羽と彼女と魔術師と。

一.沢倉知子

 目が覚めた時、確かに何か違和感を感じた。けれどまどろみの中にある私にはそれを追及する気なんて起こらず、朝食を食べ、身支度を整え、いざ出かけようって段になってようやく気付いた。
 先月買った姿見の中の背中に生える、細い、針金細工のような羽。けれど触る事は出来ず、ただ蜃気楼のようにそこに見えるだけ。細い針金のような銀色の光を精密に組みあげ、三十センチほどの羽の形にした感じ。良く出来ているし、美しい。
 けれど、そんな事を言ってる場合じゃない。上着を羽織る。が、光で出来たそれは布地を通り抜け、背中に存在している。
「何、これ」
 声に出して呟いてみるが、なんら問題は解決しない。手に触れもしないものをどうやって取り除けると言うのだろう。
 どうしようか考え込み、ふとあの噂を思い出したのは天の声とも言えた。

 商店街の外れにある喫茶店「リトル・カフェ」の占い師は、本物の魔術師である――

 今日は日曜日。しかも、十時前と時間帯も早め。人々がまだ動き出していないのが幸いした。商店街と言えども人通りは少ない。
 人ってものは、その人物が堂々としていれば違和感に気づきにくい。どこかで読んだ一説を思い出し、なるたけ平常を装う。表情が多少こわばっていたかもしれないが、羽を見られているとしても十人にも満たないだろう。
 まして背中に羽があるなど、光の加減か、寝ぼけていたか、見間違いで片付けてくれるだろう、たぶん。大多数の人間は、自分の許容しえない物事は無かったことにしてしまう生き物なのだ。これもその本の受け売りだけれど。

 角を曲がると目的の喫茶店が見えてきた。量と値段だけに主体を置いた、三十年くらい前からやってる近所では有名な店だ。さすがに日曜の朝だけあって店はがらんとしていた。
 年季の入った分厚いガラスがはめ込まれた木のドアに手をかけると、ドアベルが派手な音を立てる。
「いらっしゃい」
 中から聞こえてくる中年女性の声。ドアベルの音に反応して声を上げただけらしく、顔は見えない。席につくまでもなく、お絞りと水を手にした声の主が現れた。
「どこでも好きな席にどうぞ」
「いえ、あの……違うんです」
「違う? 何が?」
 不信げな顔つきに変わる。
「あの、」
 何から話せば良いのかわからない焦りと、本当に朝見た羽が背中にあるんだろうかという不安と。もしかすると自分の見間違いで、羽などなくなってしまっているかもしれない、なんて淡く儚い期待。
 ……自分が思っていたより、この状況下は自分自身に深刻なダメージを与えていたらしい。『超マイペース』なんてあだ名は今日限り、謹んで返上しよう。
「これ、」
 クルリと背中を見せる。
 おばさんは妙な顔をし、
「……羽?」
触れようと手を伸ばす。が、何もつかめないのでますます奇妙な顔になる。
「何これ、光――で、出来てんの?」
「みたいで」
「……良く出来てるわねぇ」
 おばさんは何度もそれに触れようと、羽の形に添って手を動かす。
「触れないわねぇ」
「えぇ。それで、魔術師――占い師さんは?」
 魔法が解けたかのようにおばさんは我に返り、
「あぁ、そうね、これ魔法よね」
「だと思って」
 育ててくれた祖母は若い頃に魔術師を目指していたらしい。簡単な魔法であれば確かに使えたし、古い魔法のテキスト書なんかも数冊、うちでみかけた覚えがある。
 魔法は掛けた本人でなければ解けない、というのは通説だが、昨今の魔術師であればテキスト通りの魔法しか使えないので、ちょっと能力があれば何とかなるらしい。
 ここの魔術師がその「ちょっと能力」がある人ならば良いのだけれど。
 おばさんは店の奥に掛けられた懐かしい振り子時計を見上げ、
「もうそろそろ来る時間だけど……」
「待たせてもらえますか」
「いいけど」
 とは言うものの、妙な沈黙。なんだろうと考え込むまでもなく、
「あの、アップルティー下さい」
 喫茶店だってこと、忘れてた。注文するとおばさんはほっとした顔で奥へと引っ込んだ。
 私に常識がないわけでも、不人情なわけでもなく、ただあまりの現実に忘れてただけだ。自分に言い訳して、羽が見られないよう一番奥の席に座る。


