おささなじみ

 僕は白いタキシード。隣には妻になる女性が純白のウエディングドレス姿でたたずんでいる。手には淡いピンクのカラーと白いチューリップを合わせたブーケ。その雰囲気は『美しい』という形容詞がぴたりとあう。まったく一部の隙もない。
 僕の視線に気づいたのか、伏せていた顔を上げ、ベールの奥から笑みを見せる。ちょっと勝ち誇ったような感じの笑み。僕が微笑み返すと、彼女は頬を朱に染めてまた顔を伏せた。

 彼女に初めて会ったとき、何となく変わった人間だと感じた。時が経るにつれ、それは確信に変わっていった。けれど、そんな人間を僕は生涯の伴侶にめとろうとしている。人生はなんとも不思議なものだ。
 
     ***

 僕が五歳の春だった。ずっと空家だった隣のうちに、ヤツの一家が越してきたのは。
 手入れの無い庭に一人の少女。庭で遊んでいた僕は生垣の隙間からをれを目にした。僕はそれまで、そこが幽霊屋敷だと信じて疑ってなかったものだから、ヤツの出現にはいささか驚かされた。
 くるり、くるり。彼女が回り、白いワンピーススカートが膨らむ。
 引越しの手伝いが出来ないから一人で遊んでいたのだろうが、当時の僕にはそんなことなど思いもよらず、とうとう幽霊を目撃してしまったというショックで固まっていた。彼女はそんな僕にようやく気づき、同い年らしからぬ不敵な笑みを浮かべ、
「あんた、誰?」
「……」
「何か言いなよ」
「……君、幽霊?」
 幼い僕が遊び場にしない為なのだろうが、隣家について、あること無いこと兄貴や母親に言われていたものだから、彼女をそんな風にしか思えなかったのだ。まだ、幼かったこともあって。
 ヤツは否定もせず、にやりと笑うと、家の中に入ってしまった。

「お母さん、隣の幽霊見た!」
 勢い込んで家に駆け込んだ僕に対し、母はむっとした顔をして、
「ちょっとお母さん電話してるの! 静かにしなさいって言ってるでしょ」
 挿話口をふさぎ、押し殺した声で言う。母の妹、僕の伯母とのいつもの長電話。
「でも、幽霊……」
 食い下がる僕に、
「あぁ、隣に越して越してらした渡部さんのこと……? たしか、あんたと同い年の子がいるって言ってたわね」
 うるさいと言わんばかりに答えると、おしゃべりに戻る。
 僕は言われたことがわからず、そのころ兄と一緒だった部屋へと戻った。

+++

 ヤツとはそれから、毎日顔を会わす事になった。まぁ、お隣なんだから当たり前のこと。近所に同い年くらいの遊び相手もいなかったから、気づけば一緒に遊んでいた。まぁ、それも当たり前のこと。
 ただ、思い出してみても、僕から遊びに誘った記憶はない。けれど、僕がヤツを連れ回し、危険な遊びをしていると大人たちには思われていた。それは絶対にありえないことだったのに。なぜならヤツと一緒にいるととても楽しいこともあったが、恐い目に会うことも多かったのだから。

 夏のある日、僕はヤツと一緒に遊んでいた。いや、僕が遊んでいるのをヤツは見ていた……いつもそうだった。
 僕を見るともなく目で追いながら、ぼーっとしている――そういう時はこの後、必ず冒険をする羽目に陥ることをわかっていたのに、そのころの僕はそれが楽しいことであるかのようにヤツに思い込まされていた。いつも、後でさんざん僕だけが大人に怒られ、大泣していたにもかかわらず。
 その日、ヤツが提案したのは海に行くことだった。僕の住んでいるところは山間で、大人の足でも海までは行くことは不可能だった。
「遠いよ、海って」
 海に連れて行ってと頼むと、必ず帰ってくる大人たちの言葉をそのまま返した。
「知らないのか? 川をずぅぅぅぅぅっと下ってくと海があるんだ」
 家の向かいにある川下の方を指差して、ヤツは馬鹿にしたように言い返す。実際、昔から冷めたヤツで、ヤツの態度には子供っぽさがなかった。
「嘘だ。川の水ってしょっぱくないもん。海の水ってしょっぱいんだよ」
「じゃ、確かめよう」
 ヤツはさっさと決めてしまって、家から子供用プールを運び出してきた。
「何するの?」
「これはボート。で、食料は?」
「食料?」
「御飯とか、お菓子とか……。海まで遠いのなら必要だろうが」
 腕を組んで仁王立ち。威張りくさった態度。
 僕は不安になりつつも、家から食パンとか、牛乳とか、長期保存のきく仏壇の供え物をリュックに詰めて持ち出した。

