森

孤独

 フィフィス星に存在する建物はほとんどが学術関係のものだ。一般的な家屋はまず存在しない。
 生まれた時にはすでに成人しているフィフィス人は、一万年ともいわれる生涯を旅行に費やす。星に残る者はきわめて少ない。若者たちは三百年に一度開かれる『集会』でパートナーを見つけ、旅立っていく。
 そして。明日から開催される集会の為、普段使われていない講堂はフィフィス人で溢れていた――。


 
 一.

 いつもは金色の光に満ちた静粛な講堂であるが、集会が開かれる間は様相をがらりと変える。旅人達が持ち帰った様々な土産が所狭しと並べられるからだ。
 彼らが持ち帰る土産は、大きさも用途も様々。自らが気に入ったものを土産として持ち帰っているため、建物に入りきらない大きなものもある。集会が終わった後、講堂は博物館へと名称を変え、次の集会の為に新たな講堂が建てられる。
 今回、初めてフィフィスの地を踏むことになったフェレスは、落ち着きなく摩訶不思議な土産物を興味深そうに見ている。
 ここまで一緒に旅をしてきたノイは、そんなフェレスに親のような眼差しを向ける。
 宇宙の深遠を思わせる藍色の瞳。滑らかなチョコレート色の肌。身体のラインを強調するような闇色の全身スーツに彩りを添えるのは、輝くような光の色に似た長い髪と、白い煙のようにたなびくマント。
 彫刻のような完璧な美貌を兼ね備えた天の使いとも天女とも思える――純粋なフィフィス人の一般的な容貌だ。だが、彼らが群れている様は同じフィフィス人にとっても壮観なものがある。
 フェレスは会場に溢れる同胞の姿に感嘆の声をあげる。
「すごいな、同胞がこんなに集うなんて」
「昔、メイシェルもそんなことを言っていたな」
 ノイは笑みを浮かべる。フェレスは生まれて百ニ十年とまだ若い。今のフェレスにとって、ここに来ることも、多くの同胞の姿を見ることも初めてだ。
 フィフィス星に彼らがやってきたのはつい数十万年前からだ。最初は基地でしかなかったこの星も、今は本星のようになっている。フィフィス人と今では自分達を呼称している彼らだが、流浪の民に近い。もともとは別の宇宙。別の惑星出身だが、昔から旅をしてきた。
 人口は驚くほど少なく、寿命は一万年に近い。少人数で宇宙を旅し、さまざまな惑星に降り立ち生命と接見する。毛が生えたばかりの知的生命体には神と崇められ、少々進化した生命体からは来訪者、もしくは客人と見なされる。
 膨大な情報の蓄積が彼らの目的だが、なぜそんなことをしているのか、彼らも理解していない。それが彼らの生涯であり、はるか昔から続けてきたことだ。
 三百年に一度設けられる集会――知識の集積と情報交換の場――は彼らのパートナー探しの場でもある。常に旅をしている彼らにとってパートナーは数百年から一生、共に過ごす貴重な存在だ。
 フィフィス人は性別がなく、親も持たない。前身が寿命で死んだ時、宝石に似た小さな石を残す。そこから後身は成長し、幼少期を経ることなく成体となる。親と同じ容姿、知識を持つため、傍から見れば老いることなく、若返ったかのように見えるが、親とは子は別人だ。
「私のパートナー、見つかるかな」
 何度目かわからないフェレスの問いかけに、ノイは微笑む。
「心配ない。どこかにいるよ」
 それに――とノイは誰にとも無く言葉を続ける。
「パートナーがいない旅は辛い」
 ノイはフェレスの前身、メイシェルのパートナーだった。二人は広い宇宙を気ままに旅していたが、寿命だったのだろう。旅の途中でメイシェルは死んでしまった。
 フェレスを連れ、一旦星に帰ろうしたノイだったが、フェレスに説得され、そのまま旅を続けた。だが、やはりパートナーでない者との旅は寂しさをぬぐえない。自分達がいかに孤独であるかをつきつけられる。
 彼らは普通、運命の相手以外とパートナーを組まない。パートナーには会った瞬間感じるものがあるが、ノイはフェレスにそれを感じない。フェレスも同じだろう。だから、二人はここで新たなパートナーを見つけなればならない。
 フェレスは興奮と緊張を混ぜた瞳を会場に溢れかえる人に注いでいる。
「なかなか見つからない」
 疲れた顔でフェレスはノイを見やる。ノイは笑って、
「会場中の人を見たわけじゃないだろ?」
「それはそうだけど……」
「私もメイシェルと出会うにはずいぶん時間がかかったよ」
「そうなのか」
 ノイはフェレスと雑談しつつも目はせわしなく周囲をうかがっている。周囲の者達も皆、隣に立つ者と雑談しつつも目は動いている。パートナーが見つかったものは幸福そうな顔をして旅立ってゆく。見つからない者は会場中をさ迷うしかない。
「まだ来てないのかな」
 フェレスが不安げにつぶやく。ノイは微笑みながら、
「そうかもしれないな。お前のような旅好きでは、管理者には向かないから、がんばって探せ」
 管理者は旅をせず、この星に残り、旅人達が見聞きしてきた情報を集め整理する。膨大な情報を管理できるのは卓越した才能を持ったものだけ。
「今の管理者筆頭って――確か、オールトだったよね?」
 フェレスがオールトを見るのは初めてだったが、前身から受け継いだ知識がある。
「あれって、オールトじゃない?」
 フェレスが部屋の中心部を指差す。旅装ではない、幾重も布を巻きつけたような服装で部屋の中心部に浮かんでいる。
「管理者ってパートナーを必要としないんじゃなかったっけ? なのにどうしてオールトがここにいるんだろう? 彼は管理者を辞めたのかな?」
「さぁ、オールトの考えていることなど私にはわからない。彼の代わりに管理者筆頭になれるものもいないだろうしな……」
 卓越した情報整理能力を持つオールトは一度も旅をしたことがない。生まれてからずっとこの星で過ごしている珍しいフィフィス人だ。
 オールトの隣の人物に目を留め、ノイは首を傾げる。
「隣に居るのはセグウェイだな。妙な組み合わせだ」
「セグウェイって管理者を辞めたマカフィのパートナー――だったよね?」
「ああ、そうだ。それにしてもマカフィの姿が無いな……新たなパートナーを見つけたのか?」
 きょろきょろ辺りを見回していたノイはふわりと微笑んだ。
「――私は見つけたよ」
 ノイは右前方を見て、にこりと笑った。ノイと目のあった者も同じ表情で部屋の中心部から離れていく。ノイはその後を追ってゆく。
「私が先に見つけようと思っていたのに」
 フェレスは悔しそうに呟き、速度を上げて歩き始める。寂しさを感じた様子は微塵もない。フィフィス人はパートナー以外の者にはあまり感心を持たないためだ。


 二.