 待つこと四十分。いかにも、な格好をした人物がドアをくぐる。顔までもをすっぽり覆った黒い衣装、大きな木の杖、じゃらじゃらしたアクセサリーに刺青。これで魔術師じゃなければ、お前は何者だって雰囲気。
 おばさんは親切にも私の事をその人に伝えてくれる。その人は顔を上げ――とは言うものの、顔は見えなかったけれど――私を見た。
 しっかりした足取りで私の前の席につく。
「こんにちは、お嬢さん」
 低すぎず、高すぎない中性的な声。話し方からも男女、どちらともとれる。唯一見えている手は骨ばってはいるものの、男性の手とは言いがたく、かといって女性の手とも言い切れない。
 年齢も、性別も不詳。『怪しい』が具現化して、目の前に座っている。
「羽はいつから?」
 実物を見もせず、問い掛けられる。
「起きた時からです。いつかはわかりません」
 魔術師がうっすらと笑った気がした。布地に覆われているため表情は見えないが、雰囲気がふっと和らいだのだ。
「簡潔な答えだ」
 どうやら誉められたらしい。
「夢見がちなお嬢さんではないようだね――そう睨まないで」
 瞳がほんの少し険しくなったのを察したようだ。自分のことは悟らせず、他人のことはじっと観察しているらしい。気味が悪い。
「これです」
 さっさと見てもらおうと、体をひねる。片方の羽しか見えないかもしれないけれど。
「なるほど、見事な羽だ」
「これ、治せますか?」
 体をひねったまま話をするのも辛いので、正面を向く。魔術師も羽に興味を示していないようだし。
「治す、か」
 くつくつと喉の奥で笑う声。
「魔法は『解く』と言うのだよ」
「……解けますか?」
 顔は赤くなっているはずだ。魔法なんて知らないのが当たり前の昨今、いちいち言葉の上げ足をとらなくてもいいじゃないか。性格悪い。
 魔術師は懐から青い石のペンダントを取り出す。
「問題ない、」
 良く見ると、青い石ではなく黒い石に青い、小さな文字で文字がみっしりと掘り込まれている。
「これを身に付けている間はその羽が消える」
 問題ないと言いながら、身に付けている間とはどういうことだろうか。
「解けないって事ですか?」
「違う。君のその魔法は特殊なものだ。魔法をかけた人物、かけた魔法の種類がわからなければ対処しようがない。調べるには少々時間が掛かる」
「なるほど」
 時間稼ぎのためって訳か。とりあえずはこれをもらっておかなければ、夕方からのバイトに行けない。
 伸ばした手に石は触れず、
「お金」
 空の手が目の前にある。以外に素早い。
「いくらですか?」
「五十万円」
「ご、」
 目を見開く。確かに、魔法は高いもんだってこと聞いたことがある。
 けれど、五十万。
 南の国のお土産っぽい雰囲気のダサいペンダントが五十万。
 羽がなくなれば付けなく成る事間違い無しのペンダントに、諭吉さんが五十人。
 ……。
 …………。
 ………………。
 ……………………無理。
「ちょっと――」
 言いよどむ私に、
「レンタルでもいいよ」
 タイミングよく言う。もしや人が苦悩してるの見て楽しんでるんだろうか。
「……いくらですか?」
「一日五百円」
 なんとワンコイン。めっちゃ安い。いや、待て。どこかでこんな手口を聞いたことがある。
 そう、あれは詐欺の特集をしてたテレビ番組だ。高い商品だと偽り、値段を吹っかけておいて半額以下で売る。けれど販売した価格がもともとの価格で、まったく安くないってやつだ。
「どうする?」
「……何日くらいかかりますか?」
 魔法は何でもかんでもとにかく時間がかかると祖母が言っていた。まして、特殊な魔法であれば調べるだけでも相当時間がかかるはず。
 一日五百円とはいえ、一ヶ月だと一万五千円。そんな余裕はない。
「ニ・三日もあれば十分だろう。昔に比べて魔術師自体が少ないから、君に魔法をかけた相手を探すのはわけがない」
「でも、魔法の種類も調べなければいけないんですよね?」
「魔術師は全て国に登録されている。登録されている個人情報と、公共の場で使用した魔法の履歴などを調べれば推測できる」
「へぇ」
 魔術師に対するイメージがちょっと下がる。まさか登録制とは知らなかった。でも魔法で何でも出来るのならば、登録していなければ悪い事に魔法を使ったとき対応のしようがないか。
「魔法を解くのは別料金だよ」
 ……金の亡者か。
「いくらですか?」
「五千円」
 思ったより高くない。風邪を引いて病院に行く事を考えるとどっこいだろう。
「わかりました」
「前金で三千円」
「……は?」
 前金? 
 財布からなけなしの三千円を引っ張り出し、テーブルに置く。
 魔術師は瞬速でそれを懐にしまいこみ、さっきまで三千円あった場所には青いペンダント。魔術師じゃなくて手品師でも通じそうだ。
「もしかして、」
 何か言いかけ、言葉を切り席を立つ。
 嫌な予感。意味深な前置きで何を言うつもりなのだろう。
「何ですか?」
「いや――」
 ふらりと歩みだす。慌ててペンダントを身につけ、後を追うように付いていったのだが、占い師は帰るわけではなく席を移動しただけだった。占い用の小道具が置かれた席。つまり、定位置に。
「気になるんですけど?」
 とりあえず魔術師の前の席に腰を下ろす。
「……君は占いに興味があるか聞こうと思ったんだよ」
「は?」
「何を占おうか。今日の運勢? 恋愛運? 金運?」
「いえ、結構です」
 立ち上がろうとするが、なぜか立てない。腰が上がらないのだ。
「ふふふ、」
 魔術師が不気味な笑い声を上げる。
「私の占いが終わるまでは立てないよう、その椅子には魔法が掛けてあるのだよ」
 なんて陰湿な。
「不意の出費が重なる日。家でおとなしくしているのが吉」
 なんて馬鹿げた占い結果を聞き、料金の千円を払って店を出た。


 帰ってみればお昼前。簡単に料理を作り、返却日が迫っているビデオを掛ける。
 半分ほど食べ終えたところで、来客を告げるブザー音。やたら勘に障る音が何度も部屋に響く。
 ドアを開けると、サラリーマン風の男が二人たたずんでいた。手前の男は濃紺のスーツに青のネクタイ。足元には黒い皮製のバッグ。色鮮やかなパンフレットと思しき紙がのぞいている。奥の男は葬式にでも向かうかのような黒尽くめ。
「こちらは沢倉さんのお宅ですか?」
「そうですが」
「沢倉知子さんご本人ですか?」
「えぇ」
 男の瞳がキラリと輝く。
 ……一人暮らしの天敵、押し売りだ。本能が告げる。
「ちょっと――」
「間に合ってます」
 ピシャリと扉を閉め、ドアチェーンに鍵をかける。女の子の一人暮らしってこういう時の用心が肝心だ。
「あの、すいません、沢倉さん!」
 扉を何度も叩く二人組み。うるさいったらありゃしない。管理人さんと警察に不審者がいると電話を掛け、ヘッドホンをして音量を上げた。


