メイはイライラしていた。ポッキーが切れてすでに半日。やっとマサチカが仕事から帰ってきた。
「朝、頼んどいたポッキーは?」
「ごめん」
想定の範囲内。メイが言ったこと、マサチカはよく忘れる。記憶を補強しようと魔法を使えば、ますます忘れてしまうだけ。メイは魔法に嫌われているのから仕方が無い。家に帰って来るだけまだ良いかとメイは思いなおす。
マサチカに車を出させ、買い物に出かける。メイは免許を持っていない。
一番近いコンビニまで車で三十分。魔法使いばかりが住むこのエリア。見晴らしは良いが、商店なんて、魔法グッズ専門店しかない。食料品だの食事だのは箒だの絨毯だので買いに出かけるのが普通。しかも、通販は魔法で瞬時に取り寄せという、メイには逆立ちしたって出来ないことばかりだ。
「ああ、魔法が無い世界に行きたい」
「そんな世界、あるわけ無いだろ。これからますます魔法は重要になってくるよ」
マサチカは笑って言う。彼はメイがただ魔法が使えないだけだと思っているようだけれど、そうではない。だから憂鬱なのだ。
コンビニに到着する。
「メイ、降りないの?」
「買ってきて」
膨らんだ小銭要れを渡す。いやに軽いそれを素直に受け取り、マサチカは会計を済ませ、戻ってくる。
「一円玉で五十円ってのは酷じゃないか?」
「何が?」
「財布の中、ポッキー一箱分の小銭しか入ってなかった」
「そう?」
うそぶいて、ポッキーをかじる。昼間、暇に任せて貯金箱から昭和四十年から五十年にかけての小銭を取り出し、できるだけ財布が膨らむようにしておいた。それは単なる暇つぶし。もしくは、マサチカへの嫌がらせだ。
〔2011/11/04〕
「論点が違うー」
不意にミズホが話をさえぎった。ぶすりと不満顔。
楽しく談笑していたミムラとサトリは首を傾げる。
「どしたの、ミズホちゃん」
ミムラはポッキーをかじり、サトリはお茶を含む。
「私は、先生とマサチカさんの馴れ初めが聞きたかったのに、なんで魔法理論とかの小難しい話になってるんですかあ」
「別に難しい話なんてしてないわよ」
「ええ、今していた話の中に理論の話なんて出てこなかったけれど……」
「ミズホちゃんって、魔法――苦手なの?」
「英語と算数と国語と理科と、社会より苦手です!」
威張るように言う。
「学校で少しは勉強しなかったの?」
サトリが不思議そうな顔で尋ねる。
「音楽、美術、魔法は選択科目だったので、美術にしました。ああ、魔法が世界からなくなっちゃえば良いのに」
ミムラとサトリは顔を見合わせる。
「そうなったら、私は商売上がったりだわ」
サトリがつぶやき、肩をすくめた。
〔2011/07/21〕
駅前の喫茶店。
メイはマサチカを待っていた。マサチカは前回、時間通りにやってきた。その前は遅れてきた。その前の前は覚えてさえいなかった。今回はどのパターンになるだろう。
腕時計で時間を確認する。待ち合わせの時間から、すでに十五分が過ぎている。マサチカは今日のことを忘れてしまっているのだろうか。
カップの底に沈んだレモンのスライスをスプーンで押しつぶす。酸味の増したレモンティーを口に含む。砂糖が入っていないから、酸っぱい。
もしかしたら、マサチカは残業なのかもしれないし、電車が遅れているのかもしれない。もうしばらく信じて待ってみる事にする。
紅茶のお代わりはすでに三杯目。お腹がたぷたぷする。興味もない雑誌のページをめくる。もうすぐ一時間近いが、まだ来ない。やはり、今回は忘れたのかもしれない。雑誌を閉じて、席を立つ。
料金を払う。待ちぼうけをするとは、自分の事ながら馬鹿らしい。
「春なんだよね、頭が」
つぶやきは風に消えた。
〔2011/07/21〕
「君がメイだったんだね」
マサチカはミムラの手をとる。仏頂面のメイの感情は読めないが、手は熱い。
「永遠の愛を誓った――僕の奥さん」
「……思い出したの?」
