ラムダ

五−七.ソウ

「痛ったぁ……」
 小さな穴を無理やり通ったものだから、あちこち打ち身が出来たらしい。体中が痛む。
「ここはどこだ?」
 ライキも肩を押さえながら起き上がり、周囲を見渡す。丘の上。幸運なことに、眼下に村が広がっている。
「宿屋があれば良いが」
 ライキが下り始めたので、慌てて後を追う。
「ここ、どこ?」
「わからないよ」
 ずいぶん歩いて、ようやく村に到着する。
「すいません、宿屋はありますか?」
 ライキが村人を呼び止める。
「ないよ」
 呼び止められた叔父さんはぶっきらぼうに答え、不意に笑顔になる。
「もしかして、祭りに来たのか?」
「祭り?」
 ソウが怪訝な声を出す横で、ライキはうなづく。
「えぇ、そうです。私達、祭りが好きなので、祭りと聞くとどんな僻地でも訪れてしまうんですよ」
「そうかそうか。それはそれは――」
 おじさんとにこやかに会話している。
「宿、ありますか?」
「そんなものないよ。うちで良ければ泊まって行きな」
「ありがとうございます」
「祭りは近々ですよね?」
「いや、五日後だ。月がもうほとんど丸いが、まだ満月じゃないからな」
「楽しみです」
「そうだろうよ。ちょっとそこで待ってな。向こうまで耕かしたら、上がるから」
「すいません」
 おじさんがクワをふるい、畑仕事を再開したので、ソウはライキに話しかける。
「祭りって何だよ」
「知らないよ。私は話を合わせていただけだ。大体、こういう小さい村に偶然通り掛かったって方が怪しいだろ。私達は旅装でもなければ、荷物も持ち合わせていないんだ。旅をしているようには見えないし、魔法で運ばれたなんてほうがもっと嘘っぽいだろ。
 とりあえず、これで祭りまでの五日間は怪しまれずに滞在できる。その間に傷を癒そう」
「……あぁ、そうか」
 ライキは周囲の女性陣と違って、常識のある働き者だとは思っていたけれど、改めて見直した。
「なんか、すごいな」
「……。あぁ、景色のことか。そうだな」
 照れくさげに微笑んだ後、周囲を見渡す。遠くに雪をたたえた高い山が見る。囲むように、緑の山並みが続き、丘の上には放牧された牛の群れ。河が横切り、広い畑が続く。綺麗でのどかな風景だ。
 その横顔は見慣れたもので、今まで少年にしか見えない童顔だと思っていたけれど、女の子なんだなと今更気づいた。ライキのことを褒めたのに、勘違いされた。まぁ良いかと、一緒に遠くを見る。もうすぐ昼だ。今頃、アルネは店を開けているだろうか。

 畑仕事を一段落させたおじさんがクワを手にやってくる。
「仲良いんだな」
「そうですか?」
 ライキと顔を見合わせる。始めて会ってから二年近くになるが、仲が良いなんて言われるのが不思議だった。こうやって、ライキと二人きりで話をすることなんてあまり無かったことだ。
 ライキは黙々と働いているか、ミルクとしゃべっていることが多かった。それはソウも同じこと。ライキと話す時は大抵、ミルクかアルネが間にいた。
 おじさんは一人にこやかにしゃべりながら歩く。ソウ達は後ろを付いていく。
「ここだ。ちょっと待っててくれ」
 村の入り口でおじさんと別れる。ウィルソンズ村と立て札があるが、聞いたことがない。
「そうとう奥地か、僻地だな。聞いたことがない」
 ライキも諦め顔で首をふる。しばらくすると、わらわらと村人が集まって来た。かなりの人数。村人総出に近いだろう。
「何なんだ?」
「わからないが、怪しまれてはいないようだな」
 村人達は皆、笑顔。
「旅人が珍しいんじゃないか?」
「あぁ、そうか」
 納得して、盛り上がる村人達に流される。宿は無いからと、泊めてくれる家を紹介され、持ち寄った料理で盛大な昼食会。
「何だろう、この歓迎ぶり」
「怪しいな」
 お祭り騒ぎのまま、一日が終わった。

 翌日は静かに始まった。ソウは最初のおじさん、オルブライトさん宅。ライキは女所帯のクック家に泊まっている。
「お早うございます」
「お早う、朝食用意しとるとこだよ」
「ありがとうございます。あの、何か手伝うことはありませんか?」
 あまりに親切なのが逆に怖い。朝食後から農作業の手伝いをする約束を取り付けて、一安心する。礼も出来ないのに、歓待されるのは困る。
 畑に向う途中、ライキにばったり出会った。ライキも同じ気持ちだったのだろう。掃除をしていた。服は誰かのお古なのか、落ち着いた赤色のワンピース姿。シンプルだからか、おかしくみえない。
 いつもは制服代わりの黒のスカート姿か、少年のような格好。女物の服は似合わないのだろうと思っていたが、そうではなかったようだ。今の格好は、ちゃんと女の子らしく見える。
「お早う。体、大丈夫か?」
「打ち身だけだったからな。問題ない。それより、ここがどこかわかった」
 ポケットから地図を書き写したメモを取り出す。行動が早い。
「この辺り。半島の向かい側だ」
「意外と帝都から近いな」
「あぁ。僻地じゃないが、この辺、開拓されたのは最近だ。父が興味を持つような物もなさそうだから、私も知らなかったんだ。
 陸路だと、この山を越えるか、回るかするからそうとう日数が掛かるが、海路を使えば帝都まで二日程らしい」
「それで、祭りについてはわかったのか?」
「まだだ」
 ライキは疲れた顔をする。クック家は女五人に男が一人という女所帯。家族構成を聞いただけでも、かしましそうだ。
「僕の方は諦めてくれ。おじさんは必要以上のことはしゃべらない」
「期待してないよ。心配する必要のない祭りなのかもしれない。じゃあな」
 ライキは呼ばれて家に入っていく。ソウはクワを持ち直し、手を振って分かれる。祭りの日はすぐやってきた。

 満月の日、旅人が村を訪れ始めた。この祭りは有名なのだろうか。人数は多くないから、知る人ぞ知るというところなのかもしれない。
「祭りの準備なんてしてたいして無かったよな」
 広場に向う途中、ライキに出会う。今日はまた違う色のワンピースを着ている。
「私は昨日から料理作りにおわれていたよ」
 広場を囲むようにテーブルと溢れるばかりの料理が並んでいる。
「野菜中心だな」
「農村だからだろ」
 にぎやかな音楽が演奏され、広場の真ん中ではダンスしている人がいる。
「何だか、カップル多くないか?」
「……そう言われてみればそうだな」
 ライキは不審そうな顔をしたものの、
「まぁ、祭りだから、そういうものなんじゃないのか」
「そうかな……?」
 祭りが終盤に差し掛かった頃、広場中央に男二人がかりで、大きな箱が運ばれてくる。
「さぁお集まりの皆さん。お待たせしました」
 集まっていた人々は静まり返る。
「ではまず一組目から。ソウさん、ライキさん。どうぞ」
 名前を呼ばれ、わけもわからずそちらに向う。
「箱に手を入れ、一つ手に取ってください」
 言われたままに箱に手を入れる。小指の先ほどの丸い石が入っているようだ。適当に一つ取り出す。ライキも同じように取り出す。
 魔法石の屑のようだ。にごっていたり、ヒビが入っていたりして、魔法石としては使えない。魔力を溜めることが出来ない魔法石はガラスのかけらと同じだ。
 順番にカップル達が魔法石を引いていく。ソウは石を光に透かせてみる。ライキが引いた石の方がヒビが多いが似た色の石。魔力を込めながら近づけると薄っすら光る。同じ石から作り出されたようだ。
「なんだろうな、これ」
「さぁな」
 ライキは興味がない様子で、きびすを返す。
「私はもう帰って寝る。明日、早いからな」
 出立することは村人達に伝えてある。
「僕も帰るよ」

