4700まんえん よういしてください。

 時は昭和初期。

 こどもは かえりません。4700まんえん よういしてください。

 たどたどしい子供の字で書かれた脅迫文が見つかったのは、百貨店内で迷子の四人の子供達を探しているときだった。
 寝具売り場で見つかったそれを最初に発見したのは、勤め始めたばかりの若い売り娘だった。直前、四人の子供達と、一人の女性がその付近にいたことを証言する。ただし、ちらりと見ただけなので女性の顔、年齢はわからない。帽子を深くかぶっており、黒い外套がいとうを羽織っていた。品の良い女性だったと曖昧あいまいなものではあったが。

 来客用の部屋なのだろう。飴色あめいろをした重厚なテーブル。ふちには細やかな細工がされ、そろいの椅子には同じ細工と暗い紅のビロード。部屋にはランプや西洋の陶器の人形など見慣れない高価なものが並べられ、この家のもつ財力の程がうかがえる。
 それらに少々圧倒されながら、警部は神経質そうに同じ場所をぐるぐると歩き回る。
「これは由々ゆゆしき事態です。実に由々しきことですぞ」
 黒い立派なヒゲを時々なでつつ、ちらりと上座の椅子に腰をおろした男をみる。
 男は五十代後半くらい。ヒゲをはやしておらず、警部に比べ体格も良くなかったが、威厳は数段上だった。生まれながらに人の上に立つために生まれてきたような印象の男だ。
 時折、歩き回る警部を軽蔑した瞳で見るが、その部屋には自分ひとりしか存在していないかのような顔をしている。そばに二人の秘書と護衛をつけているが、彼らは動きを見せない主人に同調するかのように微動だにしない。
 警部は自分がその場にいるのが居たたまれず、言葉を繰り返す。
「横暴です、子供四人に四千七百万円とは愚弄ぐろうしております」
「払えない金額じゃありませんよ」
 男はこともなげに言う。
「え?」
 警部の瞳が希望に輝くが、
「だが、実に馬鹿馬鹿しい」
 言い放ち、
「くだらない」
 はき捨てる。
「では、お金は用意されないので、ございますか?」
「当たり前だ。そちらが捜査することにこちらは一切文句は言わん。ただし、商売の邪魔になるようでしたらお引取り願いますがね」
 暗に捜査当局上層部への繋がりを匂わせる。
 消えた子供達は八歳になる兄と二つ下の妹、それと兄の学友二人。近年になり商売を大きくしてきた家の子供で、由緒もなければ、まだまだ人脈も広くない。事件が起こった現場が有数の財閥が経営している百貨店なので、事件を神隠しとしてもみ消されても親達は泣き寝入りするしかない。
 事件当日、子供達と一緒にいた謎の女の正体は一切つかめていない。事件はなんら進展しないまま一週間が過ぎようとしている。
 警察の姿が出入りすることを快く思っていない雰囲気は当初からあったが、今日は当主じきじきに警部に伝えられた格好になる。これ以上、下手に動くのはまずい。
 仕事熱心な警部ははらわたを煮え繰り返らせつつ、雲の上にいる人間を睨みつける。
「ですが、子供達が見つかるまで捜査を打ち切るわけにはまいりません」
「私の百貨店は宿ではないのだよ? 子供達がそこで生活しているとは思えないがね」
 不敵な笑み。
 誰もが魅せられ、誰もが恐れる表情。睨まれているよりも、尚一層の緊張感に警部は襲われる。
「失礼します」
 そこへ入ってきたのは若い女性。
「何だ?」
 不機嫌そうな顔で当主は尋ねる。服装からしてお手伝いなどではない。きちんとした仕立ての黒のワンピースに、髪は後ろで一つにまとめられている。
「お義父とうさま、お邪魔します」
 一方的に告げ、入室する彼女の表情はあくまで穏やか。硬く、凛と響く声が、この部屋には違和感をもたらす。彼女を睨みつける当主の瞳は、屈強な男でも震え上がりそうなほど恐ろしい。
 うまくいっていないのだ。
 一瞬で警部はこの家の中の彼女の立場を理解する。歓迎されていない嫁。聡明そうな彼女がそれを知らないはずはない。すべてを理解しつつ、歯向かっているのだろう。
 男を恐れることなく彼女は部屋に足を踏み入れ、警部にたずねる。
「捜査は進まれたのですか?」
「いえ、それが――」
「家出でもしたのだろう」
 当主が短く言い放つ。
「家出? まだ八つの子供達がですか?」
「家出人に年など関係ないだろう。百近い年寄りでも、家を出ることはある」
 家出人として処理される人々の多くはすでに死人しびとだ。家族内での厄介やっかい払いが主だが、座敷牢に入れられたか、山に捨てられたか。法が施行された今でも、田舎では未だに昔ながらの慣習が行われていると聞く。
「……そうですか」
 彼女は素直にうなづく。意外に思ったのは警部だけではなかったようで、当主も不信そうな顔を彼女に向ける。
「子供達がいなくなっても、あまり大きな事件にはならないのですね」
「――どういう意味ですか?」
 警部は目を大きく見開きつつ尋ねる。
「まさか、貴様……」
 当主は怒りに顔を染め、人を殺せるほどの視線を彼女に向ける。
「子供達は家に返します」
 一方、彼女の瞳は咎人とがにんとは思えぬ慈愛に満ちており、言葉も穏やか。
「元気なのですか?」
「とても。親御さん方が仕事ばかりでつまらないと常々愚痴を漏らしていましたが、やはり、離れると会いたくなるようですね」
 警部に向かい、笑みを見せる。どうやら以前から子供達と付き合いがあったらしい。
「貴様、何を考えている」
「子供のことです」
 鋭く問い掛けた当主の声に、彼女は変わらぬ口調で返す。まるで芝居のように、堂々と。
「女が他に何を考えるというのです? そうでしょう? お義父さま」
「子をなせない女が何を言うっ!?」
「子をなせなくとも、子のことは考えます。考えて、考えて、男の方にはわからぬほど考えて……」
「そのようには見えん」
 対峙した当主の視線を受け止めている彼女の瞳には何も映っていない。どこまでも静かに、穏やかな表情が浮かんでいる。
「気が狂うほど子のことを思えば、わたくしにも子がなせるのでしょうか? いいえ、どれほど思おうにも、どれほど願おうにも私には子がなせません。けれど、私は嫁なのです」
 悲しみも、苦しみも、憎しみさえ浮かばない瞳が異様だった。
「私は疲れました」
 誰も、言葉をかけることができなかった。
 彼女は礼を一つして、入ってきたときと同じく静かに部屋を出て行った。

