天使の卵

 朝、背伸びを一つして、私は気分よく目覚めた。枕もとの赤い目覚し時計を見ると、いつもより十分も早い。自然笑みをこぼしつつ、音の鳴る前に頭の黒いボタンを押す。
「今日は何だかいいことあるかも♪」
 窓から見える空は見事な青色。
 朝食を食べ、ちょっと念入りに髪を梳かす。そんなことをしていると、あっという間に家を出る時間になり、結局、いつもと同じ時間に学校に着く。

 ガランとした教室。誰もまだ来ていないのはいつものこと。
 いつの間にやら私の日課になりつつある、ベランダに植えられた植物への水やりを始め、しばらくして気づいた。アレの存在に。
 隣のクラスから伸びてきているツタ草の間に、そっと置かれたようにアレはあった。Lサイズくらいの卵の形をした、白くて、繭のような……アレである。孵ってないということは、第一発見者は私らしい。
 そんな風に思っている間にも、アレは内部から薄い光を放ち始めた。私はため息を一つつき、その幻想的な光景を見つめた。

 うっすらと卵から漏れ出でていた光は、やがて虹色の光に変わり、目があけられないほどになる。薄すく目を開いてみればその光の中心部に何か、物体が存在しているのが認識できる。
 やがて光は薄れ、そこに存在していたはずの卵は跡形もなく消え去り、アレは羽を広げ、ゆっくりと宙に舞い上がる。
 くりくりとしたこげ茶色の瞳をじっと私に降り注ぎ、ちょっと長めの甘い茶色の髪がくるくるとかわいらしいカールを巻いている。
〈なんだ、また佳澄《かすみ》かよ〉
 小さく舌打ちとともにため息交じりの呟き声。言ったのは私ではなく、目の前の手のひらサイズの天使。
「あんたまだ修行が終わんないの?」
 前回と同じヤツの反応に、私も同じ反応を返す。
 天使の卵に出会える確立は、一般的には数千万分の一……であるらしい。私以外の人間にとっては。
 でも、私がコイツ。この態度の悪い天使に出会うのはこれで四度目だった。
 天使の卵を見つけたものは幸福が訪れるなんていわれているが、それは一番最初に天使の卵を見つけたものが、心から幸福になると、コイツらは天界へ帰れるって仕組みのためらしい。
 そして、コイツはこの態度からもわかるように、まったくのダメ天使だった。何度も天界から落とされ、人々を幸福にして(偶然幸福になってと言ったほうがいい)、天界に舞い戻ってしばらくしたら同じことを繰り返す。天使としてどうしようもないヤツだ。
 けれど、天使人口が足りないのか、それとも神様って方が尊大なお方なのか、コイツの悪運の強いことったら。散々人に迷惑だけを振りまいて、最後の最後、美味しいところでヤツはさも、自分が幸福を与えたような顔をして去っていくのだ。
〈おい、佳澄! 何ぼぉーっとしてんだよ〉
「……あのさ、何度も言うようだけど、私が第一発見者ってのは無かったことにできないもんなの?」
 ヤツは腕組みして、ふんぞり返り、
〈それができたら苦労しねぇっての。ったく何度も言ってんだろ?〉
 なんとも憎ったらしい態度。捻り潰してやりたい……が、無駄なこと。
〈そうそう、そういうバカなこと考えてる暇があるんなら、幸福なこと考えろよ!〉
 ヤツには第一発見者の心というか、感情が筒抜けになってしまうのだ。
 大きくため息をついて、ベランダへの入り口をピシャリと閉める。
〈無駄だってんだ〉
 声とともに私の目の前に、瞬間移動。
 こういう特技をもたれたんじゃ、逃れるすべはない。

「出席を取る――席につけ……山本、それは何だ?」
 担任は入ってくるなり、私の頭の上の物体を凝視した。
 一般人に取っちゃ珍しいものだからその反応は仕方ない。
「ファム君です!」
 私のかわりに隣の席の小守苑子が答える。このクラスの中でも一番、このカワイラシイ天使のことを知りたがってた人だ。
 ヤツの名前は本当はもっと長くって、舌をかみそうなんだけれど……そんな名前を覚える気にはなれず、私は常に『ファム』と人に紹介している。
〈何だよさっきからじろじろと見やがって……〉
 本当に。視線が痛いよ、小守さん。そんなにコイツが欲しいのかね? 譲れるものならば、私はのし付けてでも譲ってあげたいよ……本気で。
 ちなみに、ヤツの声を聞けるのは第一発見者の私だけだったりする。だから、みんなからすれば可愛らしいヤツの風貌に惑わされて、ひたすら私に向けられるのは羨望と妬みだけ。
〈ったく、どいつもこいつもバカみたいな顔して見やがって! 何だよ、文句あんのか!?〉
 あぁ! 本当に譲ってあげたい!!
「……えぇっと、天使か?」
 担任もじっと私の頭の上の物体に見入っていたけれど、やがて正気を取り戻し、
「そうか、幸福を与えてくれるってアレか!」
 嘘です。それは真っ赤な嘘です、コイツに関しては。こっちが幸福になろうと努力して手に入れない限り、こいつは混乱以外もたらしちゃぁくれません。
「どこで拾ったんだ?」
 みんなと同じ事を聞く。私は朝から何べん繰り返したかわからない答えを返す。
「そこのベランダで」
 わざわざ外を指し示す。
「ここの教室の外でか!? おいおい、こんな身近に天使の卵が落ちてたのか?」
 それも朝から何度も聞いている。
「窓を開けようとして気づいたんです」
 誰が水やりしてたなんて、優等生なことを言えようか。
「そうか、来るの早いもんな」
「はい」
 大きく頷く。電車が一時間に一本もないようじゃ、どうしようもないじゃないか。