 眉間にしわを寄せ、一点を睨み付けるのはアジルが不機嫌な時の癖だ。
 いつもならば閑散としている講堂だが、集会が開かれている今、どこからともなくわきでた人々で溢れ返っている。しかもアジルよりも頭二つ分も大きく、美しい人ばかり。
 以前の、何も知らなかった頃ならば、確実にこの状況を神々の饗宴と賞しただろう。神でもない彼らを神と崇めていたあの頃ならば。
「いつも以上に愛想が悪いな」
 ため息混じりにセグウェイは言う。彼もまた他の人々と同じく、はるかな美貌の主だ。
「集会はいつ終わります?」
「あと一ヶ月ほどだよ」
 アジルの問いかけに答えたのはオールトだった。彼はいつもの微笑を貼り付けている。
 三人は会場の真中にたたずんでいる。黒い髪の彼女は悪目立ちしそうだが、背の低い彼女は二人の影に隠れてしまっている。それでも時折ちらりと覗くアジルの外見に興味深げな視線、嫌悪の混じった視線が向けられる。
 アジルはその都度にらみ返していたが、いい加減どうでもよくなってきた。
「長いですね」
「あっという間さ」
 ぶすりともらしたアジルの声に、セグウェイがおどけた調子で答える。
 その時間感覚の違いがアジルには恨めしくなる。母の種族であれば寿命は百年も無い。父の――性別は無いらしいが、アジルは不便なので『父』と呼んでいる――種族は一万年を生きるのだ。混血である自分は母よりはるかに長く、父よりはるかに短い時間を生きることになるだろう。
 この星に来て、時間感覚は変化した。けれど、彼らと同じ時間を生きることはできない。
「私はしばらく寝ます」
 目を閉じる。重力の低いこの星では、立ったまま眠ることも可能だ。アジルは眠って、目覚めてを数度繰り返し、
「新しいパートナーを探さなくて良いのですか?」
 目覚めるたびに無駄口を言うセグウェイが少々鬱陶しくなり、口を開く。いつもならば、静寂に満ちたこの星だが、集会中なので人の気配がが多い。アジルはストレスを感じている。
「私を追い払いたいのだろうが無駄だよ。前にも言ったと思うが、パートナーというのは運命の相手だ。出会うべくして出会う。ここで私がじっとしていても、相手が見つけてくれる」
「そういうものですか」
「私とマカフィの出会いを聞かせてあげようか?」
 いつに無く饒舌なのは彼もまた興奮しているからなのだろう。アジルは苦虫をかみ殺す。
「目が合った瞬間に――」
「聞きたいだなんて言っていません」
「そうかね? 私は聞きたいが」
 オールトまでもがいつもと違う。アジルは二人に見えるようにため息をつき、顔をそむける。雑談しかしていないように見える集会だが、彼らにとっては祭りのようなものなのだろう。
「管理者である私はパートナーを見出すことができない。できないのではなく、する必要性がないからなんだがね。だから、情報はどんなものでも収集したい」
「結局そこですか」
 アジルは小さく呟いたが、二人の耳には入ったらしい。オールトとセグウェイは大切な事だという顔で、
「どんな内容であれ、情報は重要だよ」
「オールトがアジルの先生をやっているのは副業でしかないからね」
「ここにいれば、君にもパートナーが見つかるかもしれない」
 オールトは楽しげに微笑む。管理者といえど、この会場の雰囲気に飲まれているらしい。アジルにパートナーは見出せないといったのはオールトだったのに。
 集会を見物したい言ったアジルに、オールトは自分とはぐれないことを条件に許可した。しかも、その台詞を言ったとき、彼は無駄な時間をすごさなければならないと憂鬱そうな顔をしていたのに――。
「私はマリッドですよ」
 その一言で二人の言葉を遮り、アジルは瞳を閉じる。

