神々がいなくなった世界の物語

七英雄

一.現在<記憶>

 誰からも不思議な取り合わせとよく言われる。赤い髪に金色の瞳をした体育会系のアリスと、褐色の髪に灰褐色の瞳をしたいかにも文系お嬢様タイプのトリシアが仲良いことを知ると。
 二人は幼馴染。親友でもあり悪友でもある。

 教室の窓際。トリシアの机を間借りし、二人はいつものように昼食を食べていた。
 デザートのオレンジを食べながら、アリスは突然、
「トリシア、お腹痛くない?」
 アップルジュースを飲んでいたトリシアはアリスの顔をまじまじと見つめる。その真意を探りだそうと。
「痛いでしょ?」
「いや……何?」
 アリスの気まぐれは時々あること。いつも突拍子なく、何かに影響されていることが多い。
 トリシアはアリスの視線の先――青い空を見上げる。
「……小春日和ね」
「久々の綺麗な青空よね」
 冬はいつでも曇り空。だから、久々の青空だった。
 青、一面の青――
 トリシアは口の中で何度か呟き、
「海?」
「さえてるわぁ、さすがはトリシア!」
「そっか。私、お腹痛いのよ、実は」
「私も、実は頭が痛いの」
 目を合わせ、にやりと笑う。
 二人は体調不良を理由に早退した。

 家に帰って着替え、海に向かう電車に飛び乗る。その時点で二時を過ぎていた。
 一時間ほどかかって目的地にたどり着く。冬の弱い光を受けキラキラ輝く海面を眺めながら浜辺を歩き、冷えた体を温めようと海辺の喫茶店でお茶をしていて――
「あ!」
 突然、アリスの声。
「何?」
「時間!」
 時計を見る。五時を数分過ぎたところだった。二人して顔を見合わせる。
「間にあう?」
「急ごう」
 アリスは席を立ち、食べかけのケーキをそのままに、喫茶店を飛び出した。

 帰宅時間ということもあり、駅は人であふれていた。何とか目的の電車に乗り込んだものの、駅に止まるたびに人の数は増えてゆく。
「すごい人」
 トリシアの声に、アリスは振り向き、
「もう一つ後の電車の方が良かったかなぁ?」
 そうすると確実に両親に学校をサボったことがばれる。
「早く帰らないとまた大変なことになるから」
「そうだよね」
 二人してため息をつく。
 トリシアの両親は共働き。いつも両親より先に家に帰り着いているトリシアは、たまに遅くなれば大捜索される。それだけはどうやっても避けたい。
 ガタン、ゴトンと電車が揺れ、次の駅が近づく。独特のアナウンス音が車内に響き、次の停車駅はマチスだと告げる。マチスの次の駅で乗り換えれば家に帰れる。
「どいてぇ、どいて、ちょっとどきなさいよ!」
 おばさんが大声を上げなら、戸口に近づいてゆく。トリシアは人に埋もれながら、誰かに押された息苦しさに息を詰まらせる。
「柄悪いなぁ」
 アリスは不満顔でおばさんを睨みつける。アリスの言葉にトリシアは苦笑をもらし、窓の外に目をやる。西に沈む夕日を背後に、そびえ立つ真っ黒な影――。
「魔王城……か」
 三百年前に古の魔王を封印したとされるそれは、見る人々に不安を与える……はずなのに、なぜだかトリシアには懐かしさを感じさせる。
 けれどこれは誰にも言えない。殺戮と悪虐の限りを尽くしたといわれる魔王が眠っている魔王城、それを懐かしがるなんて異常だなんてこと、自分でもしっかり認識している。

 ドアが開き、出入りする人の波。
 ふと、時が――止まる。
 目に入ったのはどこにでもいるような男子高校生。
 真っ黒な髪。ちょっと長めで、そろそろ邪魔になりつつあるのか、目に髪がかかるたびに邪魔そうに払いのける。優しげなこげ茶色の瞳は穏やかな光をたたえ、窓の外を虚ろに見つめている。
「懐かしい」
 アリスの声。
 見るとアリスも同じ高校生を見つめている。
「――懐かしい?」
 アリスは自分の言葉に怪訝そうに首を傾げ、確かめるように繰り返す。何かを思い出そうとしているときの癖。
 トリシアはアリスと同じ男子生徒を見つめる。
 アリスとは幼馴染。ずっと同じ学校だったからアリスの知ってる顔はトリシアも知っている。でも、見たことが無い。
「懐かしい?」
 声に出してつぶやくと、何かが頭の奥ではじけ、暗転した。

「気がついた?」
「うわぁっっ」
 トリシアが悲鳴をあげ、慌てて飛び起きる。心配げなアリスの顔があまりに近くにあって、驚いてしまった。
「なんで人の顔見て悲鳴あげるのよぉ!」
 文句を言いつつも、アリスはトリシアが起き上がったときに落ちた濡れたハンカチを拾い上げる。
 きょろきょろトリシアが見渡すと、駅のホーム。ベンチに寝かされて――アリスに今まで看護されていたらしい。
「ここ、どこ?」
「『どこ?』じゃないでしょ。いきなり倒れて!」
 にらまれる。
 いつものアリス。ちょっと自己中心的な。
「さっきの人は?」
「さっきの人?」
「アリスが『懐かしい』って言ってた人」
「それかぁ」
 アリスは眉間にしわを寄せる。
「誰だか思いだせないのよねぇ。トリシアわかる?」
 ほっと胸をなでおろす。アリスは思い出してない。
「私は知らない。それより早く帰らないと」
 急に立ち上がると、ふらりとする。アリスは昔と同じようにそっとトリシアに肩を貸してくれ、
「もうちょっと寝てた方が良くない? 顔色良くないよ」
 心配そうな表情に、トリシアは苦しそうに顔を背ける。
「もう大丈夫……ありがと」