 見送りの村人は少なかった。最初が最初だっただけに、何だかおかしい。振り返り、手を振りながら歩き出す。
「いい人たちだったな」
「まぁな……ところで、この石について聞いたか?」
 ライキは石をペンダントにして首から掛けている。クック家の娘に作ってもらったらしい。
 ライキの困りきった顔も珍しい。
「知らないよ。何?」
「いや、知らないならいい」
 聞き返しても言葉を濁すだけで教えてくれない。
「何だよ」
「知らないほうが幸せなこともある」
 黙々と歩くから、話もせずに後を追う。


五−八.マリン

「ちょっと地震?」
 マリンが慌てて階下に下りようとするが、そこに見えない壁がある。
「何よ、これ」
「おい。さっさと魔法を解けよ」
 エルは青い顔で首を振る。
「僕、この魔法よく知らなくて……」
「は? 冗談だよな」
「冗談じゃなく――」
 続けようとした言葉をさえぎり、ファミリアはエルの首元を思い切り締め上げる。
「ふざけるなァァァ」
「ちょっとファミリア、死んじゃうわよ」
「死ぬところだったのは私等の方だよ。移動魔法なんて、よく知りもしないで使っていい魔法じゃないんだよ。最悪、異界に飛ばされる可能性もあるんだ」
「え?」
 唖然としているうち、地震がおさまってくる。ファミリアはエルをしばき倒しているが、もう止めようとも思わない。
「ライキ、ソウ、上がってお出でよ」
 声を掛けるが、気配が無い。階下に下りるための階段が消えている。
「ライキたちは?」
「わからないよ」
「……わからないって、二人が異界に落ちた可能性もあるって事ですか?」
「いや、たぶん、それは無い。大丈夫だと思う」
「……ファミリア、思う存分、暴れていいわ。私、もう止めないから」
「止めてよ!」
 泣き喚き、許しを請う声が響いていたけれど、十分もしない内にエルは動かなくなった。
「死んだの?」
「私は人殺しじゃない。人間相手に使いたいと思ってた魔法を色々使っただけ」
 極悪な顔で笑うので、詳しい話は聞かない方が身のためのようだ。話題を変える。
「それで、ここ、どこ?」
「森の中だな」
 結界のようなものもなくなっているので、部屋から外に出る。
「ここ、ツルギ村のロイズさん家ね」
 しばらくこの村で暮らしていたから知っている。ロイズの家に来たことはあるが、エルの部屋は見たことが無いからわからなかった。
「森に戻ったついでだし、シータを助けるか。集めた魔法石の魔力使って、高度な移動魔法を無理やり使ってたみたいだからな。これ以上、行動力ある馬鹿に動かれたらかなわん」
「じゃあ、研究所ね」
 そちらに歩き出そうとして、ファミリアが呼び止める。
「その前にイヤリングだ。私には無理だから頼む」
 タイミングよくヒドリが現れる。
「マリンを魔王の部屋に連れてってくれ。それと」
 タツミが現れる。口に出さなくても魔王の命令は伝わるようだ。
「この森で一番優秀な魔法使いは? ばーさんのぞいて若いヤツな」
「石化解けて、魔獣の動きを止めるくらいの魔法が使える若者……厳しいな」
「そうですね。いるとしたら、セスくらいじゃないかしら」
「セスって……セス・コバルトのことか?」
 ファミリアはものすごく驚く。知っている人らしい。
「まだ生きてるのか?」
 三人の聖霊は結界の上の方を指差す。何も無い空。木々も届かない場所。
「あの辺に穴がある」
「そりゃ見つからないはずだ」
 ファミリアは宙へ舞い上がる。
「マリン、イヤリングを頼む」