 目を閉じて、脳裏に浮かんだのは父の顔だった。父のことを思い出すのは久々だった。
 故郷にいたころは、誰よりも何よりも美しい人だと思っていたが、ここにくればありふれた美貌でしかなかった。アジル自らが希望しやってきたこの地だったが、ここは良い意味でも悪い意味でも自分の価値観を替えた。彼女が知っていた世界の美しさを変貌させた。
 無知だったあの頃のほうがどれほど幸福で、世界は輝いていただろう。地を這いずり、飢えていることが当たり前だったあの頃。ボロをまとい、心休まる日など無いに等しかったあの日々を今は懐かしんでいる。ホームシックなのかもしれないとアジルは自嘲する。
 母の故郷である星にいた頃、アジルは父のことを稀代の賢者だと信じていた。圧倒的に美しく、いつまでも若い父。世界を流浪し、誰にも仕えず、どことも繋がらない。それが父の生き方だったが、噂は噂を呼び、いつも誰かに協力を求められ、誰にも協力しないよう命を狙われていた。
 三十歳を過ぎ、アジルは結婚した。子供にも恵まれ、幸せだった。けれど、ニ十年たっても老いない妻を気味悪がり、末の娘が嫁いだ翌日、夫は自殺した。アジルは父の元に戻った。
 アジルの母は東洋人だった。両親の馴れ初めは知らない。母はアジルが戻ってしばらくして、老衰で死んだ。いつまでも老いない夫と娘を時折気味悪そうに見やっていた目が忘れられない。けれど、表情はいつも優しげな微笑を崩さなかった。プライドの高い人だった。
 それから百年近く、アジルは父の助手として世界を旅した。世界はめまぐるしく変化した。覇王が活躍し、強大な力を持つ王国ができ、賢者として高名な父は召し抱えの旨を伝える使者に何度も断りを入れ、命を狙われた。
 あの世界に安住の地など無かった。北へと進路を向けた二人の前に、ある日、天から光が降りてきた。雲間から差し込むよりも一層神々しい光。
「天の御使い――」
「そのようなものではない」
 父の背中に隠れるように、天を見上げていたアジルの言葉をさえぎり、父は苦しげに吐き捨てた。
 彼女たちの頭上を狙うかのように落ちてきたその光に、アジルは思わず神への賛美の語句を唱える。いつも無表情なアジルの顔に自然、笑みが浮かぶ。
 反対に、いつも柔らかな笑みをたたえている父の顔には、懐かしさとも苦しみともいえない複雑な表情が浮かんでいた。
 鮮やかな光がやわらぐと、そこには神々しいまでの人がいた。世界中、どこへ行っても異邦人でしかなかった父の、同族なのだと感じた。
「もういいだろう、マカフィ」
 大地に軽やかに降り立った天使は人間じみた仕草で深いため息をつき、父の名を呼んだ。そこで初めてアジルに気付く。
「……マリッド?」
「私の娘だ」
 父は言った。いつに無く厳しい表情をしていた。
 アジルが『マリッド』という語句の意味を知ったのはこの星に来てからだ。『禁忌の混血児』そして『災厄と破滅を招く者』。
 あの時は、何も知らなかった。彼らは、神に似てどんなものとも混じることができる。けれど、生まれる子は災厄と破滅を招くといわれている。
「マカフィ、お前は何を考えている?」
「私はここで生を終わらせる、放っておいてくれと言ったはずだ」
 いつもの温和な父ではなかった。迫力があった。互いに睨み合っているのが美貌の主ということもあり、余分に緊張をはらむ。
「休暇は終わりだ、マカフィ。私は旅を続けたい。パートナーである君を置いては旅立てない」
「私はここに残る」
「なぜこの星にこだわる? ありふれた星の一つに過ぎないだろう? 宇宙は広い。まだ我々の知らない世界はいくらでもある」
 今のアジルならばあの時の二人の話が理解できる。だが、当時はまるで何もわかっていなかった。父に教えられ、星の海についての知識はあった。彼らにとっては幼児並みの知識が――。
「では、私を――」
 今考えてもなぜ自分がそんなことを言い出したのかわからない。
「私をお連れ下さい」
 父とセグウェイは驚いた顔でアジルを見つめた。二人は小さな声でしばらく話し合っていたが、
「娘を頼む」
 父は頭を下げ、セグウェイは未練を振り切るように、
「マカフィ、達者で。もう会うことはあるまい」
「ああ」
「父上、お元気で」
「お前も」
 あっさりした別れだった。
 父の顔に浮かんでいたのは言いようの無い不安だけだった。そんな顔をするくらいならば共に旅立てばよいのにと、思いはしたものの口には出さなかった。他人の言うことを聞くような父でないことをよくわかっていたからだ。
 アジルはセグウェイの船に乗り、この星へやって来た。
 宇宙は広いとセグウェイは語ったが、それは誇大ではなかった。船の窓から見る虚空は数え切れぬ程の星で満ちていたが、それだけだった。何もかもが気の遠くなるほど遠くにあるだけ。あまりに広い宇宙に満ちているのは孤感だとアジルは感じた。
 アジルがここに来てから百数十年。オールトから英知を学ぶ日々を送っていたアジルは、ふと、セグウェイの姿をずいぶん長い間見ていないことに気付きない困惑した。
 セグウェイはパートナーがいなければ旅はできないと言っていたから、旅行に出たとは思わなかった。だが、フィフィス人を理解し始めた頃、アジルは悟った。彼は永遠の別れを告げたはずの父の元を訪れているのだと。
 ある日、セグウェイはずいぶん陽気な顔でアジルの元に訪れた。嘲笑と共に語られたのは父の、マカフィの死だった。マカフィは独り残った星で結局、覇権争いに巻き込まれ殺されたらしい。
 見てきたようにその様を語るセグウェイは言葉とは裏腹に痛々しかった。別れの言葉を忠実に守り、セグウェイは父に会うことなく、見守っただけなのだ。なんて馬鹿な人だろう。アジルはそう思わずにはいられなかった。

 数時間ぶりに目を開いたアジルが傍を見やると、目を閉じる以前と変わらぬ格好でセグウェイがたたずんでいた。
「父と離れていた間、あなたは何をしていたんですか?」
 唐突な言葉だっただろうに、彼は会話の途中であったかのように答えた。
「もちろん、独りで旅を続けようとしたさ。けれどできなかった」
 哀しげな笑み。
「遠くに行けなかったんだ」
 堰を切るようにセグウェイの中から言葉があふれ出す。
「パートナーがいない状態があんなに精神的に不安定になるなんて私は知らなかった。生きることさえ難しかったよ。常に孤独感に苛まれ続け、マカフィのことを考えまいとすればするほど気になってしかたなかった。だがね、喧嘩した手前もある。私も意地を張って我慢して我慢して我慢して……」
「私は……私では、父の変わりにはならなかったんですね」
 セグウェイはまじまじとアジルの顔を凝視し、長い沈黙の後、寂しげに首を振る。
「いや、君がいたから私はここに帰って来られたんだ」
「パートナーがいないものは旅立てない。帰って来るのが難しい。今までにも例があったことだ」
 オールトらしい言葉が、アジルの心に突き刺さる。
 彼らは父の行動を糾弾しない。以前、管理者をしていた父ならば、わかっていたはずなのに。パートナーに見捨てられたら、セグウェイがどんな状態になるのか知っていたはずなのに。
 アジルは居たたまれなくなり、顔に貼り付けた無表情をセグウェイから他へと移す。けれど、人の波が見えるだけで他に何もすることは無い。
 無理だと思いつつ、また眠ろうと目を閉じかけた。不意に星に似た煌きが見えた。ここは室内で、星など見えないはずだと思い直し、導かれるように歩を進め、足を止める。動けなくなった。目の前にいたのは誰よりも美しい人だった。光だった。愛しさと同時に懐かしさが溢れる。
 向こうもこちらに気づいた様子で目が合う。会場にいたはずの人々の気配が消えさる。二人だけの世界。ざわめきが遠のく。どこからか響いてくる深く、高く、気分を高揚させる音――心音だと気づき、アジルは慌てて胸を抑える。苦しい。けれど嬉しい。喜びと幸福だけに浸る。
 美しい人が微笑む。アジルも微笑み返す。一瞬が永遠であるかのように時が変貌する。口を動かさずとも、何光年も離れていようともきっと彼の声は聞こえる。自分に届く。
『やっと、出会えた』
 胸の奥から溢れる喜びは自分のものだろうか。それとも彼の?
 アジルが何も考えられないうちに、彼はアジルの前にやってきて、深々と一礼する。簡易なものではない、正式な礼――。
「お初にお目にかかります、私はフェレスと申します」
「私は――」
 名を告げかけたアジルは我に返る。いけない、頭のどこかで警鐘音がなる。いけない、私はマリッドだ。災厄だ。パートナーにはなれない。パートナーはいらない。彼を認めてはいけない。求めてはいけない。私は違う。彼とは違う。
 アジルはきびすを返し、彼の視線から逃れようと走り出す。


 三.

