神々がいなくなった世界の物語

七.現在<再会>

「では、文化祭での出し物は『七英雄伝』に決定します」
 部長の取り決めに、褐色の髪に灰褐色の瞳のミミ・クルーニーは誰にも気付かれないよう小さく息をついた。
 高校最後の文化祭。部活のために通っているといっても過言では無いほど、彼女は演劇にのめり込んでいた。今年こそは違う芝居をしたかったのに、例年通り、十数年前から変わらず今年も『七英雄伝』だ。
「ミミ、顔に出てるぞ」
 壇上から部長のクリス・ニューウェルが突っ込みを入れる。小麦色の髪に深い灰色の瞳。彼もミミと同じく部活のために学校へ来ているようなものだ。
 先ほどまでただ一人、盛大に他の芝居がしたいと愚痴を漏らしていたミミのことを他の部員は面白げな目で見ている。
 役者をしているのならばともかく、ミミがやっているのは裏方。それもあちこちに首を突っ込むので、いつのまにか裏方の取りまとめのような立場にいる。
 例年通り『七英雄伝』であれば、裏方は仕事が少なくて楽だというのに、彼女はなぜか違う作品をしたがる。かといって、特に何がやりたいというわけでもないらしい。
「だって、面白く無いじゃん」
 睨みつけるように一同を見渡す。
「だから今年はアレンジしたものだって言ってるだろ?」
「でも面白くないよ、『七英雄伝』なんて」
 言っていることは我侭でしかない。クリスは見せつけるように溜息を吐き、解散を宣言する。
「では、今日は終りにします。脚本は明日、各自取りに来てください」
 部員が帰り支度をしているというのに、ミミは座り込んだまま。
「あのさ」
 クリスは声をかける。
「なんでそんなに『七英雄伝』をしたくないんだよ」
 三年間、文化祭のたびに尋ねている問いかけ。そして、ミミの答えは決まっている。
「なんとなく」
 窓の外には、暮れ行く夕日を浴びながら魔王城が黒々とそびえている。ミミは夕日を浴びながら、それを見つめている。
 クリスはミミの横顔と魔王城を交互に見つめ、部室を後にしようと戸口へ向かう。
「思い出さない?」
 小さな囁き。部室に残っているのはミミとクリスだけ。クリスはため息とともに振り返る。問いかけたはずのミミは、窓の外――魔王城を見つめたまま。振り向きもしない。
 何を――と、クリスは聞かない。
「まったく」
 大げさにゼスチャー付きで答える。クリスはいい加減、この押し問答が腹立たしい。
「思い出さないほうがいいものね」
 返ってきたのは、いつもと同じ言葉。ミミが何を言いたいのか、思い出さないほうが良いこと、というのが何のことなのかクリスには見当も付かない。聞いてもミミは教えてくれない。
 いつもならばそこで帰るのだが、今日に限ってクリスはなぜかその気が起きなかった。
「あのさ」
 振り向きもせず、ミミ言う。
「誰の役もしないほうがいいよ」
 クリスの芝居の腕はミミも認めている。しかも、三年生最後の芝居だというのに。
「どうして?」
 強い口調で尋ねる。
「なんとなくってのは無しだ。きちんと答えろよ」
 ミミの近くに腰掛ける。魔王城を映していたミミの瞳がゆっくりと、クリスに向けられる。夕日を浴びているからなのか、瞳が赤く光を放っているように見える。
「すべては時と場所、時間が重なり合えばいずれともなく解決する問題」
「――それ、どこかで……」
 聞いたことがあると、クリスは考え込む。
「嫌でも、もうすぐわかるわ」
 ミミは立ち上がる。
「どこに――」
「帰るの。じゃあね」
 じゃあ、と声をあげたところでクリスは部室の戸締りを自分がしなければならないことに気付いた。
「謀られた」

 ミミの家は自転車で十五分ほどのところにある。だが、今日は反対方向にある駅へ向かって歩を進める。
 駅には褐色の髪に灰褐色の瞳をした他校の女子高生。ミミとはどこか面影が似ている。
「思い出した?」
 前置きも無く問い掛ける。
「あぁ」
 少女らしからぬ声色で、トリシアは答える。初めて会ったはずの二人だが、気の知れたように話す。
「今はトリシア・メレンカンプという名前だ」
「そう。私はミミ・クルーニー」
 二人は駅近くの喫茶店に入る。
「こうやって会話するのも懐かしいわね」
 やってきた店員にミミはケーキセットを注文する。
「同じ物を」
 トリシアも歳相応の顔で注文をする。店員が立ち去るのを待ってから、ミミは肩を震わせ笑い始める。
「あんたがそういう顔するとは――」
「うるさい」
 先ほどまでの表情をなくし、トリシアは返す。
「記憶が戻ったのはついこの間だ。それまではこれが普通だったんだ」
 ミミは笑いが収まらない。
「わかってる。そうやってみんな、違う人生を生きてるんだもの」
「わかっているのならば笑うのを止めてくれ」
 ぶすっとした表情でミミを睨みつける。注文した品が運ばれてきたところで、紅茶に手を伸ばす。
「ところであやつらの所在はわかっているのか? ローズは私の近くにいたが――」
「そう。それじゃ、全員わかったわ」
 トリシアは首をかしげる。
「私の記憶が戻ったのはもっとずっと前。あなたとローズ以外はずいぶん前に見つけていたの」
 二人は一緒にいるだろうと思っていたけれど、と付け足す。
「そうか」
 それ以後はしゃべりもせず、黙々とケーキを平らげる。窓の外には日暮れの薄暗い空と禍々しい魔王城。
「懐かしいわね」
「あぁ。本当に」

 部室の鍵を返しに職員室へよったところで、クリスは灰色の髪に、緑の瞳をしたマイクに呼び止められた。
「部活、終わったのか?」
 マイク・ヘッシュとは入学式当日、クリスが間違って声をかけて以来、仲が良い。なぜか旧来の親友のように二人は馬が合う。だが、クリスが止めたにも関わらず、マイクは魔王研究会などと怪しい同好会に所属している。
「帰りに本屋に行くけど、一緒に行くか?」
 クリスの誘いに、マイクは頷く。
「活動は何時までだ?」
 ほぼ毎日が活動日という魔王研究会。クリスの問いかけにマイクは投げやりに言う。
「どうやらピーターが帰ったらしい」
 会長のピーターがいなくては魔王研究会は活動出来ない。
「レイモンドを取り込もうってのは無茶だと思うんだけどなぁ」
「あぁ、かなり」
 クリスは相槌を打つ。
 レイモンドはどの部活動にも参加していない。学年が始まってすぐの頃は、あちこちの部活から勧誘を受けていたようだが、秋のこの時期になってもまだ勧誘を続けているのは魔王研究会のみだ。
「しつこいから余計嫌われてるんじゃないか?」
「だろうな」
 マイクは笑う。
 自分が勧誘された頃のことを思い出しているのかもしれない。ピーターはそのしつこさで多くの部員を獲得している。けれど、その多くが幽霊部員と化しているのが現状。
「文化祭はやっぱり『七英雄伝』か?」
 話題を変えるマイク。
「あぁ、それしかないだろ」
 答えるものの、クリスは考え込むような顔をする。
「どうした?」
「ミミが変なこと言うから……ちょっと気になって」
 クリスは簡単に説明する。
「変わりもんの言うことだろ?」
「そうなんだが……お前、ミミと話したことあるか?」
「ない」
 首を振る。クリスは言葉を探すようにゆっくりと、
「あいつさ、時々別人みたいな顔するんだよ。そんな顔のときはさ、なんか怖いんだ」
「何が?」
「わからない」
 わからないけれど――言葉を続けようとしたが、なんと表現したらいいものかわからず、クリスは黙り込んだ。


