ラムダ

王国の終わり

〇.プロローグ

 窓の外にその光を見た瞬間、アン・モンタナは嫌な予感に襲われた。なぜだろうと思うより早く、体が動いた。運動は誰よりも苦手だったから、不思議だった。世界は戸惑っているかのように遅く、大気は重かったが、彼女の動きに何ら影響を与えなかった。
「姫様――」
 声にできたのはそれだけ。無邪気に光を見つめる二歳年下のマリンを抱きしめる。光が強い。眩しすぎて、何も見えない。白い。何も聞こえない。
(神様、どうか――)
 言葉にできなかった想いを強く願う。どうしてそう願ったのか、アン自身、考える間もなく――次の瞬間、彼女は十五歳でその生涯を終えた。
 それはカリエ=ボルト王国が滅ぶ十日前の出来事――。


一.ラムダ

 ラムダ、カイ、ルカが森を抜け早一ヶ月が経とうとしていた。ルカは相変わらず眠ったまま。特殊な潜入訓練を受けたことのあるラムダと、同じ知識を有するカイは、すでにこの異世界に溶け込んでいた。
 黒髪の三人は十歳違いの兄弟――三十一歳のラムダ、十八歳のカイ、十一歳のルカ、もしくは姉弟と姉の娘に見えるようで、あまり不審がられなかった。出身地を聞きたがる人はいるものの、着たきりの服は、この辺りの衣装とはずいぶん違っていたから、遠くだといえば皆、納得してくれる。それでも食い下がってくる人には、海の向こうの大陸の、その向こうだと答え、ラムダのいた世界の地名をあげる。わかる人はいない。
 目立つ言動に見えるだろうが、三人の外見がすでに異人だったから、この大陸の人間だと名乗らないほうが話が早かった。
 季節は初夏。花々、木々も華やかに色をつけ、光も水も空気もすべてが生き生きと力強い。街道を行き交う旅人用の幌馬車に乗り、三人はグランド帝国の首都を目指していた。敵の動きを知るには、懐に飛び込んだ方が良いという、ラムダの主張にカイが折れた形だった。
「ごめんなさい、いつの間にか眠っちゃったわね。カイ、かわりましょうか?」
 眠るルカの頭を膝に乗せたままのカイに、ラムダは話しかける。移り行く景色を眺め、うたた寝をしてしまったのではっきりとした時間がわからないが、交代したのはすでに一時間以上前だと思う。過ぎ行く景色はのどかなだけで、面白みは無い。平和なのは良いことだが、眺めていてもただ眠いだけ。
 ルカは未だ目を覚ます気配もない。調整段階にあったので、目を覚まさないことはないだろうとカイはみているが、どうなるのかわからない。一見しただけではただ、眠り続けているようにしか見えない。
「大丈夫」
 カイは穏やかに微笑む。ラムダがいた世界のカイとは違う顔。最初は戸惑っていたラムダだったが、それにも慣れた。姿形も、声も、名前も、癖も。何もかも同じカイだが、やはりどこか違う。
「大丈夫だよ、ラムダ」
「そう。じゃ、あと十分したら交代しましょ」
 会話を切り上げる。この辺が元のカイとは違うところだ。イプシロンが特別に、ラムダの為に教育というより洗脳したこのカイは、とにかくラムダに優しい。
 けれど、子供の頭とはいえずっと膝に乗せ続けるのは拷問に近い。ラムダはカイが先ほどから何度かルカを抱き直している動作で目が覚めたのだから。
 ラムダはすることもないので、馬車を見渡した。この馬車に乗り合わせた人は少ない。みな、暇そうに外を眺めているばかり。ラムダの視線に気づいたのか、向かいに座り、眠っているとばかり思っていた老婆が顔を上げた。
「あんた、どこから来たんだね?」
「アンセム――フェタの奥にある村から」
 森の中に村があることを多くの人々は知らない。だから、森に近いアンセムの村から来たとラムダは説明をする。それでわからなければ、アンセムの南、歩いて半日ほどのところにあるフェタの町。小さいながらも交通の要所で名は知られている。
「アンセムとは。またずいぶん田舎から出てきたね。でも、最近はあの辺もずいぶん物騒だね」
 老女はアンセムを知っていたらしい。
「帝国軍が部隊だか軍隊だかを送りこんでるって話じゃないか。あんな辺鄙なところに何の用があるんだか知らないが……鉱脈でもあったのかね」
「鉱脈があるなんて話、聞いたことがありません」
 首を振る。森の中に研究所があるなど、普通の人は知らない。軍隊は研究所に用があったのだが、それを知る人は少ない。老婆の言葉を完全に否定するより、小さな言葉を否定したほうが嘘っぽくない。
「あんた、どこへ行くのかね?」
 グラント帝国の首都行きの馬車。途中で下車する街や村もあるが、ここから先は街が一つと首都だけ。老婆が次の街で下車するのなら良いが、もし帝都で下車するようならあまり親しくしないほうがいい。ボロがでた時、対応できない。慎重に言葉を選ぶ。
「帝都に向っています。知り合いがいるもので」
「帝都に知り合いが? そりゃすごい」
 ラムダは内心慌てる。そんな風に言われるとは思わなかった。ある程度、噂は聞いていたが帝国は思った以上の状態らしい。うかつな事は言えない。
「すごいって、何がですか?」
「帝都に住んでる人間は管理されてるだろ?」
「そう……ですね」
「知り合いって何してる人なんだい?」
「……良くはわからないんです。ツテを頼ってなので」
「そういうことかい」
 おばあさんは納得顔でうなづく。ツテでもなければ帝都に行くことすらできないと言うことだろうか?
 ルカを受け取り、カイを見やる。三人で静かに暮らそうと主張していたことを思い出す。老婆の反応で、自分が間違っているような気持ちもしてきた。今更、後戻りはできないのに。

