恋愛結婚

 出会いは互いの友人の紹介。彼――曽根崎義孝の友人と私――藤田阿佐美の友人が恋人同士だった為、初めてのデートはいきなりダブルデートと称され、見知らぬ者同士だというのに、カップルで賑わう夜景スポットに二人きりで放ったらかしにされた。
 二度目のデートも友人に騙された形だった。遊ぼうと声をかけられ、集合場所に行ってみれば前回同様のダブルデート。水族館前で自由行動を言い渡され、帰ろうかと思った私を喫茶店に誘ってくれたのは、私同様、手持ち無沙汰な曽根崎さんだった。
 彼とは顔見知りではあるけれど、会うのは二度目。前回は「遅いですね」「いつ頃戻ってくるのかな」なんて、他人行儀な世間話に終始して、会話らしい会話などしていない。
 前回を反省し、何とかコミュニケーションをはかろうと、互いの接点を見つけようと涙ぐましく会話してみるも、話をすればするほど、共通点のなさばかりが露呈するばかり。そうなれば何だかおかしくなって、どこか一つくらい、何かかぶるところはないものかと微細なことさえ話し合った。
 だから、だ。二人の間は恋愛めいた感情などないのに、知り合いと言うには互いを知りすぎ、友人と言うには接点がない、妙な間柄だった。

 そんな二人の出会いを作ってくれた友人が出来ちゃった結婚し、スピード離婚したのはわずか一年にも満たない間のことだった。入籍だけして、式はあげない結婚だったから、知らない人も多いだろう。私と曽根崎さんをくっつけようとしていた二人の間に何があったのか、具体的なことは何も知らない。
 けれど、横から見ていて、二人が上手く行くとは思えない兆候はいくつもあった。些細な亀裂が大きな溝に変わったのだと推測するのはたやすい。何もかも、大好きな彼に全て合わせようとしていた彼女と、そんな彼女の努力など気がついていなかった彼と。

