「カッワいい!」
ミズホが喜びの悲鳴をあげたのは、公園を歩いている時だった。突然ミムラに買い物袋を押しつけ、駆けてゆく。
芝生の上を、灰色と白のまだらのウサギが駆けている。ウサギは意外と素早い。飼い主だろう女が手を伸ばし、捕まえようとしているがうまくいかない。ミズホはひょいと耳をつかみ、抱き抱える。
「怖くないよー。お姉さんが抱っこしてあげるねー、いい子にしようねー。可愛いね、お前。名前はなんて言うの?」
ウサギに尋ねたところで答える訳がない。ミズホはウサギをあやす。飼い主がホッとした様子で近づく。
「ありがとうございます。目を離したすきにケージから逃げ出しちゃって」
「名前はなんで言うんですか?」
聞かれた飼い主は一瞬言葉を詰まらせ、
「ああ、その子……ええっと、ロザリー。返してもらえますか? あまり時間がないので――」
「へえ。ロザリーちゃん可愛いねえ」
ミズホは聞きもせず、ウサギをなでている。女は苛立ってきている。ミムラがようやく追いつく。
「ミズホちゃん、勝手にうろつかないでよ。あれ? そのウサギ……」
ミムラはうさぎの首輪を確認する。金属製のネームプレートには『RURU』の文字。捜査依頼を受けてる、連れ去られたルルちゃんにそっくりだというか、本人っぽい。
ちらりと女に目をやる。意味を察し、逃げ出そうとした女の背中に思い切り、ドロップキックをかます。
「お姉さん、ちょっと事情を伺いましょうか」
背中に手をやりながら起き上がる女の手をねじりあげ、そのまま探偵事務所まで同行してもらった。
事件はウサギが戻ってきたこと、犯人が依頼者の知人だったこともあり、内々で処理された。
「事件解決ですね、先生」
「私、何もしてないけど?」
「でも、謝礼はいただきましたし、探偵事務所的には解決した第一の事件ですよ、これ」
ミズホは非常に嬉しそうだ。
〔2011/08/17〕
ミムラがバイト先から帰ってみれば、ミズホの姿がなかった。出ていったのか、と淡い期待を抱いたものの、そんなわけないと冷静になる。買い物だか、散歩だか。気の向くまま、感の向くまま事件のあるところへ赴いているはずだ。
最近は物騒ですね、なんてご近所さんと挨拶するのがミムラは苦手だ。ミズホがこの街に来るまでは本当に何もない、ただただ平穏な町だった。ミズホがやって来てからというもの、煙の立っていないところに事件を見つける彼女の能力がいかんなく発揮され、次から次に事件が発生している。元々、事件が多い町だったのか、ミズホによって埋没していた事件があぶりだされているのかはわからないが、どちらにしても頭が痛い。
完璧な犯行計画であればあるほど、ミズホのレーダーには引っかかりやすいらしく、犯行前後、完全に犯人を捕まえられる瞬間になぜかミムラは立ち会うことが多い。警察には「またアンタたちか」と白い目で見られ、ご近所さんには優秀な探偵だと思われている。
門柱には『名探偵事務所』の立看板。『深村』の表札も、友人の表札も完全に隠れている。この状態でもダイレクトメールは届くのだから、郵便屋さんはすごいと思う。
夕方過ぎたが帰ってこない。久々に自分でご飯を作らなければならないらしい。自分一人分のご飯を作るのは面倒で、大抵コンビニかスーパーで惣菜を買ってきていた。人数いれば、作るのも楽しい。
冷蔵庫を開けて食材をチェックする。冷蔵庫の中身はさっぱりしているというか、食材がない。倹約家というよりも、ドケチなミズホは週に二度の買い物で全てをまかなう。買い物日は明日のはずだが、この冷蔵庫の状態から見れば、それでは間に合わず、今日買い物に行ったのかもしれない。
食事を作ろうにも材料がない。ミズホが帰ってくるのを待っているしかなさそうだ。買い溜めてあるポッキーをかじる。
甘いものは好きじゃない。チョコレートは口の中がベタベタするので苦手。プレッツェルにチョコレートがかかっているこのお菓子なら食べられる。――寂しいのも我慢できる。
