青の病

彼の病

「おいおい、そんなこと――」
 あるわけが無い。
 間宮は上げかけた声を無理やり押しとどめる。だが、唇はその形を作り上げる。
 須藤は読み上げを邪魔したことへの憤りからか一瞬険しい顔で睨み付けはしたものの、再び報告書を読みあげてゆく。
 薄くなってきた灰褐色の髪をなでつけながら、間宮は報告書を事務的に読み上げる須藤の横顔を見つめる。
 年齢不詳の、実直なサラリーマンといった風体。特徴がありそうで、印象は極端に薄い。そこはやはり探偵だからなのだろう。こちらが依頼した調べ物に関して、彼ほど正確に、そして完璧に調査してくる男はいない。それはわかっている。だが、信じられない。
「この症状は一般的に『不老不死』と言われ――」
「いや、だが……」
 果たしてあり得るだろうか? 不老不死など……ガン細胞でも無いのに?
 再び上げた戸惑いの声を須藤は完全に無視し、感情のともなわない声で書類を読み上げてゆく。
 混乱した間宮の頭に須藤の声は素通りしてゆく。

 一通りの説明を終え、須藤は料金明細の入った封筒を机の上に置く。
「今回は調査になかなか骨が折れましたので、いつもより若干請求金額が高くなっておりますが、お得意様ですので多分にサービスした結果だということをご理解ください」
 愛想のない顔で言い放ち、資料と報告書一式を積み上げる。そう、積み上げるというにふさわしいほどの量。どこの国の物とも判断しにくい文字が書かれた古文献のコピー、胡散臭い書籍が数点。
 これらを貰い受けたところで、妻に見つかれば確実にごみ箱行きだろう。
 間宮はふと、笑みを漏らす。
 彼にとって重要な物も、彼女にとってはごみに過ぎない。互いに歩みよる努力など結婚当初から無く、以後ずっとその関係は続いている。結婚など二人にとっては政略的なものに過ぎなかったのだから。
 そんな間宮の様子など構いもせず、須藤はいかにも商売用といった笑みを貼り付け、
「またのご利用をお待ちしております」
どこだかのテレビコマーシャルと同じ台詞を言い、帰っていった。可愛らしい女性が微笑みながら言うのと、須藤では受ける印象が全然違う。
 この資料をどうしようかと思案しているところでノックの音が部屋に響いた。
「先生、」
 事務方を受け持っている三宅圭子が返事も待たず入室する。古だぬきの彼女に遠慮などという概念はない。
 壁掛け時計は午後三時過ぎであることを告げている。須藤が来てから一時間ほど。相変わらず無駄が無い。
 三宅は目の奥を輝かせながら名刺を差し出す。名刺を受け取り、机の上に放り投げる。仕事はきちんと片付けてくれるが、少々詮索好きなところいただけない。
「そちらの女性がどうしても先生にお会いしたいと。須藤さんがいらっしゃる前からみえられているのですが――」
「アポイントメントの無い人間と会う気などないと伝えてくれ」
 いつも通りの指示。何時間粘られようとも、不必要な人間に会う時間など浪費でしかない。
「そうお断りしたのですが――」
 三宅は答えながらも、机の上に視線をやる。そこには間宮が受け取りはしたものの、興味なく投げた名刺。
 間宮はしぶしぶ名刺を取り上げる。真っ白でちょっと分厚い、どこにでもある名刺。住所や連絡先は記されておらず、肩書きと名前がただ二行。

『不老不死友の会 藤見リツ』

 秘書が興味深そうな顔をしていたわけだ。『不老不死友の会』の『藤見』さんとは洒落ている。おそらく本名ではあるまい。
 須藤の調査結果を聞くまでは相手などしなかっただろう。だが、すでに聞いてしまった。会わないわけにはいかない。
「先生、どういたしましょう」
「呼んでくれ」
 間宮は大きく溜息を吐いた。
 須藤一人でもすでにくたくただというのに、まだまだ今日は終わりそうも無い。

