神々がいなくなった世界の物語

彼の前、女神は微笑む

「ふふっ」
 ザインの話を聞き終わり、女は楽しげに笑う。嘲笑にしか取れないタイミングだったが、女の声にその色は無かった。ただ、純粋に楽しげだった。



 世界は二つの勢力下にあった。人間と魔族。それぞれに国があり、王があった。国境でいさかいはあったが、特に大きな戦争も無く、王の元、比較的平穏な日々が続いていた。
「――なぜ……」
 ザインの刃が王の胸へ突き刺さった時、王は信じられないと目を見開き、ザインを見つめた。平和な世界。自分の築いてきた歴史。反乱がおこるなど予想だにしていない顔だった。
 太古の昔、世界には人間、魔族、神族がいた。何がきっかけだったのか魔族と神族は争いを始め、いつの頃からか人間は神族側に加わった。長い年月続いた抗争は神族が姿を消したことで、不意に収束した。
 残された人間と魔族は世界を二分し、対立しながらも共存している。それが現状。魔族に恨まれ、人間に求められながらも神族は姿を現さない。
「実に、平穏でしたよ――」
 ザインは刃に力を込め、王の胸へ押し込む。ゴホリ、王は血とともに、空気を吐き出す。浅い息を吐きつつ、間近にある、ザインの顔を見つめる。魔族との混血であるザインは、人間離れした美貌と、魔族にはない柔らかな表情を持ち合わせている。
「人間にとっては」
 人間の国で、多くの混血児は辛苦だけを舐めて育つ。抜きん出た才能があっても、人間の世界では混血や魔族は認められない。
 策略を張り巡らし、暗躍の限りを尽くし、魔族的な長命さと、人間的な柔軟さを生かし、ザインは王の腹心まで上り詰めた。混血としては最高の地位だったが、地位のわりに制限は多かった。
 やりたかった事。その為に目指していたところ。上り詰めても何も実現でず、砂を掴んでいるようにしか思えない日々。感情を隠し、王に、国に仕える。何も変わらない。変えられない苛立ちは、ザインに反乱を決意させた。
 この国では、王の交代は良くある話。民は王の交代を自然に受け入れた。ザインは自分が思い描く世界を作り上げようと奮闘しはじめた。
 そんなある日、王城深くに隠し部屋が見つかった。誰からも忘れ去られた部屋の入り口。だが、王城のどの部屋よりも贅が尽くされ、その部屋の主が前王にどれほど丁重に扱われていたかがうかがえた。
 その部屋は茶色い髪の女、ただ一人の為にあった。