「遅くなりましたー」
ミズホが帰ってきた。
「出かけるときは連絡しろっていったでしょー!」
「すいません。でもすっごいセールだったんですよ。絶対今日買わなきゃ損って感じの価格設定で、めっちゃ安かったんです」
「へえ」
「むくれないでください、先生。開店記念セールとはいえ、この価格は信じられません」
買い物帰りのミズホにしては珍しい、特大笑顔だ。
〔2011/11/03〕
男は怒っていた。血走った目、泡を吹きそうな口。肉食獣が久々の獲物を見つけたような動きで、ガラスの檻の中をうろついている。ふつふつと沸き上がってく疑問。
「何故だ! どうしてこんなことになった! 私の計画は完璧だった。なのに何故」
ミムラは檻の外で男を眺めている。憤っている男との距離が近いので、恐ろしくはあるが、危害を加えられる心配はない。
「私は完璧だった。なんどもシュミレートした。偶然の成り行きなどなかった。何もかも、仔細漏らさず完璧になるまで、繰り返し行なった。どこにも落ち度はなかった。なのになぜだ? どうして私の計画は狂った?」
神に尋ねているかのように、男は叫ぶ。
それは簡単な問いだとミムラが答えるのはたやすいが、口には出さない。男の計画が狂った理由、それはここにミズホがいるからだ。犬も当たれば棒にあたるというくらい、ミズホが歩けば事件に巻き込まれる。
朝、急にミズホが美術館に行きたいと言い出した。今日まで公開の展示品を見たくなったらしく、昼過ぎにここへやって来た。私服警官の多さに眉をひそめていたら、最近世間を賑わせている怪盗が、ここで公開されている美術品に対し、犯行予告を出していた。新聞等で報道はされていなかったが、最終日とあり、見物人は多い。男は客にまぎれて犯行を行う予定だたらしい。なんとも大胆不敵。
「私は完璧だった。どこにもミスなどなかった」
男は繰り返している。ミムラが気の毒に思うくらい。
パンプレットに大きく写真で取り上げられていた美術品、男が予告していた美術品は今、男と共に檻の中にある。どこの漫画だかアニメだかに影響されたのか、美術品の半径二メートル以内は床から出てきたガラス製の檻で封鎖中。部屋自体も扉がロックされていて出られない。
「ミズホちゃんと出かけると、いっつも事件に巻き込まれるわね」
「それはいわない約束です」
ミズホは言うが、顔は楽しげだ。
「この方が今、世間を賑わせている怪盗さんだったんですね」
男の顔をまじまじと見つめる。どこにでも居そうな四〇代の男だ。
男は脱出するため、魔法を使おうと試みているがうまくいかない。強力な魔法無効化装置があっても、男はどうにかできるはずだった。なのに、魔法が発動しない。ミムラが近くにいるせいなのだが、男はそれを知らない。何度も魔法を試し、絶望の言葉を吐いている。
「なんだか気の毒になってきちゃうわね」
ミムラが漏らす。煙のないところに事件を発見する能力者と魔法無効化能力者コンビ。二人がいなければ、男は完璧に犯行が行えていただろうに。
「こんなスマートじゃない、おじさん怪盗なんて興味ありません。どこかに、先生のライバルにふさわしい美男美女系の怪盗さんいませんかねえ」
「居なくていいわよ」
「いますよ、きっと」
楽しげに笑っている。ミズホが断言するってことは、どこかにいるんだろうなあとミムラはげんなり思う。
〔2011/08/17〕
ミムラは不機嫌に足を組み、ポッキーをかじっている。森閑とした部屋の中、ポリポリという音が辺りに響いているが、ミムラは気にしない。部屋の真っただ中、机の上には巨大なからくり時計。それを囲むように、設置された椅子にはミムラとミズホ。そして依頼人。
いつもならばベッドで熟睡中の時間なのに、ミズホがどこからともなく引き受けてきた案件のせいで、眠らせてもらえない。深夜一時に目の前にある巨大なからくり時計を頂戴するなどという、ふざけた予告状を出した怪盗・ビューティフルキャッツとやらにこの恨みはぶつけるしかない。