***

「こんにちは。お会いできて光栄です」
 女は貼り付けた笑みとともに言葉を切り出した。常套句なのだろう。ずいぶん舌の滑りが良い。
 直線的な黒のスーツに、綺麗に切りそろえられた黒髪。三十路前といったところだろう。
「藤見リツと申します」
 脇に抱えた黒い小さなバッグからもう一枚、名刺を出す。無駄の無い仕草。
 一瞬、須藤の顔が頭をよぎる。だが、あの男とは雰囲気はずいぶん違う。こちらが椿の花のようであれば、須藤はせいぜい杉の木といったところか。実用一辺倒で干渉には向かない。
 一見、いやどう見てもおかしな人間には見えないが、たいてい誰でも皆、精神医学的にみればどこかおかしなものだ。症状が重いか、軽いかの違いでしかない。
 須藤が先ほどまで座っていたソファーに腰掛けるよう勧る。
「――で、どのようなご用件で?」
 わかっていて尋ねる。
「あら先生、ご冗談を」
 ころころと、鈴が鳴るような笑い声。見た目よりも案外若いのかもしれない。
「征司のことですわ。先ほどの――須藤さんから全てお聞きのことと思いますけれど?」
「す、須藤君と知り合いかね?」
 声が上滑る。ポーカーフェイスは苦手だ。
「先生は征司を調べることによって、不老不死の存在を知り、須藤さんによって確認されたわけでしょ?」
「……」
 言うべき言葉が見つからない。
「残念ですが知られた以上、先生には二つの選択肢から今後の人生を選んで頂かなければなりません」
 スカーフの色を赤にするか青にするか、そんな些細なことを決めろとばかりの声色。
「一つ目、見聞きした一切に関して沈黙し、以後追求などせず、全てを墓場の中まで持ち込む。二つ目――」
「ちょっと待ってくれ」
「何です?」
「私が口を閉ざしたからといって、須藤の調べたことは揺らがない、だろ? 私が発表しなくとも――」
「二つ目、」
 女は強い口調で言葉を続ける。
「この病院、ならびに先生のご自宅から半径二キロメートル以内の全てを破壊。さ、どちらがよろしいですか?」
 オススメは一つ目ですが、と微笑む。その笑みは最初のものと変わらなかったが、受ける印象は不気味なものへと変容していた。
「それじゃ君達も――」
「不老不死、と申し上げたはずです。確かに、ずいぶん痛い思いはしますが……どうしようもありませんでしょ?」
 崩れ去った建物の残骸と、人の形を留めていない屍。
 立ち上がる二人の影。
 若い女と、少年。
 傷だらけの身体を引きずりながらも、ゆっくりと歩み去ってゆく――そんな光景が脳裏に浮かび、間宮は顔色を失った。
 不老不死であるならば有り得ない絵ではない。だが、そんな兵器をどこで……いや、不老不死の人間に常識など通用するわけがない。彼らの時間は長く、知るすべはいくらでもある。
 不老不死であるのならば、世界大戦前から生きているとも十分考えられる。その頃の兵器を持っているとしても何ら不思議は無い。
 畳み掛けるように女は言葉を続ける。
「どうなさいます? 制限時間内にお答えいただかないと、どのみち二箇所への攻撃をしなければならないのですが」
「罪の無い人々をも巻き込むと?」
「罪の無い人などいるでしょうか?」
 間宮は言葉を失う。
 確かにそんな考え方もある。嘘をつく、小さな虫を殺す、生きているだけで大なり小なり人は皆、罪を犯していると。
「だが、」
 極論過ぎる――上げかけた言葉を女は遮る。
「猶予は無いと申し上げたはずです。お答えは? 私と征司があと――」
 と、壁掛けの時計を見上げる。時計の針はちょうど三時半を指している。
「三十分以内にこの建物から出なければ、遅くとも一時間以内には」
「だが、手続きに一時間はかかる」
「一分一秒たりとも遅らせることはできません」
 女は微動だにせず、じっと間宮の瞳を見ている。いや、見ているようで何もそこには映していない。ただ、研ぎ澄まされたナイフのような沈黙。
 それに耐えられなくなったのは間宮だった。
 普通の人間にとって時間とは有限でしかないものだが、不老不死の彼らにとって時間は無限だ。そんな彼らが時間を一分一秒たりとも遅らせることができないとは笑える話だ。
 いや、そうか。結局どちらでも構わないのだ。選択肢など最初から無いのだ。そこにあるのはただ、目的達成のための手段。穏便に済ませるか、そうではないか。ただその二択でしかない。
 人死には、彼らにとってあまりにありふれたもの。どれほどの人間が死のうが、どのような死に様をしようが、彼らにとって、それは通り過ぎてゆく一陣の風に過ぎない。感情がないのではなく、当たり前のことでしかないのだ。
 直感だったが、確信でもあった。
「わかった」
 間宮は乾いた声を搾り出し、受話器に手を伸ばす。指先は震え、冷たい。だが、額には大粒の脂汗。
 不老不死の人間はもはや人間ではない。人の姿をした怪物だ。悪魔だ。
 いつもより長く、遅く感じるコール音。
『はい、先生』
「三宅君か?」
『はい』
「例の患者の退院手続きを」
『は?』
「先生、」
 藤見リツは穏やかな声を上げる。
「そちらの手続きなど私達にはどうでも良いのです。征司をここへ呼んで下さい」
「あ、あぁ例の患者を私の部屋へ」
『あの、手続きが――』
 間宮がおかしいことを感じ取ったのだろう、三宅が気を聞かせるが今は一分一秒が惜しい。
「今すぐだ。手続きは後でいい」
 怒鳴りつけるように言い受話器を置くと、椅子へとなだれこむように尻を落とした。これほど疲れたことなどない。
「お疲れ様でした」
 女は再び微笑みを浮かべている。須藤など比較にならないほど憎らしい顔だ。

