ラムダ

帝国崩壊U

帝国暦三八八年

五−一.ルルー

 ファミリアが異界巡りをパタリとやめて数週間になる。異界での滞在時間は、向こうの時間で一日以内。こちらの時間だと、数分から数週間。異界とは時間の流れが異なる。
 またすぐにファミリアは異界へ出かけるものだと思っていたけれど、いつまで経っても動かない。森の中央にある、魔王の部屋。以前と同じように、うず高く積まれたルルーのコレクションである古い魔法書をファミリアは読み漁っている。
「ミドリ、見つかったのかい?」
 尋ねてみても答えない。いい歳して、ふて腐れているように見える。きっと、最後に入った穴の中でミドリを見つけたのだろうと思う。見つけたけれど、連れ帰ってこなかったのには、向こうで何かがあったのだ。死んでいれば、死んだと言うはず。ミドリは向こうで元気にしているのだろう。
「幸せにしてるんなら良いじゃないか」
「……あぁ、良いことだよ」
「聞こえてるんじゃないか」
 不穏な空気が流れ始めると、タイミングよくツルギが現れる。どこで覗いているのか、いつものことだ。
「オメガさま、魔王さま、お茶をどうぞ」
 薦められ、用意されたカップを手に取る。ファミリア特性のケーキにタルトにパイにクッキー。真似てツルギが作ったらしい。
「私のこと、魔王って呼ぶのはどうにかならないか?」
「ごめんなさいね。つい」
 ツルギは困ったように微笑む。そんな顔をされると、人のいいファミリアが逆らえるわけも無く、そこで話は終わる。良いように扱われているなと思う。
「ファミリア、私はもういい歳だよ」
 オメガの見た目は三十歳前後だが、実体は九十歳を超えた。結界の魔力源として、森の中央にある、馬鹿でかい水晶の中に漬かっている。六十年近く前からだ。
 オメガの魔力が枯渇しつつあるのか、近年、結界は弱まっている。次代の魔王候補だったシータは行方不明のまま。森生まれではない、弟子のファミリアしかいない。彼女が魔王になるのは辛いことだと思うが、魔力の高い魔法使いなど近年稀だ。
「あんた以外に魔王になれそうな人材がいないんだ」
「そうだな」
 ファミリアはパイを頬張りながら、えらく素直にうなづき、
「魔王になるよ」
「え?」
「魔王になって欲しいんだろ?」
「えぇっと――」
 オメガが戸惑い声を上げてるのをさえぎり、ツルギが嬉しそうな顔で微笑む。
「では早速。こちらへどうぞ。思い立ったが吉日と申しますし」
 窓から二人は出て行く。
「ちょっと、そこは出入り口じゃないってあんた達何度言ったら……」
 ぶつぶつ言いつつ、オメガは後に続く。

 水晶の前。ツルギ、タツミ、ヒドリの三人の聖霊が集まっている。タツミはファミリアの格好をみて、眉をひそめる。
「格好はそれでいいのか?」
 ファミリアはいつも通りのオレンジ色の縁取りある、緑色のワンピースに薄汚れて灰色になったフード付きマント姿。
「変か?」
「私をご覧よ」
 オメガは一回りする。黒いワンピースドレスに、マント。オメガが魔王になった当時の、一流魔道士服だ。
「黒ずくめにしろってことか?」
「そうじゃなくて。次代の魔王候補が見つかるまで、その格好で何十年も過ごすことになるんだよ。それでいいのかってことだよ」
「かまわないよ。動きやすい格好が一番だ」
「あんた本当に馬鹿だね。ツルギ、とっととやっとくれ」
「はいはい」
 ツルギ達は苦笑しながら儀式を始める。オメガの肉体を水晶から開放し、ファミリアを閉じ込める。
 久々の実体は重かった。忘れていた年齢に、がっしり抱きつかれたようだ。長年、実体に近い影の姿で動き回っていたというのに、これでは始末が悪い。魔王をやめた者達が早死にするのもうなづける。
「終わったのか?」
 ファミリアは目を開け、水晶漬けの自分の実体と、水晶に映る自分の影を見比べている。
「どうだい? 気分は」
「別に、どうってこと無いけど?」
 生意気にもファミリアはそう答える。師匠であるオメガより、レベルも知識も高い魔法使いであるファミリア。魔力が満ちている今はそう思えても、いずれ思い知るだろう。毒に侵されたように、魔力が低下し続ける……恐怖を。
「ま、あんたはジェレミの宝玉つけてるからね」
 伝説の魔力増強アイテム。魔法使いにとっては憧れの一品だが、身に着けるには、魔法で額に埋め込むしかない。一度身に着ければ、死ぬまではずすことが出来ない呪われたアイテム。
 ある事件で、ファミリアはそれを身に付けることになった。たぶん、今までのどの魔王より、強い魔力を持ち合わせているだろう。
「それにしても、ばーさん、本気で老人にしか見えないな。大丈夫か?」
「あんたに心配されるようじゃ、私も長くないね」
 曲がった腰を叩く。身に着けたローブが重い。手にした杖でようよう立っていられる。呪文が縫い取られた布と、魔法石がいくつも縫い付けられた重い帽子とマントを脱ぎ捨てる。
「やっかいだね、歳を取るってのは」
「そうだな。いっぺんに六十歳くらい年老いて見えるよ」
 意地悪く笑うから、笑い返す。
「私が魔王になった時が、つい昨日のことのように思い出せるよ。私は六十年近く魔王をしてた。あんたは何年持つかね」
「五十年も出来ればいいとこだろうな」
 ファミリアはにやりと笑う。五十年経てば、今のルルーに近い年齢になる。
「ったく、くそ生意気な馬鹿弟子だよ」
「それはこっちの台詞だよ、くそ婆ぁ」
 そう言いながら、ファミリアはオメガに回復魔法を使う。弟子になってすぐは、破壊方面の魔法しか使えなかったのに、いつの間にか、回復魔法も覚えたようだ。まったく、自分より能力の高いヤツを弟子になんてするもんじゃない。
「魔力が落ちてる?」
 ファミリアが困惑するなんて珍しい。
「こんな馬鹿でかい結界張るのに、相当魔力を使ってるからね。今まで通り、フルパワーを使おうったって、そりゃ無理さ」
「これ、常時だよな」
「ビビッてんのかい?」
 尋ねれば不敵な顔をして鼻で笑う。いつもの顔だ。
「この私が? ありえないね」
 目を閉じて、耳を澄ます。
「なるほど。魔王になれば、結界内の様子は手に取るようにわかるわけだ。ツルギ村に珍客がいるみたいだけど、あの二人は誰?」
「珍客?」
 慌てた様子でツルギの姿が掻き消える。合わせてファミリアも消える。結果内は聖霊も魔王も神出鬼没。焦った様子でヒドリの姿が消えたところを見ると、また何かやらかしたのだろう。
「タツミ、悪いがツルギ村に連れてっとくれ。どうも魔力がコントロールできない」
 常に消費されていた魔力が自分の中に留まっている。体から魔力が溢れそうなほど。この弱った体で魔法を使えば、暴走させる危険がある。
「実家に戻るのか? 今まで通り、魔王の部屋に住めばいいだろうに」
「様子を見に行くだけだよ。それにわたしゃ、もう魔王じゃないんだ。魔王の部屋に住み続けるのはお門違いだろう」