八.現在<伝説>

 王冠に赤いマント。派手だけがとりえの玉座に、貫禄をつける為だけの付け髭。幕が上がってすぐ、舞台右手に彼は座っていた。
『時は王暦五八七年の秋。時の王は、差し迫った重大な問題に心を痛めておりました。そう、古の魔王の封印が解ける時期に差し掛かっていたのです』
 朗々と、男の声が響く。声に答えるように、王は重い息をつく。そして、語りかけるように心痛の元を吐露する。
「三百年のときを経ても未だ、魔王を倒すすべが無い」
『そんな王の下へ朗報が。魔王を封印した一族が、三百年ぶりに表舞台へ姿をあらわしたのです』
「そのものをすぐに呼べ!」
 王は声を荒げる。
『はっ』
 スポットライトに照らされ、右手から一人の娘が登場する。オレンジ色のワンピースをまとった娘は優雅に一礼し、
「ご機嫌麗しゅう、殿下」
「そなたは?」
「『封印の血族』の、レジーナ・メイエンと申します」
「おぉ、待っておった。待っておったぞ」
 王は安堵の声を上げる。
「お主は分かっておろうが、魔王の封印が解ける時が近い」
「はい」
 娘は物分かり良く頷く。
「だが、そなたら一族との約束――魔王を倒すすべは未だ無い」
「ぞんじております」
 顔色も変えず、娘は頷く。
「ですから、再び――そのために私はこの場に参じたのです」
 王は笑みを漏らし、奥へ声をかける。
「あのもの達をここに」
 王の声に、右手からスポットライトに照らされた六人が登場する。学者風のローブを羽織った青年に、戦士が二人、魔術師が二人、そして派手な格好をした貴族の青年。
 レジーナの前に一歩進み出るとそれぞれが自己紹介を始める。
「私はコリン・ロスタロット」
 まず最初に名乗ったのは学者だった。
「魔王と魔王城について長年研究しています。ですが――」
 分厚い本を掲げ、数ページめくる。
「封印についてはあまりにも文献が少なく、頓挫しかけておりました。ですが今回、再び封印に向かうということで、ぜひ同行させていただきたく名乗りを上げたのです」
「俺はアシュレイ・リクスブレーカー」
 次に名乗り出たのは戦士の片割れ。軽量な防具に身を包んでいるものの、手にある武器は大剣。プラスチックで出来た小道具の剣を重々しく振り回し、自分の技量を披露してみせる。
「大剣とナイフ投げで俺の右に出るものは無い」
「はいはい」
 と、押しのけて、
「俺はグレイランド・ハート」
 もう一人の剣士が名乗る。アシュレイと防具は同じものだが手にしているのは普通の剣。素早い剣舞を見せ、
「この通り、技術においては俺のほうが上だ」
「武術退会予選落ちの常連が何言ってんだか」
 アシュレイがからかう。
「うるさい、俺は上がり症なんだよ」
「上がり症の剣士なんて戦場で役に立つと思ってんのか?」
「黙れ。闘技場なんて人の多い場所じゃ俺の実力は発揮できないんだよ」
 二人はごちゃごちゃと揉め始める。些細な出来事を次々と披露し、互いに相手の欠点をあげつらう。もはや低レベルな喧嘩でしかない。二人が剣を抜こうと仕掛けたところで、女が一喝する。
「お二人、場所をわきまえられよ」
 二人は互いににらみ合いつつも、脇へと下がり、同時にその女が一歩前に出る。片手には背丈と同じ長さの杖。先端には魔法石が取り付けられ、シンプルながらに高価なものであることがうかがわれる。
「私はローズマリー・バーグマン」
 魔術師用の重々しいローブ姿。表情は無く、口調も硬い。魔術師よりも、軍人といった雰囲気。
「こちらは我が師トルキス・ライオット」
 ローズマリーに名を告げられた人物はすっぽりと全身を覆うローブ姿。年齢も男女の区別もつかないが、名前からして女であろう。声を発することもせず、静かに一礼する。
「師は、偉大なる魔術全般にたけた最後の魔術師。前時代の魔術の英知を受け継ぐ最後の一人――」
 女がトルキスへの賞賛を続けようとしたところで、紙ふぶきが撒きあがる。
「大物は最後に登場ってのがお約束」
 道化のような格好をした青年が紙ふぶきを撒き散らしながら数歩前に進み出る。
「僕はサミュエル・ベイグランド。魔王城があるのが父の領地内だから同行することになったんだ。ま、道先案内人だって思ってくれればいいよ」
 軽口を叩く。サミュエルが言葉を続けようとしたところで、王は疲れたように、
「そのものたちを連れて参れ。きっと役に立つであろう」
 レジーナは一礼し、彼らを連れて右手に下がる。同時に舞台の照明は落ちる。

     *

 人為的に訪れた暗闇の中、彼は人々の顔を見渡した。
 劇が始まり、すぐに感じ始めた妙な違和感。だが、誰もそれに気づいた様子は無い。
 誰もが結末を知っている劇。何もおかしな点など無かった。違和感を感じるべき点など何もないのだ。
 自分に言い聞かせ、落ち着くべく息を吐いた。