 三十分ほどしてやってきた電車に乗り込み、自分の街を目指す。
 トリシアには見慣れている風景なのに、妙に切ない。懐かしいものもたくさんあるが、やはり時の移ろいでずいぶん風景は変わってしまったことを思い知らされる。そんなこと気にせず今まで生きてきたというのに。
「ねぇ、」
 アリスの声にトリシアは慌てて振り向く。
「何?」
「気持ち悪いのよ」
「乗り物酔い?」
 アリスが何を言おうとしているのかわかっていてトリシアは尋ねる。
「違う。あれ、誰なんだろ?」
「……思い出したいの?」
 恐る恐るトリシアは尋ねる。アリスが譲る性格じゃないのは良くわかっている。
「気持ち悪いのよねぇ」
「そう」
 トリシアは短く返事を返す。アリスには思い出して欲しくない。けれど――
「確かめましょうか、明日」
「どうやって?」
「直接聞く、なんてどう?」
 トリシアらしからぬ台詞にアリスは首をかしげる。
「ずいぶん積極的ねぇ、どうしたの?」
「気持ち悪いんでしょ?」
「そうだけど……」
「私に任せて」
 トリシアはうっすらと笑みを浮かべた。
 その仕草にアリスは凍りつく。トリシアらしからぬ仕草、けれど、どこか遠い昔に見たことがある――。


二.過去<始動>

 記憶は常に混沌としている。
 ほんのつい先ほどまで考えていたことすら思い出せないときもあれば、あまりに遠すぎる過去を振り返っている自分に気づかされるときもある。けれど、それに気づいた途端、てのひらからこぼれ落ちる砂のように記憶はどこかへ消えてゆく。
 それが異常なことだと気づきながらも、ローズマリー・バーグマンはどうすることもできない。ローズマリー――ローズは、このところそんな時間が増えていた。

 ローズが仕えているトルキスは、今、日課である瞑想中だ。だから、ローズはかたわらで同じく瞑想にふけっている。すると、自身の中で繰り返されている声に気づく。
『私は彼女を護らなければならない。私はトルキス・ライオットを護らなければならない。私はトルキスを護らなければならない――』
 今まで、それを疑問に思うことなどなかった。けれど、このところ、奥深いところから叫び声に似た声が聞こえてくる。
『彼女は敵だ!』
 答えるように声がする。全てを包み込むような、力ある声。
『彼女は主君。仕えるべき相手。守るべき人』
 悲鳴のような絶叫。
『違う! 彼女は魔女だ。倒さなければならない』
 優しい闇が彼女の心を包み込む。
『彼女は私の……』
「ローズ」
 低すぎて聞き取りにくい声。ローズは思考を中断し、その言葉を聞き逃すまいと耳を傾ける。
「レジーナ・メイエン殿がいらした。扉を開けなさい」
 トルキスは黒のローブを深々と身にまとい、口元も厚いヴェールで覆い隠している。肌を見せることが無いため、彼女の素顔はローズでさえ見たことが無い。また、そのいでたちと不明瞭な声では彼女の年齢を推し量ることさえ出来ない。
 ローズはトルキスの声に従い、一階へと向かう。玄関の扉を開けると、そこにはノックをしようと形をとった客人。自動扉のような完璧なタイミングで開いた扉に、トルキスが魔女であることを信用していないものでも畏怖を覚える。
「いつもながらに良いタイミングね、ローズ」
 扉の向こうには若い娘。漆黒の髪に同じ色の瞳。鮮やかなオレンジのドレスに明るい黄緑色のケープを羽織ったレジーナ・メイエン。顔には絶えることのない微笑み。彼女の家柄のよさ、そして血筋のよさを物語るような笑み。
「空気がよどんでない? 窓、全部開けて」
 トルキスの唯一の友人と言える彼女は、週に一度はこの屋敷を訪れる。彼女の顔を見るのは久々だとローズが頭を巡らせると、前回の訪問から三週間ほど経っている。
「ほら、換気するわよ。そこのカーテン開けて。ランプなんて時代錯誤なものは全部消して!」
 他人の屋敷であるにもかかわらずレジーナはいつも容赦ない。
 屋敷の窓は暗幕で覆われ、一条の光も差し込まない。昼でもろうそくを灯している為、常に空気は澱みきっている。だが、それらは全てトルキスが望んでいること。
「トルキス様の了解なく行うことは承服しかねます」
「本当に完璧なお人形さんね」
 ローズの答えにレジーナは大げさにため息をつく。
「ここはトルキス様のお屋敷です。トルキス様の許しがなければ何も行えません」
「こういうことしてるから、魔女の屋敷だ、悪魔の館だって近所で言われるんでしょうが」
「トルキス様はそのような瑣末なことは捨て置けと――」
「トルキスは二階?」
 ローズマリーの言葉をさえぎり、レジーナは勝手知ったる他人の家と押し入る。
「トルキス様は書斎にいらっしゃいます」
 ローズマリーはレジーナを見送ると、台所へ足を向けた。