五−二.ファミリア

「あんたら誰だい?」
 手仕事をしていた銀髪の女性と、金髪の少女に尋ねる。二人は不意に目の前に現れたファミリア達に驚きを隠せない様子。
「私はファミリア。こっちはツルギ」
 村人達は驚かない。魔王と聖霊が神出鬼没なことはよくわかっているのだろう。声を掛け合い、広場に集まってくる。女性に仕事を教えていた老人がため息混じりに答える。
「あんたが新しい魔王か。シータは結局、見つからなかったんだな」
「あんたは?」
「口の悪い女だな。ワシは村長のロイズじゃ。妹はあんたにまともな口の利き方を教えなかったようじゃな」
「ばーさんの兄貴か。良い歳だろうに、ずいぶん元気だな」
「お蔭様でな」
 兄妹だから、面影がどこか似ている。皮肉たっぷりなしゃべり方は瓜二つだ。
「ごめぇぇぇん、ファミリア」
 ヒドリが現れ、銀髪と金髪を背後に平身低頭。
「私が彼女達の保護を引き受けちゃったものだから」
「保護?」
 この森、自由に出入りできないはずだが、ヒドリがまた、勝手に出入りさせたらしい。魔王であるルルーの目を盗んでか、ばーさんの魔力が弱まっていてそれに気づかなかったのか。
「銀髪のおねーさんがイプシロンさん。金髪の娘はマリンちゃん。簡単に言うと、悪い人に追われてるんだって」
「悪い人?」
「帝国の兵隊さん」
「兵隊――」
 結界の外。見難い場所に兵士達がいる。ちょうど、ツルギ村から見える四角い箱のような建物の向こう側。建物に押し込まれたように、結界は窪み薄くなっている。引っ張られ、膜が薄くなっている感じだ。建物が結界に掛かっていても、通常はそんな状態にはならない。
「あれ何」
「研究所です」
 イプシロンが静かな声で答える。研究所、と言われてもよくわからない。異界の建物だから、こちらの魔法は利かないというところだろうか。
 この森に来てずいぶん時間が経つが、ミドリを探すためタツミ村付近と、いくつかの異界はうろついていたが、このツルギ村方面に来たのは初めてだ。だから、あんなものがあるなんてファミリアは知らなかった。
「あなたが魔王なの?」
「あぁ」
 イプシロンの問いかけに、頷く。彼女にはどこか不自然さを感じる。
「あんた異界の人か?」
 ただの思いつきで尋ねたのだが、イプシロンは頷いた。
「えぇ。この建物自体は百年ほど前からここにあったけれど、実体化したのはつい数年前。私達が目を覚ましたのも同じくらい」
「私達ってことは、他にも異界の人間が?」
「もう一人いたけれど、死んだわ」
「――そうか。で、そっちは……どっかで会ったことあるよな」
 マリンは首をふる。美しい緑色の瞳に見覚えがある。
「お前、もしかしてカリエ=ボルト王国関係者か?」
 カリエ=ボルト王国のモンタナ一族といえば、武芸と、宝石のような美しい緑色の瞳で有名だ。マリンの瞳が警戒の光を帯びる。
「まさか王女とか? 王や王妃に似てるけど」
「会ったことがあるの?」
「会ったというか――」
 言葉を選ぶ。ファミリアにしては珍しいこと。
「最後に立ち会った。墓を作ったのは私だ」
「お墓? どこに!? どういうこと?」
 ファミリアは片手で自分の髪を梳きながら、言葉を続ける。考えているときの癖だ。
「たまたま王都付近を通りがかったとき、帝国に攻められているのを目撃してな。その時、王妃と話をした。手を出すなといわれたから加勢はしなかった。二人とも立派に戦っていた。たった二人で、三十名近い熟練の兵達を相手にな。
 戦い終盤になり、バテ始めたところで王妃に刃が触れた。猛毒が塗られていたようで、王妃が崩れ、王も――後に続いた。私は二人の首を王国の見渡せる崖の上に埋めた。それが王の願いだったからな。帝国のやつらが持ち帰ったのは王と王妃の、首のない遺体だよ」
 マリンは泣き崩れる。居たたまれなくなり、ファミリアは歩き出す。慌てて後を追うツルギとヒドリ。
「どこ行かれるんです?」
「湿っぽいの嫌いなんだよ」
「魔王さん」
 イプシロンが追いかけてきた。
「ファミリアで良い」
「では、ファミリアさん。私が聞いていた魔王の印象とはずいぶん違うのだけれど、あなた本当に魔王なの?」
「私はさっき魔王になったばかりなんだ。あんたが聞いたのはばーさんだろう。ばーさんは……もうしばらくすれば、こっちに来るさ」
 気配が近づいてきている。目を閉じれば、タツミに背負われてこちらに向って来ているのが見える。
 時間があるので、ヒドリ村の連中が内側に薄く張っていた結界を壊し、結界に魔力を注ぎ込み、強固なものにする。魔力供給源のジェレミの宝玉があるから、多少の無茶でもできる。
 タツミ村は今は村長であるソラ一人しかいない。ヒドリ村は比較的人が多い。ツルギ村は魔王を多く排出してきた村だけあって、魔力の高い魔法使いが多い。
「それにしてもこの村、年寄りばかりだな」
「若い連中は外へ出稼ぎに行っとるよ」
「外?」
 ロイズの答えに、ファミリアはヒドリを見る。
「わ、私は関係ないよ」
 大きく手を振り、首を振る。彼女の後ろに見える建物。魔王本人じゃなくても、あの建物付近の弱まった結界に穴を開けるのは簡単だっただろう。結界に穴が空けば、聖霊がすぐに気づくはずだが、あの建物付近は最初から結界が薄いのでわかりにくい。
 ばーさんも魔王の癖して外をうろついてたから、この森の中で起きていたことに気づいてなかったようだし。
「あの中を通れば自由に出入りできるってわけか」
 村長のロイズが笑う。
「あぁ。聖霊にも魔王にも気づかれず、自由に出入りできる。森の中で暮らすのは不便だからな」
「村長が勧めてたってことか?」
「そんなことはしないさ」
「黙って見ていただけ、か」
 ファミリアは口元にだけ笑みを浮かべる。こういうタイプの人間は大嫌いだ。険悪な空気が漂い始めた頃、タイミングを計ったように、タツミに背負われたルルーが到着する。
「老けたな、ルルー」
「開口一番に言う台詞がそれかい。あんたの方が爺ぃじゃないか」
 ファミリアが魔王になる直前まで三十歳くらいの影の姿で動き回っていたのだ。わざわざ魔法で老けさせた影の姿は、結界の外でしかとっていない。
「こんな辺鄙な村にわざわざ来てやったんだ、歓迎くらいしとくれ。で、わかったのかい?」
 いつも以上に、口の悪さに拍車がかかっている。仲が良い兄妹なのか、そうではないのか。
「異界の人間と、カリエ=ボルト王国の王女だった」
 銀髪の女性と、泣いている金髪の少女を指差す。
「そりゃまた厄介な」
 オメガは頭に手をやる。
「何でそんな人間がここにいるんだい? 異界の人間ならわかるが、王女は魔法使いじゃないだろう? どうやってこの森に入ってきたんだ?」
「保護してるんだそうだ。な、ヒドリ」
「話をふらないでよぉ」
 ツルギとタツミが冷たい瞳でヒドリを見やり、ヒドリは小さくなる。言い訳を並べるヒドリを無視し、ファミリアは話を続ける。
「外に出た魔法使い達は何をやっているんだ?」
「多くが宮廷に使えている。一部が行方不明だ」
「何で村人をほいほい外に出してんだよ。世界の勢力バランスが崩れるだろ。それに行方不明ってどういうことだい。異常事態じゃないか」
「そうか?」
 ロイズがとぼけた顔で答えるものだから、オメガの声が大きくなる。
「そうかって、あんた何考えてんだよ。宮廷魔道士レベルの魔法使いなんて、めったにいない存在なんだよ。そんな連中が行方不明なんておかしいじゃないか。生死の確認もできていないのかい?」
「死んではいないようが――」
 言葉を濁す。
「二年程前から、魔法使いの失踪が森の外で話題になっているようだ」
 ロイズは期待するような瞳をファミリアに向ける。
「なるほど。私がばーさん見習って調査に出かけりゃいいのか」
「何言ってんだよ、魔王になったばかりの癖に。森の外でその影を維持する魔法も知らないだろ?」
「知ってるよ。ばーさんが呪文をメモしてる紙を見た」
 空へ飛び上がり、あぐらを組む。メモは走り書き程度のものだったから、それを見たときは何の魔法なのかわからなかったが、今ならわかる。ようは蜃気楼の応用だ。
「ったく。自分より高位の魔法使いなんて弟子にするもんじゃないよ」
 オメガが言いなれた愚痴を吐く。
「ばーさんがくたばる前には帰ってくるさ」
「十年は帰ってこなくて良いよ」
 建物へ向う。空をすべるように飛ぶ。先ほど大量に魔力を消費したばかりだから、魔力が少ない。いつものような高度の維持も、スピードを出すこともできない。
「ファミリアさん、待って。私も連れて行って」
 マリンが追いかけてくる。小走り程度のスピードしか出ていないからすぐに追いつかれる。
「どこへ? 墓参りか?」
「それもあるけど、仲間のとこに帰るの。アリシアを倒さなきゃ」