二.町田高弘

「おたくら、何してんの?」
 突然警官と老婆に声を掛けられる。
「特に何ってわけでもないですが……」
 俺は言葉を選びつつ答える。
 現状としては非常にまずい。一人暮らしの女性の玄関先で騒いでいたら、不審者と思われても仕方ない。
 それにしても長谷川先輩、警察が来た事くらい教えてくれてもいいだろうに。何もしないで欲しいとは言ったものの、まさか本当に何もしないとは……先輩の事、甘く見すぎていたらしい。
「沢倉の嬢ちゃん、おらんじゃろうが」
 老婆が声を荒げる。
「いえ、先ほどいらっしゃいましたよ」
「嘘つけ! 出とるって電話があったわ」
 ……は?
「沢倉さん宅の玄関先に不審者がいるって匿名の通報があったんだよねぇ」
 警察が老婆の言葉を遮るように声を上げる。妙に親しげな口調なのはこちらを疑っているからだろう。
 彼女、手が回しがいい。
「いえ、私たちは別に怪しいものでは――」
 足元の鞄を抱え立ち去ろうとするが、一方通行の出入り口を塞がれたんじゃ逃亡もままならない。
「じゃかわしい」
 老婆が罵声を上げる。
「そんな死神みたいな格好しとって何言うとんじゃ」
 やっぱり先輩か。
 洋物の刑事ドラマが好きだと自負するだけあって、とにかく先輩は妙だ。さすがに怪しいからと今はサングラスを外してもらっているが、普段からエージェント・スミスのような格好をしている。
 何て刑事ドラマが元ネタなのかは知らないが。
 自分自身、幼いころに憧れていた特撮ヒーローものの延長のような今の職に付いているので、あまり批判もできない。
 怒鳴り続ける老婆をなだめようと試行錯誤していたものの、警官は諦めたように息をつき、
「ちょっとここじゃなんだから、一緒に来てくれるかな?」
 ……任意同行だろうか。
 確かに、邪魔な老婆のいないところで話をするにはそれしかないだろうが……田舎で暮らしてる両親に顔向けできない。けれど、行かなければますます面倒な事になる。
 どうしようかと先輩を見やれば、何故だか嬉しそうな顔をしている。本当に頼りにはならない人だ。
 海外もののドラマで主人公の警官が捕まったりなんてストーリーあっただろうか?


「名前と住所、ここに一応書いてくれる?」
 警官はあくまで優しい。老婆があれほど怒らなければ、調書をとる必要もないのだから当然かもしれないが。
 書類を受け取り、でたらめな住所を記す。
「で、二人は何をしていたのかな?」
 書類を受け取りながら、世間話の要領で警官は尋ねる。手馴れたものだ。
「黙秘する」
 鋭い言葉が部屋にこだます。
 ……先輩?
 こういう場合は適当にごまかし、もしくは上に連絡し指示を仰ぐことになっているのだが。
 警官は疑りの視線を一瞬見せ、何事も無かった用に書類に目を通す。
「高橋一哉さんにジェームズ・ボンド――?」
 じろり、警官が疑わしそうに先輩を睨む。
 先輩、何考えてるんですか! 
「いえ、あの、じょ、ジョークです。ジョーク好きなんですよ、先輩」
 必死に言い募る俺には目をくれず、先輩は横柄な態度で、
「電話を貸せ」
「は?」
 警官も目を丸くしている。
「電話だ。私には弁護士に電話する権利があるはずだが?」
「いや、あの、事件にするとかそんな話じゃないから――」
「電話をする権利があるはずだが?」
 不敵に笑う。
 どうしてここまで怪しい態度をとる必要があるんだ? 警官も当初は注意して終わりにするはずだったんだろうが、話をややこしくするのでげんなりしている。
 先輩は電話を借り、直接上に電話を入れているようだ。たぶん、電話口の向こうは課長だろう。上司であるにもかかわらず、高校時代の後輩だとかで、何故だか先輩は課長をあごでつかっている。
 若いというのに胃腸が弱いらしく、先週、胃潰瘍が回復しつつあると嬉しげに話していたと言うのに気の毒な話だ。
「電話を替われと――」
 先輩が納得行かない顔で、俺に受話器を差し出す。
「はい、替わりました」
「……極秘任務って言わなかったか?」
 恨みがましい声。
「すいません」
「お前一人に任せてたはずの任務に、なぜ奴が参加してるんだ?」
「すいません」
「……はぁ」
 地獄のそこから響いてくるような、暗く、重い溜息。
「すいません」
 ただただ謝るしかない。
「そこにいる貧乏くじ引いた警官に替わってくれ」
「了解」
 警官に受話器を渡す。警官は戸惑いつつ、
「はい、替わりました。……は? え、あ、はぁ……そうですか。いや、えぇ――」
 受話器を置く頃には、疲れきった顔をしていた。
「組織ぐるみで何をしてるんだ?」
「すいませんが極秘事項なので、お答えできないんです」
 この警官には気の毒だが、極秘事項を少しでも漏らせば左遷だ。家族ともども言葉の通じない地に、永久に。
 そんな俺の杞憂に気づきもせず、先輩はなぜか嬉しそうに、
「羽だ」
「は?」
 警官と俺の声がかぶる。
「朝、この町で強力な魔法反応があった」
「ちょ、ちょっと何言い出すんですか!」
 極秘事項だって事、課長に散々釘を刺されたはずなのに。
「うるさい、どうしてこの俺があいつの言うことを聞かなければいけないんだ?」
 子供じゃあるまいし、何を言い出すんだ。
「上司じゃないですか!」
「あいつは後輩だ!」
「上司です!」
「うるさい」
 止めようと、警官が間に立つ。
「落ち着け、この町には魔術師なんていないはずだが?」
「いる」
「いない」
「いるんだ」
「いないって」
 今度は警官と言い争い始める先輩。トラブルメーカーではあるが、強力な悪運を持ち合わせているらしく、迷宮入りしそうな事件をなぜか次々と解決している。その実績を買われているのか、左遷されることもない。
 そろそろ子供の口喧嘩の様相を呈して来た。低レベルな悪口と、無意味な揚げ足鳥が続いている。掴みあいをしないだけマシだが、警官の額には青筋。一触触発の危険な状態。
 しかたなく弥生さんの番号を呼び出す。
「お忙しいところすいません」
「何? アイツまた問題起こしたの?」
 ツーカーで会話が通じる。弥生さんにはそれ以外で電話をかける事がないからなのだが、俺も、そして弥生さんにとっても嫌な関係である。
「――はい」
「替わって」
「先輩、弥生さんです」
 言った途端、先輩の表情が一変し、口調も替わる。
「――弥生ちゃん? もしもーし……」
 どうして一瞬でここまで人が替われるのか、いつ見ても不思議だ。
 それまでの争いなんてなかったかのような先輩の態度に、警官は狐につままれたような顔で、
「何?」
 俺に尋ねる。
「相手は先輩の奥さんです。先輩が暴走したときの抑制剤なんですよ」
「……あ、そう」
 疲れきった顔で座り込み、お茶をすする。
 そりゃそうだろう。課内の人間でも、先輩に慣れるには半年掛かる。仕事を覚えるよりも難しいため、一番人の移動が多い課と言われている。
 一通り愛の電話――弥生さんが皮肉り、怒鳴り、先輩が愛の言葉を繰り返す不毛な会話――が終わると、先輩は上機嫌だった。
「さ、さっさと仕事を済ませるぞ」
「……はい」
「元気がないな?」
「はいっ!」
 警官に言葉を掛け、派出所を出る。
 俺達が出て行くのがよほど嬉しいのだろう、警官は幸福そうな笑みを浮かべ、バイバイと思いきり手を振ってくれた。
 俺もそっちで一緒に手を振りたい。

