清昌
舞う花びらは風に乗り、雪のように降り注ぐ。
「
「清昌様……」
千瀬は思い通りにならない腕をようよう動かし、清昌の頬へ手を当てる。
「泣かないでくださいまし」
「……千瀬……」
清昌は流れる涙をぬぐおうともせず、千瀬の冷たくなる身体を抱きしめる。
「千瀬、千瀬、千瀬――死ぬな、死なないでくれ……」
「清昌様……」
千瀬は寂しそうな微笑を浮かべ、じっと
「桜が……」
千瀬の声に、清昌は顔を上げる。一面の桜吹雪。幻想的であるゆえに、恐ろしいほどの美しさ。一瞬、涙の途切れた清昌に千瀬は
「清昌様、どうか、私のことなどお忘れくださいまし」
ぽつり、呟く。
「嫌だ、千瀬、私を一人にしないでくれ」
「……清昌様……」
千瀬は嬉しげながらも哀しげな微笑みを浮かべ、
「千瀬、千瀬、千瀬、千瀬、千瀬ぇぇぇぇぇぇっ!」
清昌は狂ったように叫び、千瀬をより強く抱く。流れる涙をぬぐおうともせず、何度も千瀬の名を叫ぶ。
「清昌殿」
清昌の声も枯れ、すすり泣きに変わる頃、ようやく
ゆらり、その声に導かれるように清昌は立ち上がり、腰の刀を静かに抜く。
「清昌殿」
繁靖の声はあくまで事務的な響き。とがめる響きさえない。
「なぜ、千瀬を切った」
深い絶望の響きを持った清昌の声に、ぐっと繁靖が感情をかみ殺す。
「……清昌殿」
実の妹である千瀬を、兄の繁靖は戸惑い無く切捨て、千瀬はそれが当然であるかのように受け入れた。それが清昌には理解できない。
「千瀬は私が愛した女だ。何故に切った?」
すっと
「言え、繁靖。何故、千瀬を切った?」
繁靖は清昌の剣の師である。
「筋違いだ」
繁靖の瞳はただ、黒い。師である前に、仕える君主。繁靖はいつもながらに
「わかっている」
千瀬を切れと命じたのは清昌の母、
千瀬の身の危険を知った清昌は、駆け落ちしようとこの桜の下で千瀬を待っていた。千瀬は哀しげな顔をして清昌の前に現れ、直後、繁靖に切られた。切られた直後、千瀬が浮かべていたのは笑み。切った繁靖が浮かべていたのは哀れみの表情。いつも無愛想な男が見せた感情のある顔。
清昌が推し量れない二人の感情に、一瞬、動きがためらわれた。その一瞬のために、清昌は一歩踏み出すのが遅れ、千瀬を助けることができなかった。
清昌は揺らぐ心を
「だが、お前を殺さなければならない。千瀬のために」
繁靖は鼻で笑う。
「わかり申した、清昌殿」
腰元の日本刀を抜き、どっかりと腰を下ろす。
「さ、
静かに瞳を閉じ、
「……もう一度聞く、なぜ千瀬を切った?」
なぜか清昌の心に湧き上がる恐怖心。
「清昌殿、千瀬は幸せな女だった。好きな殿御に愛され、そして死んだ。これ以上のことがあろうか?」
「なぜ切った?」
「千瀬が望んでいた」
聞きたくなかった答え。だが、清昌が恐れながらもわかっていた答え。桜の木の下を待ち合わせ場所に千瀬が指定した時、気づいていた事。
満開の桜は死人を好む。人の
そんな話を清昌が聞いたのは千瀬からだった。
「千瀬は……千瀬は、私を愛していたか?」
「清昌殿、それはあなたが一番良くわかっているはず」
清昌の家に仕える繁靖の元へ遊びに来た千瀬に一目ぼれしたのは清昌。五つ年上の彼女を剣の師にと強引に迎え入れ、半年、剣の師と弟子という形で過ごし、彼女から初めて一本が取れた一月前、ようやく清昌は気持ちを打ち明けた。
「あなたが千瀬を見初めたこと、千瀬は喜んでいた」
千瀬は最初からわかっていた。身分違いの恋がどのような結末を迎えるかということくらいわかっていながら清昌に答え、従い、死んだ。
清昌の両の目からは枯れたはずの涙。
「千瀬は最初から、全てわかっていたと言うのか?」
繁靖は静かに
「私が千瀬を見初めなければ、千瀬は死ぬことがなかったのか?」
清昌は刀を下ろし、うな垂れる。
「千瀬は、私が殺したのか?」
「清昌殿!」
清昌が己の首元に刀を当て、引こうとした刀身を繁靖は握りしめる。流れ落ちる赤い筋。
「己を
「止めるな」
「……止めませぬ」
繁靖は千瀬を切った刀をすらりと抜き、切っ先を清昌の左胸へ当てる。流れるような、無駄の無い動き。
「千瀬が惚れたのは、後を追うような軟弱な男ではなかった。後を追うと言われるのならば、私が切ってさしあげましょう」
清昌は繁靖を見る。いつも無表情だと思っていた繁靖の顔には、悲しみがある。