五−九.セス

 この世界に閉じ込められて、初めての出来事だ。目の前の水鏡からファミリアが現れる。ここへの穴は結界の外にあるので、常に風に流されている。迷い込んでくる鳥はいるものの、自らの意思でやってくる人なんていない。
「あんたがセスか」
 鋭い瞳。自信に満ちたその瞳は、在りし日の自分の顔に似ている。素直にうなづく。
「ここから出られないのか?」
「出られるわ」
 この何も無い世界に神殿を作ったのは自分。水鏡を張り、元の世界とつなげたのも自分。戻ろうと思えば、いつだって戻ることが出来る。ただ、それをしないだけ。
 自分を異界に落としたラピスの瞳が忘れられない。どれだけ時が経っても、彼女の瞳を思い出すと、元の世界に帰るのがためらわれる。そして、時間だけが過ぎていく。過ぎても、過ぎても。ラピスの瞳が忘れられない。
「シータを助けたい。手伝ってくれ」
「私には関係ないわ」
 静かに言い返す。彼女の到来は、この世界から抜け出すチャンス。良い言い訳になる。でも、躊躇する。怖い。戸惑う。あの頃の自信はどこへ行ってしまったのだろう。
「じゃあ、結界を解くぞ」
「……何を言っているの?」
「はっきり言う。私は、誰がどんな異界に迷い込もうがどうでもいい。自分の身は自分で護れるようにレベルを上げれば良いんだからな」
「それは脅し?」
 私が外に出なければ、結界を解くというのだろうか。ラピスが封じたこの地を開放する、と。
「脅しじゃない。事実だ。
 あんたが協力してくれないなら、私は魔王を辞めなきゃシータを助けられない。今のままじゃろくな魔法も使えやしないからな」
「そして、次代の魔王候補もいないのね」
「魔法は廃れてるんだ。見てたんならわかってるだろ」
 見鏡を指す。水面に森の様子が映っている。
「あなたは人助けがしたいの?」
「自由に魔法が使いたいだけだよ」
 腕を組み、反り返る。瞳は強い光を帯びている。昔の私のように、間違いを犯すのでは無いかと危惧する。けれど、それはないと気づく。
 彼女の脅しは、脅しになっていない。ファミリアが本当に他人なんて、どうでも良いと思っていれば、結界の解除なんて意味が無い。宣言する必要も無い。彼女は私のように間違えたりはしないのだ。
「わかったわ」 
 水鏡に足を浸す。水の下、足裏に感じる大気が心地よい。身を投げ入れる。胸いっぱいに、懐かしさを吸い込む。変わってしまったけれど、変わらないものがある。
 魔法を使い、ふわりと着地する。久々の大地。空気に緑の香りが濃い。研究所の前。こんなに大きな建物だったのかと驚く。
「お帰り」
 ファミリアに言われ、セスは照れくさくなりながら答える。
「ただいま」
「ファミリア、取ってきたよ!」
 マリンがイヤリングを手に駆けてくる。
「あの部屋、ちょっと片付けなさいよ。どこにあるのかわからなくて、ずいぶん探したんだから」
 異界とは時間の流れが違う。
「悪かったよ。何か壊さなかっただろうな」
「あの古くさい本と怪しい道具? 知らないわよ」
「言っとくが、あそこにあるのは全部、魔法書と魔法アイテムだ。国を両手の数、軽く買えるくらいの価値があるんだからな」
「じゃあもっと部屋を片付けて、丁寧に扱いなさいよ。足の踏み場も無いくせに、あの部屋で物を壊すなって方が無理よ」
 やかんが沸騰するような勢いで怒る。何か壊したらしい。ファミリアはニヤつきながら、
「まぁ、ばーさんのものだから私は構わないけどね」
「あ、そうなの? 良かった――で、こちらがセスさん?」
 急に話を振られて焦る。
「始めまして、マリンさん」
「始めましてって……私のことご存知ですか?」
「えぇ」
「魔法って便利ですね」
 マリンはそれ以上、何も言わない。魔法について何も知らないのだ。魔法は便利だけれど、万能ではない。その微妙な違いをセスがいた時代は子供でもわかっていた。
 今の世界は、彼女のような人間が多いとわかっていても、接触すると唖然となる。
「私の杖、どこにあるのかご存知ありませんか?」
「杖?」
 ファミリアとマリンは首を傾げる。
「石化を解くことは出来ますが、魔獣化を解くとなるとさすがに杖が無ければ……」
「これじゃ無理か?」
 ファミリアがイヤリングを指差す。
「このアイテムは魔力を吸い取る効果があるだけです。魔獣化してしまった人間を元に戻すことはできませんよ。せいぜい、魔獣を弱体化させるだけ」
「じゃあ、あんたの杖を探すか。どんなのだ?」
「このくらいの深い紫色の宝玉が付いた――」
 セスが両手で抱えるようなしぐさをする。
「なんか最近手似たようなの拾ったな」
「持ってくる」
 目配せされて、マリンは村に向って駆けていく。十分ほどで彼女は戻ってきた。
「つっかれたぁ」
 肩で息をしている。そんなに急がなくても良かったのに。彼女が持ってきたのは、セスが愛用していた杖にはまっていた魔法石。きっと、杖は朽ちてしまったのだろう。
「これです」
「じゃ、魔獣化を解けるって事か?」
「えぇ。そのイヤリングもありますし、成功しますよ」


五−十.マリン

「あれね」
 なんともグロテスクな石像が廊下途中に立っていた。人でありながら、魔獣化している部分もある。マリンの目から見ても半端な石化状態。
「厄介だな。素人魔法とは」
 ファミリアがげんなりした顔で言う。
「エルの移動魔法みたいな感じって事?」
「ちょっと違う。エルは、魔力で無理やり高度な呪文を使ってた。こっちは呪文の意味も知らない素人が、呪文を唱えた感じだ」
「普通は見分けつかないわよ」
 セスが笑う。ファミリアの言っていることは、マニアックらしい。
「近寄って問題ない?」
 持っていたイヤリングを振る。
「動けないから大丈夫だ」
「嘘言わないでよ。動いてるでしょ、あれ」
 ゆっくり、引きずるような動きでこちらに向ってきている。
「あんたを連れ出して良かったよ」
 しみじみといった様子でファミリアが言い、セスは苦笑を漏らす。
「攻撃はされませんから、そのイヤリングを取り付けてきてください」
「私が行くの?」
「他に人選ないだろ」
「はいはい」
 しぶしぶマリンは石像に近づく。ずるりずるりと動いている石像。表面一部は石化が解けているから、うねるように動いているのが伺える。
 マリンが取り付けたのを見て、セスは呪文を唱えはじめる。
 マリンの耳には彼女の言葉が聞き取れない。リズムを変え、調子を変えてセスは意味不明な言語を唱え続ける。
「あれ、何言ってんの?」
「呪文だよ。基本は第四十七魔法言語だが、素人魔法の石化を解くのに第十六魔法言語いれて、そのつなぎに第三十二魔法言語でバランス取ってる。第十六魔法言語使うより、第五十一魔法言語使ったほうが簡単だが……テンポが悪くなるか」
「……えーっと……」
 ファミリアの専門的な解説にマリンは首をひねる。ファミリアは改めて言い直す。
「ぐちゃぐちゃに絡まってる糸をほどいてる感じ」
「なるほど」
 シータの体が薄っすら光る。薄い膜が剥がれ落ちるように、シータは元の姿を取り戻す。ほっと息をつき、瞬きを繰り返す。ゆっくり、確認するように声をだした。
「……ありがとうございます」
「礼は良いよ。私はファミリア、あんたの魔法を解いたのがセス、そしてマリンだ。あんたの幼馴染だって言うエルってのに頼まれた」
 ファミリアは誰に対しても威張るような態度。勘違いされやすい、損な性格をしてると思う。
「……アイツ、何か無茶しませんでした?」
 シータは恐る恐るといった様子で尋ねる。ファミリアとマリンは顔を見合わせる。
「まぁ、いろいろと」
「やっぱり」
 ファミリアの答えにシータは憤る。
「何をやったのか、後で詳しく教えてください。ラムダたち、今、どこでどうしてるかご存知ですか?」
 マリンは目を背ける。
「亡くなったわ」
「亡くなった? どういうこと?」
「カイが――」
「カイ? カイがどうしたんです!?」
 その迫力にマリンが驚く。両肩をつかまれ、顔を覗き込まれる。青い瞳が動揺に揺れている。
「カイが何したんです!?」
「ラムダを……刺して――」
「何で!? どうして!?」
 イプシロンも驚いていたが、シータの驚きは酷かった。呆然とした顔で外に向って歩き出す。三人は掛ける言葉も無く、後に続く。

