●マット・モントレー氏の生涯(公的記録をもとにした一覧)
一八三七年 ゲトルード町にてマット・モントレー誕生す。
父 ジャスティン・モントレー
母 オリヴィア・モントレー
一八四二年 妹 アマンダ・モントレー誕生。
一八四三年 弟 ジョニー・モントレー誕生
一八四四年 妹 ベラ・モントレー誕生
一八四五年 友人 アレックスと共に村はずれの洞窟を発見。
後にその洞窟から数々の海賊の秘法が発見される。
一八五三年 冒険者として旅立つ。
一八五四年 ドラゴン 四頭退治す。
一八五五年 ドラゴン 十三頭を退治す。
一八五六年 マルゴーク村のシルビア・ハミルトンと婚姻す。
一八五七年 息子 ウィル・モントレー誕生。
一八五九年 息子 ヘンリー・モントレー誕生。
一八六九年 再び冒険に旅立つ。
一八七ニ年 モントレー商会を開業。
一八九六年 旅先にて死去す。
●『田舎を旅する』サンドラ・マーラ著より抜粋。
マット・モントレー氏は、ゲトルード町では大変名の知られた人物である。彼ほどの冒険家であり、商人であり、偉大な父であり、発明家であり、芸術家は他にいない。だが、残念な事にこの町以外で知られていないことも事実だ。
町の近辺には彼に関する記念碑や遺物が残されている。彼がどんな人物であったのか、時間があれば一度、彼の足跡をたどってみてはいかがだろう。
まず最初におすすめするのは彼が眠る墓だ。町の外れにある共同墓地。その一番奥に彼の墓は存在しているが、それ以外に二ヶ所。町が見渡せる高台の上と、森外れの泉の側に彼の墓は存在している。
墓をあばいてみなければ、その三ヶ所のどこに彼が眠っているのか、本当のところはわからない。普通に考えれば墓地だろうということで、高台と森の墓地を訪れる人はなく、今ではすっかり荒れ果てている。
ちなみに、その三つの墓石にはまったく同じ墓碑銘、同じ言葉が刻まれている。異なるのは場所と、死去した日付だ。三つともそれぞれ別の日付が刻まれており、それらは、記録書類上の死去日と同じ日付のものはない。誰が何の目的でそのようなことをしたのか、今となってはわかっていない。
墓の次に訪れるべきは彼の生家だ。彼が暮らしていた屋敷は改装され、今ではホテルとなっている。町に唯一の宿なので、遠方から訪れたあなたを大変歓迎してくれるはずだ。
予約状況によっては、モントレー氏が生前使用していた部屋に宿泊する事も可能だが、モントレー氏が暮らしていた屋敷自体は一九〇一年の火災によって消失しており、立て直された屋敷に手を入れた物が現在のホテルである。
記録上、彼はその新しい屋敷に一度も足を踏み入れた事などなかったはずだが、彼が晩年過ごしていたとされる部屋は完璧な状態で残されており、また、彼が新しい屋敷の玄関先で映した写真もホールには飾られている。
特に観光スポットなどないこの町で、見るべきものといえば、一八四五年にモントレー氏によって発見された洞窟だろう。海賊の秘法が隠されていた、とされているが、町役場の一角に展示された秘宝の数々を見れば、あまりのしょうもなさに驚くかもしれない。
モントレー氏により発見されたそれらは、氏の主張により海賊のものだとされているが、果たして、それが本当に海賊の秘法であったかどうか、今日まで確かめられてはいない。なぜなら洞窟自体、子供しか入れないような、穴といっても良いような大きさのもので、モントレー氏が発見して以後、誰も調査を行った大人はいないからだ。
この町の土産物屋を訪れたあなたは驚くだろう。土産物として、ドラゴンの角や牙、骨や皮、爪や鱗が売られていると言う事実に。
モントレー氏は生前、十七頭ものドラゴンを退治したとされている。公的記録にも彼がドラゴン退治した事は残されているが、十九世紀にはすでにこの国にはドラゴンなど存在していなかった。いや、ドラゴン自体、架空物語の中の住人である事は誰もが認知していることだ。
土産物屋の主人はそれら、ドラゴンのパーツの入手ルートは極秘であり、誰にも話すことは出来ないと語る。ちなみに彼はモントレー氏の末の妹である、ベラ婦人の孫に当たる人物だ。
