Love Story

失恋

「なあ樋口、もう呑みすぎだよ」
 心配げな河野と対照的に、
「野暮な事言わないでよ、先輩。沙織、今日はとこっとん」そこで息を溜め「呑まなきゃダメよ。なんてったって先輩のおごりなんだし……酔って何もかも忘れ去るのが一番よ」
 空いた樋口沙織のグラスと、まだ半分残っている自分のグラスを交換する新山明海。
 ここは全国にチェーン展開している居酒屋の個室。こうして三人集まって呑む事はあるけれど、沙織はいつも保護者役。彼女がここまで呑むことはない。
 沙織が今日、浴びるように呑んでいる理由は、もうすぐ卒業する小川が婚約したことを少し遅い新年会を兼ねた部会で報告したからだ。
 沙織はずっと小川に片想いしていた。河野は歯がゆく思いながら、ずっと横から見ていた。小川に彼女がいることは部内の誰もが知っていた。それは沙織も。だから、沙織は小川を見ているだけで、決して気持ちを伝えようとはしなかった。だから河野も、何も言わず沙織を見ていた。
「新山。誰がおごりなんて言ったよ」
 沙織の友人だとは信じられない、いまどきのギャルっぽい格好をした明海を睨む。
「せんぱぁい」
 と、明海は品をつくり、
「可愛い沙織が落ち込んでんだから、ドーンと気前のいいところ見せてくださいよお」
「それとこれとは話が別だろ。それに……そんなに持ち合わせない」
「カードあるでしょ、クレジットカード」
 にっこり笑顔。
「何で知ってる? ってああ、こないだ作ってもらったもんな」
「そうですよお。部内の何人が先輩のバイト先でカード作ったと思ってるんです?」
「そこお、ごしょごしょ煩い」
 られつの回らない口調で沙織が言う。グラスはいつの間にやら変わっている。
 店に入って三十分経っていないはずだ。なのに、すでに何杯目だろう。ウワバミだったっけ? と、河野は引いた顔で沙織を見やる。ほろ酔いなど、とうに通り抜けて、顔色は茹蛸のような色。
「大丈夫か? 樋口、かなりヤバイ顔色になってるぞ」
「沙織、アルコール呑むとすぐこうなるんですよ。だから、普段は呑まないの。相当いける口なんですけどね」
 言いつつ、明海は店員に追加オーダーを頼む。
「ここからここまで。一杯づつ、全部一緒に持ってきてください」
 酒の頼み方が豪快すぎる。
 数分して、テーブルの上には運ばれてきたカラフルなグラスが並ぶ。まるで理科の実験のようだと河野は思う。沙織は手近なものに手を伸ばし、明海は綺麗な水色のグラスを取る。
「先輩も飲みましょう。ほら」
「いや、俺はもう良い」
 一番安いウーロン茶を注文する。明海の近くにあったメニューも回収し、これ以上、会計が増えないようにする。
 沙織はしばらく景気良く呑んでいたが、やがて机に突っ伏し愚痴りだした。酔っ払いはしつこい。何度も同じ話を繰り返す。話は全部、小川の事だ。
 今日は仕方がないとはいえ、河野は面白くない。惚れた女の口から、別の男の話を聞くなんて。
「ぐだぐだぐだぐだ言ってないで、次はカラオケ行きましょ、カラオケ」
 明海は沙織を引きずって店から出てゆく。レジで会計を済ませ、河野は店を出る。二人の姿はない。どこへ行ったと二人の姿を探しながら、一番近いカラオケボックスへ足を向ける。二人の姿はない。
「あいつら、どこ行ったんだ?」
 携帯を取り出し、電話を掛けようとしたところで、明海から着信。
「先輩、西の角んとこのボックスですよね? 先に部屋、取っといてください」
「お前らどこにいるんだ?」
「ちょっと――」
 と、何やら向こうでくすくす笑い声。
「あ、沙織それ良い。それ買いだわ……まあ、ちょっとした野暮用なんで、すぐそっち行きます」
 ぷつんと一方的に通話は途切れる。
 不信に思いながらも、河野は部屋を予約する。ロビーで待っていると、数分して明海と沙織は現れた。
 酔いが一山越したのか、眠そうな沙織と、テンションの高い明海。通された部屋で、明海は片っ端から曲を入れていく。
「さあ、歌って歌って歌いまくって。沙織、ぱーっと楽しみましょ」
 とは言うものの、マイクを握って離さないことで有名な明海から順番が回ってくる事などほぼなく、マイクを渡された沙織も知っている歌の時にデュエットしているだけだ。
「盛り上がってきたわね」
 と、明海は鞄から包みを取り出す。
「さあ、沙織」
 言われて沙織は、渡されたカチューシャを頭につける。大きなため息をつきながら、河野を真正面から見つめる。
「可愛いですか?」
 嫌々ながらに言わされている感強めな上、目がアルコールで据わっている。そんな猫耳カチューシャ姿の沙織の問いに、河野は言葉に詰まる。
「ええっと……何だ、これ」
 明海に説明を求める。
「可愛いでしょ? ほら、さっきのお店。先輩におごらせちゃったからサービスしなきゃと思って」
 明海の頭には、ぼよよんと揺れる星のついたカチューシャ。
 河野は深々ため息をつく。
「可愛いでしょ」
 重ねて明海。横目で沙織を見やり、河野を真正面から見る。
 失恋した女の自棄酒に付き合う――河野は役得など狙ってはいないけれど、いつも以上に沙織のガードは甘い。いつもは河野を嫌がって、近寄るだけでも睨んでくるくせに、今日は沙織の方から河野にべたべたしてくる。
 酔っての事だと河野はわかってはいても、嬉しいのは確か。こんな状態の彼女に望みを持ってはいけないけれど、わずかばかりとはいえ期待してしまうのはいたしかたない。けれど、これは――
「嫌がらせの間違いだろ」
 河野の答えに、明海はにっこり微笑み、
「じゃあ、そうしたくなる私の心境もわかってくれてますよね、勿論」
 言う。
 河野が明海に告白されたのは、ずいぶん前の事だ。
 傍から見ていれば、河野と明海が付き合っていて、明海と仲の良い沙織が空気も読まず、一緒にいるように見えるらしい。実際は、良くある三角関係だ。ただ、沙織は河野の気持ちも明海の気持ちも知らず、逆に河野と明海は互いの気持ちを知っていた。
「友人として、落ち込んでる沙織を慰めるためにできるだけのことをしたいんです」
 沙織が歌い始め、明海は声が聞こえるよう席を移動し、河野へ耳打ちする。
「先輩ならば絶対、沙織に優しくしてくれることもわかってるし、そうなれば良いなって思う部分も心の片隅にはあるんです」
「……協力してくるってことか?」
 ぽつりとつぶやけば、
「それは無理です」
 魔女の如き顔で明海が微笑む。
「先輩がこんな千載一遇のチャンスを利用できるような性格じゃないってこともわかってますし」
 河野は言葉を返せない。
 その言動から適当だと思われているが、河野はひどく真面目だ。そんな部分が明海は好きになったが、面倒くさくもある。何度告白しても、河野は沙織に目を向けたままだ。沙織はきっとずっと、河野の想いに気づかないだろう。そしてたぶん一生、明海は振り向いてもらえない。
 言葉もなく、互いの目の中を覗き込む。そこにある、巖の如き想いを確認する。それは当面、崩れそうな気配もない。
「ちょっとお……二人とも、私の歌聞いてる?」
 沙織に答える代わり、明海と河野はやんやと拍手。歌う沙織に目を向け、話を続ける。
「先輩。私を好きになったら楽ですよ」
「わかってる」
 明海は微笑む。
「また、振られちゃった……最後の告白だったのにな」
「最後?」
「これできっぱり、先輩をあきらめます。私、いつまでも振り向いてくれない人を追い続けるほど辛抱強くないですから」
 明海は立ち上がり、マイクを持って沙織の歌に参加する。それから二時間、二人は歌って歌って歌い続けた。

