獲物と彼女と長谷川と。

 真夜中。辺りに人影などない。肌を刺すような冷たい大気の中、星々がきれいに輝いている。街灯は少ないが、意外に明るい。
 動きやすい黒のスポーツウェアに身を包んだ平松弥生は震えていた。寒さよりも、興奮ゆえに。
 怪盗になることは、彼女にとって幼い頃からの夢だった。ある怪盗の一味に入り、三年、下働きとして技術を磨いた。この山は、ボスから頭として任された、初めての仕事。だから、喜びもひとしおだ。
 怪盗と言うと、一般的に足跡も残さずスマートに宝石類を盗み出し、後にカードなどの自分のサインを残し、消え去る――そんなイメージを持っていると思う。しかし、実際の所、怪盗は相当数の人員から構成された団体組織だ。
 獲物の情報を特別ルートから買い取ると、まず入念な下見をする。それによって、決行日や、現場の配置人員が決まる。道具類を揃え、現場での動きを全員で何度もシュミレートし、秒単位のタイムスケジュールを組み、そうしてやっと、決行日を迎えることが出来るのだ。
 スマートに物事を行うには、事前の綿密な下準備が必要だということを、弥生はこの組織に入って理解した。この日の為に、トレーニングだって行ってきたし、食事だって気を使ってきたのだ。

