君といると月がきれい

 たくさんのカスミソウ。白い小さな花に埋もれるように淡いピンク色のバラが一輪。
「これ」
 青年のぶっきらぼうな言葉と共に、松本梢(マツモトコズエ)の目の前に差し出されたそれ。
 春色の包装紙とセロファン、ボリュームあるリボンが、それがプレゼントであることを証明している。
「これ」
 押し付けるように、青年――春山明秀(ハルヤマアキヒデ)はコズエに差し出す。

 *

 時間は戻って。
 二月十四日、朝のこと。
 三寒四温。昨日までは春めいていたのに、今日になって急に冬へ逆戻りした。朝七時だというのに、室温は五度もない。
「ありえない」
 つぶやきつつ、ダイニングテーブルの定位置に腰を下ろしたコズエは、差し出されたホットココアをすする。
「さっさと食べちゃいなさい。遅刻するわよ」
 母親の声を聞き流し、皿に置かれたトーストをかじる。ベッドの中で、焼きあがった香ばしい香りを嗅いだのは数分前のことなのに、すでに冷め切っている。
「エアコンつけようよ」
「節約節電エコ省エネ」
 呪文のような言葉で一蹴され、着膨れした母親に行動を急かされる。

 制服に着替え、食べ残したトーストをかじりつつ家を出る。
「寒っ」
 肌を刺すような風の冷たさ。真冬の格好だというのに、大して効果があるとは思わない。同じ県内とはいえ、南から引っ越して来たコズエにはこの冷たさが身に染みる。
 コズエは『ぼんやり』と言う言葉が服を着ているような少女だ。
 誰からもそう言われるたび、当のコズエはいつも首を傾げる。確かに他人ほどスピーディーに動けはしないが、それは常に沈思黙考しているからであり『ぼんやり』とは少しニュアンスが違うのではないだろうかと。
 それに、ぼんやりはあまり良い意味ではない。
 つらつらと、連想と思考を繰り広げつつ、とぼとぼ歩き、バス停に到着する。いつものバスがやってくるまで、まだ十分近くある。これに乗り遅れないよう、いつも母親に家から叩き出されているが、いままで乗り遅れたことなどない。
 もう少し、外よりは暖かな家にいれば良かったと思いながら、コズエは立っている。何も変らないようで、毎日、少しづつ変化はある。バス停から一メートルばかり向こうに生えている、アスファルトの隙間からのぞいたタンポポは一週間前より、大きくなった。葉の枚数が増え、つぼみも少し高い位置にある。
 ぐるり、改めてバス停周りを見渡す。毎日の変化は小さすぎて気づきもしないが、一週間前に較べれば世界は変化している。
「おはよう」
 後ろから声をかけられ、振り向きながらコズエも挨拶し返す。
「おはよう」
「パンくず、ついてる」
 眼鏡氏に言われ、コズエは照れ笑いを返しながら、コートやマフラーについたパンくずを払う。それは毎日の光景。
 彼の名前をコズエは知らない。だから、勝手に眼鏡氏と心の中で呼んでいる。彼はクールな人で、半年前から観察しているけれど、まだコズエには彼の思考が読めない。
 じろじろ見ていたからだろう。眼鏡氏と目が会う。コズエが微笑んでみても、眼鏡氏は感情の色がない瞳でコズエを映しているだけだ。コズエは寒さに震えているタンポポに視線を戻す。
 眼鏡氏とこのバス停で会うようになったのは半年前だ。それまで眼鏡氏はこの時間のバスを利用していなかった。朝のバスの利用客は大体顔ぶれが決まっていて、珍しい人物は何か理由があって短期間だけ利用する事が多い。
 コズエが通う学校よりも、学力の高い学校の制服を着ている眼鏡氏は三本遅いバスでも十分間に合うのに、なぜか半年前からこの時間帯のバス利用者としてメンバー入りをした。そんな中途半端な時期から、この時間帯のバス利用者となった理由は何だろう。
 その一、部活動。けれど、部活をしていると推理できそうな道具類は見かけたことがない。朝練なんて、文科系の部活はほとんどやらないだろうし、運動部ならば何か道具なりタオルなりを持っているはずだ。
 そのニ、人ごみが苦手。けれど、もう一本遅いバスでも十分、空いているはずだ。わざわざこのバスに乗り合わせる必要が考えられない。
 その三、静かな教室で予習復習をしている。……なんて、ガリ勉タイプにも思えない。バスを待っている間、バスに乗っている間、眼鏡氏が単語カードを使っているところなんて見たことがない。彼はただ、じっと立っているだけだ。
 その四、委員会。これが一番ありえそうだけれど、毎日こんな朝早くから登校して活動している委員会なんてあるだろうか。時間的にも少し、早過ぎる気がする。
 今日も眼鏡氏の思考がわからないまま、コズエは横に並ぶ眼鏡氏をちらちら、うかがい見る。半年前に較べて、眼鏡氏は身長が伸びた。少し下に見ていた眼鏡のつるが、今では少し見上げる格好だ。
 男子の成長期は高校生の頃が多いとは聞くが、眼鏡氏はここ半年で五センチは伸びた。まだまだ眼鏡氏の身長は伸びるのだろうか。
 ふと、スカイツリーほど大きくなった眼鏡氏を想像してしまい、ゆるりと笑う。
「思い出し笑い?」
 当の眼鏡氏に声をかけられ、笑顔のまま、コズエは首を振る。説明しようがなく、
「ちょっと――」
 説明にならない返答をする。
「そう」
 答えて眼鏡氏、また、ただじっとバスを待っている。今日は少し来るのが遅い。何かあったのだろうか。
 眼鏡氏が何を考えているか読めないけれど、悪い人ではないことはわかっている。どちらかといえば親切な人だ。毎朝、服装や髪型に乱れがあれば、教えてくれる。ただ、無愛想でぶっきらぼうだけれど。
 数分遅れてバスがやってきた。