「まもなく、犯行の予告の時間ですね」
依頼主が緊張の面持ちで言う。このからくり時計は、どのくらい値打ちのあるものなのかしれないが、一人じゃ絶対運べないくらい大きい。その上、デザインが前衛的すぎて、欲しがる人なんてほとんどいなさそうな一品。ビューティフルキャッツが何を考えてこんなものを欲しがるのか、逆に興味深いとメイは思う。
「こんばんわー。夜分失礼しまーす」
玄関から女の声が響いた。
「こんな夜更けにお客様とは……」
老齢の依頼主がよっこらしょと、立ち上がり、玄関へ向かう。
「どなたもいらっしゃいませんかー? お留守ですかー?」
女は叫んでいる。広い屋敷だというのに、奥にあるこの部屋まで聞こえてくるのだから、相当大きな声で叫んでいるのだろう。時間的にも近所迷惑な。
「あがりますよー。あがりましたよー」
女の声が言い、
「誰だ!」
依頼主の声が聞こえたところで、屋敷内は静かになった。物音一つしない。
「何、何があったわけ?」
慌てるミムラ。ミズホは顔を輝かせ、
「犯行予告時間まであと二分切りました! もう少しで怪盗が登場ですよ」
静まり返る屋敷。
遠くから聞こえる犬の鳴き声。
風の音。
パチンと照明が切れる。ブレーカーが落ちたのだろう。屋敷内は暗い。
「ミズホちゃん、明かり」
こんな事もあろうかと懐中電灯をたくさん用意していたのだ。それらを付けてまわり、明かりを確保する。
部屋の中にはいつの間にか一人の女。黒いマントに身を包み、黒猫のマスク面をかぶっている。
「誰?」
ミムラの問いかけに、女は芝居のように、忍び笑いから高笑いへ変化させ、
「ビューティフルキャッツ参上!」
と、のたまわり、マントをなびかせた。その下にはオレンジ色のレオタード。ボディラインは明らかに女性だが、三段腹でその格好はいただけない。
部屋の中、居た堪れない沈黙が満ちている。
「予告してたからくり時計、どこですかあ?」
女は目の前にあるそれに気づいていない様子で、部屋の中を見渡している。
「あれ」
と、ミムラは指さしてやる。
「えー!! あんなに大きいんですかあ!? もっと小さいものだと思ってたのに……。どうしましょう、運べないわ」
と、困惑している。
「あの、手伝ってくださいませんか?」
女はぬけぬけとミムラとミズホに言い、どうやって運ぼうかと独りごちている。
「この机、車が付いてるからこのまま運んだらいいと思うよ」
ミズホがなぜか犯行に加担し始めている。
「そっか。アリガト、ミズホちゃん」
なぜか怪盗もあっさり同意する。
「っていうか、なんで名前知ってんのよ。あんたたち、知り合い!?」
「……さすが先生の目は欺けませんね」
ミズホが告げる。ビューティフルキャッツもすごすごと仮面をとる。ミムラは驚きのあまり目を見開いた。
「何やってんですか、シノさん!」
よく行く八百屋の奥さんだ。
「ミズホちゃんに頼まれちゃったのよ」
可愛らしく、シノさんは舌を出してみせるが、頼まれたからといって怪盗をやるのはどうかと思う。
「つもる話はまたの機会にして。とりあえず、逃げるわよ」
「え〜。でも、せっかくのからくり時計が〜」
未練がましいミズホをミムラは睨みつけ、
「これ、ただの詐欺師の手口。探偵ごっこじゃ済まされないわよ」
証拠を湮滅し、屋敷を出る。
〔2011/11/04〕
創作中
〔〕
創作中
〔〕
「先生、残念なお知らせです」
ミズホが暗い顔をして戻ってきた。
いつも明るい彼女がこんな顔をしているのだから、何だかとても悪い知らせのようで。ミムラはソファーに座りなおす。
ミズホは向かいのソファーにふかぶか腰掛け、すいませんと頭を下げる。
「マユズミジュンの『ユメオイビトヨ』は却下されました」
ミムラは瞬きをくり返し、ミズホの言葉を頭の中で再生する。どうやらカラオケ大会の選曲のことらしい。たいした問題ではない。姿勢を崩す。
「別に良いけど」
ポッキーをかじる。