 帝都についたのは夕方だった。旅人など少ないのだろう。宿屋自体があまり無く、やっと見つけた宿で部屋を取るのも大変だった。ルカがいなければ野宿でも構わなかったが、子供連れでそういうわけにも行かない。通された部屋は屋根裏部屋で、古びたベッドがあるだけだった。
「疲れた」
 カイがベッドに腰を下ろし、腕を上げて伸びをする。渡された真っ白なシーツは膝の上。ラムダはルカを抱いてガタついた椅子に腰を下ろす。長い間使われていない部屋らしい。うっすら埃がつもっている。
「馬車での長旅なんて、私の世界じゃなかなか味わえないことだけど」
 大きく息をつく。
「いい加減飽きたわ」
 そんなラムダの様子にカイは笑って、
「そうだね。このところ馬車だの馬だの、慣れないことばかりだったから」
 よいしょと立ち上がり、ベッドメイキングを始める。ラムダはルカを抱いたままなので何もできず、買ってきた軽食の包みを机の上に置く。屋台や食堂に食べにでても良かったけれど、ルカを一人残していく訳にもいかない。
 整えられたベッドにルカを寝かせる。机を拭いて、食事を並べる。
「美味しそう」
「俺もペコペコだよ。さすが帝都、にぎやかだね」
「不自然なくらいね」
 ラムダの言葉にカイは動きを止める。
「どこかおかしいとこ、あった?」
「あなた、こんなに大きな町なんて初めてよね。なんといったら良いのかわからないけれど――圧制を強いているはずなのに、街には緊張感がまるでないでしょ?」
「あぁ。活気もあるし、人々も幸福そうだった」
「そう。そんな対極が同居してる状態、ありえる?」
「演技ってこと?」
 ラムダの向かいに座り、言葉を待つ。ラムダは考えがまとまらず言葉を探す。
「私、悪い方向にばかり考えてるようみえるだろうけど、何というか、仕組まれているんじゃないかって感じるの。罠に飛び込んでしまったような、そんな気がするの」
「じゃあ、わざわざこんな屋根裏部屋に通されたことにも意味があるってことか。確かに、戦略的には屋根裏部屋の方が、屋根とドア、両方から進入できる」
 ラムダはため息をつく。
「最悪の状態を考えても始まらないけれど」
 カイの顔には不敵な笑み。ラムダも同じ顔をしている自分を自覚する。ルカがいなければ、もっとこの事態を楽しいと感じているだろう。
「向こうはこちらを傷つける気はないのよ。それなら、帝都に入った時点で拘束されていたでしょうし」
 城下に入る際の、綿密な身元調査を思い出し、苦笑いする。よくばれなかったものだと思ったが、そうではないのだろう。カイはパンを頬張りながら言う。
「パーティへ招くため、準備中ということか」
「そうだと思うわ」
「待つしかないね。向こうの出方を」
 カイは朗らかな顔をして微笑む。悪いことを考えているときの癖。同じ癖。
「ルカをここまでつれてこなければ良かった」
 彼女は食事を取っていないのに、やつれはしない。魔法が掛かっているから心配ないとカイは言うけれど、ラムダは未だに魔法というものが何なのかよくわからない。わからないから不安になる。
「無理だよ。彼女は普通の娘じゃない」
「わかってるわ。見かけは普通の女の子なのにね」
 彼女は本当に目覚めるのだろうか。彼女が目覚めたとき、どうなるのだろう。
「カイ、あなたにも迷惑を掛けるわ」
「ラムダ、心にも無いこと言わなくて良いよ」
「いいえ、私は――」
 上げかけた声をカイはさえぎる。
「俺は君のために造られたんだから」
 そう言われると、言い返す言葉が見つからない。カイには選択する道が無い。そう仕向けたのはイプシロンで――彼女は私の為を思ってのことだった。選択肢を持たない彼に、選択を迫るのは、きっと酷いことだ。ラムダは話を変える。
「馬車疲れを取るためにも、早く休みましょう」
「ここからが本番だろうしね」
 就寝するには早い時刻だったが、二人はそれぞれベッドにもぐりこんだ。

 夜中。周囲のざわめきがぴたりと止んだ。その気配でラムダとカイは目が覚めた。あたりは奇妙に静まり返っている。
「ずいぶん人数多いようね」
 声を潜め、ラムダは言う。階段を上がってくる複数人の足音。足音を忍ばせているものの、板のきしむ音が響く。
「五人か」
「それと、屋根の上にも数名」
 カイが笑う。
「俺達も大物だね。男女一名づつに子供が一人しかいないのに……ずいぶん大人数で繰り出してきたものだ」
「本当にそうね」
 ラムダも笑う。こちらの正体を知らないのならば、多い。知っているのなら、微妙なところだ。
「こちらに武器は何も無い。地形の理にも詳しくない。はっきり言って俺達はつかまるのが手っ取り早い」
「他に案はないわね。下っ端に話を聞いたところで、ろくな情報なんて持ってないでしょうし」
 カイは思いついた顔で、荷物から何かを取り出す。
「この際だし、ルカを起こそうか」
「起こせるの!?」
「声が大きい」
 押し殺した声で、カイが制する。ラムダは小さくごめんなさいと謝り、説明を求める。ルカは自然に目覚めるまで待つしかないのだと思っていた。起こせるのなら、今まで何度でも起こす機会はあったのに。
「起こす方法は知ってる。でも、もう少し時間をおいた方が良いと思ってたんだ。シータが注ぎ込んだ魔力を吸いきれず、ルカの中で魔力が渦巻いてるような状態だから。そんな状態のルカが目覚めたら、魔力が暴走して何が起こるかわからないんだ」
 言いながら、魔方陣の書かれた布を広げ、魔法アイテムを身につけ、ルカを陣の中心に寝かせる。
「ちょっと時間かかるから、ひきつけておいてくれる?」
「わかった。あら、やっぱり屋根にもいるようね」
「ずいぶん大物だと思われてるな」
 カイは魔術書を開く。
「呪文は――これ全部読むのか。ったく」
 ぶつぶつ朗読し始める。