 コズエは定位置に腰を下ろす。早朝のバスに乗り合わせる顔ぶれはたいてい決まっているから、みんなに定位置がある。眼鏡氏はコズエの斜め後ろの席に座っている。
 窓の外の景色を眺める。流れ過ぎてゆく景色は冬のもの。昨日は春めいてきていただけに、より寒さを感じる。
 駅が近づく。
 降車ボタンに手を伸ばす。一瞬早くブザーが鳴る。いつも誰かに先を越される。
 停留所にバスが止まる。定期を用意し、席を立つ。降りようとして視線を感じ、車内を見渡す。眼鏡氏と視線が会う。疑問に思いながらも、コズエはバスを降り、駅に向かう。
「あの、」
 声をかけられ、振り向く。いるはずのない人物がそこにいて、驚く。
「あれ? バス、降りちゃったんですか?」
「……名前……」
 眼鏡氏は憮然とした様子で言った。
「名前?」
 尋ね返すコズエに、眼鏡氏は一瞬苦しそうに顔をしかめ、
「僕は春山明秀。君は?」
「……松本梢……ですけど、何か?」
「帰り、何時のバスに乗る?」
「……五時過ぎですけど」
「わかった。待ってる」
「え?」
 疑問符だらけのコズエをそのままに、眼鏡氏改め、ハルヤマ氏は背を向けて歩き去っていった。学校まで歩くのだろうか。
 ハルヤマ氏は何の用だろうと首を傾げつつ、コズエはホームに向かって歩く。ぐるぐると思考をめぐらせるが答えは見つからない。ハルヤマ氏が考えている事なんて、コズエには想像だにできない。気がつけば、学校の門をくぐっていた。
 
 *

 夕方。
 コズエは最寄の駅に到着した。ハルヤマ氏が待っているのかと思うと、妙に緊張する。第一、ハルヤマ氏の目的がわからない。毎朝一緒のバスに乗っているだけの人間に、何の用があるんだろう。
 バス停まで歩く。そこにハルヤマ氏はいた。隠すように手には花束。
「こんにちは」
 思い切ってコズエが声をかける。ハルヤマ氏は軽く頭を下げただけで無視する態度。朝のあれは何だったのだろう。答えはますます霧の中だ。
 帰りのバスは混む。席に座れず、立ったままだがハルヤマ氏の顔色は変らない。人ごみ嫌いと言うわけではなさそうだ。早朝バスの謎は解けない。
 最寄のバス停でコズエは降りる。当然、ハルヤマ氏もそこで下車する。降りて、歩き出そうとしたコズエの前に差し出された花束。たくさんのカスミソウ。白い小さな花に埋もれるように淡いピンク色のバラが一輪。
「これ」
 ハルヤマ氏のぶっきらぼうな言葉と共に、コズエの目の前に差し出されたそれ。
 春色の包装紙とセロファン、ボリュームあるリボンが、それがプレゼントであることを証明している。
「これ」
 押し付けるように、ハルヤマ氏はコズエに差し出す。
「私に?」
 そうだとハルヤマ氏はうなづく。
「何で?」
 受け取りながら、尋ねる。折りたたまれた小さなカードを見つけ、開く。読みやすい文字で、
『君といると月がきれい』
 と、ある。
「……ありがと」
 意味がわからぬまま受け取る。
 ハルヤマ氏は嬉しそうに微笑んで、東へ走り去ってゆく。ハルヤマ氏はいつもそちらからやってくる。
 見慣れぬ表情を見たコズエはハルヤマ氏の背中が小さくなるまで見送って、もう一度カードを見る。
「月なんて――まだ出てないけど」
 空は薄暗いが、月の影はない。ハルヤマ氏と一緒に月を見たことなんてないはずだ。早朝のバスでしか一緒にならないのだから。

 帰宅して、花を花瓶にさし、ダイニングテーブルにかざる。
「どうしたの? それ」
 母親の声に、もらったと答えながら自室へ戻る。セーターを着込み、カードを手に、パソコンへ向かう。
 インターネットを開き、検索窓に『君といると月がきれい』と入力し、クリックした。

『君といると月がきれい』をご覧いただきありがとうございました。〔2012/02/10〕

お題:バレンタイン

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