「出発しようか」
 約束した橋の下へつくと、やつは嬉しそうに言った。
 その笑顔は本当に子供っぽいもので、普段の、子供らしくないそればかり見ていたぼくは不思議でならず、じっと見入ってしまった。
 ――ポツリ
 僕の額に一滴の水滴が落ちてきて、空を仰ぎ見る。
 ザザァァァァァ――
 夏には良くある通り雨。集中豪雨。
 ずぶ濡れの僕とヤツは取るものとりあえず橋の下に逃げ込んだ。
 雨が上がっても、僕たちは海へ行くことなく、夕食へと家へ帰った。
 もちろん。家に帰った僕は食パン、牛乳、お供え物を持ち出し、雨でぐしゃぐしゃにしてしまったことを母親に怒られた。
 
***

 小学校の入学式。
 僕はてっきり、ヤツと一緒だとばかり思っていたのだが、
「お母様!」
 その声に振り向くと、ヤツが車の中から、僕の母と立ち話をしている母親を呼んでいるところだった。
 ヤツは紺色のベレー帽に、大きな白い襟のついたシャツ。緑色のリボン。帽子と同じ色の制服を着ていた。
 僕の通うことになってた小学校は公立で、制服などはない。帽子は黄色の制帽がありはしたけれど。
「急いでください。遅れます」
 ちらりと僕と目があった。ヤツはいつもの不敵な笑みを一瞬浮かべはしたものの、妙に育ちの良さそうな、すました顔に戻り、
「お母様!」
 ヤツの母親はちょっと自慢げに頭を下げると、車に乗り込み発進させた。

 車が角を曲がって消えてしまうと、
「まぁ、お金のあるおうちは違うわよねぇ」
 母は不満そうに呟き、僕の頭を叩いた。
「一緒の学校じゃないの?」
「向こうさんはうちなんかより良い学校にいくのよ……用意できた?」
 川岸に植えられた満開の桜の中、僕とは母歩いて小学校へ向かった。僕のうちから学校までは子供の足でも歩いて十分ほどのところにあった。

 小学校にあがってから、ヤツの姿を見かけることは少なくなった。考えてみれば、ヤツが越してきてからも、毎日姿を見かけているわけではなかった。ヤツはお稽古事だとか、塾だとか……毎日忙しくしていたから。
 その忙しさは車で二十分はかかる小学校へ通うことでますます増えた。小学校にあがったことで習い事も増えたのだという。
 僕は習い事なんてものは、小学校の四年の時にそろばんに通いはじめ、小学校五年で小林寺を始め、小学校六年のとき英語塾に行き始めたくらいだ。
 中学にあがると共に、英語塾以外は辞めてしまい、かわりに数学の塾に通うことになった。通わせてる割に、テストの点が上がらないと母に嫌味ばかり言われていたのだが。

 中学の入学式。
 僕は学ランに辟易していた。慣れない首周りの違和感。制服の堅苦しさ。それに、襟を立たせるためにつける、プラスチックの襟裏が、首にすれてとても痛いのだ。
 家から出た僕は、隣のうちの前にたたずんでいたヤツの姿に見とれてしまった。大学までのエスカレータ式だとは聞いてたから、ヤツの姿を見かけることがあるとは思ってもいなかったのだ。
 ヤツは六年前に見た制服をそのまま大きくしたようなものを着ていた。紺色のベレー帽。白い、セーラー型の襟のシャツ。紺色のボレロ。落ち着いた緑色の、クロスさせる形のリボン。紺色のベストに、チェックの入ったひだスカート。黒のハイソックスに、黒い革靴。学校指定なのか、変わった鞄を手に持っていた。

 僕の視線に気づくと、ヤツは笑みを浮かべた。不敵な笑み――僕と目があうと、決まってその笑みをみせるのだが、僕以外は見たことが無いらしい。
 そんな笑みにも僕はどぎまぎとぎこちなく視線を外し、玄関先で大騒ぎしている母さんを見やる。
 今日は着物を着るといっていたのだが、いざ着始めてみると、足袋がないことに気づき、急遽、五年前のものだとかいう空色のワンピーススーツに着替えた。背中のファスナーが上がらないと騒いでいたものの、とりあえずホックをとめて、上着を着て、それはそれで事なきを得た。
 今度はそのスーツに合うヒールがないと騒いでいる。
「この白のヒールは?」
 母親と一緒に靴箱をひっくり返していた親父の声に、
「いい歳してそんなもの履けないわよ。あぁ、でも黒だとおかしいわよねぇ」
「何でもいいだろ? お袋の格好なんて誰も見やしないさ」
 三歳年上の兄貴がパンをかじりながら、廊下に立って面白げに見物している。
「あぁ、もう! 御飯は座って食べなさい、行儀悪い! お父さん、どう? これならおかしくない?」
 銀色のハイヒールを履いて、くるりと回る。
 玄関先で恥ずかしいことを……子供の心配などどこ吹く風。親父は、その騒動がやっと終ったことへの安堵感からか、ほっとした笑みと共に、
「お前ほどその格好が似合う女もいないよ」
 機嫌がいいときの口癖で答える。
「やっぱり?」
「母さん、遅れる!」
 見詰め合う二人に声をかけ、玄関から母さんを引っ張りだす。
「あなた、ごめんなさい。後、お願いしますね!」
 母さんは満面の笑みで、機嫌がいいときだけ使う「あなた」なんて気取った言い方をして、手を振った。
 僕と母さんは走るようにして、小学校の向かいにある中学校へと急いだ。
 