 何も起こらないまま、じりじりとした時間が流れる。
 ノック。
「夜分遅くすいません」
 気のよさそうな声だった。兵士らしさの無い男の声。
「はい……何です、か?」
 夢うつつといった声色で対応する。目覚めていると気づかれないほうが良い。
「ここを開けてもらえませんか?」
 相手は紳士的に振舞ってくれるらしい。それに便乗して時間を稼ぐしかない。
「すいません、ちょっと待ってください」
 ラムダは手近な布をあおり、布音をさせる。服は身に着けたままだったが、時間稼ぎをしなければいけない。
「時間、かかりますか?」
「すぐ服を着ますから」
 これ以上は無理だと思い、バックの中身をぶちまける。
「ごめんなさい。つまづいちゃって……もうちょっと待って下さいね」
「大丈夫ですよ。夜分遅くに、こちらこそすいませんねぇ」
 こちらがいくら時間稼ぎをしようと無駄だと思っているのだろうか。男は何も知らないような、緊張感の無い声。これ以上無駄に時間を延ばすこともできず、しぶしぶラムダはドアを開けた。そこには三人の兵と、宿屋の主人と女将。夜中だから足音を忍ばせていたらしい。
「どうされたんですか?」
 寝ぼけた演技。なかなか上手い。
「もうしわけありません。あなた方がアリシア殿下の客人だったなんて、ついさき程、私達も聞いたところだったんですよ。夜分遅いので失礼だとは思ったのですが、このような場所にお泊めするわけにも参りませんので――お迎えに上がったんです。移っていただけますか?」
 親しみと尊敬をこめた口調で、アリシア殿下と男は口にした。アリシアは裏の顔と表の顔、完全に使い分けているらしい。
「迎え、ですか?」
「なんでも内密の旅だそうで。あまり大事にしないよう、言いつかっておりますが、ちょっとこの部屋はあまりにも何ですので」
 男は部屋を覗き込む。覗き込まなくてもわかるだろう、酷い部屋だということ。主人と女将は恐れ入っている。
「明日じゃいけませんか? 子供もいますし、夜分遅いので。私達はここでも一向に構わないんですけれど」
 大きくなあくびをかみ殺すふり。
「申し訳ありません。別に良い部屋を用意しておりますので……移っていただけませんか」
 男は引き下がらない。何が何でも連行したいらしい。これ以上もめれば、実力行使されるかもしれない。
「わかりました。準備するので、時間を下さい」
 扉を閉めて、深呼吸を一つ。アリシアを慕っている兵士達はどうやら下っ端のようで、何も事情を知っていそうに無い。屋根の上にいる連中はもう少しアリシアについて詳しいだろうが、期待するほどのことは知らないだろう。ルカがいる以上、暴れるわけにもいかない。
 のろのろと支度を整えるラムダは、カイとルカの様子を見ていなかった。ふいに、部屋の明かりが強くなる。
「――ルカ?」
 驚いたようなカイの声。振り返る。自分の目を疑う。
「何が……?」
 ルカは全身、溢れるような光に包まれている。まぶしさに目を細める。風も無いのに、何かに押される。圧倒されるような存在感。
「何なの?」
「下がれっ」
 カイはラムダの前に回りこみ、庇いながら背後へ後退する。ルカは思い切り何かを叫んでいる。だが、高音域過ぎて聞き取れない。しばらくして、ようやく聞き取れるようになる。高い笛の音に似た、音。
「ルカ!」
 カイの呼びかけに、ルカはこちらを向く。けれど、言葉を理解した様子はない。ただ、声に反応しただけらしい。叫びを止めない。伸ばした手はルカに触れることができない。光に弾かれる。近寄れない。二人はじりじり後退する。
「ルカ、どうしちゃったの?」
「調整段階だったから――」
 カイは言葉を切る。魔力が渦巻いている、ということだろうか。どんな目覚め方をするかわからないといっていたが、これではまるで化け物のような姿に変身したシータのようだ。
「ルカが落ち着くのを待つしかない」
「どのくらいかかるの?」
「わからない。魔力が暴走している状態だろうから、コントロールできれば早く収まるが……」
「できる?」
「わからない」
 言いつつ、手元の魔術書をめくる。シータにいろいろ魔法を教わったと言っていた。カイの顔には笑みがある。問題ない。そう考えたところで、ラムダは自嘲の笑みを浮かべる。
 どんなに嫌っても、最後にはやはりカイを頼ってしまっている。カイは無茶で、無謀で、自分勝手で、酷い任務ばかり私に押し付けてきた。けれど、カイは。いつも最終的には――
「ルカっ」
 カイの声で我に返る。トン、とルカは軽く床を蹴る。壊れる床板。浮き上がる体。落ちはしない。
「どうなってるの」
「あれも魔法だ。魔力の使い方を理解し始めたんだろう。やっかいだな」
 カイの言葉が理解できない。
「魔法は空も飛べるの?」
「魔法にできないことなんて、ほとんどない。呪文が唱えられなくとも、魔力さえあれば強引に実行できる。けれど、それだと肉体への負担も大きい」
 早口でラムダへ説明し、カイはどう対策をとれば良いか考える。焦りの表情。かなり危ない状態だ。自分にできることは何も無い。
 ルカは何かを理解したようで、叫ぶのを止め、天井を見上げる。そこに感じるのは殺意の混じった気配。洗練された兵士の気配。ギラリ、ルカの目が凶悪な輝きに満ちる。
「ルカっ」
 カイが捕らえようと無理やり抱きつき、そのまま二人とも天井へ急上昇する。巨大な音ともに天井が破れ、反射的に腕で顔を庇ったラムダだったが、破片は降ってこない。
「どうされました!」
 音に驚いたのだろう。廊下の兵士がやかましく戸を叩くが、ずいぶん長い間ラムダの耳には届かなかった。
 破片は降らないが埃が酷い。そして、濃く、新しい血の匂い。戦場では嗅ぎ慣れたそれだったが、今は胸をむかつかせる。この血の主は誰だろう。否定すればするほど、心が闇に侵食される。カイは、どこに行ったのだろう。
 合鍵で扉を開けた兵士達が部屋になだれ込んでくる。部屋には穴のあいた天井を見上げ、ぼんやりしているラムダの姿だけ。
「あなた、お一人ですか?」
 ラムダは答えない。答えられない。天井から目がはなせない。夜空はいつも通り、静かに星が瞬いている。ポタリ、ポタリと雫が降ってくる。
「おや、頬に血が――どこかお怪我をされているんですか?」
 ラムダは天井を指差す。兵士は椅子を運び、その上に立ち上がって屋根の上を見る。
「ひょっ」
 声にならない声をあげ、椅子から転がり落ちる。紙の様な顔色で、震えながら言う。
「死体が、転がってる……やめとけ!」
 言葉を確かめようと、椅子に登りかけた仲間を止める。
「……酷すぎる」
「この部屋の中でいったい何が?」
 もう一人の男が、ラムダに詰問する。ようよう穴から目を離し、男の顔を見る。何が起こったのか、ラムダ自身わからない。大きく首を振る。
「わかりません」
「一緒にお出で下さいますね?」
「はい」
 カイはどこに行ったのだろう。ラムダはそれだけ考えていた。


二.ライト

 帝都は城を中心として、五角形に作られている。城、官僚達と商人達の豪邸、兵士達の住居と民家、商店。
 金髪の十四歳の少年が、兵士の前を駆け抜け、兵士が見えなくなるとほっとした顔で立ち止まる。
 ライトは屋敷を抜け出し、壁際付近を歩いていた。夜中でも店が開かれ、にぎやかだ。兵士の数も多いので治安も良いが、さすがにこの時間、歩いていれば声を掛けられる。けれど走っていれば、急ぎの使いだと思ってくれる。
 そろそろ帰らなければと思いつつ、まだまだ遊び足りないとも思う。婚約者であり、監視者である三歳年上のライキの目を盗んで町に遊びに出ること、最近は難しくなってきた。久々の自由。もう少し満喫したいと思いながらも、足は屋敷へ向う。ライキに迷惑を掛けたいわけじゃないし、嫌いでもない。頭が固いから、苦手なだけで。
 ドサリ、重いものが落ちる音が背後で聞こえ、驚いて振り向く。黒い大きなものが路上に落ちている。なんだろうと近寄り、人だとわかって驚く。黒い髪に、全身黒ずくめの二十歳近い青年。どこから降ってきたのだろう。見渡す限り、どこの窓も閉まっている。屋根から落ちてきたのだろうか。だとしたら、泥棒?
 動かないから死んでるのではないかとも思ったが、かすかに身動きしたので安心した。もごもごと何かを呟いている。聞き取れないので近づく。
「ルカ!」
「うわっ」
 尻餅をつく。男は跳ね起き、名前を叫ぶ。名を叫びながら、だんだん声が小さくなる。左右をきょろきょろ見渡し、驚き顔のライトに気づくと、さらに不思議そうに首をかしげる。
「君は誰?」
 それはこちらの質問だと思いながら、ライトは答える。
「僕はライト。君こそ誰? ルカって?」
「ルカ?」
「僕はライト。名乗ったんだから、こちらの質問に答えてくれないか?」
「俺は――」
 青年は答えようとして顔をしかめる。
「ルカ――?」
 不思議そうな顔で、もう一度尋ねられる。打ち所が悪かったのだろう。
「――そうだ。ルカを連れ戻さないと」
「ルカを探してるの?」
「そうだ。早くしないと――彼女……」
 自分の言葉に、彼は苛立つ。彼女、と何度もつぶやいているところをみると、思い出せない女性の名前に戸惑っているようだ。
「ルカ?」
「違う!」
 強く否定した後、わからないと頭を抱える。話にならない。
「ともかく、君はルカを探してる。それは間違いないんだね?」
 青年は弱弱しくうなづく。兵士たちの元へ連れて行こうかと思ったが、やめる。時間つぶしにはもってこいだし、ライキへの良い言い訳にもなる。人助けならば悪くは言わないだろうから。
「ルカってどんな人? それとも猫か犬?」
「ルカはあっちに――」
 青年が指差すのは南の空。道でも建物でもなく、空を指差す。
「あっち?」
「そう」
 青年はふわりと浮き上がる。魔法なんて始めてみた。
「僕は空なんて飛べない」
 ライトが言うと、男は手を差し出す。手をとる。抱きかかえられるようにして、ライトも空へ浮かび上がる。
「落ちないよう、しっかりつかまって」
 男は宙を移動し始める。速度がだんだん速くなる。帰れなくなりそうだなと思いながら、それでもいいかと思う。空を飛ぶなんて初めてのことだ。楽しい。
 男の身元もすぐに判明するだろうと楽観的に考える。これほどの魔法の使い手なんて世界にはそうそういないだろうし。
 景色は流れるように過ぎていく。遠出をしたことが無いから、見ているだけで楽しい。夜が明けてきたので、思ったより遠くまで来てしまったことを知る。帝都はどこにも見えない。空気の音は酷いが、呼吸は普通にできる。周囲に膜のようなものがあるようだ。
 青年は黙ったままでじっと前方を見据えている。遠くに光が見える。最初は星だろうと思っていたが、その光が大きくなる。夜が明け、すっかり陽が昇った空。星が消えてしまった空に、それでもその光はある。まるで追いついているような――嫌な感じがして青年に尋ねる。
「あれは、何?」
 青年は眉間に皺を寄せ、考え込んでいる。まだ記憶の混乱は治っていないらしい。光はジグザグに、無秩序に飛びながら、でたらめにスピードを変え、思いついたように南を目指す。
 南にあるのはカリエ=ボルト王国。その先には森と山脈、そして海。青年は戸惑い顔ながらも、その光を追いかけるのをやめない。あの光は何なのだろう。
 でたらめに飛んでいた光だったが、こちらの存在に気づいたらしい。威嚇するようにこちらに近づく。一瞬見えたのは少女の姿。あっという間に遠ざかり、再び近づいてくる。
「あれがルカ?」
「……そうだ。あれはルカだ。止めないと」
 青年は向ってきた少女に手を伸ばす。振り落とされないよう、ライトはきつく青年につかまる。辺りはずいぶん明るい。カリエ=ボルト王国が見えてきた。


