ねじれた彼女の世界で僕は

 場所は小学校近くにある大きな民宿。民宿とは言うものの、小さな旅館並みの設備を備えていて、学生の合宿やら会社の研修やらに利用されることが多い。その上、宴会のできる大広間があり、この辺りに住んでいる人達が法事だの何だのと、集まりをするときに利用している。今回、そこで十二年ぶりに小学校の時の同窓会をすることになった。
 少し遅くなったと思いつつ、僕は玄関をくぐる。色黒の某大物演歌歌手に似た民宿の親父が「大野の長男、久々やな。奥の大広間にみんな集まっとるぜ」と、事務室から顔を出し、にこやかに言う。首には有名歌手のオフィシャルタオル。手にはスポーツ新聞。いつ見ても、新聞の紙面しか違いがない。
 廊下の奥から、賑やかな声が聞こえる。軽く頭を下げつつ、そちらに向かう。大広間前の大きな下駄箱には様々な彩りの靴が突っ込まれている。赤いハイヒール、白いミュール、金色のサンダル、黒のパンプス、色とりどりのスニーカー。小学校時代の下駄箱で必ず見かけた名前の書かれたシューズなんて入ってない。
 なんだかおかしく思いながら、引き戸を開ける。仲が良かったとはいえ、小学校の時の同窓会なんて、どれほど人数が集まるだろうと思っていれば、思っていたよりずっと出席率は良い。中学進学とともに三分の一づつに別れたので、どのくらいみんな変わってしまっただろうと思っていたけど、あの頃のまま大きくなった奴も入れば、女子は化粧で別人に変身したのもいる。太ってたのが痩せてたり、その逆もいたり、身長が伸びたのもいたり――僕のことだが。挨拶したものの記憶になくて、誰だろうと思っていたら、三年の途中で転校していった尾上やら六年の二学期に転向してきた坂本なんかも来ていた。互いに名前を名乗らなければ、思い出せなかったり、忘れていたりもする。つい昨日のことのように小学校時代のことは思い出されるのに、たくさんのことを忘れてしまっていることに気づかされる。
 乾杯は時間通りに行われていたようだが、皆、話をするのに忙しく、お膳の料理にはほとんど手がついていない。空いている席はまだあり、ちらほらと遅れてやって来た人間が顔を覗かせるたび、うねりのような歓声が上がる。
 アルコールを飲んでいないのに、酔ったような気分。席は用意されていたものの、皆動き回るので、誰がどの席に座っていたのかわからなくなる。干支が一巡りとは歳をとったもんだ、なんて妙に年寄りめいたセリフを決り文句に、互いに近況を語る。どこの中学に行き、どこの高校を出て、大学や専門学校に在籍し、もしくは就職し。気の早い奴は結婚し、子供までいて。月日が経つのは本当に早い。つい昨日のことのように思い出される小学生時代はやはり遠い昔のことで。懐かしい馬鹿話に花が咲く。
「綾音。来てくれたんだ!」
 ひときわ大きな園田伊吹の声に、扉を開けた女性に注目が集まる。ふんわり、ゆるくカールさせたキャラメル色の髪が肩に落ちている。元々目鼻立ちのしっかりした少女だったから、化粧っけは薄いものの口元はピンク色にツヤめいている。パステルカラーのシフォンのブラウスに、ショート丈のキュロットパンツ姿。腕には小ぶりなバッグとたたまれたカーディガン。
「伊吹ちゃん、久しぶりね」
 言われた藤本彩音は嬉しそうに手を振替す。自分が注目の的になっていることに気恥しそうな顔で、そそくさと隠れるように園田のそばに腰を下ろす。女たちは集まり、キャーキャーと黄色い声を上げている。花を咲かせているのは昔話ではなく、ファッションやメイクの話のようだ。
「美少女は美少女のままか」
 地田がほろ酔い顔で言い、綾音から視線を戻し、ぐいと焼酎の水割りをあおる。
