そして、世界が終わる。

「月が綺麗ね」
 黒い夜空に、プカリと浮かぶ丸い月。昔に比べ、丸く大きな黄色の月。星は一つも見えない。
 河のせせらぎなんて美しいものじゃなく、ただ、流れる水の音がする。都会の夜の川を流れる黒い水。ネオンに照らされ、夜空の変わりに宝石を浮かべているみたい。昼の水面より、ずっと綺麗。
 橋の上。向こう岸は高級マンションや下町の住宅街が広がっている。私たちはオフィス街から、それぞれの自宅に帰るため、歩いている。
「寛司(かんじ)君、家に帰るの久々だよね。奥さん、怒ってるんじゃない?」
 私は、後ろを歩いている寛司君に振り向き話しかける。チクリと痛む胸を無視。妻子持ちと不倫するほど、私はバカじゃない。バカじゃない。
 いつも穏やかな寛司君。今日はさすがにくたびれ切った顔で、弱弱しく微笑む。戸惑い気味に口を開きかけるのを無視し、私はくるりと前を向き、声を上げる。
「修(しゅう)ちゃんも早く結婚しなさいよ、優しい奥さんの待つ家庭なんて素敵じゃない?」
「それ、プロポーズか?」
「んなわけないでしょ。馬鹿言ってないで、いい子、見つけなさいよ。私もいつまでもアンタの飲み友達してらんないんだから」
 修ちゃんは幼馴染の腐れ縁。寛司君は、修ちゃんの高校時代の友人。私たちは、飲み友達のようなもの。会うたびに飲んでいるんだから、語弊は無い。
 修ちゃんの奥さんは私の高校時代の友人。儚げで、綺麗な子だった。結婚してからは会っていないから、今はどんな風なのか知らない。知りたくない。
 寛司君が悪酔いした時、愚痴ったところによると、彼女はヒステリックで、猜疑心が強いらしい。こんな風に飲みに出かけること自体、難しいんだと言っていた。私の気持ちを知らないから、そんなことを話したんだと思うと、私は尚更、彼らの間を壊せない。結婚式の当日、待合室で、花嫁衣裳姿の彼女に懇願されたのだ。
「美和子(みわこ)が寛司さんを好きなこと知ってた。でも、私から寛司さんを盗らないで。お願い、私には寛司さんしかいないの」
 約束は破れない。私なんかより、断然女性らしい彼女。一人じゃ生きていけない、その言葉は真実。私とは正反対。
「寛司君、お疲れ」
 向こう岸にたどり着き、私と修ちゃんは左手に。寛司君は右手に分かれる。寛司君は奥さんと子供の待つ、綺麗な高層マンションへ。私と修ちゃんは小さな住宅がひしめく下町へ帰るのだ。
「またね」
 思い切り手を振る。じゃ、と軽く手を上げ、ぺこりと頭を下げた寛司君は疲れた様子で歩いていく。背中が遠ざかっていく。
「帰るぞ」
 修ちゃんに声をかけられ、私は手を下ろし、空を仰ぎ見る。見上げた月は大きい。いやに大きい。
「ねぇ、修ちゃん」
 なんだか怖い。
「月、あんなに大きかったかな?」
「何だ、あの影」
 一つ、二つ。月に影が映り込む。
 三つ、四つ。影が大きくなる。
「……まさか、予定より早い?」
 修ちゃんは青ざめた声で、携帯を取り出す。
「寛司、空を見ろ!」
 大声だけれど、寛司君には届かない距離。けれど、小さな点になりかけていた寛司君は歩みを止め、空を仰ぎ見てるっぽい。携帯の相手は寛司君らしい。
「計算が狂ったのか?」
 責めるような修ちゃんの声。寛司君は答えない。
「寛司、何とか言え!」
「俺は知らない」
 絞り出すような声。
「知らされていない」
「俺は戻る。お前は家に帰れ!」
「でも――」
 声を上げたのは電話向こうの寛司君。
「お前の役目はもう終わりだ。これ以上することは無いだろ! さっさと帰れ」
 叩くように電話を切り、修ちゃんは駆け出す。今来た道を引き返す。
「修ちゃん!」
「お前も帰れ。家から出んな!」
 真剣な顔。ちょくちょく喧嘩はするけれど、あんな顔で怒鳴られたことは、今まで無い。私の心はもやもやといろんな事を考えながら、足は家へと向かって歩き出す。