三.マリン

 窓の外はどこまでものどか。青い空、白い雲。鳥のさえずり。早朝の稽古後の授業。しかも、穏やかな声のハッシュマン先生が、苦手な世界の情勢を長々語っている。眠い。
 マリン王女は小さなあくびを漏らした。コホンと、とがめるような咳払いは、隣の席のアン・モンタナ。一応、侍女ということになっているが、貧乏王家なこともあり、姉妹に近い。
 アンはマリンより二つ上だが、それ以上の年齢差があるように見える。マリンが母親に似て小柄なのに対し、アンはモンタナ家特有の長身、スレンダーな体つき。平たいメガネに、年齢以上の落ち着き様。同じ授業を受けながら、マリンの監視をする余裕まである。
 カリエ=ボルト王国といえば、歴史だけはとにかく古い王国だけれど、現在の領土面積は狭い。お椀の底のような、窪んだ大地中央に小さな湖、そのほとりにたたずむ古い城。湖を取り囲むよう、階段状に連なる色とりどりの屋根。狭い土地を補うためか園芸が盛んで、スペースがあれば花や樹木が植えられている。道や壁は白い石で作られているためか、まるで小さな箱庭のよう。何度も訪れる観光客は多い。
 そして、もう一つ。カリエ=ボルト王国と言えば、武術に秀でた人物が多いことでも有名だ。
 王、王妃を筆頭に、名のある武術の使い手は限りない。中でも、モンタナ家はこの大陸で知らぬ人はいない、有名な武術一家。大きな武術大会で、上位に必ず名前がある。そんな中にあって、アン・モンタナは一族から言えば変り種だった。武術の才能はまるで無く、普通の少女のように刺繍や読書を好む。体を動かすよりも、勉学を好む。
 母に似たのか、お転婆なマリン王女の従者、お目付け役として王妃から話しがあったのはアンが十歳の頃だった。それから五年。マリン王女が行きそうな遊び場を片っ端から探して回り、マリン王女の行動パターンを分析し、しつこく小言を言いつづけた結果、マリン王女はおとなしく授業を受けるようになった。アンのあまりのしつこさに根を上げたのだ。おかげで、アンは王妃からかなりの信頼を得ている。
 王妃リアといえば、幼い頃から神童、もしくは鬼と呼ばれ、恐れられていた武術の天才。十五歳の頃には、国内に相手になる者などいなかった。つまりは大陸一の使い手。天は二物を与えずというけれど、彼女は武術だけでなく、政治にも長けていた。近年、周辺諸国を統併合している隣の帝国に屈していないのは、彼女の力あってこそ。モンタナ家より婿入りした王メルクには政治の才能は無く、城下町にある道場で武術の師範をしている。
 今は小国であるカリエ=ボルト王国だが、ずいぶん昔は好戦的で、広大な領土を誇っていた。この大陸を統一しようとしていた時代もある。その証拠はあちこちで見られるが、武術だけを愛でる王の治世が続き、小国に落ちぶれた。
 ハッシュマン先生はリア王妃の熱烈な信奉者だ。毎回、王に関してはあっさりと、リア王妃に関しては熱烈に語る。実際、国内にリア王妃の信奉者は多い。今の国があるのも、リア王妃の人気によるところが大きい。
 自分の母親を熱烈に絶賛され、父親についてはダメだしされる授業、娘のマリン王女にとって面白いわけが無い。メルク王は確かに政治に向いていない。それはメルク本人も、王妃リアも認めている事実。メルクは――モンタナ一族の人間では当たり前なことだけれど――武術で身を立てようとしていた。リアは別格として、メルクは国内で五本の指に入る腕前だ。
 成人してすぐ、リアに熱烈な求愛を受け、結婚したのは国民誰もが知るロマンス。マリンの祖父である先王が亡くなった後、リアが女王になるのだろうという誰もの予想を裏切り、王座についた。リアがしむけたことなのだけれど、信奉者の目にはそう映らない。余計な怒りを煽っただけだ。
 眠さで大きく首を傾けたマリン王女は、必死に窓の外に助けを求める。もう少しで授業が終わる。この授業さえ終われば、アンにうるさい小言を言われることも無く、付きまとわれることも無く遊びにいけるのだ。
 小鳥達が舞い上がる。あちこちの木々から、逃げ惑うように空へ。でたらめに飛び交いながら、散っていく。今まで、見たことが無い。山の端に小さな輝き。星、にしては変だ。だんだん大きくなる。近づいてくる。
「何、あれ」
 窓へ駆け寄り、光を見やる。白い光。
「マリン様、授業中ですよ」
「姫様、席へ戻ってください」
 ハッシュマン先生が弱った声で、アンが硬い声で言う。
「あれよ、あの光。何かしら。近づいてくるわ」
 早い。見る見る間に、光は大きくなる。
「星かしら?」
「この時間帯にですか?」
 アンは首をかしげながら立ち上がり、マリンが指差すものを見た。
「何でしょう。魔法使いかしら」
「魔法使い」
 笑ったのはハッシュマン先生だ。魔法使いが空を飛んだり、魔法で光の玉を作り出したりなんてしていたのは、はるかに昔のこと。今ではろくな魔法使いさえいない。魔法は廃れた。
「光った」
 マリンの声に呼応するかのように、山の一角が爆発。舞い上がる土煙。緑色の山が茶色く染まる。風が向きを変え、吹く。
「落ちたのかしら」
 そうではなかった。光はまだ、そこにある。
「お二人はここに。私は知らせてきます」
 ハッシュマン先生は顔色を変え、室内を後にする。城にある塔の一角がマリン王女の勉強部屋。アンは嫌なものを感じ、
「姫様、窓から離れて」
「どうして――」
 振り向いたマリンが見たのは、強い光に照らされた室内。アンはこわばった顔でマリンを抱きしめ――そこでマリンは意識を失った。

