ハードボイルド
事件が起こるのは、たいてい薄暗い雨の日だと決まっている。
下町の古びた教会、いや元教会と言った方がいい。中は浮浪者の溜まり場になり、日曜日に礼拝なんて行われちゃいない場所で俺たちは張り込んでいた。
「あれか?」
ひげ面のジョニーが教会の中央にたたずんでる三人組に目をやる。恰幅の言いグレーのコートを着たおっさんが、古びたバッグを下げている。
「そうだ」
ミックが答える。俺達三人はある情報を知り、浮浪者達と同じような格好をして数日前からここにいる。
バッグの中の商品――こいつには興味無い。もらったところであの量だ。換金に手間取る。
「来た」
明らかに場違いな三人の男。二人はきっちりと着込んだ黒のスーツ。背の高いほうが明らかに金の詰まってそうなトランクを下げている。
最後の一人、こいつが問題だ。黒いロングコートに小さめのグラサン。長い金髪を後ろで一つにくくった男。この世界じゃ名の知れた、危ない野郎――ジャック・レイニー。
「おい、ヤバイやつ連れてるぞ」
「どうする?」
ジョニー、ミックが俺の顔を伺い見る。ここまで来て逃げ帰るわけにも行かねぇだろ。俺はやつらを睨み付ける。
「お前な、情報屋にいくら払ったと思ってんだ? ここで引けるか」
「だがよ――」
その時、興味深そうに教会を見回していたジャックと視線があう。
俺は心臓が飛び出そうになるも、平常心を呼び起こし、周りの浮浪者同様、濁った魚の目になるようつとめる。何とか成功したらしく、ジャックは興味を他へと移す。
やつらの取引の手口はわかっている。互いに互いの鞄を放り投げるのだ。俺たちは一瞬の隙をつき、あのトランクをいただこうって寸法だ。
好都合なことにやつらの取引時刻には配給の連中がやってくるため浮浪者たちが歩き回る。やつらにとっても姿を隠すのにちょうど良いだろうが、俺たちにもチャンスだ。
もう少し――。
+
車に乗り込んで数分した頃だった。
「こんにちは」
隣に座った若い少女の声に、マリーは文庫の小説から目を上げた。
「こんにちは」
微笑みながら挨拶を返す。
「私はレイチェル。あなたは?」
そういう少女は白い綿シャツに、黒のスカート。熱心な教徒らしい。マリーは小説を閉じ、
「私はマリーよ。ちょっとお世話になってるだけなの」
言い訳めいた答えを返す。真っ赤な口紅、細かいウェーブのかかった黒髪。深いスリットの入った、黒のワンピースドレス。逃げ出したときの格好そのまま。
「そうなの」
少女は少し失望した声を出すが、すぐに明るく話題を変える。若く、幸福な少女らしい反応。
「何を読んでいたの?」
「さぁ……」
マリーは戸惑い気味に黄色い表紙を見る。逃亡途中、本屋で買ったものだ。読んでいる振りをしていれば、誰も話しかけてこない。だから、小説の文章など一言も頭に入っていない。
「私はね、」
少女は本のタイトルが知りたいわけではなく、話がしたいだけらしい。マリーが適当な相槌を打とうが、一方的に話かける。
「もうすぐ着くよ」
運転しているおじさんの声。後ろに乗ってる配給食を配る手伝いのためにこの車に乗っているのだ。
マリーは小説をしまいこみ、レイチェルの話を聞きながら、冷たい雨が降り注ぐ、灰色の街を見つめた。
+
「聞いてないぞッ」
時間になる数分前から、壁際に座り込んでいた浮浪者たちが急に動き始めた。ジャックは苛立ちをおさえることなく、黒服に怒鳴りつける。
連中との受け渡し、これだけ人のいる状態で出来るわけが無い。人々は競い合うように後方の扉のほうへ、つまり、ジャックたちのいるほうへと押し寄せてくる。
「邪魔だ、どけ」
怒鳴りつけてみても、効き目は無い。その内――
「あ、おい」
黒服の一人が動揺の声を出す。
「どうしたッ」
「トランクが……」
「とられたのかッ?!」
黒服は曖昧に頷く。
「アホかッ、さっさと取り返せ!」
言っては見るがこの人の波。誰にとられたかさえわからない。銃も小型のものしか持っていない。この人数を相手にするには玉が足りない。
教会の外で車のエンジンのかかる音。
「こんちくしょうッ!」
人の波を掻き分け、外へ向かう。急発進する白のワゴン。窓からちらりと見えただけだが、中には三人乗っていた。教会で見たやつらだ。臭いとは思っていたが――
ジャックはバンを叩きつける。
「おい、鍵は!?」
「え……」
黒服の一人はあわてた様子でポケットの中を探る。
「このウスノロッ!!」
ジャックははき捨て、腰から小型の銃を取り出す。鍵穴に向けて一発。消音装置を取り付けてるため音は大きくない。
運転席の戸が開き乗り込むと、ハンドルの奥にあるコードを取り出しエンジンをかける。黒服が乗り込むのを確認せず急バックし、発進する。
「どうなってんだよっ?!」
何とか乗り込んだらしき黒服たちもわけがわかってない顔で、曖昧な言葉しか返さない。
「使えねぇやつらだなッ!」
+
「おい、追ってくるぞ」
「お前、パンクぐらいさせとけよ」
運転席に座った男と、助手席に座った男が互いに悪態をつく。配給車は教会についた途端、この男達三人に銃を突きつけられた。運転席、助手席に座っていたおじさんとおばさんたちは車外へ引き摺り下ろされ、マリーとレイチェルは下りるタイミングを失ったまま取り残されている。
男達は興奮した様子で悪態をついている。
マリーは隣に座る、少女を見やる。
「大丈夫?」
少女はまるで事態を理解できていないらしく、
「何なの?」
微笑とともに返す。
「大丈夫、私がついてるわ」
ただの気休めにしかならない言葉。ぎゅっと少女の肩を抱く。
シュンッ
耳慣れた音。消音装置のついたピストル。後ろの車から撃っているらしい。マリーは後ろを振り返る。
運転しているのは見たことのある顔。
(確か……ジャック・レイニー!)