 レジーナは書斎の扉を開ける。幾本もの蝋燭でほのかに明るい部屋。
「あいかわらず最悪な趣味ね」
 戸口で仁王立ちし、中のトルキスを睨む。気味の悪い置物、装飾品。よくもこんな趣味の悪い部屋にいられるものだと関心すらする。
「ふふふ……」
 言われたトルキスは聞き取りにくい声で不気味に笑い声を上げる。
「そなたがここへ来たという事は、あれの準備ができたのか?」
「そうよ」
 レジーナは頷き返す。
「コリンの馬鹿が今度、定例の偵察隊に抜擢されたみたい」
「ほぉ……くすくすくす……運命だな……」
 まったくこれだから、とトルキスの態度にレジーナはいつもながらに呆れる。彼女は有能な魔術師であることに間違いはない。だが、かなりひねくれている上、性質が悪い。
 魔術にもいろんな種類があるが、彼女が得意だと語る予見や予知、先見などは全てからくりのあるまがい物。本当に彼女が得意としているのは催眠。
「ローズ」
 トルキスの低い声にレジーナは戸口へ顔を向けると、いつの間にやらトレイを持ったローズが控えていた。
 こげ茶色の髪を無造作に結い、黒いローブに似てはいるが、明らかに戦場にたつ戦士の格好をした彼女。忌々しそうな瞳でトルキスを見つめている。
「ローズ」
 二度目の呼びかけに、彼女は悪夢の中へ舞い戻っていったかのように瞳から光を失い、表情も消えうせる。
「お茶をお持ちしました」
 トルキスの好んでいる紅茶と菓子を二人の前に並べる。
「ローズ、あなたもレジーナの話を聞きなさい」
「はい」
 床へ腰を下ろし、足を組む。無意識的に剣を外す仕草をしながら。
 レジーナはカップに口をつけながら、
「ローズの効果が薄れてきたようね」
呆れ顔でトルキスを見やる。トルキスは器用にベールの下へカップを持っていき、お茶を飲んでいる。
 こんなときにはベールを取れば良いのにとレジーナは思うのだが、どんなことがあろうとも素顔をさらしたくは無いらしい。
 トルキスは昔から腕の立つものに催眠をかけ、従者として扱っている。普通ならば数ヶ月、術に掛けられたものがちょっとした旅行に出ていると周囲が認識する程度の期間しか使わないのに、ローズはすでに一年以上ここに居る。
 長期間催眠を掛け続ければ徐々に効果が薄れてしまうものだし、効果がなくなったある日突然、術者がどんな仕打ちを受けるとも限らない。
「有能な人間は多くない。彼女を手放すのは惜しい」
「でも、いい加減にしとかないと刺されるわよ」
「ローズにならば悪くも無い」
 どこまで本気なのかわからない。
「――それより、本題はいいのか?」
 レジーナはお茶を飲み干すと、トルキスに向かう。ベールの奥底に黒い双眸が伺える。
「ウェルシュ地方にあるミーケットって田舎町はわかる?」
 トルキスは静かに首を振り、ローズマリーに尋ねる。
「知っているか?」
「……はい」
 ローズの記憶の中にその地名、その街へ行った記憶が浮かび上がる。夢のような記憶の断片。
「街の中央部にゴーシュの店ってのがあるの」
 ローズマリーは頷く。知っているらしい。
「問題は無い」
 トルキスはレジーナに頷き返す。
「じゃ、そこで九月二十三日午後三時に待ってるわ」
 軽く言ってレジーナは帰ってゆく。玄関の閉まる音が聞こえると、トルキスは重々しく息を吐いた。
「ローズマリー・バーグマン、あなたも私も死ぬかもしれません。けれど、私について来てくれますか?」
「仰せのままに」
 ローズは自動的に頷く。
「……ありがとう」
 トルキスは寂しそうに呟き、ローズに屋敷を処分するよう告げた。


三.現在<困惑>

「迎えに来たよ、レイモンド・パーカー」
 教室を出ようとしたところで、レイモンドは嫌な声を耳にする。聞き間違いであることを祈りつつ顔を上げると、そこには網膜に映したくも無かった顔。深々と、見せ付けるように溜息をつき、
「迎えに来なくて良いと何度説明したらわかるんだ? ピーター・ホルム」
忌々しげな口調で尋ね返す。
「君も頑固だな」
 こげ茶色の髪と緑色の瞳をしたピーターは意にもとめない。いつも通りの不気味な笑顔で――本人が言うところのさわやかな笑顔で、
「君が入部すれば全てはうまくいくんだが」
 ピーターは、まだ同好会レベルの魔王研究会の部長をやっている。
 黒髪にこげ茶色の瞳をしたレイモンドは、大げさなため息をつき、
「だから、そんな怪しげな部活に入る気はさらさら無いと、この間、猿でもわかるくらい明快に説明してやっただろうが!」
 むっと顔をしかめるピーター。懐から一枚の紙を取り出し、
「ここに入部届が――」
 レイモンドの名が書かれた『魔王研究会』への入部届け。ただ、本人の筆跡とは明らかに異なっている。
「ピーター、お前何枚書いたんだ?」
 レイモンドは眉間に青筋を立てつつ、筆跡の主に尋ねる。ピーターは笑みを崩さぬまま、
「現代にはコピー機なんて便利なものがあることを知らないのか?」
「ほぉ。じゃあ何枚焼き増ししたんだ?」
「とりあえずこれだけ――」
 ふところから器用にも、折り目一つついていない用紙の束を取り出す。文庫本くらいの厚さは充分ある。
「出せ」
 地獄の底から響いてくるような声色。
 レイモンドはピーターからそれを奪い取り、ごみ箱に叩き込む。
「お前、いい根性してるよな」
 あきらかに怒気の含まれた言葉にもピーターは笑みを崩さない。
「君の入部が我が部の最重要課題だ。君の力が我が部に栄光をもたらすのだ」
 クラスメイト達はのんびり帰り支度をしながら、毎度のやり取りを面白そうに、遠巻きに見守っている。
「だから、何で僕が入部しなきゃならないんだ?」
 毎度の質問に、
「学年トップを迎え入れれば、部に昇格する可能性が高いからだ」
 毎度の答え。
「頭数がそろってても昇格できないのは、部の内容が無謀だからだ」
「だが、君が入れば少しは状況は楽観視出来る」
 先生たちを懐柔しやすい、と笑うピーター。
 昔からこういうやつだった。レイモンドは再び、幼馴染であるピーターに向かい、見せ付けるように大きくため息をつき、
「幽霊部員としてならば参加してやる」
「それじゃ意味がない」
「意味のないやつならばいくらでもいるだろ?」
 魔王研究会は実際のところ頭数だけならば、文化系の部の中で一番多いかもしれない。
「レイモンド、君には副部長の地位を用意している」
「部になる予定も無いのに副部長なんていらないだろ?」
「君が入部すれば部に昇格する」
「昇格するわけ無いだろうが。こないだ生徒会に言われてたよな? 『部活動は生徒の自主性と、生徒の健全な精神と肉体をはぐくむために存在し、部費はその援助のためにある』って。『魔王研究』なんてものが健全とは言えないことは火を見るよりも明らかだろうが」
 ピーターの笑みは崩れない。レイモンドは頭に手をやり、
「だから、魔王の研究なんて活動が部として認められるはずが無いし、認められないもののために部費が下りることなんて無いんだよ」
「ある登山家は『あなたは何故山に登るのですか』と問われた時、『そこに山があるからだ』って答えた。俺も同じだ。そこに魔王城があるから、研究したいんだ」
と、窓の外に見える黒い陰を指差す。レイモンドはその熱意に負けた、というよりも反論する言葉が思いつかなかったので、
「研究って具体的には?」
 疲れきった声で尋ねる。
「……魔王城の視察……かな?」
 ピーターは弱りきった声をあげる。
 そりゃそうだろう。魔王城には何らかの魔法がかけられているらしく、こうやって見ることは出来るのに、近くづくことは出来ないのだ。視察といっても近づける限界点、五百メートルのところから眺めることしかできない。
「僕はてっきり、部費を流用してお前の部屋の魔王についての研究書やらグッズの購入にあてるのかと思ってたよ」
 趣味が『魔王』という変な奴の部屋は魔王関連の書籍やら気味の悪いグッズで溢れていると、おばさんに何度か愚痴られたことがある。
「おっと、時間だ」
 ピーターは腕時計に目をやり、さっさとどこかへ去ってゆく。どうやら図星だったらしい。
 レイモンドはようやく開放される。腕時計に目をやると、帰りかけてからすでに三十分は経過している。乗ろうと思っていた電車にはすでに乗り過ごしてしまっている。
 次の電車が来るまで三十分ほど。駅まで高校から十分ほど徒歩でかかるから、ちょっと時間つぶしをしなければならない。
 が、精神的に疲れきってしまっていたので、駅構内で電車を待つことに決め、学校を出る。