 不快な匂いが鼻をつき、マリンは目覚めた。頭がくらくらする。体のあちこちが痛い。重い。うっすら目を明けたが、まともに何も見えやしない。耳鳴りが酷く、何も聞こえない。動くこともできないのでじっとしていた。埃が風でおさまってくると、惨憺たる部屋の状況が見えた。
 窓はおろか、壁も屋根も無い。どうしてこんなことになったのかわからない。瓦礫の中、よく生きていたものだと思えばおかしくなった。ひとしきり、声にならない笑い声を上げながら、やがて眠ってしまった。

 *

「姫様が目覚められました」
 誰かの声に、室内は安堵の声に満ちる。
「横になったままで」
 マリンは起き上がろうとして、おじいちゃん医師のドイル先生に布団を掛けられる。
「私、何が……」
 たずねかけ、先ほどの惨状を思い出す。窓の外に見た光。あれはなんだったのだろう。
「アン」
 いつも近くにいるアンを呼ぶ。
「姫様」
 ドイル先生はこわばった顔をして、首を横に振る。
「ゆっくり眠りなされ」
 薬を投与され、考えがまとまらない。悪夢のようなあの光景を思い出しながら、泥のような眠りに引きずり込まれた。

 次に目覚めた時、マリンは落ち着いていた。嫌な夢を何度も見た為、疲れきっていた。
「お目覚めですか」
 看病していたらしきアルト婦人の声。アン以上に固く、実直一辺倒の人だ。昔であれば、侍従長といったところだろうが、没落する一方の王家。仕える人は最低限よりまだ少なく、人手はいつでも足りていない。
 アルト婦人に見守られては眠る気になれず、半身を起こすと、クッションを背中に当ててくれた。
「何があったの?」
「調査中です」
 アルト婦人は短く答え、手元の繕い物に目を落とす。刺繍の腕前には定評があり、暇があればドレスやカーテンを繕いなおしている。新調するような余裕は無いし、針子を雇い入れることは王妃が承知しないためだ。
 伝統を重んじるアルト婦人と、現在の政治を優先させる王妃リアはいつでも対立しているが、国を愛する気持ちは同じ。
「アンはどこ?」
 この婦人が苦手なマリンは、おずおずと尋ねる。一瞬、アルト婦人は手を止めたものの、
「亡くなりました」
 単調な声色で答え、何事も無かったの用に針を動かす。何度も見た悪夢――

 強い光に照らされた妙に静かな室内。アンはこわばった顔でマリンを抱きしめる。運動が苦手なアンなのに、びっくりするほど身のこなしが早い。体が反転し、先ほどまで触れていたガラスが一瞬白くなったのが見えた。キラキラと光が吹き付ける。綺麗。アンにさえぎられ、見えなくなった。アンは心配させまいとするかのように微笑みを浮かべ――

 あの夢は、現実だったのだとマリンは理解した。あまりに急なことなので、現実味はない。涙も沸いてこない。


四.イルクシ

「マリン、目が覚め――姫様はお目覚めですか?」
 ドアを開け、入ってきたのはイルクシ。アルト婦人を目にして、慌てて口調を改めるが遅い。
「ノックはどうしたの」
「すいません」
「大体あなたは姫様に対し――」
 矢継ぎ早に小言が始まる。いつもの光景。
 イルクシはマリンより八歳大きい商家の三男坊。最近、急に成り上がった家で、リア信奉者の父親のごり押しで、城で働いている。幼い頃は裏通りに住んでいただけあって、礼儀は無く、アルト婦人にいつも怒られてばかりいる。
「アルト婦人、その辺で」
 タイミングをはかり、助け舟を出す。機嫌が悪ければ、マリンも怒られるところだが、今回は大丈夫だった。イルクシが急に思い出した顔で、調理場がアルト婦人を探していたと告げる。片手であまるほど小言を言って、アルト婦人は部屋を出る。