「フェレス、まだパートナーが見つからないのか?」
 ノイは講堂を走り回っているフェレスを見かけ、声を掛けた。先ほどまでとは違い、フェレスの顔は困惑に満ちている。
「いや、見つけたんだ」
「それはめでたい」
「でも、逃げられた」
「……?」
 不可解な言葉にノイは首をかしげる。
「どうしてだろう? なぜ私から逃げるんだ?」
 聞いた事のない事態に、ノイは首を振り、わからないと答える。フィフィス人にとってパートナーは絶対的な存在。避ける事などない。
「相手がお前を見出していないのではないか?」
「いや、目が逢った。私が名乗り、相手も名乗ろうとして――私の前から逃げ出した。どういうことだと思う?」
「お前が見出したのは、本当にパートナーなのか?」
「間違いない」
 フェレスは語気を強める。これ以上ない程の真剣な顔。
「この辺に来たはずなんだ。背が低かったから……」
 周囲を見渡す。パッと顔を輝かせ、指を指す。
「いた!」
 駆け出そうとしたフェレスを慌ててノイは捕まえる。
「待て。あれはマリッドじゃないのか?」
「マリ――」
「声が大きい」
 フェレスの口をふさぎ、ノイはパートナーに断りを入れてから人気の少ない場所へフェレスを誘導する。
「そういえば、セグウェイがマリッド――混血を連れ帰ったと聞いた」
 ノイは深々と息を吐く。
「あれが噂のアジルか。どうりでこの会場にオールトもいるはずだ」
 誰にも関心をよせない管理者筆頭であるオールトが、マリッドの教育を楽しんでいるらしいという話をどこかで聞いたなと、独りごちる。
 ノイの言葉を聞き、フェレスは顔を輝かす。
「アジル? アジルという名なのか?」
「……そうだ。だがアジルは止めておけ。マリッドに関わった者は必ず破滅する」
 けれど、フェレスにはすでにノイの言葉など聞えていない。
 フィフィス人にとって、パートナーは運命の相手。パートナーが死ぬ以外、別れることはできない。
 その上、フィフィス人が想いを抱えて生きていくなど不可能。アジルに出会った時点でフェレスは引き返せない破滅の道を歩き出したのだ。


 四.

 集会が終わり、人々はまた旅立ち、星には静寂が戻った。
 残っているのはパートナーを見出せなかった者と管理者くらい。アジルはフェレスから逃げ回り、フェレスはアジルを求めて建物をさまよう。人々はフェレスの目に触れないようアジルを隠す。そんな日々が続いていた。
「オールト、私はどこに逃げればいいでしょう」
 ため息と共にアジルはオールトに漏らす。フェレスから逃げ回っていることで、皮肉にも以前より知り合いは増えた。けれど、突きつけられるのは自分が邪魔者なのだという現実。
「私にもわからない」
 オールトはアジルを見やりもせず問いかける。アジルがその台詞を言いはじめて、何回目になるだろう。
「私は――。私は、やはり故郷へ帰ろうかと思っています。私の身体では、旅をするのは無理ですし、故郷で私を知る人は皆、すでに滅していますから」
 アジルは自嘲し、
「母の種族は長くても百年程しか生きられません。彼らからすれば、私は化け物じみて長生きをしています。すでに三百年を超えて生きているのですから」
「我々からすれば三百年などあっという間だ。だからこそマリッドは哀しい。パートナーとなるものには特に」
 オールトは深く息を吸い、
「我々は孤独をもっとも恐れ、嫌う。君が死ねばフェレスは次回の集会で新たなパートナーを見出せるだろう。だが、次回の集会まで彼は孤独の中にいなければならない。パートナーを見出し、パートナーを失う恐怖。君には計り知ることなどできないだろう」
「私を殺さないのはその為ですか?」
 物騒な言葉にオールトは優しい笑みを漏らした。
「どんなに短命であろうと、我々はすべての命を尊重する。長命であることは、君が想像する以上に孤独なのだよ」
「私のこと、覚えていてくださいますか?」
「忘れはしないよ。君は――重要な情報の一部だから」
 オールトのお決まりの台詞なのに、アジルは嬉しくなる。フィフィス人は自分とパートナーの間にしか普通、感心を示さない。
「お元気で」
「ああ。君も元気で」
 オールトはアジルの顔を覗き込んだまま微動だにしない。
「オールト?」
「……不思議だ」
 オールトはつぶやく。
「私は今、君とまた、こうして話をしたいと思っているんだ。出来ないことだと理解しているのに」
 小柄なアジルを抱きしめる。オールトの突然の行動にアジルは驚く。
「君の星の習慣だろう? 別離のときに抱きつくのは。
 きっと、フェレスは君を追いかけていくだろう。彼の気持ちは誰にも止められない。パートナーがいない孤独は私にも、君にもわからないから。
 さようなら、アジル」
 息苦しいほど思い切り抱きしめられ、アジルはもがく。
「おや、情報は正確を欠いていたか? 別離のときの挨拶はこうするものじゃなかったのか?」
 不信顔のオールトがおかしくて、アジルは抱きつきかえす。
「オールトがこんなことをするなんて思わなくて……驚いたのです。いままでありがとう、オールト」
 アジルはフィフィス星を後にした。
 セグウェイは集会の後、アジルに別れを告げることなく新たなパートナーとどこへともなく旅立った。別れの挨拶などしないのが彼らの普通なのだ。だから、一層オールトとの別れにアジルは寂しさを感じていた。


 五.