「おい」
 レイモンドが駅に着いたところで、見知らぬ制服を来た女子高生に声を掛けられる。
 褐色の髪に灰褐色の瞳をしたいかにも文系お嬢様タイプ。口調とその容姿に妙な違和感を受ける。見知った顔ではない。そばを通り抜けようとして、
「おい、お前だ」
 腕をとられる。先ほどよりも近くで顔を見るが、まったく記憶に無い。
「何ですか?」
「彼女は?」
「――は?」
 新手のナンパか何かだろうと思ったが、
「彼女のことだからお前の近くにいると思ったんだが」
 女の物言いは妙につっけんどんで、若さというものない。どこかで見たことのある雰囲気だ――とは思うのだが、どこで見たのか思い出せない。これほど妙な人間であればすぐに思い出せるだろうに。
「君は誰だ?」
「私はトリシア・メレンカンプ。お前のそばに彼女がいないとすると……」
 独りでぶつぶつ言い始める。
「その彼女って誰のことだ?」
 レイモンドの問いかけに、女は不意に顔を上げる。にこり、歳相応の可愛らしい笑みを見せ、
「女じゃないかも知れない」
「は?」
「お前の近くに変な奴はいないか?」
「変な奴――」
 言われて思いつくのはやはり、ピーター。
「いるんだな、誰だ?」
「誰って……」
 名前を口に出すのも腹立たしい。
「レイモンド!」
 噂をすれば影。
「痴話喧嘩か?」
 この雰囲気だとそうとも取れるかもしれない。だが、レイモンドは一方的に話し掛けられているだけなのだ。
「お前は?」
 女はピーターに対しても同じ口調で話し掛ける。
「僕はピーター・ホルム。君は?」
「私はトリシア・メレンカンプ――」
 何故だか二人は普通に挨拶している。だが、
「お前、魔王に興味があるか?」
 こんなところにピーターのお仲間が。見た目はおとなしげな女子高生でしかないのに……。
 ピーターは嬉しそうに眼を輝かせ、
「僕は魔王研究会の部長をやっている」
「そうか。お前、恋をしたことはあるか?」
 これは、やはりナンパなのだろうか? だったらいい加減腕を放して欲しいとレイモンドは絶望的な眼差しで二人を見やる。
「いや」
 ピーターは首を振り、断言する。
「魔王以上に魅力的なものなどあろうか!」
 人間として間違ってる。
 その答えを聞いた女は深々と疲れきったため息をつき、
「彼女じゃないのか。では、どこにいるんだ彼女は?」
 おかしな事を言い、急に興味を失った顔で離れていく。
 離れて待っていたらしい赤い髪の女と合流し、話し合っている。時折レイモンドを振り向き見ながら。
「何だったんだ?」
 聞く相手もいないので、レイモンドはピーターに問いかける。
「わからん。だが、魔王に興味があるのか」
 妙に嬉しそうに呟く。
 レイモンドは重い溜息を吐いた。


四.過去<集合>

「……ッ」
 グレイランドが最後に投げたナイフは的を大きく外れて壁へと突き刺さった。
「じゃ、お前の負けだな」
 賭けの相手であり、相棒のアシュレイは嬉しそうに笑いつつ、それまで的になっていたリンゴにかぶりつく。
 アシュレイ・リクスブレイカーはオリーブ色の髪、深い蒼の瞳をした熊のような巨漢。見た目と違いすばやく、正確で細かい攻撃を得意とする。
 グレイランド・ハートは金髪に緑色の瞳。優男ではないが、戦士としての体格に恵まれていないことは事実。魔法も多少かじったインテリではあるが、得意とするのは実戦でしか発揮されない『感』に頼った攻防だったりする。
「俺はリンゴなんて食べたくなかったんだ」
 グレイランドの口から言い訳にしか聞こえない声が漏れる。アシュレイは嬉しそうにリンゴを平らげる。
 賭けに勝ったからといってリンゴを食べる必要はないのだが、アシュレイは奈落の底に通じてでもいるのか、いつまででも食べ続けることができる特殊な胃袋を所持している。
 食べ終わったアシュレイが、新たなリンゴを台の上に置く。
「さ、もう一勝負するか」
「今のところ俺が一・二勝上か?」
「俺のほうが勝ってる――確か」
「そんなわけないだろ」
 二人はにらみ合いを続けるが、
「じゃ、これで勝ったものが勝ちってことで。俺は裏――」
 グレイランドは言いおき、コインを投げる。
 出たのは裏。実は裏しか出ないコインなのだが、アシュレイにはまだ気づかれていない。気づかれれば食費一週間持ちなんてことになるかもしれない。
 ちらりとアシュレイを見やる。まったく気づく様子もないので、グレイランドは声を上げる。
「俺からってことで良いな?」
 アシュレイはうなづいた。
 
 結局、リンゴはアシュレイの腹の中に納まった。
「いい加減飽きたな、この暇つぶしにも」
 ブラックのコーヒーをすすりつつ、グレイランドはつぶやく。今日、何杯目のコーヒーになるだろうかと思いながら。
「じゃあ今日もそろそろ行くか」
 アシュレイは顔に似合わない激甘のミルクティーを一気に飲み干し立ち上がる。グレイランドは飲み残しのコーヒーをテーブルの上に置き、アシュレイの後を追う形で部屋を出る。

