それが世界の選択でしょう? 

 木々の奥から、かすかに歌声が聞こえてきた。綺麗な、少女らしい澄んだ声色だ。それとともに空間を彩る光の軌跡。これは魔法。どうやら魔力のこもった歌らしい。
 佐野繁樹は眉をひそめた。こんな場所で魔法を使う者がいるなんて信じられない。まして、広域へ干渉するような強力な魔法を。魔力で自分の寿命を削ってまで、何をしようとしているのか。
 歌声の元へと近づく。樹木が多いといえども都会の公園。主は簡単に見つかった。だが、佐野は自分の眼を疑った。
「……千川?」
 歌っていたのは中学の時の同級生、千川しずるによく似ていた。赤みがかったショートヘア、スレンダーな肢体、可愛らしい顔なのに、目だけが鋭い。だが、卒業以来、十数年の時間が経っている。あのころと全く同じ顔をしているわけがない。きっと彼女は千川の親類か何かだろう。
 古い本を手に、彼女は書かれた文字を手でなぞりながら歌い続けている。佐野に気づいた様子はない。彼女は、熱心に歌っている。魔法の光を辺りに振り撒きながら。

 *

「佐野、何ぼやっとしてんの」
 肩をたたかれ、我にかえる。ミーティングの最中だった。いぶかしげな顔の同僚に「悪い」と簡単に謝り、仕事に戻る。
 公園の奥で千川しずるに似た魔女を見かけて以来、彼女のことが頭から離れない。ふと、公園で見た彼女の横顔が、彼女の声が蘇るのだ。まるで恋でもしているかのように。ありえないと頭を振る。彼女は若い。若いというより、幼い。彼女に恋をするなんてありえない。
 自分が気にしているのは彼女ではなく、本物の千川しずるの方だろう。彼女は今、何をしているのだろう。千川しずるは魔女ではない。魔女ではありえない。彼女は魔女になるようなタイプの人間ではなかった。
 佐野の知っている千川しずるは優等生であり、誰よりも現実主義者だった。魔法に興味を持ったり、手を出すような人間じゃなかった。まして、歌なんて歌うイメージはない。
 あれは、千川しずるに生き写しの彼女は誰なのだろう。

