奥村さんと私

 私は奥村さんの秘密を知っている。

 奥村さんは高校では目立たない、おとなしい系。ぱっと見、普通の人だ。
 少し癖のある髪は肩までのショート。天然っぽい栗色の髪はふわふわと柔らかそう。縁のあるメガネを掛けているにもかかわらず、目をしかめて物を見る癖がある。だから、一見すると目付きが悪い。スラリと通った鼻筋は羨ましいし、口角を上げれば可愛らしいだろう口元はいつも一文字か、への字型をしている。学校で彼女が微笑むところを見たことはないし、その口からよく通る声が発せられることも稀だ。
 身長は百六十センチ程。素晴らしいバランスの肢体がその制服の下にあることを私は知っているが、彼女は体のラインが出るような格好を好まない。体操服はダブダブしたものを愛用しており、夏でも基本ダサい色のジャージ姿。水泳の授業がないこの学校では、彼女の肢体に注目する人間はいないはずだ。
 成績は可もなく不可も無く。張り出されている順位表から名前を探すのが一苦労する。友達と呼べそうな人間はいないが、一人でいることに寂しがっている様子はない。昼食はたいてい自分の席で一人、コンビニで買ってきたらしきサンドイッチを食べている。食べ終われば図書館へ向かうが、特に読書好きというわけでもなさそうだ。明らかに時間を持て余した顔で、新聞を眺めている。

 私は長い間、奥村さんに何の興味も持っていなかった。彼女の存在は入学当初から知っていたものの、共通点も接点もないまま月日は過ぎ、このまま卒業するまで、彼女にかかわり合いになる機会があるとは思いもしなかった。
 私が奥村さんの秘密を知ったのは、夏から始めたバイトでのこと。近所に住んでいる大学生のいとこ、マチコに、急遽バイト先で人手が足りないからと声をかけられたのがキッカケだ。この仕事で一番重要なことは運動神経。私は体育会系ではないものの、バランス感覚とスタミナには定評がある。
 一にも二にも運動神経が良くなければやっていけない危険なバイトの癖して、時給はたいして良くもない。しかも不定期なうえ、拘束時間もまちまちとくれば、なかなかバイトは集まらない。その上、一度仲間に入ってしまえば蟻地獄というか、妙な連帯意識が芽生え、抜け出すことが難しい。

 甲高い笑い声が辺りに響く。
 草木などない、寂しいばかりの採石場。
 よく響く若い女の台詞と、熱血漢あふれる青年たちの返し文句。
 下着だか水着だかわからない、露出度の極端に高い衣装にマントという、よくわからない格好をした若い女の後ろに私たちは並んでいる。カラフルな全身タイツ姿の暑苦しい青年たちと向かい合い、長髪カツラにフルメイク姿の奥村さんは「行け、お前たち!」なんて決まり文句を言う。言われた私たちは待ってましたとばかりに青年たちに襲い掛かり、必ず敗れ、奥村さんはどこからともなく取り出した、切れ味のなさそうな剣を振り回し、青年たちと渡り合う。
 青年たちは劣勢になると、毎度のことながら増援を呼ぶ。卑怯なように思えるが、それはこちらも一緒。奥村さんはピンチになると奥の手を繰り出す。最初からその手で行けば良いのにと思うが、そうなった試しはない。彼らとの戦闘は第二段階に進み、そこで大抵、私たちは負ける。どんなに優勢に事を運んでいても、なぜか負ける。それがお約束のように。
 奥村さんは捨て台詞「次こそ必ず」などとつぶやき、私たちの仕事は終わる。あとは基地に帰って、シャワーを浴びて、着替えて帰宅するだけだ。負傷した人は手当が必要だけれど、今日はそこまで酷いケガをした人はいなかった。カラータイツの人たちも、戦闘に慣れてきたみたい。
 メイク時間の長い奥村さんは、入りも早いが上がりも遅い。私たちが一緒に帰ることなどありえない。バイト代はその日の内に現金払いとありがたい仕組み。帰りがけに受け取ることができる。だからこそ、いとこのマチコと共にコンビニに立ち寄り、毎度のことながら無駄遣いして家路に付く。
「奥村さん、今日は調子良かったっぽいのに、結局ダメだったね」
「奥村? ああ、ムラクオ樣のことか……いつも通りじゃない?」
 と、アイス片手にマチコ。マチコは雨の日も雪の日もバニラ味のカップアイスを愛してやまない人だ。私は、五百mlのアップルティーを飲みながら尋ねる。
「私たちが勝てる日、なんてくるのかな?」
「ココだけの話、絶対無理」
 声を潜めていう。マチコはゴミを袋にしまい、新たにポテトチップスの袋を開ける。バニラの次はいつも、うす塩味だ。マチコは家にたどり着くまでに、買ったものは全て胃袋に収めてしまう。その癖して、見事なスレンダー。「顔と胸がねぇ、私に似てたらもう少し良かったのに……ねえ?」ってのは、おばさんの談だけど。
「じゃあ……いつまでやるのかな、こんなこと」
「いつまでって、あいつらを蹴散らすまででしょ」
「蹴散らせるかな?」
「それは私らバイトが考えることじゃないよ。それよりね、あんた。あんた、世界征服とか、政府転覆とかしたいわけ?」
 マチコが真剣な顔をして言うから、私は意味がわからず首を振る。
「あんたが言ってるのはそういうことなの」
「そういうって?」
「私ら、悪なんだよ? 世界の敵」
 言われた意味がわからない。私は続きをうながすように首をかしげる。
「あんたさ、前から馬鹿だとは思ってたけど……ムラクオ様の台詞きいててわかんない? あの、全身カラータイツみたいなのは正義の人たち」
 マチコの言葉に私は固まる。今まで考えもしなかった。
「ま、世の中には、必要悪ってあるからね」
 オレンジ百%ジュースを飲みながらマチコ。
「悪が……必要なの?」
「だから毎週、派手に負けもしないで、私らがバイトさせてもらえてるんじゃない? それにバイト代だって、どこかの誰かが出してくれてるわけだし」
 と、マチコは三本入りのみたらし団子をぱくついている。私は、アップルティーを飲み干し、袋にしまう。マチコの言葉をよくよく考えてみるが、私にはよくわからない。
「そういうものなのかな」
「世の中そういうもんよ」
 そんな会話をしていたら、私の家にたどり着いた。マチコは「じゃ、また」と手を振って、五十m程先のアパートへ帰ってゆく。

 私は奥村さんの秘密を知っている。
 けれど、それを話したところで誰に信じてもらえるだろう。

『奥村さんと私』をご覧いただきありがとうございました。〔2011/12/17〕

2012/01/18 訂正

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