戸惑い声でミムラは尋ねる。声は不安に震えているが、瞳の中には、それを期待する強い輝き。マサチカは思い出す。その瞳に惹かれた日のことを。
ミムラは百面相を繰り広げ、神妙な顔に落ち着き、ようやく見つけた言葉を口にする。
「ありがと」
「似合わない顔するなよ」
ミムラは嬉しそうに微笑み、照れくさいのかキッチンに逃げこむ。
「コーヒー飲む?」
「ああ」
答えて、マサチカは呪文を唱える。二度とメイのことを忘れてしまわないよう、記憶力強化の魔法をかける。これで再び、妻のことを忘れたりなんてしない。
「マサチカ、お砂糖一個だったよね? ミルクはたっぷりめで」
目の前にカップが置かれる。マサチカが愛用している、深めのカップだ。
「良く知ってるね、僕の好み。探偵ってそういうことも調べるの?」
ミムラの表情が凍りつく。マサチカはそれに気づかず、出されたコーヒーを一口飲む。
「美味しい。コーヒーいれるの上手いね、探偵さん」
微笑むマサチカの顔を思い切り平手打ちし、ミムラは深村家の屋敷を後にした。
〔2011/07/21〕
マサチカの妻である家出人、深村芽衣探索の為、ミムラとミズホはサトリのオフィスを訪ねていた。
ミムラはいつもの布に包まり、サトリ特製の苦いお茶を飲んでいる。ミズホはビルの間取り調査と称し、マサチカを案内役に出て行って久しい。
部屋の中、響くのは時折サトリが書類をめくる音だけだ。ミムラはポッキーを持参し忘れたことにイラつくが、このビル内をムダにうろつくのは母に迷惑をかける。ここでおとなしくミズホの帰りを待っているしかない。
「ところでメイ。あなたいつになったら戻ってくるの?」
サトリは鼻眼鏡のまま尋ねる。切りの良いところまで書類に目が通せたようだ。
「戻らないわよ」
ミムラは無愛想に返す。
「まだ帰らない」
「でも、いつかは帰らなきゃ……でしょ? 帰らないのなら離婚してあげなきゃ。マサチカが可哀想よ」
「アイツ、逆玉の輿だからいいのよ」
「そんなこと言って……ホントは、好き――でしょ?」
ミムラは答えない。
「最近は香水のきつい女友達とも会ってないみたいよ」
「女友達って一人じゃないもん」
「でも、このところはずっと深村芽衣を探すために、あなた達と一緒にいるわ」
「そういう意味じゃなくて」
ミムラは難しい顔をしてサトリを見やる。
「母さんは私とマサチカが一緒に暮らした方が良いって思うの?」
「娘の幸せを願っているだけ。ごく一般的な母親の意見よ」
ミムラは隠れるように、封印の魔法が幾重にもほどこされた布地を巻きつける。
「マサチカ。魔法を使わないで生活をしたりなんて、できない人だわ」
「そうね」
「私と一緒に暮らすのは無理よ」
「そうね」
サトリは眼鏡をはずし、目頭を揉み解す。娘の悩みは結局それだ。最高の魔法使いとうたわれるサトリでも解決できない、特殊な体質――。
「私……離婚、したほうが良い?」
疑問系だが、ここでサトリがYESと答えれば怒り出すだろう。娘の性格はよくわかっている。
「それはあなたが決める事よ。離婚するんだったら、きちんとマサチカに理由を言ってからにしなさいよ」
ミムラはうなづかない。サトリは書類に意識を戻す。
〔2011/07/21〕
最近、ミズホが気になっている事がある。
「これ美味しいね、探偵さん」
「そう? 普通じゃない」
コロッケをパクつきつつ、マサチカとミムラが同じテーブルで語らっている。ミズホが切れていてたソースを買出しに戻ってみればこの光景だ。
「これってミズホちゃんじゃなくて、君が作ったんでしょ」
「どうしてそう思うの」
「ミズホちゃんの料理って、独特だから」
「口に合わない?」
「いや、別に不味くはないけど、全体的に癖があるっていうか、後一歩って感じなんだよね」
山のように積まれたコロッケ。マサチカは嬉しそうな顔をして、それに手を伸ばしている。大きな口で頬張り、租借すると、次のコロッケに手を伸ばす。
マサチカと対面する位置に座っているミムラは、コロッケを小さく崩し、箸で少しづつ口に運んでいる。
