一生のうち、一番多く口にのぼらせる個人名とは、誰の名前になるだろう。ふと、そんなことを考える。
私の心の中では圧倒的に「冴島早苗」だけれど、彼女の名前を口に出したのはたった三回。それも「冴島さん」といういかにも他人めいたもので、「早苗」なんて呼び捨てにしたこともなければ、「ナエ」なんてニックネームで呼び掛けたこともない。
けれど、私の目は常に彼女を追っている。彼女の声を、彼女の動きを、私の耳は聞き逃さない。それなのに、私は彼女の半径一メートル以内に近寄ったことは一度しかない。彼女の胸元まである、柔らかな栗色をしたストレートヘアに触れてみたいと思うけれど、私は彼女の手にさえ触れたことがない。
冴島早苗。逆から読むと「えなさまじえさ」。彼女が私の目の前にいても居なくても、私の中で彼女の名前は繰り返されている。彼女の存在は、私の中で誰よりも重く、誰よりも遠い。
さえじまさなえさえじまさなえさえじまさなえ――無意識的に、頭の中で繰り返されている呪文の言葉。さえじまさなえさえじまさなえさえじまさなえ――私は、彼女の名前を心の奥底で繰り返しながら、仕事をし、昼食を食べ、残業をする。
私がどうして彼女の名を繰り返してしまうのかなんて、私にもわからない。彼女は確かに綺麗な女性だけれど、三十人に一人くらいの容姿だし、性格が特別良いわけでもない。言ってみればどこにでもいる、ありふれた女性。趣味趣向も異なる。私が異常なのか、それとも彼女が異常なのか。私以外にもこうやって、彼女の名前を繰り返している人がいるのではないだろうか、なんて思ってもみるが、私には他人の心の中をのぞく能力はない。
彼女がいると私の心は平穏をなくし、全神経は彼女へ向かう。彼女がいなければ、私は彼女の姿を探し、彼女の情報をえようと耳を研ぎ澄ませる。今の私にとって、彼女がいない人生なんて考えられない。彼女は私の全てだけれど、彼女にとっての私はただの顔見知り。その程度の仲。
私のこの想いを単純に恋心と呼ぶこともできるだろうが、それより憧憬に近いのではないかと自己分析している。彼女のどこに憧れる要素があるのか、私にはまだ理解できていないが、きっと恋ではないはずだ。恋であるはずがない。
幼子が母親を求めるように、どんな場所でも、どれほど人がいようと、私はすぐに彼女の姿を探し出す。彼女にスポットライトが当たっているかのように、私は彼女を見つけ出すことができる。
そうしておいて、私は彼女の視線を避ける。彼女の声から耳を背ける。彼女の一挙手一投足を知覚しながら、私は彼女の存在を否定する。それは私自身を守るための砦。築きあげてきた私という存在を、私の自我を崩壊させないための手段。
私は、きっと誰よりも深く彼女を愛しながら、誰よりも深く彼女の存在を拒絶している。彼女はただ、そこにあればいい。一輪の花のように、私の手の届かないところに、存在し続けてくれれば良い。
百万回、彼女の名前を唱えたら、私のこの想いは消え去ってくれるだろうか。それとも、別の結果を突きつけられるのだろうか。私の鼓動も呼吸も。私の全てが、今はただ、彼女の名を繰り返すためにある。
終
『百万回繰り返す』をご覧いただきありがとうございました。
2011/09/20
テーマは「生涯で一番、呼んだ名前」ということで。
最初女性視点で書き、これはアレかしら? とか思って、男性視点に変更したものの、それだとキモイかもと思い、女性視点に戻してみた。どっちにしても結局一緒だった気もする。