「すぐにばれる嘘ついてどうするの」
「ばれないよ、今日は。猫の手も借りたいくらい忙しいから」
 砕けた口調で、先ほどまでアルト婦人が座っていた椅子に腰掛ける。
「それより、聞いたか?」
「何を」
「北の山で少年二人発見」
 何のことだろうと、首を傾げる。北の山、帝国の方向、そういえば授業中、爆発したのを見た。
「その少年とあの爆発とがどう関係が?」
「信じられないが、その二人が空から落ちてきたんだろうって話だ」
「魔法使い?」
「そうは見えない」
 それでは何だというのだろう。無意識に声を上げる。
「アン、お茶を――いないんだったわ」
「俺が淹れる」
 絶対にそんなことはしないイルクシが、立ち上がる。
「いらない。ごめんなさい――なんだか、現実味が無くて。まるでアンが急に休みをとった感じなの」
 実感が無いのだと告げる。イルクシは同調するように頷いたけれど、彼はアンの無残な遺体を目にしている。
 アンの遺体は、ガラスの破片が背中一面に刺さり、酷いものだった。アンにかばわれたマリンは、打ち身や擦り傷があるものの、軽い怪我で済んだ。良かったと思う反面、イルクシは言いようの無い苛立ちを覚えた。アンの死に顔は綺麗で、微笑さえ浮かべていた。姫のことを思ってだろうと、誰かが言った言葉が忘れられない。
 イルクシは以前、アンのことが苦手だった。年下の癖に、彼女は酷く大人びていて、顔を合わせれば小言ばかり。はっきりと年齢を知った時は驚いた。あまりに驚いて、彼女をからかったら無視された。それからはなんだか楽しくなって、アンと話すのが楽しくなった。
 ポットに茶葉をいれ、暖炉にかかったヤカンの湯を注いで蒸らす。アンが良く淹れてくれていたのに、詳しいことは思い出せない。アンは実に加減良く、美味い茶を淹れた。褒めれば、嫌な顔をされた。自分が言うからだろうと思っていたが、機嫌の悪かったある日、怒鳴られて理由を知った。
 普通に、当たり前の少女のようにお茶を淹れたり、刺繍をしたり、本を読んだりすることはアンにとって、モンタナ一族の中ではとても奇異なことだった。武術の才能の無い彼女はそんな自分自身を嫌っていた。どんな慰めの言葉も、彼女にとっては嫌がらせなのだと知った。アルト婦人以上に、頑固に仕事をこなしていた笑わない彼女の顔が懐かしい。
「ありがとう――苦い。すっごく不味い」
 マリンに言われ、イルクシは弱弱しく笑う。自分用に淹れたカップは手の中で、飲む気にはなれない。茶の色は、似ているのに。
「アンみたいに美味い茶、淹れられるわけないだろ」
「そりゃそうでしょうよ」
 マリンはイルクシの様子に気づかず、先ほどまでの話を続ける。
「それで、その二人の少年。どこにいるの?」
「言ったら見に行くんだろ?」
「当たり前じゃない」
 目をきらめかせる。好奇心が強いところ、実に王妃に良く似ている。
「教えられない。それより、帝国のお姫様が見舞いに来るって」
「な、何よそれ――」
 狼狽し、布団を跳ね上げる。
「いつ、何で、誰が!」
「到着は今日。理由はさっき言った見舞い。城下街で被害が出ているからな、それだろう。あぁ、心配すんな、ちょっと怪我人が出てるだけだ。命にかかわるような怪我じゃない。来るのは美貌名高い、ミルク姫」
「……早すぎない?」
 王族が旅に出るともなれば準備に数日かかる。早馬でも一日ほど、馬車なら二・三日はかかる距離だ。
「早い。早すぎる。あの事件から今日で三日しか経ってないからな。口の悪い奴が、あの光は帝国から出たんじゃないかって言ってる。あの光の後を追いかけて、ミルク姫が出立したんじゃないかって」
「それって、こういう事態に陥るって帝国側はわかってたってこと?」
「見舞いになるか、視察になるか、観光になるか……理由は後からでも何とでもなるだろうからな」
「じゃあ、小年よりミルク姫のお相手しなきゃなのね」
「その通り」
 だから、城内は今、上へ下へと大忙し。猫の手も借りたいところ。事件の後処理も程ほどに、ミルク姫を迎えるための準備にかかっている。
 帝国の第二王女ミルク姫。母親はリアの姉、この国の第一王女だったヘレン。六歳で帝国に嫁いだ時、彼女の夫となった王はすでに三十六歳。完全な政略結婚だった。歴史はあるが衰退した国と、歴史は無いが力のある国。戦争を避けるため、仕方の無い選択だった。
 そんなヘレンも三十歳の時、ミルク姫を産んですぐに亡くなった。現在、帝国との関係は強固なものとは言えない。
「アルト婦人、呼ぼうか?」
 イルクシは部屋を出かけたところで、振り向く。
「他に、人が居ないのが辛いとこね。お願い」
 マリンは心底嫌そうな顔をしながら、愚痴る。
「あぁ、どうしてドレスって一人で着れるように出来てないのかしら」
 王、王妃に似て武術の才能があるマリンは、三日も寝込んでいたとは思えない元気さ。イルクシは哀しくなった自分を不思議に思った。


五.リア

 マリンが慌ててドレスを着終わった頃、ミルク姫が城に到着した。正装した王メルク、王妃リア、姫と三人そろって出迎える。こんな歓待、帝国に対してしか行わない。
 帝国特有の衣装を身に着けた従者が先頭を歩き、広間に入る。数人の人間が続き、ミルク姫。その後にまた数人続く。見舞い、という建前上、以前来訪した時より人数が少ない。それでも、カリエ=ボルト王国側からみれば、人数が多い。
 一見しただけでは男女の区別がつかないのが、帝国の衣装の特徴。分厚い布地は北の国だからだろうが、ブーツ、ズボンの上にロングスカートのようなものを男女どちらも身に着ける。手袋に、大き目の上着。体の線はわずかにベルトでわかるだけ。袋を被っているような大きな帽子。見える肌は顔だけ。武器を隠し持っているとしてもわからない。
 職業によって色分けされているらしく、白を基本色に緑、青、黄の服。ミルク姫は簡素な黒のドレス姿。どんな被害状況でも対応できるようにだろうか。美しい金髪に空色の瞳。十四歳とは思えない美貌をより演出している。
 黄色の服を着た男が長く堅苦しい挨拶口上を述べた後、青い服の男が本題に入る。ミルク姫はしゃべらない。
「今回の事件について、調査に参りました。貴国には協力を願いたい」
 自分達で調査するから、邪魔をするなということだ。リアは苦々しく思いながらも、顔には出さない。どのみち、重要な収入源である観光の為、早急に城を復旧させなければならない。事件の調査などしているところではない。
 政治の才能の無いメルク王は、いつも通り、黙って使者達を眺めている。飾り物の王だということは知れ渡っている。使者達もあからさまに王妃だけを相手にしている。
 リアは娘のマリンを見やる。マリンはミルク姫を睨み付けている。姫なんて器の娘じゃない。自由に育てすぎた。まして王になど、なれはしない。
「城、城下ふくめ倒壊した建物の数、半壊した建物等の詳細な状況、また死者、怪我人の状況等、詳細なものを三日以内に報告書の形で提出して下さるよう願います」
 願いというより、通達。出来るわけが無い。この国が酷く衰退していること、一番良くわかっているのは帝国だ。無理難題を押し付けられたのは今に始まったことではないが、今回は無茶だ。
 死者は一人だけだが、建物への被害が酷い。光は城の塔にぶつかり、瓦礫の多くは湖に降り注いだ。そこから跳ねるように、光の軌道は上向き、街の端――今では人のいない廃墟をえぐる様に破壊し、南へと飛び去った。
 あの光は何だったのか――気になるが、今はそれより修復が先。ただでさえ人手が足りないところに、この事件。帝国からの使者。そして、書類作成とは。
「わかりました」
 王妃はにこやかに答えた。その声に凍りついたのは、王国の人々。
 リアは帝国の人間に対し、いつも感情の無い、冷めた口調でしゃべっていた。キレ易いリアが、王妃という立場になって、ずいぶん冷静になったものだと評判だったのだが……。
「来るべき時がきたんだろうな」
 ぼそりと王がつぶやく。その声を聞いたのは衛兵の格好をして王座近くに控えていたイルクシ。王は変わらず使者を見ている。
「城がこのような状態では、ミルク殿下には心苦しくも満足なもてなしなどできないのですが――」
 王妃の言葉をさえぎり、
「城下に宿を用意しております」
「まぁ、残念ですわ」
 リアは笑顔だ。額の青筋が怖い。
 使者は慇懃に礼をし、城から去った。騒ぎもなく無事終わったことに、その場にいた一同が胸を撫で下ろす。
「あの、お料理はどういたしましょう?」
 声を上げた調理人に、アルト婦人は首を振り、部屋を出る。今のリアに声を掛けるなど無謀。酷いことになる。頭数が必要だからと、衛兵や大臣の衣装を着せられ、借り出されていた人たちが後に続く。
 静かになった部屋で王が大きな息をつくとともに、王妃に声を掛ける。
「久々に手合わせ、しようか?」
「お願いしたいところですけれど、今は手加減できませんわよ」
「じゃあ辞めとくよ」
 玉座から立ち上がり、
「今からならまだ、夕方の稽古に間に合うな。道場に帰るから、何かあったら呼んでくれ」
 王は城下町に道場を構え、子供達に武術を教えている。税以外の、大事な収入源の一つ。今はそんな場合じゃないけれど、誰も止めない。王は武術以外の才能がまるでないから。
「帝国はこの事件の真相を知っているのか?」
 誰にともなく、イルクシは尋ねる。
「そうとしか考えられないわ」
 答えたのはマリン。リアは笑って、
「わかっているのでしたら、こんなに早くミルク殿下がこの国を訪れるはずありませんわ。帝国は確かに私達が知らない事情を知っているのでしょうけれど、きっとそれは一部分。全容を把握するため、焦っているのでしょう」
 なるほどとマリン、イルクシがうなずく。
「忙しい時分だっていうのに、先生方に書類作成を頼まなければいけないわ」
 立ち去る王妃の後姿に、思い出した様子でマリンが声を掛ける。
「少年のことはどうするの? 帝国の人、言ってなかったけれど」
「少年――とは何ですの?」
 リアが不審な声を上げ、振り向く。王妃はここ三日、怪我人の見舞いと、近隣諸侯の謁見に時間を取られていたから詳しい話は知らない。
 イルクシが言いにくそうに声を上げる。本来は、リアへ真っ先に報告しなければならないのだが、王妃は忙しそうだったし、少年についても何もわからないのでそのままにしていた。
「北の山に、少年が二人倒れていたんです。地元の者でもないので、あの光から投げ出されたのではないかと……」
 あの二人を見つけ、この城に運び込んだのは木こりだった。二人は気を失ったままで、身元も何もわかっていない。
「ドイル先生の姿が見えないのは、そういうわけでしたの。けれど、北の山もずいぶん被害が出ていたでしょう? その少年、無事でしたの?」
 事件を目撃していないものの、ずいぶん木々がなぎ倒されたと報告を受けていた王妃は首を傾げる。光から投げ出されたとはどういうことなのだろう。
「少年は二人とも無事ですが……ドイル先生が首を傾げていました」
「どういうこと?」
「わかりません。兵士宿舎の一角に寝かせています」
「そうですか」
 王妃は立ち上がり、歩き出す。昔は兵士宿舎だったが、今は物置となっている西の塔へ。