 アジルはパートナーを見つけられなかったフィフィス人達のグループに送ってもらい、故郷へ帰りついた。星は木々の緑と海の青で輝いていた。美しかった。アジルは森の奥へ降り立った。そこはあの日、父であるマカフィと別れた場所だった。
 気持ちの良い風が吹いていた。梢を揺らし、爽やかな音をたてる。帰って来たのだ、そう思ったが実感は無かった。ここにはアジルを知るものは誰もいない。
 歩き出そうとしたアジルだったが、奇妙な静寂に辺りを見回した。
 風は変わらず吹いているのに、木々は風に揺られるのをやめている。誰かに探られているような気配。
 アジルが不信に思い、一歩踏み出す。それを待っていたかのように、歌声が響き渡った。
 懐かしい故郷の歌。
 歓喜の歌。
 大気全体を震えさせる大きな歌声。その声にアジルの帰還を歓迎する気配が混じっている。
 季節は秋のはずだったが、春の花々が咲き乱れ、夏の花々が乱れ咲く。
「お帰りなさい、アジル姉さん」
 女の声に、アジルは顔を向ける。自分に似た顔の女性が木の側に立っていた。
「あなたは――?」
「私はラムダ。あなたが旅立ってから生まれた、あなたの妹よ。こちらは私達の姉妹」
 手を添えた樹を見上げる。
 うねるような木々の合唱。小さな子たちが我先にと争うように、風の中にアジルへの疑問が提供される。アジルが旅立ち、孤独に耐えられなくなったマカフィが新たに生み出したマリッドがラムダであること。ラムダを一人きりにしてしまう罪悪感と、いつか帰ってくるアジルの為にマカフィが樹の間にマリッドを生み出した事――。
「父は、姉さんの事をずっと心配していたわ。最初からフィフィス人のことをちゃんと話しておくべきだったって」
 ラムダに言われて、アジルの頬を涙が伝った。父が自分のことを気にしているなんて、思いもしなかった。
「そうか、父が――」
 後から後からとめどなく涙は溢れる。
 呆然と木々の歌声に聞き入っていたアジルだったが、しばらくして頭が動き始める。なぜ父はこんなことをしたのだろう。まるで自分が死ぬことを知っていたかのようだ。父の寿命からすればまだまだ生きることができたはずなのに。
 アジルは自問し、苦笑する。セグウェイが言っていたではないか。パートナーが居なければ生きていけない、と。きっとセグウェイに新たなパートナーをみいだして欲しくて、父は死んだのだ。
 父はいつでも柔らかな微笑を浮かべているくせに、強情だった。絶対に自分の意見を曲げない人だった。父らしい生き方ではなかっただろうか。
「私達はこの世界に三人きりの姉妹なのね」
 アジルは嬉しかった。パートナーを見出し、彼から逃げだした彼女は、深い孤独の闇の中にいた。独りきりで生きることは苦痛だった。帰りの道中、何度も決心が鈍った。彼の元に戻ろうと思った。
「私、独りぼっちじゃないのね」
「いいえ」
 と、ラムダは首を振る。
「魔女がたくさんいるわ」
「マジョ?」
 アジルは一瞬、意味を見出せなかった。出発前には聞いたことのない、フィフィス星では聞いた事のある言葉だった。マリッドは混血、マジョは子孫――
「それは、もしかして私の……?」
 言葉にならなかった。子供は五人生み育て、それぞれ家庭をもった。孫もいた。それはずいぶん昔の話だ。
「そうよ。姉さんの子供たちの子孫。今ではたくさんいるのよ」
 責める口調ではなかったが、アジルは自分の血の気が引く音を聞いた。
「この子の子孫も世界中にたくさんいるわ。世界中にマジョがいるの」
 ラムダが樹を見上げる。木々は楽しげに歌っている。
 マリッドは災厄と破滅を招く存在。その子孫であるマジョはどうなのだろう? マジョに満ちたこの星はどこへ向かうのだろう……。


 六.

 フェレスは、しばらく前から喪失感に囚われていた。
 パートナーとしてアジルを見出したにも関わらず、なぜだか彼女に逃げられ、探し回る日々が続いていた。疲れているのだろうと思っていた。フィフィス星中、どこを探しても彼女はいない。探し出せない。
 集会もずいぶん前に終わり、仲間たちは皆、旅立っていった。残っているのは管理者と、パートナーを見つけられなかった者たち。孤独を分かち合いながら、次の集会が開かれるまで、ここで静かに暮らすしかない者たち。
「アジルはどこに?」
 オールトに尋ねるが、彼はいつでも、わからないと首を振る。
「お願いです。アジルが何処にいるか教えてください」
 何度目かの頼みで、オールトは情報整理の手を休め、重い口を開いた。
「君は別のパートナーを見つけるべきだ。彼女は短命すぎる」
「旅の途中でパートナーが死ぬこともあります。それでも後身と共に、この星へ帰り着く者は多い。ノイはそうでした」
 ノイは自分の前身のパートナー。
「……セグウェイもそうだった」
 オールトはアジルの父のパートナーの名をあげる。
「だが、彼女は我々とは違う。彼女はマリッドだ」
「何が違うんです? アジルは私のパートナーです」
「マリッドは――周囲を破滅させる。聞いているだろう?」
 フェレスは悔しげに唇を噛み締める。アジルを探すフェレスに、誰もが同じ警告をする。彼女に近づくな、彼女と関わるな、彼女を追いかけるな、と。
 けれど、パートナーとして見出したのにもかかわらず、彼女と共に時を過ごせないフェレスにとって、彼女を捜し求める今の時間は、彼女を喪失しているに等しい苦しみだ。
「お願いです、アジルは何処にいるんです?」
「彼女に旅は無理だ」
「会わせてください」
「ここにはいない」
「では、何処にいるんです?」
「わからない」
「あなたは知っているはずだ」
 フェレスはオールトの行く手を阻む。
「お願いです。アジルは、何処にいるんです? アジルは? 私のパートナーは?」
 オールトは深々と息を吸う。
「私はパートナーを持ったことがない。だから、君の苦しみは情報としてしか理解できない」
 オールトが何を言いたいのかわからず、フェレスはオールトを見つめる。
「――理解したくないといった方が、より正しい。
 管理者は孤独だ。だが、パートナーを喪失する孤独は……想像を絶するものだと聞く」
 オールトは逡巡するように口を閉ざし、観念したかのように再び口を開く。
「私は、同胞である君が破滅するのを見たくない。けれど、君は耐えられないと言う。きっとそれは、私には体験したことがないほどの孤独感なのだろう」
 データを呼び出し、フェレスの前に広げる。
「アジルはすでにこの星を去った」
「ではどこに?」
 オールトの指は広大な地図の上、フィフィス星から離れてゆき、辺境に近い星の上で止まる。
「ここにアジルが?」
 フェレスの問いに答えず、オールトは言う。
「マリッドは短命だ。我々にくらべ身体も弱く、一緒に旅をすることもできない。君はこの星にとどまり、次のパートナーを探すべきだ」