     *

 数秒後、舞台は薄暗い明かりに照らされた。黒い布が幾重も垂れ下がり、魔王城の雰囲気作りのためか、魔方陣や奇妙なオブジェが配置されている。
「気味が悪いな」
 台詞ほど緊張感も無い様子で登場したのはアシュレイ。
「緊張感を持てよ」
 グレイランドがたしなめる。
「こんなところだから仕方ないさ」
 サミュエルはアシュレイ以上に陽気だ。
「お前、恐怖感は無いのか?」
 グレイランドが嫌味ったらしく問い掛ける。
「心配ない。危険だと思ったらさっさと逃げるから」
 声を落とし、内緒話をするように、
「こう見えて逃げ足は速いんだよ」
「はいはい」
 アシュレイとグレイランドが突っ込む。
 次に舞台に登場したのはコリン。片手に虫眼鏡、もう片方には分厚い辞書。妙な専門用語を並べつつ、柱や壁に刻まれた文様を見て周る。
「すばらしい。ここは魔族文明の結晶だね」
 あちらこちらを入念に見て周り、絶賛する。
「皆さん」
 レジーナが怒るのに疲れきった顔で登場する。
「わかっていますか? すぐそこに魔王がいるのです。これは物見遊山の旅ではないのですよ」
「分かってるよ」
 男達は口々に言い返すが、説得力は無い。
 ローズマリーがトルキスの手を引いて登場する。黒いフードを目深にかぶっているためまともに歩けないのだろう。
「師が、この城へ入ってから常に妙な気配を感じると」
 トルキスを腰掛けさせる。
「魔物やそれに類するものではないと」
「確かにな」
 賛同したのは剣士二人。
「ここ数年、領土の魔物は減ってる。だが、魔王城の中に魔物がいないなんて……ありえない」
 アシュレイの言葉を受けて、グレイランドも頷く。
「あぁ、雰囲気は魔王城だが、満ちてる気配はまるで性質が違う」
「違うと言いますと?」
 コリンが尋ねる。
「そうだな――」
 言葉を捜すグレイランドの言葉をさえぎり、
「結界の内側って感じだな」
 アシュレイが断定的に言う。
「罠でしょうか?」
 首をひねりながら、誰にとも無く尋ねる。
「いや、罠なんて無かったと思うけど?」
 サミュエルの言葉に、一同顔を見合わせる。
「どういう意味ですか?」
「実はここ、小さい頃良く遊んでたんだよね」
「……は?」
「だから、あちこち探検してるけど昔っからここはこんな感じだったって事」
 沈黙が満ちる。
「お前」
 やっと声を上げたのはアシュレイ。額に手を当て、
「お前の案内で迷うことなくここまで来れたが……まさかそういうことだったとはな」
「あの扉の先もさ、ここと同じ部屋でしかなかったよ」
「えぇ、そうでしょうとも」
 レジーナはやっと口を開く。声は硬い。
「魔王を封じるため、私たち一族はずいぶん苦労したのよ。簡単に見つけられるような場所に封印などしません」
「じゃ、どこに?」
 グレイランドが尋ねる。目的の場所は一番奥だと聞いていた。だが、一番奥の部屋に何もないのならば何処に封印されているというのだろう。
 ローズマリーが静かに頷き、レジーナを見据える。
「師がおっしゃいました。我々は鍵と共にある――と」
「鍵、ですか?」
 コリンが尋ねるが、トルキスは何も答えない。
「魔王を再び封じるには、一旦封印を解かなければなりません。ここからは気を引き締めてください」
「命の保証は出来ないってことだな」
 アシュレイが戦士の顔になる。
「えぇ」
「逃げるなら今のうち」
 グレイランドも静かに闘志をみなぎらせる。
「えぇ」
「……魔王は本当にここに封じられているんですか?」
 コリンの質問に、レジーナは薄く微笑む。
「魔王を封じた地への道が、あの扉の向うにあるのです」
「でも」
 サミュエルが不思議そうに首をかしげる。
「本当に何もないよ、あの部屋」
「えぇ。そうでしょうとも」
 レジーナは訳知り顔でうなづき、扉の向う――舞台右手に姿を消した。
 一人、また一人、決意の表情で後に続く。サミュエルが最後に続き、舞台の照明は落ちた。


九.現在<再生>

 違う。
 心の中で何かが悲鳴を上げている。
 違う。違う。
 何が違うのかわからない分、混乱する。
「クリス、どうしたの? 顔色悪いわよ?」
 レジーナ役のシャンティが心配げに覗き込む。
「いや……大丈夫」
 体調は悪くない。ただ混乱しているだけだ。ミミに言われた事を自分でも思ってないほど気にしていたんだろうか。
 湧き上がる奇妙な焦りを振り払おうと、クリスは頭を振る。
「やっぱり」
 小さなため息とともに彼女の声がした。周囲のざわめきが瞬時に遠くへ追いやられる。
「だから、この芝居はやめたほうがいいって言ったのに」
 彼女は小さな声で語りかけているのだが耳に響く。
 ここは舞台袖。まだ演劇中なので役者や裏方、雑多ににぎわっている。それに観客席には多くの人。がやがやとうるさいくらいの音が響いているはず。思ってはみても、音が耳に入ってこない。
「ミミ、お前」
 一言しゃべるのももどかしく、彼女に掴みかかる。
「お前」
 低いうなり声にしかならない声。
『この女だ。この女が全ての元凶だ』
 元凶? 全てって何のことだ? ミミが何を知っている?
『この女は――だ。この女を殺さなければ……』
 それは済んだ事だ。 あの時、確かに俺が――
『まだ終わってない。目の前にいるのは誰だ? あの女だ!』
「苦しい? だから忠告してあげたのに」
 胸元を締め上げられているもののミミは薄い笑いを浮かべている。ミミの静かに澄んだ瞳に映る、剣呑な瞳のクリス。
 違う、違う――「違う!」
 強く頭を振る。
 湧き上がるのは誰かの怒りと憎しみ。そして、殺意。それらを抑えようと、押し殺そうとするが。
「何も、違わない」
 静かな声でミミが肯定する。
 何を? お前は何を知っている? 全てを知っているというのか?
 混乱するクリスの指は彼女の咽元へ食い込んでゆく。
「クリス!」
 クリスはミミから強引に引き剥がされる。手はミミの首にあてられていた時のまま固まり、細かく震えている。
「おい、クリス!」
 マイクは正気を取り戻していないクリスの頬を叩く。二度三度と繰り返すうち、痛みを感じ始めたのだろう。赤い頬をしたクリスは呆然とした瞳でマイクを見返す。
「違う」
「何が?」
 弱弱しい声でただ同じ言葉を繰り返す。
「おい、クリス」
 声はだんだん小さくなり、吸い込まれるように気を失った。
「どうしちゃったわけ?」
 気絶したことを確認し、シャンティが恐々近寄ってくる。
 クリスがミミに掴み掛かったとき、舞台袖にいた人間はそれを止めようとした。だが、取付かれたようなクリスを止めることは出来ず、かといって騒ぎを大きくすれば舞台は中止になる。そこでシャンティは、友人のマイクを呼んできたのだった。
「さぁ、俺にもさっぱり」
 マイクは首をかしげる。こんな状態のクリスを見たことは無い。
 介抱されているミミはむせ返りながらも落ち着いた様子で、
「グレイランド役はロイド、あなた代役で出来るでしょ?」
 不安げな顔で取り囲んでいる中の一人に声をかける。
「え、あぁ」
「すぐに用意して。みんなも芝居に戻って」
 首元を抑えながらも冷静に指示を出してゆく。
「マイク、クリスを保健室に」
 ミミのてきぱきした指示で再び幕が上がる。ざわめいていた観客達の声も聞こえなくなる。
「ミミ」
 落とした声色でマイクは尋ねる。
「クリスに何を言ったんだ?」
「何も」
 ミミは振り向きもせず答え、歩き出す。
「何処に行くんだ?」
「トイレ」

