森

魔王

 第一章 ローラ・サザーランド

 一.

 いつだってそう。

 魂の根元までもが魅入られ、吸い込まれてしまいそうな古く深い森。その入り口で今年十三歳を迎えたばかりのローラ・サザーラントは唇を噛み締め、胸の中で毒づく。
 そうやって、姉さんたちを……魔女をとりこにする。そして、多くの魔女がそうであったように……
 ローラは新緑と同じ色をした瞳に憎しみの色を浮かべ、木々を見つめる。晩春の温かい風はその瞳と同じ色の高く結い上げられた髪にそっと触れ、梢へと向かって吹いてゆく。ローラの怒りを幹の先端までも伝えようとするかのように。
 髪には真っ赤な宝玉の髪留め、服は真白なロングのワンピースに、赤いベスト。ローラは木々に対し、春の若葉と同じ色をした大きな瞳に暗く冷たい輝きを宿らせ、見つめる。
 ……姉さんは死にに行った。あなたたちのために。
 木々はローラの事などそこに存在しないかのように穏やかな風に身を任せ、静かにざわめいている。そこには何の敵意も、何の感慨も感じられない。それがますますローラを苛つかせる。
 木々の感情を感じることのできるのが魔女、そしてその魔女であるローラが今、木々から感じているのは、いつもと変わりない、木々が風に身をゆだね、歌い上げている微かな歌声。

 そうやって、魔女を虜にする。

 木々は寂しげな声で、哀しげな歌を、風に身を揺すられながら歌う。

――寂しい 寂しい 寂しい……
――――哀しい 哀しい 哀しい……
――助けて 助けて 助けて…………

 魔女は木々のその声が聞こえるが故に、木々と共に生きるが故に、魅入られたかのように魔女にとって楽園であるはずのこの地を捨て、死地へと足を踏み出してゆく。その様子は、きっと狂信徒と変わりない。
 やがて、小さく溜息をつくと、ローラは森に背を向け死地へと目をやる。
 毒々しい煙を吐く巨大な煙突。
 無機質で不気味な乗り物の群れ。
 溢れる人、人、人……。
 それらが揺らめく蜃気楼のように見える。
 ローラはじっとそれらを見つめていたが、やがてくるりときびすを返し、森の中へと姿を消した。


 二.

「ハロー!」
 天から降ってきたその声にローラが反応すると同時に、それは空中三回転半ひねりを見事に決め着地した。
 突然の展開にローラはその場にたたずみ、突如頭上の木々の間から降ってきた少女を見つめる。白いブラウスに、黒いタイトスカートと格好は物静かだが、その行動と髪の色、そして格好には太陽と冥王星くらいの差があった。少女は乱れた、緑とオレンジに染め分けた髪を手で軽く整え、
「ハロー! 私はエミリア・ランドウェッジ」
 そう名乗ると、ローラの手を取り強引に握手をする。そうして、立ち尽くすローラを前後左右から不躾な視線で見回し、少女は満面に『にんまり』と表現するのがふさわしい笑みを浮かべ、
「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャァァン!」
 両手を大きく広げ、宣言する。
 ローラはますます唖然とした表情でただ立ち尽くすのみ。エミリアは小首をかしげ、
「ほら、拍手拍手」
 と、むっとした表情で小さく促す。ローラが慌ててパチリパチリと両手を叩き合わせた音は、寂しく森に響く。だが、エミリアは満足げな笑みを浮かべ、妙なイントネーションで話し始める。
「さぁて、本日登場いたしましたのは他でもあーりませぇん。あーなたは、今現在、強大な魔法力を欲していらっしゃーるでしょ?」
 ローラが首を横に振るが、エミリアはそれを完全に無視し、ぱたぱたとご近所のおばさんのように手を振りながら、TVショッピングのように話を続ける。
「ご謙遜なくお客さーん。こちとら、客商売のプロでっせ、みなまで言わずともわっかりまんねんな。さーて、本日あなたにお薦めはこちらっ!」
 と、派手に言い切ったわりに準備はこれから始めるようだ。
 ローラに動かないようにいうと、口の中で呪文を唱え始める。魔法独特の響を持った、不思議な節の繰り返し。エミリアは風と共に躍っているかのような、滑らかな舞いをもって大地に印をつけてゆく。大地につけられた印はエミリアの言葉によって、それが真実であるかのように光り始める。
 エミリアの言葉は光と化して大気に溶け、印から大地に染み込み、印から印へと光の軌跡を結び始める。それに呼応するかのように、あたりの地面は弱い光を発しはじめ、魔法陣の形をとるように結ばれた光の軌跡は強く輝き始める。そうなると、あっという間だった。
 大地にはローラとエミリアを中心に二つの円を持つ光の魔法陣が刻まれていた。複雑な古代語が見事にちりばめられた、見た事のない、完全で、完璧な魔法陣。ローラが知っている魔女の誰よりも、数段格が上、高い魔法能力を持つ、魔女の中でも何本かの指に入る魔力の持ち主のようだ。天才とナントカは紙一重と言うが……エミリアを見る限り、頷ける。
「これは……?」
 ローラがエミリアに尋ねようと、足元の光の魔法陣からエミリアへと目を移す。
「……魔王? あなたが?」
 思わず口から小さな声が漏れる。
 魔王とは、この魔女の楽園である太古の森を人間たちから隠しつづける、強大な魔力を有す魔女の中の魔女。
「……嘘……だって……」
 ローラよりも小柄だが、年上だろうというのはわかる。けれど、どんなにみても十六歳よりも上には見えない。
 だが、エミリアの耳元で揺れる赤い玉と、緑の玉のイヤリング、胸元に輝く青い玉のペンダント。それら、三つの玉はビー球くらいの大きさではあるが、確かに魔王の印である、それ。三人の巫女の魂より創られ、みずから輝きを発するという、生きた宝玉。
 エミリアは複雑な呪文を唱えつつも、ちらりと哀しげな微笑みを見せる。きっと、それは肯定の印。詠唱と共に手を複雑に組み合わせながら様々な印を結び、魔法陣を発動させるための条件を満たしていく。
 木々が魔法陣から漏れてゆくかすかな魔力に悲鳴をあげる。

――助けて 助けて……!
――助けて 助けて 助けて……!
――助けて 助けて 助けて 助けて!

