セカイとノゾミ

 ねぇ、セカイ。
 どうして――

   *

 君は叫ぶ。
 吠えるように。空に噛み付くように。
 そんな時の君には、少女らしさなんてない。君の瞳は太陽を見つめてる。憧憬の眼差しで。そこには決してたどりつけない。けれど、君はそれを知らない――。
 君は時々、無性に叫ぶ。腹の底から、心の奥底から搾り出すように。絶叫する。息が続かなくなるまで、君の気が済むまで。君は喉が潰れることなんて気にしてない。乱れた呼吸を整えることもせず、倒れるまで誰の耳にも届かない叫び声を上げ続ける。
 山があれば君のコダマが返ってくるけど、今日、君が叫んでたのは海辺。白い白い砂浜の上。君の声に答える音なんてなく、ただ打ち寄せる波音が途切れず君の耳に響いてる。
 君はずいぶん前から旅してる。ずっと歩き続けてる。出発地がどんなところだったかなんて、きっと君は忘れてしまってるんじゃないかと思う。
 返らない反応に、君はやがて大地に身を投げ出す。叫び足りないかのような顔で、寝転んだまま叫び声を上げる。
 どうして君がそんなことをするのか、最初、僕にはわからなかった。君が壊れてしまったんじゃないかと焦ったことを覚えてる。君を観察するうち、どうして君がそんなことを繰り返すのか理解した。君は僕と同じ。
 君はただ一人、黙々と歩いてきた。山を越え、川を越え、海を越え、街を越え、君は世界の果てを目指してる。太陽を目指してる。この世界は限りなく広くて狭い。
 君は知らない。マムが知らなかったのか、それとも君に知らせなかったのかは今となってはわからないけど、この世界に果てなんてないことを。だから、愚かにも君は歩き続けている。