 裏通りに面した一角。顔なじみでなければそこが店だとは気づかない、一見普通の民家にしか見えない酒場。
 アシュレイとグレイランドはその前に立ち、申し合わせたように大きくため息を吐いた。
「『今日こそ出立!』って具合になってくれりゃ良いんだけど――」
「言うな。希望は絶望の始まりだ」
 酒場の扉を押し開ける。中にはいつもの顔ぶれ。通いなれた二人に軽く微笑を浮かべ、頭を下げる店主。
「いつもの」
 と、言葉をかけて、二人は奥の席へと向かう。

 目指すテーブルには、酒場にはふさわしくない雰囲気の男が一人。
 テーブルの上には呑み散らかされたグラス――ではなく、書類や書籍の山。書類に熱心に目を通しているのは、この国でも名の知れた研究機関の若い学者コリン・ロスタロット。
 こげ茶色の髪に、鼻めがねといかにも学者然とした格好。傍らには水の入ったコップがざっと数えて十近く。嫌がらせ、としか思えないのだがそれにこたえた様子がまったく無いのは天然だからなのか、本物だからか。
(相変わらずだな)
 グレイランドのひそひそ声にアシュレイも同じ声色で、
(このまま永遠にこの絵を見そうだな)
(冗談でもやめてくれ)
 グレイランドは言い置いて、
「先生」
 声をかけるが、まったく聞こえていない様子。アシュレイは肩をすくめ、コリンの後ろに回り込み、両肩に手を掛けながら、
「先生!」
 途端、書籍や書類やらは宙へ舞い、心臓が飛び出しかねない勢いでコリンは椅子から飛び上がる。
「なななななな何事ですか!?」
「よう!」
 陽気に声を掛けるアシュレイを尻目に、グレイランドはコリンが放り投げた書類を拾い上げる。
 自分の物は一切片付けられない癖に、仕事となれば細かいこと、面倒くさいことでも平気で、何時間でも行うのだから変な奴だととアシュレイはグレイランドを横目で見つつ思う。
「先生、日取りは決まったか?」
「アシュレイ・リクスブレイカーさんにグレイランド・ハートさんでしたか……? 何の用です?」
 動揺しきった声をだすコリン。毎日のことなのだから、いい加減なれて欲しいと思う二人。
「出立の日程のことです」
 束ねた書類を渡しながらグレイランドが声をあげる。
「働いても働かなくても雇われた日程分、賃金を頂くという契約でしたよね?」
 契約の際に散々コリンから説明された内容だから間違いない。
 学術的研究のためにある場所へ向かう。そのための護衛、準備が出来るまでは待機――といわれて何日経過したことか。
「だから、先生ずいぶん損してるって話」
 いらだたしげなアシュレイの声を遮る様に、
「一週間以上も遊ばせてもらい、こちらとしても腕がなまりそうですから――」
 グレイランドの声を遮り、アシュレイが声を荒げる。
「そろそろ出立って話はどうよ?」
「……『どうよ』とは?」
 コリンは非常に不思議そうな顔でアシュレイとグレイランドを見比べる。会話が通じていない。
「だから!」
 声を荒げるアシュレイ。
 いい加減、コリンもアシュレイが短気だってことを理解したほうがいい。そうしなければ闇夜でなくても命が危ない。
 グレイランドは疲れきった息をつき、
「出立はいつかってことですよ」
「あぁ」
 コリンはやっと話が見えたという風な顔をし、
「もうそろそろ出発できるとは思うんですが……」
 言いよどむ。
「『思うんですが』ってどういうことなんですか?」
「一体何があるってんだよ?」
 バン、とアシュレイがコリンの机に手を置く。
「あ、え……レジーナが……」
 言いかけ顔をそむける。明らかに顔に浮かんでいるのは『しまった』の文字。
「――レジーナ?」
「女の名前――です……よね? どなたですか? 契約はあなただけだったはずですが」
 アシュレイとグレイランドは互いに顔を見合わせる。
「おい」
 と逆八の字型の眉を固めたまま、アシュレイがコリンに詰め寄る。
「レジーナってのは何なんだ?」
 アシュレイがコリンの襟首を掴み上げているのを横から止めつつ、
「同僚とか同業者とかかもしれないだろ?」
「で、先生、どういった方なんで?」
 恐ろしい笑みを浮かべたアシュレイ。丁寧語をしゃべってるときはそうとう頭に来ている時だ。
「いや……レジーナは幼馴染――く、苦じぃ……」
「死ね、今すぐ死んでしまえ」
 襟首から喉元へと攻撃の的を変えるアシュレイ。冷ややかな目でその光景を見つめるグレイランド。
「その辺で辞めないと冗談じゃ終わらなくなるわよ」
 笑っているような女の声が後方からした。
「お待たせ、コリン」
 女は微笑みながらコリンの隣の椅子へと腰をおろした。何とかアシュレイの手から抜け出せたコリンはその場に崩れこみ、苦しげにむせ返っている。
「……あんた、レジーナか?」
 毒気を抜かれたアシュレイが二十歳過ぎにしか見えない、漆黒の髪に同じ色の瞳をした女に話し掛ける。
「えぇ」
 彼女は短く答え、マスターに紅茶を注文する。小麦色のワンピースドレスに同色系の小さなバッグ。休日に友達同士で喫茶店に入った雰囲気。
「あんた一体……?」
「コリンの幼馴染――」
 にこりと笑う。若い娘に微笑まれ、つられてアシュレイとグレイランドも苦笑を浮かべる。
「ってだけじゃないのよ」
 彼女は運ばれてきた紅茶に口をつけ、
「とりあえず仲間が全員そろってから話したほうが手間がはぶけるから、話はそれからにしましょう」
「な……仲間?」
「なんだよ、それ」
「聞いてないよ、レジーナ」
 アシュレイ、グレイランド、コリンの言葉に再びレジーナは笑みと共に答える。
「言ってないもの」
「いい加減にしてくれ、これ以上のわがままはいくらレジーナでも対応できないぞ!」
 コリンが声を荒げる。幼馴染だけあって、レジーナへの反応速度が早い。
「そういう口を利いていい訳? コリンちゃん」
 フフフ……と気味の悪い笑みをもらすと、コリンは顔色を赤から青に変え、
「い、いや、ご、ごめんね、レジーナ」
(何なんだよ、この女)
(先生のこの怖がりようも普通じゃないよな)
(どう見ても先生より年下だろ?)
(……取り合えず『仲間』ってやつがくればわかるわけだ)
(ははははははは……)
 ぼそぼそとアシュレイとグレイランドは張り付いた笑みのまま、大人しく腰をかける。
 ここで騒ぎたててもどうしようもない。契約を破棄すれば、傭兵としては致命的。
「待ち合わせは何時なんだ?」
「一週間後、じゃないよな?」
 今まで散々待たされたのだから、これ以上待たされるのは困るとばかりグレイランドは尋ねる。
「あと五分」
 壁掛け時計をちらりと見て、レジーナは告げる。
「三時ちょうどってことか。他の奴らが遅れることは?」
「ありえないわ。三時ちょうどに来るように言ってあるもの」
 にこり、と妙に迫力のある笑みを浮かべるレジーナ。
(なんか怖いな)
 アシュレイの押し殺した声。
(武術大会でも上位に入る腕を持つお前が、何で年下の女にビビッてんだよ?)
 グレイランドの声にも不安げな色が混じる。
(なんか、こう……な?)
(……わかるが)
 居心地の悪い五分が、永遠にも思えるほどゆっくり過ぎた。


