、メイに尋ねた。また、ワインを口に含んでいる。
「どう言ったら良いのか……」
メイは決心がつきかねている。けれど、告げなければいけない。これ以上、騙した格好のままでいるなんてできない。
「私のことなんだけれど」
「うん」
「魔法、効かないでしょ」
「……ん?」
マサチカは首をかしげた。メイから告げられたのは予想外のセリフ。やっと色気のある話ができるとばかり思っていたから、戸惑う。
「私ね、魔法を無効化しちゃう体質なの」
メイの告げた言葉が頭に入ってこない。
「あなた、私に何度か魔法を使おうしたことあったでしょ? あなたは私の魔法防御が高いからあなたの魔法が効いてないと思ってるみたいだけれど、そうじゃなくてね、私が近くにいると魔法が使えないっていうか、効果がなくなるの」
呪文のようにマサチカの頭を右から左へ言葉が流れていく。アルコールのせいもあり、ぐるぐる頭の中を言葉が渦巻いているだけで、考えられない。
「それは、僕のことが嫌いってこと?」
「いいえ」
と、メイは首を振る。
「良かった。僕も君が好きだよ」
と、マサチカは赤ワインを胃に流し込み、席を立つ。
「もっと雰囲気の良い店に行こうか」
〔2011/11/04〕
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