   *

 屋上には濃い青空が広がっていた。北には黒々とした魔王城と平和な町並みが奇妙に共存している。
 居住地域を求め魔王城周辺部までもを開拓した人々。数百年前に味わった恐怖は薄れ、忘れかけている。それを勇気と呼ぶべきか、無謀と呼ぶべきか。
 手すりにもたれかかるように魔王城を見ている他校の制服を着た女生徒――。
「やられたな」
 トリシアは振り向きざまに首元に目を留め、にやりと笑う。
「回復魔法、できない?」
 ミミが冗談交じりに尋ねる。
「赤みが取れればいいところだろう」
 足元に置いていた缶ジュースを放る。ミミのために買っておいたものらしく、まだ冷たい。
「ありがと」
 首元にそれを当てる。
「予期はしてたんだけど――」
 言い訳めいた言葉。
「いつもながらに面白がっておるだけだろうに」
「冗談で殺されちゃ、シャレにならないわよ」
 トリシアの隣に立ち、魔王城を眺める。
「彼、相変わらず真面目なのよね」
「そのようだな。だが、今回のことで弊害が出ないか?」
「弊害?」
 ミミは繰り返し、
「あぁ、そうね。戻らなくてもいい人の記憶まで戻る――」
 タイミングよく勢いよく屋上の扉が開く。
「ここにいたのか! ミミ・クルーニー」
「ピーター、何訳のわからないこと言ってんだ」
 ピーターは颯爽と、レイモンドは腕をとられ迷惑そうな顔で現れる。
「実現したな」
 低い声でトリシアは笑い、巻き込まれないよう距離をとる。
「君がレジーナだとは思わなかった」
 大股で近づきつつピーターは顔を輝かせる。
「おい、お前――」
 レイモンドは引きづられながらもピーターの説得を試みているらしい。低い声でぼそぼそと話し掛けている。
「サミー」
 額に浮き上がる血管を意識しつつ、ミミは笑みを浮かべる。
「お久しぶり。ところで何の用?」
「何の?」
 芝居がかった仕草で頭を抱える。そんなピーターの様子を呆れ顔でレイモンドは見ている。
「わかっているくせに。酷いなぁ、レジーナは」
「今はミミよ。ミミ・クルーニー」
「わかってるよ、レジーナ」
 突っ込みたいのをぐっとこらえる。昔から人を怒らせることに関しては天才的だ。
「何の用なの? 私にはさっぱりわからないんだけど」
「魔王城のことさ。結局、僕は途中で殺されたわけだろ? 全てを見ることができると思っていたのに何とも残念な結果になったからね、あの後のことを聞こうと思って」
「何処まで思い出してるの?」
「ほぼ全て。僕が死んだ後のことが知りたいんだよ」
 考え込むミミを見かねた様子で、レイモンドが声を上げる。
「おい、お前いい加減にしろよ。訳のわからないこと言い出しやがって」
「大丈夫よ、レイモンド」
「な、なんで俺の名前――」
「学年一の秀才でしょ? 名前くらい誰でも知ってるわよ」
 ミミの言葉に、レイモンドは納得顔で頷く。
「なんて、言いたい所だけれど」
 悪戯っぽく微笑み、
「あなたのことはずっと見てたから知ってるの」
「見てた?」
「やっぱり」
 と、ピーターが納得するように何度も頷く。
「魔王城の研究をするにはレイモンドが必要だと確信していた理由がやっとわかったよ」
「は?」
 レイモンドがピーターの顔を見つめる。
「つまり、僕は無意識的にレジーナに会うためには餌のレイモンドが必要だってことに気づいてたんだよ」
「餌?」
「レイモンド、君のように鈍い男にはわからないだろうが、これは恋の話なんだよ」
「は?」
「つまりだ、レジーナが君に惚れてるってことに周りは気づいてたのに君は死ぬまで気づかなかった。そういうことなのさ」