 旅立つ前、独りきりで旅をするのは、若いフィフィス人には無理だと散々言われた。けれど、フェレスは耐えた。パートナーのいない、独りきりの旅はどれだけ孤独だっただろう。
 アジルの星が近づき、彼は喜びの中にあった。美しい星だ。青に緑に白。さまざまな色があふれている。
 大気にふれる。ここにアジルがいる。同じ大気にアジルが包まれている。それさえもいとおしいく思う。柔らかな風が彼の髪をもてあそび、光りが踊る。
 楽園だ。
 フェレスは涙する。
 アジルの星は生命に満ち満ちていて、彼女の命の輝きのように美しい。彼女と眼を合わせたあの一瞬の永遠――彼女の眼の奥に感じた光りを思い出す。
 歌が聞こえる。木々がうねりながら、大きな歌声を上げる。歓声。歓迎。歓喜。大気を震わせ、フェレスを迎える。
 フェレスは泣き崩れる。
 アジルがここにいる、そう思うだけで、ずいぶん孤独が薄らいでいる。張り詰めていた気持ちが溶けてゆく。
 どのくらいそこにいたのだろう。
 木々がそっとささやくように、彼の背後に注意を促した。そこには少女が一人、隠れるように立っていた。
 色は違うが、アジルと同じくらいの長さの髪。どことなくアジルに似ていると感じてしまうのは、彼女と同じ星の人間だからだろうか。
「こんにちは。君はここの人?」
 少女は戸惑いながらも、大きく頷く。
「ここはとても美しいところだね。この森の木々の歌声も美しく優しい……」
 言ってから気づく。彼女には、この歌声を聞き取ることはできない。出発前、オールトにこの星の住人の生態を教えられていたのに――。
「ああ、人間には聞こえないんだったね。この森の奏でる美しい歌声が――」
「歌ってるんですね? やっぱり……」
 フェレスは怪訝な表情をし、
「君は人間ではないの?」
「わ、私は魔女……です。森の声は聞こえないけど、なんとなく感じるんです。この森はとても優しいって。それに、とっても美しい歌を歌ってるんじゃないかって」
 彼女のたどたどしい説明に、フェレスは何度も頷く。
「この森の歌声はとても優しくて、美しいよ。ところで、『マジョ』さん、君は人間とは異なるのかい? この世界は人間がいるだけだと思っていたんだが……」
「えっと……人間のほうが多いです。でも、魔法を使える人間のことは総称して魔女と呼ばれているんです。昔はこの世界には人間しかいなかったらしいんですけど、いつの頃からか魔女達もいるんです」
「へえ……」
 フェレスは黙り込んだ。この星はマカフィが『マリッド』のアジルを生んだ星だ。もしかして、アジル以外のマリッドが他にもいるのだろうか。
 彼女の言った『マジョ』という言葉。フィフィス語だと、混血の子孫と言う意味になる。これは偶然だろうか。

 木々は歌う。フェレスを歓迎する。けれど、アジルのことは、はぐらかす。隠してさえいるようだ。
「どこへ行けばアジルに会える?」
 何度たずねても答えは同じ。彼を歓迎するというばかり。彼に会えて嬉しいというばかり。アジルがフェレスから隠れるため、木々が匿っているなんて思いもよらなかっただろう。
 あれから何度か、マジョの娘と話をした。人間たちは短命だからか、忙しなく、忘却も早い。マジョの先祖のことも知らない様子だ。
 この世界は狭いようでいて広い。フィフィス星と異なり、生命が満ち満ちているのでアジル一人を見つけ出すのは容易ではない。フェレスは一旦、フィフィス星に戻り、オールトに相談することにした。
 次に帰ってくるときには、アジルが見つかるだろう。アジルがいるところが自分の帰るべき場所だ。


 七.

 木々は歌うのをやめた。それでも、サリシアは毎日、森へ向かった。あの人に会いたかった。名前も知らない、人間離れした美貌を持つあの人に会いたかった。けれど、時は過ぎた。
 あの人はまだ帰ってこない。もう一度だけ会いたかった。あの人が帰ってくると言ったから。あの人を、待っていたかった。無情に時は過ぎる。過ぎてゆく。
 永遠の命が欲しいとサリシアは願った。あの人を待つために、あの人に会うために。
 サリシアは魔法に助けを求めた。貪欲に知識を吸収し、応用し、魔法を極めていった。誰もが認める魔女になった。けれど、時は止まらない。サリシアの上を通り過ぎるだけ。
 あるとき、彼女の元を老女が訪れた。ルカ・ネメシスという、名の知れた賢者だった。
 永遠の命を欲するサリシアの思いをルカは知っていた。そのための魔法を彼女は知っていた。アジルの弟子として多くの英知を手に入れた彼女だったが、魔女ではなかったため、魔法を使うことはできなかった。
「永遠の命が欲しいのならば、若返りを繰り返せば良いの。あなたが魔法を覚え、私に魔法を使うと約束してくれるならば、私はあなたに若返りの魔法を教えてあげましょう。けれど、この魔法は定期的に使用しなければ効果を失ってしまうの……永遠を、二人で生きましょう」
 それは悪魔のささやきだった。けれど、サリシアは喜んだ。神に感謝した。
 ルカは、その魔法の副作用をサリシアに話さなかった。もし、魂が蝕まれていくと聞いていたら、サリシアはその魔法に躊躇していたかもしれない。けれど、サリシアはそれを聞かされてはいなかった。
 魔法を使った後、サリシアには時の流れが遅々としてうつろいゆくようにしか思えなくなった。あの人はまだ帰ってこない。時が早く過ぎ去ればいいと思う。早く帰ってきて欲しかった。


 八.

 久々にフェレスが見たフィフィス星は孤独だった。アジルの星は生命に満ちていたのに、フィフィス星にはほとんど生命がない。あれほど輝いて見えた集会の時でさえ、アジルの星ほどの賑わいはない。
「お帰り、フェレス。早かったな」
「私はまたすぐに旅立つよ。アジルの星に滞在したら、この星の静寂には耐えられそうもない」
 オールトはじっとフェレスの顔を見つめ、ポツリと呟いた。
「だから、マカフィはあの星で死ぬことを選んだのだろうな。
 管理者だった者がパートナーを見つけ、旅人になり、あんな生命にあふれた星にたどり着いたら……もう、旅は続けられない。
 長年、管理者を務めていた者にとって、パートナーを失う恐怖は大きい。だから普通、管理者になった者はこの星で一生を終える。旅人にはならない」
 オールトの独白。パートナーを持たない管理者は孤独だけれど、パートナーを失う孤独はもっと辛いという。
 マリッドとはいえ、パートナーのアジルのいない時間を過ごすフェレスに、オールトが優しいのはそのためかもしれない。
「オールト。アジルをどうやったら見つけられる?」
「その問いには答えられない。パートナーの君にしか彼女は見つけだせない」
 どうやら、この星で繰り広げられていた鬼ごっこをあの星でもするしかないらしい。あの広大な生命のあふれる地では、どれほど難しいことだろう。
 アジルのいる星の地理を把握したり、マリッドを追いかけていることを人々にいさめられたり、さまざまな雑事をこなしているうちに時間が経ち、出発するのにずいぶん時間がかかってしまった。
 マリッドであるアジルは今、四百歳を越えている。フィフィス人としてはまだまだ若いが、彼女の母の星の人々からすれば長い。彼女が再びこの星にやってくることは難しいのかもしれない。
 フェレスは支度を完璧に整えた。アジルと一緒に時を過ごせるのは、フィフィス人からすればわずかな間だろう。けれど、パートナーがいない時間を過ごすのは苦痛だ。


 九.