 建物は間近でみると馬鹿でかかった。
「出入り口はどこだ?」
 いつもならすぐ破壊系の魔法を使うところだが、今は遠慮したい。破壊系の魔法は消費魔力が大きい。魔力を温存させないと、今後に関わる。地面に降り立ち、歩く。
「こっちよ」
 いつの間にやらイプシロンも来ている。
「あんたは?」
「私も墓参り。それと、子供達に会おうかと思って」
「子供がいるのか?」
「えぇ」
 顔を曇らせる。あまり触れられたくない話らしいので、それ以上は聞かない。この二人、込み入った事情が色々ありそうだ。
 イプシロンは懐から取り出した鍵で扉を開け、建物内へ入る。
「電源を落としたから、今は自動で動かないのよ」
 足早に歩き、鍵を使ってドアを次々開けていく。イプシロンの言っていることはわからないが、そのまま聞き流す。この建物は通り過ぎるだけだから。
「ガラスは防弾仕様だし、テロ対策に壁も床も頑丈だから魔法を使って壊すのも大変よ」
 イプシロンを先頭に、迷路のような建物内を歩く。
「さすが異界の建物だな。見たこともない石で出来てる」
 壁も床も滑らかで、不思議な色合いをしている。
「石ではないけれど、まぁ、石と説明するのが手っ取り早いわね」
 イプシロンは話をやめ、足早に歩を進める。
「外の兵士さん達、どうするの?」
 マリンが小走りになりながら尋ねる。イプシロンは背丈もあるのだろうが、足が速い。ファミリアは少し前から、あぐらを組んで空中を飛んでいる。
「魔法で何とかできるだろう。考えてもどうしようも無いことは考えない主義なんだ」
「考えてないのなら、私にまかせて。それで、カリエ=ボルト王国に向うの? それとも帝都?」
「帝都に」
 マリンが強く言う。
「お墓は逃げないわ」
「それなら話が早いわ。二人ともしゃべらないでね。私が話をつけるから」


五−三.イプシロン

 アリシアに会いたい旨を兵に伝える。ずいぶん長い間、音信不通な上、建物にも入れなくなっていたから最初は兵達も不審がっていたけれど、適当な作り話でごまかした。
 話しついでに魔法使い達の団体について尋ねる。噂になっているというロイズの話は本当だったようだ。兵達は気味悪げに語る。
「何が一番気味が悪いかって、前日まで普通に過ごしていた魔法使いが、突然失踪して団体に入ってしまうということです」
「どういうこと?」
 イプシロンは興味ある顔で話をうながす。兵はこの駐屯生活に退屈していたようで、話を続ける。
「とにかく何もわからないんです。共通しているのは魔法使いだってことと、失踪する兆候なんて前日には無いって事……何もわからないんです。
 ところでイプシロン博士。そちらの二人は魔法使いですか?」
「えぇ」
 マリンは魔法を使えないが、ツルギ村で暮らしていたため、ローブをまとっている。優秀な魔法使いがいることで有名な森の中から、ローブ姿で現れた人間が魔法を使えないとは誰も思わない。
「そうですか。では、魔法使いと周囲に知れないよう、言動には十分気を付けてください」