十.過去<到着>

 魔王城に近づくにつれ、不思議な事に、魔物の数は目に見えて少なくなった。アシュレイとグレイランドはそれでも戦闘モードで一行の先頭に立ち、ローズマリーは後方を固めている。
 魔王城への道は一本しかないが、たどり着いたものはいない。古い石でできた道に、強力な迷路の魔法がかけられていることは有名な話だ。
 夜がふけてゆく。レジーナ達一行が歩を進めるにしたがい、闇が深さを増してゆく。黒い黒い、墨を混ぜ込んだような空気が魔王城周辺には満ちている。
 空には丸い月が一つ浮かんでいる。血のような、禍々しい赤の月。魔王城はその光りの中、怪しくも美しくそびえている。どこからか遠吠えが聞こえる。近く、遠く聞こえる複数の鳴き声。姿は見えない。
 一行はしばらく歩いては立ち止まる。トルキスが道を確かめるように呪文を唱え、杖を掲げ道を示す。それにしたがって一行は歩いている。道はまっすぐだというのに、一行はジグザグに進んでいる。
「本当にこれで城にたどり着けるのか?」
「もちろん。そのためにトルキスがいるのよ」
 不信げなグレイランドに、レジーナは答える。彼女は街中と同じ足取りで歩いている。
「魔王城周辺には、人を不安な気持ちにさせる魔法がかけられてるの。魔物が少なくなったからって心配する事ないわ」
 怪しい気配はあるものの、魔物の姿も、獣の姿もない。トルキスの示す道をただ歩く。ずいぶん長く歩いているような気もするが、同じところを行き来しているような気もする。
 トルキスが不意に立ち止まった。掲げていた杖をおろし、レジーナに合図する。
「ついたわ」
 レジーナも立ち止まる。目に見える魔王城は未だ、近くて遠い。近づいている様子はない。
「どこが?」
 アシュレイが言い、辺りを見渡す。道の真ん中にしか見えない。
 レジーナは懐からペンダントを取り出し、目の前に掲げる。ガラスめいた透明な石の周囲を奇妙な文字が縁取っている。トルキスは低い声色で呪文をつむぐ。その詠唱にあわせ、宝石の色が変化してゆく。周囲の闇を吸うように、黒く染まってゆく。
「さすが魔王城だな。幾重にも、さまざまな魔法で封印されている」
「興味深いね。魔法が栄えていた時代の遺物とはいえ、魔法が鍵になっているなんてあまりない」
 興奮顔でサミュエルとコリンはトルキスの言動を見守っている。道中、常にピクニック気分の二人だ。
 空間に亀裂が入り、何もなかったはずの空中へ、魔王城の内部が出現する。古い石造りの回廊。ところどころに魔法特有の輝きを見せる明りが設置されていて、奥まで見渡せる。魔王城周辺よりも明るいが、亀裂の周囲は相変わらず何もない。
 レジーナは一行を見渡し、にこりと微笑む。
「じゃあ、ここでお別れを言うわね。ここまで一緒に来てくれてありがとう。あなた達もご苦労様」
 アシュレイとグレイランドに残りの礼金を渡す。
「こんなとこで解散?」
「帰りはどうするんだ? 魔王は?」
 アシュレイとグレイランドが慌てるが、レジーナは落ち着いている。トルキスはローズマリーを連れ、亀裂の中へと入ってゆく。後に続こうとしたコリンとサミュエルだったが、レジーナに止められる。
「ここに、あなた達が期待しているような魔王はいない」
「どういうこと?」
「魔王がいないって、そんな馬鹿な話はいくら君の台詞でも信じられないよレジーナ」
「私は嘘は言わないわ。この先には、あなた達が予想しているような展開は本当にないの。もしもついて来るのならば、死ぬ覚悟をして」
 そう言ってレジーナは魔王城へ入る。待っていたトルキスたちと歩いてゆく。
「ちょっと待って、レジーナ」
 コリンとサミュエルが慌てて後を追う。
 アシュレイとグレイランドは顔を見合わせる。魔王城内部からもれる光りは美しい。それに比べ、外は薄気味悪い闇の中。心情的には魔王城といえども、中に入ってしまいたい。
「俺たちはどうする?」
「契約は完了した。この後は自由行動だろ」
「自由行動――?」
「コリン先生は上客候補だし、アフターケアは万全にしといた方がいいよな」
「おお。俺は魔王ってやつの顔が見てみたい」
「死ぬ覚悟ってやつはあるか?」
「覚悟のない奴に傭兵なんてやる資格はないさ」
「おっと、急ごう。喋ってる間に追いていかれてるぞ」
 二人は魔王城内部へ足を踏み入れた。
「あれ?」
 グレイランドは気の抜けた声をあげた。
「魔物か!?」
 一足遅れて入ってきたアシュレイだったが、戸惑い気味の表情をする。城周辺に満ちていた不気味な空気など微塵もない。
「――なんだよ、ここ」
 呆然とするのも無理はない。その城に満ちていたのは清浄な空気。
「何だか、まるで――」
「神殿みたいだな」
 グレイランドは不謹慎だと言葉を閉ざしたが、その頭の中を読んだかのようにアシュレイが続けた。
 入り組んだ城内だというのに、かって知ったる様子でレジーナ達は歩いてゆく。歩調に乱れはない。
 魔王城が神殿だとするなら、魔王城周辺に魔物がいなかった事も理解できる。神殿に魔物は近づかない。アシュレイとグレイランドは戦闘モードを解除し、不思議な顔をしながら先を行く彼女たちの後を追う。
「建築様式は城というより神殿のようだね」
「驚きの事実だよ。外から見ればまがまがしい魔王城が、内部はこんなに神聖な雰囲気だとは思いもしなかった。レジーナについて来て正解だったよ」
 コリンとサミュエルは話し込み、時折、観察するために立ち止まりながら歩いている。遅れかける二人をグレイランドが呼びよせ、置いて行かれない様、レジーナたちに続く。
 城の内部はつい先ほどまで使われていたかのように、埃一つ落ちていない。壁にかけられた装飾品や敷物も美しく、誰も近づけないはずの魔王城内部だとは思えない。
「神殿って普通、魔物除けの強力な魔法がかけられていたり、強力な退魔アイテムが安置されてる場所だよね。だけど、これほど巨大な城をまるごと神殿にするって聞いた事がない」
「魔法にしろ、魔法アイテムにしろ、相当なものだね」
「その上、近づけないよう複数の魔法を周囲にかけるともなると……何人の魔術師がこの城に関わっているんだろうねえ。複数の魔術師が魔法をかけたとなれば、何らか魔法のほころびができるはずなのに、それがない」
「なんでわかるんだ?」
 アシュレイの疑問に、サミュエルは簡単な事だと言う顔で、
「ほころびがあれば、誰かが城に近づけたはずだ」
「誰も近づけないほ完璧な魔法だなんて、気が遠くなりそうだよ」
 言いつつも、サミュエルもコリンも嬉しそうだ。
 廊下を抜け、広間を抜け、階段を上がり、謁見室を抜け、階段を下り、廊下を歩き、階段を下り……扉の前で、レジーナはようやく立ち止まる。くるりと仲間たちを振り返る。
「ここまでよ。あなた達は帰って」
 アシュレイ、グレイランド、サミュエル、コリンの目を順番に見る。
「帰りなさい」
「何だか怖いよ、レジーナ」
 サミュエルが言い、コリンがうなづく。
「ここまできて何だよ」
「この奥に魔王がいるんだろ?」
 グレイランドとアシュレイもここまできて帰るつもりはない。
「こうなるんじゃないかと思っていたよ」
 トルキスが鼻で笑い、フードを取る。現れたのはレジーナと同じ顔。
「お前ら、姉妹だったのか?」
「違う。同じ一族ではあるがな」
 アシュレイの疑問に答える。トルキスはレジーナを横目で見やり、視線を戻す。
「おぬしたちよく聞け。今から十五分後、道を閉じる。命の惜しい者は去れ」
 宣言して呪文を唱えはじめる。
 グレイランドがレジーナに尋ねる。
「道って何だ?」
「この城に入ってきたときに通った、裂け目のような穴のことよ」
 アシュレイがレジーナに聞く。
「本気か?」
「冗談に見えるかしら? 道が閉じれば、この城から出られなくなるわ」
 サミュエルがレジーナに言う。
「僕はぜひとも魔王の姿を見たいんだけど」
「何度も言うけれど、あなたが期待しているような魔王はこの中にはいないの」
 コリンがレジーナを見つめる。
「君は――」
「さよなら、コリンちゃん」
 あげかけた声をさえぎるようにレジーナは告げ、一行に背を向ける。グレイランドはその背に問いかける。
「あんた達はここに残って何をするつもりなんだ?」
「――死ぬの」
「死ぬためにここまできたって言うのか?」
「そうよ」
「レジーナ、君も……」
「コリンちゃん、行って。あなたは偉い学者になるんでしょ?」
 サミュエルが一つ息を吐き、歩み去ってゆく。
「どうやらレジーナは本気みたいだし、僕は失礼するよ。死んでしまったら研究もできないしね」
 レジーナの背を見つめていたコリンだったが、意を決しサミュエルに続く。
「あなた達も急いだ方がいいわよ。道はもうすぐ閉じる。間に合わなくなるわよ」
 アシュレイとグレイランドは駆け出す。
 行ってしまったのを確認し、トルキスは呪文を止める。呪文の詠唱はただのはったりだった。だが、この城から出て、数歩歩けば、再び道を見出す事などできない。トルキスとレジーナがいなければ、誰も城に入ってくる事などできない。
「予定通りだな」
「一人多いけどね」
 レジーナはローズマリーを見やる。トルキスは薄く笑う。


