タカヒロとアユ

好き過ぎる7のお題」使用

一 彼女の通学時間  どうやら君には依存性があるらしい
二 彼の通学時間  俺以外見るんじゃねえ
三 彼女の様子  相当侵食されていると思う、心の奥底まで
四 彼の様子  目が合うとどうしていいのかわからない
五 彼と彼女の夏休み  好きなのに、どうして傷つけてしまうのか
六 彼の二学期  あいつになんか近付くな
七 二人の休日  多分自分は彼に心底惚れている

一 彼女の通学時間

 マンションのドアを開け、私は大きく深呼吸した。今日もまた新しい一日が始まる。すがすがしい朝だ。間もなく、隣の部屋のドアの開く音がして、私は一つ溜息をついた。
「おはよう、アユ」
「おはよう、タカヒロ」
 不愛想な顔で挨拶してきたのは高校生の私よりでかく、大人びた顔をした一歳下の男子中学生ハバラタカヒロ。隣接した学校に通っているので、登校時間が同じになるのはしかたのないこと。
 けれど、そもそも高校生と中学生。一緒に行く必要なんてないんじゃないかと何度か言ってみた。その場はわかったげな返事をするものの、翌日も相変わらずの態度。改める気はないらしい。登校時間変えてみても、私がドア開けたら、隣のドアも見計らったように開いて、出てくるのだ。
 私が歩き始めると、マンション内ではやや後ろを。道路に出たら横に並んで歩き始める。それが規定事項であるかのように。
 私が中学の途中で転校してきてからこっち、二年と少し。部屋がお隣だということだけで、周辺の道案内をかって出てくれたことには感謝している。けれど、未だに毎朝一緒に登校する必要性、あるのだろうか。
 帰りも何かと一緒に帰ることが多い。別につき合っているわけじゃない。私が一人で行動するのは心配だと、タカヒロは言う。子ども扱いされるいわれはないと言い返すが、聞いてくれない。
 タカヒロは今朝も何を考えてるのかわからない顔をして歩いている。私一人が気にしすぎなのではないか、と思わないでもない。でも、なんかやっぱり、何か変じゃない? ぐるぐる考え込んでしまうのは毎朝のこと。たまには何か違うことを考えようと思うのに、毎朝糸口の見えないことを考えてしまう。違うことを考える余力なんてものは、隣を歩く彼に奪われている気がしてならない。
 アパートの階段をおり、信号を渡る。いつもと同じタイミング、いつもと同じ歩幅で白線を踏む。今日もつつがなく一日が送れそうだ。
 角を曲がって、コンビニの前。タカヒロはここで友人待ち。私はここから一人、となればいいのだけど、昼御飯用の弁当を買って出てみると、タカヒロとその友人のアサヌマ君が私を待っている。小学生でもないのだから、登校するのにグループである必要性ってないんじゃないだろうか。
 彼と彼の友人は雑談しながら私の前を歩いてる。前を歩いている癖に、私が少しでも遅れれば立ち止まって私が追いつくまで待っている。だから私は黙って、てくてく歩く。
 神社の前に差し掛かり、そこに住み着いているらしき野良猫を探す。茶のブチ。ちょっと凶悪な顔をしている癖に、慣れた人間には人懐っこいやつだ。毎朝とまではいかないまでも、結構な頻度で出くわすことができる。今朝はいないのだろうか。辺りを見渡し、狛犬の裏を見やる。どうやら今朝はどこかに出かけているみたい。いる気配がない。
「今日はいないみたいだな」
「みたいだね」
 私を連れ戻しに来たタカヒロに返事して、私はまた順路に戻る。
「ふらふら歩いてると、また悪い人にさらわれるぞ」
 そんな子供を脅すようなこと言わなくても良いのに。私のほうが年上だし、高校生なんだから。知らない人に声を掛けられたからって、むやみやたらについて行ったりしない。
 それにそもそも、お目付け役のような彼がいるから、希望しても行方不明になんてなれない。
「ほら、膨れ顔するな」
 私はほっぺの空気を追い出し、イーっと顔をしかめる。私の方が年上なのに、どうして子ども扱いされなければならないのだ。確かに私は身長低いし、童顔だし。見た目、小学生にしか見えないかもしれないけれど、立派な高校生なのだ。私より背が高く、老けて見られがちな彼よりも。
 校門をくぐる。やっと解放されたと小走りで下駄箱に向かう。
「アユ、終わるの何時?」
 後ろから声を掛けられたから「三時半過ぎ」と答えた。