「よくありません。先生、別の曲を選んでください!」
「私が出なきゃ良いんじゃないの」
「ダメです。絶対、出ていただきます。他に十八番は?」
言い出したら聞かない。手にはメモ帳とボールペン。用意が良いことだ。
仕方ないと、ミムラは頭をめぐらせる。
「コロムビア・ローズの『悲しみよグッドバイ』」
「コロムビア・ローズ。『カナシミヨグッドバイ』と」
繰り返しながらメモを取る。そのメモを手に、ミズホは電話を掛ける。デスクに置かれた昔ながらの黒電話。探偵業は見た目からと、わざわざ用意したものだ。
ジーコジーコとダイヤルを回し、相手と短い言葉を交わしていたが、
「先生、それもダメですって。他には?」
考える。
「トワ・エ・モワの『誰もいない海』」
「他は?」
「森山加代子の『人の気も知らないで』」
「他は?」
「渡辺マリの『東京ドドンパ娘』」
「ありますか! 先生、それならオッケーだそうです」
電話を置く。ミズホはにこやかな顔でソファに座りつつ、
「先生、どこで歌を覚えてるんですか? 全部、最近の歌じゃないですよね」
ミムラは目をぱちくりさせ、驚いた顔で、
「ラジオで流れてたんだけど」
〔2011/08/10〕
雨が降り出しそうな空模様だった。窓は開けっぱなしているが、風はない。部屋の中はじっとりと重く、扇風機の音がうるさく響いている。
ソファにだらりと倒れこみ、求職雑誌をめくりつつ、メイはポッキーをかじる。
家出を始めて早、ニヶ月。未だにマサチカは迎えに来ない。忘れ去られたのだと言う重くて苦くて切ない思いを消化するには、まだ日が足りない。
「良い仕事、ないかな」
パラパラとめくってみるが、割の良さそうな仕事はない。いっそ、出た家に帰ろうかとも思う。マサチカはメイのことを完全に忘れているのか、探し出せないのか、どっちだろう。
結婚前は、家出しても一週間もすれば、母に見つかっていた。母が直接迎えに来るか、帰ってくるように書かれた手紙が届けられた。それが屈指の魔法使いと、ただの魔法使いの差、なのだろうか。
ポッキーの袋に手を伸ばし、空なことに気づく。買い置きもない。メイはイライラしながら、空箱をゴミ箱へ投げ込む。買い物に行こうと立ち上がる。
財布を片手に、傘も持たず、部屋を出る。
近くのコンビニでポッキーと弁当、飲み物を買っていると降り始めた。土砂降りの雨。部屋まで歩いて十分。完全に濡れてしまう。雨宿りしようと雑誌を立ち読みし始める。
コンコンと音がして、メイは目を上げた。ガラスの向こう、窓の外に二十歳過ぎの女性が立っていた。明るい栗色の髪も夏物の衣服も見事に濡れてしまっている。上は黄色のニット、下はジーンズのショートパンツ姿。
メイの顔を見てにこりと笑い、手を振る。知り合いではない。雑誌に目を戻そうとすれば、またガラスを叩く。
「誰よ?」
問いかける声は向こうに聞こえていない。店内に入ってくる様子もないので、メイが外に出る。
「あなた誰?」
彼女は笑顔のまま考え込む。
「行方不明だったあなたの妹なんです、実は。記憶喪失気味の姉を頼って上京してきました」
「は?」
「じゃあ、物心着く前に生き別れになっていたあなたの妹なんです、私。実は腹違いで……っていうのは?」
「無理があるってば、その設定。で、なんなの?」
「お姉さん近くの人でしょ? 買い物し終わったのに雨宿りしてるところをみると」
メイは目線で話の続きを促す。女性はしおらしく、
「あの。タオルと食事と……その他諸々貸してください」
「見知らぬ人間に対して借りるものが多すぎない? 私があなたに貸したところで返してくれんの?」
「出世払いでお願いします。あの、お財布落としちゃって」
それは本当らしい。泣きそうな顔でメイを見つめる。
「それなら警察行きなさいよ」
「警察はダメです。私、家を飛び出してきちゃったんです」
泣き崩れる。メイと彼女の立場は同じ。
〔2011/08/15〕
「最近、楽しそうね」