ゲトルード町は特に見るべきものもない、どこにでもある田舎町だ。だが、そんな田舎町にマット・モントレーという奇妙な人物がいたことは事実だが、彼の足跡をたどろうとすれば、霧の中に迷い込んだような気分に陥ってしまう。
町の誰もが知っているが、誰も同じ人物を見ているとは思えない、つかみ所のない人物がマット・モントレーという人物のようだ。マット・モントレー氏について知りたければ、ゲトルード町への滞在をお勧めする。だが、それ以外何も見るべきものなどない町である。
●ジョシュ・マーレイの手紙
お久しぶりです。元気に過ごしていますか? 先日は手紙をありがとう。ホームシックにはまだかかっていないけれど、君からの手紙を読んでいると、とてもあの頃が懐かしくなりました。
僕は今年からゲトルード町の教師をしています。きっと、君も聞いたことのない町でしょう。僕もここにやって来るまで、こんな町があるなんて知りませんでした。町、ではあるものの、村といっても良いほどの小さな町です。
マット・モントレー氏の生涯、君が興味を持ちそうだと思い、同封しました。町では知らぬ人などいない人物ですが、僕もこの町へやって来るまで、まったく知りませんでした。最初は、町の人たちみんなから化かされているかのような妙な気分でしたが、この町に慣れてくるにしたがって、モントレー氏のぼやけた全体像が見えてきた気がします。モントレー氏を理解する事が、この町の人間として受けいられるには重要なことのようです。
モントレー氏の公的記録では、彼の妻は一人だったようですが、ホテルのロビーに飾られている彼の結婚写真はなんと八枚あり、全て違うウエディングドレス姿の女性と共に映っています。
僕が受け持っているクラスの半数がモントレー氏の血族か、親族か、遠縁にあたるという事実も合わせて付け加えておきます。
モントレー商会はこの町でかなりの成功を収めています。何の商売をしているのか、正確につかんでいるのは社長くらいではないでしょうか。どんな小さなところにも手を広げているのがモントレー商会で、この町で一日もモントレー商会と関係なく暮らしてゆく事はできません。
そのため、モントレー氏に関する、ガラクタともいえるような遺物が、作品として町のあちこちに展示されているのだろうと推測されます。
モントレー氏はこの町にとって大変重要な人物であり、町民たちに愛されていた人のようですが、それが彼の遺言であったのか、それとも人々の愛のなせるものなのか、年々、モントレー氏がすちゃらか男であったかのような証拠が創作され、捏造されているようです。
証拠としては、先日、モントレー氏の四つ目の墓が、発見されました。僕が赴任している学校内の運動場の片隅です。学校に慣れるため、赴任してすぐ、僕は校内を隅々まで探検したので、その時は確かになかったものでした。だから、これは明らかな捏造だと確信しましたが、町の人たちは新たな墓の発見にお祭り騒ぎはしたものの、それを否定する人は誰一人いませんでした。モントレー氏の奇妙な生涯は、町の人々の手によって作りだされたもの――言い換えれば一種の遊びなのではないかと考え始めたのはその頃からです。
マット・モントレー氏は実在の人物です。公的記録が残っているのでそれは確かなのですが、彼が死去してから、もしくは死去する前から、彼に関して、出たら目な証拠が町ぐるみで製作され、町人全てがモントレー氏という奇妙な人物を捏造してきたのです。
これが遊びであることを理解してから、僕はこの町に溶け込むことが出来た気がします。近況報告のはずでしたが、読み返してみると、モントレー氏のことばかり書いていました。
僕は元気に暮らしています。次の長期休みにそちらに帰ろうと思っています。その時にでもゆっくり会いましょう。
では。元気にお過ごしください。
終
『モントレー氏という奇妙な現象』をご覧いただきありがとうございました。〔2012/02/20〕
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