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二 彼の通学時間

 好きになるのに時間は要らない。fall in love……言い得て妙だと、タカヒロは思う。
 あの日、あの時、あの瞬間。サトウアユミが引っ越してきたあの日、初めて目があった瞬間、狙いすまされた矢のように、見事に魂を撃ち抜かれたのを感じた。
 心が、体が、全身全霊、自分の全てが。落ちていく。裏返されていく。逃れられない変化。それは一瞬のこと。一秒もかからない進化。追いつかない感情が戸惑いの悲鳴をあげる間もなく、自分自身が変質してしまったことを思い知らされる。もう後戻りなどできない。
 それは雷撃のような記憶。嵐のような思い出。二度と味わえない、味わう気力もない感情。繰り返し、繰り返し。反芻する様にあの時のことを思い出し、高ぶりに悲鳴を上げそうになる気持ちをならして今がある。
 あの瞬間、恋に落ちてしまったのだと頭で理解していても、気持ちはまだ、追いついていない。彼女のすべてが欲しくて、けれど怖くて。どんなに欲しても、彼女のすべてを手に入れることなどできない。一個人として、人格を有す彼女のすべてが自分のものにならないのがわかっている。わかっているから、ジレンマに悩む。
「アユ」
 名前を呼ぶ。気が付いていない。
 相変わらず年上とは思えない、小学生のような後姿。彼女のどこに、恋をする余地があるだろう。十年後も、彼女は今のままで存在している気がしてならない。十年経っても、周りがみんな変化しても、その中でただ一人、彼女だけは何も変わらないまま、大人になんてなっていない気がする。
 通学途中の神社で、彼女は毎朝の日課である野良猫をかまうことができなかった。こんな日もある。
「今日はいないみたいだな」
 いない猫を熱心に捜している後ろ姿に声をかける。彼女はようよう諦めた様子で、
「みたいだね」
 戻ってくる。名残り惜しそうに、神社を見ながら。
「ふらふら歩いてると、また悪い人にさらわれるぞ」
 言うつもりはなかったのに、思わず言葉が漏れた。彼女の、野良猫に対する執着心への小さな、馬鹿げた嫉妬だ。わかっていて、抑えられない。それに、あの日の事件とも言えない事件のこともある。自分がいたから何もなかったかのように、彼女と彼女の周囲の人間に信じこませているが、自分がいなくともきっと何もなかった出来事。
 自分が心配しすぎなのはわかっている。けれど万が一ということもある。アユはもう小さな子供じゃないのだから、知らない人について行くなんて、きっと起こりえない。子供のように素直であることと、素直な子供は決してイコールではないのだ。素直であるのは彼女の魅力であり、欠点でもある。高校生にもなってと思わないでもないが、そんなところも可愛いと思う反面、腹立たしいことも事実。
 誰が、どんな理由で彼女を傷つけるなんてわからない。彼女には、自分以外の人間をちらりとも信用しないで欲しい。彼女の目が自分だけに向けられていれば、どんなに素晴らしいだろう。

