ホラー系なので、血、殺戮、幽霊など苦手な人は見ない方が良いかと。

とらわれの魂

 時々見る夢がある。
 
 古い町。
 石が敷き詰められた灰色の道。
 町の中心に立つ、大きなお屋敷。

 白を基調とした建物は、見るからに優美。あちこちにしつらえられた彫刻は、見るものを圧倒する華麗さ。だが、それ以上に存在感を見せるのは、ギリシャ風の大きな柱。青々とした芝生。点在する樹木。昔は馬車を横付けしていたため、玄関前は広々している。黒塗りの大きな車から降り、屋敷に入る。
 赤いじゅうたんが敷かれた大理石の廊下を歩く。靴が深々と埋まるほど毛足は長い。いつも、雲の上を歩いているような気分になる。
 玄関を入ってすぐに大きな階段があるが、右手に曲がり、庭に面した廊下を歩く。左手の壁にかけられた絵画や、花瓶に生けられた花が美しい。突き当たりで談笑している男女の姿を目にする。珍しい組み合わせもあるものだ。
 女はボルドー色の、くるぶしまである古いタイプのドレス姿。髪は一つに束ね、後ろ頭で一つにまとめられている。四十の半ばだっただろうか。何年経っても、その姿は変わらない。
 私が幼いころ、家庭教師としてこの屋敷に迎えられたのだが、職を退いてからもちょくちょく遊びに訪れているらしい。この館の主人である私の留守中に。私も慣れない仕事にバタバタと飛び回ってばかりで、なかなかこの屋敷にいない為でもあるのだが、少し寂しい。
 勉強を教えてもらっている時間は鬼のようで、恐ろしいばかりの先生だったが、元来、人当たりは柔らかい、明るい女性だ。留守がちな主人に変わり、屋敷内に友人知人を増やしているらしい。彼女は柔らかな微笑を浮かべ男と談笑している。
 男はダンディで、タキシードが良く似合う。父が生まれたころに雇われたというから、五十歳は過ぎているはず。貫禄のある鼻ひげのせいか、私が若過ぎるせいか、主人である私より、よほど館の主人らしい。
 貼り付けたような無表情がトレードマークだが、根は朗らかな人物だ。父の前では執事らしい無表情だったが、幼い私には柔和な顔を見せていた。最近は、私が主人となったためだろう。無表情しか見ていなかったことに気づく。
 私に気づき、二人は表情を改め、ふわりと頭を下げる。私は片手を上げ、声をかける。
「また後で」
 二人の後方にあるエレベーターに乗り込む。設置場所がずいぶん屋敷の奥にあるから、階段を使ったほうが早いのだが、私はこれを気に入っている。私が乗り込むと、自動で二重に鉄柵が閉まる。館にあわせ、古めのデザインで発注したため異質感はない。
 レトロな鐘の音にあわせ、扉が開く。楽しげな、少女たちの笑い声が聞こえる。私は扉を開け、プールのそばのカフェテーブルへ足を向ける。
「遅くなったね」
 声をかけると、三人の少女たちがいっせいに振り向き、笑顔を見せる。白い円形テーブル、同じ色の椅子。テーブルにはお菓子と紅茶。少女たちは一様にセーラー服。
 トーンを落とした空色の半そでワンピースは、膝の中ほどで明るい灰色のプリーツスカートに切り替わる。白い襟には、赤い線。モダンな制服だと、姉が言っていたことを思い出す。
 中央に立つ、ストレートロングの娘は私の姪。私と年はいくつもかわらない。その分、姉とはずいぶん年が離れている。
 顔を見せるだけで、すぐに引き上げようと思っていたのだが、少女たちは強引にテーブルへ誘う。仕事があると言えば、姪は小生意気に「いつも仕事、仕事ばかりですのね」と膨れてみせる。
「名門旧家の跡取りともなれば、馬鹿げた仕事が山とあるものなんだよ」
 僕は笑って、紅茶をすする。少女たちの、声を合わせた嘆願に断りきれなくなって、結局、椅子に座ってしまった。
 書斎では、やってこない僕に秘書がイライラしているだろう。だが、たまにはそれもいいかもしれない。僕にだって息抜きが必要だ。若いお嬢さん方と、結婚だの婚約だのをちらつかされることもなく、楽しくおしゃべりすることなんて無い事だし。