「清昌殿、あなたはまだ若い。女は千瀬だけではない」
清昌は首をふる。
繁靖はふと、微笑む。
「千瀬は良い女だった」
ざぁっと強い風が吹き、桜の花が舞い上がる。
千瀬が惚れた男であり続けるために、生きろと繁靖は清昌に言う。
「……私は、出家する」
「
そう答えた繁靖の顔に、
***
それから数年。
議会は騒乱としていた。
「あなた方は国を売るおつもりか?」
「わが国家は近代化を推し進めるためにも――」
「まず、第一は国民のために――」
「それはあなたに利権が転がり込むためではないのか?」
「貴様、私を愚弄するつもりか!」
「第一、この国には――」
王が病に伏し数日。後を次ぐのは若干十五歳と若い姫君ただ一人。定期的に設けられている議会は実質的な王不在のため、古参の古狸と、新参の狐が互いに化かし合いを繰り広げるのみで話にならない。
唯一、侍出身の一派が王の意思を尊重すべきだと述べるも、少数な彼らの意見など取り上げられることも無く、ただ無闇に混沌とした議会から生み出される政策は国を混迷させるのみだった。
「で、あるからして――」
「それは、そちらへ利権が発生するための――」
「これは国家の政策ですぞ。私事などはさんでは――」
いつもながらの議会。
すっくと繁靖は席を立つ。ざわめいていた室内に静寂が宿る。
「どこへ行かれる気かな?」
元老院の一人が繁靖に声を掛ける。声に混じった皮肉。妹を切ったことで出世した馬鹿な男。それが世間の評判。
「このような場所へ居ても時間の無駄だ」
足を止めることなく繁靖は出入り口へと向かう。繁靖に従うように席を立つ侍の面々。
「お前達、この会議が終了するまでは席をはずすことまかりならん。席をはずすからにはそれなりの覚悟が出来ているんだろうな!」
男達の耳にその言葉は届いているのだろうが、彼らは意に返していない。先陣を切った繁靖の後を追い、次々と議会を退出してゆく。
「
席を立った清昌に、議員の一人が顔色を変える。
清昌は仏門に入りはしたものの、
清昌は静かな笑みを返し、一礼するとともに議会を出る。色めき立つ場内を後ろに、清昌は笑みを浮かべる。
繁靖はあの後、鬼にでもなったかと思われるほどの活躍ぶりでとんとん拍子に出世し、議会へ顔を出すほどの身分へと上り詰めた。だが、議会で幅を利かせているのは古参の家の者と、新参の商人達。侍が幅を利かせていた時代は過ぎ去って久しい。
「
議場のある建物の入り口でその声を聞く。
弱冠十五歳にして、現在、実質的この国の王。
清昌は壁により、静かに頭をたれる。ちらり、目だけを動かして見た先には、金糸の縫いこまれた豪奢な赤い着物。結い上げられた髪は、どこまでも黒く、幼いながらも高貴さのある顔。先王とよく似た瞳。
彼女はひれ伏す者たちを横目で見つつ歩を進める。
(何かがおかしい)
彼女は首を
「これ、そなた」
僧衣をまとった清昌の前で立ち止まり、声を掛ける。彼女としては恒例どおり、その場にいる一番身分の高そうな者に声を掛けただけである。
「はい」
清昌はうつむいたまま、返事を返す。王の許しが無い限り、顔を上げることなど出来ない。
「顔を上げよ」
「はい」
瞬間、和葉は目を見開く。見た事も無いほど美しく、また若い男。半年ほど前、議会へ顔を出したときは見かけなかった顔だ。
「そなたの名はなんと申す?」
「……清昌と申します」
清昌は名を名乗りつつも、そこに不自然さを覚える。王である和葉は
「清昌……殿、か」
「いえ、清昌で結構にございます」
王が位の低い者に対し、敬称をつけるなど聞いたことが無い。
「いいえ、私のほうが年若いのですから……清昌様のほうがよいですか?」
一瞬、脳裏に蘇るのは千瀬の顔。
「何なりとお好きなように」
清昌は和葉の考えが読めず、不信げに答える。
「清昌殿、花見をいたそう」
良い思いつきだとばかり和葉は顔をほころばせ、出口へと歩んでゆく。
「……はぁ……ありがたき幸せにございます」
疑問符だらけの顔で、清昌は和葉の後に続く。何の冗談だと頭をかしげながら。
二頭立ての馬車。前後に向かい合うよう座席がついている。壁面は白を貴重とした西洋の細工物。金のリボン、小さな花が降るようにあしらわれている。天気が良いためか、黒い傘は後方へきちんと折りたたまれている。
