消えない名前

 緑生い茂る豊かな森。昔、ここは人で溢れかえっていたなんて聞かされても、誰が信じられるだろう。
 ルポライターの田能堅介は胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込んだ。あたりには誰もいない。周囲一キロ以内にいるまともな人間は彼だけだ。
 人が離れ、放棄された街。それまでの自然破壊を償うように植えられた木々。最初は管理されていたが、やがて人間の一方的な都合――予算削減により、人の手を離れ、深い森へと還ったはずだった。
 周囲を見やれば、懐かしい人工物。木々や蔦に覆い隠され、落ち葉に覆われたたアスファルト、ガードレール、コンクリートビル、マンホール、鉄製のベンチ等々……。塗装もはがれ落ち、形が崩れ、腐食が進んでいるものも多いが、それでも原型を留めているものもある。忘れ去られた都。知らず訪れたものには、恐怖と謎を与えるだけだろう。
 ここに人が住んでいるなど眉唾だったが、この森の奥に、昔風の――二十一世紀前半風の生活を続けている集落があると言う。インフラはある程度、現代のものを使っているらしいのだが、こんな暮らし難いだろう環境で暮らしている人々の心境が知りたいと、単身ここへ乗り込んだのだ。

 人の手が加わった地形に規則性なく乱立する木々。人工的な森では、隙間なく植えられた木々の枝によって空が覆い隠され、低木や草は見られないが、自然に還ったこの森では、木々に高低差があるため、あちこちから光が降ってきている。薄暗いということはない。
 元々広い道路だっただろう場所を歩き、おっかなびっくり橋を渡る。昔に整備された道は歩きやすいようでいて、突然現れる道路の陥没や、蓋のないマンホール、落ち葉で多い隠された溝に注意が必要だ。
 森の入り口からずいぶん歩いた気がするが、先はまだ長そうだ。田能は一休みする事にした。
 持参した簡易キャンプセットを組み立てる。とは言うものの、ボタンを数個か、レバーをいくつか倒すだけ。簡易なテーブル、椅子、日よけ傘、コンロなどの調理器具が出現する。簡易、とはいえ、座り心地も良いし、見た目もおしゃれだ。
 近くを流れていた川から、天然の水を採取し、ろ過装置に掛ける。簡易ながらも本格的なコーヒーメーカーで一服だ。
 挽き立て淹れたてのコーヒーは格別だ。香りも味もインスタントとは別物。至福のひと時。森の中というのも、まるで、臨場型3D装置の中で休憩している気分で気持ちがいい。
 ゆったりとコーヒーブレイクを堪能し、五分とかかりはしないが、広げるときよりは少々面倒な片づけを終える。それらはコンパクトにまとまり、反重力装置のおかげで重量もほとんどしない。ボディバックに仕舞いこむ。