 用意された馬車に乗り込み、帝都に向う。窓の外に見える風景はのどかで興味深いものだけれど、馬車に乗りなれていないから酷く疲れる。それはファミリアも一緒のようで、休憩ばかり取ることになり、なかなか進まない。
 マリンもファミリアもイラついている。ファミリアの場合、魔法を使うことができれば、一瞬で帝都まで行ける為らしい。
 訪れた町で、ファミリアはいかにも魔法使いと思われるような言動を繰り返す。あぐらを組んで宙に浮き上がり、そのまま町を散歩したり、休憩の為、広場の真ん中で机や椅子一式とお茶やお菓子を出してみたり。
 最初はその魔法に驚いていた兵達も、あまりに目立つ行動に注意をするが、聞くような人じゃない。例の団体に接触できるようにだろうけれど、通り過ぎる誰もが目を見張っているところを見ると、彼女のような魔法使いは珍しい様子。
「これだけ気合入れて私が魔法使いアピールしてるんだから、そろそろ接触あってもいいだろうに」
 宿の部屋。三人一室があてがわれている。ベッドに大の字になりながらファミリアは言う。
「目立ちすぎなんですよ。いかにも罠って感じじゃないですか」
 マリンが言い返し、部屋を整える。元王女なのに、慣れた手つき。生活力がないイプシロンは自然、頼り切ってしまう。
「フルパワー出せれば、私の通った後に花を降らせたり、雨を甘い飴に変えたりなんて派手な事が出来るんだけれどね」
「今でも十分だって言ってるんです」
 ファミリアは楽しげにマリンと言い合いを始める。単独行動を優先させるファミリアと、協調性を主張するマリン。そうなるとイプシロンはおろおろするばかりで、何も出来ない。
 ノックの音に気づいたのはイプシロンだった。
「誰かしら?」
 ドアを開けても誰の姿もない。小さな花束が一つ落ちている。
「何、これ」
 拾い上げる。白い紙に包まれた花束は花屋で購入されたものではなく、野の花を摘んだもののようだ。カードには子供の字で『まほうつかいさんへ』とある。
「ファミリアさん、プレゼントよ」
「何?」
 イプシロンから花束を受け取り、ファミリアはにやりと笑う。
「なるほど。こういう仕掛けか」
「どうしたの?」
 いぶかるマリンとイプシロンの目の前で、花束に魔法をかける。ポンとはじけるような音を立て、花束だったものは地図と黄緑色したこぶし大の宝石に変わる。
「これ、何」
 マリンがそれらを拾い上げる。
「その宝石は魔力を溜めることができる石だ。魔法使いが額飾りとか杖とか、必ず宝石を身に着けてるだろ? あれだ」
「で、こちらの地図は?」
 イプシロンが尋ねる。この近くのようだ。歩いて五分ほどのところ。手書きで書かれたお使いのメモのような地図。
「宝石をぽんとプレゼントしてくるような酔狂なヤツの顔、是非見てみたいね」
「宝石を返すにしろ、お礼を言うにしろ、地図の場所へ出かけ、失踪してるというわけですか」
「たぶんね。すっごい近いし。ってことで、私は出かける」
「何言ってるんですか。それじゃ、罠にかかりに行くようなものじゃないですか」
「行かなきゃわからないだろ」
 マリンとファミリアは言い合いになる。マリンも手が早いタイプだけれど、ファミリアよりはまだ計画的だ。
 口論の末、三人で行くことになり、イプシロンもファミリアが魔法で出した、いかにもな魔法使い風の服装になる。
「宝石は――先生、持ってて」
 ファミリアが宝石を取り上げ、イプシロンに渡す。映像がぼやけるように、ファミリアの影が薄くなる。
「どうしたの、大丈夫?」
「この宝石、魔力を溜めるってことは、魔力を吸い取る力があるってことでね。魔法で保ってるこの体には厄介なものなんだ」
「消えちゃうって事?」
「眠るか、魔力が足りなくなって死ぬか――どの道、私が消えたら結界が解けて大変なことになる」
 楽しげに笑うが、大変なことだ。急いでファミリアから石を遠ざける。