 ローラはその、あまりにも大きな悲鳴に必死で両耳をふさぐ。そんな仕草では森の発する『声』を遮ることなどできないことは、わかっていても。木々の声は感じるとるもの。決して聞こえるものではない。
 ローラは両膝をつき、エミリアに向かってやめてと呼ぶ。何度も。何度も……。
 木々の悲鳴……
 大地から湧き出すかのような光……
 木々の悲鳴……
 溢れる光……
 木々の悲鳴…………
 ローラは悲痛な叫び声をあげる。
 エミリアは淡々とその、魔法陣を発動させる呪文を唱えつづける。
 彼女は涙で霞むエミリアの姿を憎憎しげに見つめる。木々のあげる悲鳴で思考は混乱し、まともに考えることもできない。

 ――――やめて!
             ――助けて!                           ――どうして?
                     ――やめて!!
         ――魔王!                  ――*助けて!!
                                              ――助けて!!
             ――助けて……

 エミリアは魔法陣をどうしても発動させる気らしい。
 祈るような気持ちでローラはエミリアが呪文を唱え終わるのを待つ。永遠とも思える時間の流れ。
 木々の悲鳴は果てしなく続く。
 ふいにエミリアは顔をローラに向け、『ごめんなさい』とでも言うかのように口を動かした。
 直後。
 魔法陣は光を増し、その力を発動させた。


 三.

「……てる? 大丈夫? ……おーい、大丈夫? 生きてる?」
 少女の声。けれど、エミリアのものではない。
「ねえ…………起きろぉぉぉぉぉぉぉ!」
 一キロ先の友人でも呼び寄せるかのような大声を耳元で出され、ローラは跳ね起きた。ローラを起こしたのは三人の女性たちだった。
 一人は赤い髪のおかっぱ頭、赤の濃い瞳をした、歳は十五歳くらいの少女。髪に真白な鳥の羽をさし、片耳にハートのイヤリングをしている。服装はピンク色をした狩人のような格好で小柄である。さっきの声はこの少女の声のようだ。
 一人は金髪の腰まで届きそうなロングストレートに、茶色い瞳をした二十歳くらいの女性。真白な東洋風の法衣を身にまとっている。すらりと背が高く、顔には柔和な笑みをたたえている。
 一人は深みのある青い髪のショートヘア、青い瞳をした十八歳くらいの女性。緑色の袖なしのロングコートを身にまとい、下に黒いTシャツとスパッツをはいている。背丈はローラとそう変わりない。腕を組んで、独りたたずんでいるところから、無愛想というか、クールな印象を受ける。
 彼女たちは、ローラがはっきりと意識を取り戻したことを確認すると、したり顔でうなずきあい、
「…………」
 ローラに何かを話し掛ける。
「……? 何言ってるの? 聞こえない!」
 ローラが怒鳴り返すと、緑の服を着た少女と白い服を着た少女は、肩を大きくすくめ、ピンクの服を着た少女の頭を思いきり、しばき倒した。ピンクの服の少女は額から地面に叩きつけられ、地面に見事なマスクを掘り出すが、鼻の頭にバンソウコウ程度の傷をつくっただけで起き上がり、背の高い二人組みに向かって、もう抗議を始める。二人は慣れた様子で適当にそれをあしらう。
 しばらくすると、ローラの耳もようやく本来の機能を回復させた。
「あぁ、いきなりごめんなさいねぇ。デイジーのことは堪忍してあげてくださいな。……ちょっと元気すぎるかもしれへんけど、ええ子なんですよ」
 と、顔に浮かべた笑みと同じような温和な声で、白い服の少女は語りかける。先ほどこの女性もピンクの服の女性をどついていたとは感じさせない顔。
「何よぅ、何よぅ……。起こせって言ったのヒラリーじゃん」
 ピンク色の服の少女は拗ねたような口調。緑の服の少女はどこから取り出したのか、安っぽいスリッパで後ろ頭を殴りつけ、
「こん、アホ。誰があんな起こし方せえって言うてんな」
「ぶうぶうぶう! 何よ、ビビアンの馬鹿!」
「ちょっとぉ、あなた達なに喧嘩してるのぉ? ローラに挨拶せなあかんでしょぉ」
 
――……?

 ローラはますます混乱した表情を浮かべる。
「うちから、自己紹介しますわね。うちはヒラリー・キューマリー。こっちで騒がしぃんが、」
「ビビアン・ロスや。ヒラリー、騒がしいってのはよけいや」 
「何言うてはりますの。デイジーで遊んどいて。ほら、デイジーも挨拶せな」
 ヒラリーは自分の後ろに隠れ、ビビアンに応戦していたデイジーをはがす。
「……私はデイジー・ハーリング。キュートでカワユイ永遠の十五歳よ☆」
 デイジーは中指と薬指をおり、人差し指をほっぺたに当て、例えるならば「きゃは☆」とでもいったポーズで名乗る。

 バァシィィィッッッン!

 と景気の良い音がして、デイジーが頭を抑え、ビビアンを睨み付ける。
「っ痛! ちょっと、なんでたたかれなきゃならないわけ!」
「お前がアホやからや」
 と言うビビアンの手にはどこから出したのか大きなハリセンが握られている。
「アホって何よ! あんたこそ、馬鹿じゃない?」
「ほらほら、じゃれあうのもええ加減にしとき。ローラが困ってはるやろ?」
 ヒラリーの声で視線がローラに集中する。
 ローラは視線を漂わせ、たぶんその三人の中で一番まともな人間のように思われるヒラリーに、助けを求めるような視線を向ける。ヒラリーは気の毒そうな顔をして、
「ローラはどの辺まで事情を聞いたん?」
「事情? あの、一体どういうことでしょう?」
 ローラがふらふらと立ち上がる。ヒラリーは立ち上がるのに手を貸しながら、
「いやや、なんも説明されてへんの? そぅやね、ちょっと長い話になりますよって、場所をかえてもよろしぃか?」
「え、ええ……。構わないけど……」
 ローラはうなずく。ヒラリーの口から発せられる、聞いたことのない口調に少々とまどいつつも。
「ほな、いきまっせ」
 ヒラリーがローラの肩に手を触れたか触れないかのうちに、辺りは一変した。

 四.