五.過去<会合>

 ボーン ボーン ボーン――

 壁掛け時計が時を告げた直後、
「やっと三時!」
 若い男の声が店に響く。
「そっちに行っても良い?」
 声をあげたのはコリンとは反対側の一角に座っていた、派手な身なりをした旅装姿の若者。
「サミー、いたの」
 ずいぶん棘のある冷たい声でレジーナは若者を睨む。
「気づかなかったの? レジーナ、酷いなぁ」
「気づかなかったんじゃないわ。気づきたくも無かっただけよ」
 吐き捨てる。レジーナはわかっていたらしい。だが、そんなレジーナの態度に若者はまったくめげる様子無く、
「やはりいつもの格好のほうが良かった? ちょっと地味だよねぇ」
 酒場にいた皆がその言葉に唖然とした視線を送る。
 旅装姿とはいえ、赤と黒を基調としたその服はまったく地味とは言えない。銀糸、金糸の刺繍もさることながら、重たげなレースやリボン、羽の数々。
 見せ付けるようにくるりと回転する若者をレジーナは無視し、
「三十秒経過。トルキスとローズは――」
「先ほどからおります」
 暗い女の声がコリンの背後から聞こえた。
「うわぉっ!!」
 コリンが妙な悲鳴をあげ、椅子から飛び上がる。
 全身黒いローブ姿の人物と、同じく黒いローブ姿ながらずいぶん動きやすそうな格好をした女。先ほどの声は、この女が発したもののようだった。
「相変わらずね」
 さすがのレジーナも驚いたらしい。飲み込んでいた息をゆっくりと吐き出す。
「全員そろったわね。じゃあ、私から自己紹介を――」
 レジーナは一同を見渡し、紅茶を一口含んだ。
「私はレジーナ・メイエン。そこのコリンとは幼馴染よ」
 名前を言われ、コリンが頭を下げる。
「そして『封印の血族』の唯一、正統後継者」
 彼女の言葉にアシュレイ、グレイランド、コリンは何を言われたのか、しばらく理解することができなかった。
「まさか……」
「本気で?」
「封印の血族?」
「だってあれは御伽ばなしの――」
「いや、あれは伝説の――」
「本気で?」
 三人の口にのぼるのは意味のない言葉ばかり。
「ハイハイ、うるさいわよ」
 レジーナはパンパンと両手を打ち鳴らす。
「いや……」
「だって……なぁ」
 アシュレイとグレイランドは唖然とした表情でお互いを見やる。それが真実が確かめようとするかのように。
 コリンはレジーナをまじまじと見やり、
「今年が三百年目なのか?」
おずおずと尋ねる。
「えぇ」
 レジーナは短い返答を返す。三人以外はすでにそれを理解しているらしき表情。サミーと呼ばれていた若者にいたっては、妙に嬉しげにしている。
「今回のわがままって、そういう意図だったのか?」
「俺達は聞いてないぞ!」
「荷が重過ぎる!」
 レジーナは三人を睨み付け、
「あなた達うるさいわよ。私がしているのは討伐じゃなくて、封印の話なの」
「無茶だ、無茶だよ」
「あんなところに、こんなはした金で行けるか!」
「横暴すぎる」
「コ・リ・ン・ちゃん」
 レジーナの声にコリンは黙り込み、二人との契約書をテーブルに開く。
「ほら、ここのところに書いてあるじゃない。『期日まではどのような任務にもあたる』って」
 書類の二十項目目あたりを指差すレジーナ。
「そんな文は……」
 まじまじと契約書を見るグレイランド。レジーナが指し示したその一文のみ、確かに従来の契約書の二十項目目の内容と異なる。他はまったく従来の契約書と同じ内容、同じ書式、同じ用紙。
「俺はお前がサインしてたから、間違いないとサインしたんだぞ……」
 アシュレイのぼやきに、
「騙された」
 グレイランドは青い顔で頭を抱え込む。
 傭兵業は信用第一。信用を落とすようなまねをすれば即刻、転職するしか道はない。
「次はトルキスね」
 放心する二人に目もくれず、レジーナは黒ずくめ二人組みに水を向ける。
「こちらは師のトルキス・ライオット様。私はローズマリー・バーグマンにございます」
 暗い声色でローズマリーは語る。黒ずくめで顔の輪郭もわからない人物は、名前から女であるらしい。しゃべらないため、年齢もわからないが。
「君」
 と、驚きの声を出したのはサミー。
「もしかして行方不明の暁の戦士?」
 アシュレイ、グレイランドは目を見開き、まじまじと女の顔を見る。
 暁の戦士の通り名を持つローズマリー・バーグマンは有名な女戦士だ。数分で襲い掛かる三十人もの兵士を血を流すことなく地に沈めただとか、名のある盗賊組織を一人でつぶしただとか、枚挙にいとまない。
 本人が一年ほど前から行方不明のため、最近、伝説と化してきていたのだが。
「まさか!」
「……暁の戦士……?」
 ローズは困惑した表情で呟く。
「人違い、か?」
 と、サミー。
「そりゃそうだよな」
「こんなところで高名なローズマリーにお目にかかれるわけが無い」
 アシュレイとグレイランドは気の抜けた顔で頷きあう。なんだか肩の荷がおりたような様子で。
「暁の戦士あかつきのせんしアカツキノセンシ……」
 ぼそぼそと繰り返し始めるローズマリー。瞳には妙に鋭い光が宿り、殺気にも似たオーラを放ち始める。
「ローズ」
 あわてた様子でトルキスはローズの頭を覆い隠し、ぼそぼそした声で何か――呪文をささやく。
 ローズの顔からは苦しそうな表情がなくなり、先ほどまでの茫洋とした暗い瞳に戻る。
「ローズの発作もおさまったようだし、その次」
 レジーナは何事もなかったかのようにアシュレイとグレイランドに話を振る。
「待て」
 グレイランドが鋭い声を上げる。多少魔法の心得もあるから、ローズマリーの様子に思い当たる節がある。
「彼女は、操られているのか?」
 重いため息をついたのはレジーナ。
「そんなこと、今はどうでもいいことよ」
「どうでもいいって何だよ!」
 声を荒げるアシュレイ。元来曲がったことの嫌いな性質だ。
 コリンは場が荒れることを嫌ったのか、
「とりあえず自己紹介が終わったあとにしませんか?」
「そういう問題じゃ――」
「すべては時と場所、時間が重なり合えばいずれともなく解決する問題だ」
 ぼそりとトルキスは呟く。地の底から響いてくるような暗い声色。静まり返る一同。
「ほら、あなたたち、自己紹介を初めて」
 レジーナと目が合ったアシュレイが慌てた様子で声を上る。
「えぇっと……」
 しゃべるのがそれほど得意ではないアシュレイは考え込み、ちらりと傍らのグレイランドを見やる。
 こういう場合はグレイランドにいつも任せきっている。何かしゃべりだしてくれるかと思ったが、グレイランドはじっとローズマリーとトルキスを睨み付けているだけ。
「ボケとツッコミの漫才傭兵コンビ」
 ぼそりと横からコリンが口を開く。
「ってこの二人でよかったんだよね、レジーナ」
 のほほんとした顔でレジーナに問いかけるコリン。あまりの言い草に驚きのあまり目を見開きコリンを見やるしかないアシュレイ。
「どう見たってそうでしょ」
「――そりゃ一体なんだよ!?」
「俺たちの通り名だ」
 憮然としたグレイランドの声。
「お、お前――」
「知ってたがお前に言ったらいちいちうるさいからな」
 グレイランドは相変わらず二人を睨み付けたまま、
「俺はグレイランド・ハート、こっちが相棒のアシュレイ・リクスブレイカー。俺は長剣と少々魔法が使える。こっちは大剣とナイフ投げ。こいつはこう見えて大きな大会で上位に入る腕の持ち主だからこの料金で仕事を引き受けるって事は、あんたらかなり得してる」
 愛想はないが、いつもと同じ内容の台詞。グレイランドは何か他に考えているときは愛想が無くなる。怒っているようにも見えるが、そうではないことなど付き合いが長くなければわからない。