「時間も適当につぶせたし、今度は彼女のバイト先へ行こうか」
 予定行動であったかのように、先輩が言う。
「幸いバイト先はファミレスだ。ついでに腹ごしらえしよう」
「何言ってんですか!」
 捜査の基本、張りこみの方法としてありえない。第一、昼の警官と大家に手際よく通報するあの態度だと、今度はストーカーで騒がれる可能性もある。
「何ってお前、腹は減らないのか?」
「減ってますけど、そう言う問題じゃないんです」
「じゃどういう問題なんだ?」
 やばい。不機嫌になりかけている。
「え、いや……すいません」
 何で謝ってんだろう、俺。
 深く考えていたら、この課ではやっていけない。頭の中のもやもやを吐き出すように息をつき、先輩の背中を追って歩き出した。

 ファミレスは商店街の入り口にあった。
 ガラス窓の向こうに、ウェイトレスとして忙しそうに働く彼女の姿がみえる。
「真面目に働いてますね」
 夕方だからか、店内には高校生の姿が多い。
「羽、無いですね」
「……」
 納得いかないとばかり先輩は顔をしかめる。
「他の候補をあたってみませんか?」
 羽のある女性を見た、という人々の証言に見事なほど特徴が合致しているのは彼女だが、若干名、他にも候補はいる。
「いや、俺の勘が間違いないと告げている」
「……勘、ですか」
 呆れた声になっていたのだろう。先輩が鬼の形相で訂正する。
「俺の、長年の経験に基づいた、勘だ」
 言い直す。それでも勘は勘だろうに。
「この近くに魔道師がいないか?」
 鞄からモバイルを取り出し、本部の魔術師情報にアクセスする。
 他に影響を与えられるようなレベル、もしくはそのような魔法を使う魔道師はいない。
「いませんね」
「……妙だな、俺の勘は間違いないと告げているのに」
 その勘が間違ってるんじゃないですか?
 などと俺が言えようか。微妙な笑みを浮かべた顔ででも頷くしかない。