 アジルの星は、フェレスを百年前と同じ歓声で迎え入れた。長命な木々は、フェレスを覚えていた。
 歌声に浸る。
 アジルがいないのに、見つけ出せないのに、孤独が和らぐ。マカフィもこの星にいることで、パートナーのいない、絶望的な孤独を癒されていたのだろうか。
 木々の間にマジョの少女――サリシアの姿が眼に入った。以前より、成長しているが彼女だとわかった。久しぶりだねと、声をあげかけ、愕然とする。
 この星の住人は短命のはずだ。百年ほどで死ぬと聞いている。けれど、彼女は生きていて、以前とほとんど変っていない。
「君はなぜ死んでいない? 人間ならばもう滅しているだけの時が流れたはずだが」
「どうしても、あなたにもう一度逢いたかったのです」
 サリシアは絶望的な顔で泣きだした。フェレスは慎重に言葉を選びながら、サリシアに語りかける。
「それは、望んではいけないことだったんだよ。例え魔女であろうとも、君は人間なのだから」
 フェレスとの出会いが、孤独の中にサリシアを突き落としたのだと知る。短命種のサリシアが味あわなくても良かった、深い孤独の闇に。
 フェレスは初めて後悔した。アジルを追い求め、この星にやってきたことに。前回と同じ場所に降り立ってしまったことに。
「私は二度と再びこの地は訪れない。これで終り、永遠にさよならだ」
「そんな!」
「私は君に話し掛けるべきではなかった。君の幸福な人間としての人生を私が狂わせてしまったんだね……」
 フェレスは自嘲する。マリッドであるアジルに関われば破滅すると散々言われてきたが、マジョであるサリシアを破滅させたのは純粋種の自分だ。
「さよなら、なんですか?」
「ああ、さよならだ」
 去ろうとするフェレスをサリシアは抱きしめる。どこにも行かないよう、強く強く抱きしめる。
「どうして? どうしてです? 私は待っていたのです。あなたが帰ってくるって言ったから。だから、人であることを捨て、待っていたのです。この闇に満ちた世界で。闇の底でじっと。ずっと、あなたのことだけを考えて、待っていたのです」
 フェレスがサリシアの瞳の中に見たのは、禍々しい輝き。サリシアの悲鳴は魂の叫び。嘆き。苦しみ。全てを吐き出すように叫ぶ。
「私は。私は、私は、私は! あなたがいるから、生きていたんです。あなたがいるから、あなたに会いたくて生きてきたのです! やっと会えたのに、どうして。どうして!?」
 サリシアの孤独をフェレスは知っている。アジルに会って、知ったのだ。アジルと瞳を合わせた、あの一瞬の後からフェレスは知ったのだ。
 サリシアの腕をフェレスは振り払えなかった。サリシアが味わった孤独は、フェレスも味わった孤独だ。サリシアが味わった闇は、フェレスも味わった闇だ。
「お願いです、私を見てください。私は待っていたのです。あなたを。あなただけを待っていたのです。あなた以外、私には何も必要ないのです。あなたがいれば、あなたさえいてくだされば私は良いのです。どこにも行かないでください。私は、私にはもうあの闇を耐えられない。たった独りでなんて、耐えられない」
 サリシアは泣き叫んでいる。フェレスは優しく彼女を抱き返す。
「私も知っているよ、君が恐れる闇を」
 その一言に、サリシアは泣き止む。胸の奥に希望の光りが灯り始めるのを感じながら、フェレスを見つめる。
 フェレスは、泣き止んだサリシアを見つめ、言った。
「私も、アジルさえいてくれればいい」
 フェレスの一言に、サリシアの時が止まる。
「アジル?」
 恐る恐る尋ねかえした彼女に、フェレスは輝くばかりの笑顔で答えた。
「アジルは私のパートナーなんだ。私の、唯一無二の人。私がここにやってきたのは、アジルを探すためなんだ」
 サリシアの頭の奥で、うなり声が聞こえた。

「サリシア?」
 ルカの声に、サリシアは振り向いた。身体が強張っており、首をまわすのが難しかった。声が出なかったので、少しだけ首をかしげ、言葉をうながした。
「あなた、ここで何を――っ」
 ルカは言葉を飲み込んだ。数時間前、出かけてゆくサリシアを見送った時、彼女は美しく着飾っていた。とても幸せそうだった。なのに、そこにいたのはまるで別人だった。彼女は全身、赤黒く汚れていた。彼女は肉の塊を抱きしめていた。
 サリシアは壊れたのだと、ルカは悟った。それがいつからだったのか、知りたくなどなかった。ルカは後悔した。サリシアほど永遠を切望している魔女はいなかった。けれど、彼女をパートナーに選んだのは間違いだったと。これ以上、一緒に生きてゆく事などできない。
 ルカが永遠を願ったのは、英知を極めたいがためだった。師であるアジルを越えたかった。そのためには時間が足りなかった。人の一生よりも、もっと長い時間が必要だった。ただそれだけだった。こんな未来など望んではいなかった。
「あの人、どこ?」
 音にならない声をサリシアは発した。サリシアが待ち望んでいた人――ルカはサリシアの胸へ視線を向けた。サリシアが先ほどから大事そうに抱えているそれ。周囲に散った汚れや破片の大きさから見て、大形動物のようだった。人ほどの大きさ――。粉々に叩きつぶれた肉片からは、生前の姿を想像する事などできなかった。それを抱いたサリシアが気持ち悪くてたまらなかった。
「また、行ってしまったのかしら」
 サリシアは言う。そこに感情はない。ルカの口から音が漏れた。漏れ出した音は高くなり、悲鳴となり、絶叫となる。森中へ響き渡る。ルカはそれが自分の声だとは思わない。音は止まらない。
「ルカ――?」
 サリシアは不思議だった。どうしてここにルカがいるのかわからなかった。彼女はいつも部屋の中に閉じこもり、研究している人だ。幾日も飽きることなく、部屋の中にいることができる人。外出するなんて滅多にない。なのに、どうして外にいるのだろう。こんな場所で何をしているのだろう。
 目を見開き、口を大きくあけている。おかしな表情だ。こんな顔、初めて見た。百年以上、二人で暮らしてきたのに。ああ、うるさい。うるさくてたまらない。あの声をやめさせなければ。
 サリシアが手を伸ばした。彼女はひっくりかえる。腰が抜けたルカは手と足を使い、這うように後退する。サリシアから目を離せない。いつ彼女が飛び掛ってくるかわからなくて――。
「こ、来ないで」
 懇願する。サリシアが怖くてたまらない。永遠を彼女と共にすべきではなかった。彼女を選ばなければ良かった。後悔が押し寄せる。彼女が恐ろしい。彼女から逃げたい。離れたい。
「ルカ?」
「お願い。お願いだから私に近寄らないでちょうだい。ごめんなさい。どうか許して、私が悪かったから……」
 サリシアは立ち止まった。ルカの様子が楽しくて彼女を追い詰めていたけれど、彼女が泣き出して驚いた。ルカの顔中、涙で汚れている。それを拭おうともしない。
「どうしたのルカ。私は何もしないわ」
 助け起こそうとするが、逃げるばかり。
「来ないで! お願いだから、それを近づけないで」
 言われ、サリシアは気付いた。自分が何かを抱いていたことに。何だろうと顔に近づける。生臭い。赤い液体が腕を伝い落ちる。それが何であるのかわからなかった。生肉の塊――理解したが、どうしてこんなものをもっているのかわからなかった。
「これ、何?」
 サリシアの問いかけにルカは首を振る。言葉にならない声をあげ、震える指でサリシアの背後を指差す。
 草が、木々が汚れていた。赤黒い絵の具を巻いたように。あちこちに肉の塊が散らばっている。
「何があったのかしら」
 大型の肉食獣でも現れたのだろうか。風の向きによって、鼻が落ちそうな、酷い匂いに包まれる。大きな肉片をみやる。散らばる、高価そうな銀の糸――美しい髪。
 サリシアは思い出した。思い出していた。彼女の叫び疲れた喉は、悲鳴を発せられなかった。