御車台に控えていた従者は、先ほど場内に入ったばかりの和葉が出てきたのであわてて飛び降り、優美な白い細工物の扉を開ける。
従者に手を借り、和葉は慣れた様子で席へと上る。真紅のビロードの座席。置かれたクッションは金糸、銀糸を織り交ぜ豪奢な刺繍の施されてた白い絹地。
清昌は戸惑いつつも、和葉に促され同じように馬車へと乗り込み、和葉とは斜め向かいに腰を下ろす。
「花見にはよい時節じゃ。桜がまた見事なこと」
和葉は穏やかな笑みを浮かべ、周囲を仰ぎ見る。この国にはやたら桜が多い。この時期、どこもかしこも、煙るような桜の林が続く。
清昌は腕にかき抱いた千瀬の顔を思い出す。血の気も失せ、白くなった肌。反対に赤く、色づいた唇。涙を浮かべ、嬉しそうに、哀しそうに、清昌の名を呼ぶ愛しい女。
「桜は、死人を好む花にございます」
つと、口をついて出た言葉。
あわてて否定しようとするも、和葉はしっかり聞いていたらしく、
「……
「いえ、あまりの見事な美しさゆえ、そのような話が作られたのでしょう」
「そうか、そうよな――清昌様は桜は嫌いか?」
真剣な面持ちで尋ねられ、清昌は思わず顔をほころばせる。
「いえ、そのようなことはございませぬ」
桜を見ればいつも千瀬を思い出す。千瀬の血をすすり、美しい花をつけたのだとすれば、桜を嫌うことなどできようか。千瀬は桜を
「私の顔に何かございますか?」
じっと和葉が清昌を見つめているのに気づき、清昌は声を上げる。
「いや、実に良い天気だのぉ」
清昌に声を掛けられ、和葉は嬉しげに、だが、焦った様子で言葉を返す。清昌は曖昧な返事を返し、場が持たなくなれば、再び桜に目を移し、しばらくして同じ問いを和葉に尋ねる。
会話の形を成していない会話をしながら、二人が乗った馬車は進む。
「清昌殿?」
いぶかしげな声を上げたのは、先ほど議場を後にした侍の一人。目の前の大通りを過ぎてゆく豪奢な馬車には僧侶姿の清昌と、和葉姫。
「いや、そうだ。あれは確かに清昌殿。だが何故、姫の馬車に清昌殿が?」
同じくその姿を認めた侍が声を上げる。
侍でもないのに繁靖と親しくしている変わった小僧だと、過去を知らない男は前々から面白くは思っていなかった。
「――これは繁靖殿にご報告申し上げねば」
駆けて行こうとする男を止め、
「捨て置け。ただの花見だろうて」
「しかしっ!」
「放っておけ」
清昌と千瀬の間を知る男はむしろ微笑を浮かべながら馬車を見送る。
(今宵の繁靖殿と酒の肴に良い物を見たわ)
「ですが――」
なおもいい募る男に、
「
高らかに笑い声を上げる。
和葉姫は世間で言われているような無能者ではない。無能たらしめているのは、議会に巣くう古狸と狐。狩りは侍の本職ではないが、他に狩りの仕方を知るものがいないのであれば我らが動くしかない。
繁靖はそう述べ、翌日、反逆の
2004年06月10日 たぶん、数日前に『ラストサムライ』を見た影響でこんな夢を見たんだと。
繁靖は下級武士で、清昌の家に仕えている身。妹の千瀬は文章中にあったとおり、繁靖の元へ遊びに来ていたところを五歳年下の清昌に見初められ奉公にあがってます。で、この兄妹なんですが、実は血のつながりは無く、共に身寄りが無いので助け合って生きてきたという設定らしい。
無論、そんなことは都世はわかっているから、余計に千瀬が気に入らない。奉公にあがった初日から都世&都世の息のかかった者たちによる陰湿な嫌がらせがあったのですが、そんなことは当の清昌は知らぬ事。清昌の気持ちに気づきつつ、千瀬は兄の事もあり、誰にも話すことが出来ない。清昌の優しさに心動かされ、やがて恋仲になるもやはり兄の身を案じる日々。ある日、千瀬の身の危険を知った清昌に駆け落ちを持ちかけられた千瀬は、待ち合わせ場所を桜の木の下を指定し、繁靖に清昌への思いともども全てを打ち明け、自分を切るよう示唆。清昌への想いが募れば、やがて繁靖の身を滅ぼす事にもなるだろうと危惧して。
千瀬にとって一番大切な存在は繁靖だったが、それが清昌に変わろうとしていることはある意味嬉しいことであり、許せないことだった。繁靖にとっても同じこと。千瀬に惚れた男が出来るのは嬉しいが、許せないことでもあった。二人の間には他人には理解できない深いつながりがあった。
物語の当初。
物語中盤から後半。
繁靖 31歳 通称「鬼」と呼ばれる男。強さのみならずその冷酷さからも恐れられる。