「だいぶ、時間が経っているのね」
 外に出て、シータは目を細める。日差しが眩しい。もう昼過ぎだ。村へ向う。シータの姿に村人達から歓声が上がる。ずいぶん村人に信頼の厚い人みたいだ。
 一軒の家の前でシータは立ち止まる。
「どうぞ」
 招き入れられる。村人から長い間無人になっている家だと聞いていたが、シータの家だったようだ。留守が長かったはずなのに、家の中は綺麗だ。埃も落ちていない。
「勝手に掃除してくれていた人がいたようね」
 迷惑そうにシータは言う。心当たりがあるようだ。言い方からしてエルだろうか。
「何かご馳走したいのだけれど、何も材料が無いのよね」
「問題ない」
 ファミリアがテーブルの上に料理を取り出す。皿で溢れかえるテーブル。
「ファミリアさんってすごいのね……」
「便利だろ、この魔法」
 シータの呆れた声と、ファミリアの得意げな様子にセスがコロコロ笑う。
「ファミリアったら、普通の人が覚えないような魔法をずいぶんたくさん覚えているものね」
「見てたのか?」
「屋根の下とか、洞窟や木陰じゃなければ見ることができたのよ」
「セスさんって、何者なの?」
 シータの問いかけに、ファミリアが答える。
「一番簡単に言えば、魔王ルージュ」
「はい?」
 それにはマリンも驚く。魔王ルージュといえば世界を破滅させようとした極悪魔法使い。童話に登場する有名な悪役の一人。
 けれど、目の前にいるセスは魔王ってイメージとは程遠い。大人しげで、優しげな女性だ。それに、ファミリアよりもずっと若い。
「ご馳走になりながら、話を聞かせていただけますか? 私が魔法で石化したのは帝国暦三八〇年――」
「八年間も石化してたの?」
「……八年ですか」
 シータはため息混じりにつぶやいた。
 食事をしながら、ファミリアが、マリンが知る八年間のことを話す。


五−十一.ファミリア

 食事が終わり、ファミリアは逃げ帰るように魔王の部屋へ戻る。森の中だから、移動は一瞬。マリンとセスはシータの家に泊まることになっている。涙は流していなかったが、シータは落ち込んでいた。あの雰囲気の中に居るなんて、ファミリアには耐えられない。
「おや、ずいぶん早く帰って来たんだね」
「ばーさん、ここにいたのか」
「ロイズんとこは居心地最悪だからね。こっちに居候させてもらってんだよ。悪かったかい?」
「悪くは無いよ。私はほとんど居ないんだし、留守番がいた方がいい」
「私を留守番呼ばわりとは良い身分になったもんだね。それより、あんた。あの娘が壊してったんだけどねぇ」
 大きな箱に入れられた魔法アイテムの数々。
「結構数あるな」
「大損害だよ」
「使わないんだから良いじゃないか」
「何、馬鹿なこと言ってんだよ」
 壊れたアイテムを乱暴に箱へ投げ込む。大切な魔法アイテムには見えない。箱一つがいっぱいになると、どっこいしょと椅子に座り込む。
「年寄りには重労働だよ」
「何、婆ぁくさいこと言ってんだよ」
「婆ぁなんだよ、私は」
 気弱な発言。オメガらしくない。
「聖霊たちに聞いてるかも知れないが、セスとシータが復活したから」
「何だって?」
「耳まで遠くなったのか?」
「あんたが馬鹿なこと言うからだよ。シータはわかるけど、何でそこでセスが出てくるんだい。セスってセス・コバルトだろ」
「他にセスっているのか? この森に」
「いやしないよ。禁止されてる名前の一つなんだから」
 偉大な魔法使い、極悪な魔法使いの名前は使用が禁止され、後世に同じ名前の魔法使いが現れることは無い。使用禁止の名前一覧には、理由が書かれず、ただ名前が載っているだけで、高名な魔法使いでもなければ、どのような理由だったのかわからない。
「何でセスを復活させたんだい?」
「シータを復活させるには、私が魔王やめるか、セスが復活するしかなかったからな。それにしても、ばーさん程度の魔法使いもこの森にはいないんだな」
 オメガは鼻で笑う。
「あんたみたいな魔法馬鹿が、世界に何人もいてたまるかい。で、セスは?」
「……こっちに向ってるな」
 気配を感じる。途中で穴に落ちても困るので、聖霊に案内するよう伝える。
「大丈夫なんだろうね」
「まともだったよ。私が脅して、やっと異界から出てきたからな」
「まったく、あんたには言葉が無いよ。で、あんたはここには何しにきたんだい? 私の顔を見になんて、寒気のする理由じゃないんだろ?」
「その冗談面白いな。セスがせっかく復活したんだし、異界の穴を封じて結界を解くことも出来るんじゃないかと思ってね」
「……魔法修行したいわけかい」
「お見通しかよ」
「あんたみたいな魔法馬鹿が今の状態を大人しく受け入れてるなんて思えないからね。魔力使いすぎて死んじまうだろうと思ってたが、一ヶ月もしない内に結界解除とは。まったく、大きく出たもんだね」
「そろそろ着くな」
 聖霊に案内され、セスが到着する。宙を飛んで来たようだ。
「魔王の部屋ってここのことだったのね」
 懐かしい様子で、部屋の中、窓からの景色を見て回る。
「不思議だわ。草木なんてほとんど無かった街が、草木に埋もれてる」
 セス見たさか、聖霊三人もそこに居る。魔法アイテムで溢れかえり、ただでさえ狭い部屋が、さらに狭い。
「異界への穴をふさげるか? あんたの魔法の効果だろ?」
 高等な魔法ほど、本人以外には解除が難しい。
「えぇ」
 セスはうなづき、ファミリアと呪文の構成とバランスについて語りだす。マニアックすぎて、横で聞いていているオメガには良くわからない。
「ったく、馬鹿が増えたよ」
 オメガのつぶやきに聖霊三人が笑う。
「異界への穴はそれで塞げるが、次は結界だな。聖霊三人、お前等、結界を解く方法を知ってるのか?」
 顔を見合わせ、首をふる。
「だろうな。簡単に結界を解くことが出来ないよう、結界の構成要素に聖霊を三人も絡ませてんだもんな」
 ぐしぐしと頭をかく。結界を解くと周囲を脅したところで、ファミリアに結界を解くことなんて実は出来なかった。
 ファミリアが魔力を使いすぎても気絶するくらいのところで結界が解けることはないだろう。ファミリアにはジェレミの宝玉がある。その宝玉の魔力を吸い取り続け、ファミリアは影を作り出す魔力を確保できず、眠ったまま人生を終えるはずだ。
 ファミリアの実体を封じている水晶には、森全体から魔力を吸収する呪文もかかっていた。魔王が居なくとも、結界は存続し続けることが出来るだろう。魔法が使えなくとも、魔力のある魔法使いはいる。
 この複雑怪奇な魔法を作ったやつの顔が見てみたい。解くのが一苦労だ。
「っていうかお前等、元々この森の魔法使い……いや、元魔王だろ?」
 ファミリアが言うと、三人の聖霊は顔を見合わせ、歓声を上げる。
「大正解〜」
「よくわかったな。出身の村にそれぞれの名前が付いているんだよ」
「後世で簡単に結界を消されないよう、ずいぶん手を加えてますから」
 ファミリアはため息をつく。聖霊が集まると、やたらにぎやかだ。
「お前等、聖霊の癖に人間くさ過ぎるんだよ。
 で、お前等が絡ませた魔法のメモでも残してないのか? 絡みあい過ぎてるから、この結界魔法全体を把握するだけでもかなりの日数かかるぞ」
「な〜んにも」
「ずいぶん前のことだから、覚えてない」
「頑張ってください」
 聖霊達はにこやか。
「セス」
 話をふる。
「無理よ。シータの魔法を解いたのでずいぶん魔力使ってるのに、これから異界の穴を塞ぐのよ。ファミリアさん、頑張って」
「ややこしいの嫌いなんだよ」