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三 彼女の様子

「おっはよぅ、マツユキ」
 下駄箱で声を賭けてきたのは、いつもながらに小学生と見間違うような見た目のサトウアユミ嬢。長めのお下げ髪、低めの身長、童顔。その上、言動も子供っぽさ全開気味のクラスメイト。自称高校生と称するのが良い感じ。絶対に一発で年齢をあてられる人間などいないだろう。
 彼女には一般常識というか、年相応の常識というものがない。この地域でも有名な進学校の、特別進学クラスに属し、尚且つ学校で五指に入るという腹立たしいほどの明瞭頭脳の持ち主。羨ましいかと問われれば、なくもないが、一般常識と空気を読む力だけは備えて欲しいところ。
 彼女が学校に遅れることなく来れるのは、確実にお隣の君こと、年下のハバラタカヒロ君のおかげだと思われる。彼がいなければ確実に遅刻魔に堕落するだろう素質を有している。
 上履きに履きかえ、教室まで歩く。その道中も、知りあいを見つけては元気に挨拶を返している。彼女は今日も朝から元気だ。高校生とは思えない。
 席につき、一限目の教科を用意する。進学校だけあり、提出物、宿題は目白押し。些細な用事でそれらに手をつけられなかった日、取りもどしに要する時間を考えると吐きたくなるほどだ。
 休日など無く勉強しているはずなのに、ちっとも授業に追いついていけてる気なんてしない。高校生活が楽しいだなんて、どこの誰の話だ。ここは地獄のような毎日しかない。幸せは進学先に待っているという、かすかな希望はあるが、高校一年生の一学期がようよう終わろうとしている現在の私にはまだ遥か先の話。今現在、その光は遠すぎて疑わしいだけだ。
 一限目のテキストやノート、問題集などを机に取りだす。宿題として出されていた範囲まで前日、きちんと埋めてあることを確認する。
「あれ、宿題なんてあったっけ」
 アユミ嬢はとぼけた声を上げる。良くあること。
 彼女は席につき、問題集を広げると、すらすらと回答を埋めていく。最初から答えを知っているような速度で。
「……いつ見ても嫌みとしか思えない頭脳ね」
「それ、タカヒロもよく言う」
 アユミ嬢はにまりと年相応の顔で笑う。いかにも嬉し気。誇らしげに眼を輝かせて。けれど視線は問題集に釘付けのまま。すいすいと手は回答欄を埋めていく。
 一見、無邪気で何も考えていそうにない彼女だけれど、ハバラ君が関わると別人かと思えるような反応を見せる。きっと本人も気づいていない。ハバラ君と出会わなかったとしたら、アユミ嬢は今とはきっと別人だっただろう。
 予鈴がなる。私は席に帰る。アユミ嬢が解いていた回答と、自分の回答、違う箇所が気になる。どちらが正しいのだろう。私だとは言いきれない。でも、間違っている気はしない。気になりつつも、私は直さない。開き直りは良い方だ。

 午前中の授業が終わり、お昼。ごはん時だというのに、アユミ嬢が食べているのはどう見てもおやつ。もしくはデザート。
「新製品だよ!」
 ご満悦な顔。毎日違うお菓子を持参してくる。食べ物に好みはないらしく、甘いもの、辛いもの、すっぱいもの何でもござれ。変わり種が好きらしく、買うのに勇気の入りそうなお菓子を平気な顔で食べている。その上、ケチじゃない。ちょっと一口だけ欲しいけど、買うのはどうにも抵抗が……という、私のような人間には有難い友人である。
 アユミ嬢はいつも、あと一枚、あと一個を残してお菓子を片づける。以前、どうするのか聞いたら、彼女は当然な顔をして「これはタカヒロの分だよ」と答えた。けれど、ハバラ君は変わり種のお菓子はあまり好きじゃないらしい。

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四 彼の様子

「アユ」
 タカヒロが彼女に呼びかける声。たぶん、本人が思っているよりもずっと、威圧感がある。
 彼の声色、雰囲気、たたずまい全てが、彼女が自分のものだと世界に主張しているとしか思えない。けれど、二人はまだ、ただのお隣さんだと主張しあう。タカヒロは残念そうに、サトウさんは当然といった顔で。
 すれ違っていることが多い二人だが、不意に、ごくたまに。偶然なのか必然なのかよくわからないタイミングで、彼らは彼らなりの二人の世界に入ってしまう。傍で見ていてその瞬間を目撃できたとき、それが楽しい。とかく、傍観者冥利に尽きる二人だ。
 僕とタカヒロは友人として周囲に思われているが、本当はたいして付き合いもない。知り合いは多いが、友人と呼べるほどの人間は少ない。まして親友なんていない。命を掛けて助けられるほどの人間関係を一生のうちにどのくらい作りだすのが正しいのか、見当もつかない。十人十色、人それぞれ。一人で生きられるのならば、それにこしたことはないと思う。
 まして、学校生活を行う上で、生死を分かち合えるほどの人間関係は必要だろうか。一人でも良いと僕は思うのだが、それではいけないと大人達は皆言う。馬鹿げた幼稚園児の仲良しごっこを高校生になっても求められている。一人でいることは悪であると、学校指導要綱にも書かれてあるらしい。仕方がないから、特に面倒くさくなさそうな人間を選んだ。
 無口。無表情。普段、動作は機敏な方ではないが、害はなさそうな人間。何を考えているのかわからなそうで、良く良く観察していれば単純明快な人間。ハバラタカヒロは浅く広く適当につき合うには良い加減の男だ。
「アユ」
 タカヒロは不安げなニュアンスを声に一滴にじませる。毎朝の恒例行事だというのに、何を心配になる必要があるのだろう。鳥居前からすべてが見まわせるような、小さな神社で野良猫を探す年上とは思えない彼女の姿に。
 一見して猫がいないことなんてわかるはずなのに、適当な名前を呼びかけつつ、サトウさんはいつもここで猫をかまおうとする。彼女のその日の気分なのだろう。猫の名前はブチ、ノラ、タマなど千変万化の様相。こう見えて意外と頭が良い、とは本人談。それが嘘ではないらしいことは高校に通う姉からの裏付け証言もある。
「今日はいないみたいだな」
 安堵の色を数滴にじませた言葉。彼女には絶対に伝わっていない。自分以外の物、動物でも構われるのが嫌でたまらないとはどこまで独占欲が強いのだろう。その割に、
「みたいだね」
 言葉を返されると、おたおたしている。僕のような二人の観察者にしかわからない、二人の心情の微妙なやりとり。
 目が合ったことがよほど嬉しかったのだろう。昼時まで鼻歌を歌い出すんじゃないか思えるほどの上機嫌ぶりだった。僕以外は気づいていないと思うが。
「もう昼か」
 弁当を食べながら、ふと気づいた様子でタカヒロは漏らしたのだ。どこまで舞い上がっていたんだか。