 地図が示していたのは廃屋だった。
「ここ?」
「他にないだろ」
 周囲は平凡な町並み。その家だけ、忘れさられたようだ。
「入って大丈夫なの?」
「問題ないだろ」
 ずかずかとファミリアは入っていく。後に続くマリンとイプシロン。
「来たぞ」
 部屋の中に向って声を上げる。
「誰もいないわよ」
「床、抜けたりしないかしら」
 恐々床板に体重を乗せる。一瞬、ぐらりと視界が歪む。明るいところから暗いところに入ったからだろうか。
「お待ちしてました」
 少年の声が降ってくる。二階へ目をやる。十歳にもなっていない、どこにでもいそうな少年。ただその落ち着いた物腰と、言葉遣いが不自然だが。
「三人もいらっしゃるとは思いませんでした」
「で、このプレゼント。どういう意味だ?」
 ファミリアは宝石を掲げもち、思い切り睨みつける。少年はひるむことなく、階段を一歩ずつ下りる。
「昔のように、優秀な魔法使いが増えれば良いと願っているだけです」
「正体隠してないで、出てきたらどうだ?」
「そちらはずいぶん高位の方のようですね」
 少年は階段途中で腰を降ろし、楽しげにファミリアに目を向ける。
「あの子、何なの?」
 小さな声でマリンが尋ねれば、ファミリアは鼻で笑い、
「私と同じ影さ。自分は安全な場所にいて、あぁやって自分とは似ても似つかない影を操ってる。まったく卑劣なヤツさ」
「これはお返しします」
 イプシロンは宝石を階段の一番下の段に置く。
「プレゼントしたものですから、お持ちになってください。どなたがお持ちになられても構いませんよ」
「いらないって言ってるんだ」
「そうですか。それは残念」
 パチンと指を鳴らす。うなる様な音が響く。埃が舞い立ち、家が揺れはじめる。
「何?」
「崩れる! この屋敷から出ろ!!」
 先ほど入ってきたはずのドアは打ち付けられたように開かない。ファミリアは舌打ちする。
「結界張ってるな。フルパワー使えれば、こんなものすぐに消せるんだが……」
 少年がいた位置を見る。そこに姿はない。移動したのか、影を消したのか。
「良し。マリン、蹴破れるか?」
「オッケー」
 ドア板は壊れたが、見えない壁がある。ファミリアはそれに手を触れ、人が通れるギリギリの穴を開ける。三人は急いで外に転がり出る。
 周囲は何もない草原。振り向けば、屋敷もない。
「ここ、どこ?」
「移動させられたんだ」
 ファミリアは腕を組み、仁王立ちで笑う。こういう事態、楽しいらしい。
「最初っから何かあるなとは思っていたんだ。
 住宅街に廃屋なんておかしな組み合わせだっただろう。あの屋敷全体に魔法が掛けられていたのには気づいたが、何の魔法かまではわからなかった。どこかにある廃屋をあそこに現していたんだ。
 私らが屋敷に入ってすぐから移動し始めたんだろう。三人も来るとは思っていなかったから、予定が狂ったみたいだな。移動させるにしても、こんな何もない場所に移動させるなんてありえないから」
「わかってるなら最初に言ってよ」
 マリンが不満げに言う。
「これで私達も失踪したことになりましたね。どうしましょう」
「ここがどこだか確認しよう。まぁでも、これで失踪のカラクリが解けた。あのまま、団体のあるどこかの町だか村に移動させる予定だったんだろう。
 宝石を受け取らない魔法使いなんて、ほとんどいないだろうからな。魔法アイテムってのはかなり値が張るし、貴重なものだから」
 宙へ浮かび上がる。高いところが無くても、見通しが利くのだから魔法も便利だ。
「あの宝石って、そんなに珍しいものなんですか?」
 マリンに尋ねる。何度見ても、少し変わったガラスにしか見えなかった。
「魔法って、廃れてきてる力なんだよ。全盛期って言われていた時代には、あんな魔力の溜められる石って、ごろごろあったんだが、今はほとんど作れないからな。
 今、あの石を手に入れようとすると、昔の戦場跡や災害地跡なんかで発掘するか、大きな魔法石を分割するか、魔法使いがいなくなった魔法使い家系が売りに出すのを待つくらいしかないんだ。
 魔法使いはいくつでも魔法石を欲しがるもんだから、ちっちゃな石でも暴騰してるしな」
 ファミリアが降り立つ。
「それで、石に魔力を溜めて、何をするんです?」
「魔力を大量に消費する時や、いざって時に便利なんだよ。ただ、何度も魔力が溜められるわけじゃなくて、何度か使ってると壊れるからな。新しい石が必要になるのさ」
 ファミリアの額にある、オレンジ色の石を指差す。
「それも魔法の石なんですか?」
「これは別格。ジェレミの宝玉って言われてる有名な魔法アイテムで、魔力を溜めなくても、魔力を使える便利な石。
 ばーさんは大量に魔法石を持っていたけど、私は今は持ってないよ」
「ちょっと、おしゃべりしてないで、ここがどこかわかったんですか?」
 マリンが声を上げる。ファミリアはニヤリとして、
「カリエ=ボルト王国近くだ。数時間も歩けば城下が見える」
「そんなに移動させられてるんですか?」
「そんなにってどんなに?」
 マリンの驚きように、イプシロンは驚く。この世界の地理なんてわからない。
「さっきまでいた町はここから歩いて二日くらいの距離のとこ」
「あぁ……それはまた、移動しましたね」
 歩いて二日という距離は想像できないものだったが、遠いことだけはわかった。
「私らは立派に失踪したってわけだよ」
 ファミリアは笑って歩き出す。
「どこ行くの?」
 マリンが続く。
「墓参り」
「……私は行かない」
「私は行くよ」
 ずんずん歩くから、仕方なくマリンも続く。


五−四.マリン

 久々に見るカリエ=ボルト王国は荒れていた。マリンが住んでいた頃にはすでに廃屋が増えていたけれど、城周辺は見事な庭が広がっていた。人の手によって作られた、夢のように美しい庭を憶えている。
 壊れた城はあの頃のまま。雑草が生え、城周辺は緑に埋まっている。全てが、忘れ去られたように切ない風景。
「こっちだ」
 ファミリアが風を切って歩く。
「あれ」
 指差したのは、地面を這うように咲く小さな花と、積み上げられた石。
「この花は?」
「目印代わり。魔法で作り出した花だ。枯れることはない」
「どういうカラクリなの?」
 イプシロンの問いかけに、ファミリアは笑う。
「さっき言っていた魔法石はこういう形でも使えるって事さ。魔力を溜めた魔法石を埋めて、この花を咲かせてる」
 風が吹く。両親は帝国に捕らわれ、殺されたのだと思っていた。けれど、この見晴らしの良い場所で、両親が眠っているのだと思うと、胸がいっぱいになる。ここは、両親が愛した国だ。
「ありがと」
「……湿っぽいのは嫌いなんだよ」
 ファミリアはぶっきらぼうに言い、
「私は観光してくる。一時間もすれば戻ってくるから。先生、行こう」
 イプシロンを連れて、廃墟へと下っていった。一人残されたマリンは、両親の視線で王国を見る。窪んだ土地。一番低い場所に湖と、壊れた城。それを取り巻くように、大きな屋敷、端へ端へと小さな屋敷が並ぶ。
 大人の足で周囲を歩いて回れるような、小さな王国だ。こんな小さな王国が、当時でも強大な帝国の手に落ちまいと頑張っていた。王妃リアのカリスマだと言うけれど、それだけじゃない。誰もがみんな、この国が好きだった。
 不思議と涙が出てこない。両親の墓の前に立ったら、きっと号泣するだろうと思っていたのに、心はなぜか澄んでいる。思い出すのは、柔らかで、優しげな思い出ばかり。毎日が、楽しいことだけで出来ていたような錯覚さえする。
 坂道を下っていくオレンジ色の髪に薄汚れた白いマント姿のファミリアと、銀髪に黒いワンピースドレス姿のイプシロンが見えた。
「私、帰ってくるわ」
 言葉にすると、何だかほっとした。ファミリアたちの後を追いかける。すぐにとは行かないかもしれないけれど、絶対帰ってくる。だから、もう行くよ。
「待ってよ、二人とも!」