 レモンハーブの紅茶薫る、木々の梢に編み上げられた部屋の中。自然の陽光に彩られ、気持ちよい風が吹く。
「冷めんうちに、飲んでくださいな」
 ローラに紅茶を薦めつつ、ヒラリーは切り株に似た椅子に腰を下ろした。
「ああ、あの二人のことなら心配せぇへんでも、一時間もすればここに戻って来ますよってに。それに、少々込み入った話をせなあかんから、ちゃちゃばかりゆうてくるあの二人がおらんほうが、説明しやすいし……」
 ローラは紅茶を一口含み、
「あの、その説明って言うのは?」
「あんたも魔女なら知ってはるやろうと思うけど、これからちょっとばかし込み入った話をせなあかんから、この森が四つの森から出来とることは魔女なら知ってるやろ? それら、全部を合わせて『魔王の森』とか『魔女の森』とか『悪魔の森』とか人間はゆうてるらしいけど、この森がどないして出来たのかっていう事から話した方がええと思いますのや」
 と、かなり込み入った話をする雰囲気で語り始めた。
「……いつの時代のことやったのか、知っとるお人もうおらんほど昔のこと。魔女と人間はいがみおうとったのや。人間は樹を切って文明をつくっとったし、魔女はもちろん樹を守もろぅてね。
 昔っからいさかいはあったんやけど、まあ、魔女の方がなんや言うても人間には出来ん、魔法をもっとたからね。そこまで酷いいさかいはなかったんよ。でも、いつしか人間はその力を恐れんようになってしもぉた。そしたら、もう終わりよ」
 ヒラリーは両手で降参のポーズを取る。
「森は切り倒され、魔女は迫害されるようになってしもうた。人間には鉄の武器がある。そやけ……魔女の王とも呼ばれるほどの力を持った魔王は、残されとったこの森に魔法をかけて、人間達の目には見えんように、入ってこれんようにしたんよ」
「あの……」
 とローラは薄茶色い液体から顔を上げた。
 ヒラリーはにっこりとほほえみかけ、
「まあまあ、こんなよぅ知られた昔話も少しばかり今のあなたに関係するんやけ聞きはりぃな」
 そういって、紅茶の前にお茶請けを山のように出現させた。クッキー、ケーキ、おせんべ、クラッカー……。
「……わかりました」
 ローラは一番手前にあったロールケーキに手を伸ばした。
「続きやけど、ええ? 魔女にとってここは楽園のはずやった。せやけど、分かるやろ? 森は泣いとるんや。
 たとえ人間に迫害されようとも、閉じこめられるのは嫌やってゆうて。そやから、その声に魔女は耐えられんようになってしもうて、一部のもんは森の外に出ていきよるんよ。人間の世界の森をよみがえらよういうてね……あなたのお姉さんのように……」
 ローラが慌てて立ち上がる。
「姉をご存じなのですか?」
 そのため、紅茶がテーブルいっぱいに水たまりをつくってしまった。
「この森で生まれて、この森で育った魔女は残らず知ってます」
「残らず?」
「……話を聞いてもらえますか?」
 ローラは言われ、椅子に座り直した。何もない空間から、蜃気楼のように新たに入れ立ての紅茶が現実味を帯びながら出現する。
「今度はカモミールや、熱い内に召し上がれ」
「でも、紅茶……」
 と、テーブルを見てもこぼしたはずの紅茶の影はない。
「この部屋の説明もせなあきませんね。……あの二人が帰ってくるまでに終わるんやろか?」
 少々不安げなまなざしを、薄萌葱色のカーテンがひるがえる外に向ける。
「『世界樹』って知ってますやろ? 魔王の森の真ん中にある、魔王の神殿とも言われとる……あれなんですよ、ここ」
「ま、魔王の神殿ってことは、あの人の……」
 ヒラリーがいたずらな笑みを浮かべる。
「あなたが会うた、エミリアはもう魔王やあらしまへん」
「……え?」
「はっきりゆうたら駆け落ちやわ。惚れた男が出来たけぇ、魔王をやめるって言わはりましてな、私らの手を振りきって……どっかに行ってしまいましたわ……」
 ヒラリーはどこか遠い昔を思い出すかのような目をして、ローラを見る。
「今度はあんたや」
「…………は?」
「新しい魔王のことや。エミリアから引き継ぎ、受けてるんやろ?」
「引き継ぎ……?」
 ローラが尋ねると、ヒラリーはしばらく無言のまま穴が空くほどローラの顔を見つめ、大きく溜息をついた。
「ご愁傷様。あんた、運の悪いことに、たまたまつかまったんやね……その魔法力じゃあ……」
「あの、何なんですか?」
「ああ、えっと……ちょっと待って、これじゃ一時間じゃ終わらへんよって」
 空間から新たに紅茶を出す。
「今度はアップルハーブティーや。どうぞ、飲んで」
「……いただきます」
「えぇっと、どこまで話しましたかな……まぁ、ええわ。
 魔王っちゅうのは魔女の中の王とされるほどの魔力をもった人なんや。そのお人が今の、この『魔王の森』って言われとる、魔女の楽園をつくったんやけど、その力も年を取れば弱くなるのは自然の道理や。
 せやから、魔王は一人やない。歴代の魔王っちゅう人がぎょうさんいなさる。エミリアは何代目やったか……、先代の魔王に見込まれてな、五歳くらいの時に引き取られてきたんや。
 幼いなりに、ほんま驚くほどの魔力を秘めた娘やった。強力な魔力を秘めた『力ある魔女』は魔王になるか、この森に破滅をもたらすかのいずれや。……言うてる意味、わかるか?」
 ローラは首を横に振る。
「『力ある魔女』は、魔王となってこの森にかけられた結界を守り続けるために力を使い続ける一生を送るか、それとも力を使うことも出来ず、力に飲み込まれて制御できんようになるかのどっちかや。
 後者は悲惨やで……。この森の外やったら使い道はいくらでもある。なんとゆうても、人間が大地を踏み荒らしとるさかいにな。
 せやけど、ここは楽園や、天国や。うちらの力を使わなあかんような、大きな事件も、天災もほとんどあらへん。せやから、『力ある魔女』は力を使えんでその力に蝕まれて死んでいくか、死地であるこの森の外に出るかしか残されてない……残酷な話に思うやろ?」
 哀しげな瞳をローラに注ぐ。
「せやけど、仕方あらへん。この森は守らなあかん、ほとんど魔力のない『力ない魔女』も守らなあかん。そのためにはこの森の結界をとくことなんてできへん。一部の『力ある魔女』のために、他の魔女を殺すわけにはあかんからね。
 せやから、力ある魔女が森の外に出ていくことは止めへんのよ。どっちみち、こっちにおっても、森の嘆きの歌を聴きながら、自分の魔力に蝕まれていくだけやけね。『魔女は森とともに生き、森のために死す』……皮肉な言葉やろ? 魔女は森の声が聞こえるが為に、森とともに生きることを好む。せやけど、『力ある魔女』は、森にとっては害となるだけや。それに、森は……いや、木々はと言った方がええな、独りであることを寂しがる。
 聞こえるやろ、嘆きの歌が。『寂しい、悲しい』って。
『力ある魔女』であればあるほど、あの歌が鮮明に聞こえるんや。せやから、森を出てゆく。私らは止めへん。止めても、森が傷つくか、その魔女が死ぬかしか道はない。森は傷つけるわけにはあかん。そしたら……って話しなんよ。
 ほんまに、ぐるぐるグルグル悲しみと不幸だけが回わっとる。でも、この森にかけられた魔法を解くわけにはあかん。ここは楽園なんや、多くの『力ない魔女』にとっては……。
 あぁ、次はダージリンでもどうや?」
「いえ、もうけっこうです。ごちそうさまでした」
 ティーカップを両手で隠すように、ヒラリーから遠ざける。事実、余りにもおいしい紅茶だったので飲み過ぎて、お腹がたぷたぷする。
「この森はそんな風に存在しとる。……まあ、分かってると思うけど。少し話がそれましたな、戻しましょ。
 エミリアは幼いながらも素晴らしい力を秘めた『力ある魔女』やった。エミリアの先代の魔王はかなりの高齢やってな、はよう後継者を欲しがっとった。せやから、幼いエミリアに魔王になるために多くの魔法を叩き込んだ。