 さ迷うように数時間歩き、ようやく目的地に到着した。地図はもっていたものの、障害物を避け、回り道を繰り返していたら、ずいぶん時間がかかってしまった。
 少し遠くから人工的な喧騒が聞こえる。人の気配とともに、複数の入り混じった電子音。煩いだけのそれらが不思議と懐かしい。ここは、ここだけは二十一世紀の空気を未だ保つ町なのだ。
 歩みを進めるうち、それらの喧騒の元にたどり着く。メディアの中で見る、二十一世紀初頭の町の風景。排気ガスを撒き散らし、行き交う車。様々な装いをした人々、溢れかえる色と氾濫する音。何もかも、無秩序に、乱雑に、けれど、どこか規則正しく存在している。他を排除しようとしつつ、全てを内包して交じり合っている不可思議な場所――これが二十一世紀。
 この町の魅力を一言で言えば混沌だろうか。人が惹かれ、魅了される要素は何だろうか。好奇心が湧き上がり、あちこち見て回る。ふと我に帰り、取材で訪れたことを思い出す。まずはまずは町長に取材許可を求めなければならない。その後、あちこち見せてもらおう。
 庁舎として使われていたのはマンションの一画だった。町長への面会を求めると、三十代半ばの女性が鍵を手に、
「こちらに」
 と、案内してくれた。「執務室」と名前の書かれた部屋へ通される。彼女はそのまま田能に向かい合い、
「はじめまして。町長の秋山七生と申します」
 ロングヘア、白っぽいワンピース姿、整った顔立ちだが、寂しげな印象の女性。町長と名のられなければ、彼女がそうだとは思いもしない。言葉の出せない田能に、彼女は笑い、
「驚かれましたよね」
 ソファに座るよう促す。
「ここは住人が少ないですし、皆、兼任でやっているんです」
 数々の役職名を彼女はそらんじる。どうやら、彼女は名目だけの、便利屋のようなものらしい。
「私は先ほども名乗りましたように、田能堅介と申します。こちらの生活状況について取材をさせていただきたく、許可をいただきたいのですが」
「かまいませんよ。あら、狐につままれたような顔をされていますね」
 彼女に言われ、田能は頭を掻きつつ、
「実は、こちらの町は隠遁されている方々が多く住み着いているようにうかがっていたので。こんなに簡単に取材許可がおりるとは思っていなかったものですから」
 その言葉に彼女は淋しげに微笑む。
「町民には反対されました。けれど、私が説得しました。この町はいつまでも閉じられているより、開かれるべき時期に来たと私は考えているものですから」
 目の前の女性は、ただの女性ではなく、リーダーなのだと田能は見直した。前時代的な文化を営んできた彼らだが、ようやく現代のクリーンで先進的な生活を営む快適性に気付いたのだろうか。だが、どうして彼女は淋しげなのだろう。
「何か問題でも?」
 田能はこの町の魅力以上に快適な生活を思い浮かべながら尋ねる。
「この町には在りません。あるとしたら、あなた達のほう」
 言って、すいませんと彼女は謝る。
「また滅びの扉は開いてしまいました。一から全てやり直すのではなく、ここからやり直した方が、ロスが少ない……そう思いませんか?」
「どういう意味ですか?」
 彼女の不可解な言葉に田能は首をかしげる。何を言っているのかわからない。
「何が地球の為で、何が世界の為なのかなんて、人間の杓子定規で決めてしまっても意味が在りません。必要なのは耳を傾ける事、見守る事なんです」
 秋山七生は静かに言い、自分で用意した紅茶を口に含む。
 田能にはその言葉を理解できない。彼女はどこかおかしいのだろうか。自分はただ、前時代的な生活を営んでいる人々の生活風景や心情を取材したかっただけだ。こんな訳の分からない話を聞きにここに来たわけではない。
 彼女の話はほどほどに、町に繰り出すことにした。頼んでいた案内役はと見やると、秋山七生がそこにいた。
「本当に何でもやっているんですね」
「面倒な仕事は基本的に町長に回ってくるものですから」
 行きましょうと歩き出した彼女のあとを追い、町に繰り出した。