「お前は誰だ?」
 ザインは、鋭利な視線で女に尋ねた。前王の腹心であったはずのザインもその存在を知らなかった。ただの女ではない。
 気の置けない部下、数名を連れて部屋を訪れた。最低限の武装だが、腕の立つ、選り抜きの猛者たち。
 読書の途中だった女は顔を上げ「何か御用かしら?」と、強面の一団を見渡す。普通の女であれば、兵士を目にしてそんな反応は返せない。だが、柔らかな微笑を浮かべる女は魔族には見えなかった。
「王の女か?」
 不躾な問いに、女は楽しげに微笑み、
「女神」
 花が咲きほころぶような笑みを見せる。
「神族は消えた」
「世界に干渉しなくなっただけで、消滅したわけじゃない」
 パタリと本を閉じ、女は立ち上がる。風が起こる。膨らみ、強風となり、兵士を追い払うように吹き荒れる。
「魔術師かっ」
 兵の一人が慌てて呪文を詠唱し、魔力の壁を張る。純粋な魔族が張った魔術障壁は強力なもの。
「あらあら、」女は笑みを大きくし「高位魔族までいるなんて、面白い取り合わせね」
 風圧は強さを増し、カマイタチが部屋を荒らしていく。
「せっかくの部屋が台無しだな」
 魔族は見かけの武装だけではなく、魔術も扱う。本業の魔術師ほどの使い手は多くないが、高位魔族ともなれば相当のものだ。
「結構やるわね。もっと風圧あげ――たら、城が倒壊しちゃうかな? その前に息ができなくなっちゃうかしら?」
 女は余裕。こちらに魔術師がいないとはいえ、女魔術師一人が対抗できるほど兵は弱く無い。
「お前は誰だ?」
 女は微笑むばかり。答えない。
「攻撃方法変更♪」
 風がぴたりと止み、女の姿が掻き消える。どこだ、と騒ぐ暇は無かった。
「……ぐっ」
 後方にいた兵が崩れる。前のめりに、腹を押さえながら。
「早いっ」
 三つ目の魔族でさえ、そのスピードを追いきれない。女は呪文を唱えた様子は無かった。呪文の詠唱は人間の魔術師には必要なはず。女は本当に神族か――そんな訳、ある筈が無い。神族が世界から姿を消してどれほど時間が経つと言うのだ。
 舌打ちとともにザインは呪文を変え、自身の移動速度を上げる呪文を紡ぐ。女の姿が見える。眼前。息が触れそうな距離。後ずさり、距離を保つ。女の姿はすでに無い。蜃気楼のように残されていた残像――気づいた時には右に気配。女の顔を目が捕らえた瞬間、また消え、後方の兵がまた一人、崩れ落ちる。
「誰も私の動き、捉えられないようね」
 どこからとも無く、風のようなささやき。女の言う通り、女の残像を瞬間的に捉えらえることしかできない。
 ここが戦場であれば、かつての神族と魔族との争いの場であれば、確実に殺されている。アリをひねり潰すように、いともたやすく。
 ザインの背中を冷たい汗が流れる。
 一陣の風がザインのそばを通り過ぎ、女が座っていた椅子へ吹き付ける。女は何事も無かったかのようにそこに座っている。追いきれないスピード。
 完全に遊ばれている。女は息を乱した様子も無く、髪一房さえ崩れていない。
「やっと二人だけになれたわね」
 女は微笑む。ザインが連れていた兵は決して弱く無い。弱くないどころか、強い。武術大会で名を何度も栄冠に輝いているような猛者だ。
「俺だけに話があるということか?」
 青ざめた顔、強張った表情ながらも、ザインは態度を変えず女に問い掛ける。
「えぇ。『王以外は足を踏み入れてはならない』って表に書いてなかったかしら?」
 古い文字が扉に書いてあった。今では使われていない文字だったため、魔術師を連れていない彼らにはそれを読み解くことが出来なかった。
「見なかったな」と、うそぶく。
「それより、何の話だ」
「アタシ達はもう世界に干渉しない方針だけれど、アタシ、お節介な性質《たち》なの」
 女は歴代の、魔王と呼ばれた者たちの名前を歌うようにそらんじる。「――時は流れ、気持ちは変わる。アナタはアナタでいられても、他人《ひと》は皆、流れて行くわ。変わらぬ努力をしているアナタ、ただ一人を除いて」
「忠告、か?」
「戯言《ざれごと》だと思われても構わない。アタシ達は流れを変えられなかったのだから」
「流れは俺が変える。変わらなければいけない――」
 ザインは自らが目指している世界を雄弁に語る。魔族と人間の融和。魔術の管理と、魔術師の育成――。
「ふふっ」
 ザインの話を聞き終わり、女は楽しげに笑う。嘲笑にしか取れないタイミングだったが、女の声にその色は無かった。ただ、純粋に楽しげだった。
「ふふふっ」
 正常な思考を宿した瞳は、三日月型に細くなり、ザインを見つめる。
「いつまで続くか、見物だわ」
 春風のような穏やかな声色。ザインは、苛立ちを隠せぬ声色で、
「どういう意味だ?」
「言葉通りよ……あら、心配しないで。アタシは何もしないわ」
「何もできないの間違いでは無いか?」
 あざける声に、女はすっと立ち上がる。どこからとも無く風が吹き込み、女を包み込む。愛しむ様に淡いピンクのドレスをもてあそび、茶色の髪を梳《す》くように舞い上げる。
「深く干渉すればする程、憎しみと争いが増していくだけ――」
「お前達が性急に事をすすめ過ぎたからだろう!」
「そうだったのかもしれない。けれど、あなたにも、いずれわかる時がくるわ」
 女は睨みつけるザインの視線を受け止め、受け流す。感情を押し殺し切れないザインの周囲に、魔力を帯びた危険な空気が満ちる。
「俺のやっていることが茶番だと言うのかっ!」
「ザイン、」女は諭すような声色で「強大な力を持ってしても、流れを自在に操ることは出来ない」
 舞い上がる髪を片手で押さえ、
「魔王の中には、アナタのような、純粋な人もたくさんいたわ。けれど、全て茶番に終わった」
「ふざけるなっ!」
 激昂するザインに柔らかな微笑を返し、
「神族は世界に干渉しない。でも、一つ言っておく――アナタのこと、嫌いじゃないわ」
 女の姿は白い光とともに消えた。
 国中どこを探しても、ザインが再び女を目にすることはなかった。


 そして百数十年の時が流れ――


 ザインは死んだ。魔族と人間の混血だったザインは、長命で人間の国に君臨し続けていた。だがある日、彼の腹心として長年仕えていた男に寝首を掛かれ、あっけなく殺された。
 魔族と人間との融合を願っていたザインの夢は、曲解され、後世へ伝えられるだろう。平和を望んだ彼の名は、魔王を示す単語になるだろう。
「だから、言ったのに……」
 簡素な盛り土の前。墓標も無いその墓の前に、淡いピンクのドレス姿の女がたたずんでいる。懐かしむように、土の中に眠る男の名を呼ぶ。
「流れを変えることはできないのよ。だから、神族は世界への干渉を止めた」
 寂しげなつぶやきを残し、女は消えた。

 女が再び姿を見せたのは、魔王と後世で呼ばれる者の前――

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『彼の前、女神は微笑む』をご覧いただきありがとうございました。〔2007/03/11〕

この作品は突発性競作企画第17弾 『 vs.Glim 』参加作品です。お題はGlimさん内に展示されているイラスト。ということで、「Glim≫Gallery≫ファンタジー≫MEGAMI WIN」をお題に使用させていただきました。

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