 ……相当厳しく叩きこんだんやけど、エミリアは泣き言一つ言わんかったわ。小さいからようわかってなかったようで、親に捨てられたと思いこんどったんかも知れへん。捨てられんように、頑張っとったんやろうなぁ、泣きもせぇへんで、小さいながらに……。
 まあ、その甲斐あってか、エミリアは十三歳で魔王になったんよ。それからは、魔王として、膨大な魔力を結界維持のために消費する日々や。魔力流出を止めれば結界が薄うなるし、人間に蜃気楼のような感じで森の姿も見えてしまうやろうからなぁ。
 さっきも言うたけど、この森は多くの『力ない魔女』のための森でもある。せやから、結界をむやみに解くことはできん。人間に迫害されたり、虐待されたりするのは『力ない魔女』だけやけね。
 エミリアは十一年間、魔王やった。歴代の魔女の中から言えばそれほど長いほうやない。中には一生を魔王として送った魔女もおったからね」
 どんなに見ても十八歳より上には見えないと思ったエミリアだが、年齢が二十四歳とは……。いや、それよりも……。
「ははは……私らの事、考えてるんやろ? 私らが何もんやって……。
 『守護聖霊』とか、『巫女聖霊』とか、他には『三人の巫女』とか、呼ばれとるもんのことは知っとる?」
「はい。魔王が結界を張るのを補助する『生きた印』となるために自ら命を投げ出し、結界の印となった少女達ですよね」
「……なんや、そんな風に言われると照れくさいな。それが、私らや」
「へっ? で、でもその方々は……」
「死んでるって言いたいんやろ? せやけど、ほら、死んでるように見えるか?」
 ローラは首を横に振る。
「そのへんのことは私らにもようわからんのや。
 この森を守るために、力を暴走させてしもうて、この森を壊しかけた魔女は何人もおった。私らはその魔女を止めるために嫌な話やけど、殺してきた。せやけど中には魔王以上の魔力を持った魔女もおる。せやから、うちらが止めようとしても止めきれん場合もあった。つまりや、うちらが死んだって事や。
 ……そう、変な顔しなさんな。美人が台無しやで。
 そのへんがどうなっとるんか私らにもようわからんのやけど、死んでも死んでも肉体の破片一つ残らんような消滅をしても、この通り、なんの変わりものう生きとる。
 朝、目が覚めるように、うちらの肉体が『印』として封じられとる近くにおるんや。それは、ほんま気持ちのようないことなんやけど、まあ、私らも慣れな仕方あらへん。
 何でかとも思うけど、私らにもようわからへんしね。私らを『印』としてこの魔法陣を張った初代魔王のしたことやろくらいに思うようになっとる。そうせな、わけわからんからね」
 そういって、ヒラリーは哀しげに笑った。
「私らの存在する目的は二つや。この森の結界のための印であること。これは肉体の役目や。
 そして、この森を守ること。内からも、外からもや。この森を守るためには殺す事もじさんというわけや。なんとも、血なまぐさい話やけどな。
 せやけど……それほど悲惨やったんよ。魔女虐待とか、魔女迫害とか言われ取る、『魔女狩り』は。
 ……どうやら帰ってきたようやね」
「?」
「ヒラリーのいぢわる!」
「うちらを残して移動すな、このアホ!」
 同時に声が聞こえ、窓から、赤い髪と青い髪の少女が部屋の中に転がり込んできた。赤い髪が確かデイジー、青い髪がビビアンとかいう名前だったか。
「おほほほほほ……。ややわぁ、そんな恐い顔してから。
 お二人さんの好きな、お菓子とお茶を用意してまってましたんよ」
 いつの間にやらテーブルの上には、抹茶&羊羹と、レモンティー&チーズケーキらしき物がある。
「これ、坂上和菓子堂の最高級羊羹か?」
「もしかして、すすき西洋菓子店の極上チーズケーキ?」
 声は重なり、ヒラリーがうなずく前に、羊羹はビビアンの口の中に、チーズケーキはデイジーの口の中に運ばれる。
「やっぱりうまい!」
「おいしぃ〜☆」
「厳選された小豆だけをつかった、この味! そんなに砂糖は入ってないちゅーに、この甘み! たまらんわ!」
「舌の上でとろけるようなこの食感! たっぷり使われた超極上生クリームと最高級チーズ! 泣けるわ〜☆」
 二人は口々にそのお菓子の感想を述べながら味わっている。ヒラリーはそんな二人から目をはなし、大きくため息をはいた。
「やっぱり二人がおらんほうが話が進みますな。どこまでお話しましたやろ……?」
「えっと……魔女狩りの話をされてましたよね」
「あぁ、そうでしたな。他に話さなあかんこと、ありましたかな……?」
「あの、引継ぎっていうのは?」
 ローラが尋ねると、ヒラリーは手を打ち合わせ、
「そやった。一番大事なこと、話すの忘れてたわ。
 エミリアが逃げたって話はしましたやろ? せやから、早く次の魔王が必要なんや。まあ、しばらく……ゆうても一日くらいなら私らの肉体の方に蓄えられとる魔力やら、エミリアの残留魔力やらで結界の方は異常ないと思うんやけど……早めに引継ぎを済ませてしまうのが一番やからね。
 そこでや、魔王となるために沢山の魔法を覚えなあかんから、エミリア以上のキッツイ修行になると思うけど、頑張って耐えてね」
 にっこりと笑顔でローラの肩をつかむ。
「…………まさか」
 ローラがヒラリーから逃げようと、きょろきょろと視線をさまよわせる。この部屋にあるのは、さっきビビアンとデイジーが入ってきた窓が一つのみ。
「まさかやないんよ、ローラ。不運やとは思うけど、あなたにも秘めたる魔力があるからなんとか魔王をやっていけるやろうと思うわ。せやけど、その力をひきださな、魔王やるのはキツイで」
 ローラは青ざめた顔でローラを見つめる三人の顔を見渡す。
「本気ですか? 私が魔王だなんて?」
「仕方あらへんよ。うちらもエミリアがこんな形でやめるとは思えへんかったもの。お互い不運やったと思って……」
「あの、私帰ります」
 ローラの言葉に三人は顔を見合わせ、
「「「どうやって?」」」
 声をそろえる。ローラはビビアン、デイジーが入ってきた窓に駆け寄り下を見ると……
「ここは、『魔王の神殿』とも呼ばれとるけど、もともとは『世界樹』って呼ばれとった世界中で一番大きな木の上や。私らみたいなもんには入る手段はいくらでもあるけど、『力ある魔女』でもなし、魔王でもなし、ただの魔女でしかない今のあなたにはここから出る事なんてできへんのよ」
 薄い笑いを浮かべながらヒラリーは言う。
「まあ、死にたいんならとめへんで」
 ビビアンがちゃかすように言う。
「ちょっとビビアン、何言うてるの! ローラが死んだら魔王の引き継ぎ誰が行うの?」
「あちゃー、そやったな。ローラ死んだらあかん。取りあえずはエミリアみたいに誰かに魔王の役を押しつけるまではな」
 ビビアンの言葉を補うように、レモンティーを飲み終わったデイジーも参戦する。
「そうそう、魔王引継のための魔法陣の作り方も知らないんでしょ? ここはヒラリーの言うことに従うのが一番よ。こう見えてもヒラリー、キレると恐いんだから」
「『力ない魔女』のためにも」
 ヒラリーが頼み込むような目でローラを見る。
「ここにいりゃ、ヒラリーが何でもうまいもん食わせてくれるぞ」
 ビビアンがローラに詰め寄る。
「おいしいお菓子も山のようにあるし」
 デイジーがお菓子の山を指さしながら言う。
「頼むわ、ローラ」
「せやせや、ローラ、魔王やらなあかんて」
「魔王は魔女の中の魔女よ? 魔女の中の王様よ?」
「ローラ」
「ローラ」
「ローラ」
 三人の声が重なり、様々なことを言いながらローラに詰め寄る。ローラは窓から落ちるのではないかと言うほど、身を反り返らせながら、
「わ、わかりました」
 小さな声で、半分泣きながら了解した。
「そうか、やってくれるんやね」
 ヒラリーの手がローラの肩に置かれた途端、ローラはバランスを崩して、下へ落下していった。