六.過去<仲間>

「次はコリンね」
「ちょっと、レジーナ」
 声を上げたのはサミー。
「僕も仲間なんだから自己紹介させてよ」
「あなたは頭数には入っていないの」
 地獄の底から響いてくるようなレジーナの声色。
「冗談キツイなぁ、レジーナは」
 笑顔で受け流すサミー。颯爽とマントをひるがえし、妙に気取った礼を一つ。
「僕はサミュエル・ベイグランド。以後よろしく。ところで――」
 と、懐から名刺を数枚取り出し皆に配る。
「僕は魔王研究会会長をやってるんだ、君たちもどう? 入会して魔王についての知識を深めてみない?」
 冷たい視線を意にも返さず名刺を押し付け、
「レジーナとの出会いは運命としか思えないね。魔王の城に入城できるなんて僕はなんて運がいいんだろう」
 歌うような声色。
「――あなたと知り合ってしまっただなんて、私の人生、最大の不運だわ」
 一方、人を殺せそうな声色。
「レジーナ、落ち着いて」
 青い顔をしたコリンはレジーナをなだめにかかる。ここで落ち着かせておかなければ、後々のフォローが大変なことになる。
「次はコリンね。コリン・ロスタロッド。王宮学会所属の学者の卵ってヤツよ」
と、憮然としたままのレジーナが勝手にコリンを紹介する。
「同期の中では一番の出世頭――なんでしょ?」
「え、あ――」
 コリンは照れた様子で頭をかき、
「それ、誰に聞いたの?」
「あなたのお母様」
「え? いつ母上に会ったの?」
「あら、よくお茶に招いていただいているのよ。この間のケーキは美味しかったわ。なんていったかしら、プリムローズ?」
「もしかしてプリムラロージー? あれは大切なお客様があるからって母上に頼まれて、僕が三時間も店の前に並んで買ったケーキ……」
「おば様が『とっても美味しいって風の噂に聞いたの。うちの息子に買うよう言ったから食べにいらっしゃい。あなたと是非一緒に食べたいわ』ってお誘い受けたの」
「母上ぇぇぇぇぇぇ」
 恨みがましい声を漏らすコリン。
「そうか、そこから僕のことがレジーナに筒抜けなわけか。それで縁を切ろうにも切れないわけだ……」
 ぶつぶつとつぶやき始めたコリンを無視し、
「それで今回の旅の目的なんだけれど」
「魔王城に入場でき、その上魔王の姿を見ることができるんだよね?」
 満面に笑みをたたえたサミーを無視し、
「詳しい説明が必要な方はそっちのマニアにでも聞いて。私などよりも濃い内容の説明を三日三晩でも聞けるでしょう。それで――」
「はいはい、ご指名受けたので説明を」
 レジーナの言葉をさえぎり、サミーは嬉々と語り始める。
「今から三百年程前に異界から現れたのが『魔王』と呼ばれている絶対諸悪の根源なわけだけれど――ま、これも研究者によって意見は様々でね。まず異界ってものが存在するかどうか、本当に魔王は異界の主なのか、諸悪の根源であるのかどうかってことは今では意見が分かれているところなんだよ」
「マニアックな説明は要らない」
 冷たい声のグレイランドにサミーは不満そうなため息を一つついたが、
「じゃ、その辺りは割愛させてもらうよ。魔王の所業に対し、立ち上がったのが勇者と呼ばれる一行なわけだけれど、彼らが何人いたのかはわかっていない。その時に魔王を倒せず、封印する形になったわけなんだけど、その魔法の効力が三百年しかなく、三百年後には封印しなおさなければならないものだったんだ。
 三百年なんて、ものすごく宗教的にも魔法科学的にも意味のある数字だから絶対にこれには理由があると思うんだけれど……今のところはわからないんだよね。有力なのは三百年の間にこちら側が力をつけて、魔王を討伐するためだったのではないかって説だけれど……どう考えても今より魔法が盛んだった時代に魔王を倒せないなんて考えられないしね。これは――」
「だからマニアックな説明はいい」
「はいはい。だから簡単に説明しているだろ?」
 グレイランドの冷たい視線にサミーはむっと顔をしかめ、
「レジーナはその封印した魔女の血を引いている『封印の血筋』の末裔。彼女が死ねば、新たな封印を掛けることができず、魔王を討伐しなければならない。魔王封印の方法は『封印の血筋』の者だけが知っていることらしくてね。とりあえず、現場に着かなきゃ何もわからないし、もしそれが何らかの儀式を伴うようなものであれば是非見たいものだから、僕は今回危険を承知でこの旅に参加しようと決意したんだ」
「誰もあなたなんて呼んでないわよ」
 レジーナの冷たい視線。
「まったく、冷たいなぁレジーナは」