 彼女の案内、説明はとても要領の良いものだった。執務室で訳の分からない発言をしていた人間と同一人物だとは思えない。
「では、この町の魅力を一言で言うならば、なんですか?」
「見ての通りですよ」
 彼女は微笑む。
 田能はあたりを見渡す。前時代的。スマートではない都市づくり。灰色の町並み。汚い路地裏。雑然とした路地裏。ありとあらゆる、二十一世紀前半の典型的な町並みである。
「これが……ですか」
 言葉に詰まる。懐古的な主観を持たないものには、一切、この都市を懐かしいと思うこともない。ただただありふれた、普通の、魅力の乏しい町でしかない。
 彼女は笑みを深め、頷く。田能はため息と共に、言葉を吐き出す。声に、態度に。理解できないというニュアンスを混めて。
「これが……良い、ですか?」
「世界の始まりはこんな風でしたよ」
「何を言っているんです? 私達は長い歴史を――」
「違います」
 秋山七生は言葉をさえぎり、断定する。
「あなたの習われた歴史は、少し違っているのですよ。本物の歴史はこうなんです」
「……こう、とは?」
 いささか腹を立てつつ、尋ね返す。彼女の話が異様な雰囲気を帯びてきた事に、田能は後悔し始めていた。やはり、こんな場所で暮らすような偏屈な変わり者のたちを束ねるリーダーともなれば、普通ではないのだろう。
「私たちの、正確に言えば、この星に住んでいる人間の歴史はここから始まったのです」
「まるでそれまで、この星に誰も暮らしていなかったような口ぶりですね」
「私はそう言っているんですよ」
 彼女は大きく頷く。冗談を言っている様子も、ホラを吹いている様子もない。あくまで真剣で、真面目な顔なのだ。
 田能はどう考えいいのか分からなくなる。
「つまり――」
 戸惑う田能を補うように、彼女は言う。
「つまり、我々はある日突然、この星に連れて来られたのですよ」
「連れてこられた?」
「正確に言えば、この町ごと移住させられたのです。だから、この世界の始まりは、この町からだということになる」
 彼女は懐かしげに街並みを見渡す。
「この世界の発展は何もかも急速だった。導かれるように私たちは未来に進んだ。進みすぎたんです。だからひずみが生まれる」
 寂しげに笑う。
「世界はやがてまた、この町に戻ってくるでしょう。今度こそ、私たち自身の足で未来に進んでいかなければなりません」
「それは……今までの発展には誰かの導きがあったということですか?」
「それはあなたも知っているでしょう?」
 秋山七生は風にあおられた髪を抑える。
「この世界をコントロールしている彼らの存在を。私たちは彼らに保護され、観察されている小さな子供。彼らは彼ら自身が歩んできた滅びの道から逃れるために、私たちを観察対象としてここに連れてきたというのに、私たちに同じ道を示しているの」
 透明な表情をして、秋山七生は田能を見つめた。
「こんな話をこんな場所でしていれば、私に天罰が下るわね」
「天罰?」
 田能の言葉を聞き逃した顔で、秋山七生は再び町の案内を始めた。それまでの話が田能の白昼夢だったかのような顔で。

 田能はシティーでの快適な生活に戻った。書き上げた記事は誰にも相手にされなかった。前時代的な暮らしをしているアウトサイダーに興味を抱く人間などいはしないのだと、突き返されただけだった。
 しばらくして、風の噂で、あの町の女性が流れ星に当たって亡くなったことを知った。田能がシティーに帰ってすぐのことだったらしい。この星ではよくある死に方だが、なぜか、秋山七生があのおかしな台詞を語っている時に見せた透明な微笑みが頭に浮かんだ。あの笑顔の奥に何があったのだろう。彼女の言葉にどこまで真実があったのだろうか。
「不相応な探求心は身を滅ぼす」
 フリーランスのライター仲間で、ヤバい事件ばかり扱っている男に秋山七生とのことを話すと、帰ってきたのは忠告だった。
「この話は二度とするな」
 そう言っていた男もそれからしばらくして、流れ星に当たって死んでしまった。

 あれから20年近く経った。あれから20年近くも経ったのだと気付いた時、田能は驚いた。あの出来事がつい数週間前のことのように感じていることを理解したからだ。
 ふとした瞬間、田能が思い出すのは秋山七生のことだ。何もかも知っているような微笑みを。寂しげな瞳を。彼女の存在は、彼女の言葉は未だ田能の中から消えない。消えてくれない。
 探求心は身を亡ぼす。
 忠告に従い、田能はあの出来事を、秋山七生を忘れようとして生きてきた。けれど、未だ彼女の存在は田能の中で生き続けている。

(忘れてしまいたいと、こんなにも願い続けているのに)

目次

ご覧いただきありがとうございました。〔2013/11/13〕

ligamentさまの「煽り文」使用

©2001-2015空色惑星