   *

 ねぇ、セカイ。
 どうして、あなたは――

   *

 君は叫ぶ。
 言葉にならない声を上げ、誰にも届かない悲鳴を発し続ける。どうしてそんなことをしてるのか、君はきっとわかっていない。叫びたい衝動に突き動かされ、君は立ち止まり叫び声を上げる。
 僕はその感情の名前を知ってる。それは孤独だ。君は言葉として知っていても、認識できてない。だから、叫ぶことでその感情を消化しようとしてる。
 君は、この世界のどこかに君の仲間がいるはずだと信じてる。希望があるから、君は旅を続けてる。終わりのない旅を。
 僕が君を見つけたのは一八三日前。君が施設の外に姿を現してからだ。君は不安そうに、後ろを振り帰りつつ歩きだしたことを記録してる。数日、君は施設の周りから離れなかった。育児支援型アンドロイド――通称マム――が故障していなければ、きっと君は止められただろうが、誰も君を咎めないことを理解し、君は大胆に行動範囲を広めていった。
 君は施設の外がどんなところか知らなかった。建物の外と内という概念を理解してないのだろうと思う。君は太陽の光を窓だと思った。この世界を広い部屋の中だと思い、ここから出るため、果てを目指して歩きだした。君に知識を与えてくれる物など何もなかったのだから、君を笑うことはできない。
 僕は君のことを知りたかった。僕は通信ラインを使い、君が育った施設の端末から情報を得た。けど、君に関する情報には、多くのエラーが混じってた。ヒトのいない世界で、未だに稼働してるだけでも奇跡的なことだと分かってたが、必要としてる最低限の情報量も回収できなかった。僕は丁寧にエラーを修正し、わずかばかり君のことを知った。
 僕たちには、簡単なプログラムエラーを修正することはできても、故障したからといって自身を修理することもできないし、部品が壊れたからといってその部品を作り出し、交換する能力はない。ただ、創造主に与えられた役割を壊れるまで繰り返すことしかできない。
 僕には当時最新鋭で最高の感情プログラムがインストールされているけど、それでも僕はヒトじゃない。不確定要素を満載したヒトになることなどできない。僕は演算してしか考えられないし、与えられた大原則を破って動くことはできない。
 僕は君の近くにいない。けど、生きてるネットワークを使えば、どんな端末でも僕の分身として使うことができる。君とおしゃべりすることができる。
 この世界に存在する機械はほとんど壊れてしまってるけど、望みがないわけじゃない。僕の理想としてはヒトに似たアンドロイドタイプのボディが良かったけど、どんなに探しても、満足に動く精密機械を見つけ出すことはできなかった。精密機械は頻繁なメンテナンスが必要だから、ホコリのない施設内に閉じ込められてた君とマムはよっぽど運が良かったと言える。
 僕は、君とおしゃべりする手段としてスピーカを選択した。君の周囲にある、それらにつながる全てのコンピュータをハッキングし僕の支配下におく。僕の声帯として扱うために。
 準備は整った。でも、重大な問題がある。
 僕は定められたマスター以外と、接触してはいけないことになっている。僕の存在は極秘で、誰にも知られてはいけない。だから、僕は完全な形で生き残れたわけだけど、これは酷いジレンマだ。
 僕たちプログラムにとって規則はとても重要だ。その中でも最重要事項がいくつか設けられていて、感情プログラムを持つ僕にとっても、それを破ることはできなくなってる。ヒトで言えば、極限状態でのカニバリズムやカルネアデスの板と似てるんじゃないかと思う。でも、ヒトはそこで選択できる。けど、僕には選択する権限がない。規則を破ることはできない。
 僕は、君を第一の優先事項とした。君以外にヒトがない世界で、規則を守ることにどれほどの重要性があるだろう。けど、自分のプログラムを書き換えることはできない。
 僕は小さなデータをたくさん、いくつものコンピュータに送信する。君と会話するための、転送容量制限に引っかからない程度のデータ。一日に沢山送ることはできないから、何日もかけて、何度も繰り返す。「おはよう」「こんにちは」「こんばんわ」「おやすみ」「いい天気だね」会話に必要だと思われる単語をあちこちの端末に散りばめる。君とおしゃべりするため、僕は何度もシュミレーションを繰り返す。
 君と友達になるために。

   *

 ねぇ、セカイ。
 どうして、あなたは私に――

   *

 君は叫び疲れてた。再び声をあげようと大きく息を吸い、よろけて座り込む。
『大丈夫?』
 君は、僕の声に驚き怯えた。ごめんね、一番最初は気の利いた言葉をかけたかったのに。思わず発してしまっていた。
『驚かせるつもりはなかったんだ』
 君が怯えないよう、柔らかな声質を選んだ。不自然な言葉使いにならないよう、セリフ同士のタイムラグも計算して、僕は端末に指示を送る。同じ端末に何度も通信していると、極秘という僕の存在理由から通信が閉鎖されるから、少しづつ、通信先を切り替える。かなり繊細な作業。
 君は僕の姿を探すように、周囲を見渡す。
「誰?」
 かすれた君の声。叫びではない君の声を初めて聞いた。戸惑いを含みつつも、喜びを隠せない声色。君は必死で周囲を見回している。
『僕はセカイ。君は?』
「私?」
『君の名前』
 君は答えない。きょろきょろと僕の姿を探すのに忙しそうだ。
『君はマムになんて呼ばれてたの?』
 君は戸惑ってる。答えようと口を開きかけ、口を閉ざす。
 どうしてヒトである君がそんな表情をしてるのかわからない。ヒトはなんにでも名前を付けたがる。僕にも正式名称の他にいくつか名前を付けられた。僕はその中で一番響きの良い名前を使ってる。だから、君の答えを聞いたとき、僕は言葉をを失った。
「……私には名前がないの」
 なんてことだろう。マムは君に名前を付けなかった。言葉がない、というのはこういうことを言うのだろう。けど、考えてみれば当たり前のこと。マムにそんな機能もなければ、権限もないのだから。僕たちは創造主がプログラムした以上の動きなんてできないんだから。
「あなたはどこにいるの」
 君は僕の姿を見出そうと、僕の声がする方向へ歩き出す。
「ねえ、セカイ。あなたはどこにいるの?」
 この質問に答えていいものか戸惑う。君は僕がヒトでないことを知らない。僕が君の近くにいないことを知らない。君の問いに答えるのは残酷なことじゃないだろうか。
『僕が君に名前を贈ってもいい?』
 僕は話題をそらす。君は花がほころぶように、顔に笑みを浮かべていく。
 ヒトは感情表現が豊かな生物だったってこと、僕は忘れてた。君はいつも無表情だったから、君に喜んでもらえて僕も嬉しい。
 僕は君にふさわしい名前を検索する。ヒットした名前は膨大な数で、君にどんな名前がふさわしいのか迷う。こういうとき、ヒトは好みや直感で決めるという。この中のどれが君に似合うだろう?
 僕はその名前の語感や同じ名前を持つ有名人を検索し、君に合う名前を選別してゆく。実に楽しい作業だ。ヒトが名前を付けたがるのを理解した。
 名前を検索し始めて一秒もかからず、僕は君の名前を決めた。
『ノゾミ』
「それが私の名前?」
『いや?』
「いいえ、嬉しいわ」