 ファミリアは歩きながら、ため息をついた。
「こりゃ凄いな」
「手が入ってたらもっと凄いんだけどね」
 マリンは得意げに言う。手入れの行き届いた庭園は、重要な収入源だった。草木は伸び放題で、当時の面影は無い。
「そういう意味じゃない」
 ファミリアは壊れた城を見上げ、町並みを見やる。
「じゃあ、どういう意味?」
「城に入れるか?」
「たぶん」
 低い塀を乗り越える。驚くほど草木が伸び、ツタが絡みで歩きにくい。城内に入る。ファミリアは楽しげに髪を梳いている。何か、思うところがあるようだ。
「地下はどうやって行くんだ?」
「無いわよ」
 ただでさえ低い土地に城がある。穴を掘れば湿気るだけ。
「地下じゃなけりゃ……どこだ?」
 意識を集中させる用に、ファミリアは目を閉じる。マリンとイプシロンは顔を見合わせる。
「どうしたのかしら?」
「わからない」
 ファミリアが歩き出すので、後に続く。魔法で人が通れる範囲の草木を刈りながら。
「こっちは王座?」
「えぇ」
 謁見の間はずいぶん荒れている。ここも戦場になったのだろう。両親がここで戦っていたのかもしれない。胸が詰まる。
 ファミリアが髪の毛を乱暴にかきむしり、うなり声を上げる。
「あぁ、ったく。私も馬鹿だな。何であの時気づかなかったんだろう」
「何のこと」
「魔法石の馬鹿でかいのがある」
 ファミリアは言って、王座の下を指差す。
「そこだな」
「何でよ。ここは魔法使いのいない国よ? 魔法の使えない人たちが建国した国なのよ?」
「そんなことは知らないよ」
 良いことを思いついたとばかり、ファミリアの瞳がギラリと光る。根っからの悪い人にしか見えない。凄くよく似合ってる。
「良し、これを餌に釣ろう」
「何をですか?」
「何をって……もしかして、一から全部説明しなきゃダメか?」
「えぇ、お願いします」
 イプシロンにもお願いされたものの、ファミリアは面倒くさそうだ。ティータイムセットを出し、椅子にかけてお茶を飲む。
「えー。事の始まりは二年前。魔法使いが失踪しはじめたちょうどその頃、私はこのジェレミの宝玉を手に入れたんだ」
 ファミリアは自分の額を指差す。一見すると、オレンジ色の宝石の付いた額飾りをしているように見えるが、その宝石はファミリアの額に埋まっている。
「消えた魔法使いってのはたぶん、ツルギ村出身者だ。そうじゃなけりゃ、失踪して騒ぎになるようなレベルの魔法使いなんて、そうそういないからな。
 ロイズが落ち着いてたとこみると、魔法使いをかどわかしてたのはツルギ村出身者だろう。私等の前に陰の姿で現れて、屋敷を移動させて……なんて、ちょっとやそこらの魔法使いにゃ出来ない芸当だし。
 ジェレミの宝玉が手に入らないことを知って、この活動をはじめたと考えるのが早いだろうな。この宝玉は、私が死ななきゃ取れないし、私はここ二年、異界を行き来するのに忙しかったから」
「ロイズさんは全部知ってるって事?」
「いや、全部はわかっていないと思う。ただ心当たりのある相手だから、心配はしてないってところじゃないか。
 ジェレミの宝玉が手に入らないから、魔力源として魔法使いを集めてたんだろ。そんなことしてまで大量に魔力を欲しがるって事は、高位魔法使いしかいない。大量に魔力を消費する魔法でも使いたいんだろ。
 で、だ。そいつをいぶりだす方法だが――」
「また派手に魔法使いであることを主張するわけ?」
 マリンが呆れた口調で尋ねる。ファミリアは疲れた顔で首を振る。
「顔を覚えられてるから同じ手は使えないよ。知り合いに魔法使いいないか?」
「いるわ」
 と、マリンは微笑む。
「帝都に行けば会えるわよ」
「結局、帝都に行かなきゃダメか。掘り出せるようなら、あそこに埋まってるものを掘り出して持って行きたいんだが」
 王座の下を指差す。
「庭仕事する道具がないか、探してくるわ」
 マリンは懐かしい城内を歩く。庭仕事用の道具がどこにあるのか、城にいた人間なら王妃・リアでさえ知っていた。貧乏で、人手不足で。家族経営のような王宮だった。


