ドライブと赤いヤツ。

 空は青く澄み渡り、遠くの山際には筆で書いたような雲がぽつりぽつりと浮かんでいる。実に気持ちの良い天気。ドライブにはまさにうってつけ。

 運転席に陣取るヤツは大声で歌らしきものをがなりあげている。そのはしゃぎようは目を見張るばかり。
 助手席に座ったヤツはいつものポーカーフェイスで自信たっぷりにしか見えない名ナビを務めている。いや、この場合は「迷ナビ」か。
 助手席真後ろ、交通事故で一番生存率の高い位置に陣取った俺は、吐き尽くした胃袋からそれでもこみ上げてくるものをこらえつつ、必死に家に無事帰り着くことだけを願っている。

 右手には凪いだ海ががけ下に広がっている。
 左手は丘。
 気持ちの良い景色だが、そんなものに目をやる余裕は俺にはない。とにかく降りたい、この車から。このままこの車に乗りつづけるのと、ビルから飛び降りるのとどちらを選ぶといわれれば、俺は笑顔でビルから飛び降りる。そのくらいの勢いで。
「あれ?」
 唐突に不信げな声をあげたのは助手席。
「どうした?」
 アホみたいな声でたずね返すのは運転席。実際どつきまわしたいくらいのアホだが、その元気が今の俺にはない。というか、どついて事故られても困る。結局、一番大切なのは自分の身だ。
「道に迷ったらしい」
 いまさら気づいたか、迷ナビ。
「何だって?」
 っていうか、普通気づくだろ馬鹿運転手。俺たちが向かっていたのは山であって海ではない。逆走もいいところだ。
「すまん」
 謝ってすむ問題か。
「……ま、どこかにはつくだろ。それより――」
 ノー天気としかいいようがない運転手の声色が不意に変わる。
「あ。」
 前方の二人が今日はじめて黙り込む。車内に満ちる奇妙な沈黙。
「あって何だよ!」
 ツッコむ俺は同じタイミングでその理由を理解した。奇妙に傾く車内、重力に逆らい上のほうへ押し付けられる感覚と同時に落下する感覚。
「落ちる」
「落ちてるの間違いだろ、このボケ!」
 急カーブの直前、そういや馬鹿運転手は助手席に顔を向けていた。よりによってわき見かよ、とツッコむ前にすでに車は下方へ向かっている。
 あーーー本当に、免許とって間もないやつの車になんて乗るもんじゃない。
 気持ちの悪さから窓を開けていたのが間違いだった。俺は車内から放り出され、車は下方へ離れていく。必死で目の前にある白いもの――雲につかまろうとして、手がすり抜ける。
「いィィィィィィィ?」
 雲って、どこ走ってたんだよ!

 ずさっ

 着地したのは白い地表。雪の上。胸までありそうな雪に見事についた一昔前のギャグマンがチックな後が色んな意味で痛々しい。後方から聞こえる二人分のうめき声、もとい興奮したはしゃぎ声に殺意すら覚える。
「あの……」
 遠慮がちな声に仰ぎ見れば、登山ルックのカップル。俺たちがいる場所の数メートル向こうには登山道があるらしい。張り巡らされた鎖が見える。声をかけてきたのは男。女は男の腕にしがみつきつつ、こちらの気配をうかがっている。
「大丈夫、ですか?」
 大丈夫に見えますか?
 思わず皮肉を返しそうになるが、ぐっとこらえ、
「ここ、どこですか?」
「山ですよ」
「わかってます」
 怒りを押し殺し、自然な笑みを浮かべる。
「どうやったら降りられます?」
 引きつった笑みを浮かべたようにしか見えないのか、カップルは青ざめた顔で、
「この道をずっと――」
 指を指す。カップルもどうやら下山していたところらしい。
 同じ方向へ向かう者同士というか、運転手のいつもながら見事な友人獲得法で、情報やら、食料やらを分けてもらい、先を急ぐ。とりあえず、二人のことはどうでもいいが、俺は今日中に帰り着かないと寮のおばちゃんに怒られる。
「でも、あまり下のほうに行くと……」
 女が不安そうな声をあげる。
「何です?」
「アレが……」
 言いつつ男の後ろに隠れる。照れ屋なだけなのか、こちらに問題があるのか。ま、空から降ってきた以上、後者である確立は実に高いが。
「アレ?」
「見ればわかりますよ」
 カップルの男は息を吐き、歩き出した。