ミズホは声をかけるタイミングを失い、戸口に立ったままだ。
「良く食べるわね」
ミムラが呆れたような声を出す。けれど、表情は嬉しそうだ。マサチカは極上の笑みを返す。
「コロッケって好物なんだ。それに、材料費は僕持ちなんだから良いだろ」
「ついでに光熱費も出してよ」
「ケチだな」
「倹約家って言って欲しいわ」
「もしくは堅実?」
「そうよ」
食事しながら会話している二人。はたから見れば、仲の良い恋人同士、もしくは夫婦のようだ。
「変だよ、絶対変だ」
ミズホの呟きが聞こえたのだろう、二人が振り返る。
「あら、お帰り」
「お帰り、ミズホちゃん。遅かったね」
「マサチカさん、まだ帰ってないんですか?」
ソースをテーブルに叩きつける。
「ここは食堂じゃないんです」
「でも、食事して行けって言ったの、君だよ?」
「いいから、帰ってください」
マサチカを追い出す。どうしてこんなに腹立たしいのか、ミズホにもわからない。でも、マサチカが原因だってことはわかる。ミズホはミムラに言い訳するように言った。
「ソースなしであんなにコロッケ食べるなんて信じられません」
〔2011/07/21〕
探偵らしい事件が一つ片付いた。たいした事件ではなかったが、ミズホは嬉しそうだ。
「お祝いですね、先生!」
「事件解決するたびにお祝いする気?」
「良いじゃないですか! 夕食期待しててください。腕によりをかけて作りますから」
なんてミズホが言うから、ミムラも少しは期待していた。いつもの貧相なメニューより、多少豪華なものが食べられるだろうと。
食卓に並んだ皿を見て、ミムラはため息をつく。白飯に、気持ち具の入った薄い味噌汁。向こうが透けて見えそうな沢庵に、ミズホの得意料理である、モヤシばかりの野菜炒め。
「いつもと同じじゃないの」
「違いますよー。今日はすき焼きもあります。ジャジャーン」
小さなミルクパンを食卓の真ん中に置く。鍋の中には黒い汁に浸かった豆腐と糸蒟蒻。
「豆腐と糸蒟蒻。特価品のやつね」
昨日、お一人様一品までという買い物に付き合わされた。
「先生よく見てください! お肉の入ったすき焼きですよ!!」
「すき焼きって普通、お肉は入っているものでしょう」
行儀が悪いが、鍋の中を箸でかき回す。何とか、肉のかけらを見出す。けれど、それは牛肉には見えない。こんなもんだろうとあきらめ、尋ねる。
「ところで、卵は?」
「卵?」
「すき焼きには生卵でしょ?」
「意味がわかりません」
不思議そうな顔。まるでこちらに非があるかのような、こちらが間違っているかのような気さえしてくる。
「いや、いい。頂きます」
〔2011/08/16〕
「この部屋、血の匂いがしますね」
ミズホが顔をしかめながら言った。目の前の刺殺体を見つめながら。
部屋の中央、紺色の背広を着た男が、背中から刃物をはやして倒れている。豪奢なカーペットが黒く、大きく汚れている。出血具合からみて、もう助からない。
ミズホはそっと、大きな外開きの窓へ近寄る。ハンカチを取り出し、指紋をつけないように注意しながら、開いていた窓を閉める。他の窓の戸締りも確認し、何事もなかった顔で戸口に戻ってくる。
「先生。これ、密室殺人ですよ!」
目をきらめかせながら言う。
「密室殺人といえば探偵推理小説ものの王道。先生の出番です」
「私はこういう血なまぐさい件には係わり合いになりたくない」
「そんな事言わずに働いてくださいよお」
「ヤダ。それに、そもそもこれって密室殺人じゃないでしょ。あんたが今、密室にしたんでしょうが」
「見てたんですか?」
「しっかり」
「見なかったことにしてください」
「それはできない相談よ。こんな事やってると、証拠隠滅でしょっ引かれるわよ? 警察呼ぶから、これ以上、何も触らないでね」
メイは電話のある玄関へ向かう。
「先生、でも活躍のチャンスですよ!?」
「活躍も何も、犯人はわかってる」
「すごい、先生! 名推理ですね!!」