サトリに声をかけられ、マサチカは言葉を詰まらせる。昼休みの合図が鳴ったのは数秒前だ。職場の同僚達の中には、一息つこうとすでに席を立っているものもいる。
「そうですか?」
「ええ。そう見えるけど? 新しい彼女?」
サトリは机の上の書類を適当にまとめている。食堂に行くのだろう、立ち上がる。
どう答えれば良いのか思い浮かばない。最近、サトリの娘であるメイと親しくしている。恋人というより、友人として。時間があえば、一緒に時間を過ごしているが、デートではない。
サトリはそれを知っているのか、それとも知らせたほうが良いのか判断できない。
「何もないですよ」
「嘘」
「嘘じゃありません。嘘をつく理由なんて僕にはありませんよ」
「そう?」
サトリはカバンからトランプを取り出し、シャッフルすると応接テーブルの上に並べてゆく。
「なんですか?」
「トランプ占い。こう見えて結構当たるのよ」
鼻歌交じりでサトリはカードを並べ、並べたカードを取り除いていく。名のしれた魔法使いであるサトリの特技が、トランプ占いであることを知る者は少ない。
並べられていたカードはサトリの手によってきれいに取り除かれる。サトリはトランプをまとめながら、微笑む。
「良い恋みたいね」
「残念ながら、恋じゃありません」
「順調じゃないってこと?」
「恋じゃなくて、新しい友人が出来たんです」
「女の子でしょ?」
サトリは首をかしげる。女ったらしで有名なマサチカに、女の友人なんて。
「れはおかしいわね」
「そうですか?」
そう答えたものの、マサチカもおかしいと思っている。今まで付き合ってきた数々の女性と違い、メイは思い通りにいかない。魔法に対する耐性が高いのか、マサチカに魅了されない。ただの友人として付き合っているのはそのためだ。けれど、時間が経つにつれ、マサチカはメイと一緒に過ごすことが楽しくなってきていた。
〔2011/08/15〕
ゐ ―欠番―
創作中
〔〕
創作中
〔〕
壇上でスポットライトを浴びているのはメイの母であるハヤマサトリ。イメージカラーでもある紫のドレッシーなスーツを着こんでいる。ひっつめた白髪交じりの黒髪。鋭角的な眼鏡はいつもと同じ。スピーチが終わり、満場の拍手が沸き起こる。
にこやかな笑顔で会場を見渡している。光りあふれる壇上から、暗い客席のどれほどがうかがえるのだろう。
慣れた様子でハヤマサトリは壇上に設けられた席に戻り、次の受賞者がスピーチを始める。
メイは出入り口近くの壁際に立っていた。赤いワンピースドレスは既製品だが、彼女によく似合っている。
魔法使いが集う場所になど来たくはなかった。会場で魔法を使う人間などいないと説得され、やってきたのだ。
「こんなところにいないで、どこか座ったら良いのに」
薄暗い中、近づいてきた男に声をかけられ、メイはそちらを見やる。ひそめられた声だが、男の声には聞き覚えがあった。優しげな雰囲気の男が、柔らかな笑みを浮かべて立っていた。
「フカムラさん、ご苦労様です」
メイは小さな声とともに頭を下げる。会場は静まり返っている。大きな声は出せない。
フカムラは母親の部下の一人であり、今回、メイにこの会場に来るよう何度も説得してきた男だ。この受賞自体、魔法使いとしてとても名誉なものである事はメイも理解している。けれど、メイは魔法に嫌われているし、魔法に縁がない。その体質をいくら話したところで、誰も理解できないだろう。
「僕の名前、覚えてくれていたんだね」
「ええ、まあ」
男はあくまでマイペース。何気ない世間話が続く。メイは気持ち、距離をとる。とった距離だけ、マサチカはさりげなく近づいてくる。女の扱いに慣れているのか、無愛想なメイを気にする様子なく、低い声で会話を続ける。
「もしかして、メイちゃんは人が多いところが苦手?」
「そうですね」
「偶然だね。僕もなんだ」
それは嘘だろうと、メイは思う。
〔2011/08/15〕