 十.

 木々は全てを見ていた。フェレスとサリシアの出会いを。ルカ*ネメシスとサリシアの間で交わされた取引を。フェレスとサリシアの間であった出来事を。それらはすべて、仔細漏れることなくアジルに伝えられた。
 アジルは何も考える事ができなかった。パートナーを失う痛みは想像していたより大きかった。それは本来、マリッドの自分ではなく、純粋なフィフィス人であるフェレスが味わうはずの痛みだった。彼の苦痛が少しでも軽いようにと、アジルは彼から身を隠していたのに、彼が先に死んでしまうなんて思いもしなかった。
 彼の顔をまともに見たのは、フィフィス星の集会――あの一瞬だけだった。あの一瞬が永遠だった。彼の中にあった光りがあまりにも優しくて、眩しくて、恐ろしくさえ思ったことを覚えている。
 あの時、彼に感じた想いは、愛でも、恋でもなかった。自分自身、忘れさっていた半身を見つけたかのような安堵感。彼がいないのに、どうやって日々を過ごしていたのか、どうやって今まで生きてこれたのか不思議だった。だからこそ、逃げたのかもしれない。
 フィフィス人のパートナーに寄せる思いの大きさを実感すると、父がどうやって独りで生きることができたのか不思議だった。独りで生きるのは辛かった。
 茫洋としたまま、ラムダに連れられ世界を旅してまわった。良いことばかりではないが、悪い事ばかりでもない。楽しい事ばかりでもないけれど、苦しい事ばかりでもない。
 世界は変化していたが、変らないものもあった。人々は平和を望んでおり、紛争はどこにでもあった。アジルが星を離れる前と何も変らず、けれど、新しい命が世界にあふれていた。アジルは新しいパートナーを見いだせないまま、死んだ。


 十一.

 ルカはサリシアの前から姿を消した。サシリアがルカをようやく見つけだしたのは、魔法の効力が切れる直前だった。急いで魔法をかけなおさなければならかったが、ルカはそれを拒絶した。
 ルカは死んだ。魔法の解けたルカは塵となって、消えた。後には何も残らなかった。

 サリシアは小箱に美しいあの人の遺物を収め、共に世界中を放浪した。魔法の効力が切れる時期はとうに過ぎていたのに、サリシアは死ななかった。老いもしなかった。
 長い長い、永遠と続く孤独だった。美しいあの人を待っていた時間、あの時感じていた孤独など比ではない。
 たださ迷った。世界中を。あの人の影を追い求め、小箱の中のあの人に語りかけながら。季節が変り、木々の色が移ろいゆく世界が恨めしかった。
 戦争や戦乱に便乗し、気のすむまで暴れてみたりもしたが、ウサ晴らしにもならなかった。全てに絶望し、あの人に会いたいと切望し、街を破壊し、あの日のように、あの人に抱きしめられたいと願い、いら立ちまぎれに目の前のものを消滅させ、目の前のものを殲滅した。
 何をしても孤独は癒せない。闇が深くなっていく。死にたかった。けれど、死ぬことができない。夢に何度も美しいあの人とルカが現れた。何度くり返し夢見ても、彼らはサリシアを残していってしまった。サリシアは孤独感にさいなまれながら目覚める朝を繰り返した。
 私は狂っていく。このまま闇に囚われ、堕ちていくのだ。
 サリシア自身わかっていたが、どうすることもできなかった。サリシアが自分自身にかけた魔法は、呪いに近い種類のもので、サリシアの魔力が弱まらない限り、解く事ができなかった。けれど、どんなに時が経とうとも、サリシアの魔力は弱まらない。弱まる気配もなかった。
 美しいあの人に会うためには、永遠に近い生命を得るためには、他に方法がなかった。けれど、これほど長い時を生きることになるとは思ってもいなかった。
 さ迷い歩くのにも疲れ、サリシアは荒れ果てた森に住み着いた。木々も心を閉ざし、歌うこともない。うら寂れた土地だったが、そんな場所の方が、サリシアの心情に合っていた。

 住み始めてずいぶん経ったある日、赤子を拾った。戦争孤児なのだろう。森に独りで捨てられていた。
 サリシアはその子をルカと名づけた。その名は、古い神話に出てくる儚い妖精の名でもあった。弱りきった赤子はすぐに死んでしまうだろうと思っていた。だが、ルカは見る間に大きくなった。すくすく成長した。このまま彼は歳をとり、サリシアを残して老衰を迎えるのだと思うと、腹立たしくなった。サリシアは耐えられなくなり、ルカに若返りの魔法をかけた。彼と、永遠とも思える時間を共に生きようと思った。

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