「……あのね、私達、犯行シーン目撃してから、ここに来たのよ?」
〔2011/08/16〕
魔法を使える人間と、一般的な、魔法を使えない人間の対立は根深い。魔法使いたちにとって、魔法を使うことができないなんてありえないことだし、一般的な人間にとって魔法を使えるなんて気味悪いものだ。
昔から両者は対立していた。魔法使いにとって歴史とは迫害と追放くり返しだった。それが一変したの近代になってから。資本主義社会になり、金にがめつい商人たちが、便利な魔法に目を向けたのが始まりだと言われている。
現代では魔法省が作られ、魔法と魔法使いは徹底的に管理されている。魔法は凶器と同じ、という扱いだが、それもいたしかたない。多くの人々は魔法を万能だと思っているが、そんなこともない。魔法を使うには生まれ持った才能が必要だし、魔法の原理を理解しなければ使いこなせないし、その魔法への向き不向きもある。言ってみればややこしいのだ。
魔法研究に明け暮れる魔法使いは多いが、誰がどんな魔法を研究しているのか把握していなければ、魔法使いの死と共に失われたり、忘れ去られたりする。それは時間の損失だ。
「天使の羽根か。リスクが大きい」
目を通し終えた書類をサトリは、申請書類を『注意』と書かれたデスクトレーへ入れる。
サトリは革張りの椅子に掛けたまま伸びをして、天井を見上げる。昔に比べて、現在の魔法使いは魔力も少ないし、経験も少ない。魔力の質もきっと悪くなっているはずだ。
天使の羽根を出現させる魔法。長い間失われていた魔法の改良版。オリジナル魔法が発見されたのは十数年前だから、ずいぶん研究したのだろう。オリジナルのままではレベルが高すぎて、その魔法を唱えられる魔法使いなんていないから。
いけにえもいらない。魔力も大して高くなくてもいい。その点は素晴らしい。ただし、術者の寿命を魔力に変換はやりすぎだ。そこまでする必要がある魔法とも思えない。
魔法使いが一般社会になじめないのは、この手の研究バカがかなり多いからだ。
ため息をついて、首を回し、お茶を一口含む。申請される魔法は年々増える一方だが、審査が間に合っていない。単純な魔法もあれば、複雑な魔法もある。限定された用途の魔法もあれば、多様に活用できる便利な魔法もある。
魔法使いならば、魔法研究で一生を終えたいと望むものは多い。だがそれでは食べていけない。食べるためには、社会に役立つ魔法を開発するべきだが、その道を毛嫌いするものは多い。
「個人的には好きなんだけれどね」
サトリは次の書類を手にとる。
〔2011/08/09〕
「先生。これとこっち、どっちが好きですか?」
黒のバニーガール衣装と、ピンク色のうさぎのきぐるみっぽいコンビネゾン。ミズホは右手と左手にそれを持ち、ミムラの体の前に交互に掲げる。
「どっちもお似合いですね」
「似合わないわよ」
ぶすりと言い返し、ポッキーを口にくわえる。ミズホの背後には、どこからか持ってきた衣装の山。どう見ても仮装衣装。もしくはコスプレ衣装。
「うーん。先生はこっちの方が似合いますね」
バニーガールをミムラに押し付けようとする。ミムラは慌てて逃げ、デスクチェアに深々と座り、ため息をつく。
「先生はこれですね。バニーガールのセクシーさで優勝間違いなしですよ!」
「嫌よ。絶対着ない」
「えー!? じゃあ、これとこっちは?」
ゴシック調のふわふわしたメイド服と薄いブルーのナース服。どちらも超ミニスカート。
「どっちも嫌」
「じゃあ、どうするんです? 町内のカラオケ大会用衣装」
「普通の格好で良いわよ」
「そんなのダメですよ。絶対ダメです。優勝できません」
「なんで優勝にこだわるのよ」
「来来軒の特盛ラーメン、十杯無料券ですよ!? 優勝しかありません」
「準優勝のイタリアンレストラン、マルコの一週間ランチ券でも良いじゃない」
「あそこはイマイチです」
「そう? 美味しいと思うけど」