雨が小ぶりになったので、二人は駆けてメイの部屋に向かった。メイも彼女同様びしょ濡れになったが、仕方ない。雨はやむ気配なく、雷をともないはじめた。
年齢的に全力で走れないのが辛いところ。小走りながら、すでに息が切れている。部屋にたどり着き、自分用と彼女用にタオルを用意する。
「ありがとうございます。ミムラさん」
彼女は受け取ったタオルで髪の水気をとっている。
「ミムラ?」
「表札に『深村』って」
「あれはミムラじゃなくて――まあ、ミムラでもいいか」
長く付き合うことのない彼女に何と呼ばれようと構わないじゃないかと思い、訂正を取りやめる。
「あなた、名前は?」
「サタケミズホです。よろしくお願いします」
「よろしく――って、ちょっと勝手に上がらないでよ」
「お構いなく」
止めようとするが勝手に上がり込み、扉を開けて確認し、バスルームへ消える。
「お借りしますね」
「待ちなさいってば」
扉を開ければ既に、服を脱いだ彼女の姿。彼女を追い出すにも、裸というのはよろしくない。メイは戸惑い気味に、
「ええっと、あの、着替えは持ってるの?」
「あれの中です」
水分を含んだカバンを指さす。中まで水が染み込んでいないことを願うだけだ。ミズホは裸のままカバンをあけ、中身がほとんど濡れていないことを確認する。
「大丈夫みたいです」
「そう、よかった」
メイは笑顔で答えたものの、それもなんだかおかしな気がして表情を固くする。
「あのね、私も鬼じゃない。雨宿りは許可する。雨が上がったら出て行ってね」
言葉も終わらないうち、ミズホはシャワーを使い始める。あまりにマイペースすぎて、どう対応していいのかわからない。
メイは濡れた服を洗濯機に入れ、乾いた服に着替える。コーヒーを入れ、ポッキーを開ける。買ってきた弁当を食べるのもなんだか気が引け、求人雑誌を開く。当面の生活費に困ることはないが、一日中部屋にいてもやることがない。
着替えたミズホが部屋に現れた。それはいいが、どう考えても部屋着。街中を歩ける格好ではない。
「あのさ、部屋を出ていってって言ったわよね?」
言いつつも、彼女にコーヒーを出す。
「ミムラさん、そういえば名前をお聞きしてないですよね?」
「名前? 私の名前なんてどうでもいいでしょ」
「私は名乗ったのに……」
泣きそうな顔。芝居だろうとは思うが、無視もしにくい。メイはため息を付きつつ、
「メイよ」
「メイさん? 漢字でどう書くんですか?」
「普通に『芽衣』」
「普通に『名』ですね」
なんだか、彼女とは意思疎通がうまくいっていないような気がする。メイが頭を抱えつつ、メモ用紙を取り出す。年末にどこかで貰った黒い手帳。
ミズホの顔に喜びが広がる。
「ミムラさんって探偵なんですね!」
勝手に納得し、興奮している。
「はい?」
「私、幼い頃から探偵の助手になりたいって思ってたんです」
「ああそう」
「よく見ればそうですよね。どう見ても探偵事務所ですよね、ここ」
ミズホは瞳をキラキラさせながら部屋を見渡す。古くて大きなデスクが部屋のすみにあり、中央にはテーブルソファセット。部屋のわりに小さなテレビが壁にかけられている。家具は主に懐古趣味っぽい雰囲気のものが多い。ミズホに言われ、メイもそう言われれば探偵事務所っぽいかと思う。
ただ、この家具はメイが揃えたものではない。メイの友人であるこの部屋の主はただいま海外出張中。家の管理を兼ねて、借り受けているだけだ。
「助手にしてください!」
勢い込んでミズホは言う。
「え?」
「私、何でもします!」
「あのね、私は探偵じゃないの」
ミズホはメイの答えに不服そうな顔で、
「じゃ、何をされている方なんですか?」
「何って……」
メイは答えられない。今は何もしていない。彼女と同じで家出中。仕事を探しているが、具体的に何をしようとは決めていない。
「何もされていないんですね? じゃ先生、ぜひ探偵事務所を開きましょう。そして私を助手にしてください」
ミズホは暴走しているようだ。どう言えば分かってもらえるのか、メイにはわからない。考えを整理する時間が欲しい。