「確かに、童顔だから美女とはいえないな」
 同じく視線を僕に戻した寺門が続ける。こちらもアルコールの入った顔色をしている。
「そういや大野。お前、藤本彩音と付き合ってるって噂あったよな」
 地田が思い出したように言う。ニヤついているところを見れば、今思い出したばかりというわけでもなさそうだ。さっきまで、五年の時に学校で飼育していたザリガニのことで盛り上がっていたはずなのに、話題が移ってしまった。
「そうだっけ? それより――」
「大野。確かお前、藤本と付き合ってたよな?」
 僕はとぼけて話題を変えようとしたが、絶妙のタイミングで小林が絡んできた。一流大学に席を置くだけあって、勉強はできるものの、相変わらず空気を読む能力は低いらしい。
「知らない。初耳だよ、それより――」
「え? でも、あの頃その話でもちきりだっただろ? 結局、藤本が小学校卒業してすぐに引っ越したから、遠距離恋愛してるとかしてないとかって話もあったけど」
「悪いけど付き合ってもないし、僕は何も知らない」
 突っぱねるが、周囲の奴らが「俺も聞いた」「聞いたことある」「気になってた」などと同調しながら集まってくる。僕はあの頃と同じ答えを口にする。
「家が近所だっただけだよ。あれは地田、お前が言いふらしたことだろ」
「そうだっけ?」
 あの頃、散々僕をからかっていた地田は首を傾げ、覚えてないと首を振る。
「蓮ちゃん」
 遠くから名前を呼ばれる。ギョッとしたのはその場にいた人間全員。
「蓮ちゃん、久しぶり」
 周囲の好奇心剥き出しの視線など気にする様子も無く声を上げるのは藤本綾音。
「蓮ちゃん」
 言いつつ、僕を手招きする。僕はみんなの視線を一身に浴びながら、彼女に歩み寄る。
「……何?」
 だから、彼女にぶっきらぼうな態度をとってしまったのは仕方ないと思う。
「ごめんね、大きな声をして」
 言葉ほど悪びれた様子無く、彩音は言う。確かに、物静かというイメージの彼女があんな大きな声が出せるとは思いもしなかった。
「蓮ちゃん困ってたみたいだから」
 この状況下が一番困っているんだが、彼女は気づいていない。座れとジェスチャーするので、近くに座り込む。十二年ぶりの彼女は相変わらず可愛いかった。家が近所ということもあり、幼い頃、よく一緒に遊んでいたのは確かだ。
 僕の顔を見ながら照れたように笑い、彩音は言葉を続ける。
「あのね。私……男の人が苦手なの」
 屈託無く笑う顔。僕は? と疑問が沸くより早く、
「それにしても、蓮ちゃん。ボーイッシュっていうより、それじゃまるで男の子みたいね」
「……え?」
 自分の格好を見やる。カーゴパンツにカットソーとチェックシャツ。普通の男の格好だ。
「あら、ノーメイク? 口紅くらいは塗ったほうがよくない?」
「何言ってんだよ」
 綾音が何を言っているのかわからない。僕と綾音の会話を遠巻きに、耳をそばだてて聞いていたららしい園田伊吹が近寄ってくる。
「綾音、大丈夫? 大野は男だよ?」
「何言ってるのよ、伊吹ちゃん。蓮ちゃんは女の子よ」
 確信めいたセリフに、伊吹は改めて僕をじっくり眺める。あまりじろじろ見られるのは気分の良いものではない。
「どう見たって男だけど?」
「僕は最初から男だよ」
 ガタイといい、声といい、誰がどう見たって男だ。僕が女に間違えられたことなんてない。
「もう、二人とも冗談きついんだから」
 けれど綾音は取り合わない。
「蓮ちゃんはとっても可愛いかったじゃない」
「それはわかるけど……」
 園田はそれには賛成の声を上げる。悪かったな、チビで。小・中学校時代はずっと一番前が指定席のような状態で。同級生の顔なんて見上げたことしかなかったような身長で。