 緑が多くなり始めると、とたん人が増えてきた。スーツ姿の男やセーラー服姿の女子高生さえいる。山とはいえ民家が近いのかもしれないが、それにしてもこんな山の中でいったい何をしているのだろう?
 俺たちが下山道に沿って歩いていると、悲鳴があがる。
「ちょっと、それ以上降りないほうがいいわ」
「なんで?」
「アレがいるの」
「アレ?」
 馬鹿運転手は首を傾げたものの、誰も「アレ」について説明してくれないとわかると前以上に歩く速度を速めた。仕方ないからついていくしかない。だが、こちらは暴走運転の被害者だ。消耗していた体力がついに悲鳴をあげ、その場にしゃがみこむ。もう一歩も歩けない。だが、自分の目の前を歩いていた馬鹿運転手とアホナビは気づかず、背は遠くなる。
 おい、こっちの体のことも考えろよ。三代先まで祟ってやると恨みを込めつつ念じていると、50mも向こうでようやく俺がついていっていないことに気づいてくれた。有難いやらなんやらで泣けてくる。もちろん皮肉だが。
「ちんたら歩いてたら置いてくぞ」
「勝手に先に行け、アホ!」
 あまりに嬉しい言葉に口が勝手に言葉を吐き出す。
「何、怒ってんだ?」
「知るか、ボケ!」
 それでも歩こうと立ち上がった俺の目は異常なものをとらえた。前方にボケーっと立たずむ二人の背後で何かが動いている。一定のリズムを取って、行進してきているらしい丸っこくて赤い、背丈が30cmくらいの……大群。
「おい、さっさと歩けよ」
 二人は何も気づいていないらしい。
「――うしろ」
「は?」
 俺が指差しながら何度も繰り返しそれを伝えようとするが、二人は疲れた顔をしてこちらを見ているだけ。気づけよ、馬鹿ども。何度目かの俺の声でようやく振り返った二人は固まる。
「……さぶいぼさぶいぼ」
「……きしょッ」
 言いつつ足でそいつらを蹴散らそうと格闘をはじめる。赤い群れの中で無闇矢鱈に足を振り回しているだけなのかもしれないが。
 赤いやつらは見た目以上に弾力があるらしく、二人はボールに戯れている園児のようにしか見えない。
「静まれ!」
 あたりに響く鋭い女の声。
 赤い生物も行進を止める。

 ザッ  ザッ  ザッ

 地鳴りのように響いていた音がぴたりとやむ。どれだけ数がいるってんだ?
「これ以上行進することはならん。去れ」
 女の声に答えるように、赤い生物たちはみな180度回転すると、音を響かせつつ帰ってゆく。
「あれ、何?」
 さっきまで足を振り回していた馬鹿が女に何の遠慮もなくたずねる。巫女っぽい白の衣装をつけてるし、雰囲気も普通じゃないんだからもう少し遠慮ってものを覚えたほうがいい。
「……の果てです」
 女は何の感情も見せず、ヤツの質問に答える。無愛想を絵に描いたような感じ。
「果て? 聞き取れなかったんだけど」
「もうしばらくすれば皆さんにもわかるでしょう」
 女の言葉はそれから一時間ほどで理解した。
 赤い生物たちは山を何度も登ろうとし、そのたびに女やその手のものたちに下山させられていたのだが、山の上のほうから発せられた白い光があたりを包み込んでゆくと、やつらは縮んでいった。
 あまりのまぶしさに目を閉じた俺だったが、目を開ければその大群は陰も形もなかった。ついでに俺たちがいる場所も、神社の境内らしい場所になっている。白い光に押し流されたような感じだ。
「なんだ、これ」
「石?」
 俺はゆっくり黄色のそれを手にとる。ほんのり、人肌程度に暖かい。
「……勾玉だ」
 周囲には数え切れないほどの勾玉。赤や緑、黄色、いろんな色、いろいろな大きさの勾玉が散乱している。
「どうして?」
 自問だったが、いつの間にやらあの巫女が近くにたたずんでいた。
「近頃、世界が不安定だからです。あなた方も用がないのならばこの山を去りなさい」
 彼女はそういい残し、済ました顔のまま驚く速さで山を登っていく。俺たちと同じ人類なんだろうか?
 勾玉はやがて熱を失い、塵へと変わってゆく。何かが終わり、新しい何かが始まろうとしているのだろうか? それともただ変質するに過ぎないのだろうか?
 感慨に浸っている時間はあまりなかった。腹が悲鳴をあげ、我に返る。

 っていうか、ここどこ?

2005年11月07日 赤いヤツはCMでやってた「た〜らこ〜♪ た〜らこ〜♪」のヤツです。CM見てたときは可愛らしいなぁという感想しかなかったですが、あれが目の前に集団で行進してこられると気持ち悪いです。歌もなしで黙々と。しかもつぶれないし。本当に、どうしようかと……。

視点は大学生くらいの男の人だけれど、私。久々に夢の中に登場できたのに男ですか、私。終始、ずっと怒って悪態ついてるだけでしたが。
落ちるのは怖かったです。あと、つかもうとしてスカッとするやつも。

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