 翌週の同じ曜日、同じ時刻。同じ公園の奥。先週、千川しずるを見かけた場所へ足を向ける。かすかにあの歌声が聞こえてきた。今日も彼女は来ていた。
 離れた木陰からそっと見つめる。生き写しと言ってもよいほど、千川しずるによく似ていた。本人と言ってもいいくらいだ。
 歌い終わった彼女が佐野に気づいた。
「何か用か? ――佐野繁樹」
 名を言われ、佐野は固まる。眼を見開き、瞬かせる。彼女はなぜ、自分の名を知っているのだろう。
「千川しずる……か?」
 思わず尋ね返してしまう。千川しずるな訳がないと思いながら。
「久々だな。私を誰と見間違えたんだ?」
 そう言って、口元だけを歪めて笑う。その嫌味な笑い方は千川しずるのもの。記憶にある千川しずるそのものだ。彼女は可愛らしい外見と異なり、性格はサバサバしていてクール。単独行動を好み、物おじしない。
 人と関わる事を避けているような千川だったが、佐野とは席が近かったせいか、接触する機会は他の人間よりも多かった。多かったからといって、決して親しくしていたわけじゃない。壁を作っていたのは両者だったのだろう。同級生たちにとっても、佐野にとっても、千川しずるは近寄りがたい存在でしかなかった。
「あんまり、君があの頃のままだから……」
 聞きたいことは色々あるが、言葉にできない。頭の中を疑問が渦巻いている。どれから彼女に尋ねるのが、一番混乱を回避できる近道なのか……考えてもわからない。
「その、違和感がありすぎて……。いや、それより千川って…………あれ?」
 佐野は妙なことを思い出した。高校にあがった頃、風の便りに聞いた噂――。
 千川しずるが死んだ。
 誰かからそう聞いた覚えがある。彼女は遠方の進学校へ行ってしまったため、中学以降の動向を誰も良く知らないのだ。彼女の両親もあまり近所づきあいをしない人たちだったので、その噂が本当のことなのか確かめるすべなく、皆大人になった。千川しずるのことが話題にのぼることなどなかった。
「私は死んだことになっている」
 怪訝な顔をした佐野に対し、彼女は「そういえば」といった顔で笑う。つられ、佐野も苦笑する。
「どっから出た噂だったんだろうな」
 千川は笑い顔のまま、
「うちの両親だ」
 何事もない様子で答える。
「え?」
「私の父と母」
 何がおかしいのか、にんまりと笑み。
「私がそうするように指示したんだ」
「は?」
 彼女の言葉が、思考回路が佐野には理解できない。
「仕方がないだろう」
 彼女は不遜な態度で言う。まったく他人事のような口調で、 
「私は一度死ななければならなかった。完全な魔女になるために」
「何を言っているんだ?」
「魔女は人間ではない。知っているだろう? ただの人間が魔女になるには、まず一度死んで人間の生を終わらせ、魔女として生まれ変わらなければならない」
 知識として理解はしているが、今現在、魔女になる人間なんてほとんどいない。だから彼女の言葉の意味がわからない。
「えっと、それはつまり――君は本物の千川だけど死んでいると……」
 自分でも何を言っているのか、佐野は理解できていないまま言葉を紡ぐ。千川はやっと教え子が回答を導き出せたと安堵するような表情で、
「佐野の知っている千川しずるは死んでいる」
 肯定する。佐野は頭を整理しようとして、やっぱり、千川の言っている意味がわからくてもう一度尋ねる。
「じゃあ、君は誰なんだよ。千川じゃないんだろ」
 覚えの悪い生徒に言い聞かせるように千川は言う。
「私は千川しずるの記憶と肉体を受けついだ魔女。佐野、あなたの知っている千川しずるはもういない」
 もういないって……何だよそれ。魔女ってやつはたいてい、どこかがおかしいものだ。だが、目の前のにいる千川しずるの顔をして、千川しずるの記憶を持って、千川しずるを名乗っている彼女は、結局のところ、千川しずるで良いのではないだろうか。
「なあ千川」
「何」
 呼びかければ返事もすることだし。
「千川って呼んでもいいんだな」
 言ってる言葉は意味不明だが、意思の疎通はできるらしい。程度の問題はあるだろうが。
「千川は今、何を――つまり、どうやって暮らしているんだ?」
「魔女だといったはずだ」
「職業を尋ねているんだ」
「だから魔女」
 魔女としてだけでだけで生活を成り立たせられるものなんていやしない。魔女でありながら、兼業して普通は生きているものだ。
「生活資金の出所は?」
 千川は首をかしげ、
「両親」
 と、のたまわった。つまり、家事手伝い。もしくはフリーター。言葉悪く言えばパラサイトシングル。
 たったこれだけのことを聞き出すのに、ずいぶん長い回り道をしてしまった。あの、学生時代の頭脳明晰、打てば響きすぎるような千川はどこに行ってしまったのだろう。ああ、本人が死んだと言っていたか。中学校時代はコンタクトするたびに腹立たしいばかりだったが、あれの方がまだ、目の前のこれより、ましだった気がしてならない。取り戻せない過去がより良く見えているだけだろうか。
「千川。魔女は違法だってわかってやっているのか」
 こんな場所で、あんな大がかりの魔法を使うには事前の周知が必要だが、そんなものはなかった。公園前に設置された行事予定表にも何も記されていなかった。つまり、彼女は無断で魔法を行使していることになる。魔女であること自体、歓迎されるものではない。まして、魔法を使うだなんて。