五−十二.シータ

 マリンとファミリアの話を聞いて、シータは沈み込んでいた。よくわからないことが多すぎる。
 カイはラムダを護ると言っていたのに、どうして彼女を殺すことになったのだろう。彼の目は真剣で、ラムダへの思いは本物だと思っていた。あんなに嫌っていたアリシアの近くにいるなんて、どうしてしまったのだろう。
「帝都に向うわ」
「私も一緒に行く」

 マリンとともに研究所を抜け、アンセムの村を通り過ぎ、街道に出る。フェタの町でミルク殿下とカイの婚約を知る。新聞に大きく書かれた記事。
「何でよ」
 マリンはこの婚約の背後にアリシアがいるだろう事に憤り、シータはカイの行動に憤る。
「急ぎましょう」
 疲れを押して、先を急ぐ。


五−十三.ファミリア

 魔法構成の解明に、ファミリアは数ヶ月の時間を要した。それだけ複雑に入り組んだ結界だったということ。結界を解く、なんて簡単に言えても、実際実行するとなると難しい。
 解明できたとはいえ、ここからが大変だ。ファミリアは長い長い呪文を唱える。複雑に絡みあう要素ごとに、一つづつ根気よく解いていかなければならない。複数人の魔法使いによって組み上げられた魔法だから、余計に大変だ。
 ようやく結界を解くことができたのは呪文を唱え始めて数日後。それは、セスによって異界への穴は閉じられてから数ヵ月後のことだった。
 聖霊たちは影で出来ていたようで、結界が消えると同時に消えてしまった。消える直前でさえ、何だかにぎやかで、別れの寂しさのようなものを感じるゆとりもなかった。
「疲れた」
 ばたりと草原に倒れこむファミリア。久々の実体。体が重い。大きな水晶が輝きを失い、そこにある。
「お疲れ様」
 セスが近寄り、ファミリアのそばに腰を下ろす。
「あんたもな」
 異界への穴がふさがってから、結界を解く為にセスにも手伝ってもらっていた。
「この水晶、ラピスが作ったんでしょうね」
 寂しげにつぶやく。湿っぽいのは嫌いだが、こんな結界を生み出したラピスについては気になる。
「どんなヤツだったんだ?」
「大嫌いだったわ」
 そういって寂しげに微笑む。
「知らない誰かの為にでも、一生懸命になれる人だった」
「あぁ、そりゃ私も嫌いなタイプだな」
 ファミリアの言葉に、セスは楽しげに微笑んだ。



帝国暦三八九年

六−一.ミルク

 なんともいえない、不思議な気分だ。数ヶ月前に発表されたミルク殿下とカイの婚礼が数日後、大々的に執り行われる。
 パレードも行われないので、一般国民は遠くから見守るだけで、二人に近づくことは出来ない。一度、忍び込んだ後から警備が厳重になり、城に入るチャンスは全く無かった。
 警備は今まで以上に厳重だろうが、だからこそ穴がある。城に常時詰めている者だけじゃ手が足りないから、慣れないメイド、兵士があちこちから借り出されているはず。
「何としてでも結婚は食い止めないと」
「えぇ、その通りよ」
 ミルクの言葉に、イプシロンも強くうなづく。
「博士、何だか雰囲気変わられましたね」
 シータが戸惑うような声をあげ、モップ掛けに戻る。マリンは机を拭きつつ、仕事をしない人たちを見やる。ミルク殿下には仕事をさせられない。アルネは店の主人だから、これだけ人間がいるのだし働かないのは不思議じゃない。イプシロンは……不器用でまかせられない。仕事もせず、この三人は話で盛り上がっている。
 この店に到着したとき、イプシロンの姿があることにシータは驚いていた。そして、カイが自分の意思なく動いていることを知り、納得した様子だった。
 カイが掛けている大ぶりの黒眼鏡は、アリシアに頼まれてイプシロンが作ったもの。影武者として生み出されたアリシアクローンが反抗的で手に負えないと言われ、従順になるその装置を作成した。だが、その時にはすでにアリシアクローンはシータに倒されていることを知らなかった。
 後日、不恰好だから違うタイプも作成して欲しいと言われ、カチューシャタイプも作成した。こちらは悪魔の娘といわれているルカが、戦場で身に付けているものだろう。世間を知らない人って厄介だ。

 メイドのふりをして城に忍び込む。城で働いている兵士以外は、顔しか出ない服装。ミルク、ライキ、マリン、ソウ、イプシロン、シータと人数も多い。
 手が足りないのだろう。城内は慌しく、人も多い。身元を尋ねられることもない。
「アリシアにしては無用心ね」
 ミルクは先頭に立ち、足早に歩く。アリシアの部屋にはいなかった。ミルクの部屋、塔、ライトとアリシアがいそうな場所を見て回る。姿が見えない。
「どこにいるのよ」
「玉座じゃないの?」
 イプシロンの言葉に苦笑をもらす。
「いくらなんでもそれは無いでしょう」
 次の塔へ向う途中に部屋があるので、覗いて見る。そこに一同そろって居た。