 二人が離婚した事で、私と曽根崎さんも接点はなくなった。本当ならば。
「君、それ頼むの?」
「あなたこそ、蕎麦ばっかり飽きない?」
 どこにでもあるファミレスで、良くあるメニューの中から、互いに別のものを注文する。曽根崎さんは決まって蕎麦を。私はたいてい、期間限定メニューを。
「二人、何で別れたのかしら?」
 話題は二人の事。それ以外、何も共通する会話なんてない。政治経済芸能ニュースを話題にすれば、互いの見方が違いすぎて、喧嘩にしかならないし。
「今時の若い子はわからないね」
「あら、同い年じゃないですか」
「精神年齢的には僕、老人だし」
「あ、それわかる。曽根崎さんって、ご老体なオーラ出てるもん」
 好々爺と混ざってても違和感ないほど、曽根崎さんはいつもニコニコしてる。でも、中身はかなりの頑固者。
「君も十分お――中年ぽいよね」
「おばさんって言いかけたでしょ、今」
「言ってないよ」
「確かに言ってないけど、言いかけてたでしょ」
「こっちは爺呼ばわりされたのに」
「最初に言ったのは私じゃありませんから」
「そうだっけ?」
 共通点はないというのに、曽根崎さんとはなぜか馬が合った。会話が不思議と盛り上がる。
 運ばれてきた料理に手をつける。私は食べながら話し、曽根崎さんは食べ終わるまで聞くに徹する。
「あ、今流れてるこの曲、私好き。これって雨の歌なのよね。いい歌」イントロが終わるまで聞き入る。「雨って言えば、うちの兄。ロボットが服着たような人なのに、雨の日は人間らしくなるって話しましたよね? 晴れてる日だと、捨て猫なんて見かけたら、すぐさま保健所に連絡しちゃうような人なのに、雨の日には連れて帰ってきちゃうって話。あの兄が、なんとこの間、女の人拾っちゃったんですよ、雨の日に」
 驚いた顔で曽根崎さんはちらりと顔を上げ、蕎麦を口へ運ぶ動作に戻る。器の中には、もうほとんど麺が入っていない。
「今日はついてないなあって日、あるでしょ? 彼女――木村恵さんって子だったんですけどね――その日、どうしようもなく朝からついてなかったらしくって、最後に兄に拾われちゃったんです」
「それで?」
 と、食べ終えた曽根崎さんが先を促す。私が食べながら話しているので、なかなか話は進まない。一口大に切ったエビフライにフォークをつきたて、口に運び、嚥下する。
「付き合うことになったんです」
 曽根崎さんは妙な顔をして、私の顔をじっと見入る。
「お兄さんとその彼女が?」
「ええ」
「どういう展開を経て?」
「展開ってほど展開はなくて……たぶん、雨のせいなんですよ」
「雨のせい?」
「雨の魔法っていうか」
「魔法?」
「その日の兄が人間らしかった為というか」
 私の言葉を消化するように、曽根崎さんはコーヒーを口に含む。ブラックかと思えば、見た目に反してカフェオレ派。
「君のお兄さんって、面白い人だよね」
「そう言うのは曽根崎さんがうちの兄と会ったことがないからですよ。知ってる人はみんな、うちの兄のこと、恐がりますもん」
「聞いてて恐い人ってイメージはないなあ。ユニークな人だとは思うけど」
「妹の目から見れば、ただの天然なんですけどね」
 ようやく食べ終り、コーヒーに手をつける。私は無論、ブラックだ。
「今度、ご挨拶に行こうか」
 ぽつり、曽根崎さんが言う。
「改まって挨拶するほどの兄じゃありませんけど?」
 私は反射的に返す。
「君の唯一のご家族、でしょ?」
 言い含めるような曽根崎さんの言葉。私は、彼が意図するものを理解する。
「結婚って、永遠の愛を誓い合うものじゃありませんでしたっけ?」
「君と僕の間にそれはない、と?」
「言った覚えもなければ、聞いたこともないっていうのが事実でしょ」
「僕が言っても、君は取り合わないでしょ」
「私もあなたに愛を囁いたりなんて、する気はありませんから」
 デザートを追加注文し、曽根崎さんはカフェオレを注ぎなおしてくる。
「愛し合ってた二人は別れたよ」
「最後は激しく憎しみあってね」
 友人たちの顔を思い浮かべる。二人の愛がいつから憎しみに変質したのか、誰にもわからない。
 曽根崎さんはイチゴのパフェに手をつけ、私はチーズケーキを一口、口の中に放り込む。
「結婚とは何か、永遠の愛とは何か。話し出したら長くなるだろうね」
「あなたと論じる気はないわ」
「君の意見を聞く気もないよ。ただ、こうして無意味な時間を過ごすのも君となら楽しい」
 曽根崎さんはにこりと笑う。そのほほ笑みは私にじゃなくて、目の前のイチゴパフェに向けられたものかもしれないけれど。
 私はようやく一つため息をついた。まさか、曽根崎さんの口から「I love you.」を聞くとは思わなかった。けれど、
「そういう言い方だと、普通の女の子は気づきませんよ」
「君は気づいた」
「それは褒め言葉?」
「どっちだと思う?」
 私は口角を上げ、それを私への最大の賞賛だと受領する。
「私達、何も共通点なんてないのに……結婚なんてできるものかしら?」
「塵も積もれば山となる、雨垂れ石を穿つ、小さな流れも大河となる」
 曽根崎さんはことわざ好きだ。けれど、そのことわざが適切だとは思えない。結婚は積み重ねというより、新たな人生のスタートだから――
「千里の道も一歩からのほうが適切では?」
 曽根崎さんは私の顔をじっと見て、にこりと笑う。
「君が問題にしたいのは、結婚生活と称される、二人の永遠の愛が続くかどうか、だろ?」
 その通り。私と曽根崎さんが恋人同士であるか問われれば、私は即座に否定するだろう。曽根崎さんといる時間は楽しいけれど、残念ながら彼に恋心など持ち合わせていない。
「君となら、十年後だろうと、この無駄な時間を楽しめそうだと思えるんだよね」
 納得できない私のために曽根崎さんは言葉を続ける。
「愛と恋は別物だろ。結婚は愛を誓うものであって、恋を誓うものじゃない」
 恋は情熱であり、愛は慈しみ。そう言いたいのだろうか。
「君となら共に人生を歩くのも悪くない、ってことだよ」
「なるほど。曽根崎さんにしてはストレートな表現ね。確かに、私も曽根崎さんと、こういう無駄な時間を浪費をしている事にイラついたことはないし、たぶん、一年後も同じだと思うわ」
 曽根崎さんより短い未来を思う。十年後の自分なんて、私には想像できない。その時、曽根崎さんではない、素敵な誰かと結婚しているかもしれない。そうなれば、曽根崎さんとこんな面倒な会話はしていないだろう。
「私、曽根崎さんに恋することは一生ないと思うわ」
「僕も一緒だよ」
「あら、意見があったわね」
「珍しく、ね」
 会計を済ませ、店を出る。
 来週、同じ時間に同じ場所で会うという確認をして、別れる。私と曽根崎さんはそれだけの間柄。