五−五.ソウ

「アルネ、そこで休憩するのはやめてくれ」
 モップ片手のライキがため息をつく。アルネはコーヒーを飲みつつ、カウンター席で新聞を読んでいる。
「休憩じゃないわよ。社会状況の分析と研究。お店運営に重要でしょう?」
「アリシアの息の掛かった新聞読んでも意味がないだろ。偏った報道しかしてないんだから」
「だからこそ面白いんじゃないの」
 ライキは言い返すのをやめ、掃除を再開させる。いつもの光景。ソウは食材の下準備をしている。野菜を洗ったり、皮を剥いたり。することはたくさんある。
 ミルクを働かせるわけにもいかないから、四人も人間がいるのに、実質的に働いているのは二人。潜伏活動と言うけれど、アルネの店で働いているだけだ。
 ドアに取り付けたのベルが鳴る。
「すいません。まだ開けてないんです」
 ライキが断りの声をあげる。アルネが新聞を取るために表へ出て、戸を開けっ放しにしていることがよくある。だから、たまに開店前にお客さんが入ってくる。
「今、準備中なんで――マリン!」
「マリン!?」
 ソウも調理場から飛び出す。
「来たんだ……」
 言葉にならない。「お帰り」も「ようこそ」も「いらっしゃい」も言葉が違う。なんと声を掛けたら良いのかわからない。
「来たわよ。悪かったわね」
 楽しげな顔で言い返す。数ヶ月会っていないだけなのに、ずいぶん長い間、顔を見ていなかった気がする。別れ際の暗い表情はそこにない。
「良かった」
 安堵の声を漏らしたのはミルク。涙ぐんでいる。マリンは照れくさそうに、
「ごめんなさい、遅くなって。それと、連れがいるの。入って」
 後ろを振り返る。ずかずかと入ってくるオレンジ色の髪の女性と、銀髪の女性。
「イプシロンさん、お久しぶりです」
 ライキが頭を下げる。
「それと、こちらはファミリア」
「どうも」
 ファミリアは適当に腰を下ろす。何だか迫力のある人だ。無理やり家出に付き合わせた、レンゲを思い出す。周囲には姉ということになっているが、ただの幼馴染で、血はつながっていない。
「魔法使いってのは、お前か」
 じろりと見られて凍りつく。初対面の相手をお前だなんて、柄が悪すぎる。マリン、どこでこんな人とお知り合いになったのか。一人にしとくんじゃなかった。
 大きなオレンジ色の宝石が埋まった額飾りをしているところを見ると、魔法使いのようだ。魔法使いに会うなんて、久々だ。
「あぁはい。あの、始めまして」
「先生、石を」
「はいはい」
 イプシロンは懐から、両手で抱えるような大きさの、濃い紫色の球体を取り出す。
「これ、魔法石?」
「しかも魔力充填済み」
 ファミリアは何気なく言うが、ソウは顔色をなくす。この大きさ、この色の濃さ、しかも魔力が目いっぱい入っているともなると、国一つ買えるくらいの価値がある。
「何でこんなもの持ってるんですか」
「拾ったんだよ。で、お前に頼みがあるんだ」
「は……え? な、何ですか」
 こんな宝石を渡してくるのだから、無茶な頼みに決まっている。ファミリアの額の魔法石は大きいから、ソウなどよりはるかに高位の魔法使いだろう。どうして自分に頼むのかわからない。
「お前、これを持って外をうろついて来い」
「は?」
 言われたことがわからなかった。
「散歩して来いって言ってるんだ」
 マリンの顔を見る。言われた通りにしなさい、という顔をしている。アルネを見る。
「よくわからないけど、いってらっしゃい」
「アルネ、僕、仕事がまだ――」
「私がやっとく」
 そそくさと厨房の中へ入る。何だか楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。魔法石を持ったまま店を出ようとして、ファミリアにとめられる。
「袋にくらい入れて行けよ。かなり高価なものだから、無くしたら大変なことになる」
 先ほどまで宝石が入っていた袋をイプシロンが渡してくれ、それにしまいこむ。持っているだけで気が遠くなりそうだ。
「お前が魔法使いだって事、この辺で有名か?」
 潜伏活動しているのだから、目立つことなどするわけがない。首を振る。畳み掛けるようにファミリアは尋ねる。
「じゃあ、魔法、何が使えるんだ?」
「ラ、ライティング」
「他には」
「それだけです」
 その答えに、あからさまに舌打ちし「使えないな」とぼやく。
「まぁ、でも。その魔法石あれば、閃光弾くらいのライティングが打ち上げられるな。
 三十分くらい外をうろついて来い。で、人気のある場所で魔法を使え。っと、そんな悪戯、一人でしてちゃ不自然か。少年、お前も一緒に行け」
 突然話をふられ、ライキは目を白黒させる。
「あの、私は――」
「女か、すまなかったな。一緒に行って騒いできてくれ。なるべく目立つように。さっさと行け。今日、奴等が釣れなかったら、また明日同じことをやってもらう」
「何ですか?」
「後で説明する。
 馬車なんて乗るもんじゃないな。体、ガタガタだよ。ベッドあるか?」
「うちは宿はやってないの。だけど、ライキちゃんたちのベッド貸していい?」
 ライキたちの返事も無いまま、アルネの言葉に誘導されてファミリアは奥へ向う。
「嵐のような人だな」
 扉を開けながら、ソウが言う。うなづくライキ。ファミリアが言ったとおり、かなり目立つ行動を取り、帰って来た頃には旅人三人は眠っていた。


五−六.ライキ

 翌日。店の準備中、ノックの音が表から聞こえ、ライキは不審に思いながら扉を開けた。店の前に小さな花束がおいてある。
「何だ?」
 首をかしげながら取り上げる。カードが落ちたので、拾い上げると『まほうつかいさんへ』と子供の字で書かれている。ソウ宛、とみればいいのだろうか。
「ソウにプレゼントだ」
「何?」
「店の前にあった」
 近くのテーブルの上に置く。ソウは濡れてる手を布で拭いつつ、カードを見、花束を見る。
「何これ」
「さぁ。わからない」
 そこへあくびをかみ殺しながらマリンが現れる。
「お早う、ゆっくり眠れた?」
 アルネは笑って言うが、ベッドを取られた人間には辛い朝だった。ソウもライキも眠れなかったから、朝早くから働いている。
「おはよう」
「ちっとも早くないよ」
 ソウが冷たく返す。
「疲れてるんだから、ゆっくり休ませてよ。あら、さっそく接触してきたのね」
 テーブルの上の花束を見る。知っているらしい。
「これ、何?」
「ちょっと待ってて。ファミリア呼んでくる」
「いるよ」
 いつの間に現れたのか、ファミリアがカードと花束を持っている。
「同じヤツだな」
 ファミリアの手の中で、カードと花束は地図と宝石に姿を変える。こぶし大の、黄緑色の魔法石。
「どうなってるんだ?」
「一定のレベルがあれば、解ける魔法がかけてあるんだ。さ、指定の場所へ向おうか」
 何だか楽しげ。ライキがきつい口調で尋ねる。
「ファミリアさん、説明してください」
 やれやれと首をふりつつ、ファミリアは椅子に座る。
「じゃ、朝食食べながらにしようか。魔法使いが失踪してる事件は知ってるか?」
 ソウはうなづく。新聞に時折載っている。
「私はその関連で動いてる」
 サンドイッチをぱくつく。次の言葉を待ったが、食べているだけ。それで説明は終わりらしい。マリンを見やると困った顔で、
「前回、失敗しちゃってね。だから今回はソウに協力してもらって、首謀者に会おうってことになって――」
 ファミリアの顔色を伺っているところを見ると、完全に理解しているのはファミリアだけのようだ。
「ファミリアさん、説明は?」
 ファミリアの目の前の皿を取り上げ、改めてライキが問う。食べたりなさそうなファミリアが大きくため息をつき、皿を取り返す。
「私にもわからないよ。首謀者に会って話を聞いてみなけりゃね。
 ソウ、あんたはその宝石貰っときな。前回はいらないって突っぱねたら殺されかけたから」
「――こ、殺されかけた?」
 マリンに確認すると、大きくうなづく。真実らしい。
「まぁ、アイツに招待されるのは一定レベル以上の実力の持ち主――大抵、森出身者だから、普通は助かるけどね」
「森? 森の魔法使いが狙われているんですか?」
「今時、高位の魔法使いなんて、森の魔法使いくらいなもんだろう?」
 ソウはうなづく。
「ファミリアさんも森の魔法使いなんですか?」
「私は違うよ」
 否定して、さらりと言う。
「私は魔王だよ」
「……はあ?」
「魔王って、森に結界張ってる人?」
「よく知ってるねぇ、ライキちゃんだっけ?」
「ライキで良いです」
 ミルクには言えないが、ちゃん付けされるのは好きじゃない。
「なんでそんな人がここにいるんですか? 結界を張るのって、近くにいないと出来ないですよね」
「そうだよ。だから私のこの姿も実体じゃないんだよ」
 霞のように体が透け、元に戻る。
「実体は森の中にある。失踪した魔法使いの調査をするために、こっちに出てきてんの」
「それで、なんで僕が?」
 ソウは危険な目にあうのを嫌がる。ファミリアは大きくため息をつき、
「マリンが知ってる魔法使いだったから」
「はい?」
「理由はそれだけ。魔法使いなら誰でも良かったんだ」
 ソウが固まっている。
「それじゃ、敵陣に乗り込みましょうか。私等の顔は割れてるから、ちょっと魔法で細工するよ」
 皮膚の表面がきらめきに包まれ、収まった頃には別人だった。黒い髪のファミリアと、赤い髪のマリン。顔つきも違う。
 ファミリアに促され、しぶしぶ顔のソウとライキ、マリンは店を出る。
「いってらっしゃい」
 にこやかにアルネは手を振った。今日の昼は店を閉めるんだろうなと考えると、疲れが増した気がする。