 玉座に座っているのは金髪のミルク殿下――ライト。そばにアリシアとルカ、カイが立ち、プサイとミュートが宙に浮かんでいる。
 ライトは無表情で、崩れ落ちた風に腰掛けている。長時間魔法を掛けられ、疲れきっているのだろう。
 そばに立つアリシアは、にこやかな笑顔で対照的だ。カイはライトの首元に刃を当てている。眼鏡で表情はわからない。数日後に結婚する二人だとは思えない。
「お帰り、ミルク」
 アリシアとミルクは静かに睨みあう。
「良かったわ。いつ来るかと首を長くして待っていたの」
「えぇ、でしょうね」
 ミルクは感情を押し殺し、冷たく微笑む。顔が整っているだけに怖い。
「罠だってわかってても、チャンスは今しかないようだし――」
「え、これって罠なの?」
「なんでわかってて来たんだよ」
 マリンとソウが慌てるが、冷たく睨まれ、言葉をなくす。ミルクは語る。
「あなたの筋書きとしては、結婚後、ミルクが即位。今まで以上の圧政と侵略行為を行い、舞台が整ったところでミルクが死亡。あなたが即位して、不正を一新させる筋書きかしら?」
「あらあら、ミルクにはかなわないわね」
「どうしてあなたがカイに執着するのかがわからないけれど、ミルクが即位してからじゃ身元のよくわからないカイと結婚するのは難しいから、その前に結婚させるんでしょ。今ならミルクは第二皇女で、帝位はあなたが継ぐと誰もが思っているから。
 もしかして、ミルクが死んでも義理の弟ならば、どんなに悪名が高くても城内に留め置く理由になるからかしら? 優しいあなたのことだもの、そんな措置をとっても不審がられないものね」
「深読みしすぎよ」
 アリシアは言うが、顔は笑っていない。
「あなた達にはここで消えてもらいます。先生、あなたも研究所から出てこなければ良かったのに」
 薄っすら笑う。先ほどまでと別人のような、冷たい笑み。
 ルカが一歩踏み出す。シータは結界を張り、距離をとる。
「あなた達は下がって」
「シータ、カチューシャを狙って」
「はい、博士」
 ラーミのようなすばやい戦闘。魔法でスピードを上げ、何とか彼女が繰り出す小刀をかわす。アリシアがいるから、ルカはこの部屋で魔力を注ぎ込む戦法がとれない。
 シータがルカにかかりきりになっているのを見計らい、ニュート、プサイが仕掛けてくる。息のぴったり合った二人組み。マリンがニュートに蹴りかかり、ライキが小剣でプサイを相手にしているが、いつの間にやら入れ替わっていたりして、戦闘しにくい。その上、隙をみて魔法を仕掛けてくる。
「魔法とかやめてよ」
 魔法を無効化するツェルの護符を多めに持っているが、この人数。すぐになくなるだろう。だから、魔法戦は困る。
 ミルクとイプシロンを護るよう、ソウは立っているものの、ほとんど役には立っていない。アリシアに何とか近づきたいが無理みたいだ。
 作戦では、アリシアの注意を他所に引き付けておいて、アリシアが一人でいるところを急襲する予定だった。結果は引き離したいと思っていた人物が皆、アリシアの近くに集結していた。
 ツェルの護符がなくなったところで、ニュート、プサイが新たな魔法を唱え始める。

 やられたと覚悟し、ミルクは身構えて目を閉じる。焦げ臭い。痛みも感じない。目を開ける。目の前に、見覚えのある灰色に汚れた白いマント。先ほどまでニュート、プサイがいた場所に、消し炭のような山。
「なに、何なの?」
「ったく、なんでこんな戦力のいないパーティーで敵陣に乗り込んでんだよ」
「ファミリア!」
 マリンが喜色の声を上げる。
「これで私の魔王としての仕事は全部終了なんだが……そうは問屋が卸しちゃくれなさそうだな」
 アリシアたちを睨みつける。アリシアは厳しい顔で、
「あなた、どなた?」
「ファミリア・ランブロー」
「ファミリア、魔法そんなに使って大丈夫なの?」
 マリンが心配げな声を上げる。
「大丈夫だよ。フルパワー出せるようになったから」
「じゃあ結界は?」
「セスが異界への穴を閉じたから、結界は解除した」
 いつの間にやら赤い髪の女性が、シータの加勢をしている。ルカを傷つけないように戦っているため、まどろっこしい。
 フェイントをかけ、ルカのカチューシャに杖が触れる。一度壊れていたようで、カチューシャは簡単に壊れ落ちる。落ちたカチューシャを粉々に叩き壊す。
 ルカの体が崩れた。シータが慌てて抱きとめる。
「大きくなったわね」
 イプシロンも完売深げな顔で、ルカに近寄り、異常が無いか確かめる。
「見た目はどこにも異常がないわね。
 アリシア、私はこの装置をこんな風に使うなんて聞いてないわよ」
「どう使おうが私の自由よ」
 アリシアはイラついている。ミルクは静かに告げる。
「カイとライトを開放しなさい。あなたの負けよ」
「いいえ」
 アリシアは首を振る。
「カイ、その子を消して」
 アリシアの声に答えるよう、カイの剣がライトの首をなぞろうとして、動きを止める。
 ライトが刃を握っている。目はまだ光を取り戻していない。
「彼の者に宿れ大地の力」
 ファミリアが呪文を唱え、ライトに魔法を掛ける。カイが力を込めても剣が動かなくなる。
 ファミリアは深々と息をつき、
「アリシア。あんた状況把握できてないみたいだから言っとく。私とシータとセス」
 それぞれを指差す。
「三人いれば、この帝都を瓦礫にすること、わけないから」
 言うが、帝都は大陸内でも一番大きな街だ。城の広さも高さも、他に比べられない。
「そんな魔法使い、いるわけないわ」
 魔法使い自体、珍しくなっている。アリシアは戯言と笑う。魔法全盛期にいた魔王リュージュならともかく、今時そんな力のある魔法使いなんて――
「元魔王と、魔王候補と、魔王リュージュだよ」
「嘘よ!!」
 アリシアはギリリと奥歯をかみ、睨みつける。ファミリアは自信に満ちた瞳で見返す。
 ファミリアたちは戦力というより、破壊力だ。暴れられたら始末に終えない。この城、この街を破壊して欲しくない。
「アリシア」
 ミルクが声を掛ける。アリシアはファミリアからミルクに視線を移す。怖い目をしている。
「私はただ、世界を平穏にしたいだけ。国がたくさんあれば、戦乱がまた起こる。全てを一つにするの。一つの国にして、平和にするの」
 言っていることはわかる。わかるけれど、アリシアは間違ってる。もっと時間を掛け、話し合い、相互に理解を深めていけば良い話だ。
「アリシア、どうしてそんなに急ぐの?」
 ふっと我に返った顔で、アリシアは目をつぶり、息を吸い込む。肩の力が抜け、崩れるように座り込む。独り言のように、語り始める。
「……馬鹿ね。
 最初は、あなたが結婚する年齢になるまでに、全部綺麗にしておきたかったの」
「……え?」
「皇帝には五十三名の奥方がいるわ。多くが政略結婚して嫁いで来られた方々。私の母は一介の国民だったけれど、裕福な商家の娘だったから似たようなものよ。
 母が嫁いで九ヶ月目に私は生まれた。微妙な時期だけれど、結婚したときには身ごもっていたんだと思うわ。他の奥方様にお子様が無い中だったから、母はずいぶん辛い目にあったそうよ。
 それから十二年して、ヘレン様はあなたを生んだ。皇帝には全く似ていないあなたを」
「あなたにも、皇帝の血が入っていなかったのね」
 この国には褐色や黒髪の人が多い。アリシアだけは、皇帝の血を引いているのだと思っていた。
「私が十五歳で初めて結婚した人はとても優しい人だった。政略結婚だったけれど、幸せだった。結婚して一ヶ月もしないうちに、父が彼の母国を侵略して、自殺してしまった」
 愛おしそうな瞳でカイを見る。
「その喪も明けない内に、私は二番目の夫と結婚した。けれど、父が因縁をつけて彼を投獄し、彼の国を滅ぼした。
 三番目の夫は――」
 言葉をなくし、空ろな瞳でミルクを見る。瞳に強い力が宿る。
「母も、私も、あなたも。父の道具ではないわ。世界を手に入れるのに、政略結婚は必要ない」
 アリシアはその後も結婚を繰り返し、十八歳の時に結婚した六番目の夫がいる。まだ若いのに、彼は別邸に隠居してしまい、顔を合わせることも無い。
 道具ではないというくせに、アリシアはミルクとカイを結婚させようとしている。平和にしたいというわりに、行っている侵略行為は皇帝より酷い。
「アリシア、あなた矛盾しているわ」
 ミルクの言葉に、アリシアは戸惑い顔で涙を流す。とめどなく涙が溢れ、流れ落ちる。
 近寄ろうとするミルクを止め、ファミリアはライキの小剣を奪い、魔法を掛けてアリシアに向って投げる。小剣は綺麗に胸を貫く。アリシアは背後に倒れる。
「ったく、辛気臭いのは嫌いだってのに」
 ファミリアは大きく息をつく。
「何するのよ!」
 慌て、駆け寄ろうとするミルクを止め、
「よく見ろ」
 胸に剣を刺したまま、アリシアは起き上がる。不思議そうな顔をして、周囲を見渡す。
「スペリオの実を食べてるな。発芽してる」
 ファミリアが呪文を唱えると、アリシアは燃え上がる。ニューとプサイ同様、すぐに消し炭と化した。
「アリシアはとっくに死んでたんだよ。スペリオが発芽すれば、死んでても動けるんだ」
 呆然と、ミルクは一歩づつ黒い塊と化したアリシアに近づく。
「スペリオって何……?」
「人間を一掃したがってた異界の樹だ。実を食べた者は普通、スペリオの手に落ちるんだが……ミドリみたいに、完全に落ちなかったんだろう。
 これで終わりだな」