***

 時はあっという間に過ぎ、僕は中学三年生になった。
 特に目立つようなこともなく、無難な日々を僕は過ごしていた。

 六月の三者面談。
 うだるような暑さの中、扇風機の生ぬるい風を受けながら、
「それで、進路はどのように考えてるのかな?」
 妙に丁寧な口調で担任が尋ねた。
「え……あの、高校に行こうかと……」
「どこの?」
 言われ、僕は言葉を詰まらせる。だってまだ、六月なのだ。どこの高校に入るかなんて、決めてない。というか、兄貴の通ってる高校と、他に二・三校しか知らない。
 担任は溜息を一つつくと、
「お母様は考えてらっしゃいますか?」
 母はちょっと緊張した面持ちで、
「あの、なるたけお金のかからない公立へやろうかと思ってるんですが……大丈夫でしょうか?」
「学力が、ということでしょうか?」
 担任の声に、僕はぴくりと耳をそばだてる。母は戸惑いつつも、
「はぁ、その……お金とか、そんなものを含めてです。これの兄も今、高校生なんですが、今年卒業なもので……それで、上に上がると申してまして……」
 その頃、母は異常なくらいお金に気をつかっていた。
「まぁ、今から頑張れば何てことないと思いますが……」
 担任は口を濁し、眼鏡の曇りを拭う。
 そこまで自分の成績は悪い方だったのか? 何となく自己嫌悪に陥る。
「細かいことは後々になりますが、私立に比べ公立の方が試験が遅いんです。それで……滑り止めに、私立を受けられることをお薦めしているんです。あの、ですから公立の高校を受験される場合は、私立の高校のことも合わせて考えてもらいたんです」
 ちょっと言い方が嫌みったらしい。それでは僕が相当頭が悪いようじゃないか。
 母はそれ以後、ますます寡黙になり、三者面談を終えて教室を出ると、僕の頭を叩き、
「あんた、親を破産させる気? 夏休みはみっちり勉強しなさい。公立以外に行かすようなお金はないんだから」
 それから、家に帰り着くまで互いに無言だった。
 
***

 公立一本だけ受験し、僕は何とかその高校に入学した。
 首に手を当て、頭を振る。こうして学ランをきちんと着込むと、制服が背広である私立高校が羨ましくなる。まぁ、絶対に入ることなどできなかったのだけれど。
 ちらり、と隣のうちを見る。
 最近の癖。家から出ると、隣のうちの玄関を見てしまう。不敵な笑みを浮かべるヤツがいないかと。
 そこにヤツはいた。セミロングの黒髪。服装は……紺色のセーラー服。白のリボン。見覚えのある服だった。
 僕の視線に気づいたヤツは、いつもの笑みを浮かべて顔を上げ、
「やっと同じ学校にいけるな」
 古い記憶と同じ口調。声は――少し大人っぽくなった。
「……やっぱり、それ……」
「主語述語を抜かすな、何を言いたいのか理解できない」
「エスカレータ式なんじゃ――」
「家庭の事情ってやつだ……じゃあな」
 玄関から出てくるうちの親父に気づくと、自転車にまたがっていってしまった。
「おい、車に乗れ」
「……うん」
 ヤツがシャンプー香が漂ってきそうな綺麗な黒髪を風になびかせて走り去ってゆく姿から目を離し、助手席に乗り込む。
 数日前に親父とお袋はじゃんけんをして、勝った母は兄貴の入学式に出るのだと、昨日から隣の県へと出かけている。そして負けた親父が、僕の入学式に出席することになったのだ。別に来なくてもいいのに。