 高校時代にアホのように身長が伸び、今じゃ目線は同じか、見下ろすことが多い。改めて言われると嫌になる過去だ。
「あんなに可愛かった蓮ちゃんが、こんなに大きくなっちゃうなんて、びっくりよね。これだと女子の中で一番大きんじゃない?」
 僕を女扱いしたまま彩音は話を進める。僕を女だと言っていること以外、おかしな点は無い。小学校時代の思い出も、現在の近況も。彼女は楽しげに語る。
「意味わかんないジョークだよね」
「ジョークじゃなくて、大野に恨みでもあるんじゃない? ほら、付き合ってるって噂あったじゃん」
「ああ、あったあった」
「大野、彩音に何したんだろ?」
「あの分だと相当恨まれてるよね」
 ヒソヒソと女子が囁きあっているのが聞こえる。興味津々といった様子で僕の方を見られるが、僕の方が知りたい。綾音達一家は彼女が小学校を卒業すると共に引っ越していった。僕と彩音は近所だったから、仲良くしていたとはいえ、それは低学年の頃の話で、高学年になってから一緒に遊んだ覚えはない。昔の記憶は詳細には思い出せないが、それでも彼女に対し、ここまで恨まれるほどのことをした覚えはない。
「蓮ちゃん、今は何してるの?」
 彩音は柔らかに微笑む。悪意は全く感じられない。
「えっと……藤本――さん」
「昔みたいに綾音でいいよ、蓮ちゃん」
 柔らかな笑顔。戸惑いつつ、僕は決意を固め、尋ねる。
「僕、何かした?」
「何かって?」
 きょとん、と背後に大きな文字が見えそうな顔をして彩音は僕の顔をまじまじと見つめる。これが本気ならホラーだし、芝居ならば大物女優すぎる。どちらとも判断つかず、当たり障りのない話を続ける。僕の近況を語るのは得策ではないと思い、彼女の近況やら昔話に水を向ける。
 辺りに綺麗なメロディが響く。ケータイの着信音。慌てた様子で彩音が携帯をバッグから取り出し「ちょっとごめんね」と、電話に出る。
「何、ママ? ……うん、大丈夫。迷ってないよ、ちゃんとついた」
 携帯電話から、いかにもおばちゃんって感じの声が漏れ聞こえる。
「今、蓮ちゃんとおしゃべりしてたの……うん、そうそう。かわろうか?」
 セリフと共に僕の手に携帯を持たされる。彩音のおばさんと喋ることなど何もない。何を話していいものかもわからない。
「あの、もしもし――」
『蓮ちゃん? 久々ね〜。いい男って感じの声になったわね〜。あ、お母さん元気? 昔、一緒にPTAやってたのよ〜』
 やたらテンションが高い。いや、それより、彩音の母は僕のことを男だと認識している。女だと思っているのは綾音だけだ。
「母は変わらず元気です。あの。それより、聞きたいんですけど、綾音がちょっと変なこと言ってて」
『何なに?』
「僕のこと、女の子だって言ってくるんですけど」
 彩音が「何言ってるの?」って目をして僕の顔を見ている。半笑いを返すしかない。
『あらあらあら……』
 おばさんは困惑気味の声になり、
『ねじれてるのね〜』
 と、意味不明なことを言った。
「え? なんですか?」
『何て言ったらいいのかしら。運命の糸とか、そういうたぐいのもののことよ』
 よくわからず、僕は首をかしげる。
「なんのことですか?」
『ちょっと待って。すぐそっちに行くわ』
 セリフと共に、僕の肩を誰かがぽんと叩く。タイミングが良すぎてびくりと驚く。振り返ればますます驚く。そこに居たのは彩音のおばさん。どっから現れたのかわからない。まるで湧いて出てきたかのような出現。
「蓮ちゃん久々〜。いい男に成長したわね〜」
 電話口の口調そのまま、彩音のおばさんはにこやかに言う。彩音と一緒にこの民宿に来ていたのだろうか。でも普通、娘の同窓会に親が一緒に来るものだろうか?