 道路の反対側に立つ、市立博物館を見やる。施設は古い。警備体制なんてあってないような代物で、子供の使いレベルなのは前もって調査済み。だからこそ、ボスは弥生にこの山を任せたのだろう。
 今回の獲物は魔法アイテムだ。怪盗が狙うにしてはちゃちいと、普通の人は拍子抜けするかもしれない。一般の人々は、怪盗が狙うものといえば、高価な宝飾絵画だっていう固定観念があるだろう。けれど、そういったものは、闇ルートでさばくのが結構面倒な代物なのだ。現金は警備が厳重で盗み出すのは面倒だし、宝飾絵画は盗んでもさばくのに時間がかかる上、足がつきやすい。その点、魔法アイテムはたいした管理もされていない場所に保管されていることが多く、早くさばけ、意外と金になる、怪盗からすればボーナスみたいなものだ。
 この市立博物館には、数ヶ月前、亡くなった魔法使いの遺族からある魔法アイテムが寄贈された。昨日から展示されているのだけれど、前売り券どころか当日券もかなり、枚数がはけてないってのが現状。お金出してまで何の効果があるのかわかりもしない、見た目はちゃちな、呪われた魔法アイテムなんて見たいと思う物好きなんていない。
 弥生は腕時計で時間を確認する。耳にはめたイヤホンマイクで仲間に確認。
「みんな、定位置についた?」
 一人づつ、決められた順番で決められた合図を返してくる。何も異常はない。
「開始まであと五秒」
 カウントダウンの声は、少し離れた場所に止めたワゴン車の中から。ゼロという言葉と共に流れ出すクラシック音楽。昨日までの練習通り、一人一人が駒として、時間通り、完璧に動く。だからこそ、捕まりもせず今までやってこれたのだ。
 敷地に進入。関係者通用口を開錠、館内へ進入。警報装置は無事に騙されてくれている。
 廊下を進み、リズミカルに階段を上がり、展示室へ。獲物以外、目をやらない。展示ケースの鍵を開ける。コンパクト大の赤いガラスの石。これが今回の獲物。魔法を閉じ込めることができる魔法石というヤツだ。
 全ては順調。拍子抜けするほど、あっけないが、弥生の計画が完璧だという証明でもある。次回は、ボスがもっと大きな山を任せてくれるだろう。にんまりしつつ、弥生は魔法封じの布でそれを包み、ウエストポーチへ入れようとして「っひゃっ」声にならない悲鳴を上げた。
「どうした?」
 すかさず異変を察した仲間の声。
「撤収」
 弥生は短く告げる。途端、通信が途絶え、ノイズ音が耳に響く。仲間の気配が消えてゆく。誰も弥生を助けに来るものなどいない。それも掟。トカゲの尻尾切りと同じ。非情であることも、追跡をかわす上で大切なこと。
 これで、弥生が知っている仲間たちとのコンタクト方法は全て切り捨てられる。横のつながりなどないから、弥生は証言しようもない。仲間達に捜査の手が伸びる事はない。
「俺が思っていた通りだな」
 男の声。明かりのない空間に、黒ずくめの男が隠れていた。気づかないはずだ。
「先輩、それはただの結果論です」
 もう一人、男が現れる。こちらはグレーの背広姿。先輩と呼んだ男に対し、腹を立てている様子。
「本当に泥棒が進入したから良かったようなものの、何もなければこっちが不法侵入で訴えられますよ」
「何言ってんだ。そんときゃ、もみ消しゃ良いだろ」
「俺たちの仕事を何だと思ってんですか! いい加減にしてください」
 仲間割れなのか、二人で言い合う。普通、怪盗を捕まえるとなれば警察官が大人数で配置されていそうなものだが、彼らが現れる気配もない。弥生はショックから抜け出し、何だか雲行きがおかしいと思い始めた。
「あんたたち、誰よ」
「泥棒に名乗る名はない」
 偉そうな男が宣言するが、もう一人の男が、
「僕らは魔法省の対魔――魔法対策本部の者でして……普段は魔法使いによる違法な魔法使用とか魔法アイテムの無許可販売なんかを取り締まっているんですけどね」
 それ、と弥生の持つ石を指差す。
「見張ってたんだよね」
「俺が言った通りだったろうが」
「だから、それは結果論としてでしょう」
「まったく。こんな失敗作、欲しがるやつがいるのかね」
 黒ずくめの男は弥生から魔法石を取り上げる。布から宝石が滑り落ちる。
「あ、」
 つかもうとして、弥生と男の手が魔法石に触れる。はじけるように、石が光る。弥生の視界の隅、もう一人の男が素早く逃げるのが確認できた。ヤバイものだったかと、弥生は後悔する。
 光は徐々に弱まり、消えた。何も起こっていない。石が光っただけだった。良かったと安堵しつつ、弥生は体勢を立て直す。男も石を手に立ち上がり、じっと石を見つめている。
「今の、何だったの?」
 弥生の問いに、初めて気づいた顔で、男は弥生の目を覗き込む。様子がおかしい。弥生は一歩後ろに下がり、男を睨みつける。
「ダーリン」
 耳に届いた甘い声に、弥生は目をしばたいた。
 その声を発したのは目の前の男の口だった。弥生はその口が声を発するのを見ていたが、意味がわからず、男の顔をまじまじ見返す。
「ダーリン。式の日取りはいつにしようか」
 弥生は男に抱きつかれる。
「……は?」
 意味が分からず、弥生は男の腕から逃げる事が出来なかった。男はぎゅっと弥生を抱きしめる。
「先輩が壊れた!? ってか、その石の効果、よりにもよってそれか!」
 戻ってきたグレースーツの男が喚いている。
「ちょっと、アタシにわかるように説明して」
 弥生の言葉に、
「君は俺のハートを盗んだんだよ」
 弥生の耳元で男が囁く。
「何言ってんのよ!?」
 弥生は慌てる。逃げようと思い切り暴れるが、離れられない。
「たぶん、惚れ薬みたいなものなんですよ。それの効果」
「ちょっと待って。なんでよりにもよって――」
「失敗作だったから、あなたには効果が現れてないんじゃないかと……」
「ダーリンの衣装はなんにするかな。ドレス? 和風? 何でも似合いそうだな」
 男は勝手に話を進めていく。
「嫌よ。絶対嫌。そこのアンタ、早くアタシのこと逮捕して。見てたでしょ? 未遂とはいえ犯行の瞬間。それに不法侵入とか色々罪状あるわよね?」
 弥生は主張する。とにかく絶対に、何がなんでも目の前の男から逃れなければならないと、本能が告げている。
「可愛いな、ダーリンは。僕のハートを盗んだ罪じゃ、君を逮捕なんてできないよ。それに、クソじじぃに頼み込んで、君の過去は全てクリアにしてあげる。俺たちの間に何も障害なんてないさ」
「アタシにあるってーの」
 ウザイ。本気で心の底からウザイ。
 弥生が怒鳴り、男が愛の言葉を囁く不毛な会話が続く。弥生は疲れきった顔で顔で、グレイスーツの男に尋ねる。
「コイツ何なの! 全然話通じないんだけど」
「先輩はそういう人です。あきらめてください」
 後輩は妙な笑顔で言う。
 弥生の目の前の男は、彫りの深い、整った顔立ちをしている。格好良い男だからといって、ほいほい結婚などできるわけがない。
 男は携帯を取り出し、どこかに電話を掛ける。つながってすぐ、
「俺、結婚する事にしたから」
 相手が何か言っているが、それには一切耳を貸さない。
「ダーリン。君の名前は?」
「教えない」
「女は秘密めいてた方が魅力的だ」
 電話口の向こうの人がまだ何か喚いていたが、携帯を切り、弥生の顔写真を撮影する。それをどこかに送る。すぐさま着信音。
「――調べはついたか? 遅いな。カメかよ、お前は。……何? 平松弥生? 弥生ちゃん?」
 と、弥生に向かって笑顔。弥生の顔色が変ったことを確認し、笑みを強くする。
「何でこんな短時間で調べがつくのよ」
「君の顔を使って前科者照会したんだよ、弥生ちゃん。何の前科もない泥棒なんて、ほとんどいないだろ?」
「で、弥生ちゃんの経歴は? 部署違い? じゃ、担当部署に電話をまわせ」
 偉そうに言い、つながった別の相手と喋りだす。家族構成やら在学時の成績やらが読み上げられている気配。
「コイツ、何なのよ」
 弥生はげっそりした顔で、男の後方にいる後輩に尋ねる。弥生はまだ、男に抱きしめられたままだ。
 後輩は疲れきった笑顔で、
「先輩の一族って、権力あるとこのボスやってる方が多いんですよね。裏でちょっと手を回せば、あなたは今日から、なんら後ろめたいところの一切ない、立派なレディですよ」
「勝手に人の個人情報書き換えないでよ。それって犯罪でしょ」
「裏で暗躍するのが得意な一族なんですよ」
 ご愁傷様というニュアンスを含んだ口調だった。

 数日後。
 長谷川慎一と平松弥生は結婚した。
 結婚前に姿を消そうと弥生は何度も試みたものの、ありとあらゆる手を使って阻まれたので、結局、逃げ出す事など出来なかった。
 二人きりでの新婚生活なんて絶対嫌だと弥生がごねたため、現在、新婚夫婦は長谷川家の本宅で生活している。大きな邸宅の、何不自由ない若奥様――という身分ではあるが、弥生を羨ましがる人は、長谷川慎一という男を知らない人間だけである。

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『獲物と彼女と長谷川と。』をご覧いただきありがとうございました。〔2012/02/21〕

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