「バジルの使い方が間違ってる店なんて、行きたくもありません」
「バジル? あー。確かにちょっと多いかも。それより、来来軒はチャーシューが薄すぎるし、モヤシが多すぎると思うけど?」
「そこが良いんじゃないですか。私が適当に衣装、選んじゃいますよ」
「絶対着ないわよ」
「じゃあどうするんです? むしろ、脱いだ方が好きとか?」
「それって下着姿で歌えってこと? 絶対嫌」
「そんな我がまま許されません。衣装を選んでください」
〔2011/08/09〕
「瑠璃色ってどんな色なんでしょうね」
ミズホの言葉に、ミムラはポッキーをかじる手を止める。
「何? 急に」
「『瑠璃色の地球』」
「えーと。松田聖子よね。瑠璃ってラピスラズリでしょ?」
「ラピス……なんですか?」
「瑠璃のことよ、ラピスラズリって」
「そのラピスラ……って何ですか?」
ミズホはきょとんとした顔でミムラを見つめる。ミムラはどう説明したら良いものやらという思案顔で、
「青い宝石よ。深いコバルトブルー系の色」
「ってことは、青色って事ですね」
どこまで理解しているのかわからない顔。
ラピスラズリが目の前にないのだから、色の具体的な説明は出来ない。ミムラはそれ以上の説明を諦める。
「それで『瑠璃色の地球』がどうしたの?」
「シノさんの十八番だって」
話が飛んだ。
「シノさんって八百屋の奥さん? 十八番ってカラオケ?」
「その通りです。さすがは名探偵ですね、先生」
ミズホはえらく褒めてくれるが、これは推理でもなんでもない。
「先生の十八番は何ですか?」
「んー。『夢追いびとよ』あたりかな」
ミズホはゆっくり、首を九〇度右に傾げる。
「誰の歌ですか」
「黛ジュン」
ミズホはゆっくり、首を一八〇度左に傾ける。
「誰ですか」
「歌手よ。知らないの?」
「まったく」
「『恋のハレルヤ』『天使の誘惑』なら知ってるでしょ?」
ミムラの問いかけにも、ミズホの首は戻らない。ミムラは深くため息とともに呟く。
「超有名な歌手なんだけど」
「それはともかく、先生の十八番はマユズミジュンの『ユメオイビトヨ』ですね」
ミズホはボールペンで用紙に書き留めている。
「何してんの?」
「夏祭りのカラオケ大会、参加申込書です」
「ちょっと待って。出ないわよ、私」
「ダメです。出てください。参加賞も出るんですから」
「参加賞? どうせたいしたものじゃないでしょ」
「その上、優勝者、準優勝者にも商品が出ます」
詳細用紙をミムラに渡し、ミズホは申し込み用紙片手に出かけていった。
〔2011/08/09〕
「をいをい」
我が目を疑う、と言う表現がまさしくメイの目の前で展開していた。
繁華街。よく見知った男と見知らぬ女が仲良く腕を組んで、前方から歩いてくる。どうみてもただの友達なんて仲じゃない。
頭が真っ白になり、固まったまま、メイは二人を凝視する。男は一週間ほど前、仕事に行くと出かけたまま帰ってこない夫のマサチカだ。
魔法による記憶力強化の後遺症でメイのことを忘れているのだろうとは思っていたが、まさか本当に女のところに入り浸っているとは思わなかった。婚約前に複数いた女性たちとは手を切ったはずだ。だから、また新たに女を作ったのか、復縁したのかはわからない。
女はどこの馬の骨だか知らないが、水商売系っぽい雰囲気。派手な化粧に、きついパーマのかかった髪。胸元の開いた服に、ミニスカート。若く見せているのか、実際若いのかわからない。
マサチカは立ち止まり、こちらを見ている女に気づく。どこかで見たことのある顔だ。自慢じゃないが、美人の顔は忘れたことなんてない。では、どこで会った女性だろう。考えてみるが思い出せない。
「こんにちは」
声をかける。メイは顔を隠すように頭を下げる。
「お買い物ですか?」
「ええ、まあ」
適当に言葉を濁し、
「急いでますので」
メイは逃げるように立ち去る。怒りを通り越し、妙に冷静な自分自身が怖い。振り返れば、マサチカは女を連れて去ってゆく。