目を見開く。
(最悪だわ)
さっさとこの三人と縁を切らなければ、死よりも恐ろしい目にあうだろう。自分だけならまだしも、純真な少女にそのような目にあわせるわけにもいかない。
「ちょっと痛いかもしれないけど……我慢してね」
少女に耳打ちする。
「え?」
少女が小首を傾げるのを無視し、カーブで速度が落ちたのを見計らい車の戸を開ける。
「――神よ――」
小さく祈り、少女をきつく抱きしめると、車外へ身を投げ出した。
+
「ちくしょう!!」
ミックの声。
「おい、どうした?」
運転しているから後ろを振り向けない。
「女が飛び降りた」
「はぁ!?」
「おい、嘘だろ」
振り向いたジョニーもそこに女達の姿が無いことを確認する。この速度。飛び降りた先は、針葉樹の林。
「あいつら馬鹿か」
俺ははき捨てる。
途端、ガクン、とコントロールを失う。
「畜生、タイヤに当たった」
俺がはき捨てるのと、車が反転するのは同時だった。灰色の空と薄汚れたアスファルト、針葉樹の濃い緑が視界を何度も横切り、車は林の中へ投げ出される格好で止まった。
闇の中へ落ち込みたいという誘惑を押しのけ、車外に這い出る。
木がクッションになって、何とかたすかっと言うところだろうか。
「ミック、ジョニー」
声を掛ける。ミックが金を抱いたまま這い出してくる。見上げた根性だ。
「ジョニー、」
呼びかける。頭がくらくらするが、さっさとずらからなきゃヤバイ。
「ジョニー」
「……ジョニー……」
声を詰まらせたミックの声。回り込んで助手席を見れば、ジョニーの瞳は濁った空を映しているだけ。頭からは黒に近い液体が徐々に面積を広げてゆく。
「ミック、逃げるぞ」
「ジョニーが……」
「死んでるやつのことはほっとけ。逃げるのが先だ」
俺はよろめきながらも駆け出す。友達の死が悲しくないわけじゃない。だが、ジャック・レイニーの悪夢を見なくなっただけ幸せなやつだ。
+
「キャサリンいる?」
よろめきながらも目指していた家にたどり着く。着地した場所から二時間ばかり歩いただろうか。田舎の一軒家。周りに家は無い。
「――どなた?」
家の中からは懐かしい親友の声。
「あら、マリー? どうしたの!?」
慌てた様子でキャサリンは家の中から現れた。
格好が格好だから慌てるのは当然だろう。二人とも酷い格好をしている。マリーがかばうように抱いていたためレイチェルは額と足に擦り傷、打ち身がある程度だが、マリーはゾンビに近い。
「ごめんなさい、説明は後にさせて。あがってもいい?」
この状況で見捨てる人間はまずいないことをわかっていて、マリーは尋ねる。
「えぇ……どうぞ」
中へ招きいれられる。リビングのソファーに身を沈め、キャサリンの用意してくれた救急箱、ぬるめの湯、タオルを使って簡単に傷の手当て。
「ねぇ、シャワー貸してくれる?」
「いいわよ、廊下の奥、右手の扉よ」
キャサリンはレイチェルの手当てをしながら答える。
「ついでに、服も貸して」
「どうぞ……その格好は目に毒だわ」
「あら、このプロポーションが毒だなんて」
にんまり笑う。
「相変わらずね」
小さな溜息とともに呟く声。
手当ての終わったレイチェルを二階へ案内する。レイチェルの服もまともとはいえない。数年前に亡くなった妹さんと同じ体格だから、彼女の服を着せるのだろう。
なんとなく切なくなりながら、マリーはシャワー室へ入る。
鏡を覗いて愕然とした。
「……最悪」
切り傷に打ち身、醜く腫れ上がり、今朝、鏡の中にあった顔とはまるで別人。
大きく溜息をつきながら、衣類だったはずのものを身体から剥ぎ取る。ストッキングは血で固まり、脱ぐのに痛みを伴った。
鏡に映さなくても全身、酷い怪我。ゆっくりバスタブにつかりたいが、そんなことをすれば地獄を見るのは明らか。
ぬるめのシャワーで汚れを落とす。排水溝へ吸い込まれていくのは赤い汚れ。
シャワー室から出てみるが、バスタオルはあるが、着替えは無い。軽く身体をぬぐい、バスタオルを身にまとう。
「ねぇ、キャサリン――」
シャワー室の扉を開けたところで、
「動くな」
銃を構えた人々。
「……やだ、ここまで手が回ってたの?」
人々の後ろに立つ、キャサリンに目を向ける。
「ごめんなさい、マリー」
「いいわよ、規則だもの」
マリーは口の端を上げ、つい数日前まで仲間だった者達をにらみ付けた。
2004年04月30日 もう映画。降りしきる雨、暗い灰色の街、赤い唇が印象的。名前は全部後で適当に考えたものだけれど、まぁこんな感じの内容。警察とかも出てきてたけれど……意味がわからないからカット。マリーが持ってた小説はカバーをはずした状態で、薄いクリーム色だなぁ……と思ったのだけれど、どこの文庫なんだろう。
それにしてもみんな、どこに属してる方々なんでしょう? 全然わからないや。何の映画、小説が元ネタなんだろうなぁこの夢は。