「私、探偵なんてやったことないし、やろうと思ったこともないの」
「大丈夫です。絶対、私の目に間違いはありません。絶対、先生は探偵に向いています」
会ってまだ三十分くらいで何がわかるというのだろう。
「やらないわよ」
「やだやだやだやだ絶対やだ。私、絶対、先生の助手になってみせます」
勝手に宣言し、筆記用具を取り出すと、なにやら書き始めた。
〔2011/08/17〕
「睫毛と眉毛、どっちを褒められると嬉しい?」
食事中。突然メイに妙な質問をされ、マサチカは戸惑った。
「あなたが今、言っているのはそういうことなのよ」
メイは怒ったように言う。マサチカはどうしてメイがそんなことを言い出したのかわからない。
「話をすり替えないで欲しいな」
「すり替えてなんてないわ。あなたの話の本質を言っているの」
フォークを持ち直す。
「君は難しいことを言うね」
「そんなことないわ」
降参とばかり、マサチカは食事を口に放り込む。メイは水を含み、言葉を続けようとしたけれど、思い出したかのように食事に手を付ける。
「この話は終わりにしましょう。せっかくの料理が台無しだわ」
「その意見には賛成するよ」
マサチカはフォークにパスタを絡ませる。外観も、内装も良くないが、料理は美味い。女の子は雰囲気の良い店に行きたがるから、こういう店はあまり来たことがない。今日はメイに連れてこられたのだ。
「来てよかったよ」
「美味しいでしょ? 食事は美味しいのが一番よ」
それから言葉少なに二人は料理を味わう。メイは味で店を選ぶからか、彼女と一緒のとき、いつも美味しいものを食べている気がする。
そして、彼女と一緒にいるときいつも喧嘩っぽくなってしまうのは、彼女は中身のない話には興味を示さないからだ。他の女たちと違って、どうでもいい話を彼女は嫌う。
〔2011/08/15〕
メイは甘いものが苦手だ。
コーヒーは無論ブラック。ミルクと砂糖を必要とする人の味覚が理解できない。ヨーグルトもプレーンのまま食べる。ジャムだの砂糖だの、果物だの入れる感覚がわからない。けれど、チョコレートは好物だ。
メイは甘いものを毛嫌いするが、チョコレートだけは口にする。プリンもケーキもキャンディーも。甘いものはすべて否定するのに、チョコレートだけは好んで手を伸ばす。中でもお気に入りはポッキー。プレッツェルに薄くコーティングされたチョコレートが完璧なハーモニー。
チョコレートを単体でかじっていると、あっという間に驚く量を摂取してしまっているが、プレッツェルにコーティングされたチョコレートならば量を食べてしまう心配もない。だから、メイはいつでもポッキーをかじっている。
「またそれ食べてるの? 好きねえ」
帰宅してきたハヤマサトリに言われ、メイはちらりと母親の顔を見やった。
「悪い?」
「あら、お母さん『悪い』って言った?」
首を振るが、母の言い方がそう受け取れるような口調であったことは確かだ。
「で、あらたまって話って何?」
時刻はすでに深夜零時をすぎている。帰宅の遅い母と就寝の早い娘は普段、顔を会わせることがない。
「うちのマサチカと……最近、仲が良いらしいわね?」
メイは母親の顔を伺う。そして、ぽつりと告げる。
「友だちとして、ね」
「マサチカもそう言ってたわ」
サトリはメイの前のソファに腰を下ろす。
「優秀で将来有望な若者だけど、彼は善人じゃない。女性にとってはね」
メイもよくわかっていると首を縦にふる。
「マサチカから何人か、彼女の話も聞いてる。私はただの友達よ」
「そう」
「信用してない?」
「してなさそうに見える?」
メイは首をすくめる。
「大丈夫よ。母さんが心配しているようなことにはならないから」
「わかったわ」
サトリは娘にオヤスミと告げた。
〔2011/11/04〕
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