 楽しい、幸福な風景。
 懐かしい、戻りたい時間。
 夢なのに。それは夢でしかないのに……希求は強くなる。

 あれは夢だと思っていた私だったが、ある日テレビでその風景を見る。私が夢に見るよりも、ずいぶん灰色を増した町。幽霊屋敷として名高い廃墟。知らず、涙が溢れていた。手にしていたカップを取り落としたことにも気づかないほど、私はテレビに食い入っていた。
「お前、何やってんだよ」
 彼に言われ、我に返る。
「どうした?」
 涙のわけを尋ねられる。
「あれは、夢だと思っていたのに」
「夢?」いぶかしげだったが、驚愕に目を見開き「時々見るって言ってた鮮明な夢のことか?」
「――そう」
 声にならない。
「あれ、あの町なのか?」
 テレビ画面はすでに別の映像に切り替わっているが、彼が何を言いたいのかわかっている。だから、強くうなづく。
 彼は私以上に興奮している。彼は私を疑わない。私を認め、信じ、受け入れてくれる。そんな大きな包容力が好きだった。好きだった――私はすでに彼を過去形で表現している。
 映像を見るまで、ほんの数分前まで、彼は私にとって過去形ではなかった。婚約間近な恋人だった。なのに、すでに過去形でしか彼を表現できない。したくない。
 あの町は。あの屋敷は存在していたのだ。それも、この国に。あまりの感激に私は彼のことなど、すでにどうでも良くなっていた。
 翌日、私は無理やり休みをとって、あの町に向かうことにした。休みが取れなければ辞めてもいい――いや、むしろ辞めるべきだ。朝一で、辞める旨を電話しよう。
 彼は休みが取れないことを悔やんでいたが、私はむしろホッとしていた。できるならば一人であの町を訪れたかった。数分前までずっと一緒にいたいと思っていたのに、私はすでに彼の存在がうざったくて仕方なくなっていた。
 その夜、私は興奮で眠ることができなかった。