十一.過去<終幕>

「ローズ、あなたはここにいて」
 レジーナとトルキスは扉をあけ、中へと入る。
 部屋の中は美しかった。ステンドグラスから差し込む光りと、あちこちに灯された魔法による光りが幻想的に部屋を彩っている。ただ、中央に場違いなものが一つ。部屋いっぱいに描かれた巨大な魔方陣と、その中央に横たわっているのは胸に剣をはやした女。
 女の黒く長い髪は乱れ、マントのように広がっている。白く古風なドレスも、胸からの血で赤黒く汚れている。美しい白い顔には、つい先ほどまで生きていたかのような生気がある。
 トルキスは呼吸を整え、荷物から魔法書を取り出すと読み上げ始める。間違えることはできない。トルキスの声に呼応するかのように、魔方陣が淡く輝き始める。
 女が薄く目を開く。
「ご苦労な事だ。まだこの茶番を続けるのか」
 女性らしい、柔らかな声に憎悪がひそむ。胸の傷口が開いたのか、血があふれる。剣が、じわりと浮き上がる。女の体から抜け出ようと、動いている。レジーナは慌てて駆け寄り、剣の柄に体重をかける。女がうめく。
「小ざかしい人間め」
 殺意の宿った瞳でレジーナを睨みつける。レジーナは女の顔を見ない。
「ずいぶん弱ってきてるみたいね」
 剣に力を込めたまま、レジーナは尋ねる。
「私も永遠ではない」
 女は笑う。嘲るような笑いも、苦痛に消える。心臓に剣を突き刺して死なない人間などいない。神殿で生き続けられる魔物もいない。
 女は不自由そうにトルキスを見やる。トルキスの呪文詠唱は続いている。扉に目をやった女の瞳に、楽しげな光りが宿った。
「人形がいるな」
 扉は閉まっていたが、女の瞳はたたずむローズマリーの姿を捉えている。
「来い」
 女は静かに呼びかける。扉が開く。ローズマリーが姿を現す。茫洋としていた瞳に、知性を取り戻してゆく。徐々に、怒りの色に変る。
「……魔女め」
 剣を抜き放ち、トルキスに近づく。トルキスはローズマリーに視線を送るが、呪文詠唱をやめない。ローズマリーの剣がトルキスの首元に当てられる。そのまま動かない。
「切れ」
 じれた女の声に反応するように、ローズマリーは線を走らせる。トルキスの体が血を吹きながら、崩れ落ちる。ローズマリーは悲鳴を上げ、トルキスを抱きしめる。信じられないと首を振りながら、トルキスの名を呼ぶ。
 女を縛り付けていた魔法が弱まる。女は喉の奥で笑い、心臓を貫く剣に手をかける。
「ダメよ。絶対にダメ」
 レジーナは剣から手を離さない。女はレジーナを押し退けようとしたが、彼女にかすかにふれた指先は、雷に打たれたかのよう黒くこげた。強力な魔法がかけられているようだ。女がレジーナに触れることはできない。
 この魔方陣の中に入ることができるのは、魔方陣を作り出した血筋のものだけだ。このままでは埒が明かないと、女は呪文を唱える。先ほどまで呪文を詠唱していたトルキスがいなくなり、行動を制限している魔法陣の力が弱まっている。女の力が少しだけ戻ってきている。
 部屋の中、城を去ったはずの四人の姿が現れる。戸惑い顔の男たち。
「ようこそ」
 女は笑いかける。レジーナはぎょっとした顔で女を見やる。
「どうして!? 彼らは関係ないわ」
「それはこちらの台詞だ。私はなぜ、ここに縛られていなければならない? お前たちが勝手にやっていることだ」
 女は不敵に笑う。
「どの道、このままでは、私はお前の血で穢されるのだ。この部屋に誰の血がいくら流れようが、私はかまわない」
 低い笑い声が、苦痛の声へ変る。魔方陣が輝いている。見やれば、ローズマリーが呪文書を読み上げていた。
「なぜだ。人形がなぜ?」
 レジーナにも答えられない。ローズマリーはトルキスの人形だった。恨みこそすれ、彼女の意思を継ぐとは思わなかった。
 トルキスはローズマリーに全てを語っていた。全てが終わった後であれば、切り捨てて構わないと告げていた。ローズマリーはトルキスを恨んではいたが、この場は、彼女の意思を尊重するべきだと判断した。
「レジーナ、君は何を……それに、ここは?」
 突然の変化に、コリンが理解できないといった様子で、説明を求める。
「僕たちは魔王城の外にいた。どうして、また中にいるんだ?」
「彼らは関係ない」
 レジーナは振り向かない。女に繰り返し懇願するが、女は鼻で笑う。
「関係ない者がなぜこの城に足を踏み入れた? これは余興か? 私は見世物か!? お前はこの世界に生きている全ての人間が、私に関係ないとでも言うのか? そうではないだろう。この世界に関わらないと決めた私を、お前たち一族がこの世界に留めているんだ。この世界に生きる全ての人間の為、お前たちが私をここに縛り付けているんだ」
「あなたが必要なの」
「私達は必要ないと判断した」
「無責任だわ。私達を見捨てるなんて」
「私達に責任などない」
「あなた達の存在が、どれほど世界に影響を与えたか――」
「それは昔の事だ。今、この世界がどれほど私達の影響下にある? 私達がいなくとも、世界は続いてゆく」
「無理よ。世界はきっと破滅する」
「それはお前たちの努力しだいだ」
「いてもらわなきゃ困るのよ」
「誰も困ってなどいないさ」
 レジーナと女の話は平行線だ。倒れたトルキスの姿を認め、サミュエルが悲鳴を上げる。
「俺は死にたくない」
 部屋から駆け出してゆこうとしたサミュエルだったが、背後から袈裟切りにされる。グレイランドの剣から血が滴り落ちる。金属音が高く響く。コリンに向けられた剣をアシュレイが受け止める。
「何血迷ってんだ、お前は」
 力比べとなれば、大ぶりな剣を持った大柄なアシュレイに勝機がある。だが、グレイランドは小刀も獲物としている。接近してもしなくても、面倒な戦いになる。コリンを背後にかばいながら相対するのは難しい。
「先生、離れてくれ。動きづらい」
 アシュレイが剣を振り上げる。グレイランドは小刀を投げつけ、間を取る。一旦離れれば、切り結ぶのは難しい。
「若者よ、この部屋にいる人間、全てを殺せ」
 女の声が響く。グレイランドは答えるように、攻撃の手が強くなる。厄介なことになったと、アシュレイは呟く。グレイランドの攻撃は容赦ない。いつもスタミナ不足で大会で予選落ちする癖に、今に限って動きが滑らかだ。
「これだけ動けりゃ、武術大会でも優勝できるだろうに」
 アシュレイが毒づくが、グレイランドはニヤリともしない。攻撃の隙を狙い、睨み合う。剣を繰り出し、弾かれる。足の置き場が悪く、サミュエルの血溜まりに足をとられ、よろけたところに剣が突き立てられる。
「危ねえ。本気で死ぬところだった」
 全身を覆う武具を身につけているものの、その隙間を狙われれば一巻の終わりだ。
 金属音が続く。決定的な打撃を与える事ができない。操られたグレイランドは疲労や痛みを感じている様子はない。さすがにアシュレイの足も乱れてきた。血溜まりに足をとられ、転ぶ。グレイランドの剣がすかさず、腹へ突き出される。
 アシュレイは終わりだと悟ったが、
「重い」
 コリンが覆いかぶさるように倒れこんでいる。
「先生――?」
 コリンの胴の中心に深々と、剣が刺さっている。グレイランドはその剣を抜こうとしているが、抜けないのか四苦八苦している。アシュレイはグレイランドの首元めがけ、剣をなぎ払う。グレイランドが崩れ落ちる。
「先生!」
 アシュレイが声をかけるが、コリンの意識は薄れていく。腹からの出血は酷いが、体を汚しているのはどちらの血なのか判断つかない。
「許さない。絶対に許さない。コリンちゃんは……彼は関係ないのに……どうして? なぜ、あんなことを!?」
 女は楽しそうに笑う。レジーナの瞳から、大粒の涙があふれ、こぼれ落ちる。
「グレイランド」
 赤い血溜まりに横たわる相棒をアシュレイは見つめている。
「レジーナ、説明しろ」
 感情のまま叫ぶ。レジーナはここに魔王はいないといった。では、あの女は何だ? 今、この部屋に立っているのはレジーナと、ローズマリーとアシュレイだけだ。ローズマリーの呪文詠唱の声が低く響いている。
「世界の為よ」
 レジーナは叫ぶ。
「私達一族は世界の為に、彼女をここに留めるために存在している。彼女がいなくなれば、この世界から魔法が消える。何もかも終ってしまう」
「その女は――」
「神よ。この世界に留まっている、ただ一人の神。昔は神話伝承にあるように、世界には神々が数多く存在していた。けれど、ある時、どこかに旅立ってしまったわ。この女一人を残してね。
 私達一族はこの女をこうやって留めているの。彼女を失えば、この世界から神が一人もいなくなる。世界を支えてくれる存在、救ってくれる存在がいなくなってしまう。どんな事があろうとも、どんな犠牲を払おうと、彼女が必要なの」
 レジーナの嗚咽が聞こえる。ローズマリーの詠唱が最終段階に入ったのだろう、魔方陣の光りが一段と強くなっている。アシュレイは近づけない。
「世界に神は必要ない。そう判断したからこそ、我々はこの世界を後にしたのだ。この世界は私達の世界ではない。お前たちの世界だ。お前たちの手で作り、繁栄していけばよいのだ。私達がいる必要など、どこにもない」
 女は苦しげに言う。
「神の意思を否定し、私をここに留めおくのはお前たちの傲慢だ。私は永遠ではない。世界を支え続けることなど不可能だ。
 この聖域は血で汚れすぎた。私は力を取り戻すため、また三百年の眠りにつかなければならない。次に目覚めた時、世界がどのように変容していようとも、それは私の知った事ではない。全てお前たちが選んだ道だ」
 女は重いまぶたを閉じる。
「お前たちを呪ってやろう。次に私が目覚めたとき、お前たちがどこでどうしているのか……考えてみれば良い余興だ」
 魔法の光りが消える。魔方陣の輝きが失われる。レジーナは慟哭する。
「本当は、私がここで死ぬはずだったの! 私一人がここで死ぬはずだったのに!!」