 カラオケも終り、解散することになったが、カラオケでテンションのあがった沙織が再び呑むと言い始めた。
「ダメだ。明らかに呑み過ぎだろ」
「先輩、沙織失恋しちゃったんだから優しくしてあげてくださいよ」
「新山、お前まで何言いだすんだ。夜も遅いんだから帰れ」
「お父さんは心配性なんだから」
「誰がお父さんだよ。おとなしく帰って寝ろ」
「私、まだ呑む」
 手を上げて沙織。
「帰れって」
「沙織、財布置いていったら呑めないわよ。はい」
 と、明海は沙織に河野の腕を持たせる。
 引きずるように沙織は河野の手を持って歩き出す。
「ちょっと待て。もう呑まないって言ってるだろ」
「まだ呑む」
「呑み過ぎだって」
 飲み屋街に消えていく二人にバイバイと手を振りながら、明海はため息をついた。
「失恋、しちゃったな」
 くるりときびすを返し、駅に向かって歩きだす。後ろから聞こえてくる二人の声が小さくなってゆく。
 ほろり、涙があふれてこぼれる。
 なんでだろ。
 明海は涙を拭いもせず歩く。
 先輩を振り向かせるなんて簡単だと思っていた。先輩は部内のムードメーカーで。誰からも好かれていて。明海が河野と出会ったとき、河野は彼女と別れたばかりだったし。
 なんでだろうな。
 河野は後輩を分け隔てなく可愛がっていた。沙織も、最初はその一人でしかなかった。河野の目には沙織はずっと後輩の一人として映っていたはずだ。
 どうして、私じゃだめだったんだろう。
 いつ、彼の中でそれが恋に変ったのか、誰にもわからない。けれど、沙織への恋心を認めた河野は一度も、沙織から目をそらさなかった。
 高校生に間違われるほど、化粧っけもなく、服装も垢抜けない。人見知りがあり、つっけんどんな物言いをする沙織のどこが良いのか。友人の明海にならわかる。それを河野がどうやって見抜いたのか、考えれば考えるほど虚しい。
 振られちゃったな。
 胸の奥にぽっかり、穴が開いたようだ。それはとても苦しくて、寂しい。
 沙織も今日、同じ思いをしているのだと思うと、何だか笑いがこみ上げてきた。涙を流しながら、明海はくつくつ笑う。
 河野の想いはどうなるだろう。失恋するように半分願い、成就するように半分祈る。みんな、幸せになれば良いと思う。
 明海は駅前を通り過ぎ、隣の駅に向かって歩く。冷たい風が頬をなぜる。それが気持ちよくて、歩き続けた。

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『失恋』をご覧いただきありがとうございました。〔2012/01/31〕

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