 一旦店を通り過ぎ、変装のため物陰に入る。
 相手が普通の人間であれば幻影魔法をつかえばいいが、魔術師の場合は別だ。こちらが魔法をつかえば警戒されかねない。そのため、無意味に魔法は使わないほうがいい。
 ネクタイを青から黄色に変え、銀縁の眼鏡を掛ける。髪の分け目を変えれば、一・二度会っただけの人間ならばわからないはずだ。
 先輩はジャケットを脱ぎ、ネクタイを外す。黒尽くめってのは何かと目立つ。しかも、スーツだと応用が利かない。
 不満顔でぶつぶつ呟いているが、無視して先ほどのファミレスに向かう。
 入ってすぐ、席に案内してくれたのは彼女だった。無難に一通り説明し、奥へと引き上げて行った。
「大丈夫みたいですね」
 ほっと胸をなでおろし、向かいの席を見る。そこにはメニューを一生懸命覗き込む先輩の姿があった。
「先輩、任務を忘れてないでしょうね?」
 メニューから顔を上げ、ぶっちょう面で、
「これは演技だ」
「……そうですか」
 新聞を読むふりをして彼女を観察する。皆同じ制服姿。入れ替わり立ち代わり厨房を出入りするので、ややこしい。
「おい、お前何注文するんだ?」
「え?」
 気づけば目の前にメニューが広げられている。
「俺はこれか、こっちか、これなんかも良さそうだと思うんだが?」
「一番安いのでいいです」
 彼女に目を戻そうとするが、
「これか、こっちか、これ、どれにする?」
 三択らしい。溜息をつくのも面倒くさい。
「どれでもいいです」
「良くない」
「……じゃ、これを」
 イタリア風チキンプレートを指差す。これが一番が安い。
 先輩は「どちらにしようかな……」と唱え始め、ふかひれ入り海鮮ラーメンに決めたらしい。
 近くのウェイトレスを呼び寄せる。偶然、それは彼女だった。マニュアル通りなのだろう、注文を取り、メニューを拾い集め帰ってゆく。俺達の正体に気づいた様子は無い。
「見たか?」
 先輩が興奮気味に言う。
「何をですか?」
「胸元だよ」
「……」
 この人、仕事やる気あるんだろうか。
「お前、見て無かったのか? 魔法を無効化させる石をつけてただろうが」
「……え?」
 気づかなかった。では、彼女の背中には羽がある――可能性がある。
 朝、数時間に渡ってこの近くで魔法反応があった。俺達はそれを追ってここまで来たのだが、昼前にそれは消えた。
 魔法を無効化させる石など、どこででも買えるような物ではない。商店街を羽のある女性が歩いていたという証言がそれを裏付けている。彼女はどこでその石を手に入れたのか――入手先を調べなければ。
 これ以上彼女を見張っていても意味は無い。食べ終わったところでレジに向かう。
 近場にいた三十代の女性が駆けつける。
「有難うございます」
 会計を渡し、領収書を頼む。
「この辺りに魔法グッズを扱っている店があるのか?」
 ストレートな先輩の問いかけに、女性は一瞬顔にクエスチョンマークを浮かべるが、次の瞬間には笑顔で、
「あぁ、お店はないですが、魔術師だって噂の占い師がいますよ。時々グッズも売ってるそうですから、その方の事じゃないですか?」
 だが、そんな魔術師のデータは本部に登録されていなかった。魔法グッズを作れるレベルの魔術師はこの辺りにはいないはずだ。
「あの娘――」
 と、彼女を指差す。
「沢倉さん、魔法を使えるなんてことはないですよね?」
「沢倉さんが? まさか」
 可笑しそうに笑う。
「彼女は普通の娘ですよ」
「……ありえない」
 先輩が呟く。
「彼女が魔法を使えない? そんなことはありえない。あの娘は十ニ歳で――」
「先輩、何言い出すんですか!」
 大声を上げて言葉を遮り、無理やり外に連れ出す。彼女に関することは全て極秘の扱いになっているってのに。
 それにしても先輩、無理やり横入りしてきたくせに、今度の資料に全て目を通したのだろうか? 妙に彼女の事に詳しいが。

 占い師は商店街では有名人だった。出没する喫茶店はすぐにわかり、そこに向かう。
 喫茶『リトル・カフェ』。名前は可愛らしいが、ずいぶん年季の入った店構え。食堂と言っても過言ではない雰囲気。
 先輩は目を輝かせ、懐から雑誌を取り出す。
「ここ、ジャンボパフェで有名な店だぞ」
 興奮した声。開いた街の情報誌には巨大なパフェの前で満面に笑みを浮かべる女性の写真。
 さっき食事したばかりだというのに、ジャンボパフェを食べようと言うのだろうか? それより、
「経費で落ちませんよ」
「ケチくさいこと言うな」
 俺の一存で経費にできるわけがない。
「無理です」
「……じゃ、お前のおごりだ」
「は?」
 それが良いとばかり一人で頷き、店に入っていく。
「ちょっと待ってください、先輩。仕事だってこと忘れてません?」