 五.

「……死ぬかと思いました」
 ローラはベットに半身を起こし、額にあてられていたぬるいおしぼりをヒラリーに渡す。ヒラリーは苦笑しつつ、ローラに新しいおしぼりを差し出す。
「まあ、ええやないの。この世界樹には魔王をありとあらゆる危険から守るための魔法がかけられてるんやから。まあ、はっきり言うとどんなことをしても出られへんってことなんやけどね」
「じゃあ、エミリアさんはどうしていたんですか? 駆け落ちしたってお話でしたけど」
「エミリアは、うちらの修行で七歳の時にはもう瞬間移動の魔法を使いこなしとったからな」
 ビビアンが答え、それに追従するようにデイジーが言う。
「そうそう、いっつも突然になくなっちゃうのよね。いっくら探しても見つからないし、すっごい大変だった」
 最初はハリセンで叩く、スリッパで叩くと仲が悪いのかと思っていたが、案外仲がいいようだ。にぎやかに思い出話に花を咲かせ始めた二人にヒラリーがストップをかけ、
「ほらほら、ローラの具合がまだようないんやから、二人ともちょっと席はずして」
「ヒラリーは?」
 戸口に追いやられながら、デイジーが尋ねる。
「私もすぐに出るさかい、外で待っとって、デイジー」
「わかった」
 デイジーとビビアンが戸口から外へと出てゆく。
「ローラ、取りあえずこれを身につけて」
 ヒラリーが三色のビー玉のような宝石をローラに渡す。
「身につけるって、どうやってですか?」
 エミリアが付けていたときのような、それはペンダントでも、イヤリングでもない。ただただ丸い三つの玉。ヘッドと呼ばれる宝石だけ。ただし、それには傷一つ、糸を通すための穴一つない。
「どんな風に身につけてもかましまへん」
 ローラが宝石に手をのばす。
「……? 何? これ……」
 宝石を手にした途端、力が抜ける。
 ヒラリーはよいこらしょと、ベット脇の椅子から立ち上がり、ドアを開ける。
「はじめの内はきついやろうけど、だんだん慣れてくるわ。その玉を通して、私らの肉体、つまり印に魔力が流れ込んどるのよ。この森を封じる為の魔法の魔力限である魔王のあなたから」
「……」
 ローラがその宝石を手放そうと試みるが、手から宝石は離れない。
「魔王引き継ぎのための魔法、ゆうてもまあ、魔法陣の事なんやけど、あれは、魔王とその宝石を引き離すためのものなんよ。いうなれば、魔王にかけられた呪いを新たな魔王に移すための儀式って事やね。それをせな、その宝石は絶対に魔王から離れることはあらへん。魔力を吸い取り続けるだけや。ま、魔力がなくなれば、つまり死ねば離れはするけどね。
 ……ローラ、意識ある?」
 ぐったりとベットに倒れこんだローラにヒラリーは声をかける。ローラは小さくうなずく。全ての力が吸い取られていくような感覚。力が入らない。
「あなたには修行させてから持たせた方がええんやと思うけど、時間がない。まあ、でも、私らが何とかその珠の力を抑えて、通常の半分くらいしか魔力を吸わんようにしとるから……きついやろうけど、ふんばって。力のない魔女のため、そして、この森のために」
 そういい残すとヒラリーは出ていった。
 一人部屋に取り残されたローラはその三つの宝玉を握りしめたまま、ひっそりと泣いた。

 第二章 ヒラリー・マーキュリー

 一.

 ヒラリーは二人がいる、世界樹のてっぺんに静か現れ、腰を下ろした。二人とも静かにただ丸い月を見つめている。
 ふと、月の光に溶けそうなほど低く、弱い声で、
「なぁ、ほんまにあんな子で良かったんか?」
 ビビアンが誰ともなしに尋ねかける。
「ローラは誰よりも優しい――」
 デイジーが応え、ビビアンはうるさげに言葉を続ける。
「そして、誰よりも孤独や……ほんまに、これで良かったんやろか……」
「今更、どうしようもあれへんやないの……」
 ヒラリーがため息混じりに呟く。
「覚悟しとかなあきまへんで。ローラには歴代の、どの魔女よりも魔力があらへん。森の結界を維持するための魔力がなんとかある程度で、森の守護者たる私らのこの体を実体化させるほどの魔力はないやろ――」
「なんで、あの子が最後の魔王に選ばれたんかなぁ……」
 ヒラリーの言葉を聞いていないように、ビビアンが呟く。それに応える声はない。
 魔王も、結界も、守護精霊も、全ては『ラムダ』という一人の人物によって生み出された。はるかに遠い、ヒラリーたちが魔女であった頃の話――。