「お久しぶりです」
 なんとか言葉を返す。老けたものの、小学生時代に見ていた彩音のおばさんと大して変わりはない。彩音と一緒の、童顔だからだろうか。
「驚いた? 空間を歪曲させたの。いわゆる瞬間移動、テレポーテーションってやつね」
 おばさんはウフフと笑う。
「え?」
「ついでに時も止めてます。時間凍結、タイムストップ」
「はい?」
 おばさんのその台詞は理解できなかったが、周囲に音がないのに気づく。皆、一時停止のような格好で止まっている。口に入れられかけた柿の種が口と手の中間で止まっていたり、ビールがビンから注がれる途中で空中停止していたりと、映画「マトリックス」の世界みたいだ。
 驚きのあまり言葉が出ない、という表現はよく聞くが、体験すると実に的を得た言葉だと理解できる。
 おばさんは彩音の頭のてっぺんに手を当て、白髪を探すように髪の毛をかき分ける。
「あったあった。糸巻きくるくる……」
 おばさんは彩音の頭の上で、糸巻きをしているような仕草をしながら、言葉を繰り返している。右手で糸を引っ張りながら、左手に毛糸玉を作り出しているような格好で。
「くるくるくるくる……」
「何してるんですか?」
「どこかで糸がねじれてるっていうか、編み目を間違えてるっていうか……。それを修正するのに一旦、糸を解くのよ」
 おばさんの「くるくるくるくる……」という言葉と共に彩音が若返っていく。見慣れた、小学生時代の彩音に還っていく。
「あった。ここだわ」
 おばさんは嬉しそうに言い、空中で糸を整える仕草をする。きらりと、太陽の光で細い細い蜘蛛の糸のようなものが見えた気がしたが、まばたきした次の瞬間にはもう見えなかった。
「ここ、捻れ癖がついちゃってるわね〜。ま、いっか。なんとかなるでしょう」
 と、不安な台詞を口にしつつ、
「ねじの巻き直しは……蓮ちゃん。手伝ってくれる?」
 言われたが、言われている意味がわからない。
「何を――ですか?」
「彩音の中に糸を戻すの。ここのところにネジがあるでしょ? それをつむじと同じ方向に巻いてくれればいいから」
 彩音の首の後ろ、ぼんの窪辺りにネジがあるというが、見えない。
「ネジがあるってイメージして回して」
 イメージ。イマジネーション。想像力。なんの事やら分からず、おばさんに言われたまま、小さな頃よく遊んでいたゼンマイじかけの青いロボットを思い浮かべながらネジを巻く仕草をする。「そうそう、その調子」「うまいうまい」と時々おばさんが言う。僕には実感がないが、うまいことネジが回せているらしい。彩音の外見が小学生から大人へ戻る。
 ずいぶん長い間、ネジを回したところで、ようやくおばさんのオッケーが出た。
「これできちんとなったわね」
「あの、」僕は聞かずにおられない。「一体どういうことなんですか?」
 おばさんはポンポンと彩音の首の後ろを叩き、僕を見る。
「蓮ちゃん、あなた覚えてないでしょうけど、昔、彩音の頭をくしゃくしゃって触ったでしょ?」
 言われても全く覚えてない。
「あなたそのとき、彩音の糸を引っ張ったのよ。で、もつれちゃっててね。おばさん、かなり苦労して戻したのよ。綾音、普通の人と違って糸が出てきやすい体質だから、仕方ないと言えば仕方ないんだけど」
「僕が悪いってことですか?」
「悪いとは言ってないわよ。偶然が重なっちゃっただけ。糸巻きの才能がある人と、糸が出てきやすい体質の人と」
「意味が分からないんですけど?」
「人生は一本の糸、もしくは機織りだといえるわ。蓮ちゃんには、長い長いマフラー編んでるって表現したほうがわかりやすいかしら? 普通の人はね、自分がそんなことをしてるって気づきもせずにマフラーを編み続けてるの。それが人生」
 わかるようなわからないような。哲学的話。もしくは童話的な話。
 マフラーを編んでいると思いながら彩音を見ると、何となく、淡いパステルカラーの細い細い毛糸を使って、こつこつとマフラーを編んでいるイメージが浮かぶ。そばにいる園田伊吹は、普通の太さの糸を使って、原色系の糸でところどころ模様編みしつつ、編んでは眺め、編んでは眺めしているようなイメージ。
 クラスメイトの顔を眺めていると、誰がどんなマフラーを編んでいるのか、なぜかイメージが頭に浮かぶ。
「他の人がその人のマフラーを編むことはできないわ。普通わね」
 おばさんが言う。おばさんのマフラーは独特の色使い、編み模様で誰もマネできない。他の人では似合いもしない。
「でも、私にはそれができる。でも、それはしちゃいけないことなの。だって、どんなマフラーだってその人が自分で決めて、自分の手で編んだものなんだから。だから、おばさんはねじれた糸を直すだけ。