 指定された屋敷は近いところにあった。
「あれ? ここにこんな屋敷あったっけ?」
 ライキが首を傾げるのも無理はない。数日前、その前を通ったときと印象がまるで違う。そこにあったのは古ぼけた廃墟。
「魔法だよ」
 ファミリアは言って、ずかずかと屋敷に踏み込む。慌てて後に続く三人。
「お待ちしていました。大人数ですね」
 柔らかな物腰の少年が二階から顔を出す。
「アイツだ」
「知ってるんですか?」
「前回と同じヤツだからね」
「同じ手口だしね」
 ひそひそ話す。
「プレゼント、お気に召していただけましたか?」
 ソウをさえぎり、ファミリアが言う。
「私も欲しいんだけど」
「えぇ、差し上げますよ」
 少年の声に答える様に、花束がいくつか降ってくる。ファミリアはニヤリと笑い、
「これは何の冗談だ?」
「冗談?」
「これだけの魔法石をどこで手に入れた? 強力な資金源がいるにしても、数をそろえるのは難しいだろ」
 ファミリアの豹変に少年は小首をかしげる。
「ソウ、魔法石を」
 懐に大事に抱えていた袋を出す。ファミリアは惜しげなく、それを少年に向って投げる。
「これで足りるだろ。何をやりたいのか知らないが」
「……あなたは誰だ?」
 少年の姿が掻き消えて、三十歳くらいの男が現れる。マリンは息を呑む。ロイズの孫のエルだ。黒い髪に深い緑色の瞳をしている。
 ファミリアも魔法を解き、名乗る。
「新しく魔王になったファミリアだ」
「あなたが――」
 エルは顔をしかめ、強い瞳でファミリアを見る。ファミリアはそれを正面から受け止める。
「悪かったな。私が先にジェレミの宝玉を手に入れてしまって」
 ソウが唖然とした顔でファミリアを見る。額のオレンジ色の宝石を見て、固まる。伝説の魔法アイテムだ。
「森出身の魔法使いを無理やり協力させて、魔力を溜めた石を集めてたんだろ? 何をする気なんだ?」
「僕はシータを……」
「シータ? 魔王候補だった魔法使いか」
「あぁ」
「穴に落ちたのか?」
「いや」
 エルは言いにくそうに言う。
「研究所で魔獣に喰われて、石化してる」
「何やってんだよ!!」
 ファミリアは激昂する。
「全盛期の魔法使いでも、成功する確率なんて、ほぼゼロに近かった魔法だぞ」
「わかってるよ。でも、アリシアを倒すには他に無かったんだと思う」
「どういうこと? アリシアは城に――」
 マリンの上げた声をエルはさえぎる。
「もう一人いたんだよ。イプシロンが生み出したアリシアが」
「生み出すって……?」
 話が見えない。イプシロンは、悪い人には見えないけれど、エルが彼女を嫌っていることはありありと伝わってくる。
「よくわからないが、イプシロンは生命を生み出せたそうだ。アリシア、カイ、ルカ、他にもいたが失敗作だったらしい」
「シータはあんたの婚約者だったのか? それとも恋人?」
 エルは首を振り「ただの幼馴染だ」と答える。
「ただの幼馴染にしちゃ、無茶してるじゃないか。じーさんも心配してるぞ」
 ファミリアは納得いった顔をしている。魔法使いの失踪にかたが付いたようだ。
「……でも、助けたいんだ……」
 エルの声は泣きそうに震える。見ていられない。
「はっきり言ってやる。無理だ。不可能だ。
 石化を解けば、魔獣が暴れだす。魔獣を倒すのは簡単じゃない。まして、魔獣化した人間を元に戻すなんて……待てよ」
 ファミリアは良い案を思いついたとばかり、ニヤリと笑う。どう見たって悪人顔だ。
「魔王の部屋に白と黒の三角錐が合わさったイヤリングがある。あれを使えばどうにかなるかもしれない」
「イヤリング?」
「魔法の効果を打ち消す魔法アイテムだ。かなり効果が強い。石化は解消できないだろうが、魔獣化を元に戻すことは出来ると思う。
 私や聖霊は触れることが出来ないから、勝手に持っていけ。聖霊には言っとく」
「……ありがとう」
「礼はいらない。元のところに戻してくれ」
 エルは固まる。苦笑している。
「……お前」
 ファミリアは冷たい声を出し、階段を駆け上がる。エルは焦った顔で奥へ逃げる。嫌なものを感じたのか、マリンも慌てて後に続く。
「ちょっとファミリア、暴れちゃダメよ」
 ミシミシと、屋敷が嫌な音を立てている。やけに埃が舞い落ちる。出遅れたソウとライキは互いに顔を見合わせる。どう見てもヤバイ状況だ。答えるように、太い柱が落ちてくる。屋敷が崩れ始めている。
「ふざけるなァァァ」
 ファミリアの怒声が遠くに聞こえる。屋敷内からではない。慌てて扉を蹴破り外へ出ようとするが、そこに見えない壁がある。
「これ、何だ?」
 ライキは身近にいるソウに尋ねる。
「結界だよ」
「破れないか?」
「無理」
「どうするんだよ」
「どうって――」
 ソウは身に着けていた豆粒大の魔法石を結界に当て、魔力を込める。こんな小さな石でも、かなりの価格だった。いざという時の為に持っていたものだけれど、いざという時はまさに今だとわかっているけれど、惜しい。
 結界に穴が開く。無理やり体を押し込んで、抜け出す。

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