 捜査はすぐに打ち切られた。子供達は帰宅し、様子を尋ねる大人達に対し、とてもよい扱いを受けていたことを証言している。
 子供達と彼女とはずいぶん以前からの知り合いだったが、仕事の忙しい親達はそれを知らなかったらしい。事件後、警部は幾人もの子供達から彼女の行方を尋ねられるようになる。
 彼女が身代金として要求していた四千七百万円は親のない児童のための施設を作るらめの金額だったことも判明した。
 彼女は子をなせないことを振り切るように、経営に尽力し、成果もあげていたが、子をなさないことに周囲からの風当たりは強まる一方だったようだ。
 この事件は新聞沙汰にはならず、事件としても迷宮入りの形をとったが、彼女は今、山奥にある別邸に身柄を移している。彼女は死ぬまで、外出することなくそこで生を終えるはずだ。
 女は子をなすもの。
 当たり前のことなのに、警部はなぜか女を哀れに思った。

2005年09月03日 
睨みつける当主と、静かに微笑む彼女のにらみ合い?が怖かった。
警部のヒゲは最近ポアロを読んでるためでしょう。4700はどこから出てきた数字なのか不明なのですが。
時代が昭和初期の割におかしな設定盛りだくさんですが、深く突っ込まないでください。所詮夢です。そして、私は日本史不得意。

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