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五 彼と彼女の夏休み

「これ違う」
 静寂を破って部屋の中に響いた声は、次から次へと後に続く。
「ここも。こっち惜しい、でも不正解。ここは全くダメ。こっちは漢字間違ってるからバツ」
 タカヒロの答案用紙はことごとく赤ペンでチェックマークがつけられていく。一応、答えを見ながら丸付けをしてくれているが、とにかくスピードが速い。答案用紙を前に考え込んでいると、わからない問題をいくら考え込んでも時間の無駄だと時間を削られる。ただでさえ成績の悪いタカヒロにはいじめだとしか思えない。
 天然ボケキャラとして近所で有名なアユなので、実は成績が良いなんてタカヒロは想像だにしていなかった。一見、成績の良さそうなタカヒロの方が、赤点ぎりぎり。中高併設型の学校なので、心配しなくても進学だけはできるが、学力的にアユと同じコースに進むのは無理だろうと思っている。それでも高校は一緒だからいい。でも、アユが進学して他県に行ってしまうとしたら。そう考えだすと、不安でたまらなくなる。中学と高校。敷地が併設していても、彼女の学校生活をすべて知るすべはない。まして、離れて暮らすとなれば。
「アユは進学するの?」
 何気なさを装って探りを入れる。
 彼女は本棚から以前使っていたらしいドリルを取り出し、
「レベル下げて、タカヒロががわかるとこからやっていこうか」
 パラパラめくり、問題文をノートに書き移していく。さらさらと紙とシャープペンの擦れる音がする。真剣な彼女の邪魔をするのは良くない。
 書き写している間、彼女の部屋を眺める。雑誌も書籍もマンガもない。本棚に詰め込まれているのは、小学生から今までの教科書、参考書、ドリル、ノート。こういったものって学年が終わるたびに処分するものだと思っていたけれど、取って置く人もいるのかと思う。
 淡いクリーム色のベッド、白いカーテン、目の前には木目調のシンプルなデザインの学習デスク。氾濫しているのはとりとめもない量のぬいぐるみ。やや大きめなものから巨大なものまで。種類は様々。キャラクターもの、水族館や動物園で購入したと思われるリアルなもの。形も色もごった煮状態。
「はい、できたよ」
 アユの声で机に向き直る。閉じられたドリルの表紙は小学生向けのものだった。見なれたものではない。アユが転校してきたのは二年前。彼女が中学生だったころ。彼女の小学生時代をタカヒロは知らない。それが悔しい。
 夏休みも毎日彼女の顔が見たくて。会うための口実が欲しくて、二学期の成績をどうにかしたいから勉強を見てほしいと頼んだのは自分からだった。成績表も、一学期の期末テストの結果も見せて。一緒にいたいがための、ただの口実のはずだった。
 なのに、だ。アユは実は成績が良いってことは聞き知ってはいたが、まさか学年でも三位以内に入るような実力者だとは思わなかった。しかも特別進学コースの。普段から特に勉強している様子はない。元々頭が良いのだと言われればそうなのかもしれない。
 アユは喜んで家庭教師役のボランティアを引き受けてくれた。が、彼女の指導法は思っても見ないほどのスパルタだった。これならば頼まない方がよかったと後悔しても遅い。使命感に目覚めただけなのか、それともタカヒロの弱みを握れたことを喜んでいるのか。真意はわからない。
 朝の九時から夕方四時まで。昼休憩はあるものの、学校よりもよっぽど酷い勉強付けの日々が始まってすでに一週間が経つ。日曜日はさすがに休みなものの、月曜から土曜日まで、週六日。
 月曜日はテストで、火曜から土曜までがドリルや参考書を使っての学習タイム。家庭教師役が楽しくなったのか、さらに追加で問題集を購入してきた。もちろん、請求書付きで。
 この夏は、二人で過ごせる楽しい夏休みになるはずだった。
 なのに、である。
 夏休みはまだまだ長い。