 駅に向かって歩きながら、私は考える。曽根崎さんと結婚する事で、私と曽根崎さんの間が何か変るだろうか。現実的には様々な変化があるだろうし、曽根崎さんとの距離ももう少し、近くなるだろう。
「塵も積もれば山となる、雨垂れ石を穿つ、小さな流れも大河となる」
 曽根崎さんが言っていたことわざを呟いてみる。
 私の答えはすでに出ているけれど、女の子の心情としては、もう少しロマンティックな展開が嬉しかった。曽根崎さんにそれを求めても仕方ないし、曽根崎さんからそんなことされれば、確実に私は怒っただろうけれど。
 電車に揺られながら、答えの出ている問題を私は頭の中で繰り返す。小さな頃、結婚ってもっと大げさなものだと思っていたけれど、現実は違った。気持ちの盛り上がり、なんてものも私達の間にはない。こんなもので良いのだろうか、というかすかな不安。私と曽根崎さんんなんだから、そんなものだろうという、心の声。

 家の扉をあける。コーヒーの良い香り。玄関には女物の靴が一足、綺麗にそろえて置かれていた。リビングから聞こえてくる楽しげな若い女性の声と、時折混じる兄の声。
「ただいま」
 声をあげながらリビングへ。
「お帰りなさい、阿佐美さん」
「いらっしゃい、恵ちゃん」
 いそいそと私の分のコーヒーを用意しようと立ち上がる兄の彼女を制し、座らせる。
「兄さん、私、結婚する事にしたから」
 告げる。一瞬の間をおき、驚いたなんて表情はだしもせずに兄は言う。
「誰と?」
「今度連れて来るわ。恵ちゃん、一緒に御飯食べましょう」
「え? 私もですか?」
「良いじゃない。兄さんと一緒に御飯食べるのって気疲れするのよ」
 話を簡単にまとめ、買い物に行くと家を出る。

 結論は出しても、やはりまだ、頭の中でぐるぐると同じ問いかけが回っている。曽根崎さんと過ごす時間は嫌いじゃない。恵ちゃんの恋は応援したい。だから、この結論は正しい。何も間違いなどない。けれど、けれど、けれど……。
 けれど、私の心の奥底に、物語のような恋愛結婚に憧れていた気持ちが埋もれていたのだ。その少女趣味な思考を馬鹿らしいと否定するも、その心の一角が最後の砦とばかり、答えのでた結論にケチをつけているのだ。
 曽根崎さんに恋することはない。
 一年後はそうだろう。だが、十年後もそうだろうか。心の奥に問いかけてやる。かすかに勢いがそがれた気がする。
 曽根崎さんを恋することはない。
 かすかな亀裂が、深い溝に変り、愛が憎しみに変るように、心は変化する。私と曽根崎さんの間に恋が芽生えるかもしれない。今は無理でも、恋心が育つかもしれない。
「塵も積もれば山となる、雨垂れ石を穿つ、小さな流れも大河となる」
 くり返し呟く。曽根崎さんの言葉は日々の生活の積み重ねを例えたのではなく、恋心を例えたのかもしれない。例えたのだろうと勘違いしたほうが、ロマンティックではないだろうか。
「無意味な時間を過ごすのも君となら楽しい」
 曽根崎さんの言葉を唇に乗せてみる。誰がこれを愛の言葉だと気づくだろう。けれど、言いなおしてみれば、やはり愛の言葉なのだと気づかされる。
 曽根崎さんに恋することはない。
 果して、永遠にそうだろうか。私は、私の心に問いかける。結論をだすのは十年後でも良いのではないだろうか。

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『恋愛結婚』をご覧いただきありがとうございました。〔2012/02/28〕

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