 坊主頭の少年は初めて踏み入れた院長室を興味深げに眺め、藤見リツに剣呑な瞳を向けた。
「お前か」
 やはり顔見知りらしい。
 間宮は人心地つく。いつもながらに征司は横柄な態度であるが、女に比べればまだ親しみが持てる。作った感情しか見せない人間ほど気味の悪いものは無い。
「お久しぶりです、征司さん。元気そうね」
 間宮に向ける笑みと変わらない表情。
「あぁ、ここは待遇が良いからな」
 征司は入り口付近の壁にもたれかかる。
「さ、帰りましょうか」
 女が立ち上がり、部屋を出る。
「征司さん?」
 後に続かない征司に、藤見リツは初めて仮面をはずす。瞳の奥に苛立ちと、疑問符が浮かんでいる。
「俺はここにいる」
 征司は藤見リツが座っていたソファーの対面へ腰をおろす。
「本気で言っているの?」
「あぁ。ここは居心地がいいんだ」
 間宮は心の中で絶望の声を上げる。何でもいいから早く立ち去って欲しい。
「征司君、頼む。彼女に従ってくれ――」
「先生、」
 征司は不敵な笑みを浮かべる。
「この女の言っていることは全部でたらめだ」
「……!」
 暗闇で背後から殴られたかのような衝撃。
 確かにその可能性はある。ありえる。だが、征司は確かに不老不死なのだ。須藤の探索にが外れたことなどほぼ無いのだけれど。
 藤見リツは明らかに慌てた様子で、声を荒げる。
「征司!」
「りっちゃん、先生もそれが真実がどうか知りたいって顔してるだろ?」
 鼻歌など歌いながら、ソファーへ反り返る。
「先生、征司を外へ連れ出すのを手伝ってください。もう時間がありません」
 リツは征司を背後から抱きかかえ、引きずるように戸口へと向かう。高いヒールブーツのせいもあるだろう。征司は一切抵抗していないが、カタツムリの行進のように遅々として進まない。
 時計を見上げる。四時まで、彼女が言う制限時間まで五分を切っている。
「先生! うちは無駄な人死にやこぉ見とぉ無いんじゃ! お願いじゃけぇ、手伝ってぇな! 征司は面白がってとるだけなんよ!」
 切羽詰ったのか、藤見リツの言葉遣いが変わる。これが素なのだろう。
「わけがわからない」
 焦る藤見リツと、落ち着いた征司。どちらが正しいのか。
「ウチと征司が玄関から出んと、あいつらほんまに攻撃する気なんよ! じゃから、早ぉ、頼むけぇ!」
 間宮はふらふらと征司に近づき、足を抱え上げる。二人して、汗だくになりながら玄関に到着したのは四時まで数秒を残すところだった。