三.松戸優希

 困った。
 口には出せないが、状況としては非常にまずい。
 黒いフードの下でそっとため息をついた事など、周りの人間は気づきもしないが。
「あのさ、」
 人の波が一段落ついたころ、エプロン姿の紀和子がコーヒーを両手に持ち、客人用の椅子にするりと腰掛ける。
「悩み事でもあるの? 占い師さん」
 私の前にコーヒーを一つ置く。
 黒いベールに抑揚の無いしゃべり方、誰にも私の心情の移ろいなどわからないはずなのに、気づいたのは従兄弟だからだろうか。
「当てて上げましょうか、朝来た女の子の羽にあった紋章――」
 口に出すなと首を振る。めったやたらな事で口に出すべきことではない。
「今ごろになって見つかるとはねぇ」
「あぁ」
 何とも感慨深い。
 私がこの地へやってきたのは彼女を探すためだった。ずいぶん探しはしたものの、彼女を見つける事は出来ず、結局、隠れ蓑のはずだった占い師に成り果てている。
「で、どうするの? 仕事復帰?」
「それなんだが――」
 言葉を濁す。
 彼女も彼女なりの生活が出来上がっている。それは私もしかり。
 今の生活を全て白紙にし、新たに、いや昔の生活に戻る事。果たしてそれが幸福だと言えるだろうか。
 以前の私は慣例通りに、規則通りの仕事をし、絶対的な衣食住を保証された身の上だった。未来に何ら不安はなく、将来はある程度予想できるものでしかなかった。
 生まれる前に誰かがひいたレールの上で、過ぎてゆく時間をもてあましている、退屈だけれど穏やかな、そんな人生だったのだ。
 今の生活は百八十度違う。毎日がその日暮らし。明日、明後日の予定をたてることも出来ない。
 けれどこの暮らし、慣れてみれば楽しんでいる自分がいる。あの頃には無い充実感がある。
 派手なドアチャイムが鳴り響き、思考を中断する。
 紀和子は瞬時に営業スマイルを作り、来店したサラリーマン二人を空いた席に通す。
「何にしましょう?」
 この店は喫茶店と言うよりも食堂に近い。
「コーヒー二つ」
 若い男が注文するが、黒服の男がさえぎる。
「何を言ってる、パフェだ。この店に来てジャンボパフェを食べなければ意味が無いだろうが」
 紀和子が何を思ったのか、すぐ隣の席に通すものだから二人の会話がまるで聞こえる。考え事も出来ない。
「先輩、経費じゃ落ちないって言ってるじゃないですか」
「お前が払えばいいだろうが」
「どうして俺がおごらなきゃならないんですか!」
 若い男は丁寧な口調で対応しているものの、額に青筋が浮かんでいる。
 気苦労が堪えなかった昔の自分を思い出す。それに比べ今は何と楽なことか。
「パフェを食べなければ仕事をする気が失せる」
 黒服は無茶を言う。
 昔の嫌な同僚の事を思い出してしまった。奴は今ごろどこでどうしているのやら。
 彼女がいなくなったそもそもの原因、そしていろんな災厄の元凶。ただし、ヤツの家が上位の魔術師を数多く輩出している名門であるため、トラブルメーカーであるヤツの失態の多くは隠蔽されている。
 けれど彼女がいなくなったなんて事実は隠しようが無く、ヤツは免許を剥奪され、飛ばされたと噂で聞いた。
 出来るならば彼女がいなくなる前にやって欲しかった。どこへ行ったともしれぬ彼女の捜索の任を受けた私は、しみじみと呟いたものだった。
「じゃ、さっさと帰ってください」
「何? お前、私と組むのが嫌なのか?」
 二人の会話は泥沼にはまり込んでいる。
「何言ってんですか、この件はもともと俺一人の担当だったじゃないですか」
「お前みたいなヒヨッコに、上がこんな重大な事件を任せるわけないだろうが」
「先輩がいないほうが早く片付けられますよ」
「……上等だ」
 黒服が立ち上がる。若い男に向かって手をかざし、呪文を――って一体、何を考えてるんだ!
 現在、魔法は規約によって限定されている。攻撃系、ならびに中〜高レベルな魔法を使うには届け出が必要なのだ。
 黒服が唱えているのは中レベルの攻撃系呪文。しかし、その前に威力増幅のスペルを入れていたから、集中型から広範囲型へ魔法を変化させている。
 その上、唱えた威力増幅魔法は最上レベルのものだから、発動させれば狭くとも商店街ごと辺り一体が瓦礫と化す。
 後輩はあまりの出来事にショック状態。震える声で力無く唱えようとしているのは低いレベルの防御魔法。マシンガンを前に、雨傘で身を守ろうとしているようなものだ。
 歴然とした力の差。脅しにしてもやりすぎだ。魔法を封じ込めるための呪文を唱え始めたところで黒服と目が合う。
「……松戸?」
 重い沈黙。
「お前、松戸か?」
 なぜ私の名を、と問うほど私は馬鹿ではなかった。
 あの頃と違い、スーツ姿だからわからなかったが、目の前にいるヤツこそ全ての元凶、生きたトラブルメーカー長谷川だ。
 神よ、信心のない私が問いかけても答えてくれないかもしれない神よ。私が欲しいのは平穏です。ヤツがいない世界です。
 思わず現実逃避してしまう。
「松戸、久々だな」
「……」
 渦巻いている感情を一言で表現するならば『無念』だ。
「忘れたか? お前の元同僚にして、相方の――」
「人違いだ」
 今日は早く帰って、ゆっくり風呂に入って、さっさと寝てしまおう。悪夢を起きてまで見る必要などない。
「あいかわらずだな、松戸」
 無駄に親しげに声をかけつづけられる。やめてくれ、お前と知り合いだなんてこと、世界中から誰もいなくなったとしてもつぶやきたくない事実なんだから。
「って、お前だな!」
 いきなり胸倉を締め上げられる。
「な、何が?」
「お前、何の権限があって羽を封じた?」
「……」
 彼女の事か。極秘捜索にあっているのは私一人だったはずだが、時間が掛かりすぎているので新たな人員が配備されたのだろうか。
 いや、事実そうなのだ。そう考えれば先ほどの話が見えてくる。
 若い男が受けていた任に、ヤツが横入りしたのだ。だから二人は揉めていた。生きたトラブルメーカー長谷川の名は伊達じゃない。後輩はあのころの私同様、一刻も早く長谷川と縁を切りたかったのだ。
「彼女は客だ。そして私は占い師だ」
 自分の言葉に驚く。
 いつの間にか私は占い師が本業だと思っている。
 彼女の羽を見て、彼女の言葉通り封じの石を渡したのも、今の生活を続けたいためだったのだろうか。
「ほぉ、じゃあただの占い師が封魔アイテムなんて高価なものをどこで手に入れた?」
「ハンドメイド」
 自慢じゃないが、趣味の一つが魔法グッズ製作。知る人ぞ知る程度のブランドとはいえ販売しているのだけれど。
「ほぉ、あくまでとぼける気か?」
 思い込んだら引かないのはあの頃のまま。ちょっと調べればわかることだろうに。
 緊迫した空気をぶち壊すチャイムの音。
「すいません、占い師さんまだ――」
 飛び込んできたのは彼女だった。走ってきたのだろう、息が切れている。
 むなぐらをつかまれた私と、つかんでいる長谷川を交互に見比べ、まずい所に来てしまったという表情になる。
 紀和子に目配せし、彼女を近くの席に座らせる。長谷川の手を振り払い、咳払い一つして席につく。
「いらっしゃい」
「あの、」
 彼女は戸惑い気味に声を発する。二人が気になる様子。気にするなというのが無理な話。
「占い、当っていたでしょう?」
 水を向ける。彼女は戸惑い気味に、頷く。
「――はい」
「私の占いは良く当りますから」
 ふっと、彼女の笑う。緊張がほぐれる。
「魔法を解く方法がわかりました」
「本当ですか!」
「えぇ、ただし、魔法を解くための魔法を使わねばなりません」
 彼女は頷く。
「そのペンダントは魔法を無効化する力のあるもの。そのペンダントを返してください」
 恐る恐ると言った様子で彼女はペンダントを外す。彼女の身から離れた途端、背中に羽が現れる。
 彼女は恥ずかしそうに顔をうつむかせる。二人は羽に魅入っている。このまま大人しくしていてくれればいいのだけれど。
 水晶球に手をかざし、呪文を呟く。中心に淡い微かな光りが宿る。彼女は魅入られたようにそれを見つめる。
「あなたは十年前にこの街に来ましたね?」
「……はい」
 うつろな瞳。催眠状態に入っている。
「街はどんな風でした?」
「……雨が、たくさん降っていました」
 彼女が降らせた雨だ。私達はその豪雨を止めようと、必死になり彼女の存在を見失った。
「それ以前の記憶は?」
「……あまり、覚えていません」
「もっと深く思い出してみましょう。雨が降る前の事を――」