 兵士宿舎の一角、比較的物の少ない部屋。先頭を歩いていたイルクシがノックすると、ドイル先生の声が中からした。
「開いてるよ」
「王妃と姫も一緒ですが、大丈夫ですか?」
「ちょいと狭いが、問題ないじゃろう」
 ドアを開ける。二段ベッドが狭い部屋に四つ。ドアから近い、空いたベッドに腰掛けた先生が、立ち上がろうとし、
「そのままで結構です、先生」
「ありがとうございます」
 リアの言葉に座りなおす。王妃の父母より、まだ年上のドイル先生は本当なら隠居していてもおかしくない年齢。長年の付き合いもあり、半分ボランティアで、王家というより、城の専属医師をしてもらっている。
「例の少年というのはこの二人?」
 左手奥のベッドに寝かされているのは黒髪の青年。向かいのベッドに金髪の少年が寝かされている。
「ミルク殿下……」
 リアが驚くのも無理はない。金髪の少年はミルクにとても良く似ている。
「本物の少年じゃよ」
 ドイル先生は、よっこらしょと立ち上がり、ベッド脇に立つ。
「ヘレン様に良く似ていらっしゃる」
「……そう」
 リアが生まれてすぐ、六歳で帝国に嫁いで行った姉。幼い絵姿しか見たことがない。
「それと、もう一人。ワシはこの少年に似た男を知っておるよ」
 何を言われたのかわからず、部屋に沈黙が漂う。
「帝国の皇帝、ではなくてですか?」
「あー、そうか。どこかで見たことあると思えば、王に似てるんだ」
 イルクシの声に、マリンとリアはよくよく少年の顔を見る。
「王ではなく、フランク殿じゃよ。モンタナ一族の、ヘレン様について帝国へ行った男じゃ」
 懐かしげにドイル先生は言う。
「どういうことですの?」
「ワシの推測が間違っていないとすればじゃ。ヘレン様はフランク殿の子を生んだ。男女の双子。生まれたことは隠せない。女児だけ残して、男児を隠したとは考えられんかね?」
「でも、そんなこと――」
「だいたい、后が何人もいるくせに、娘が二人しかいないとはおかしいじゃろう? 第一王女であるアリシア殿下は皇帝が四十六歳の時の娘、ミルク殿下は五十八歳の時の娘。ヘレン様が嫁いで二十四年もして生まれとる。二人の姫君とも、たいして皇帝には似ておらんし」
 もう一つのベッドに寝かされている黒髪の青年はずいぶん怪我が酷い。よく助かったものだ。
「奇跡的ね。先生は相変わらず腕が良くていらっしゃる」
 リアの言葉に、ドイル先生が苦笑いしながら首を振り、不思議そうな声をあげる。
「ワシは何もしておらんよ。その青年の傷の治りは早すぎる。最初は死んどると思っとった」
「どういうことですの?」
「わかりませんな。まるで魔法のような――」
 言いかけ、先生は笑う。失われたものは、良く見える、と。
「一体何があったのかしら」
「目が覚めれば、この二人が語ってくれるじゃろうが――」


六.ミルク

 窓からの眺めはとても良かった。城が完全な形であれば、絵に描いたような景色だろう。白い町並み、色とりどりの屋根、湖畔にたたずむ古い城、咲き乱れる花々と萌える緑。美しい。
 城下の宿、一番上等な部屋。カーテンを上げ、ガラス窓越しに外を眺めていたミルクは、背後で忙しく動いているエリアに向き直る。
「忙しそうね」
「殿下と違って忙しいですよ、私は」
 ミルクが威勢よく脱ぎ捨てた黒のドレスやアクセサリーを彼女は神経質に片付け、丁寧にメイキングされたベッドや塵一つない部屋をチェック。絶対に、何一つ間違いはあってはならないのだといわんばかりの険しい顔。ストレスが溜まりそうだとため息ついて、ミルクは窓を開ける。
「殿下、何をなさってるんですか」
「良いじゃない。天気も良いし、治安も良いんだから」
「田舎だからですよ」
 厳しい口調。
「まったく、何度いったら良いのです? 殿下、そのような皇女らしくない振る舞いはおやめください」
「エリア、しつこい女はもてないわよ」
「茶化さないで下さい」
 エリアは大げさに両手を組み合わせ天を仰ぎ見る。
「ああ神様、私は清楚可憐な乙女と歌われるミルク殿下のお世話係になることが夢でしたのに、それが、こんなのなんて詐欺です」
 目を潤ませながらじっとミルクを見つめる。ミルクはまたかと顔をしかめる。
「こんなのとは何よ、私だって好きで皇女なんかに生まれてきたわけじゃないんだから」
「まあ、なんてことをおっしゃるのですか、皇女様たるもの……」
 長々とお説教が始まる。嫌になるから、窓から飛び出した。後ろから悲鳴が聞こえたけれど、いつものこと。第一、こんな平和な観光地で何が危ないというんだろう。