 あれから三日が過ぎた。修ちゃんは一度、着替えをとりに戻ったけれど、すぐに出て行ったとおばさんが話してくれた。寛司君のことは知らない。私から連絡することはできないから。
 今朝から雨風が酷い。叩きつけるように降っていたかと思うとピタリと止まる。と思うとまた、降りだす。その繰り返し、繰り返し。
 窓から外を眺めていた私は、土手にふわふわ浮かぶ赤い色を見掛け、家から飛び出した。
「ちょっと、何してんのよあんた達!」
 土手で遊んでいたのは子供。赤い傘を差した子、黄色い傘を差した子、青い傘を差した子。色とりどりの子供用の可愛らしい傘だが、風でやられたのだろう見る影も無い。けれど、子供たちはそれを手にし、遊んでいる。
「家に帰りなさい。こんな日に遊んでるなんて、何考えてんのよ」
 私の怒鳴り声に数人の子が散っていく。残っているのは三人。うちのお隣の子と、見かけない少年二人。一人は青白い顔をして、ぼーっと立っている。
「君、調子悪いの?」
 腕を取ると、こちらがゾクリとするほど冷たい。何時間この雨の中にいたんだろう。
「おうちは?」
 指差す方向は橋の近く。あぁそうだ、この子は橋のすぐ近くにある大きな家の子だ。思い出す。同じ町内じゃないからすぐには思い出せなかった。歩いて十分ほどかかる。
「君は?」
 もう一人の子にたずねると反対を指差す。あいまいに。
「どこ?」
「今日、お客さん来てるから、帰っちゃいけないんだよ」
「何言ってるの、こんな日に遊んでる方が怒られるわよ」
 クシュンと彼がくしゃみをする。風邪を引きかけているのかもしれない。三人をとりあえずうちに連れ帰り、隣の家の子を父に送って行ってもらい、二人を着替えさせる。うちに子供服なんて無いから、大人もの。ぶかぶかだが濡れた服を着せたままにできないのだから仕方ない。
 橋近くの家の子には毛布に包まっているよう言い置き、ホットミルクを与え家を出る。もう一人の子に傘を与え、彼の家へ向かう。
 町内のはずれにある古びたアパートの一室が彼の家だった。共同玄関を入れば、磨けば黒光りするだろう薄汚れた木製の廊下と階段。
「二階?」
「うん」
 子供には急な階段を上がる。雑多な音が部屋部屋から漏れている。アパートというより寮。
 一室の前で彼は立ち止まる。不安げに私を見上げるので、私が変わりにノックする。
「は〜い」
 能天気な声で戸を開けたのは、私より若い、少女にしか見えない女性。濃いメイクで年齢はわからない。
「雄太? 誰?」
 少年と私の顔を不躾にじろじろ見比べ、
「誰?」
 私の顔に視線を定めた。
「お子さん、この天気の中、外で遊んでらしたんで送ってきたんです」
「で?」
 理解していない顔。奥に数人、彼女と同じような雰囲気の若者の姿がうかがえる。
「窓の外、見てください」
 強い調子で言うと、彼女はしぶしぶといった様子で部屋の中に声をかける。
「カーテン開けて……何、これ」
 また酷くなっている。しばらくすれば収まるのだろうが、外は殴りつけるような雨。
「天気予報、晴れって言ってたよね」
 部屋の中の誰かに尋ねる。
 誰もが同意するような声を上げるが、目は窓の外に釘付け。こんな降りよう、台風でもなかなかお目にかかれない。
「あんた、何でこんな日に遊びに行ってんのよ」
 彼女は子供を抱きしめる。どうやら、悪い人じゃないらしい。怒られないとわかり、彼も安心した様子で母親に抱きついている。さっきまで、私の服のすそを握り締め、震えていたってのに。
「ありがと」
 照れくさそうに彼女が言う。
「いえいえ」
 私はそそくさと退散した。もう一人、送らなきゃいけない子もいるわけだし。