 結局。
 六限目が終わるまで今日はまったくついていなかった。すべては頭の上のコイツの所為だ。今日はとっとと帰ろう。
 と、教室を出かけたところで一番会いたくない人物、三木蓮見につかまってしまった。かわいいものにはこの学校一、目が無い。
「部長ぉ、カワイイもの独り占めしてズルイ!」
 かわいらしくふて腐れてる。
 ミキちゃん、私もこいつをあなたに譲ってあげたい。もろ手を振って。
 ミキの頭にはピンク色の細いリボンがいくつも編みこんである。相当朝早起きしてやってるんだなぁといつもながら感心する。胸元のポケットからはクマだのウサギだのの可愛らしいマスコットキャラクターが顔を覗かせ、靴下はごたごたレースやらリボンのついたもの。
 見るものに食あたりをおこさせそうなほどのカワイイ格好をしている女。それが三木蓮見。
〈何だ? このアホそうなヤツは〉
 地元じゃ有名な進学高の生徒捕まえて、アホ呼ばわりするのはコイツくらいだろう。
「部長ぉ、今日こそは部活に出てきてもらえますよね? 出てきてくれなきゃ泣いちゃいますぅ」
 両手をあごの下で握り、軽く頭を傾けて見せても、全然おかしくないってんだから、ミキも相当変わり者。
「ミキちゃん。頭痛がするから――」
「いやん、部長。前回は腹痛。その前は腰痛。それに、胃痛、胸焼け、風邪、関節の痛み、ご家族・ご親戚・ご近所さんの祝いや喪で何回休まれたかぁ……覚えてらっしゃいますぅ?」
「……記憶力がいいわね、ミキちゃん」
「だてに学年トップを張ってませんわ。で、部長、お返事は?」
 さらりと言っているが私にとって、それは脅迫。この部活に入る前はいつも下から十番以内だった私としては――テスト前のミキの完璧ノートにすがるしかない私としては……答えは一つしかない。
「行かせていただきます」
「わーい! 今日は私の得意なクッキーなんですよぉ! 絶対に食べてくださいね!!」
 頭が白くなっていく。
 何が悲しゅうて料理研究会の部長こと、毒見係を引き受けてしまったのか。今さらそんなこと考えても仕方の無いことだけれど。

***

〈……おーい、カスミ〉
 気がつくと、いつの間にやら家庭科室についていた。しかも、目の前ではミキが『クッキー』なるものを嬉々として作っている。
 いつもながらに調理台の上には、クッキー作りからは連想できない食物が山のように積み上げられている。なぜクッキーに魚介類が必要なのか、なぜクッキーに唐辛子が必要なのか、なぜクッキーに……なんて疑問をもっていちゃ、料理研究会の部長はつとまらない。

 あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。寿命が縮むぅぅぅぅぅぅ…………

「部長、できましたぁ☆」
 花もほころぶような笑顔とともに、殺人クッキーはその姿をあらわした。ピンクやレモンイエローのストライプの入ったペーパーナプキンの上にクッキーみたいな物体が乗っている。
 魚の切り身やたこの足っぽいものがのぞいてているのはどうかと思うのだけれど。
「さ、食べて!」
「あ……ありがとう」
 比較的クッキーと呼べそうな物体を一つ手にとり、覚悟を決めて口の中に放り込む。
「…………お、美味しい? 嘘っ」
 二つ目を手にとり口の中へ。
 バニラエッセンスのほのかな香り、香ばしい触感。確かにクッキーだ。見た目はグロテスクだが、味は格別。めっちゃ美味しい。……このギャップは何?
「部長、どうですか?」
「いや、何ていったらいいのか……美味しいよ。すっごく」
「本当ですかぁ!! 嬉しいですぅ!」
 とミキは一つ手にとって口に運び、「っう」と短いうめき声をあげるとその場に突っ伏した。
〈ケケッ……あんなゲテモノが美味いわけねぇだろ〉
「……何、したの?」
〈カスミの味覚を狂わせた〉
「は?」
〈もうひと欠片食ってみな〉
 恐る恐る手を伸ばし、口にすると……。
「クソマズ……いつものミキのクッキーだ」
〈そうそう、それをだな、俺の力で――〉
 と堕天使が得意げに語り始めたところで、私のお腹は悲鳴をあげた。
「お、お腹が痛い……」
〈あんなゲテモノ、バカバカ食うからだろ〉
 ……この、馬鹿天使!!
〈もうちょっと幸福度満点で帰れるところだったのに。お前、天使慣れしすぎ〉
 そうでしょうとも。私はあんたのせいで幸せなことがあったらまず疑ってしまうのだ。だから、私が簡単に幸福になれるわけが無いわけで。

 こうして、四度目になる私の不幸な日々は始まった。

『天使の卵』をご覧いただきありがとうございました。

■02/9/16 授業が始まった辺りから、ギャグばかり。まったくネタが消化し切れてないですね。ギャグに逃げるのはよそう、自分。

■2004/04/26 改稿
■2006/06/11 改稿
■2006/06/13 改稿
2012/01/18 訂正

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