 良く晴れた日だった。私と長谷川は制服である魔術師の黒いローブをまとい、彼女の傍に控えていた。
 彼女――私達が教育係として仕えている現魔法王家の第二王女・友利様は、普通、十八歳くらいで取る中レベル魔術師免許を十ニ歳にして取得されたという優れた魔術師である。
 先日、十五歳の誕生日を迎えられ、高レベル魔術師試験を受けたものの不合格。常人ならば二十歳を過ぎて受けるような試験なのだが、天才と言われ生きてきた彼女には屈辱だったらしく、それ以来ずっと苛立っている。
「いい加減にしろ、クソガキ」
 いつものこととは言え、長谷川の悪態には頭が痛い。
「長谷川、自分の立場をわかって物を言ってんの?」
 友利様もいつも以上に口調が荒い。
「試験に落ちたくらいで、何日引きずってんだよ? だからガキなんだ、お前は」
「うるさい、お前に何がわかるっていうのよ!」
 彼女が苦手とするのが天候を操る魔法。だが、それは長谷川が得意だったりする。
 先日の試験で、実技の課題が天候を操る魔法だった。それ以来、二人の間の険悪さは目に余る。
「俺が教えてやろうって言ってんだろうが」
「うるさい、お前なんかに習うことなどない!」
 確かに、長谷川は天候の魔法では勝っているものの、全体的には彼女に負けている。
 だが、長谷川は高レベル魔道師である。試験でたまたま得意なものが当ったためらしい。順位的には最下位に近いのだが。
「そう言う口は、まともに雨でも降らせることが出来るようになってから言うんだな」
 嫌みったらしく笑う。
 友利様をこれ以上挑発しないで欲しい。長谷川は言えば言うほど自分の首が危なくなっていくだけだって事、わかっているのだろうか……なわけないな。
「――わかったわよ」
 低く、小さな声。
「友利様?」
 私は不安になる。彼女は一度言い出したら聞かない。
 出来ない魔法を無理に発動させようとすれば、体に無理な負担が掛かる。中〜高レベルの魔法を使っている時点で、若い彼女の負担は相当なもののはず。
「やってあげようじゃないの」
「おぉ、やれるもんならやってみろ」
「やめろ長谷川。おやめください、友利様」
 私の言葉など二人は聞く耳もなく、長谷川は無駄に囃子立て、友利様はますます意固地になっていく。絶望的だった。
 友利様は雨の魔法を唱え始める。しばらく何も起こらなかったが、不意に彼女の顔に笑みが浮かぶ。どうやらコツを掴んだらしい。だが次の瞬間、彼女の顔がこわばる。
「馬鹿が。気を抜きやがって」
 長谷川の舌打ちに、ようやく私も事態を飲み込む。魔法が暴走を始めたのだ。
 集まってきていた黒雲は渦を巻くように大きく膨らみ、ぽつりぽつりと降っていた雨は豪雨へと変わる。
 天候を操る魔法は高レベル魔法に当る。私と長谷川は必死になって術を制御しようとするが、他人の唱えた術の後始末ほど厄介なものはない。
 一刻も早く事態を収束させねば、彼女の身が危ない。魔法が彼女の魔力を、生命を食い尽くすまで暴走しかねないのだ。
「長谷川、頑張れ」
「お前に言われるまでもない」
 ようやく嵐を収めた頃、彼女の姿はどこにもなかった。
 その後、私は彼女の捜索の任に。彼女をけしかけた長谷川は左遷されたのだ。


