失踪
宮田待子はにやけていた。体中から幸せが溢れている。何度も何度も、確認するようにエヘヘと石橋真佐哉の手と自分の手を見比べる。互いの右手の中指にはシルバーのリング。真佐哉がアルバイトして買ったもの。
たいしたものじゃないと真佐哉は言ったし、真佐哉が今までくれたものの中で一番、安物だけれど、それでも待子は嬉しくてたまらない。世間知らずの真佐哉がアルバイトして、稼いだお金で買ってくれたものだから。しかもペア。おそろいだ。
「ありがと」
待子が呟くように言う。
照れくさそうながらも、真佐哉はまんざらではない顔で待子を見ている。
「そんなに喜んでもらえるとは思わなかったよ」
「ありがとありがとありがとー」
段々大きな声で待子は言いながら弾むように歩き出す。真佐哉も後に続く。
その頃、畑口縫子は怒っていた。真正面から門野真を睨みつける。だが、それは真も同じこと。二人は顔を合わせれば喧嘩している。互いに相手が悪いと主張するが、居合わせた友人たちは喧嘩になる要素が何であるのか、未だに誰もつかむことが出来ない。二人の間には前世からの因縁でもあるのだろうか。
今回は運が悪い事に、いつも仲裁してくれる気の良い人物の姿がそこにない。
「何よ」
「何だよ」
互いに一歩も引かぬ姿勢で二人は睨み合っている。
「あんたとは徹底的に話し合う必要性があるって前々から思っていたのよ」
「偶然だな。俺もだ」
「こっちが先に思っていたんですからね」
「お前が思うより先に俺の方が思ってたよ」
「上等だわ。顔を貸して」
「お前のほうがついて来い」
競うように歩き出す。
一方、北村志摩は泣いていた。嬉しければ泣き、悲しければ泣き、寂しければ泣き、感動したといっては泣きすることで有名な彼女だったが、それを知らず、たまたま通りかかった里中宗久はうろたえていた。
橋の上、水面を見つめながら泣く少女。ただ事ではないと普通、思う。
「どうされました? 大丈夫ですか?」
宗久は言葉を選びながら、穏やかに話しかける。目の前で彼女に橋の外へ身を投げ出されてもたまらない。水面まで大して距離はないが、落ちれば、痛いくらいじゃすまない高さではある。
志摩は泣き顔のまま宗久を見やり、また視線を水面に戻す。水面が揺れ、波紋が広がる。それを見て、趣深いと感極まって志摩は泣いていたのだが、その心情を説明することがどれほど骨が折れることであるか……友人相手で痛感している。だから、放っておいて欲しいと態度で示す。
「あの、何か悩みでもあるんですか? 僕でよければ聞きましょうか?」
相手はしつこい。
このままずっと話しかけられるのも面倒だと、志摩は軽く頭を下げ、歩き出す。宗久は不安げな顔で、志摩の後を追う。
そんな三組がばたりと、公園のイチョウの木の下に差し掛かったとき、事件は起きた。
ふわり、体が浮きあがり、足が地面を離れる。
強烈な光り。
「何?」
「何だ!?」
縫子と真が眩しそうに上空に目をやる。手でひさしを作るが、光源を見極める事など出来ない。
「どうしたんでしょうねえ」
志摩はとりあえず、先ほどから後ろにいた宗久に尋ねる。他に知り合いもいない。
宗久は首を振り、不安そうに足元を見やる。足が地面に触れていないことが気持ち悪くて仕方がない。高所恐怖症ではないと自分では思っているが、高いところは苦手だ。
待子と真佐哉は互いに抱き合いながら、不安そうにしている。
不意に彼らの頭の中にイメージが届いた。声ではなく、言葉でもない。それは告げていた。これは、いわゆる『ノアの箱舟』と言われているものであると。彼らは瞬時に、自分たちの身に起こっている事態を理解したが、納得はしなかった。だが、彼らの意思など無視し、三組の男女はそのままどこへともなく連れ去られた。
不可解な若い男女の失踪事件は世界中でおこっていたが、それは数ある失踪事件の中に埋もれ、真相に気づく者などいなかった。
2012/02/16
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