 出掛けに毛布に包まり震えていた少年は、相変わらず青い顔をしていた。
「歩ける?」
 問いかけに、ゆるゆる首を縦に動かす。家に帰りたいのだろう。もう少し小さな子であれば抱っこするなり、背負うなりできただろうけれど、少年は私には大きすぎる。
「がんばれる?」
 少年はうなづく。
 私は冬服を引っ張り出し、少年に着せ掛けると家を出る。隣で飲まされたらしい父が入れ違いに家に帰ってきた。飲めない父は、すぐに酒を勧めるお隣のおじさんが苦手だ。お隣さん、悪い人じゃないけれど、誰にでもお礼代わりにお酒を勧める人だ。
「行ってくるね」
 声を掛けるが返事は無い。ビール一杯で赤くなる父。ずいぶん飲まされたのだろう。

 少年の手を引いて歩き出す。大人の足で十分の距離は、弱った少年の頼りない足で十五分以上掛かった。
「がんばったね」
 声を掛けると、少年は弱弱しく微笑んだ。インターホンを鳴らす。数分して、インターホン越しに怒鳴りつけるような女性の声が響いた。どうやらカメラもついているらしい。誘拐だ、人攫いだと物騒な言葉がヒステリックな女性の声の中に並ぶ。門は開かない。
「お母さん、この門、開けていただけますか? 息子さん、調子崩してるんです」
 声はピタリと止み、叩きつけるように玄関のドアが開き、門の前に髪を振り乱した女性が現れる。蛇のように睨み付けてくる瞳が怖い。
 ちらりと息子を見やり、もう一度喚きはじめる。言葉に無いっていない。鉄の門越し。だんだん腹が立ってきた。
「門を開けてください。彼は苦しんでいるんです」
 まるで私が全て悪いかのように彼女は声を張り上げる。話にならない。
「息子さんは病気なんです」
 一語一語区切って言ってやる。彼女以上に声を張り上げて。彼女はようやく気づいたかのように、息子に向かい侘びと心配する言葉を言い募り始める。それより門を開ける気は無いのだろうか?
 ガチャガチャと知らない家の門であるかのように、彼女はようよう門を開ける。これでやっとうちに帰れる。安堵したのも束の間、私は左頬を平手打ちされた。疑問がわきあがると同時に、私も彼女を張り倒す。彼女の口から湧き出すのは私へと向けられた罵声と呪詛の言葉。
「あなた、本当に息子さんのことが心配ならまず先にすることがあるでしょう? 何を勘違いしているのかしらないけれど、まずは息子さんのことを考えなさい」
 彼女はまた息を吹き返し、わけのわからないことを叫ぶ。話にならない。帰ろうとするが、彼女が私の右手をつかみ、手を上げる。叩かれる――そう思った時、誰かに後ろに引っ張られた。
「馬鹿やろう、何やってんだ」
 声の主を振り向く。雷でも落ちたのか、彼の背は眩すぎる白。閃光の世界。強烈な影で彼の顔が見えない。
 修ちゃん――?
 なんとなく、そんな気がした。彼が修ちゃんであればいい。そうなら――
『世界が終わるとき、私だったら好きな人の傍にいたいな』
 ずっと昔の言葉。忘れていた言葉。いつだったか、私、そんなことを言った気がする。
 私、ずっと寛司君が好きだった。他に好きな人なんてできなかった。でも、修ちゃん。この瞬間、私、修ちゃんのことが好きになった。雷に打たれたように、突然。瞬間的に。
 だから、あなたが修ちゃんだったら。本物の修ちゃんだったら、私、すごく嬉しい――私たちは白に包まれる。