 さあ、座って。時を元に戻すから」
「待ってください」
 帰りそうな雰囲気だったので、呼び止める。とにかく説明が欲しい。
「おばさんはなんでこんなことが出来るんですか?」
 当然の疑問だと思う。
「さあ? 私にもわからないわ。蓮ちゃん、携帯持って。私とおしゃべりしてた途中だったわよね。ここにいる人全員の記憶を操作するのはちょっと面倒だわ」
「おばさん、説明してください!」
「言われても、おばさんにもよくわからないんだってば」
 おばさんは首をすくめ、パンと両手を打ち合わせる。弾けるように音が、光が、動きが戻ってくる。
「蓮ちゃん、なんで立ってるの?」
 彩音に言われ、僕は座り込む。手には携帯。おばさんの姿はない。白昼夢だと言われればそれまでだが、そんなはずはない。あれが夢なわけがない。
「綾音、僕は男なんだけど」
 改めて言う。彩音は怪訝な顔をして、
「当たり前じゃない。何言ってるの?」
『ねじれは戻ったでしょ?』
 電話口からおばさんの声がする。声を潜め、尋ねる。
「どうなってるんですか?」
『さっき言わなかったっけ? おばさんにもよくわからないのよ』
「わからないで、どうしてあんな大掛かりなことができるんですか? おかしくないですか?」
『使えるものは使えるんだから良いじゃない。蓮ちゃんも練習すればできるようになるんじゃない? そんな気がする』
「気がするって……あの、それってどういうことですか?」
『おばさんにもわかんないんだってば。それにこれ、超能力じゃないわよ』
「はい?」
『おばさん、スプーン曲げたり、火をつけたりとかできないもの』
「いや、それは別に出来てもできなくても良いんじゃないですか。それよりあれの方が大掛かりでしょ?」
『本気でおばさんにはよくわからないのよ。あれじゃない? えっと、パラレルワールドとか並行宇宙とか、そういう感じの。神様代行業みたいな感じで』
「何言ってるんですか?」
『だっておばさんにもよくわからないんだもの』
 そう言って笑う。いくら尋ねても「わからない」しか答えは返ってこない。わからないのに、あんな大掛かりな能力があるなんておかしく思わないのだろうか。それとも、思わないから、あんな能力が使えるのだろうか。
 短く世間話をして、電話を切る。あの能力について、おばさんもちゃんと理解しているわけではないってことはよくわかった。
 僕は首をかしげながら、彩音に携帯を返した。
 彩音は料理をぱくつきながら、昔話を再開する。引っ越した先の中学校、高校時代の話。右から左に抜けつつも、僕は彩音の話を聞く。彩音の話におかしな点はない。彩音はどこにでもいる普通の人だ。我慢できなくなり、僕は尋ねる。
「あのさ、おばさんって何してる人なの?」
 彩音はきょとんとした顔で、
「蓮ちゃんもよく知ってるじゃない。ただの専業主婦よ。料理下手でパッチワークに命賭けてる――」
「そうだけど、そうじゃなくて……もっとこう、他に……何かない?」
「何もないわよ。そういえば、数年前にハワイアンキルトに手をだしたけど、あれは辞めちゃったわね」
「いや、そうじゃなくて……何ていうか」
 婉曲に聞いていても埒があかない。
「超能力っていうか、何か変な力があるとか――ない?」
 彩音は僕の言葉にパチパチとまばたきを繰り返す。
「なんでそんなこと聞くの? 私、ママがスプーン曲げしてるとこなんて、見たことないよ」
「いや、うん。そうだね。そうだよね、普通」
 自分でも変なことを言っているなと思い、それ以上聞くのをやめた。時間凍結だとか、空間歪曲だとかが出来る人が、人の目の前でスプーン曲げをわざわざやってみせるとは思えない。おばさんは、その辺にいるただの超能力者じゃない。もっとずっと凄すぎる人だ。
「あのさ、おばさんは今どこにいるの?」
「家よ、埼玉の」
 彩音は言う。ついさっき、ここにいたと言っても信じてくれないだろう。僕は彩音の頭をまじまじと見る。光の加減で細い細い糸が見えた気がした。

『ねじれた彼女の世界で僕は』をご覧いただきありがとうございました。〔2011/11/01〕

2007年くらいに前半書いて、放り投げていたもの。当初の予定では、綾音のねじれた心の世界で、蓮ちゃんがねじれを解消しようと大活躍する予定だったのを変更。どんなにねじれていても、綾音の世界に蓮ちゃんだけは存在し続けている……、っていうような設定だった気がする。
ラストが微妙だけど、これ以上、どう書いたら良いのか全く思い浮かばない。

2012/01/18 訂正

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