六−二.ライト

 アリシアが消え、カイがピタリと動かない。ライトは首元の剣をそっとはずす。カイはアリシアに言われたままの姿で固まっている。カイの眼鏡を奪い取り、叩き壊す。
「大丈夫か、カイ」
「……ライト」
 永い眠りから目覚めた顔で、カイは答える。
「大丈夫か?」
 操られていたけれど、何が起こっていたのか、全部見て、聞いていた。
 ミルクのふりをしたライトは、生々しいシーンに関わることはほとんどなかったが、カイは違う。アリシアのそばで、彼女のしていることをすべて見て、聞いていた。彼女の命令で、何人もの重鎮の命を奪ったはずだ。それはルカも同じこと。
「……ラムダ……ラムダを……僕は……」
 カイは崩れる。両手をじっと見つめている。あの日の出来事を思い出しているのだろう。けれど、それはアリシアの命令だったはずだ。カイの意思ではどうにも出来なかったことだ。
「カイ!」
 シータが大股で近づいてくる。
「あなた、言ったじゃない。ラムダは自分が護るって。なのに、何やってるのよ!」
 怒鳴りつけられ、カイは顔を上げる。そこには何の表情も無い。全てを失ってしまった顔。
 シータはそれ以上、声を上げることが出来ない。ただ、じっと見つめている。
「カイ」
 イプシロンはルカをセスに預け、カイに近寄る。
「本当なの?」
「僕が……僕の手で……」
 言葉にならない声で、カイは肯定する。イプシロンはカイを抱きしめる。
「ごめんなさい。私が、あなたを作ったばかりに……」
 イプシロンもシータも泣いている。カイはその涙も出ないほど悲しみの中にいるのか、呆然としているだけ。

 王座から立ち上がる。自分を見つめている、ライキ。鏡をのぞいているかのような双子の姉・ミルクに近寄る。
 ライキの顔を見るのは八年ぶりだ。こんなに長い間、離れ離れになってしまうとは思わなかった。すっかり女性らしくなっている。
「ライキ、ごめんな」
「あぁ」
 記憶にあるとおりの、ぶっきらぼうさ。懐かしくて涙が溢れる。
「殿下」
 ひざを折り、頭を下げる。
「ごくろうさま」
 ミルクはライトの頭のティアラを取る。
「ごめんなさいね、私のせいで」
「いいえ」
「これから忙しくなるわ。これからも私を助けてくださいますか?」
 ミルクは一同を見渡す。
「私でよければ」
 ライトが頭を下げる。
「願っても無いことです」
 マリンが答え、ライトと同じ姿勢をとる。ライキは、ソウと顔を見合わせ、
「申し訳ないんだが」
 一歩下がる。
「ライキちゃん?」
「ミルクには言っていなかったんだが、ちょっとした手違いで――私はソウと結婚してる」
「はい?」
「ライキ、僕と婚約してるだろ?」
 ミルクとライトの勢いに、ライキはまた一歩下がる。
「いや、そうだったんだが……」
 首元からペンダントを取り出す。よく見れば、ソウも似たようなペンダントをしている。
「珍しいな。婚姻の石」
 ファミリアが興味深げに近寄り、ライキのペンダントを覗き込む。移動して、ソウのペンダントも見やる。
「今時、選別の儀式をしてる所があるんだな」
「知らずに偶然、参加してしまって……」
 ソウは睨みつけるミルクとライトの迫力に、青い顔をしている。
 石を近づけ、魔力を込めれば薄く光る。
「相性良いみたいだな。おめでとさん」
 ファミリアが茶化すように言い、ライキとソウの手を取り、握り合わせる。
「おめでとうって何よ!」
「全くめでたくない!!」
 勢い込む双子相手に、ファミリアは楽しそうだ。当事者の二人を他所に、双子とファミリアは派手に言い合う。


六−三.カイ

 数日が過ぎた。
 ルカは眠っている。眠り続けたまま、目を覚まさない。イプシロンによれば、精神的に負荷がかかり過ぎたからだという。
 自分も似たような状態だと思うのに、意識を失うことも、自我をなくす事も無い。涙も流れない。ただ、全てがどうでも良い。ラムダがいないのだから。
 自分はラムダの為に作り出されたのに。ラムダがいない世界で、どうすれば良いのかわからない。しかも、ラムダがいなくなったのは自分のせいだ……考えてもただ、渦にはまり込むだけ。何も出来ない。しようと思わない。
 赤い髪の女が目の前に立つ。
「選びなさい」
 繰り返し言われ、何のことかわからず顔を上げる。
「やっとこっちを見てくれた。さぁ、選びなさい。この世界に留まるか、異界に追放されたいか」
「追放?」
 つぶやき、その言葉の響きにカイは笑う。自分の意思ではないが、ずいぶん多くの人を手に掛けた。何よりも大切な人の命さえ、躊躇無く――。
「追放か」
 初めて、カイの顔に表情が表れる。自虐の笑み。
 自分に罰が下される。いや、下されなくてはいけない。自分は、大罪を犯したのだから。
 セスは呪文を唱える。この世界からカイは消えた――。