 新幹線、電車を乗り継ぎ、ようよう町にたどり着く。疲れたような雰囲気の町。通りかかった人に道を尋ね、屋敷へ向かう。夢の中、私はいつも車に乗っていた。車の中では書類に目を通すことが多かったから、道を覚えていない。
 だが、やはり町には見覚えがある。ふとした瞬間、車の窓から見たかもしれない町並み。懐かしい。幸福感に溺れそうだ。
 屋敷に着く。手入れされていないため、芝も木々も見る影もない。壁も柱も彫刻も、あの見事なもの全てが破損し、ひび割れ、残酷な月日の経過を見せている。
 庭に面した大きな窓――割れた窓から中へ入る。ガラスの破片さえ、どこかにいってしまっている。割れてずいぶん経つのだろう。これではエレベーターなど動くわけがない。
 中央の階段を上る。パーティーなどした時には、ここを華やかな装いの紳士淑女が上り下りしていた。夢で見た覚えはないのに、そんなことを思う――思い出す。
 駅前から歩き詰めている。階段の途中で腰を下ろし、ぼんやり辺りを見回す。浮かび上がる、在りし日の記憶。それは幻影となって目の前に現れ、私をリアルな夢の世界へ落しこむ。私はされるがまま、引きずり込まれる。奈落の底のまだ底へ。
 ガヤガヤと人の声が超高速で通り過ぎ、数々のクラシック音楽が流れ、今日がいつなのかわからなくなる。しっかりしろ、私。今は母の誕生日パーティーの最中だ。こんなところに座り込んでいてはいけない。階段を下りかけ、体のだるさに眉をしかめる。私は何を勘違いしている? もうすぐ私の成人パーティーだ。早く部屋に戻って、狩りの衣装から着替えなれければいけない。都市で見た、あのエレベーターがあればいいのに。私は苦笑する――私の考えにではなく、階下の会場から聞こえてくる調子っぱずれな音に。今、音の調整をしているからだろうが、まるで習い始めの子供のようなまずい音だ。あぁ、違う。あれは幼い私が奏でる、ヴァイオリンの練習曲だ。先生のピアノが調子をとるよう館に響いている。今聞けば、彼女の腕もそれほどではなかったのだと知る。そういえば、彼女に音楽を習っていたのはわずかな期間だった。
「おじさま」
 どこからか少女の声が響く。クスクスと笑う声は幸せそうだ。普段は年上の私を名前で呼ぶくせに、悪戯を思いついたときだけ、そう呼ぶのだ――最近の彼女は。
「おじさま、こっちよ」
 どうして階段を上りかけ、立ち止まっていたのだろう。いつもならばエレベーターを使うのに。首をかしげながら、階段を上る。少女たちとお茶の約束をしていたのだ。待たせるのは悪い。
 少女たちの笑い声が近づく。水の音――プール横のカフェテーブル。
「おじさま」
 白いテーブルに白い椅子。あの日と同じ、まったく同じ光景。けれど、少女たちの楽しげな笑い声はするのに、姿が見えない。
「どこにいる?」
「こっちよ」
「どこ?」
 私はプールの中に落ち込む。誰かに背中を押された――確かに押された。引きづり込まれるように、沈んでいく。ゆっくりと。体が反転し、水面を見る。明るい。落ちた天井から、光が降り注いでいる。この水は、きっと雨が溜まったものだろう。
 水面に彼女の幸せそうな顔がのぞく。遅くなってしまったね。水を飲み込みながら、意識を遠くしながら。私は、今と過去を、混ぜ合わせながら、理解していく。
 あの日、エレベーター前で見たのは惨殺された先生と執事の死体。赤黒い液体があたりに飛び散り、赤いじゅうたんを黒く染めていた。あまりにショッキングな光景に、腰が抜け、座り込んでいた私は自分の両手を見やり、赤いことを確認する。これは現実だ。恐怖に頭が凍りつき、正常な思考は戻ってこない。エレベーターに乗り込み、約束していたプールを目指す。
 澄んだ水。少女たちの笑い声。幸福な時間。窓から差し込む光が水面で踊り、きらめきが美しい。
「おじさま」
 あぁ、そうだ。
「おじさまも、死んでくださいます?」
 あの時も、私は彼女に殺されたのだった。
「ずっと、永遠に。この幸福な時間をみんなで過ごしましょう」
 夢見る表情で、彼女は斧を振り下ろす。透明な水が、赤黒く染まっていく。もったいない。キラキラ輝いている水が汚れていく。
 何処か、暗く、冷たい場所へ、私の肉体は沈んでいく。けれど不安はない。私は今、幸福と安らぎに包まれている。トン、と背中が床に当たり、何かが、私の体に絡みつく。私の肉体は生へ執着することなく、静かに黒い、暗い闇の中へ沈む。ゴボリ、最後の空気が肺からなくなる。
「おかえりなさい」
 あぁ、私はまた、とらわれるのだ――夜のような安らぎの世界に……

2007/07/28 すっごい「輪廻」っぽい夢でした。
登場人物の「私」は私のことじゃありません。現在は女性、過去では男性だったようです。
ラストがラストなので、寝起きも「怖っ」って感じはなく……。じんわり、後になって怖くなってくる夢ですよね。でも、そういう(血がどばーってシーンがないから、それほど怖い夢でもないか。
最初の「時々見る夢がある。」ってのも、主人公の女性が思っていることで、私はこんな夢、見たことありませんよ。これ一回限り。

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