 魔女の取り締まりが始まったのは三十年ほど前のことだろうか。取り締まられる魔女は年々減少し、今では魔女と言えば老女ばかり。魔法を使うには事前に許可を申請し、決められた場所で、決められた時間、決められた魔法しか使ってはいけないことになっている。それが魔女として、この世界で生きるために設けられた規則。反則は速やかな死をも招く――。
 千川は長い沈黙ののち、笑った。見たこともない暗い笑いだ。
「魔女は誰をも魅了する。けれど、魔女は一人に執着してはいけない」
「魔女は恋をしない、というあれか」
「そうも言うな」
 詩的な言い方だなと笑う。
「なぜだかわかるか?」
 魔女でもない自分に、まして魔女に興味もないのにわかるわけがない。佐野は首を振る。
「魔力を制御できなくなり、魔法が暴走しやすくなる。魔女ははるかに人間よりも長い生を持つことができる。けれど、恋とは魔女にとっては猛毒と同じ。触れれば苦しみもがいて、やがて衰弱死することになる」
「どうして魔女になったんだ」
「私は英知を知りたかった。魔女になれば、深い深いところまでたどり着ける」
「たどり着けたのか」
 ハハハと千川は笑う。
「私のような若輩が、そこまでたどり着けはしないさ。まだまだ、世界は深い。どこまでも広い。私の一生などちっぽけなものだ」
 楽しげだが、苦しそうな表情で佐野を見やる。佐野は、導かれるようにその問いを口にした。
「お前は誰に恋したんだ」
 千川は真顔で佐野を凝視し、
「お前は本当に嫌な奴だな」
 重い息を吐く。
「簡単なことを理解させるのには苦労するのに、こちらが思わないところに気付く。ある種の天才だとは昔から思っていたが」
 千川に褒められるとは、明日は槍でも降ってくるのか。
 佐野から視線をそらし、千川は背を向ける。
「その名を明かしてしまったら私は人間に還るしかない」
「生き返るってことか」
 声を弾ませた佐野に対し、千川は暗く沈んだ声で、
「魔女である私は死ぬ」
「恋に生きるのは悪いことじゃないぞ」
 お前は単純に物事を考えられて幸せだなと千川は笑う。
「だが、再び魔女になることはできない。私が魔女でいつづけるには、この苦しみを飲み込まなければならない」
 風に揺られ、樹木がさざめく。緩やかな沈黙が落ちる。
 何でも一人で決め、一人でこなしてきた千川が佐野にこんな話を打ち明けるなんて、弱っているからだろう。懐かしい顔だからというだけではなかったのだ。
 佐野は固い声で尋ねる。
「お前はいつから苦しんでいるんだ」
 佐野の問いかけに、千川はつぶやく。
「お前は本当に嫌な奴だな」
 本を広げ、呪文詠唱を再び始める。よくとおる、のびやかな歌声があたりに響く。魔法の光があふれ、周囲に満ちてゆく。
「今のお前の状態で、こんな大がかりな魔法を使えば、身体が壊れるんじゃないのか」
 佐野の問いかけにも答えない。魔法が始動し始めたことで、千川に近づくことはできない。誰にも近寄れない。
 光の束が集まり、溢れ、拡散していく。幻想的で神秘的な光景。強く弱く、強烈で柔らかな光の粒子が、空間に形を成し、踊り舞う。
「千川、止めろ」
 叫ぶ声は届いていない。けれど、見ていられなくて佐野は声を上げる。
「止めてくれ、千川!」
 少女の声。不思議な反響。佐野の声。混じり合い、反発し、世界に満ち、混じりあい、薄れ、消えてゆく。
 まぶしくて見ていられない。佐野は両手で目を覆い、千川の名を呼び続ける。濃密な魔力が息苦しい。叫ぶのも困難だ。
 ふと、体が軽くなる。風船が破裂したかのように、あたりに満ちていた魔力が薄れている。千川がいた場所に佐野は駆け寄る。スローモーション。崩れるように倒れる千川。手を伸ばす。届かない。いや、触れることができない。千川の肩を、胸をすり抜け、佐野の腕が現れる。地面に叩きつけられる千川。バウンドし、崩れるように倒れこむ。
「千川」
 声をかければ、うっすら笑う。大丈夫か、なんて声をかけるのは場違いだ。千川はもうすぐ消える。世界に溶けてしまう。千川が呼び出し、集めていた魔法の光が和らいでいく。千川の身体もそれに混じるように、薄れていく。
「ああ……世界は変わらないな」
 千川は晴れ晴れとした顔で言う。
 大がかりな魔法で、千川は何かを変えようととしていたのだろうか。それとも、その台詞はただの感嘆か。
「なあ、佐野」
 佐野は膝をつき、千川の顔を覗き込む。
「ありがとう」
 千川の形が、声が急速に薄れていく。風が吹き、木々のさざ波が大きく響く。
 彼女が倒れていた場所には何も残っていない。彼女が寝転んでいた地面を触る。彼女が存在したという証拠は一グラムも残っていない。魔女であり続けるために、千川は無理な魔法を駆使し、大気に溶けたのだろう。そんな、おとぎ話の魔女と同じ死に方を選ばなくても良いだろうに。
 魔女は人より長い生と、人より深い英知を持つ。それを幸福だという人間もいる。けれど、ただの恋で死んでしまうのならば、魔女は不幸なのではないだろうか。
 誰も明確な答えを出せる人間はいない。恋をした魔女は死んでゆき、魔女に魅了され、残された人間は絶望するしかないのだから。
 魔女も魔法もなくなってしまえばいい。
 佐野は千川が消えた大地を見つめ、立ち尽くしていた。

(変えられないものがあることだって、ちゃんと知ってる)

目次

ご覧いただきありがとうございました。〔2013/11/13〕

ligamentさまの「煽り文」使用

©2001-2015空色惑星