四.友利

 長い長いトンネルを抜け出た気分だった。
 私は沢倉知子じゃない。友利だ。
 目の前の占い師がベールをとる。懐かしい、けれど記憶より少し老けた松戸の顔。
「その後、どうされていたのですか?」
 相変わらず私に関して松戸は甘い。
「雨の中、ずいぶん長い間さまよっていたわ。おばあちゃんに声を掛けられるまでどうしていたのか……はっきりしないけど」
「おばあちゃん? 保護された方の事ですか?」
「えぇ。その後、私はおばあちゃんと暮らしていました」
 おばあちゃんに保護されて、私は一から一般的な生活の基礎を学び、今まで生きてきたのだ。
「その方は?」
「亡くなりました、三年前に……」
「ごめんなさい、辛い事を聞いてしまって」
 言葉とは裏腹に松戸には何の表情もない。昔、魔法に失敗して表情を失ったのだと聞いたことがある。
 けれど、私は松戸の気持ち――哀しんでいるのがわかる。松戸が優しい人だって事を知っているから。
「その方のお名前は?」
「沢倉美津江さんです」
 途端、松戸が長谷川に掴み掛かる。
「長谷川、お前、何を考えてるだ!」
 殺意のこもった瞳で長谷川を睨み付ける。
「えっと、あの、松戸……?」
「あの、占い師さん?」
 長谷川の後輩は突然の松戸の強行に戸惑いを隠せないまでも、何とか止めようとしている。
 私は蚊帳の外に置かれたままだ。
「松戸、どうしたの?」
「謎は全て解けました」
 怒りを含んだ松戸の声。
「沢倉美津江って長谷川の祖母の名前ですよ」
「え?」
「祖母?」
 私と後輩の声が重なる。
「同姓同名じゃ――」
 私の声を遮るように、
「俺も知らなかったんだってば」
 長谷川は悪びれた様子もなく言い返す。
「一族の中で唯一、魔法の能力がなかったからな。ここ数年まったく親交がないんだよ、だから死んだ事だって知らなかったんだから」
「確かに、美津江さんは少々変わっていた。だがな、お前が何も知らないわけがないだろうが」
 ぎりぎりとむなぐらを締め上げていく。
「美津江さんが、やたら可愛がっていた孫のお前が」
「……まさか、シンちゃんって長谷川の事?」
 おばあちゃんがいつも話してくれていた、遠くにいる孫の慎一――シンちゃん。
「あぁ。それより、年上の事をちゃんづけて呼ぶな」
 妙な所にこだわる。
「おばあちゃん、毎月手紙出してたよね? その中に私の事も書いてるって言ってたけど?」
「知らん」
 苦しそうな表情になりはじめる。後輩がようやく二人を引き離す。松戸を何とか椅子に座らせ、
「手紙は届いてなかったの?」
 再び尋ねる。
「来てたが読んでない」
「なぜ?」
「達筆すぎて読めない」
「……」
 つむぐ言葉がなかった。
 難解な魔術書は読めて日本語が読めないなんて、なんて性質の悪いジョークだろう。
「まさか、美津江さんの所にいるなんて思いつかなかった」
 疲れきった様子の松戸。
「でも、友利様には良かったのかもしれません」
「え?」
「あの頃のまま成長されていたら――」
 優しい瞳で見つめられる。
 あの頃の私は、ずいぶん松戸に心配を掛けていたのだ。今になってようやく知る。
 あのまま、あの環境で成長していれば、きっと今ごろ出来ない魔法を使い身を滅ぼしていただろう。
「ごめんね、松戸」
「……いいえ」
 無表情なはずの松戸が微笑んだ気がした。
「ガキ、俺に感謝は?」
「無し」

「それにしても、どうして突然私の背中に羽が生えたわけ?」
 今でもまだ、背中に羽は生えたまま。松戸は決してそれを解こうとはしない。
 松戸は私の顔を注目し、深深と溜息をつく。
「まだ全部、完全に思い出されたわけではないようですね、友利様」
「――へ?」
「それは、次期女王に選ばれた印ですよ」

『羽と彼女と魔術師と。』をご覧いただきありがとうございました。〔05/09/25〕

05/09/25 終わらせたところがちょいと卑怯? 書いたのは今年の3月ごろ。友人内で作った同人誌に載せるために書いたもの……の割に長かった……。最初は400字詰め30枚くらいになる話だったのになぁ。ネタはごくありふれた「朝起きたら背中に羽が生えていた」と「シンデレラ」。妙な人と勢いだけで書いたような話のため、ストーリーがわかりにくいかも……と後になって思う。
美津江さんは魔法が使えないけれど、簡単な手品ができます。友子の前で魔法が使えるような振りをして、手品をよくしてました。記憶を失った友子がひたすら感心するので、美津江さんはすごく楽しかったのでしょう。友子(友利)は本当はすごい魔術師だってのに。
美津江さんは保護した友利(友子)を親戚の子だと偽り一緒に暮らしてました。友利の存在を長谷川だけに知らせれば、出世なりなんなり孫の役に立つだろうと思っていたのだけれど、長谷川からは何の音沙汰もなく、友子との暮らしが長くなっていき……で現在にいたる。
松戸は男性です。書いてる時は男女どちらにしようかずいぶん迷ったけれど、最近男性のような気がしてきました。長谷川につかみかかるくらいだし。
長谷川の奥さん、弥生さんはかなり気の強い女性です。何があって長谷川と結婚する羽目に陥ったのか……ちなみに年上女房。
後輩こと町田君。名前がほとんど出てこないので、存在感が薄い可愛そうな人。長谷川、松戸が濃すぎるだけか。

05/10/04 当初、「シンデレラ」っぽい話にしようと思っていたのだけれど、結局ストーリーの展開上使用せず、その代わりにシンデレラっぽい話……ということで「青のシンデレラ」を書いたことさえすっかり忘れてました。忘れっぽいだけなのか、なんなのか。

2012/01/18 訂正

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