「惜しかったな」
 四時のチャイムが鳴り始めると征司は立ち上がり、面白くもなさそうに背伸びした。
「征司!」
 女は怒りの表情で怒鳴りつける。
「あんた、やってええことと悪いことの区別くらいあるじゃろ! この態度は何や! 上が本気じゃって事くらいあんたわかっとるじゃろ!」
 ヒステリックに怒鳴り散らす。
「りっちゃん怖い」
 当の征司はおどけた仕草で身をすくませる。
「怖いで済むか!」
「その、君――」
 なんと声をかけてよいものか、間宮は戸惑いつつも声を上げる。
「あの選択は真実だったのか?」
「そうじゃ。あいつらの考えは好かん。なんでも暴力沙汰で解決させようしてからに。人の命をなんじゃと思ぉとんじゃ」
 怒りが収まらない様子のリツは足音を立てながら一人、通りへ向かう。
「あの、征司君は――」
「知らん」
 間宮の問いかけに振り向きもせず、早足で駅のほうへ歩いてゆく。征司は頭の後ろで組んでいた両手を解き、大きく息をつき、呼びかける。
「りっちゃん、俺のお目付け役の癖に任務放棄か?」
「知らん」
「知らんって俺、ちょっとやり過ぎた?」
 反省の色など欠片も無い征司が間宮に尋ねる。間宮は蝿を追い払うように手を払いながら、
「とにかくもう出て行ってくれ。私はもう疲れた」
 院内へと引き返し、内部から鍵をかける。征司の顔も見たくないのだろう。そのまま奥へと引き上げてゆく。

 征司はポツリと呟きをもらす。
「りっちゃんを傷つけるようなことはあいつら、しないと思うんだけど。なぁ、須藤ちゃん?」
 影のように物陰から姿をあらわす須藤。
「気づいてたんですか。私は何でも屋では無いんですがね」
 能面のような表情の無い顔。口調にもなんら表情は無いが、どうやら腹を立てているらしい。突き出すように大きな封筒を差し出す。上に言われて持ってきたのだろう。
「仕方ないじゃん、下っ端なんだから」
 征司は不敵に笑いつつ、中身を確認する。
「へぇ、りっちゃんまた住処変えたんだ」
 新たな住所と、その近辺の地図。そしてリツが住んでいるアパートの、隣の部屋の鍵。
「りっちゃんの味噌汁、絶品なんだよ」
「――みたいですね」
 須藤の言葉に、征司は三白眼になる。
「なんで知ってんだ?」
「リツさんに同居人が出来まして。その方から色々聞いてます」
 答えにくそうに答える。征司はとにかく気分屋だ。上層部の中でも扱いにくい人間の筆頭に誰もが名をあげる。
「最近確認された新たな少女です。資料は同封しています」
 全ての言葉を言い終わるまでもなく、征司は目を通している。
「なるほど。インプリンティングみたいなものか」
「えぇ、まぁそういうことで――『苛めないように』と長老の伝言です」
「はいはい。爺さん達は心配性だな」
「あなたのその態度は誰であろうと不安を抱かせますよ」
「的確な答えだな。マイナス五万点」
 須藤の額に青筋が浮かぶが、征司は気にもとめない。
「どこへ?」
 歩き出した征司に声をかける。征司がどこへ行こうと知りたいとも思わないが、物事をきっちり処理しなければ気がすまない性格だ。
 征司は振り向き、笑みを見せる。
「帰るんだよ、家に」

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『彼の病』をご覧いただきありがとうございました。〔2007/07/19〕

『青の絆』としてUPしてた小説の前半部分ですが…後半がどうも上手くいかないので、ここまでで切りました。
下読みしていただいた林さん、ありがとうございました。

2012/01/18 訂正

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