十二.現在<再演>

 ミミが大きくため息をつき、あきれ返った声色で言った。
「ピーター。適当なことを言うのはいい加減にして」
 言われた当人は笑っている。そのほうが話が面白いとばかりに。
「あの状況のどこに恋の要素があったって言うのよ、馬鹿らしい。私はね、あの時のメンバーをずっと探してたし、見つけたら影から観察してたの。勿論、あんたを除いてね」
「ところで、僕は何の餌なんだ?」
 レイモンドが不満げに尋ねる。
「あなたはコリンの魂を持っているの。私はレジーナ。あっちにいるのがトルキス」
 物陰から少女が現れ、軽く頭を下げる。
「今はトリシア・メレンカンプだ」
 トルキスといえば劇などでも黒ずくめのイメージだったので、普通の少女らしい姿をした彼女にレイモンドは違和感を感じた。そんな自分がおかしくて、表情は微笑みの形になる。
 ミミはちらりとその顔を見やり、不満そうな声色で、
「そして、その騒がしいのはサミュエル。たぶん、もうすぐ全員揃うわ」
 ピーターは満足そうに頷く。ミミは話は終わりとばかり、柵にもたれかかり、トルキスと話し込んでいる。
「質問に答えてくれ。僕は何の餌なんだ? なぜ僕がコリンなんだ?」
「君がコリンであるのは間違いない。瞳の奥に答えがある」
 トルキスは薄く笑う。気持ち悪い笑い方。トルキスらしいが、普通の少女がやると不気味だ。
「餌って言うのは……さっきピーターが言っていたのが答えだわ。ピーターは私があなたの近くにいると思ったみたいね」
「アイツが君を探していたってことなのか? どうして君はそんなに詳しいんだ?」
 ミミはレイモンドを見つめる。何も思い出さないほうが幸せなこともある。知りたいと願っている人間に、何も知らせないのとどちらがより幸せだろう。
「私達は呪われているのよ」
「そういうもったいぶった言い回しはやめてくれ。もっと具体的に言ってもらえないか」
 その時、大きな音を立てて扉が開き、クリスとマイク、他校の制服を着た少女が現れる。トリシアと同じ制服だ。
 マイクはピーターと同じ魔王研究会に所属しているのでレイモンドとも顔見知りだ。クリスとマイクがつるんでいるのはよく見かける。
「お待たせ、トリシア」
「アリス、遅い」
 トリシアは先ほどまでと態度を一変させ、アリスに駆け寄る。アリスが持っている買い物袋を受け取り、中を覗き込んでいる。どこにでもいる普通の少女だ。
 二人は場の空気など物ともせず、レジャーシートを広げ、食べ物を並べる。ミミとピーターも途中から手伝う。
「何なんだ? これは」
「学園祭の最後は校庭でキャンプファイヤーにダンスに花火よ。ここからなら良い眺めだわ」
 馬鹿らしいとつぶやいて、立ち去ろうとするレイモンドをミミは引き止める。
「もうしばらくすれば面白いものがみられるわ」
「学園祭がそんなに楽しいのか?」
「違うわ。魔王城が消えるのよ」
「何!?」
 ピーターが掴みかからんばかりの勢いで、ミミに詰め寄る。
「消えるってどういうことだ? 魔王は? 魔王も消えるのか??」
「魔王なんていないわ。あの時も言ったはずよ」
 ミミはアリスが買ってきたお菓子に手を伸ばす。
「昨日は見事な満月だった。あの城に封じていた、あの女も復活したはずよ。あの女が復活すれば、魔王城の用はなくなる」
「あの女、とうとう復活するのか」
 いつの間にやらマイクが輪の中に入っている。クリスは面白くないといった様子でミミを睨みつけている。
 レイモンドには記憶などない。コリンの魂を持っていると言われてもぴんと来ない。
「アリスはローズマリー、マイクはアシュレイ、クリスはグレイランドの記憶があるわ」
「でも、僕にはそんなものはない」
 レイモンドが反論する。
「君は思い出したくないだけだよ」
 トリシアは言う。
「私も、思い出したときは悪い夢だと思いたかったもの」
 アリスはため息をつき、トリシアに菓子を回す。
「最悪の夢だよ」
 マイクは言い、ジュースを飲む。
「これ、誰かのおごり?」
「割り勘に決まってるでしょ。後で料金徴収します」
「ってことは食べなきゃ損だな」
 積極的にパクつきはじめる。
「夢とか言えるお前らは平和だな」
 クリスの声は固い。何かにイラついている。
「もうしばらくすれば、あなたの呪いもとけるわ」
 ミミは優しく言い、魔王城を振り返り見る。
「三百年前、あの場所で、あの女に呪われたのよ。記憶を受け継ぐようにってね。一番近くにいた私が、一番影響を受けてるのか、小さな頃から記憶があったわ」
「ならどうして魔王城に行かないんだ? こんなところで見てなくても、現場に居合わせた方が良くないか?」
 ピーターが興奮気味に言うが、ミミが首を振る。
「行きたくても行けないのよ。大切な鍵が失われてしまったんだもの」
「あー。あれか。アシュレイがレジーナから奪い取って海に投げ捨てたペンダント」
 マイクがあっけらかんと言う。クリスは唖然と友人の顔を見やる。
「お前、何してんだよ」
「だってな、相棒手にかけるわ、上客候補に命を助けられるわしたところに舞い戻りたいか?」
「だからって、そんな無茶苦茶な」
 マイクはレイモンドに向き直り、頭を下げる。
「あの時はありがとうな。おかげで命拾いした」
「いや、僕に言われても何の事だか……」
 レイモンドは所在無く、無意味に菓子を手にする。
「ローズマリーはあの後、トルキスのお墓作ったのよ。ビックリしちゃった」
 ミミが言い、トリシアはアリスの顔を驚きの表情で見やる。
「トルキス様が孤独なことは私が一番よく知ってましたからね」
 アリスが茶化すように言う。
「あの女に操られて、トルキス様の魔法がどれほど優しい種類のものかっていうのもわかったのよ。あの魔法、私が心から強く拒否すれば解けてたでしょ? 結局、あの魔法って死にたがってた私を救うためのものだったでしょ?」