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六 彼の二学期

 二学期になったからといって、通学ルートは変わらない。アユと一緒にマンションを出て、コンビニによって、神社で猫をかまう。
 朝のコンビニの店員はずっとオバサンだったのに、なぜか最近、若い男がいるようになった。毎朝ではないものの、週に二三回は見かける。フレンドリーな性格らしく、客と親し気に会話を交わす。もちろんアユにも話しかけ、アユも笑顔で対応している。たいしたことなど話していないとアユは言うが、どうだかわからない。
「今日もコンビニ?」
「そうよ」
「毎朝よらなくても、まとめ買いしときゃいいんじゃない?」
「そしたら全部食べちゃうじゃん」
「別のコンビニでも良くない?」
「だめだよ。ここ、アサヌマ君との待ち合わせの場所でしょ」
「アサヌマはほっときゃいいよ」
「うわー。冷たい、タカヒロ」
「もともとこう言うやつだよ、タカヒロは」
 やって来たアサヌマはいつもながらの柔和な微笑み顔で言う。常に人畜無害そうなアルカイックスマイルのアサヌマだが、中身は誰よりもブラックであることはお見通しだ。誰に何を言われても、傷つくような奴じゃない。
「アサヌマ君だけだよ、タカヒロの友達してくれてるの」
「サトウさんだけだよ、それをわかってくれてるの」
 陰謀めいた笑顔で二人は視線を交わす。
「無駄話してないで、行くぞ」
 たまに、アユとアサヌマは訳知り顔で、視線だけで会話を交わす。それが腹立たしい。普段は挨拶くらいしかしない癖に。
 数百メートル歩くと、神社が見えてくる。アユはそわそわし始める。
「今日はいるかな」
 昨日、一昨日と居なかったものだから、不安そうな声。野良猫なんだからどこに行ったって、誰にも迷惑はかからない。ここより居心地のいい場所を他に見つけたのだろう。そのうち、気が向けば戻ってくる。
「いるかな、いるかな」
「いないよ、今日も」
「タカヒロのイジワル」
「アユのアホ」
 言い合いに発展しそうだったが、アサヌマの声で遮断された。
「猫だ」
 アサヌマの指さす先には、いつもの野良に、黒い猫とトラ猫。兄弟、もしくは友人といったところだろうか。親しそうな様子で三匹は固まって坐り、神社前を通る人々を見ていた。