2007年06月29日 世界が終わるらしい。隕石だかなんだかが落ちてくるかして。一般人には情報が知らされていないので、知らない人のほうが多い。アマチュア天体ファン舐めるな、って感じです。隕石じゃなかったのかもしれないけれど。

 夢の中では美和子が家に帰り際、ランドセル背負った学校帰りの小学生たちを川原で見かけたのです。雨が降って薄暗い夕方前に。お酒飲んだ夜の帰りだったはずなのに、突然夕方。話があまりに通じないので変更。小学校2年生くらいの子供たちは壊れた傘を持ってたんじゃなくて、カラフルなランドセル背負ってました。雨にずぶ濡れになりながら。なんでだろ?

 寛司は妻子持ち。たぶん、科学者だか研究員だか。コンピュータ(パソコン?)に囲まれてしてる仕事系。飲み会の日まで、ずっと泊りがけで仕事してたらしい。仕事明けの日にたまたま会った修と美和子、三人で同窓会がてら飲んでた、と。嫉妬深い奥さんがいるので、辟易してるものの、誰にもそれを言いだせない。美和子のことは好きだったものの、修が好きなことを知っていたので告白することもなく、美和子の友人と結婚。五歳になる娘一人。

 修ちゃんは消防だか、自衛隊だか。人を助ける系の仕事の人。たぶん、美和子が小さいころ戦隊モノというか正義の味方が大好きだったのが影響しているっぽい。ずっと美和子を好きだが、告白しても美和子に冗談として流されるばかり。寛司が美和子を好きなことは知っていたので、寛司から恋の相談を受けかける直前、自分が美和子を好きなことを告げる。寛司の性格をわかっているので、そうしていれば二人が両思いになることは無いことをわかった上で。

 美和子。一人称「私」 修とは幼馴染。修にどんな状況で告白されようと、冗談としか受け取らない。修がいるため、恋とは完全に無縁状態におちいっているが、美和子本人は気づいていない。小さいころ男の子とばかり遊んでいたためか、同性である女の子のことをあまり理解していない。儚げでか弱げな寛司の奥さんを見た目通りだと信じている人。最後の最後で気持ちに気づく、というより、恋をする。ということで晴れてめでたく両思いなのだが、美和子は修の気持ちを知らない。

 寛司の奥さん。体がもともと弱く、高校時代、美和子によく助けられていた。別の高校に通う修、寛司と出会うきっかけを作ったのは美和子。三人の関係に気づいたものの、美和子の性格をわかった上で寛司との仲を取り持ってくれるよう協力を仰ぐ。結婚したものの、だんだん寛司は仕事中心になる。ますますヒステリックになる彼女から寛司は離れていく。美和子が結婚せず、寛司といまだ仲が良いことが気に入らない。

 ラストの話。
 美和子を抱きしめてたのは、修ちゃん。最後の最後ってことで、彼は好きな人と一緒にいたい!と思ったのだけれど、家にいるはずの美和子が何故か家にいない&おじさん酔っ払ってて要領得ないからずいぶん探しまわっていたのです。本当、会えて良かったねぇ。美和子抱きしめた時、一瞬見えた顔でたぶん美和子の思いを全て理解したと思われる。幸せものめ。でも、修ちゃんの家族はどう思っているんだろう…?
 寛司君は奥さん子供のいる綺麗なマンションのリビングで、奥さん・娘さんを抱きしめて、最後を向かえたっぽい。窓から外の様子を見ながら。結婚するくらいだから、寛司君、奥さんのこと嫌いじゃないんですよ。ただ、あまりに嫉妬深くて辟易してただけで。最後の3日は家族だけで、穏やかに暮らしていたっぽい。

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