 意にかえしていない様子で、サミーは答える。
「あのな、悪いが……」
 グレイランドは大きく息を吐きつつ、苦渋の表情で声を上げる。
「礼金はいらないから、仕事はキャンセル――」
「それはできないわよ。契約書にも書いてあったでしょ?」
 レジーナは契約書のある部分を指差す。グレイランドは穴が開くほどその一説を見つめ、
「――まったく、準備周到だな。俺達、日ごろの行いは良い方だと思っていたが」
「だよな」
と、アシュレイが相槌を打つ。
「あはは――本当に漫才コンビだ」
 コリンが場違いな笑い声をあげる。
 笑えるような話をしているとは思えないが、緊迫した雰囲気のあまり笑えたのだろう。ただマイペースなだけかもしれないが。
「俺たちよりももっと腕の立つやつがいるだろ? そっちをあたれよ」
 アシュレイがひどくもっともな事を言う。穴が開くほどアシュレイの顔を見つめた後、レジーナは安心させるように微笑み、
「あのね、別に魔王を倒せとか、魔物をやっつけろって言ってるわけじゃないのよ。そりゃ多少の魔物は出てくるとは思うけれど、普通にその辺うろついているのと変わりないレベルのものだろうし、こっちにはあなたたちだけじゃなくてトルキスとローズマリーもいるの。あなたたちでも十分何とかなるわよ」
「俺たち以外にも傭兵は山ほどいるだろ? なんで俺たちを選んだんだ?」
 レジーナの説明に納得できなかったのか、アシュレイは言葉を続ける。
「ボケとツッコミの漫才コンビで、旅の間中面白かったって聞いたからよ。愛想のない人じゃちょっとこっちもつらいし……あなたたちは実力もあるし、一緒にいて楽しいって――コリンのおば様に聞いたの」
 言われ、ちらりと何かがグレイランドの頭の中をよぎった。
「何だ、俺たちのこと知ってるのか?」
 アシュレイが嬉しげに声をあげる。
「おば様があなたたちのことを雇われたことがあるって」
「ロスタロッドなんて結構ある名前だからなぁ」
 アシュレイがうめくような声を上げる。のど元まで出掛かっているが、思い出せない様子。グレイランドは疲れきった息を吐きつつ、
「メイシャール・ロスタロット――か?」
「そうです」
 コリンがうなづく。
「あのおしゃべりで、わがままなおばさんか」
「――え?」
「ほら、なんか派手な格好して温泉町まで行きかえり警護したことあっただろ?」
 思い出せない様子のアシュレイにグレイランドは助け舟を出す。アシュレイはようようといった様子で大きく目を見開き、溜息をつく。
「あのおばさんか」
 嫌な事でもあったのだろう。二人はげんなりした顔でコリンを見る。
「まさか先生の血縁者とは」
「いや、そういえば似てるか」
「……すいません」
 コリンが申し訳なさそうに謝る。
 コリンは母親にもレジーナにも頭が上がらないらしい。あの迫力あるおばさん並びに、この妙なレジーナ相手だと理解できる。二人は押し黙り、
「で、出立はいつにするんだ? まさか今からってわけじゃないよな」
 グレイランドは窓の外を見やる。まだ明るくはあるが、陽は西の山の端へ近づきつつある。レジーナはうなずき、
「えぇ、今からなんて無謀なことは言わないわよ」
静かに微笑む。その微笑で先ほどから何度重要なことを言われただろう。
「そこで笑うって事は、出立は今夜なのか?」
 冗談だったのだが、
「よくわかったわね」
「マジか?」
「そりゃ早いほうが良いのは良いが……」
 アシュレイとグレイランドは互いに溜息をつきつつ、
「雇い主の意見は尊重はするがな、出立は明日に延ばした方が懸命だぞ。満月が近いから魔物が多い」
 レジーナはトルキスに尋ねる。
「魔力が強くなるのはいつかしら?」
「満月の夜。つまり明日の夜だ」
「ほら、トルキスもこういってるじゃないの」
「いや、魔王城の前まで行くには日中でもいいだろ? それとも何か、昼じゃ駄目なのか?」
「よくわかったわね」
 レジーナは再び微笑み、
「夜じゃないと魔王城への道が開かないの。夜、魔物が多いのはそのためなのよ」
 アシュレイは大きく息をつき、立ち上がる。
「わかった。出立は月が出てからって事だな?」
「じゃ、宿を引き払ってくる。出立の準備をしなきゃならないからな」
 グレイランドも同じように席を立つ。
「コリン、一応見張りで二人についていって」
「そんなに信用無いか?」
「保険よ、ただの」
 コリンも席を立ち、三人は店を出て行った。

≪ 前頁 | 目次 | 次頁 ≫

©2001-2014空色惑星