「あの時はごめんなさい」
「とっくに時効よ」
 二人は笑いあいながら喋っている。過去の記憶があっても、新しい関係を築いているのだ。
「何が時効だ」
 クリスがうなる。ミミに掴みかかる。
「お前がいなければ、お前がいなければ、お前が――」
「落ち着け」
「落ち着ついて」
 マイクとピーターに羽交い絞めにされ、引き離される。
「クレスには悪いけど、ちょっと縛り上げときましょうか。暴力事件になったらお互い困るし」
 襲われかけたというのにミミは冷静だ。普段のクレスに暴力的なイメージはない。
「あいつ、どうしたんだ?」
 レイモンドがミミに問いかける。クリスは額に脂汗をうかべ、殺気立ってミミを睨みつけている。
「あの時、私達を殺そうと、あの女がグレイランドに呪いをかけた。それが残っているのよ」
「どうにかならないのか?」
「あの女がいなくなれば、呪いもなくなるわ」
 クリスはピーターがどこからか持ってきたビニール紐で離れた場所の柵にくくりつけられた。呪いがとければ、凶暴さもなくなるだろうからと。
 日がくれ、日が沈む。世界が闇に彩られる。校庭に巨大な炎の柱が出現する。花火が打ちあがる。ダンス参加者を募る校内放送が流れ、ダンス用の音楽が大音量で流れだす。
 魔王城は闇に紛れ、薄れ、消えてゆく。上部から塵と化し、崩れながら、風に吹かれ消えてゆく。どれほどの人が、今、この風景を眺めているのだろう。
「あの女が旅立ったみたいね」
「これで、完全にこの世界から神がいなくなったってことだな」
 マイクは感慨深げに言う。
「さあ。それはわからないわ」
「あれ、神だったの? 魔王は?」
 ピーターが尋ねる。
「最初からいないって言ったでしょ」
「結局、七英雄って何だったのかしら」
 トルキスがつぶやく。
「考えてみれば、私達が魔王だったのかもしれないわね」
「あー! ちょっと時間! 帰るわよ」
 アリスがトリシアを引っ張っていく。
「まったく、この電車乗り過ごしたら、またまたお小言なのよ」
「ごめん。またね、ミミ」
 二人は慌しく去ってゆく。
「おーい。これ、解いてくれ」
 クリスの声が響く。
「正気に戻ったか」
 マイクとピーターがクレスを連れ、賑やかに去ってゆく。ミミとレイモンドが残ってしまった。
「あなたも帰ったら?」
「ああ。だが、君を一人残して帰るわけにもいかないだろ」
「あら優しい。あなたって紳士なのね」
「あの時、」
 言葉を選びながらレイモンドは問いかける。
「どうして、あの旅に僕を誘ったんだ?」
 ミミはレイモンドの横顔を見つめ、魔王城のあった場所を見つめ、観念したように言った。
「コリンちゃん、あなた偉い学者になりたいって言ってたじゃない。私はね、あなたの夢をかなえてあげたかった。魔王城に立ち入るなんて、誰でもできる経験じゃないもの」
 レイモンドはミミを見やる。ミミはレイモンドを見つめ、
「私はあそこで一人、死ぬはずだった。だから、できるだけ長く一緒にいたかった」
「それは……やはり、恋の話だったのか?」
 レイモンドの問いかけに、ミミは悪戯めいた顔で笑う。
「さあ。覚えてないわ」
「僕は少し思い出したよ」
 レイモンドは言う。
「いつも笑顔の君が、あの城では辛そうな顔をしていたから思い出したくなかったんだ」
 ミミの頬が赤くなる。
「それって……恋の話?」
「さあね。僕には検討がつかないな」
 誰も片付けないで帰ってしまったので、ミミはゴミを袋にまとめる。そういえば、お金も徴収し忘れているから、後日請求しなきゃいけないなと思う。レイモンドは手伝いながら、思いついたように言った。
「僕はコリンの記憶を思い出す必要を感じない」
「それでいいんじゃない。私もできれば思い出したくなかったし」
 魔王城が消えた事で騒がしくなり始めている。城があった場所近くを、ヘリが旋回している。
「ここから先、世界はどうなるのかしらね」
 答えを求めた問いかけではなかった。
「あなた達が作り上げて行けばいいのよ」
 あの女が空中に現れる。胸に黒い染みはあるものの、元気そうな顔をしている。改めてみれば、美しい女だ。
「神がいなくても、世界は続く。続ける力があると判断したから、私達はこの世界から手を引いたの」
「どうしてまだこの世界にいるの?」
「私は自由だわ。どこで何をしようと構わないでしょ。あなたと同じよ」
 ひらりと白いドレスのすそを翻し、女は闇にかき消える。
「馬鹿みたいね」
 ミミはため息混じりに言う。
「レジーナは幼い頃から世界に神が必要だって教え込まれ、あの女を縛り付けるためだけに生きていたのよ」
「君も自由になったってことだな」
 レイモンドはにこりと微笑みながら階段を下りてゆく。ミミは立ち止まり、レイモンドの背中に微笑みかける。
「そうね。私があなたのことを好きになっても、誰にもとがめられることはないのね」
「何か言ったか?」
「いいえ、なんでもないわ。それより、家まで送ってくれる? 彼女に悪いかしら?」
「彼女なんていない。それより家はどこだ? 反対方向じゃなけりゃ構わないが……」
「レイモンド、顔が良いのに彼女がいないのってそのせいなのね」
「何が言いたい?」
「なんでもない。途中まででも送ってくれたら嬉しいわ」

≪ 前頁 | 目次  | 次頁 ≫

『七英雄』をご覧いただきありがとうございました。

2004/04/07 1更新
2004/05/31 2更新
2004/06/02 3・4更新
2004/06/03 5・6更新
2004/11/14 7更新
2005/02/10 8更新
2005/02/14 9更新
2007/07/22 訂正
2011/07/19 10・11・12更新
2012/01/17 訂正
オチが弱いよねえ、やっぱり。小さく綺麗にまとまりすぎたラストだし……難しい。

©2001-2014空色惑星