 入学式。
 まずは自分が何組なのかを確認して、クラスへ向かう。
「あれ、お前受かってたの?」
 茶化すような声に振り向くと、中三の時、同じクラスだった吉澤だった。
「あぁ、久しぶり」
 あまり話した事がなかったので、どう接していいのか戸惑っていた。そんな僕に対して、吉澤は人懐こい。旧知の仲のように、担任となる先生がくるまで一人でしゃべっていた。

 教室に入ってきたまだ若い男は名を告げ、自分がクラスの担任になるという熱い決意を述べた後、お決まりの自己紹介をすることになった。
「名前と出身中学。自己PR、趣味、決意、何しゃべってもいいぞ。まずは、出席番号一番、青木」
 呼ばれて僕は立ち上がる。
 これから、初めての授業のたびに僕から始まるのだと思うと気が重い。せめて『お』とか『か』とかであれば、一番最初に自己紹介することもなかっただろうに……。僕の前に自己紹介するやつがいるとすれば『相田』とか『青江』とか、そんな名字のやつしかない。今まで一人も僕の周りにいなかったけれど。
「青木健介。S中学出身です。えっと、趣味は特にないです。よろしくお願いします」
 一つ礼をして着席する。
 必要以上に簡素な自己紹介に熱血っぽい担任教師はがっかりしたような顔をしているが、そんなことを気にして入られない。クラス中の視線を集めるなど、僕には耐えられない。
「あ……と、それじゃあ、今度は女子にしようか」
 不満の声があがるが、さわやかな笑顔でかわし、
「女子は後ろからな、それじゃあ、渡部」
 椅子が動く音がして、静かに立ち上がる音。
 僕は……伏せていた顔を上げ、ヤツの姿をそこに見た。ヤツは僕をちらりと見たが無視するように、穏やかな声で自己紹介をはじめた。

***

「青木君」
 彼女はとても猫っかぶりで。良家のお嬢さんという態度を脱ぎ去る事はせず。
「何、渡部さん」
 僕も彼女に倣って。周囲に人がいるときにはなるべく彼女に優しく接する。
 一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎ、一年が過ぎ。彼女と過ごす日々が増えていき、僕らはそばにいるのが当たり前になって。
「健介」
 僕の前でだけ不遜な態度を取る彼女。
「何だよ、ジャイアン」
「私に対し、そういう態度をとっていいのか?」
 妙に記憶力の言い彼女は、僕の小さい頃のことを並べ立て、慌てた僕が謝ると楽しそうに笑うのだ。
 そんな彼女の『家庭の事情』をいつしか僕は知り、彼女は平凡な僕が羨ましくて羨ましくてならなかったのだと知り、何も言い返せなくなった。
 僕の小さな頃のことをよく知っているのも、彼女が閉じ込められた自室から僕を見つめていたからで。
 彼女の母親の影響力が届かない僕は、彼女にとって唯一の見方、唯一の存在だったようで。
 幼い頃にしか遊んだことが無かったのに、声は聞こえ、姿を見ることもできるのに交流の無い僕の存在が、彼女にとってとても大きなものだったと言うことを知る――。

 帰り道。部活で遅くなった僕と、何度目になるのかわからない偶然にて彼女と並んで歩く。僕は彼女の偶然が必然であるなんて思いもよらず、話掛けてはみるものの、返事は嫌味か暴言ばかり。だから、僕は彼女が苦手で。
「そんなに僕が嫌いなら話掛けなきゃいいだろ。もしかして、僕のこと好きだったりするわけ?」
 それまで何の話をしていたんだったか。あまりに腹が立って言い放った言葉に、彼女は見せたことの無い狼狽振りで顔を赤くし、
「そんなわけないだろ、馬鹿」
 最初は彼女の態度が理解できず、けれど理解すると僕も彼女と同じ顔色になり、しゃべることができなくなる。沈黙したまま二人で歩く。相手に鼓動の音が聞こえそうな、怖いほどの静寂。時間が経つのがイライラするほど遅くて、驚くほど早くて。沈み行く夕日を見つめながら、彼女の気配をうかがって。
「じゃ、付き合う?」
 青春っぽい、素っ気無い台詞。彼女は驚くほど素直にうなづき――あれから三年。彼女は僕の隣で相変わらず猫をかぶったまま幸福そうな微笑みを振りまいている。

『おささなじみ』をご覧いただきありがとうございました。

02/1/17 思ったより長くなってしまいました。ネタとしては、「変な女」「視線は男」。本当は登場人物全て、名前を出さないまま終らせようと思ってたんですが…私に文章力がなかったのです。

02/4/27 改稿。本当に僅かに一部書き直しました。もうちょっと書き直しの必要性があります…自由に小説を書く時間が欲しいよぅ(泣

2004/04/27 改稿
2006/06/12 改稿。
2012/01/19 訂正

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