 目を開ければ、見覚えのある景色が広がっていた。ここは公園だ。ラムダが好きだった場所。遠い、ラムダを知るための教育の中で見た景色。
「あなた、どこから現れたの?」
 不審げな女性の声に振り向く。長く美しい黒髪、鋭い目つきをした黒い瞳の若い女性――ラムダだ。
「……ラムダ……」
 涙がこぼれ落ちる。後から後から、涙が沸いてくる。会いたかった。会えないと思っていたラムダがここにいる。抱きつこうとして、殴られた。
「何するの! それにあなた、どうして私の名を知っているのよ?」
 殴られた頬がじんじん痛む。それさえも嬉しい。
「どうしたのよ? 大丈夫?」
 殴ったくせに、心配げな声を出す。
「……会いたかった」
「あのさ、誰かと間違えてない? 私、あなたのこと知らないんだけれど?」
 カイは頭を巡らせる。ここでラムダに逃げられてはいけない。何といえば、彼女に逃げられず、近くにいられるだろう。
「すまない。君が大切な人にあまりに似ていたから……」
「もしかして、死んだの?」
 ラムダの言葉に、ゆっくりうなづく。彼女は死んだ。殺してしまった。
「私、隣にいて大丈夫?」
「いて欲しい」
 ベンチに腰掛ける彼女のそばに座る。彼女の瞳に自分が映っている。それだけで嬉しい。
 彼女はじっと見つめられているのが照れくさくなったのか、視線をはずし、世間話を始める。声を聞いているだけで、凍てついていた心が溶けていくのがわかる。
「私、週末にはここに来るから」
 彼女が去っていく。追いかけたい気持ちに駆られるが、そのまま見送る。約束した。ラムダが約束してくれた。それだけで十分だ。

 この世界で生きていくためには、働かなくてはいけない。カイの持っていた知識を用い、軍へ入隊する。簡単なことだ。
 両親も親族も無いカイをある幹部が妙に気に入り、養子に迎えてくれた。それからの出世は早かった。
 彼女の笑顔が見たくて、ふざけたことばかり言ってしまう。仕事で彼女に会えないことが増える。手紙をやり取りしようとするが断られたので、他人を介し、彼女と手紙をやり取りし始める。彼女の文字を見るだけで、心躍る。彼女が同じ職場に配属されてくる。どんなに邪険にされても、彼女がいるだけで嬉しい。
 楽しい時間はすぐに過ぎる。だんだん、不安になってくる。ラムダを前線から退ける。他人の目から見れば左遷。けれど、彼女を失ってしまうような恐怖は収まらない。夜も眠れない。ラムダをずっと見ていないと、いなくなるんじゃないかという不安に押しつぶされそうだ。
 研究所はどこも似たような外見をしている。ここはあの研究所ではないのだと自分を納得させるが、不安は消えない。
 誰もが楽しみにしている式典の特別招待状を手に入れる。ラムダに渡す。いつも通り、言い合いになる。それでも、何とか渡すことに成功する。
「はい、サヨウナラ」
 ラムダが歩き去っていく。デジャビュ。この光景を自分は知っている。嫌な予感が止まらない。
「絶対、来てくれるよね」
 弱気になるなんてらしくない。そう思いながら、カイは去っていくラムダの後ろ姿を見つめる。


六−四.セス

 結婚式はライトを城へ迎え入れるための式へと急遽変更されたが、巻き起こったのは混乱ではなく歓声だった。
 帝国はライトが即位し、トランプ王国と名前を変えた。これからは、ライトのふりをしたミルクが国を治めていく。
 アリシアは病気の為に別邸で静養していると発表された。マリンとライトはミルクの片腕として動いている。
 ファミリアは魔法修行に没頭し、オメガは荒地でのガーデニングを派手に再開した。たまに会えば、相変わらずにぎやかな口ゲンカをしている。
 イプシロンは魔法アイテムに興味を持ち、失われた技術の発掘と、効果について研究している。
 シータはツルギ村の村長になり、森の中で暮らしている。エルのような人間が勝手に魔法アイテムを持ち出さないよう、森の中に眠る魔法アイテムの発見、管理をしているようだ。
 ライキはソウとともに田舎に引っ込み、商売を始めるという。アルネの元で働いた日々が役立つだろう。
 アルネは相変わらず適当に商売をしている。夜の酒場としての稼ぎが良いようで、趣味でしている昼の営業は、端から見てもさっぱりのようだが、気にしている様子は無い。

「何考えてんだよ」
 ファミリアが呆れた声を出す。彼女ならそう言うだろうと思っていた。ルカを連れて、また、あの寂しい異界に戻ると告げたのは昨日の夜のことだ。何だか楽しくなって、セスは笑う。
「彼女が目を覚ました時、知り合いがそばにいてあげたほうがいいでしょう?」
「そりゃ、そうかもしれないけど」
 目の前のベッドで、ルカが眠っている。いつ目を覚ますかわからない。このまま、眠ったまま一生を終えるかもしれないし、魔力が切れて、衰弱死するかもしれない。あの時間の止まった異界なら、ルカが目を覚ますのをいつまでも待ち続けることが出来る。それに、セスがいればルカは魔力が切れて衰弱死することも無い。
「ラピスが望んでいた世界がどんなものなのか、終わりまで見届けたいの」
「そんなものかね」
 呆れたように言うけれど、ファミリアはきっとわかっているはずだ。彼女はつっぱっているけれど、どこまでも優しい。そして、自分に厳しい。
 彼女のように強ければ、自分の弱さを知っていれば、私のように間違えることなんてないだろう。
 セスはファミリアに向き直る。
「今までありがとう、ファミリア」
 照れくさそうに髪をかきむしり、ファミリアは舌打ちする。
「先に言っとく。また会おう」
 湿っぽいのは嫌いだと言っていた。舌打ちも、髪をかきむしる癖も、彼女なりの感情表現なのだろう。不器用な人だと、セスは笑みを漏らす。
「えぇ、また会いましょう」
 サヨナラの言葉は交わさず、セスはルカとともに舞い上がる。異界への穴を開き、潜り抜けた。

≪前頁 | 目次 | 次頁≫

『帝国崩壊U』をご覧いただきありがとうございました。

2009/04/05 あとがき
あいかわらず「ぶっきらぼう」を「ぶきらっぽう」と書きそうになります。「ぶっきらぼう」が正しいのにね。
「帝国崩壊T」と分割した時、あと50枚も書けば終わるはず…とか思っていたのにこの枚数…。疲れました。もっとゆっくり書いたほうが良い部分がたくさんある気もしますが、今の私には精一杯。書いてる先から設定を忘れ、読み返し読み返しで何とか書き上げました。
書いてるうちに思い出したこと。これ、これだけ入り組んでる(と私は思う)設定にしたのは、RPGツクールのためだった…ってこと。私の作る物語って1つのシーンだけ、みたいなのが多くて、「RPGツクール楽しそう!でも、ネタが無い!!そうだ、繋げちゃえ」って、書き溜めてた物語をだーっと繋げ始めた記憶が。。。結局、面倒くさくなってRPGツクールでゲームは作らなかったけど。
設定考えた中高生の頃は「スレイヤーズ」にはまってました。ってことで、強い魔法使いが活躍する物語になってて、なんだか盛り上がりに欠けます…。こういう作品で基本の、成長する人もいないし。私がRPGで使うのは打撃系の戦士とか武道家ばかり。特攻しすぎてよく全滅します。

©2001-2014空色惑星