外は冬。いつ終わるともしれない冬。
五十年も前に起こった戦争で、この世界は冬に閉じ込められた。
僕と母は『春日町第二総合宿泊所』というところに住んでいる。ダンボールや、衣類で区切られた四畳ほどの粗末な部屋が僕たち親子の家。ここは昔、『体育館』と呼ばれていたという。
「母さん、起きて」
薄ぼんやりと家の中が明るくなってくると僕が声を掛ける。
「朝だよ」
「もう?」
目も悪くなり、耳も遠くなってきた母は、大きく息を吐きつつ起き上がる。歳のせいらしい。
「朝ご飯」
缶詰二缶と賞味期限切れのインスタント食品二食分、それに栄養補助錠剤を机代わりのダンボールの上に載せる。
「これ、どうしたの?」
いつにないご馳走に母は不信な顔をする。
「さぁ……配給の人が間違えたんだと思うよ」
「……そう」
お互い言葉も交わさず、それを食べる。
食べ終わったら、僕は立ち上がる。
「じゃあ、散歩してくるね」
「気をつけて行ってらっしゃい。皆さんによろしく伝えてね」
「……うん」
家の入り口に掛けた布を捲り上げると、もう、そこは外。うちの家とたいして見栄えの変わらない隣の家。あたりはしんと静まり返り、物音一つしない。
大多数の人間が半年ほど前にここから出て行ってしまった。ここから十キロほど離れた『春菜市第七総合宿泊所』の方が待遇がいいという噂が流れて。
残ったのはうちと、身寄りもなく動くことも出来ない年寄り数人だけ。けれど、それも半年すると母と僕だけになってしまった。母には伝えてないけれど。
人員がいなくなったと誤報が伝えられたのか、それとも支給する食料さえ手配できくなってしまったのか、政府からの配給は三ヶ月程前から届かなくなった。地下に通された電線によって電気は届いているが、電話線はどうやらダメになっているらしい。ラジオや電子レンジは壊れてしまい、直すことのできる人間はいない。未だに動きつづけてくれている暖房器具がずっとこの先も壊れないよう祈るしかない。
手元に残った食料は無い。目ぼしいところはみんな探した。あとは――
非常に後ろめたい思いを振り払いつつ、隣の家の中に入り、ざっと見渡す。うちと変わらない室内。布団をひっくり返し、カーテンをめくりあげ、徹底的に探すが何も見つからない。
とりあえず、もとにあったように室内を戻すと、隣のうちへ入り同じ作業を繰り返す。
三軒目でやっと缶詰を五個見つけた。元気を出して、残りの部屋を調べてまわる。
作業が終わったのは夕方。乏しいけれど、いくらかの収穫は有った。これであと一週間は生きてゆける。それらをまとめて食品供給箱の中に収め、今夜の食事分――缶詰二つだけ持って意気揚揚とうちに帰る。
「ただいま」
「おかえり。ほら、見て」
母の手には古いアルバム。
「また見てたの?」
「だって、することないんですもの」
何度も見た、古いけれど色に溢れていた昔の写真。
黄緑色をした植物。
青色を空。
ピンクや白、黄色い花々。
赤や黄色の葉をした木々。
昔は春に夏、秋という四季があったのよと、母は懐かしそうに語る。
そこに写されているのは、僕の知らない世界。
一枚一枚に幼い母が、無邪気な笑顔で写っている。
その写真を見つめる母の表情も、いつもの憂鬱そうな顔から、写真と同じ顔になる。
「母さん、お腹すいたでしょ? ご飯食べよう」
「あら、もうそんな時間なの? 朝にお腹いっぱい食べたから、母さんお腹すいてない……」
そういいつつも、お腹は不満の声をあげる。
「お腹は正直だね」
「いやだわ、恥ずかしい……」
僕たちは夕食に缶詰を一缶づつ食べ、寄り添って眠る。暖房は十分きいているから寒くはない。肉体的に寒くはないのだけれど……。
外は風が鳴り止まない。雪が凶悪な風にまかれ、舞い踊っているのだろう。
「母さん、明日は晴れるかなぁ?」
いつもの問いかけ。すると母さんは同じ答えを返してくれる。
「さぁ……でも、晴れるといいわね」
「青い空ってもの、見てみたいな」
「そうね、母さんももう一度だけ見るまでは死ねないわ」
「また。そんな事言わない約束でしょ?」
「ごめんね」
母さんは小さな声であやまる。
「もう、いいよ。じゃあ、おやすみ」
「おやすみ」
***
孤独。
それを実感したのは生まれて初めてかもしれない。
他に誰もいなかったけれど、でも――母さんがいた。だから、寂しくはあったけれど孤独ではなかった。
朝起きていつものように母さんを起こそうとして――
「母さん、」
いくらゆすってみても母さんは目を覚まさない。
肌は雪のように冷たい。
「母さん……母さん……」
僕は良く知ってる。こうやってここ半年の間に幾人の老人を看取っただろう。
「死んじゃったんだ……」
哀しく室内に響いて消える言葉。
あれから何時間、経過したのか覚えていない。
僕は悲しみのどん底にいたけれど、お腹には勝てなかった。 ぐぅぅぅぅぅという特大の咆哮で、僕は気づいた。
食事はのどを通らなかったけれど、僕の体は食物を求めていた。生きることを肉体は望んでいた。残酷な現実だ。
ここには僕一人ぼっち……なのに生きようとしている。
――嫌だ……
嫌だ、嫌だ、嫌だ!
僕は死にたくない。でも、生きていたくもない!!
硬く閉ざした『春日町第二総合宿泊所』の大扉を何とか開け、 僕は外に走り出た。
外は茶色い、昔の写真の中で見た色の地面。
「――――どういうこと?」
一瞬心の奥に希望が宿る。けれど、目の前を横切ったものが僕を絶望に突き落とした。
ふわり、風に吹かれて雪が舞う。
やはり、まだ冬なんだ。
ずいぶん大きい雪の結晶を一片、手に載せる。
「……紅い?」
薄紅色をした雪。ふんわり軽く浮き上がり、風に揺られて僕の手から逃れてゆく。
木々はその変わった紅い雪をかぶって色づいている。
ざぁっと風が吹くと、前が見えないほどの雪吹雪……。
「君!」
男性の声。そちらに目をやると、白いカッターシャツ姿の同世代の男が立っていた。不思議そうな顔をして。
「君は――ここの?」
宿泊所を指差す。なぜ男がいるのかわからず、僕はうなづく。
「そうか。ここは高台にあったから助かったのか。世界は――今度は水に閉じ込められたよ。ここで助けを待つか、探しにいくか……君はどうする?」
終
『紅い雪』をご覧いただきありがとうございました。
■03/02/23 「夕焼け」がどうにも、「紅く」なかったので、「紅」を書こうとがんばってみました。でも、「紅」じゃないですねぇ…薄紅色ってのも違う気が……
最初はもっと暗い話にする予定だったんですが、いつの間にかこんな風になっちゃいました。文章力が欲しいなぁ…と相変わらず愚痴ってみてます。
それにしても、この設定だと「僕」ってどう考えてみても20代後半から30代――なんですが(苦笑
この小説じゃ人物名がでてないですね。私はこの個人名のでない小説が好きなので個人的には出来上がりに満足してますが…どんなものでしょう?
■04/03/26 修正。 文章の下手さに気づかれてない方もいるかと思いますので、薄紅色をした雪の正体は桜です。
■2004/04/20 改稿
■2006/06/11 改稿