「今の誰?」
甘ったるい女の声に、マサチカは微笑みとともに、
「仕事関係の人だよ」
二人は固く腕を組んだまま楽しげに談笑している。
忘れたのだ。
私のことを。
メイは理解する。全て、終わったのだと。
信号待ちで二人は立ち止まっている。時折、風に乗って笑い声が聞こえてくる。マサチカは振り返らない。
メイはただ一人、何もない、広い広い世界に立っているような気分。信号が変り、二人は去ってゆく。マサチカは去ってゆく。メイの元から去ってゆく。
魔法使いと結婚すれば不幸になる。母に散々言われたものの、それを押し切って結婚をすすめたのは自分だった。魔法が嫌いだというメイのために、魔法を使わないようにしてくれた魔法使いのマサチカを信じようと思った。思ったけれど、やっぱりダメだった。ダメだったのだ。
〔2011/08/09〕
「あら、マサチカ。何してるの」
話しかけてきた女は気の強そうな顔をしていた。きつく巻かれた髪。大きめのアクセサリ。毒々しいまでに赤いワンピース。
ここはそれなりのレストランで、テーブルにはコース料理が並んでいて、マサチカとメイ。二人で料理を楽しんでいた。そこに登場したのが、この女だ。
見ればわかるだろうに。
メイは思うが、口には出さない。マサチカは困った顔をして、女とメイの顔を見比べている。
女はウエイターを呼び、席を増やす。マサチカはメイのことを気にしつつも、それを咎めない。この態度にいらつくが、ひと目のあるところで怒るわけにもいかない。
女はついでに料理を頼み、メイがそこにいることに気づいていないような顔をして、マサチカと話し込んでいる。どうやら仕事の話らしい。仕事の関係者だろうか。それなら横から口を挟まない方が良いかと思いつつも、面白くない。
馬に蹴られて死んでしまえ。
心の奥で繰り返しつつ、ナイフを使い、フォークを使い、スプーンを使い、静かに料理を食べる。腹立たしいので、テーブルにセッティングされた花を見つめながら食べる。美味しいはずだが、美味しいと思えない。
女は楽しげに食べている。マサチカと時折笑いあう。仕事の話のようだが、脱線も多い。名乗りもせず、妙に親しげな態度をとっていることも腹立たしい。
婚約者の目の前でその態度はないだろう。
マサチカへの怒りがこみ上げるが、押え込む。貼り付けたような笑みを浮かべたまま、食事を続ける。
マサチカはモテる。婚約を解消すれば、いくらでも女性がよってくるだろう。自分がマサチカにどれほど必要とされているのか、自信はない。ただ、ハヤマサトリの娘であることだけが取り柄なのかもしれないと、虚しいことさえ思う。マサチカの前だと、自分に自信がもてない。何もかも悲観的に考えてしまう。
最後の一品を食べ終わる。女はコーヒーを飲みつつ、まだマサチカと話している。話し好きな女だ。
「この後、付き合ってくれるでしょ」
女が言って席を立つ。マサチカは困りきった顔をしてメイを見やる。
「悪いけどこっちが先約なの」
メイの口から出た声は思ったより刺々しいものだった。
「あら?」
女は怪訝な顔でメイを見やる。真正面から見た女の瞳は不可思議な色をしていた。コンタクトに宿っているのは魔法の光り。メイは慌てて目をそらすが、遅い。
「どうやら不調のようね」
女は目元に手をやる。
「ごめんなさい。あなたが見えなかったの」
「いえ、こちらこそ。すいません」
メイは小さくなる。自分が魔法を無効化させる体質である事は理解している。けれど、魔法があふれている現代、どこに魔法が使われているかなんてわからない。女が魔法コンタクトレンズを使用しているとは気づかなかった。
「こちらはサエキマツコさん。著名な魔法使いだよ」
マサチカに紹介される。
「私はハヤマメイです」
「ハヤマってことは、あなたハヤマサトリ先生のお嬢さん? 可愛らしい方ね」
女はそれまでと同じ態度だが、メイは顔を上げることが出来ない。彼女にはきっと見えていないはずだ。メイが無効化した魔法は、掛けなおすしかない。