 ***

 村の中央に位置するやぐらの上で、日々村の為に祈りを捧げ、魔法を使う。それが、村一番の魔力を持つ魔女、巫女姫として選ばれたヒラリーの生活だった。
 あの日、村人達は一丸となりやぐらへと押しかけてきた。彼らの用件はわかっていた。それまでにも何度か彼女を説得しに来たものがあったから。でも、それは一時の気の迷い、巫女姫である彼女が粘り強く説得していれば、目を覚ますだろうと考えていた。だが――
「なんで? なんで、あんなのの言うことを聞かはるんですか!」
 少女には森に住み着いた『余所者』をこれほどまでに信用している村人達が信じられなかった。『余所者は信用できない』、ほんの数年前の村人の大多数も同じ考えだったはずだ。巫女姫である自分の意見を全く聞こうとしない、こんなことは今までになかった。
「聞き分けのないことをいうたらあかん。これはワシ等とあの人らとの取引なんや」
 いつでも彼女の味方であったはずの、父である村長までもがこのように彼女をしかりつける。
 村の者誰もが森にやってくる余所者、特に人間に対しての猜疑心は強固だった。だが、そんなことにはおかまいなしに生活をはじめ、いつの間にやら村人たちと溶け込んだ者がいた。
 それは、深い漆黒の髪と、深い闇色の瞳をした『ラムダ』と、同じ色の髪と瞳をした『ルカ』と名乗る二人ずれだった。二人は『人間』ではないようだった。かといって『魔女』でもなかった。二人は必要最低限の食事を摂る以上は食事をしようともせず、朝から晩までただ一日中、森の中に何をするでもなく佇んでいた。
 まず、彼らと仲良くなったのは小鳥たちだった。次第に森の小さな動物、幼い魔女と対象は広がり、やがて猜疑心の強い村の者も、二人には一目置くようになった。二人が特に何かをしたというのではない。二人に幾度か接触したものは必ずと言っていいほど「その声色が……」「その話が……」と夢見る少女のように興奮した様子に陥り、それにつられてその友人が、家族がと――その二人はその森にある三つの村全ての警戒心を解いてしまった。
 そして二人はある日、こんな提案をした。
――人間との争いを避けたいのならば、森に関する干渉をしばらく止めてみてはどうか――森がなければ、どれほど困った事態に陥るか、人間に理解させる期間を置いてみてはどうか……――
 人間が行っている森の破壊から、森を守ろうと魔女は命を懸けて、戦ってきた。それは決して武力による戦いのみではない。多くの場合が、木々の苗を植え、木々が成長するように魔法を使う。そんな活動であったが……人間にはそれさえも煩わしいものであったらしく、『魔女狩り』が行われるようになってしまった。森を育て、森を愛するものを殺し、森を破壊し、自分たちが暮らしやすい世界を築き上げようとしていた。それは、魔女達にとって、自然と共に生きるものにとっては、何らかのかたちで存在する神に対する『冒涜』としか思えないものだった。何年もかけて築き上げられた村人との絆を断ち切るかのようなこの言葉に村人達は激昂した。だが、多くの魔女たちは疲れ切っていた。だからなのだろう、やがてその提案を良策として受け入れ、『力ある魔女』――巫女姫へ掛け合い始めた。
 彼女は憎憎しげな瞳を、村長である父親にむけ、噛み付くように話す。父は、その場に居合わせた村人たちは、激昂する村の巫女姫である彼女を説得しようとするが、彼女はそれをまったく聞き入れることなどない。
「あんまりや! この森が可哀相やわ!」
 彼女はついに号泣し始める。巫女姫である彼女にとって森は、何にもかえがたい自分の半身、尊敬し畏怖すべき存在。泣き出した彼女に、父は畳み掛けるように言葉をはく。
「この森は大きい。せやから、この森を封じるためには巨大な魔法陣が……『生きた印』が必要や」
 その言葉に彼女は泣くのも止め、蒼ざめた顔で呆然と呟く。
「私に……それを、せえって言うの?」
 彼女は信じられないといった顔で、視線を彷徨わせる。その場に居合わせた人々は彼女の視線から逃げるように顔をそらす。
『生きた印』とは、肉体を、魂を魔法陣の一部としてしまうことだ。魔法陣が消滅するまで、肉体も魂も開放されることはない。永遠とも思える時間、魔法陣の中の世界で、その魔法陣のために存在する……。
「信じられへん……あいつらの言うことは聞いて、森の声は無視するの? 聞こえへんの? 森は閉じ込められることを嫌うてる!」
「せやけど、」
 と誰かが声をあげる。
「姫さんのような力の強い魔女は何とかなるやもしれん。せやけど、ワシらのような『力ない魔女』に死ねっていうんか?」
 その声で力づけられたのか、村人は声をあげる。
「姫さんに比べてワシらのような力ない魔女にはそれほど森の声は聞こえん。森の気持ちもわからんといってもええ。でも、森のためにどれだけ魔女が血を流した? 命を散らした?」
「俺たちはもうたくさんや。とにかく平安に暮らしたいだけなんや。もう、血を流しとうはない。命を散らしとうはない」
「姫さんもわかるやろ? 森と、魔女、どちらが大事か!」
「姫さん、わかってくれ」
 人々の言葉は、彼女を打ちのめし……彼女は『印』として命を捨てた。

 ***

 ヒラリーは丸い月を見つめ、そっと溜息をつく。
 今ならば、村人たちの不安もわかる――ような気もする。
 けれど、このことをヒラリーは二人には話そうとはしない。人には人の生き方というものがある。あの時、ヒラリーは自ら進んで印となったわけではない。けれど……今ではこれで良かったのではないかと思う。

 二.

 朝日が昇る。
 そこでやっとヒラリーの存在に気づいたとでも言うように、デイジーが不安げな声を挙げる。
「ヒラリー……」
 見て、とでも言うように片手を太陽の光に透かす。朝の弱い陽差しから、強い陽差しに移るに連れて、光がデイジーの手をすり抜けて、木々の葉へと当たる。
――エミリアが蓄えてた魔力……私らが現れとるための魔力がもうない……? ローラは、ほんまに魔王をやれるほどの魔力を持った魔女なんやろうか……?
「ローラは……ほんま、大丈夫なんか?」
 ビビアンが声をあげる。
「見てみぃ……」
 彼女が指差す方向を振り向けば、そこには灰色の町並みがうっすらと広がっている。
 ヒラリーは覚悟を決めるように息を短く吐くと、
「……ローラをきっちり魔王にせなあかん。デイジー、魔力を私に渡して……」
 デイジーは一瞬目を見開いたが、こくんと首を動かし、不安げな声をあげた。
「ローラ、魔王になれるよね?」
 ローラが魔王になることが出来なければ、結界が弱まり、森は姿を現すだろう。しかしその時、聖霊である三人の聖霊は永遠にこの魔法陣によってで歪んだ空間に閉じこめられる。魔王がきちんと印を解き、結界を消滅させない限り、三人が『印』であることから開放されることはできない。ヒラリーが言いよどんでいると、ビビアンが声をあげる。
「辛気くさいなぁ、お二人さん。ローラは魔王になれるわ、なってもらわなこっちも困るんやし……」
 と、立ち上がる。
「よっしゃ、ええわヒラリー、うちも寝たる」
 その言葉にデイジーとヒラリーは顔を見合わせる。魔法を使う二人とは違い、魔法をほとんど使わないビビアンにはまだまだ存在しているための魔力が残っている。
「うちがおってもローラを魔王にする自信はない。そやったら、ヒラリー、あんたが存在するために魔力をまわした方がええやろ?」
「でも、」
 と躊躇するヒラリーの手を握り、そこから魔力を移す。
「…………ローラのことようしごいたって」
 ウインクしながら、朝日に溶けるようにビビアンは消えてしまった。
「ビビアン……」
 デイジーはそこに先ほどまでいた、仲間の名を口にする。
「ヒラリー、絶対にローラを魔王にしてね」
 泣き出しそうな瞳でデイジーは言うと、ヒラリーの手を握った。
 朝日に照らされ、朝露に濡れた世界樹の葉はいつもよりも輝いていた。

