その感情の名称を彼は理解していない。ただ、彼女が気になってしかたないことは自覚しているが、それは誰もが構いたくなる妹めいた彼女の言動や、綿菓子のようにほわほわした彼女の雰囲気によるものだと思っている。
その感情を彼女は理解し、伝えようと思っているがいつも先延ばしになってしまう。それは同い年ながらも、彼の落ち着いた、どちらかと言えば父兄めいた雰囲気のせいかもしれない。
紳士めいた彼の態度は、彼女に全くそんな気がないと宣言されているようなものだから、彼女は毎朝、告白を決意するけれど、彼の姿を見るとその気持ちはしぼんでしまう。彼が疎いタイプであることはわかっていても、いざとなると言えない。
彼と彼女は仲が良く、男と女という異なる性別ながらも、とても親しい友達関係を築いているが、その底にある感情を二人は共有出来ていない。共有したいと彼女は望んでいるが、彼は自分の中にあるその感情にまだ気づいていない。
楽しげなおしゃべりをしていて、不意に訪れる不自然な空白の時間――彼は焦ったようにどうでもいい世間話をはじめ、彼女は彼の目を残念そうな輝きを宿して見つめながらも、彼の話に調子を合わせる。
彼は沈黙を恐れている。彼女の瞳の中に映る、自分の姿を恐れている。純粋な光に満ちた彼女の瞳に自分が映り込むことを妙に恐れている。
彼は彼女を一目見たときから、自分の中に新たな感情が育っていることを自覚しているが、まだそれが何という名前の感情であるのか認識できていない。
彼女は彼を一目見た瞬間から、自分の中で膨らみ、弾けた感情に浸かりきっている。抜け出すことなど、出来はしない。あの瞬間から。
彼女にとって彼は世界の全てだ。今では、彼のためになら、命を捨てることも躊躇いはしないだろうという確信がある。あがらうことなどできない感情だからこそ、彼女は静かにゆっくり、彼に寄り添う。
彼はふと訪れた沈黙に、次は何を話そうかと彼女を見やる。
彼女はふと訪れた沈黙に、彼の次の言葉を待つ。そんな時にはいつも、彼女は彼の言葉を待っている。
彼は彼女を見つめ、照れくさそうに微笑む。
彼女は彼を見つめ、幸福そうに微笑む。
彼は焦ったような様子で、とりとめもないことを語り始め、彼女は落胆した光を瞳に浮かべたものの、彼の話に耳を傾ける。果てることのないおしゃべりが続く。
彼らは周りの皆から仲が良いと思われている。
彼らは周りの皆から友達だと思われている。誰も、彼と彼女の間にある、張り詰めた一本の糸には気づいていない。
彼はその糸を知覚しながらも、無視し、彼女はその糸を知覚していて、触れない。
二人は今日も楽しげにおしゃべりしている。張り詰めた糸を切らないように、触れないように。二人の間にある緊張は、まだ、周囲の誰も気づいていない。
終
『二人の間にある感情』をご覧いただきありがとうございました。
2011/10/31
テーマは「楽しげに会話している異性同士の仲良しさん」ということで。
これは小説っていうより、原案とか、設定書みたいな感じだな……