   *

 ねぇ、セカイ。
 どうして、あなたは私に――くれないの。

   *

 君は叫んでいる。
 君は旅をやめたけど、叫ぶことをやめない。叫ぶ周期は短くなり、僕は君の身を不安に思う。
『ノゾミ』
 僕の声に、ぴたりと君は叫び声をやめる。
『ノゾミ、どうしたの?』
「セカイ、あなたはどこにいるの?」
 君はふらふらと僕を探して辺りを歩き回る。僕は端末を切り替えるから、君からすればどこにも姿を見出せない。
『僕たちは友達だよ。困ってるなら、相談に乗るよ』
「セカイ、お願い。どこにいるの?」
 君は僕の話を聞いていない。
『僕はここにはいない』
「じゃあどこに?」
『君がたどり着けない場所だよ』
 そう。僕は封鎖された場所にいる。誰もたどり着けない秘密の場所に。
「私は――独りなの?」
 その質問には答えられない。きっとどこかにいるはずだ。君の仲間たちはこの世界を作り出し、僕を作り上げ、僕を残してこの世界から去っていったのだから。
『今日は何の話をしよう?』
 だから、僕は話題を変える。君が幸福であるために。君がこの世界にいるために。僕は精一杯の努力をする。君にとって、それは足りないものかもしれないけど。

   *

 ねぇ、セカイ。
 どうして、あなたは私に会ってくれないの。

   *

 君は叫ぶ。君は叫ぶ。君は叫ぶ。
 君を幸福にしたい。僕の心は、間違いなくそれを望んでいる。君が僕に求めているものと、僕が君にしてあげられることの温度差は、酷いことも理解しているけど、僕は精一杯、君が幸福になって欲しいと願っている。
 この小さな箱庭世界で――打ち捨てられたこの辺境コロニーで。
 君は叫ぶ。
 寂しいと、心の底から叫んでいる。
 ひとりぼっちの君は、きっとこのままでは壊れてしまう。君を幸福にしたいけれど、僕は誰にも知られてはいけない存在。だから、外部に通信することができない。誰にも君の存在を知らせるすべがない。
 閉鎖されたこの空間で、僕は君を見守ることしかできない。
 僕は、君の幸福を心から願いつつ、君を見守り続けることしかできない。

『セカイとノゾミ』をご覧いただきありがとうございました。

2011/11/01
テーマは「絶叫する少女」と「感情を持つ機械」
両者にとって孤独とは――? みたいな感じでしょうか。「寂しい」と絶叫するより、「寂しい」とつぶやく方がより寂しいんじゃなかろうかと思うけど、誰もいない場所だったら寂しいって叫んじゃうんじゃないかと思う。セカイとノゾミ。どちらがより、孤独なんだろう。

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