 三.

「ローラ起きてる?」
 ヒラリーが声をかけながらローラが寝ている部屋に足を踏み入れると、ローラは着替えを済ませ、ベットに腰をかけていた。
「おはよう、ヒラリー」 
 ローラは苦しげな表情を浮かべながらも微笑みの顔をつくっていった。
「根性はあるようやね。よかったわ、あんなのような魔力の弱い魔女が魔王になってしもうてどうしようかと思うとったところやから」
 皮肉のような言葉。けれど、それを止めることは出来ない。
「さて、魔王になるための修行ってものをちゃっちゃとやってもらわなあかんのやけど、あんたはそれを行うための魔力が少なすぎる。せやから、まずはその魔力を高めてもらわなあかんのよ」
 と言ったもののヒラリーは迷っていた。今まで魔王についた者の中にはこれほどまでに魔力の弱い魔女はいなかった。だから、魔力を高めるための修行というものを、魔王として魔力を吸い取られているローラに行っても大丈夫だろうか……。もし、それでローラが魔力を使いすぎ、死ぬようなことがあれば寝てしまった二人は永遠に夢の中、自分はたった一人で閉ざされたこの巨大な森の中で生きて行かねばならない。
「あの、」
 とローラが声をあげる。
「何?」
「あの、ビビアンさんとデイジーさんは?」
「ああ、あの二人なら眠ってるわ。あなたの魔力が弱いから少しでも魔力を温存させなあかんからね」
「……ごめんなさい」
 ローラが小さな声を出す。
「……あんたが謝ってもどうしようもないわ。原因はエミリアなんやから」
 でも、と思う。
 エミリアばかりが悪い訳じゃない。もしかしたら『あの時』が近づ来つつあるのかも知れない。
 首を振り、言い換える。
「いいや、エミリアばかりやあらへん。『力ある魔女』が悪いんや。なして、森に残ろうと思えへんのやろね? みんなして森の外に出ることないやん。
 『力ない魔女』ばかりこの森に残されても、どないしたらええねん、て話になると思わへん?」
 ヒラリーに言われ、ローラは顔を曇らせる。
「……あなたのお姉さんのことを言ってるわけやないんよ」
 ヒラリーは沈んだ声で言葉を補う。
「わかっています」
 ローラは下唇を噛みしめるように言葉を吐き出す。
「私、魔王になります。魔王になれば、」
 ローラが言いかけるのを、ヒラリーは察し、
「それは、言うたらあかんよ。魔王は『力無い魔女』のためにおるようなものなんやから。言うたらあかん……森の声に耳を傾けてもあかんのよ」
 ローラはその言葉に悔しそうに頷く。昨日、ヒラリーが話した話を思い出したのだろう。
「さあ、時間があらしまへん。魔力の出し方、魔法の使い方をあなたに教えなあきまへんのや。無駄話はここいらでやめにしましょう」

 四.

 一週間が経った。
 ローラはきっと魔王にならなければその秘めたる魔力を引き出すことも、使うこともできないような強大な魔法をも拾得していた。それは、ひたすら血のにじむような毎日の成果。
「ローラ、」
 陽炎のようにかすんだヒラリーは、発する言葉にも注意を払いつつ話しかける。魔力は残り少ない。
「私が魔王に教えなければならない魔法は全て教えたはずや。それを使えるかつかえんかはあなたの腕しだい……。
 あなたがもっと魔力のある魔女であれば、私らも存在することができたやろうけど……どうしようもないな。そればっかりは生まれ持ったものなんやから」
「ヒラリー」
 と、ローラが声をあげ、ヒラリーに触れようとするが、手はヒラリーをすり抜ける。
 ヒラリーは哀しそうに首を振り、
「無駄や。私はもう亡霊のようなものや。
 あなたの魔力が強ければ、私らが存在するための魔力をその三つの玉から吸収してもええ。けれど、そんなわけにいけへん。そうしたら、あなたが死んでしまう。
 たった一人でこの森の嘆きの歌を聴くあなたは歴代のどの魔王よりも孤独やろう……それやけど、」
 ヒラリーは言葉を濁す。
――孤独に耐えて、ローラ。その強さ、そして優しさをあなたは誰よりも持ってるはずやから……
「何?」
 ローラが言葉を促すが、ヒラリーは首を振り、
「あぁ、もう私も寝るわ。また会いましょう、ローラ」
 空気に溶けるように消えた。

 第三章 魔王ローラ

 一.