「あの、マサチカ。ちょっと用事思い出したから先に出るね。この先の店で待ち合わせましょ。三十分後」
メイは逃げるように、レストランを後にする。魔法を掛けなおすにもメイが近くにいては迷惑だ。マサチカは追ってこない。彼女を助けているのだろう。
自分自身が恨めしい。魔法を無効化させる体質がわずらわしい。自分は魔法使いがいない世界に行くべきなのに、魔法使いと付き合ったりしないほうが良いのに、わかっていても、そんなことはできない。したくない。メイはジレンマにゆれている。
〔2011/08/09〕
「彼女は、お前の手には負えないよ」
マサチカは苦笑交じりに言い、ソファの下で猫じゃらしを揺らす。ゆっくり、警戒しながらも好奇心を抑えられない様子でソファの下。ひそんでいた奥の方からケイコが現れる。
アメリカンショートヘアのケイコは興味深そうに猫じゃらしに見入っている。
「ケイコ、ほら。楽しいね」
「あやすの上手ね」
猫が出てきたので、メイはソファへ座りなおし、コーヒーを飲む。淹れたてだったのに、すでに冷めてしまっている。餌をやらなきゃいけないことをふと思い出し、ゲージをあけたら逃げ出してこの騒ぎだ。
「小動物とか子供とか好きなんだよ」
ケイコと遊びながら、マサチカが言う。背中越しでも、見ていて楽しそうな雰囲気。小動物が苦手なメイには理解できない。
「意外ね」
「そう?」
猫のケイコは楽しげに猫じゃらしと戯れている。マサチカが旅行中の友人から預ってきた猫はまったくメイになつく様子をみせない。猫はカワイイと思うが、積極的に仲良くなろうとは思わないし、飼いたいとも思わない。
明日の夕方までの辛抱だ、と自分に言い聞かせる。
〔2011/08/10〕
サトリは魔方陣の書かれた、大きな風呂敷を床に広げた。花嫁控え室。そこに今いるのはメイとサトリだけだ。
「念のためにね、急いで用意したの。中心に立って」
「余計なことを」
花嫁姿のメイが面白くなさそうな顔で言う。
「そう? 本当に?」
メイは言い返せない。渋々といった様子で風呂敷の上に立つ。
「この宝石類も、ドレスの刺繍も全部魔法封じでしょ? これ以上する必要がある?」
「やり過ぎってことはないわよ。あなたの魔力無効化能力って未知数だし」
サトリは魔法の詠唱を始める。強力な魔法の呪文は長い。魔方陣が弱弱しく輝く。本来ならば目もくらむような輝きがあふれるはずだが、メイの魔力無効化体質に影響され、効力を発揮し切れていない。宝石や刺繍の魔力無効化アイテムを合わせているので、数倍のパワーを発揮するはずだというのに。
魔法使いの中でも屈指のサトリが一晩かかって織り上げた呪文が大して役に立っていない現実。それはメイの潜在魔力値の高さを示すものでもある。
難儀な体質だ。
メイはマサチカにそれを告げているのだろうか。告げたところで、普通の魔法使いには理解できないだろう。魔法が使えないのではなく、魔法を無効化してしまう体質などというものは。
呪文を唱え終わる。
「ためしに写真を一枚撮ってみましょうか」
魔法ポラロイドカメラを使い、メイの姿を映す。いつもならば、印画紙は黒いまま。魔法カメラも使い物にならなくなる。
カメラから吐き出された印画紙には、美しい魔方陣が印刷されていた。その上にぼんやりと輝く立体画像。花嫁姿のメイのホログラムが浮き上がる。
「鮮明にあなたの姿が映っているわね」
「すごい!」
メイは感動顔でその写真を見ている。その写真を映像で見たことはあっても、近くでみるのは初めてだ。
「すごいわね、魔法って」
「万能ではないけれどね」
サトリはその写真をそっとバッグに仕舞いこむ。いつまでこの写真はメイの姿をとどめていられるだろう。写真が消えたとき、マサチカはメイを覚えいてるだろうか。
〔2011/08/10〕
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