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七 二人の休日

 アユは探検、冒険、発見が好きだ。散歩であれ、買い物であれ、出かけるときは必ず、新しい出来事、変わった出来事に遭遇すべきなのに、友達がいると決まって言われる言葉がある。「ふらふらしてると迷子になるよ」と。
 知らない場所で迷うことが何故、悪いことなのか理解できない。知らない場所を探求してこそ、人は成長できるものだろうに。知っている場所にしか行かないのであれば、部屋で引きこもっている方がましだ。
 現代ではテレビショッピングとかネット通販とか便利なものがある。家から出なくてもいくらでも買い物をする手段はある。町を探検できないのであれば、わざわざ買物に出かけなくてもいいじゃないか。カラオケだって、映画観賞だって、規模は違えど部屋でできないことはない。出かけた時に本当にしなければならないことは、自由を満喫すること。自由を謳歌すること。そして、自由だからこそ、町を制覇することだ。
「あ、犬。見たことない子だ」
 寄り道せずに帰ってきなさいと母に言われ、家を出たのであるが、白い雑種の後姿を見かけ、後をつけることにした。ご近所さんのお散歩コースであれば大体決まっている。
 公園の池の周りをぐるりと回り、川の土手を歩いてという、この辺で犬を飼っているご家庭の六割方が同じコースをたどる。すべて後をついて回って調べたことだから間違いない。後の四割は散歩時間が早すぎるか、遅すぎるか、もしくは、もっと短い距離しか散歩していないか、である。
「アユ、散歩か?」
 ぶらぶら歩いていると、タカヒロに見つかった。迷子に完全にならないのは彼がいるおかげでもある。地元っ子は土地勘に強い。本気でどこだかわからない場所に出てしまった時も、彼がいてくれたから無事、家に帰ることができた。それは一度や二度じゃない。
「どこ行くんだ?」
「あの犬追ってんの」
「また探偵ごっこか」
「もしくは泳がせてる重要参考人と刑事ね」
 アユの台詞を鼻で笑いながらも、散歩している犬を追いかけるアユを追いかけるタカヒロの図が出来上がった。いつもの光景。
「こりゃ公園廻って帰るコースじゃないか」
「っぽいけど、どっか違うとこ行くかもしれないじゃん」
 イヌの散歩に合わせて歩くのは結構しんどい。犬の揺れるお尻とリンクして揺れ動く尻尾は見ていてとても愛らしいのだけれど、突然走りだしたりするやんちゃな子もいるし、立ち止まってじっと地面を嗅ぎまわりはじめ動かなくなってしまう子もいる。そんな時、不審がられない程度にこちらもじっとしていなければならず、そんな時タカヒロの存在が役に立つのだから、無下に彼を追い返すわけにもいかない。
 案の情、地面に何か興味深いものを見つけたらしく、白い犬は嗅ぎまわり、前足で地面をひっかき始めた。動きだすまでこのまま待機だ。公園入口という、特に何もない場所で。
「それで、タカヒロ。何か用なの?」
「何だよ、今更」
 確かに今更。歩き始めて五分は経っている。用もないのに犬のあとをついてまわるなんて、よっぽど暇じゃなきゃしないこと。
「暇なの?」
「暇っていうか、アユの姿が見えたから」
 いつもの保護者面か。引っ越してきてすぐ。一度、迷子になって以来、タカヒロは何かというと私のあとをついて回るのが癖になった。自分がいなければ、私は何もできないと思っているのだろう。
 年下の彼が使命感に目覚めてしまったのは、自分のせいだ、ということは自覚している。自覚してはいるが、ちょっと鬱陶しいのは事実。何度それを言葉にしても、態度にしても、タカヒロには暖簾に腕押しな状態。
「タカヒロ、なんか面白いこと言って」
「はあ?」
「つまんないじゃん。飽きちゃうじゃん。面白くないじゃん。今、私たちの現状理解してる? 地面見つめてる犬を監視してるだけだよ」
「アユが好きで犬の後つけてんだろ」
「私、どっちかっていうと猫派。犬見てて面白い人種じゃない」
「犬見てて面白い人種ってのが意味わかんないけど」
「ニュアンスだよ、ニュアンス」
 わかったようなわからないような顔でタカヒロは頷く。こういうとこ、年下っぽくて可愛い。
「私は探検したり、冒険したり、発見したりしたいの。リアルでミステリーのハンターやりたいの」
「じゃ、あの犬はやめて別の犬にしたら?」
「ご近所の犬の散歩ルートは大抵把握できてるもん。猫は塀の上歩いたり、車の下もぐったりするから、後つけるわけいかないし」
「あ、動きだしたよ」
「本当だ」
 私は歩き出す。タカヒロも後ろをついてくる。いつだって、ちゃんと後ろをついてくる。
 だから、怖いくらいの青空も、輝くような雲も、感動的な夕日も、私が誰かに物凄く見せたいと思ってしまう、一瞬しか見ることができない景色を、一緒に味わっているのはいつだってタカヒロただ一人。
 自分が変わっていることは自覚している。でも、変わる気なんてさらさらない。これが私なのだ。私らしい私なのだ。にんまりと笑みがこぼれる。
 私につき合ってくれるタカヒロは可愛い。可愛くてたまらない。でも、言ったら調子に乗るだろうから言わない。絶対言わない。私は今の関係で丁度良いのだから。

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『タカヒロとアユ』をご覧いただきありがとうございました。〔09/09/16〕

この作品は「好き過ぎる7のお題」を使用しています。
佐藤 あゆみ サトウ アユミ 通称 アユ
羽原 孝博 ハバラ タカヒロ 通称 タカヒロ
浅沼 竜治 アサヌマ リュウジ 通称 アサヌマ
松本 由紀 マツモト ユキ 通称 マツユキ

2000/05/26 誤字脱字訂正

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