 森の木々は騒がしい。あれから、二十余年の月日が流れ去っていた。
 木々はローラの存在を感じとると、結界を解けとばかり嘆きの歌を合唱する。その声を聞くのに耐え切れず、ローラはこの二十数年、必要以上『魔王の神殿』から出たことはない。
――――――気分が悪くなりそう……。
 さわやかなはずの朝の空気も、その歌声によってローラには苦痛にしか感じない。久々に『魔王の神殿』から出たというのに、気分は一つも晴れない。木々の間をすりぬけ、目的の女性の姿を見つける。黒髪を編み込み、青い制服らしきものを身につけている。朝食を用意しているところらしい。ローラはためらいつつも、しっかりとした口調で声をかけた。
「おはよう、サラさん」
「おはようございます。あなたは……?」
 二十歳くらいだろうと思われる女性、サラは驚きつつも、落ち着いた態度で返事をかえす。人生の荒波を潜り抜けてきたのだろうことは、その落ち着いた物腰から伺えた。 最終手段として送り込まれただけのことはある。結界を解き、世界を一つにしようとしている魔女と人間との連合組織『森』。その組織に見いだされた仲介者。老人から哲学者までがローラを説き伏せようとして、失敗した。最終手段として選ばれたという彼女は、一体どのような人生を送ってきたのだろう。ローラは気後れすることなく、薄く微笑みながら答える。
「私のこと、探してるでしょ?」
 サラは目を徐々に見開き、驚愕の表情を明らかにする。そして、一言声に出す。
「……魔王?」
 ローラはそれに静かに頷いた。
「人間の世界からどうやって来たんです?」
 三人の聖霊がいなくなったとはいえ、この森に入りこむことは難しい。サラはにっこりと微笑み、
「科学の力です」
「科学?」
 ローラは記憶の糸をたぐり寄せる。いつのことだったか、誰かが話してくれた。あの煙突から吐き出される黒い煙、数珠のようにつながって、うごめく鉄の箱、そして、森を、自然を破壊する人間の作り出したあらゆるものは、科学の力から生み出されたと。
 ローラはきつい口調で尋ねる。
「……なるほど、それが人間の力ですか。それで、こちらに何のようなのですか?」
「結界を解いてほしいのです」
 単刀直入の言葉。最終手段だというから、もっと外堀から攻める話し方をしてくるものとばかり考えていたローラは少々驚く。
「どうして?」
「人間の世界の森は、もう……だから、結界を解いて森を蘇らせてほしいのです」
「それは人間がしたことでしょう? 人間がどうにかすれば済む話なのではないですか?」
 そんな段階ではないことは重々承知している。けれど、この結界をといて、多くの力無い魔女を『魔女狩り』という悲惨な目にあわせるわけにはいかない。ここは、力無い魔女にとっては楽園なのだから。
「それはそうですが、もう、その段階は終ってしまっています」
 サラも必死な様子。
「……けれど、魔女には関係のない話ではあるでしょう? 人間は私たちを迫害した。そして、森は自分たちが壊してしまった。どうして、今さら魔女に助けを求められるのです? 魔女はやっと平安な暮らしをできるようになったというのに」
 溢れる感情を抑えきれず、ローラはサラから逃げ出した。

 ***

――どうして? 魔女は苦しんできた。それでもまだ苦しみ足りないというの?
 魔王の神殿へと戻り、一人部屋で泣き伏す。
「……?」
 微かな音にローラは顔を上げる。水鏡の中に浮かべられた鈴が、世界樹の根本、魔王への来訪者の存在を知らせるため澄んだ音色を響かせていた。
 水鏡の中を覗き込むと、いつもの顔がそこには映し出されていた。茶色い髪をした中年の男性――バーニー・ランブロウ。酷く嘆き悲しみながら、幼い女児を連れてやってきた時、バーニーは額を地面にこすりつけるように低く頭を垂れ、泣きながら「すまない」と、何度も謝った。ローラが戸惑いながら訳を聞くと、彼は自分をエミリアの夫だと名乗った。そして、エミリアは彼の連れた女児を産むと間もなく亡くなった、と。
 それ以来、ローラの元に度々訪れてはいろいろな話をするようになった。けれど、それは魔女としてのローラではなく、魔王としてのローラに対して。そして、それはローラも変わらない。
 ローラは涙をふき取り、感情などまったくない普段の、魔王独特の表情を作り、中空に存在する神殿内部から、世界樹の根本へと瞬間移動する。

 二.

 悲鳴。叫び。助けを求める声……。
 神殿を出たローラに投げかけられる、木々の悲鳴。その声を頭から振り払い、ローラはバーニーの前に立った。茶色い髪のバーニーは沈痛な面もちをしていたが、いつものように現われた魔王の前に跪いた。
「娘が……レイチェルが……」
 そういって、黙り込む。声が震えているのがわかる。けれど、ローラは慰めることはない。ただ、いつものように相槌を打つ。
「そうですか。そこにおかけなさい、バーニー」
 バーニーの定位置である座りやすい、世界樹の木の根をローラは指さす。バーニーはしずしずと腰掛け、両手で顔を覆い、深い溜息をつく。バーニーが何を言いたいのかローラは分かっている。最近はバーニーとこの話題しか話していない。
 このままではバーニーの娘、エミリアの忘れ形見であるレイチェルが死ぬ。
 レイチェル――高い魔力を持つ彼女には、魔王としての人生か、それともこの森を捨てるしか生きる道はない。
 けれど、肉体的にも病弱なレイチェルが森を捨てて出てゆくことなど不可能。残る道は魔王になること……けれど、三人の聖霊がいれば魔王候補として育てることもできたかもしれない……が、三人の巫女聖霊は眠っている。ローラの魔力が弱いために、起きていることも、力を使うこともできず。

 力さえあれば……

 下唇を強くかんで、涙が溢れ出しそうなのを堪える。
「エミリアが生きていれば……どうすればいいのかわかるのでしょうが……」
 バーニーにも疲れの色が見える。自分の娘、一人の命を救うために、仲間である多くの力ない魔女たちを犠牲にはできない……それはエミリアから聞かされているのだろう。そして、バーニーはそれを重々承知しているからこそ、こうして苦しんでいる。
 バーニーは苦しげに感情を吐き出すように喋る。ローラはただそれを聞くだけ。やがて、バーニーは一息つくと、「すいません」と頭を下げ、なにも言わない魔王を残し去っていった。
 魔王はバーニーに何も声をかけず、去ってゆく後ろ姿をじっと見送った。

 私に力さえあれば……

 三.

 ローラは五月蝿くざわめく森の中をさ迷い歩く。特に何かしようとしていたわけではない。いつの間にか、足はサラの元へと向かっていた。
「……仕方のないことだ」
 苦渋に満ちたバーニーの声を微かに耳にし、ローラは身を潜めた。
「森は作り出せますけど、レイチェルは……」
 咎めるようなサラの声。
「そんなことはわかっている。だが、同胞の幸福を壊すようなこともできない。この世界はやっと手に入れた、安住の地なんだ」
「人よりも森のほうが大切だというんですか?」
 サラの冷たい声がローラにも突き刺さる。
「我々の多くは魔法使いだ。魔法使いにとって、森はなによりも大切なもの。レイチェルも、きっとわかってくれる」
 バーニーは苦しげに言葉を話す。だが、サラは言葉を緩める気はないらしい。
「それじゃあ、それじゃあ、レイチェルがあまりにも」
「ではどうしろというんだ! この世界は森で満ちている。魔法を使うということは森を傷つけるということなんだ! 我々に森を傷つけろというのか? この母なる森を!」
 サラに向かって怒鳴ってもどうしようもないと、バーニーはまだ言いたげな感情を押さえ込み、レイチェルを肩に背負い、大股で村へと帰って行った。
「……」
 サラはその姿を見つめ、何か、口の中で呟いたようだった。固い決意をした表情。
 その声は聞こえないが、おそらくは……。
「森の結界を解く」
 ローラは呟いてから、慌てて口をふさいだ。たった一人の少女のために、全てを捨てる……事は……できない。

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