 両手を上げ、思い切り伸びる。
「やっぱり外の空気は良いわね」
 晴れ晴れした顔。持ち出してきたアクセサリーを古着屋で「大金持ちに嫁いでいた叔母の形見なんです。財布を落としてしまったし、他に持ち合わせもないから安くても構わないから引き取ってください」と泣きついて換金してもらった。ついでに服も、一般庶民からすればちょっと上等な服に着替える。出てきたときは部屋着だったから。
「三本の指に入る名城、見る影もないわね」
 一番目立つ位置にあった塔が綺麗に湖に向かって崩れ落ちているのが城下のどこからでも見える――すり鉢状の地形、周囲は高い山脈に囲まれ、湖のそばに城。それを囲むように城下町が連なる。古い建築様式と大陸屈指と歌われる庭園。母の故郷。母が育った城。
 昔から一度、訪れてみたいと思っていたから、知識はある。
「まず城の見物をしますか」
 歩いて城を目指す。道は誰に尋ねなくても、わかる。低いほうへ歩けば良いのだから。
 貧乏なこの王国。城を観光客の為に一部開放してる。財政的に厳しいから、一般庶民と変わらない暮らしをしているという。税を上げず、自分達で稼ごうという考え方は質実剛健な武術の教えに通じているのだろう。帝国に屈そうとはしない。
 城の前には観光目的の人が集まっていた。ガイド役とともに城を回るコースが設けられている様子。城の復興寄付金付きのチケットを買い、人々に混じる。
 城門から、城壁の中へ。一歩踏み混み、人々から感嘆の声があがる。天国のような、良く手入れされた美しい庭。湖もその景色に彩りを添える。
 ガイド役のおじさんは誇らしげに説明を始める。大臣の服着て王のそばに立っていた人だとミルクは気づいたけれど、こちらの正体には気づかれていない。庭園管理人と大臣。どちらが本当の姿なのだろう。それとも、両方彼の仕事なのだろうか。
 帝国城内の庭園は、時代遅れで不要だとか、用地確保の為にミルクの姉、アリシアがほとんど壊してしまって見る影も無い。アリシアは柔らかな顔で、実質的なことばかり言う。
 緑の木々、色とりどりの花々、白壁に這う蔓草。この庭園に合わせて建てられたとしか思われない――今は壊れてしまっている城と、どこまでも澄んだ水面をきらめかせている湖の見事な取り合わせ。また、古い町並みは風景の一部として完全に取り込まれ、見事に調和した絵画のような山が見える。声にならない。いつまでもここにいたくなる。三百六十度、回転しながら、景色をみる。どの方向を見ても美しい。
「ん?」
 窓越しにちらりと見えた女性の姿にミルクは驚いた。王妃だ。衣装は先ほどのまま、まだ着替えてもいない。窮屈な正装のまま、こんな城の外れで何をしているのだろう。
 室内はどうやら兵士宿舎のよう。片付けられ、掃除されているものの、使われている様子はない。兵士の姿もほとんど見かけないところを見ると、兵士すらいないのだろう。謁見のとき見かけた兵士も、まるで鎧が似合っていなかったし。
 庭園散策が再開される。それぞれ庭を堪能していた人々が、ガイドの声に従って進む。ミルクは何とか目をごまかして、リア王妃のいた部屋を覗き込んだ。
 部屋の中にはリア王妃、マリン王女、兵士、先ほど見かけなかった年老いた医者。ベッドに誰か寝ているらしい。こわばった顔で王妃と医者が話している。さすがに声はもれ聞こえてこない。
 しばらくすると、四人が部屋から出て行った。部屋の中に入れないかしらと、窓に手をかける。鍵が古びていたらしく、少しガタガタ揺らしていたら窓は開いた。窓枠に足を掛け、忍び込む。エリアの目を盗んでいつもやっていることなので、手馴れたもの。
 ベッドに近寄る。黒髪の青年と金髪の――私? 驚いてよくよく見る。鏡に映したように良く似ている。
「何なの、この子」
 ひっそりとこんな部屋に寝かされているところを見ると、内密にしたいのだろう。アリシアが知れば、格好の会戦材料になるだろう。平穏で従順だと思っていたカリエ=ボルト王国、一体何を考えているのだろう。
「……あれ?」
 目を覚ましたようだ。ミルク同様、不思議そうに目をしばたかせる。
「君、誰?」
 自分より、はるかに低い声。女の声ではない。少年は起き上がろうとする。
「そっちこそ誰よ」
「痛っ」
 涙ぐんでいるところを見ると、本当に痛むらしい。
「私はミルク。あなたは?」
「僕は――」
 答えようと声を上げ、少年は考え込む。そして、わからないと首を振る。
「ライキ? じゃないな。ライキって誰だっけ。僕の名前は――」
 いくつか名前をつぶやいたものの、どれも違うと首を振り、
「わからない」
「そう。どうしてこんなところにいるの?」
「ここは、どこ?」
 初めて気づいたとばかり、辺りを見渡す。簡素な二段ベッドが狭い部屋に四つ。それだけ。後は何もない。
「ここは兵士宿舎。カリエ=ボルド王国の」
「兵士宿舎?」
「そうよ」
「どこ?」
 納得いかないようで少年は考え込み、ハッと顔を上げる。
「そうだ、ルカ!」
「ルカ? ルカって誰よ」
「……誰だっけ」
 少年はわからないと首を振る。記憶が混乱しているようだ。何も話を聞き出せないとわかり、ミルクは興味を失う。
 世の中には三人、自分に良く似た人がいると聞く。けれど、よりによって自分に似ているが男だとは思わなかった。美人だと言われてきただけにショックも大きい。
 帰ろうと窓に足を掛けると、少年もついてきた。
「何よ」
「いや、別に」
 少年は体が痛いのだろう。少々足を引きずりながら、ミルクよりも上手く窓から抜け出す。慣れている、というべきか。
「そうだ。エリアに会ってみない? 面白いわよ」
 思いついたらなんだか楽しくなって、宿まで少年を案内する。途中、ワンピースと大きな帽子を買って少年に着せる。不平を言うことなく着たところをみると、少年は帝国の人間なのかもしれない。帝国では男女の区別がつかないような服を着るから。
 血相を変えたエリアを宿近くで見つける。
「ほら、あそこにいる女の人。あの人の言うことに黙ってしたがってればいいから」
 少年の背中を押して、ミルクは品良くない笑みを顔いっぱいに浮かべる。これで、もう少し遊んでてもばれない。

「何処に行ってらしたんですか!」
 少年の姿を見つけたとたん、エリアは叫んだ。ここは帝国内ではない、というのに。ガミガミたしなめながら、部屋へ連行していく。

「さてと。私の身代わりも見つかったし、のんびりと観光ができるわね」
 のびのびと深呼吸して歩き出そうとしたところで、
「ライト!」
 いきなり羽交い絞め。カリエ=ボルト王国の大通り。何事かと立ち止まって見る人々もいる。
「やっと捕まえた」
 目つきの悪い少年。
「や、やあねえ。違うわ。私はミルク――」
「私に嘘は通用しない」
 あげかけた声は布でふさがれ、意識が朦朧としてくる。手馴れた様子で縛り上げられ、問答無用でどこかへ連れて行かれる。ヤバイな、と思ったのはどこか頭の隅の方だった。

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